第116話 約束の神壇と深海の断罪――魔王の婚礼、嵐を呼ぶ白銀の旋律①
白い光に満ちたチャペルは、静かな海を思わせるような穏やかさに包まれていた。
高い天井から差し込むステンドグラスの光が、バージンロードに淡く色を落とし、祭壇の奥では白百合と青い花々が優しく揺れている。
私は、少しだけ緊張したまま、その中央に立っていた。
隣には、黒のタキシードに身を包んだあっくん。銀髪はきちんと整えられているのに、どこか落ち着かない様子で、何度も私の方をちらりと見てくる。
「……みのり、緊張しているか」
「うん。ちょっとだけ。でも……あっくんが隣にいるから大丈夫」
そう答えると、あっくんは小さく頷いた。
「みのりぃ……花嫁姿、可愛かぁ……あぁ……もう……」
母はすでにハンカチを握りしめ、式が始まる前から涙腺が崩壊寸前だった。
その後ろには、ルカくんと真帆さん。
真帆さんは上品なワンピース姿で、ルカくんはそわそわと落ち着かない様子ながらも、彼女の隣にぴたりと座っている。
さらに隣には、リュカくんと絵莉。
リュカくんは初めての結婚式に緊張しているのか、背筋を伸ばしすぎて逆に不自然だし、絵莉はそんな彼の袖をつまんで小さく笑っていた。
そして後方には、あっくんたちが働くスーパーの店長。
場違いかもと恐縮しながらも、「いやぁ、でも本当におめでとうございます」と何度も頭を下げている。
……なお、タヌロフはというと。
「ご祝儀持ってきたたぬ! 入れてほしいたぬ!」
「申し訳ありませんが、動物の着ぐるみは……」
「タヌロフは正装たぬ! これ正装たぬ!!」
受付で押し問答の末、結局「外で待機」という判断が下され、今頃はチャペルの外で落ち葉と戯れているはずだった。
◇
静かなオルガンの音が流れ、いよいよ扉が開く。
私は、純白のウェディングドレスに身を包んで、バージンロードの前に立っていた。
胸元は控えめで上品に、裾はふんわりと広がり、歩くたびに柔らかな光を反射する。
背中には細かなレースが施され、ヴェール越しに感じる空気は少しひんやりとしていた。
自分でも驚くほど、心臓の音が大きく聞こえる。
視線の先――祭壇に立つあっくんと目が合った。
一瞬、彼が言葉を失ったのが分かった。
そして、次の瞬間。
「……みのり。あまりにも美しい。余の王妃に相応しすぎて、目を逸らしたくなるほどだ」
「そんなこと言われたら、歩けなくなるよ……」
「なら、余が迎えに行ってもいいのだが」
真顔で言うものだから、思わず笑ってしまう。
その笑顔に、あっくんは満足そうに目を細めた。
父と腕を組み、一歩ずつ前へ進む。
参列者の視線と、母のすすり泣きが、やけに鮮明だった。
「……立派になったな」
小さくそう呟いた父の声に、胸がきゅっと締めつけられる。
祭壇の前で、父からあっくんへと私の手が渡される。
その瞬間、あっくんの手が包み込むように、確かに私を掴んだ。
式は順調に進んでいく。
神父の穏やかな声。誓いの言葉。指輪の交換。
――その、はずだった。
ぞわり、と。
背筋を、冷たい何かがなぞった。
あっくんの表情が、ほんの一瞬で変わる。
柔らかさが消え、魔王としての鋭さが宿る。
「……下がれ」
「え?」
「この場に、余が感じたことのないほどの魔力が満ちている」
次の瞬間。
チャペル全体が、低く軋むような音を立てた。
「きゃっ……!?」「な、何の音だ!?」
ステンドグラスの向こう、海の方角から――
巨大な影が、ゆっくりと姿を現す。
それは、前に現れたサメの化け物など比べものにならないほどの大きさ。
長くうねる胴体、空を覆うほどの鱗、神話に語られる海蛇――まるでリヴァイアサンそのものだった。
「……神よ……」
神父が膝をつき、必死に祈りの言葉を紡ぐ。
式場は一瞬で悲鳴と混乱に包まれた。
「ルカ! リュカ!」
「了解!」「はい!」
あっくんの号令と同時に、三人が前へ出る。
結界が展開され、光の壁が参列者を守るように広がった。
「皆さん、こちらへ! 安全な場所に退避を!」
ルカくんとリュカくんが声を張り上げ、人々を誘導する。
絵莉と真帆さんは互いに手を取り合い、父と母もその中に混じる。
「みのり!!」
「大丈夫だから! 先に行って!」
母は振り返り、涙と怒りを混ぜた顔で叫んだ。
「後で覚悟しときなさいよ! 人の晴れ舞台に泥ば塗ってから、結婚式ば壊すとか、絶対に許さんばい!! あんな細長い魚、三枚おろしにして、味噌煮にして喰うてやるけん!!」
……さすが母。
私は、ドレスの裾を握りしめ、あっくんの背中を見つめた。
彼の周囲には、今までにないほど濃く、強い魔力が渦巻いている。
「余の婚礼に、無粋な乱入だな」
静かな声。
だが、その一言に、世界が震えた気がした。
外では、海が大きくうねり、巨大なウミヘビが咆哮を上げた。
――祝福の日は、いつしか、世界を賭けた戦いの幕開けへと変わっていった。




