四十路から始める配信者生活
男、厠 十吉は困窮していた。
四十路である。
定職に就かず、派遣社員として労働し、飢えと夜露を凌いでいた。
1週間程度の研修を受けることで覚えられる簡単な業務内容だ。
最低賃金に近い時給。
週5日労働。
日に8時間の拘束。
通勤時に遭遇する他人。
不愉快な顧客と上司と同僚。
働いたら負けとは思っていないが、十吉は、自らが勝者とも思っていなかった。
生きていて、楽しいことが、あまりない。
金もない。
時間もない。
女もない。
酒に酔えず美味いと思ったことがない。
たが、自ら生涯を終わらせるほど、死にたくもない。
友人は、いた。
否。
十吉が一方的に友と想っているだけかもしれない。
遊んだことも、飲んだこともない。
実際に顔を合わせて会ったこともない。
電話とウェブサービス上のメッセージ機能でやり取りをするのみの関係だ。
かつて十吉が顧客として、仕事の依頼をしたことがある男だった。
男はジャック佐藤と名乗っていたが、匿名であるとも十吉に伝えていた。
何度か仕事のやり取りをする中で、佐藤側から連絡先となる電話番号が提供された。
通話料金が発生することを懸念し、業務用ではないメッセージアプリでやり取りできるようにもした。
ただの他人ではないが、友人かと問われれば、軽はずみに肯定はできない。
知り合い、としておくのが正しいのかもしれない。
「別に友だちでもなんでもいいっすよ?ってか、どうでもよくないですか、そういうの」
ふとした会話の流れで2人の関係性をたずねると、あっけらかんと佐藤は返した。
どうでもいいのか。
たしかに、そうなのかもしれない。
佐藤が言うと、妙に納得しまう。
不思議と悪い気はしない。
十吉は、むしろ心地よくすらあった。
業務上のやり取りはビジネス敬語だったが、時々ため口まじりのフランクな敬語で会話をする。
そのような関係だった。
今は、佐藤から十吉に対し、提案がなされていた。
勤めて得ることができる収入には限界がある。
副業を始めて、いずれ本業とすべき。
十吉の現状を聞いた佐藤は、そう提案した。
「とりあえず、会社勤めしなくてもよくなるようにしましょうよ」
会社員としてではなく、個人事業主として独立するよう佐藤から奨められた。
十吉が困窮している要因は、人間関係にあると佐藤は指摘した。
「自己責任だし面倒も多いですけど、自分でやっちゃえばいいだけなんで、楽っちゃ楽ですよ」
十吉は、何もかも面倒がって、気が付くと人任せにしてきた自らの人生を言い当てられたような気がした。
知らず知らず、楽な方を選んでいて、結果的に苦しんでいることに、気付いていないふりをしていたのかもしれない。
「絶対にネットは利用すべきです。自宅にいながら全国の人をお客さんにできるんですから」
飲食店や販売店は基本的に地域住民を顧客としている。
基本的には、近くに住んでいる人しか顧客になり得ない。
だが、インターネットと、配送サービスを利用すれば、顧客は全国に拡がる。
何をするかは別として、インターネットの利用が必須であることは十吉も理解できた。
「まずはアカウントを作りましょう。まずは、名前は匿名、顔出しナシで」
アカウントとはつまり、サービス上の個人を示す情報。
各種ネットサービス上に、同一人格のアカウントを作成すべきと佐藤は主張した。
最初のうちは、名前は本名ではなく匿名、自らの画像も本人の写真は利用すべきではないとのこと。
本名や顔を出すことは、リスクが多い現状らしい。
「なんでもいいんで、とりあえず始めちゃいましょうよ」
とりあえず。
佐藤の口癖らしい。
相槌を打ちながら話を聞く私の反応を伺うように間を空け、佐藤は話し続けた。
「本名じゃなきゃなんでもいいですけど、複雑だったり読みにくいのはやめましょう」
「要は、厠さんのことを気になった人が検索したときに、検索しやすかったり、見つけやすいのが大事なんです」
「短すぎず長すぎず、簡単に読めたり、アルファベットや数字は入ってないほうがいいかな」
「とりあえず、ひらがなかカタカナで適当に決めちゃいましょう」
「アカウント名を決めたら一回検索して、同じ名前で目立った活動してない人がいないかだけ確認しときましょう」
「要は、ネット上で使う芸名みたいなもんです」
佐藤は、要は、もよく使う。
「まぁ、ぼくらは芸人じゃないんで、匿名でも、ハンドルネームでも、なんでもいいです」
「まず、ネット上で活動する際に利用する名前を決める」
「一回決めた名前は自分のサイトやブログ、SNSや動画サイトでも何でも、ぜんぶ統一して同じ名前を使いましょう」
「ぼくはキャラって呼んでます」
「別に、1人1キャラじゃなきゃダメってことないですし、1人で何キャラになったって大丈夫です」
「でも、まずは、とりあえず1人1キャラで、自立、独立を目指しましょう」
「世界平和を目指すのは、それからです」
正直なところ十吉は、佐藤が何を言っているのか、よくわからなくなるときがあった。
そのため、話を聞きながら、メモを書くようにしている。
わからないこと、疑問に感じたこと、確認が必要なことをメモする。
自分が考えたこと、思いついたことを、メモする。
書いたメモの内容を、佐藤にたずねる。
佐藤は、1つ1つ、丁寧に回答してくれる。
ただちに回答が困難な場合は、興味深そうに考え始める。
会話の内容が脱線、逸脱することは、しょっちゅうだった。
だが、佐藤が楽しそうなので、十吉は特に気にしていなかった。
「とりあえず、考えるの面倒なんで、そのままいっちゃいません?」
「そのまま、とは?」
「要は、厠さんって40代の男性、いわゆるオッサンじゃないですか」
「うん」
「だから『40代のオッサンがネットの収入だけで生活できるか試してみた』みたいな」
「あー。なんか掲示板のスレッドのタイトルみたいな感じか」
「そうそう。そうです。嘘ついてもバレちゃうと面倒ですし」
「まぁな」
「10代の女の子のフリして、実は40のオッサンとかなったらキツいじゃないですか」
「地獄だよそんなもん」
「地獄っすよね」
「うん」
「だから、とりあえずそんな感じで、そのままでやっちゃうのがいいかなーと思います」
「オッケー。じゃあ、それでいこう。具体的な名前とかタイトルは、今すぐ決めたほうがいいの?」
「いえいえ、ぜんぜん。ゆっくりで大丈夫ですよ。全体像とかもうちょっとお話しさせてもらいたいですし」
「そっか」
「えぇ」
「ちなみにな」
「はい」
「なんだ、その、俺がネット上で、匿名で、活動を始めるわけじゃない」
「はい」
「なんて言うんだろ、俺の職業というか、役職?というか、どういう立ち位置になるんだろう。なんて聞けばいいかもわからんが」
「あー。なんか、インフルエンサーとか、ブロガーとか、そんな感じのことスかね」
「うーん、その辺の言葉のニュアンスがなぁ。俺が理解している意味と、世間的に知られている意味が乖離してるような気がして」
「あんまり難しく考えなくていいと思いますけどね」
「そうなんだろうけどさ、なんか気になっちゃって」
「うーん。インフルエンサーは影響力が強い人。ブロガーはブログを運用してる人で、中には生計を立ててる人もいる感じですね」
「そういう人たちは、職業=ブロガーって感じなの?」
「たぶん厳密には個人事業主になるんじゃないですかね。でも職業=ブロガーを名乗る人もいると思いますよ」
「なるほど。個人事業主か。他にはなんかある?」
「うーん。動画とかライブ中継してる人たちは配信者とか言われたりしてますけどね」
「配信者か。動画じゃないとダメなの?」
「ダメってことはないですよ。なにせ、まだネットが普及して20年足らずですし、社会全体が試行錯誤して、ネット文化を築いている最中なんだと思いますよ、今の時代というのは」
「そういうものか」
「えぇ。とりあえず、ちょっと考えてみてくださいよ」
「わかったよ、ありがとう」
「いえいえ。そしたら、また週明けくらいに連絡しますんで」
「うん」
「なんかわからないことあったら、とりあえずメッセージしてもらえれば回答しますから」
「よろしく」
「よろしくです。そしたら失礼しまーす」
「うーい」
正直、よくわからない。
副業を始めて、本業とする、これはわかる。
ブログを運用して収入を得る、これもわかる。
本当に成功するのか、これがわからない。
だが、佐藤は言っていた。
やってみなければ、わからない。
それもそうだな。
名前、どうするか。
週明けまでに考えておこう。
それより、ブログのタイトルだ。
さっき、佐藤と話をしていて、感じたことがある。
自分で自分をオッサンと称するのは問題ないが、綺麗な言葉ではない。
40代。
四十路でいいだろう。
横文字はどこか照れ臭いし、個人事業主では堅苦しすぎる。
配信者というのは悪くない。
動画に限らず、何らかの情報を配信すれば、もう配信者と自称して差し支えないはずだ。
佐藤は、こうも言っていた。
嘘をついてもバレる、そのままでいい。
カッコつけたり、見栄を張る必要はない。
四十路の男が、配信者としての生活を始める。
四十路から始める配信者生活。
よし。
とりあえず、これでいいか。
おっと、佐藤の癖がうつったか。
そういえば、検索して、同じ名前で活動している存在がないか確認しておいたほうがいいんだったな。
アカウント名ではないが、試しておこう。
検索サイトを開く。
検索バーに、四十路から始める配信者生活、と入力する。
検索ボタンを押す。
検索結果を見た十吉は、笑みを表情に浮かべた。
不気味な笑顔だった。
この物語はフィクションですが、登場する人物やホームページは実在するかもしれません。
気になる場合は検索してご確認ください。