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異世界魔王とOLの日常が想像以上にドタバタで困る  作者: 白月つむぎ


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第108話 春風の悪戯と消えた魔影――桜の下、魔王は安寧を謳う

 四月。

 公園の桜は満開を迎え、風が吹くたびに淡い桃色の花びらが舞い散っていた。

 みのりとあっくんは、芝生の上にシートを広げ、二人きりのピクニックを楽しんでいた。

 重箱の中には、みのりが真帆の助けを借りて完成させたおにぎりと、絵莉にコツを教わった卵焼きが並んでいる。


「……みのり。この薄紅色の植物、異界の血に染まった茨とは大違いだな。目に優しすぎて毒気を抜かれる」


 あっくんは桜を見上げ、尊大に、けれどどこかリラックスした様子で目を細めた。

 みのりは卵焼きを頬張りながら、ふと思いついたように口を開く。


「そういえばさ、最近全然ニュースで『見たことない動物』の話を聞かなくなったね。一時期はあんなに騒いでたのに」


「余がこの街に睨みを利かせているのだ。低級な魔獣どもが恐れをなしたのだろう」


 かつては夜な夜な魔獣討伐へ繰り出していたが、今やその気配は微塵も感じられない。


「そっか……まあ、平和ならいっか! あっくんも、もう戦わなくていいってことだもんね」


 みのりが屈託なく笑う。

 あっくんは「ふん、当然だ」と短く応じたが、その視線は一瞬だけ、誰にも気づかれぬほど鋭く空の彼方を射抜いた。

 この凪いだような平穏。

 魔力が霧散むさんしたわけではない。

 むしろ、散らばっていた不浄な気配が、一箇所に吸い込まれるように収束していくような、奇妙な違和感。


(……何か、大きなものが蠢いているな)


 魔王としての直感が、皮膚を粟立たせるような微かな警鐘を鳴らす。

 だが、隣で幸せそうにおにぎりを頬張るみのりを見た瞬間、あっくんはその思考を胸の奥へ押し込めた。

 今はまだ、みのりに余計な不安を与える必要はない。


「……ところで、みのり。この『しゃぼん玉』という兵器、なかなか興味深い」


 あっくんが取り出したのは、売店で購入したプラスチックの容器だった。


「あはは、あっくん、それは兵器じゃないよ。おもちゃだよ」


「この透明な球体に魔力を込めれば、もしや浮遊機雷として機能するのではないか?」


 真剣な顔でストローを吹くあっくん。

 だが、加減が分からず思い切り吹きすぎたせいで、小さな泡が大量に発生し、自らの顔を直撃した。


「ぬっ!? 余の視界が遮断されただと……みのり、この球体、侮れんぞ」


「だから、ただの泡だってば! ほら、あっくん、鼻の先に泡ついてるよ」


 みのりが指先でちょんと泡を潰すと、あっくんは少し恥ずかしそうに顔を背けた。

 それでも、空を舞う無数の泡が桜の間を抜けていく光景を、彼は子供のようにじっと眺めていた。


「この世界は、くだらぬものに満ちている……だが、悪くない」


 あっくんはシートの上に転がり、みのりの膝の上に勝手に頭を載せた。

 膝枕の形になったみのりは赤くなるが、あっくんは構わず彼女の手を引き、自分の頬に添えさせる。


「みのり。余はこの温さを、しばらく享受することにした」


「……あっくん?」


「魔獣も、異世界の因縁も、余の平穏を邪魔するものはすべて余が滅ぼしてやる……みのりのこの笑顔を曇らせる権利など、神にさえも与えぬ」


 あっくんの瞳に、魔王としての絶対的な意志と、みのりへの深い情愛が混ざり合う。


「……ずっと、一緒にいてくれる?」


「……愚問だな。余は魔王だぞ。一度手中に収めたものを、手放すはずがなかろう」


 あっくんはみのりの指先にそっと口づけを落とし、目を閉じた。

 迫りくる巨大な影の足音は、まだ遠い。


 今はただ、降り注ぐ花びらの中で、二人の心臓の音だけが穏やかに重なっていた。

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