塔に幽閉された少女
断末魔に呼応する断末魔、燃え盛る炎から漂う酷い異臭、崩壊するローグレット王国。絶望の渦中に男はいた。叫ぶ声は苦しみか、悦楽か、自らの体を異形へと変異していく。
その様子をナナシは視ていた。ナナシが視ている全ては夢の中の出来事。しかし、いずれ起こる予知夢である。
ナナシが夢を凝視していると、男がナナシの存在に気付き、振り向いた。振り向いたその男の顔は、邪悪そのものであった。そこで、この夢は終わった。
ナナシが夢から覚めると咳が始まり、吐血した。手の平についた血を眺め、あとどれくらいで死ぬ事が出来るかを考える。その後ベッドから出ると、部屋に唯一ある窓の前に立った。窓から見えるローグレット王国の健在に、ナナシは溜息を吐く。
これはナナシの異能が開花された5歳の頃から10年間続く習慣であった。夢の内容は違えど、幾度も王国が崩壊する場面を視ていた。しかし、唯一それだけが現実で起こる事は無かった。
「こんな世界、滅んでしまえばいいのに……」
不満が如実に表れた表情で、ナナシは呟いた。ナナシがいるこの部屋は、王国から離れた場所に建てられた塔の最上階。幼いナナシが人であるにも関わらず、異能を開花した事がキッカケで、ナナシはこの塔に幽閉されていた。王国の兵や民、血の繋がった親であるローグ王からも、ナナシは恐れられ、忌み嫌われていた。
そんな中で、ただ一人の男だけはナナシを恐れていなかった。その男の名はボルド。今から10年前、世界に魔王が現れた頃、ボルドは王国に現れた。ローグ王と謁見した際、ボルドは自らを神の使者と名乗り、魔王の侵略から人を救う勇者がこの地に降り立つ事を宣言した。
その後もボルドは言葉と知識をローグ王に授け、今ではローグ王の側近という位置に就いている。また教会の司祭も務めており、犯した罪の赦しと、死にいく者を天国へと送り届けていた。
そしてボルドは、唯一ナナシが幽閉された塔に立ち入る事を許された人物でもある。ナナシにとって、両親よりも見慣れた顔になっていた。
朝の訪れを知らせる教会の鐘が鳴り響く頃、ボルドがナナシの部屋を訪れた。
「おはよう、ナナシ。今日の目覚めはどうかな?」
「……いつもと変わらない」
「そうか。それじゃあ、少し話そう」
いつも通りの挨拶を交わし、ナナシとボルドはテーブルの席につく。ボルドは持ってきた朝食をテーブルに置き、二人は朝食を食べ始めた。
「今日は一際良い卵と野菜を使ったんだ。いつも以上に美味しければ嬉しいな」
「……いつも通り」
「そう?」
「私に味の違いなんて分からないよ……」
「そうだった。異能を開花してから、君は味覚を失ったからね。そうだ、先日教会の花壇に植えていた花がようやく咲いたよ」
「でも、枯れかけてたって前に……」
「どうやら、私の祈りが神に届いたようだ」
ボルドは嬉しそうに微笑むと、フォークで刺したサラダを口に運んだ。それとは裏腹に、ナナシは部屋の隅に目を向けながら、フォークでサラダを突き刺し続けていた。
「……ボルドが面倒を見てあげたお陰だよ。祈りが神様に届くなら、私はとっくに死ねてる」
「異能によって変異した君は、死ねない体になった」
「……うん。きっと神様は、私の事が嫌いなんだ」
「それは違う。神は君を嫌いになんかなってない。むしろ、愛しているよ」
「なんで分かるの……?」
「分かるからさ」
「……そう」
真剣に語るボルドの言葉をナナシは受け流し、刺し続けてボロボロになったサラダを口に運んだ。
朝食を終え、ボルドが淹れたお茶を飲みながら、予知夢の内容についての話が始まった。
「さて、今回はどういう内容だった?」
「……人の断末魔と、王国が火に包まれてた」
「いつも通りだね。他には?」
「あの人がいた……」
「異形の男かい?」
「うん……また、現れてくれた」
夢に現れた男の姿を思い出し、ナナシは微かに笑みを浮かべた。破滅を望むナナシにとって、男は自らの願いを叶えてくれる存在であった。
「最近、異形の男が予知夢に現れる事が多くなってきたね」
「近い内、彼が王国に現れる……?」
「そうならないように願うしかない」
「でも私の夢は―――」
「知っている。君の予知夢で、世界は幾度も救われてきた。救えなかった者を救えた。だから今回も、異形の男が現れないように尽力しよう」
ナナシの不安を祓うように笑顔で答えるボルド。そんなボルドに、ナナシは苛立った。自分の望みを平気で捨てさせようとするボルドが嫌になり、元々あった嫌悪感が高まっていく。ナナシはそれを自分の内でグッと堪え、表情に出さないようにする。
「……王国は今、戦争が起きるかどうかの瀬戸際なんでしょ?」
「それは心配いらない。私が敵国に出向き、既に友好条約を結んできた」
「え……いつ?」
「先日だ」
「でも、ガルディアまで数日は掛かるはず……」
「転移魔法さ。ローグレット王国には、腕の良い魔術師がいらっしゃるからね」
ボルドの言葉が嘘だと、ナナシは気付いていた。転移魔法は離れた場所に瞬時に移動が出来る魔法ではあるが、馬で1日掛かる距離が限界であった。馬で3日掛かるガルディアに転移など、不可能なのだ。
しかし、ボルドは嘘をついているようには見えない。転移魔法を使った事は嘘ではあったが、友好条約を結んできたという部分は本当のようだ。
ボルドは、不可能と誰もが言う事を平気で可能とする。今回の友好条約はおろか、王国の近くにある【迷いの森】に潜む化け物の脅威も、僅か半日で収めてきた。方法は本人の素性と同じく謎に包まれているが、ボルドは幾度も不可能を可能にしてきた。
だからこそ、ナナシはボルドを恐れる。得体の知れない彼の力と、神への狂信振りに、ナナシはいつしかボルドを人として見れなくなっていた。そんなボルドのようにはなりたくないと、神の存在を信じずにいた。
「安心なさい、ナナシ」
ボルドは、怯えているように見えたナナシの手を握った。自分の手を握るボルドの手から、言葉では言い表せない強大な力を感じたナナシは、より一層怯えてしまう。
そんなナナシに、ボルドは変わらず笑顔を浮かべながら、彼女に誓う。
「約束しよう。いつの日か、君の夢に異形の男が現れなくなる。君には、神の加護があるからね」
人物紹介
【ナナシ】
・15歳の白髪の少女。痩せた白い肌で、感情は既に死んでいる
・ローグレット王国のローグ王の娘であったが、5歳の時に異能が開花した事がキッカケで塔に幽閉されてしまう。以来、自分を孤独に追いやった王国と世界を憎むようになり、滅亡を望んでいる。
・ナナシの異能は【予知夢】【破壊の魔眼】【不死身】等であり、代償として五感が失われ続けていく
【ボルド】
・白いスーツ姿の金髪の若い男。自らを神の使者と名乗り、神の言葉と知識を人に授けている
・魔王が現れた頃、突如としてローグレット王国に現れた。言葉と知識を巧みに扱い、幾度も王国を救う
・素性も力も謎に包まれている