垣根を超えた友
ルロウに蹴飛ばされた魔族は、川が流れる開けた場所にまで逃げてきていた。
「クソッ……クソクソクソクソ! チクショウガァァァァァ!!!」
魔族は叫んだ。あと少し、1秒も要らぬ間に勇者の最後の仲間を殺せたはずだった。わざわざ禁止区域に指定された魔界に忍び込み、毒煙を弟に仕込んで万全な状態だった。
だが、たった一人。たった一人の邪魔者が入った所為で全てが無になった。弟は死に、フェンリルは依然として毒で動けないが、死んでいない。
「あと少しだったんだ! あと少しで、俺達魔族の仇を……憎き人間に一泡吹かせられたというのに、アイツ! あの男が邪魔をした! 殺してやる!!! 絶対に殺してやる!!!」
「随分感傷的だな」
「ッ!?」
魔族が振り向くと、林からルロウが姿を現した。汗を流して表情を崩している魔族と反対に、ルロウはタバコを吸っていた。
「戦って殺して死ぬ、楽しい以外の感情を持たずにな。それが魔族っていうもんだろ?」
「貴様ッ!? 貴様が現れた所為で……!!!」
「逃がしてやる」
「殺して―――ハ、ハァッ!?」
「お前は金にならねぇ。金にならない仕事はやらん」
「金だと?」
「お前が殺しかけたあの男。アイツは金貨5枚だ」
「……殺し屋か」
「ただの使いパシリさ。それでどうする? 逃げるっていうんだったら、見て見ぬフリしてやるよ」
魔族は流れる川に映る自分の顔を見た。その顔は、自分でも信じられない程に、酷く弱い存在に見えた。
だから魔族は川を斬った。途端に川に映った自分の顔が歪み出し、再び川が元に戻ると、今度は戦士の顔に戻っていた。
「……俺は魔族の剣、ラカン。戦いから逃げぬ魔族だ!」
覚悟を決めたラカンは、ルロウの方へ振り向くと刀を構えた。ラカンが持つ刀は通常の剣と違い、分厚く、長い。更にラカンから感じる戦士のオーラに、ルロウは加えていたタバコを吐き捨て、剣を引き抜いた。
「良い表情になったな。戦士の顔だ」
ルロウは構える事無く、ただ剣を持ったままラカンに近付いていく。一見すると、何の考えも無く近付いてきているように見えるが、ラカンはそれを警戒していた。
その理由は、フェンリルにトドメを刺そうと放った渾身の一振りをルロウが軽く受け止めた事であった。
(あの男。ふざけた態度をしているが、俺の一撃を片手で軽く止めた。それにあの眼……あの眼は、平気で殺す眼だ。力量差は恐らく俺が下だ。だが得物の差は、俺の方が上だ!)
ラカンはルロウが持つ剣に目を付けた。ルロウの剣はラカンの一撃を止めた所為で、刀身に亀裂が走っており、次にラカンの刀と相対した時、呆気なく砕け散るだろう。それがラカンの唯一の勝機に繋がる。
だからラカンは待った。飛び出そうとする自身の体をジッと抑え、ルロウが剣を振る瞬間を待ったのだ。
徐々に二人の距離は縮まっていき、緊張感が高まっていく。ラカンはルロウの動き、特に剣を持つ右手に注目する。
(…………来るか!?)
ルロウが仕掛けてくるのを察知したラカンは、手に力を入れ直した。ラカンの読み通り、ルロウは剣を素早く振り上げ、そのままラカンを切り裂こうと振り下ろしてきた。ラカンはルロウの剣を刀で受け止めると、ルロウの剣は呆気なく砕け散っていった。
(よし! 後は体勢を崩した奴を背後から―――)
そう思い上がったのも束の間、ラカンは空を見上げていた。
(空? 何故、空が目の前に……殴られた? まさか、奴は!?)
ラカンの考えは当たっていた。ルロウはラカンを斬る為に剣を振ったのではない。最初から剣を砕く気で剣を振ったのだ。
フェンリルに放った一撃を受け止めた時、ラカンが自分の剣の腕を恐れていた事をルロウは勘付いていた。となれば、ラカンはルロウの剣を極端に警戒し、注意がそっちに向く。だが、本当に注意すべきなのはルロウの剣の腕では無く、ルロウ自身であったのだ。
何故なら、ルロウに剣の才能など無かった。ルロウが持つ強みは、持って生まれた高い身体能力。それだけで幾度の戦いに打ち勝ってきた。
つまりは、考えなしに突っ込む馬鹿なのだ。それもただの馬鹿ではなく、手が付けられない程の大馬鹿者であった。
「グッ!? 貴―――ガハァッ!?」
ラカンは体勢を整え、もう一度距離を取ろうとしたが、そんな悠長な時間など無かった。ルロウはラカンに殴る蹴るの連撃を喰らわせ、ラカンの両腕の骨を折り、最後は回し蹴りで川の中へ蹴飛ばした。
「……ふぅ~。剣を狙ってくれて助かった~!」
「…………ブハァ!? ハァ、ハァ、ハァ……!」
川から顔を出したラカンは、両腕に感じる痛みに表情を歪ませながら、川から出ていく。
「もうやめとけって。お前の両腕はしばらく動かせない。まぁ、魔族なら一週間で治る怪我だけどな」
「……今一度尋ねる。貴様の名は?」
「……ルロウだ」
「ルロウ。そうか、ルロウというのか……ククク、そうかそうか!」
ラカンは流れる鼻血を一気に吹き出し、右足を振り上げると、思いっきり地面に叩き落とした。
「魔族の剣、ラカン! ここが死に場所と見た! 我が生涯を締めくくる相手と相まみえた、この場所が!」
ラカンは笑った。魔王に作られてから魔族の為に費やしてきた人生、その呪縛から解き放たれた。今のラカンは、ただの戦士であった。
そんなラカンに、ルロウも応える。足元にあるラカンの刀を拾い、いつか見た剣士の構えの真似をした。
「行くぞ人間!!! 我が友よ!!! ウラァァァァァ!!!」
ラカンは雄叫びを上げながら、刀を構えるルロウへと突っ込んでいく。ルロウは突っ込んでくるラカンの顔をギリギリまで見続け、刀でラカンの首を斬った。首を斬られて尚も走るラカンの体はルロウの横を通り過ぎ、やがて崩れるように倒れていく。
「……ふっ。馬鹿な奴だぜ」
ルロウはポケットに入れていたタバコを2本取り出し、1本を自分に、もう1本をラカンの口に咥えさせた。