仇討ち
フェンリルが林道を歩いていると、道端で男が腹を抱えながら木にもたれかかっていた。見ると、男の腕は血で染められており、腹部からは尚も血が流れているようだ。
「ぅぅ……」
弱弱しい声で呻く男。痛みを堪える表情から察して、かなり苦しいようだ。フェンリルは一度足を止め、男の様子をジッと見つめた。
すると、男はフェンリルに気付き、さっきまでの苦しそうな表情から一転し、ようやくと言わんばかりの嬉々とした表情へと変貌した。
「あ、あんた!」
「……」
フェンリルは助けを求めてきた男を無視し、歩き始めた。男は意外そうな表情を浮かべると、腹を抱えたままフェンリルの後をついていく。
「なぁ、あんた! 助けてくれ!」
「誰をだ」
「見りゃ分かんだろ? 俺を助けちゃくれねぇか? さっき山賊に腹を斬られちまって、血が、血が止まらねぇんだ!」
「いつ斬られた?」
「ついさっきさ! まだあの山賊共も近くにいるかもしれねぇ! あんた勇者の一味なんだろ? なぁ、俺を助けちゃくれねぇか?」
「無理だ」
「な、なんで?」
「あんたは斬られちゃいない。その血の臭いは獣のものだ。それに腹を斬られていれば、マトモに歩けん……つまり、だ」
再びフェンリルが足を止めた瞬間だった。後ろをついてきていた男が隠し持っていたナイフを手に、フェンリルへと襲い掛かっていた。狙うは鎧の隙間。脇、首、いずれも急所である。
フェンリルは振り向くと同時に、剣を抜き、目で捉えきれぬ速さで男の両腕を斬った。ボトリと音を鳴らして両腕が落ちた男は、何が起きたのか分からず目が点になり、感覚の無い自身の両腕を確認し、両腕が斬られた事を知ると、今度は本当の血を流して叫んだ。男が叫び声を上げたのも束の間、フェンリルは男の首を斬り落とし、林に隠れている男の仲間、山賊達の気配から数を予想する。
(10……いや、12か)
フェンリルは魔法で剣に風を纏わせ、軽く剣を振って突風を起こし、林に隠れた山賊達をあぶりだす。
「うおわぁぁぁ!? な、なんだってんだい急に!」
突然の突風に驚く山賊達。山賊達が驚いている間に、フェンリルは動いた。先程起こした突風に入りこむようにして、流れる突風と一体となって素早く山賊達を斬り殺した。
これで10人が斬り殺され、残る山賊は2人。その2人は、フェンリルが最初、気配を察知した時に違和感を覚えた2人であった。他とは違う体臭、こびりついた血の臭い、一回り違う殺気の重み。手練れだ。
すると、彼らは姿を現した。フェンリルの予想通り、彼らは他の山賊とは違う存在であった。人よりも大きな力と体を持つモンスター、魔族であった。
「ハヤイナ」
「ああ。流石は勇者の右腕、という訳だ」
人語が不慣れな青白い肌の魔族は2m以上の岩のような巨体をして、手には身の丈に見合った棍棒を握っている。もう一方の赤い肌の魔族は2本の角を生やし、分厚く長い刀を背中に背負っていた。
「貴様ら、魔王軍の残党か」
「いかにも。我らの王の仇討ちをする為、このようなゴミクズ達を使って貴様を見つけた」
「デモ、ユウシャ、イナイ。ナンデ?」
「……奴は、王国にて死んだ」
「フッハハハハ!!! 人を守る勇者が人に殺されたか! なんたる皮肉! なんと無様な事か!」
「ブッヘヘヘヘ!!!」
「……黙れ」
仲間である勇者を馬鹿にする魔族達に、フェンリルは激怒した。持ち主の怒りの感情に反応したフェンリルの鎧に脈動する赤い線が浮き上がり、首回りに格納されていた兜が装着される。その姿は魔族を思い起こし、この姿こそフェンリルの本気の形態であった。
「魔族は殺す。一匹残らず、根絶やしにしてやる……!」
鎧の力でパワーアップしたフェンリルは、木々をなぎ倒しながら魔族に突っ込んでいき、大振りに剣を横に振るい、嵐の如き斬撃波を繰り出した。刀を持った魔族は刀を盾にして何とか防ぐが、巨体の魔族は斬撃波を喰らい、その身を止めどなく斬り刻まれてしまう。残る魔族は1体、しかも斬撃波を防いだ事でしばらくは剣を十分に振り回せない。まさに絶好の機会であった。
だが、フェンリルは罠に掛かっていた。先に殺した巨体の魔族の斬り刻まれた体から薄暗い緑色の煙が瞬く間に広がり、途端にフェンリルの体は痺れだした。
「ハハハハ! 奴の毒が効いたか!」
「なん、だと……!?」
「勇者の次に手強い貴様との戦いに、何の策も無く挑むと思ったか? 馬鹿め! あらかじめコイツには魔界の毒煙をタップリと吸い込ませていたのだ!」
「馬鹿な……俺の鎧でも、防げぬ毒だと……!?」
「貴様の鎧、魔の力を持ったソイツは持ち主をあらゆる物から守る。だがな! ソイツは元々こっち側だ! オレ達魔族に害の無い物は防ごうとしない!」
魔族は膝をつくフェンリルの目の前にまで行くと、刀をフェンリルの首に当てた。
「呆気ないものだ! 最強の剣士と呼ばれた貴様が! こんなにも呆気ない最期とはな!」
「く、くそっ……!」
「ブッハハハハハ!!! さぁ、死ねぇぇぇい!!!」
魔族はフェンリルの首を斬り落とそうと、刀を振り上げた。
(……もはや、ここまでか……すまない、皆……志半ばでそっちへ逝く……)
抗う事を諦め、フェンリルは死を覚悟した。刻一刻と迫る死はゆっくりと流れ、しかし着実にフェンリルのもとへ近寄ってくる。勇者の一味最後の一人、フェンリル。彼はこの場にて、最期を迎えようとしていた。
(………………? なんだ? 何が起きている?)
フェンリルは、いつまで経っても死が訪れない事に違和感を覚えた。自分の知らぬ間に死んだ事も考えたが、未だ体に痺れがあり、自分がまだ現世にいる事は確かであった。
目だけを動かし、目の前に立っている魔族を見上げると、いつの間にか魔族の前に一人の男が立っていた。黒いコートを纏うその男は、魔族の渾身の一振りを片手で握る剣で防いでいた。
「勝手に殺しちゃ困るな。俺はこいつに用があるんだよ」
「き、貴様!? 何者だ!?」
「あ? ハッ、今日はよく名前を聞かれるな」
「ふざけんじゃねぇ! 人間の分際でヘラヘラと―――ブベェ!?」
男は受け止めていた魔族の剣を振り払うと、瞬時に繰り出した回し蹴りで魔族を蹴飛ばした。たった一撃の蹴りを見ただけで、フェンリルは男が異次元な強さを持っている事に気付く。
「お、お前……何者、だ……?」
「お前もかよ、ハァ……ルロウ。今はそんな名前さ」
「ルロウ……」
「分かったら大人しくしとけ。いいか? あの化け物殺すまで、勝手に死ぬんじゃねぇぞ」
ルロウは剣を肩に担ぎながら、念を押すようにフェンリルに語ると、蹴飛ばした魔族の方へと駆けて行った。