第107話 白銀の誓いと魔王の返礼――三月の風、恋の解像度を上げて
三月。
窓から入る風にほんのりと春の気配が混じり始めた頃、みのりのアパートでは「ホワイトデーの逆襲」とも言うべき、かつてない規模の調理実習が始まろうとしていた。
キッチンには、袖をまくり上げたあっくん、分量を厳密に量るルカ、そして泡立て器を必死に振るリュカの三人が並び立つ。
「アークロン様、生地の温度は完璧です。これより魔力による均一な加熱工程に入ります」
ルカの眼差しは真剣そのものだった。真帆に最高の仕上がりを見せたいという一心が、その指先に迷いのない動きを与えている。
「ふむ。ルカ、余の指揮に抜かりはないな。みのりが驚くような、魔王の返礼に相応しい逸品に仕上げるのだ」
あっくんは腕を組み、オーブンの前で威厳を放つ。
その背後では、リュカが「絵莉さんに認めてもらうんだ……!」と悲壮な決意でクッキーの型を抜いていた。
数時間後。
リビングには、主役であるみのり、真帆、絵莉の三人が招かれた。
「ルカくん、これ……あなたが作ったの?」
真帆が驚きの声を上げる。ルカが差し出したのは、繊細な飴細工が施されたホワイトムースだった。
ルカは頬を赤らめつつも、真帆の目を真っ直ぐに見つめ、凛とした声で告げる。
「はい、真帆さん。貴女が以前、美しいと言っていた雪解けの風景を形にしました……貴女に喜んでいただくこと、それが今の僕の最優先事項です」
真帆は「嬉しいわ、ありがとう」と優しく微笑み、一口運ぶ。
ルカはその瞬間にようやく安堵の吐息をつき、誇らしげに背筋を伸ばした。
真帆にいいところを見せられた満足感が、彼の表情を一層明るく変える。
リュカも絵莉にデコレーションクッキーを渡し、「絵莉さん、大好きです!」と直球の言葉と共に頭を下げた。
絵莉は「……単純ね。でも、味は合格よ」と笑いながら、リュカの頭を乱暴に、けれど慈しむように撫でた。
そして、あっくんはみのりの手を取り、バルコニーへと連れ出した。
夜の帳が下りた外気はまだ少し冷たい。あっくんは用意していた純白のケーキを、みのりの前に差し出す。
「みのり。これを食せ」
「わぁ……あっくん、これ、真っ白で綺麗……」
みのりがフォークを口に運ぶと、中から濃厚なベリーのソースが溢れ出した。
それは、あっくんの情熱そのもののようで、みのりの胸を熱くさせる。
「……バレンタインにみのりがくれた『この世で一番の味』それに並ぶものをと、ルカと知恵を絞ったのだ……どうだ、みのり。余の想いは届いたか」
「うん……! 今まで食べたどのお菓子よりも、ずっとずっと美味しい……あっくん、大好きだよ」
みのりの瞳に光る涙を見た瞬間、あっくんは彼女の腰を強く抱き寄せ、その耳元で深く、熱い声を響かせた。
「ふん。当然だ。みのりが余を想うように、余もみのり以外の女など視界に入らぬ……みのり。来年も、その先も、余の隣でこの菓子を食うが良い……分かったな」
「……うん、約束だよ」
春の予感を含んだ風が、寄り添う二人の間を通り抜けていく。
結婚式はまだ先のこと。けれど、二人の心には、決して枯れることのない約束の蕾が、確かに宿っていた。




