停電の真夜中に、あなたと手を繋ぐ〜星空を見る顔がふたつ揃うのはいつぶりだろう〜
数ある中からお読みいただきありがとうございます。
「政宏、お風呂出たよ」
リビングの奥にいる政宏にいつものように声をかけるとソファに身体を預けて、テレビを点ける。
いくつか変えてみたが、お笑いとクイズ番組ばかり。
テレビも私たちの日常と同じ。変わらない。それに少し寂しさを覚える。
やっと歌番組にして、またスマホに目を落とした。
政宏がお風呂へ向かうとテレビの音だけになる。
その音も重要じゃない。ただ誰かの気配が欲しいだけ。すぐに背景に溶けこんだ。
私は気にせずスマホの画面に指を滑らせる。
SNSのトップ画面には友人の毎日をきらきらと過ごす楽しそうな写真が並ぶ。
楽しそうだなぁ。友達はみんな眩しいくらいに輝いていて、私はただ画面を眺めているだけ。
私は、載せる写真がない。
いつからだろう。
話題の場所も食べ物も、いつの間にか遠ざかっていた。
思わず口から漏れそうになった、ため息を喉の奥にぎゅっと押し込む。
私は気分を変えようと、スマホの写真を開いてみる。
ガチャリと音がして、ドアが開いた。
急に現実に戻ってくる。私は大きく息を吐くと画面から視線を外した。
開いたドアの方を見ると紺のTシャツに黒いズボンの部屋着姿の政宏。
目が合った、その時。
ブツリ──。
テレビの音が消えた。そして目の前に真っ暗な闇が私たちを支配した。
覆い被さってくる闇を跳ね除けるように私はスマホの画面を点ける。
青白い画面が闇の中で唯一の光となる。
23時18分。
「停電かな?」
「ちょっとブレーカー見てくるよ」
手探りで壁を触りながら足音を立てて洗面所の電源ブレーカーを探す。が、電源ブレーカーは落ちてない。
スマホのライトを付けて他の部屋も確認してみる。
洗面所、トイレ、リビングに寝室──。
「どこも電気がつかないな」
私はスマホの画面を見るとあることに気が付く。
「あっ電波無くない?」
「嘘だろ!?」
私たちはそれぞれスマホの検索画面やアプリなど試してみるがインターネットに繋がる様子はない。
私は顔を天井に向けた。
そこへ重なる“ため息”──。
「金曜の夜なのに何にも出来ないのか」
「本当だね」
そう言いながらも悔しいのでスマホをいじっていると写真が出てくる。
撮った写真は見れるのか。
私はやることもないので撮った写真を見始める。
すると政宏がおもむろに画面を覗いてきた。
「何してるの?」
「写真、何があるかなと思って」
最近の私のカメラロールには景色とご飯の写真ばかり。
私はスクロールを早めてどんどん遡る。するとちらほらと二人で撮った写真が出てくる。結婚してすぐの写真が出てくる。
5年も前の話だ。
「これ、前にお台場に行った時の写真。政宏、ポーズ取ってるね」
頬は上がっているが固い笑顔の政宏。
「美幸だって振り返りポーズしてるじゃん」
初夏を彩る水色のワンピースで精一杯素敵に写ろうと引きつった笑顔の私。
今の私はどんな笑顔ができるだろうか──。置いてきてしまった、二人の初々しさ。
その写真から二人の姿はうっすらと消えていった。
隣で画面を覗いている政宏に細い目をして見ると目が合った。思わず逸らす。彼もすぐに視線を外した。
政宏はスマホの画面から離れて立ち上がったようだ。
「ちょっと外出てみる?」
「外真っ暗かもしれないね。行ってみよう」
玄関でサンダルを履く政宏の後ろを付いていく。ドアから出ると街灯も付いていなかった。
───────────────
闇の夜。人影もない──。
二人はそれぞれスマホのライトをつけて歩き始める。スマホのライトだけを頼りに。
周りを見ながらぶらぶらと歩く素振りを見せる。
本当は闇の波に押され“政宏に近づきたい気持ち”と“いつもの距離感”がせめぎ合っていた。
「真っ暗だね、足元大丈夫?」
「いつもと違うからびっくりしてるけど、何とか大丈夫」
少し歩くと川沿いに出るので、そのまま歩く。
こんなに何も考えずに二人で散歩するのはいつぶりだろうか。私はおでこを掻きながら、政宏の様子を窺うが暗いので分からない。
前はよく散歩も行っていた。スマホを見なくても二人で話しているだけで楽しかった。
それもいつしかお互いのことは気にすることも減り、スマホの画面ばかりと親しくなる。
そこへ夜風が私の頬を撫でていく。
こんなゆっくりと外を眺めるのもいいわね。
今夜はインターネットも使えないので、スマホも懐中電灯代わりにしかならない。
その足元では、二人のサンダルがアスファルトに擦れる音しか聞こえない。
私は左側にある川の方を何気なく見ていると、右側にいる政宏の手に自分の手が触れた。
「あっごめん」
「大丈夫」
お互いすぐに手を離した。
「散歩なんて⋯⋯いつぶりかしら」
「⋯⋯東京の夜って、意外と静かなんだな。星、こんなに見えるなんて」
政宏の言葉に空を見上げて立ち止まる。
空には小さく瞬く星が散りばめられている。さっき昔の写真を見たからか、思い出が頭の中に蘇ってきた。
「「あのさ」」
同時に二人の声が上がる。
しんと静まり返る。
「美幸からどうぞ」
「あっ⋯⋯ありがとう。空見てたらさ、夜景見に行ったこと思い出しただけ。覚えてる? ⋯⋯夜の都内を車で通ってさ⋯⋯」
あれは『夜景が見たい』と言った時──。
車を運転する彼の隣で少し胸をときめかせながら助手席に座る。夜の東京は街灯にビルの光とそこかしこが明るく昼間みたいだった。
少し外れると途端に暗くなり、そのうち自分たちだけが走っていた。私が眉をひそめ始めた。
そして車が止まった先は──。
「まさか晴海ふ頭だなんて思わなかった」
晴海ふ頭は何もない。ただ真っ暗な海が見えるだけ。対岸に東京のきらびやかな街の景色が見える。
「二人だけのほうがロマンチックかなと思って」
私はレインボーブリッジとかみなとみらいとか定番なところに行くとばかり思っていたので唖然とした。
驚いて不満を漏らしながらも、私の胸は高鳴りをしていた。
車内で手を伸ばせば届く場所にいる政宏の方を見れずに外ばかり眺める。トンネルに入る度に窓に反射して政宏と目が合いそうになるのを必死で背けた。
遠くに置いてきた思い出を少しだけ手繰りに寄せると、心がトクンと一度だけ鳴った。
私は振り返り政宏の方を見て話を戻す。
「ごめん、政宏も何か言いかけてたけど、何だった?」
「あっ⋯⋯夜空見てたら、ハネムーンで行ったエアーズロック、覚えてる? あの星空、思い出しちゃってさ」
私たちは結婚するとハネムーンにオーストラリアに行った。
エアーズロックの空港に着くと有名な観光地に胸が躍る。
昼間は登りたかったエアーズロックに足を乗せる。
思ったより表面がすべすべしている。その時、よぎった悪い予感を頭から追い出す。
だが、すぐに戻ってきた。登り始めて10分足らず。足をずるっと滑って息を呑んだ。
心臓がうるさいほどなって身体を上下させる。
「美幸、大丈夫か? う、わっ⋯⋯びっくりした!」
こちらに急いで駆け寄ろうとした政宏も滑った。
「駄目ね。これじゃあ残念だけど、登れないわ」
私はその場に座り込み目を伏せる。目に少し熱いものが溢れる。
政宏は私の手を引いて下り始めた。
「エアーズロックを登ったことある人はたくさんいる。周りを歩いたことある人は俺たちくらいかも。どうかな?」
目の前には頬を少し赤らめて微笑んだ政宏。
その優しくも、不器用な姿に目を奪われた。
はっと気づく──。
(あ、彼のそんなところが好きなんだわ)
「それは素敵なアイディアね」
寄り添いながら一周。同じ場所が鮮やかな色に変わる。私たちは以前とは違う“やりきった”笑顔を交わしていた。
夜になると新月で空は闇に包まれていた。数多に見える星空に目を奪われる。
そっと政宏の手に触れると力強く握り返してきた。その目はあまりにも真剣で目が逸らせなかった。
時間はゆっくりと過ぎていく──。
私は火照りを冷ますようにだた空を眺めて動けなかった。
あの時ほどの星はないけれど、今見上げて目に飛び込んでくる数少ない星が眩しくて、あの夜を思い出すには十分だった。
あの日の思い出が温かさで胸を満たしていく。
隣にいる政宏の方を見ると先程までこちらを見ていたようで、見るとすぐに目線を外した。
「そろそろ帰ろうか」
「えぇ、そうね」
───────────────
家の方へ向き直ると私の手の甲に政宏の手が当たる。
私は、触れた手をそっと握り返した。政宏も、離さなかった。
当たった手のひらだけが、じんわりと熱を帯びる。喉が、きゅっと鳴った。
「今夜は暗いから」
「うん、暗くて危ないわ」
私たちはぎこちなく手を握る。
誰もいない歩道。信号も今はただの電柱と同じ。車もいない静かな道路。
その沈黙を破って二人の足音だけが耳に残る。
それでも私の意識はすぐに引き戻される。
握られた手──。
今は暗い⋯⋯。
「また、晴海ふ頭に行きたいな」
「今度、行こうか」
「エアーズロックにも行きたいね」
「次はもっと騒がしくなるかもな」
政宏の手がぎゅっと私の手を握ってくる。
その瞬間、過去のぬくもりが、また私の中に流れ込んだ。
⋯⋯頬が、熱い。
「もう少し寄り道して帰らない?」
「それもそうだな」
私は忘れていた自分とその隣にずっといてくれた大切な存在を今一度確認する。
目が合ったが、すぐに視線を逸らされる。
私は少し口を尖らせて政宏を見続けた。
「明日、デート⋯⋯しませんか?」
頭の後ろに手を添えて敬語を使ってくる。
視線を逸らされたのは、照れ隠しだったのか。私は口元を大きく緩めた。
「はい⋯⋯明日、晴海ふ頭行ってみない?」
「いいよ、夜ご飯食べたら行こう」
「そしたら昼間に靴を見に行かない?」
「もうエアーズロックのこと考えているの? 早くない?」
「念の為だもん⋯⋯」
「はは、美幸のせっかちは変わらないな。そしたら新宿に行こう。それから本屋も寄ってさ」
私は顔を上げて政宏を見た。
言わなくても私には分かった。
“新宿で靴を見て、本屋さんでもう一度ガイドブックを買おう”と言うことだ、と。
強く握られた手を握り返す。
昔のような熱のこもった瞳ではなかった。そこには二人の時を織り込んだ柔らかく慈しむような瞳が私を映していた。
私の中に溢れてくる。
政宏に話したいことも伝えたいこともどんどん、と。
それは、見上げた星のように。ひとつずつ、数えきれないほど溢れてきた──。
これからゆっくりと話していけばいい。
一歩、距離を詰めると、政宏の肩にちょこんと頭を乗せた。
お読みいただきありがとうございました。
結婚5年目のふたりが、静かな夜に再び手を繋ぐ話を楽しんでいただけたら幸いです。




