第105話 ブーケの行方と乙女の予感――チャペルに響く憧れの鐘
週末、都内のホテル。
みのりと絵莉は、いつもより少し背伸びしたパーティードレスに身を包んでいた。
――今日は会社の頼れる先輩、佐藤さんの結婚披露宴だ。
「……綺麗だね、佐藤さん」
みのりは、純白のウェディングドレスに身を包んで幸せそうに微笑む先輩を、うっとりと見つめていた。
聖歌隊の歌声と、降り注ぐ光。
その光景は、先日二日酔いで頭を抱えていた日常とはまるで別世界の美しさだった。
「本当ね。あの仕事の鬼だった佐藤さんが、あんなに柔和な顔になるなんて……結婚っていうのも、案外悪くないのかもね」
絵莉がシャンパングラスを片手に、どこか感慨深げに呟いた。
◇
披露宴も終盤、爽やかな風が吹き抜けるガーデンテラスへと移動し、ゲストたちが期待に胸を膨らませて円陣を作る。
「……いくよー!」
新婦である佐藤先輩が、幸せに満ちた声を上げて背を向けた。
宙を舞ったのは、純白のカサブランカと淡いピンクのバラで編まれた、眩しいほどに美しいブーケ。
それは青空をバックに、まるでスローモーションのようにゆっくりと弧を描いた。
周囲からは「こっち!」と楽しげな声が上がる中、みのりはただ呆然と、その白い塊を目で追っていた。
(わぁ……綺麗……まるで、あの流星群の夜みたい……)
そう思った瞬間だった。
風に煽られたブーケが、不自然なほど吸い込まれるような軌道を描き――。
「えっ……!?」
慌てて差し出したみのりの腕の中に、柔らかな花の感触がすっぽりと収まった。
腕いっぱいに広がる、瑞々しく甘い香りと、まだ少し残っている朝露の冷たさ。
「みのり、やったじゃない!」
隣で絵莉が、自分のことのように嬉しそうに声を上げ、強く肩を叩く。周囲からは「おめでとう!」「次はみのりちゃんの番だね!」という温かな拍手が降り注いだ。
みのりは、腕の中のブーケをぎゅっと抱きしめた。
すると不思議なことに、頭の中に真っ先に浮かんだのは、あの不器用で誇り高い男の顔だった。
(……あっくん。これ、あっくんが見たらなんて言うかな)
いつもは威厳たっぷりに「余の隣にいろ」なんて命令してくるくせに、こういう「女の子の憧れ」には疎そうな彼。
でも、もし彼がタキシードを着て、自分の前に膝をついてくれたら……。
「……みのり? 顔、真っ赤よ」
絵莉のからかうような声に、みのりはハッと我に返った。
「あ、違うの! なんでもないの! ただ……このブーケ、すごく嬉しいなって思って……」
誤魔化しながらも、みのりは確信していた。
この花を家に持ち帰って、玄関であっくんの顔を見た瞬間、きっと心臓が今の何倍も跳ねてしまうだろうということを。
「……結婚、かぁ」
ポツリと漏らした独り言は、潮騒と拍手にかき消されたが、みのりの指先は、しっかりと幸せの証を握りしめていた。
◇
披露宴の余韻と、腕に抱えたブーケの重み。
ガタゴトと揺れる帰りの電車の中で、みのりと絵莉は並んで座っていた。
「……まだ、信じられない。まさか私がブーケをもらうなんて」
みのりは膝の上の白い花束を愛おしそうに見つめた。
「で、どうなの? 現実味、湧いてきた? 『結婚』っていう二文字」
「うーん……正直、まだ付き合ってからそんなに日は経ってないし、今すぐどうこうって想像もつかないんだけど。でもね」
みのりは少し言葉を切り、ブーケにそっと指先を触れた。
「……もし、いつかその時が来るんだとしたら。私の隣にいるのは、絶対に、あっくんしか考えられないんだ。あっくんじゃなきゃ、嫌なの」
迷いのない、確かな言葉。絵莉は「あらあら、なんか私まで熱くなってきちゃったわ」と笑いながらも、どこか羨ましそうに目を細めた。
駅で絵莉と別れ、アパートに到着した。
みのりが部屋のドアを開けると、そこには「いつもの」賑やかな日常が待っていた。
「おかえりたぬ……むっ!? みのり、その手に持っている紙袋から、甘くて高貴な香りがするたぬ!」
真っ先に飛び出してきたのは、鼻をピクピクさせたタヌロフだった。
引き出物の中身がお菓子だと察するやいなや、「早く開けるたぬ! 魔王軍の兵糧として検分してやるたぬ!」と、尻尾を振り乱して大はしゃぎしている。
「おかえりなさい、みのりさん! どうでしたか、現代日本の披露宴という儀式は。データ通りの多幸感に包まれていましたか?」
ルカが、涼しげな瞳でみのりを迎え、リュカも「みのりさん、ドレスとっても似合ってます! 絵莉さんも、きっと綺麗だったんだろうなぁ……」と、自分の恋人を想って頬を染めている。
そして、リビングの奥から。
どっしりとソファに座り、魔王の風格(と少しの寂しさ)を漂わせていたあっくんが、ゆっくりと立ち上がった。
「……遅かったではないか。余をこれほど待たせるとは、どのような贅を尽くした宴だったのだ」
少し拗ねたような、けれどみのりの姿を見て安堵したような声。
そして、彼の視線は、みのりが大切そうに抱えている白い花束に釘付けになった。
「……みのり。その、白く瑞々しい植物の塊は何だ? まさか、宴の主役から、余への宣戦布告として贈られた兵器ではあるまいな?」
「ふふ、違うよ、あっくん。これはブーケ。幸せのお裾分けなんだよ」
みのりは花束を胸に抱いたまま、あっくんに歩み寄り、最高の笑顔を向けた。
「あのね、あっくん。今日、これをもらったら……一番に、あっくんに見せたいって思ったんだよ」
あっくんは一瞬、言葉を失った。
みのりの笑顔と、その胸にある誓いの花。
彼は不器用な手つきで、みのりの髪をそっと撫でた。
「……よくわからぬが、みのりがそう言うのであれば、悪いものではあるまい。この部屋に、飾るが良い」
耳を赤くしてそっぽを向くあっくん。
まだ「結婚」という言葉を口にする勇気はないけれど、みのりは、この不器用なあっくんの隣こそが、自分の帰る場所なのだと改めて強く感じていた。




