三種盛り
大勢が一列に並んで、腕を高くあげたりリズムに合わせて腰を振ったりしている。アイドルではない。もっと無機質なもので、なんというか、スタイルがよくて同じ顔をした小人たちが白い棚に陳列されているようなイメージだ。とても楽し気な様子だ。あるいは信号機のフラクタル構造で、その擬人化の絵面。単なる連続ではなくフラクタルと言ったのは、どうやらその棚は奥へいくほど湾曲していて、その角度も強まっていっているみたいだからだ。
言いたいのはそれが人の形をした人でない何かの集まりのイメージだということだ。何かの何かが、そのまま何か止まりでずっと居座っている。半年前くらいからずっとこのイメージが引っかかっている。究明する手がかりもなく、思考の一定のスペースを占有し続けている。これの原型を辿れば、さらに前から頭に出来ていたのだと思う。抽象画みたいな何かがあったのだと思う。最近になってやっと形が見えてきていた。
元ネタはチャーリーとチョコレート工場かな。何度も再放送されている。でもあれみたいな毒々しさはないしな。多分違う。当時聞いていた音楽から来ていると思う。漂白洗剤みたいな可愛さがあった。少女性はないという意味だ。だからアイドルではない。
中身のない話をやめたいというか、今やめないとこれしかできなくなるかもしれない、そんな危機感が生まれつつあった。まだ身に染みて覚えてはいない。こういうところだし、こういうところだって、ついつい思ってしまうのもそうだ。僕は野暮のかたまりだった。
プラトニックしないってナンパか。時々思い出す。説教されているときとかに思い出す。夏が来れば思い出す。飛んでいるトンボとその擦れ擦れに敷かれた水面とを、ずっと視界に留めていたかった。夏の終わりと秋の始まりにずっと挟まれていたかった。ずっとという言葉が好きだ。どんな人もみんな、ずっとの状態になりたくて生きていると思う。でもそんな状態は幻だった。とっても手ごわいリアリストだって、その現実的思考のみで事がすべて済めばいいと思っているし、済むと思っているからこそのリアリストという選択だ。……そうだな、分かった口を聞くのは失礼にあたる。そんなことを言うくらいならばむしろ、プラトニックしないってナンパか。これくらい逸れた方向で話を進めるべきなのだろう。明日からは冗談まみれの日々だ。不動産屋が会話に困ってファイルに顔をうずめていた。首を左右に回してぐりぐり、おそらくファイルの開けたページに顔を入れようとしている。本当にずっとだ。こうして不動産屋の彼はずっとの境地に辿り着いたのだった。僕は指を咥えて向かいにいた。