Chapter.2 ⇒中年の男は女スパイとともに、T国が残した秘密基地に潜入するよう命じられる。
「おいネチャン、あいつが目を覚まさなかったらどうするつもりだ」
ネチャンの上官と思しき男が声を荒げたが、ネチャンはどこ吹く風で眉を描いていた。その時、簡易ベッドに寝かされたオジが身じろぎをし、目を覚ました。
「ほら、大丈夫だったじゃない」
上官はやれやれといったふうに首を振り、オジが体を起こすのを待った。
「えー。オジと言ったかな。手荒な真似をして済まなかった。少し頼みたいことがあって呼ばせてもらった」
「火曜だ。仕事に行かないと」
オジは頭痛に顔をしかめながらそう言った。
「正確には月曜の午後十一時四十五分だ。まったく驚くべきことだが、君は小一時間であの電気ショックから目を覚ましたんだ。なにか特別な訓練でも受けていたのか?」
「訓練?」
「いや、いいんだ。君のことは調べさせてもらったよ。T国で平凡な両親の下に生まれ、学業は中の上。地質学を学ぼうと大学に行きたかったが断念」
「金がなかったんだ」
「それからは機械工場の作業員として働いている。仕事は正確、勤務態度は良好。住まいは成人してからは一度も変えていない。両親とは若い頃に死別。恋人がいた形跡はなし。部屋に出入りするのは雑種の野良猫だけ」
「たまにネズミも入ってくる」
「週末に少しの酒を飲む他、趣味も交友関係もなし。なにか間違いはあるか?」
「百点満点だ。帰っていいか」
「我が国の諜報機関に調べられないことはない」
「私が調べたのよ。にしてもおじさん、何が楽しくて生きているの?」
ネチャンが割って入ってきた。
「おじさんなんて年じゃない。で、俺に頼みたいことってなんだ?」
オジはネチャンをあしらい、上官に訪ねた。
「ネチャンと一緒にT国の秘密基地に潜入してほしい」
「は?」
予想外の言葉にオジは面食らった。例えば酒場で喧嘩があって、その事情確認や、そういった類で呼ばれたのだろうと思っていたのだ。
「君は、T国がどのように崩壊したか知っているか?」
オジの混乱をよそに、上官は落ち着いていた。
「世界を支配していた悪のT国は、勇敢なるK国のスパイによって崩壊したと新聞に書いてあった気がするが」
「私が崩壊させたの」
「一般的にはそうだ。T国支配下にあった我が国は、密かに科学技術を守り発展させ、最強のスパイ軍団を作り上げた。そしてT国に反旗を翻したんだ。そしてT国は解体され、その土地のほとんどが我が国の統治下に置かれることになった」
「ねえ、私が崩壊させたのよ」
ネチャンが鼻を鳴らしながら割り込んできた。どうも自分が会話の中心にいないと気がすまないタイプの女のようだ。
「ああ。ネチャンの功績は大きい。彼女がT国の中核に侵入し、脆弱な部位を的確に攻撃したお陰で栄華を築いたT国はあっけなく崩壊したんだ」
ネチャンはその言葉を聞いて満足気に喉をゴロゴロと鳴らした。そうしているのを見ると、とても凄腕のスパイには見えない。
「実は我々がT国を攻撃する前、我が国の大統領に二通の手紙が届いた。一通は単純な暗号で書かれたT国の重要施設の位置などをリークする内容だ。これにより、我々はネチャンを使ってT国に侵入できた」
ネチャンはそれを知らされていなかったのだろう。驚き振り向いたせいで、描いていた口紅が大きくずれた。
「そしてもう一通は極めて複雑な暗号で書かれていた。『貴国最高のスパイと十三番街のオジの二人で、エリア3の秘密基地の隠し部屋を探せ』」
「私が最高のスパイなの。十年前も、今も」
「彼女は十五にしてT国中核に入るだけの実力があった。それから十年。T国の監視の目がなくなった今、我々の科学技術は大いに発展し、彼女は我々の最先端の科学技術を余すことなく使いこなせる唯一の存在となった」
彼女はまた喉を鳴らした。
「十年? そんなに経つのか」
男の感覚では、T国の解体はつい先日のことのように思い出された。しかし、単調な日々を繰り返す男の時間間隔などあてにはならない。
「なぜ俺の名が?」
「それは知らん。しかし、この手紙は無視できん。筆跡鑑定、指紋鑑定、放射性炭素測定、どれをとってもこのサインの主が書いたとしか思えんのだよ。それに、我が国の学者がこの暗号に十年頭を捻り、昨年発見されたムステラ・アーミネアの定理を使ってようやく解いたんだ。そんな代物、彼が作ったとしか考えられない」
「誰からの手紙なんだ?」
オジが手紙を覗き込むと、ネチャンが声を上げた。
「やっぱり私一人で行ったほうがいいわ。こんなに鈍いT国人のおじさんとなんか一緒にいたくない」
「俺はおじさんなんて年じゃない。明日も仕事なんだ、帰してくれ」
「うるさい!」
たまらず上官が机を叩いた。その額には青筋が浮いている。オジとネチャンは肩をすくめ黙った。
「あのG.G.からの手紙だぞ」
「G.G.?」
「あんたほんとになんにも知らないのね」
思わず問い返したオジにネチャンはため息交じりにそう返した。
「カルト敵思想のT国が世界を支配できていたのは、G.G.ただ一人の功績だといっても過言じゃないわ。彼は世界の国々の情報を一手に集め、ときに戦争を起こし、世界の国力を調整しながら常にT国が利を得るよう立ち回っていたの」
「G.G.は紛れもなく最高のスパイだよ」
「かつてのね。生きていても時代遅れのロートルよ」
「死んでいるのか?」
「T国から暗殺されたと聞いているわ」
「ああ。おそらくG.G.が暗殺される直前に書かれたものだろう。放射性炭素測定の結果とも一致する」
「暗殺された人間からの手紙に従う必要はあるのか?」
「私達の国は未だに彼に怯えているのよ。馬鹿みたいにね」
「そうだ……。あの時代の国の中核にいたものはわかるだろうが、私達はいつも眉間にG.G.の銃口を感じていたんだ。彼が仕事をするたび、『次はお前だ』と死の宣告をされている気になったものだ。そして、その恐怖は未だ残っている。オジ、なぜ君の名がこの手紙にあるのかはわからない。しかし、君たちT国は滅び、我々T国に吸収された今、我が国のために働くことは義務だと考えてほしい。任務達成のあかつきには君にはK国人の国籍を与えよう。今のように住居や職業の制限がなくなる。大学に通ったっていい。なお、これは我が国の大統領の勅命だということを補足しておこう」
「今更学び直そうなど思わないさ……。それに、君とこの娘さんはさっきから民間人、特に統治下の民間人に聞かせるべきではない重要なことを言い過ぎてやしないかい? 任務が成功しても、殺して口封じされる未来が見えるんだが」
オジの探るような目に、上官はニヤリと笑った。
「君のことを心配していたが、肝が座っており、頭が切れる。ネチャンといいパートナーになるだろう。心配するな。G.G.が手引してT国を崩壊させたと叫ぶ人間が世界に何万人いると思っている。G.G.の生まれ変わりや生き残り、G.G.は実は集団の名称で、自分はその一員だった、そのように叫ぶ人間が世界に何十万人いると思っている。お前が真実を語ったところで、凡庸な陰謀論者としか思われんよ。我々は仕事をする人間は歓迎する。そして、仕事をしない人間の生死はどうでもいいと思っている。わかるだろ? まあ、報酬の件は考えておいてくれ。できる限りのことはしよう。我々は国家としては未熟で、未だに彼に怯えるChick and Chicken(ひよっこで臆病者)だ。だからこそ、あらゆる手を打って身を守らねばならない。改めて君たちに任務を課す。二人でT国秘密基地の隠し部屋へ行き、G.G.の手紙の意図を探ってきてほしい」
「おしゃべりな小娘と臆病者の民間人でChick and Chickenか。嫌なコンビだ」
オジは頭を掻きながらも立ち上がった。あるいは民間人の彼にとってこの話は現実味がなかったのかもしれない。
「私がChick(可愛い子ちゃん)だって言いたいわけ?」
ネチャンは立ち上がって背伸びをした。緩んだ頬を隠しきれていない。
二人を見た上官は満足気に頷いた。
「オペレーション・シーシーを開始する」
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タイトル:オペレーション・シーシー
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