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8/8(日)


「げっ!」

「?」

俺は今日も秋のお見舞いに来ていた。

すると、看護師が入ってきて俺の顔を見た途端困ったような顔をした。

「ああ、新田さん。今日もありがとうございます」

「き、気にしないで!これが仕事だから!」

「ところで・・・」

秋が「新田さん」と呼んだ看護師はまた俺の方に視線を向ける。

「ああ!紹介するね!」

「同じ学校の五月七日終くん」

「私と同じ文芸部員だよ」

「五月七日終です」

「ど、どうも」

新田さんは何故か俺から視線を逸らしてきょろきょろしている。

「どうしたの?新田さん?」

「あ、えーっと・・・」

「・・・もしかして、終君のこと不良だと思ってる?」

「え”。そ、そんなことは・・・」

「そうだよ!終くんはこのあたりを牛耳ってるこてこてのヤンキー!」

「や、やっぱり!?」

・・・おい。

「あ、あの・・・」

「ごごごごごごめんなさい!」

新田さんはそう言うと手早く作業してあっという間に出ていってしまった。

「あははははははははははははははははははははははははははは」

「笑い事じゃねえだろ!」

「そうだよね!終君は一匹狼的なヤンキーだよね」

「大体ヤンキーと不良はちょっと違うだろ」

「そうなの?」

「なんか、不良のほうが、ライトな感じ、するじゃん?」

「あははははははははははははははははははははははははははは」

「な、なんで笑うんだよ!」

「だっせー!不良なんて保険掛けてるヤンキーじゃん!」

「な!?」

「もー!終くんは可愛いな!」

そう言っていつかの日のように頭をぐしゃぐしゃにしてくる秋。

「あー!もー!この話終わり!」

「・・・終わりだけに?」

「やかまし!」

「おっ!二人だけでいちゃついてる!」

遅れてきた葵が入ってきた。

「遅くなってごめんね」

「それじゃあ、文芸部の活動を始めようか!」


「小説の進みはどう?」

「うん・・・」

秋が入院している間、文芸部の活動はこの病室で行うことになった。

西校文芸部(非公認)はとりあえず文化祭で文集を発売するということを当面の目標にした。

俺、葵、秋がそれぞれ一作ずつ書いて一冊の本にするのだ。

今年の文化祭は10/1。

夏休み明けに申請して、凛先生の知り合いに印刷してもらう。

そういう算段だ。

だけど、その前の段階で躓いている。

一番大切な部分で。

「正直あんまり進んでない」

「想像してたよりもずっと難しかった」

「まあ、そうだよね」

「あんまり、根詰めないでね」

「私は終君が書いた文章、好きだから」

秋は平然とそう言った。

俺は少し照れてしまう。

「おやおや?終照れてる?」

・・・こういう時を葵は見逃さない。

ならば、俺も乗ってやろうじゃないか。

「そういう、葵はどうなんだよ」

「え」

「ぼちぼち進んでるよ」

「ぼちぼち」

「ぼちぼちってどれくらいだよ?」

「ぼちぼちはぼちぼちだよ」

「結局、お前も進んでないんじゃん・・・」

「なっ!」

「進んでるよ!素晴らしい構想が頭の中に詰まってるもん!」

「はいはい」

「もう、この話終わり」

「終わりだけに?」

「やかまし!」

「ひっ!」

と、丁度今入ってきた新田さんが驚く。

おびえた表情で俺を見ている。

「あ、あの・・・」

「ヤンキー怖すぎます!」

新田さんはそういうとすぐに病室を出ていった。

「あははははははははははははははははははは」

「だから笑い事じゃねえ!?」


夏休みの間、俺と葵は秋の病室に毎日顔を出した。

結局秋は退院出来ないまま、二学期を迎えた。

小説も完成はしなかった。



9/1

新学期初日は始業式の後にテスト。

俺も葵もボロボロだった。


「なんか、問題難しかったね」

「そうだなぁ」

「英語もそろそろきつくなってきたなぁ」

「帰国子女は英語が得点源なんじゃないの?」

「んー。定期テストとかはそんな感じだけど、入試形式のはちょっとね」

「現地で生活していた人も解けない英語の問題・・・もうそれ日本語じゃん」

「ほんとそれ!日本人はどこを目指しているのやら」

放課後。

俺たちは秋の病院に向かう。

「そう言えばさ」

「んー?」

「葵は大学どうするの?」

「んーまだ何も考えてない・・・」

「終こそどうするの?」

「この時期に文芸部なんてやっているんだから分かるだろ」

「それなら私に聞かなくても分かったじゃん・・・」

「というか、終は医者になるんじゃないの?」

「え?なんで?」

「だって、あっきーの主治医終のお父さんじゃん」

「・・・ああ」

「・・・なんかごめん。あんまりそういうのはダメな感じ・・・?」

「いや、大丈夫だ」

「確かに俺の父さんは立派な医者だ」

「でも俺は医者にはならないよ」

「ふーん、そうなんだ」

俺たちは夕日にかたどられて歩く。

未来はいくつもの可能性に満ちている。

自由が故の苦悩もあるのに俺たちはいつも自由を求める。

束縛を嫌がり鳥籠から飛び出ようとする。

意思が恐怖を超えてしまうんだ。

そして、恐怖に絶望する。

全てこのままであったらそんな苦しみは無いのだろうか?

「私」

不意に葵が空を見上げて言った。

「終の小説楽しみにしてるから」

その声は茜色の空に広がった。

「・・・葵のも楽しみにしてるよ」

でも、このままじゃだめなんだ。

そうやって手が届く正しさを選ぶことに意味はない。

いくら頑張っても届かないものに手を伸ばすことが大切なんだ。


「あっきー!おっはー!」

「おっはー!葵ちゃん」

「お前らいつでもそれなのな」

俺と葵は椅子に腰掛ける。

「学校どうだった?」

「今日はテストだったんだよ!」

「ボロボロだったよ~」

「俺も」

「そっか」

秋は本当に楽しそうに俺たちの話を聞いていた。

「明日早速、文化祭の申請に行ってみようと思うんだ」

「そっか。ごめんね任せっきりになっちゃって」

「気にしないでよ」

「文化祭までには退院できるといいね」

「うん」

「先生が言うにはね、数値がまた低くなればいいって」

「そっか」

「こうやって寝てるだけだから、何も頑張れないんだけどね」

秋とこうして話しているとふと病気のことを忘れそうになる。

それくらい秋は健康体に見えた。

技術のおかげであり。

医者や看護師のおかげだ。

そう。

父さんの―

「終君?」

考え込んでいる俺の顔を覗き込む秋。

「ごめん、ごめん」

「ちょっとぼーっとしてた」

「大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫」

俺は病室から外を見る。

夏を少し過ぎたくらいじゃ空は変わらなかった。

夕陽に浮かぶ暗い雲。

いつも通りの空だった。

「あっきーは小説どのくらい進んでいるの?」

「あんまり進んでないよ」

「書きたいことは山ほどあるのに」

「うまく言葉にできないんだ」

「あっきーでもそんなことあるんだ」

「私書いたことはそんなにないから」

「読んできてばっかりだったから」

「そっか」

「じゃあ、みんなでがんばろ!」

「そうだね!」

秋と葵が笑う。

こういう何気ないことの積み重ねでいいのか。

それが秋の願いなのか。

「あれ?終君何で笑ってるの?」

「にやにやしててきもいよ!」

「やかまし」

本当に優しい「やかまし」だったと思う。



9/2

「失礼します」

「失礼します」

放課後、俺たちは生徒会室を訪れる。

「文化祭での出店申請の書類を持ってきたのですが」

「どちらに提出すればいいのでしょうか?」

「ああ、それなら自分が預かりますよ」

「今は生徒会長が不在なので、戻ってきたら渡しておきます」

「後日、審査の結果が書面で通達されます」

「丁寧にありがとうございます」

俺はその役員に書類を渡す。

「では、失礼します」

そうして生徒会室を出る。

「生徒会室、すっごく綺麗だったね」

「そうだな」

「なんとなくもっと散らかっているイメージだったけれど」

「俺もそんな感じを想像してた」

まあ、でも。

ここは西高だ。

部活や生徒会よりも。

勉強を優先する学校だ。

生徒会の活動もその肩書が欲しい連中がなんとなくやっているのかもしれない。

聞こえが悪く感じるかもしれないが、西高の生徒会は存在感が薄い。

一大イベントの文化祭ですら、小規模なイベントで終わってしまう。

まあ、勉強に集中したい人にとってはそれが良さであるのだろう。

俺は頑張ってやっとこの高校に入ったような人間だから。

そんなに勉強漬けになりたいわけじゃない。

そんな奴が進学校に来るなってことなんだろうけど。

「しかもさ」

「終があんなに丁寧な対応ができることに驚いちゃった」

「なんだよ、それ」

「終は本当に不良なんだなって」

「さっきからバカにしてる?」

「いやいや、断じて」

「終はさ、自分の信念にはまっすぐでしょ?」

「そういうのって不良って感じだし」

「すごいよ、終」

「ありがとさん」

「お!照れないんだね」

「照れないよ」

「大体俺はすごくないよ」

「周りの人たちは自分の信じたこと以外にも一生懸命になれる」

「それって、俺よりもすごいことだし大変なことだよ」

「俺はただ甘えているんだよ」

「正解って言葉に色々なことをまとめて」

「それでいいと思っちゃっているんだよ」

「だから俺は不良なんだ」

「良くないんだよ」

「・・・」

「終はさ」

葵が立ち止まる。

「終はいつか、自分の信じたもの以外に一生懸命になるの?」

葵は不安そうな表情をしている。

「・・・なるかもな」

「自分を捨ててでも」

「尽くしたい何かができたならさ」

俺はまっすぐ前を見る。

今の葵の表情が見たくなくて。

夕日に染まった廊下を見る。

「・・・そっか」

葵が急に走り出す。

「あっきーのところいこっか」

葵は笑っていた。

空が蒼色でなくても。

葵は自由に笑った。



9/3


九月になっても暑さは引いておらず、太陽は地面を焼いた。

「暑い・・・」

屋上のコンクリートは余計に熱を持っている気がする。

秋になるまでここではサボれないと思った。

一刻も早く涼しい場所に移ろうと立ち上がったその時だった。

「はあ、やっぱりここにいたんですね」

屋上のドアから凛先生が入ってきた。

先生はいつものようにスーツを着ている。

「暑くないんですか?」

「暑くないですよ。あなたと違って図書室にいるので」

「サボらないでちゃんと授業に出ないとダメでしょう」

「分かってます」

「暑かったんで移動しようとしてたところです」

俺は階段を降りようとする。

「・・・」

と、凛先生は無言で俺の手を掴んだ。

「凛先生?」

「涼しいところでサボっていてもダメなんですからね」

・・・抜かりないなこの人。


俺はおとなしくC組の教室に戻った。

教室はクーラーが効いていて涼しかった。

葵はこんなところでずっと寝ているのかと思うとなんだかずるい気がした。

だけど、葵は授業中一度も寝ていなかった。

「文集用の物語書いてるから」

まあ、葵が寝ていない=文芸部関連だとは何となく気が付いていた。

ずるい気がしていたのも本当だが。

そっか。

俺も書かなくてはならないのか。

俺は教室が嫌いだったのでどこか別の場所を探さなくてはならなかった。

学校の中でクーラーが効いていて広々とした場所は図書室しかない。

もちろんそこで書くわけにはいかない。

「俺、明日からしばらく休むわ」

「えー!なんで!寂しい!」

消去法的に校外のどこかを選ぶことになった。



9/4


俺は学校に行ったふりをして朝早くに家を出る。

自転車で町を回ってみる。

朝早くから営業している店は少なく、市立の図書館も同様だった。

そんな中一件だけ見つけることができた。

「喫茶ヴィーナス・・・」

市街地から少し離れた海沿いの喫茶店。

建物は年季が入っているがそれがいい味を出していた。

俺は自転車を止めて店に入る。

「いらっしゃいませ」

からんとベルが鳴ってドアが閉まる。

男性の店主が一人だけだった。

中はこじんまりとしているが不思議と圧迫感はない。

暗い色の木でできた椅子や机が安心感を与えている。

コーヒーのいい匂いが漂ってくる。

「こんな時間からすみません」

「大丈夫ですよ。お好きなところへどうぞ」

「ありがとうございます」

「もう一つだけいいですか?」

「ここで小説を書かせてもらってもいいでしょうか?」

「物書きさんの高校生だったのですね」

「・・・ここには物書きさんが集まるのかな」

「んーそうだな」

店主の男は少し考えた後にこう言った。

「書き終えたものを読ませてくれるのなら、いいですよ」

店主はいい笑顔でそう言った。

「分かりました」

「ご迷惑をおかけします」

「がんばってください」

「それと」

店主はテーブルにアイスコーヒーを置いた。

「コーヒー代くらいは払ってくださいね?」

「もちろんです」


俺は葵とは違ってパソコンで書くタイプだった。

おしゃれなジャズが流れる店内は俺の集中力を高めてくれた。

物語に没入したまま俺は書き進めた。

お昼が近づくとちらほらと客が入り始めた。

さすがに一日中いるわけにはいかないのと混み始めたのでランチを頼んで店を後にした。

午後は学校にでも行くか。


「おお!終!来たんだ!」

葵が友達との輪から抜けて俺の方に駆けてくる。

「何してたの?」

「小説書いていたんだよ」

「どこで?」

「カフェで」

「・・・ス〇バ?」

「ちげえよ」

何かとこいつはス〇バを推してくるな・・・。

「俺はパソコンで書いてるからさすがに教室じゃ出来ないだろ?」

「そっか。私は打つの遅いからパソコンだと効率悪くてね」

「おかげで手がくたくた」

「明日からもそのカフェで書くから、こうやって午後は学校来るわ」

「おっけー!分かった!」

「というか、家で書けばいいじゃん」

「家だと親がいるからさ」

「一応学校に行ってるフリをしないと」

「そっか」

「終、家族と仲良くないんだっけ」

「・・・ああ」

「じゃあ、仕方ないよね」

「そういえば文化祭の申請通ってたよ」

「そっか。よかった」

「俺が不良だから通らないかもってちょっと思ってたんだよ」

「生徒会がそんなにがっちりとした組織じゃないからだよね」

「書類も適当だし、それに今年は文化祭一日だけだって」

「そうなのか?そんなに有志団体が集まらなかったのか?」

「そうみたいだよ」

「私たちを含めても三団体くらい」

「後はあの教頭だよな・・・」

「あいつに見つからなければ、無事に販売できると思うんだけど・・・」

「そうだよね・・・」

「私も補習の時から目つけられてるもん・・・」

二人で嫌な顔をする。

葵みたいな奴と友達になれてよかったなと思った。


「あっきー!おっはー!」

「葵ちゃん!終君!おっはー!」

「あっきー!文化祭の許可降りたよ!」

「ほんと!?」

「よかったぁ・・・」

秋は嬉しそうに微笑んだ。

「秋の小説はどのくらい進んでいるの?」

「んー出来ているのものはあるんだけれどね」

「納得がいかなくて何回も書き直しているところ」

「だから、100であり0でもあるって感じかな」

「すげえな。何本くらい書いたの?」

「丁度さっき終わったので4本」

「4!?」

「あっきー頑張りすぎじゃない?」

「それがそんなこともないんだよ」

「ずっとこのベッドの上にいるとねやることなくて」

秋は困ったように笑った。

「私たちも頑張らないと!」

葵の言うとおりだ。

俺も秋や葵に負けないくらいのものを書かなくちゃ。



9/15


新学期が始まってから約半月が経った。

俺は相変わらず喫茶ヴィーナスで小説を書いていた。

初日に店主が言っていたように、俺と同じく物書きらしき人がいた。

いつも一番奥の席に座ってパソコンを睨んでいた。

相手も俺の存在を気にしていたのか話しかけられた。

「君はどんなお話を書くんだい?」

細淵の眼鏡をして無精ひげを生やしたその男は優しい声でそう話しかけてきた。

「高校の文芸部で文集を作ることになって」

「そのための小説を書いているんです」

「そうか。高校の」

「少し読ませてくれないか?」

「・・・」

「すみません。まだ完成していなくて」

「そうか。では完成したら読ませてくれないか?」

正直に言って怖かった。

相手は相当文章を書くことに打ち込んできたのだろう。

あまり見た目で判断したくはないがそんな風貌だった。

「小説家なんですか?」

「いいや違うよ」

「小説家を目指しているんだ」

「そうだったんですね」

「私の作品は書きあがっているものもある」

「ぜひ読んでくれないか?」

そう言うと物書きの男は一旦席に戻り分厚い紙の束を俺に向けた。

「・・・勉強させてもらいます」

俺はその束をしぶしぶ受け取った。



9/16


喫茶店に入ると今日もあの物書きがいた。

彼はパソコンの前で死んだような目でキーボードを叩いていた。

俺は俺でいつもの場所に座る。

「どうぞ」

いつもの様に店主がアイスコーヒーを置く。

俺は文章を書き進めた。

「昨日の読んでくれたかい?」

お昼時になって俺がランチを待っていると物書きの男が話しかけてきた。

「すみません。まだ読めていなくて」

「そうか」

「学生は忙しいものな」

それだけ言って自分の席に戻っていった。


「・・・」

俺は自転車を漕いで学校に向かう。

その道中あの物書きの男のことを考えていた。

年齢は父さんと同じくらいだ。

家庭は持っているんだろうか?

あの物書きはどうして物語を書いているのだろうか?

小説家になるという夢を叶えるためだけにあんなに努力をしているのだろうか?

本当は昨日、あの物書きが書いた小説を読んだ。

しかし、難解な話で途中で投げてしまったのだ。

精神、解脱、生死観など人間の本質に迫るような内容だった。

基礎的な知識が足りていない俺にはあの物語がいいのか悪いのか分からなかった。


「終!おっはー!」

「よう」

そんなことを考えていると学校に着いて葵と出会った。

「葵は自分が本能に縛られている感覚ってあるか?」

「・・・急にどうしたの?」

葵は顔をしかめる。

「まあ、葵はいつでも本能に従ってるわな」

「寝てばっかだし」

「な!」

「私だってやることはちゃんとやったもん!」

「終が学校サボってた間に小説完成したもん!」

「まじか!」

「読ませて!」

「やーだね」

「終はすぐ私をバカにするんだもん」

葵はふてくされたような表情をした。

「冗談はこれくらいで」

「みんなのが完成したら見せ合おうよ」

葵は微笑んでそう言った。

「分かった」


その日の夜。

あの物書きの文章を最後まで読んだ。

最初の方は分からなかったが、一つだけ理解できるトピックがあった。

それは自由についてだった。

この話は不思議な空間で自らを鬼と名乗る者と人間が対話する物語だった。

鬼は言った。

「自由というのは幻想でしかない」

「考えてもみよ」

「本当に自由な状況がこの世に存在するだろうか?」

「それでも人は自由を望んで手を伸ばす」

「それだけが生きる希望なのだ」

「自由があると信じ続けて手を伸ばすことが生を作り上げるのだ」

見えないからこそ手を伸ばす。

そこに正解があるはずだと手を伸ばす。

俺の考え方によく似ていた。

だが、これに人間は答える。

「そんなのは甘えた考え方だ」

「生というものはそんなにも綺麗なものじゃない」

「自由?そんなもの手に入らないことは知っているさ」

「人間を見くびるな鬼よ」

「俺たち人間はこの頭を使って生きてきたんだ」

「成長してきたんだ」

「学ぶことだってできるんだよ」

「『届かない』と分からなくても」

「『届きそうに無い』と思えば」

「人間は手を伸ばすのをやめるんだ」

「そして結局それはないものとして見なくなるんだよ」

「各々みんながそれを感じたとき」

「たとえ『あった』としても『ないもの』になるんだよ」

「人間を見くびるなよ鬼よ」

「俺たちはお前らの存在すら」

「『無』にできるんだから」

そうして鬼の体が崩れていく。

人間は何もない空間で一人いつまでも笑った。

そうして物語が終わる。



9/17


俺はいつもより早く喫茶ヴィーナスに行った。

「いらっしゃいませ」

いつも通り店主の挨拶を聞いて俺は一番奥の席に向かう。

「おはようございます」

「これ、全部読みました」

俺は目の前の物書きにそう言った。

「そうか」

パソコンに向けていた視線を俺の方に向けた。

「正直にいって難しくて理解ができない部分が主でした」

「だけど一か所だけ」

「どうしても納得できない部分があったんです」

物書きの男は死んだ目のまま言った。

「座り給え。すこし語ろうじゃないか」

「コーヒーをおごろう」

俺は促された通りに席に座った。


「一番最後の章です」

「鬼と人間が最後に語るのは自由についてです」

「人間は鬼に対して言います」

「『『届かない』と分からなくても』」

「『『届きそうに無い』と思えば』」

「『人間は手を伸ばすのをやめるんだ』」

「俺はそうは思えません」

「鬼の考え方のほうが正解だと思います」

「そうか」

「それはなぜ?」

「この人間の発言からは諦めのようなものが読み取れます」

「出来なかったから辞めてしまうという」

「でも、それは自分が本当に求めているものに対しては違いませんか?」

「自分が曲げられないもの」

「信じたものには」

「手を伸ばし続けるのが人間じゃないでしょうか?」

「俺は人それぞれ違うけれどその目指しているものを『自由』と呼びたいです」

「・・・」

物書きの男はしばらく黙っていた。

「君には手を伸ばしているものがあるのか?」

長い沈黙を破ったのはそんな言葉だった。

「・・・はい」

「あります」

「それは手に入りそうなのか?」

「・・・いいえ」

「おそらく、手に入ることはないでしょう」

「そうか」

「それでも君は手を伸ばし続けている」

「それが『自由』に繋がっているはずだから」

「君が言いたいのはそういうことか?」

「はい」

また、少しの間沈黙が流れた。

「君は学生だ」

「高校生だ」

「きっと、手を伸ばしているだけでも周りの大人が環境がどうにかしてくれるんだろう」

物書きの男は焦点の定まらない目でそう言った。

「・・・それは」

「大人になれば手を伸ばしている暇も無くなるということですか?」

「ああ」

「もしも、大人になってもそんなことをしていては」

「周りの環境や人を傷つけることになってしまう」

「言っている意味が分かるか?」

「・・・分かりません」

「もう少し踏み込んで君の話を聞かせてくれないか?」

「・・・それは俺を例にどんな未来があるか話すためですか?」

「そうだ」

「それが分かっていて話す訳がないでしょう」

「・・・」

「それもそうか」

「仕方がない」

「私の話をしよう」

「聞いてくれるか?」

「・・・」

「はい」

そうして物書きの男は語り始めた。


「私は小説家になることしか考えたことが無かった」

「自分の頭の中の思想を、思考を」

「沢山の人に読んでもらいたかった」

「小さなころから物語を書き続けた」

「だけど」

「私が書いた物語を読んでくれる人はいなかった」

「両親すらも私の物語を受け入れてはくれなかった」

「誰も私のお話を受け入れてくれない」

「それはまるで私の人生が否定されている気さえした」

「私の人生は灰色だった」

「だが」

「そんな私の世界にも女神が現れた」

「初めて私の物語を理解してくれる人が現れた」

「私はその人に色々な話をした」

「その人は私の話をよく聞いてくれた」

「そして面白いともつまらないとも言った」

「嬉しかった」

「いつしか私たちは恋人になった」

「結婚して家族になった」

「私はいつまでも小説家を目指した」

「彼女はいつまでも応援してくれた」

「彼女が隣で応援してくれているなら」

「その夢にいつまでも手を伸ばし続けられると思っていた」

「・・・そう思っていたんだ」

「だが現実は違った」

「子供が生まれた」

「俺と彼女の子がこの世に誕生したんだ」

「私はその瞬間幸福感に包まれていた」

「この子のためにも」

「もっと頑張らなくちゃならないと思った」

「自分の子に愛着はもちろんあった」

「この子にも私の物語を沢山聞かせてあげたいと生まれてくるまで何度も思った」

「そして、沢山の物語を我が子のために書いた」

「私が読み聞かせると、妻が『そんなに難しいこと言っても分からないわよ』と言い」

「妻も私もおかしくて笑った」

「その様子に笑いを漏らす新しい命」

「全てが順調だった」

「何もかもがうまく行っていたんだ」

「だけれど」

「色々なものが必要になった」

「一番大変だったのは金だった」

「私は文章を書く仕事で多少の収入があった」

「妻は定職に就いていた」

「子供が出来ても生活はしていけるはずだった」

「だけど」

「現実はそんなに甘くなんてなかった」

「私と妻と子供」

「三人で生活していくので精一杯だ」

「それでも妻は私を応援し続けた」

「私はその応援に甘えた」

「妻はもっとお金を稼ぐために様々な仕事を掛け持ちするようになった」

「私は書き続けた」

「書いて書いて書いた」

「それでも、私が小説家になることはなかった」

「・・・もっと言うなら今この瞬間までだ」

「ある日、妻が倒れた」

「過労だった」

「私は急いで病院に向かった」

「病室のドアを開けると」

「妻と我が子が隣合わせでベッドの上だった」

「私が来たことに気付いた妻はおぼろげな意識の中、私に言ったよ」

「『私のことは気にしないで頑張って』と」

「その時私は怖くなった」

「それを助長させるように子供は泣き出した」

「妻は一生懸命に子供の方に手を伸ばした。

「弱っていた妻はベッドから起き上がることも出来なかった」

「私は子供のもとへよって抱き上げた」

「いつも妻がするようにあやしてみた」

「それでも私の腕の中で泣き続けた」

「わんわん泣いた」

「私は必死にあやした」

「それでも泣き止まなかった」

「結局看護師が来てあやしてくれた」

「私はその様子をただぼーっと見ていた」

「怖くなった」

「一気に暗闇に落ちた気がした」

「私が手を伸ばし続けるということは」

「他人の屍を積み重ねて上を目指すことのような気がした」

「足りない分の高さを」

「他の誰かの生で補っている気がした」

「怖かった」

「ひたすらに怖かった」

「手を伸ばすのを止めることも」

「このまま伸ばし続けることも」

「もし、私が小説家という夢を諦めたなら」

「愛する妻に失望される気がした」

「私は妻のあの目が好きだった」

「私の話を聞いてくれている時の目が」

「もし、このまま小説家を目指したら」

「私は愛する妻さえも」

「殺してしまう気がした」

「私は結局」

「妻と子を捨てた」

「離婚届を置いて家を出た」

「母子家庭なら手当を受けられるし」

「再婚すればお金はどうにかなると思った」

「私は今でも書き続けている」

「書くのをやめるのも」

「書き続けるのも」

「同じくらいに怖い」

「それでも書き続けることが」

「私への罰だと思うから」


物書きの男はずっと同じ調子で語った。

「あんた、おかしいよ・・・」

「それが愛してたっていうのかよ?」

「今やっていることを正当化しようとしているだけじゃないか」

「ああ。そうだ」

物書きの男は視線をずらして言った。

「あんたは夢への手の伸ばし方を間違えた」

「だからって手を伸ばすことを辞めた方がいいっていうのは違うだろ?」

「・・・そうじゃない」

「なにが違うっていうんだよ?」

「じゃあ、君が手を伸ばしている物が正解であるという確証はあるのか?」

「話が少し変わっている」

「いや、何も変わっちゃいない」

「目指したものが正解かどうかじゃないんだ」

「目指し方から正解かどうか決まっているんだ」

「改めて聞く少年」

「君が手を伸ばしている物が正解であるという確証はあるのか?」

「なに、言っているんだよ」

「当たり前だろ!」

「・・・」

「私もそう思っていたんだ」

「自分が信じた物は」

「きっと正解なんだって」

「私が小説家になれば」

「私が正解を手にすることができれば」

「全てうまくいくはずだと思っていた」

「結局何もできなかった」

「何もかもぐちゃぐちゃになった」

「みんな私に言ったよ」

「あんたはクズだって」

「・・・これで最後だ」

「君が信じたものが正解である確証がどこにあるんだ?」

「そんなの・・・」

心臓がドクリとした。

そして気付いてしまった。

ああ、

俺が目指しているものが。

手を伸ばしているものが。

正解であるという証拠がないことを。

どこにも無いということを。

「そうだよ。ないんだよ」

「この世界のどこにも」

「正解である確証なんてないんだよ」

「だから正しさを信じればいい」

「じゃあ、どうやって正しさか決めるのか」

「そんなのは多数決だ。多数決」

「俺も、私も、僕もって」

「そうやって正しいと思う人が多い方が正しさなんだ」

「私の場合は残念ながらみんなが言うには間違いだった」

「君はどうなんだ?」

「君の考えが正しいと思っている人間はどのくらいいる?」

「俺の、ことを・・・」

俺は。

屋上で一人で。

家族にも反発して。

学生とは違う金色に染めて。

学校をサボっていて。

「そんな・・・」

俺は。

俺は―


「俺は間違っていたのか―」


「・・・」

俺は俯きながら道を歩く。

自転車を漕ぐ気にはならなかった。

景色が灰色に染まって見えた。

その時。

ポツリ。

ポツリと。

雨が降りだした。

俺は垂れた頭をあげる。

「・・・」

空は厚い雲に覆われて黒かった。

その空を見て、俺は思った。

この黒い雲の向こうが。

蒼い自由な空である確証なんて無いということを。

それでも俺はそれを信じてきていた。

でも。

「もう、できない」

できないと思った。

俺が正解を求めれば、秋が死ぬのを止められるのか?

俺が正解を求めれば、秋は幸せになれるのか?

できないと思った。

俺がどんなに信じても。

運命というものを変えることはできないのだと思った。

まるで印字された文字のように。

俺たちの人生は変えることができない。

俺の人生を書いている神様しか。

それはできないんだ。

「・・・」

俺は家に帰った。

そして、小説の続きを書いた。

俺もあの物書きのように。

秋へ最後にこの小説を残そう。

そう思った。

ラストシーンを書き変えて。

俺はプリンターで出力した。

全てが終わるときには。

日が沈んでしまっていた。

それでも俺は外に出た。


まだ雨は降り続いていた。

それはまるで空が壊れているように感じた。

俺が信じた蒼い空が。

雨となって崩れているのだ。

それに俺は打たれる。

ポツリ。

ポツリと。

雨は降り続いた。

そして俺が濡れれば濡れるほど。

心に染みが広がっていった。

まだ心にあった小さな希望も。

少しずつ雨に侵されていった。

蒼は黒く。

黒く染まっていった。

だんだんとそれでいい気すらしてきた。

黒は何色にも染まらないから。

全てを飲み込んでしまうから。

ポツリ。

ポツリと。

雨の染みが広がる。

「間違い」と「正解」が「正しさ」に飲まれていく。

ああ。

俺は。

一体何をしてきたのだろう。

こんなに簡単に崩れてしまう。

こんなに簡単に染まってしまう。

そんなものを信じて。

抗って。

ひどく時間を浪費したと思った。

たびたび俺は足を止めたくなった。

でも、足だけはまるで俺の意識とは無関係に動いた。

そして。

気が付けば、秋の病室についていた。

ゆっくりとドアを開ける。

電気の消えた部屋で秋は穏やかに寝息を立てていた。

俺は彼女の横に立った。

「秋」

「ごめんな」

「俺は」

「約束を守れなさそうだ」

「ごめんな」

「俺は―」

秋の顔は美しかった。

穏やかに微笑んでいた。

この美しさはどこから来るのか俺には分からなかった。

俺は鞄の中から紙の束を取る。

そして最後の一ページだけを手に取る。

もう一度秋の顔を見る。

本当に綺麗だと思った。

俺は視線を手元の原稿用紙に落とす。

そして縦長に折る。

角を折り曲げる。

さらに全体を半分に折る。

そしてまた角を折り曲げる。

最後に羽根を立てる。

「・・・」

俺は出来上がった紙飛行機を窓越しの空にかざす。

この飛行機に乗っているのは俺の思想だ。

今、俺の思想が重力によって世界に押さえつけられている。

俺はその紙飛行機をー

秋のすぐ横に。

静かに置いた。


夜の病院を一人で歩く。

雨脚は強くなるばかりで。

風もごうごうとなる。

俺は一人で歩く。

「ちょっと・・・そこの方・・・?」

不意に声をかけられた。

俺はその声の方に振り向く。

「め、面会の時間は、もう、終わってます、よ・・・?」

確か新田という名前の看護師だ。

秋の担当でよく新田さんと呼んでいたから覚えていた。

「すみません」

「すぐに帰りますから」

「あれ?」

「君ってもしかしてヤンキー君?」

「?」

俺はぽかんとしてしまう。

ヤンキー君?

「私秋ちゃんの担当の新田です」

「君はよくお見舞いに来ていたヤンキー君だよね?」

「・・・」

そう言えば。

秋が冗談で俺のことをヤンキーだって紹介していたんだっけ。

「秋ちゃんに会いに来たの?」

「・・・」

「まあ、はい」

隠してもしょうがないのでそう言った。

「そっか」

「でも、ちゃんと時間は守るんだぞ?」

「はい」

「すみません」

「雨ひどいから気をつけて帰りなよ?」

「はい」

そう言って俺は立ち去ろうとした時だった。

「え?」

俺の足元に何かが落ちる。

これは・・・。

「紙飛行機?」

俺はそれを手に取る。

「お、お化け?」

「・・・」

「あ、あのね。ヤンキー君」

「この病院にはとある噂があって―」

新田さんはかなり動揺している。

だけど、俺は構わずに紙飛行機をほどいた。

「・・・」

「・・・新田さん」

「な、何?」

「お願いがあるんです」

そう言って俺は鞄から紙の束を取り出す。

幸い雨に濡れてはいなかった。

「これを秋に渡してくれませんか?」

「これって?」

「・・・」

「俺が書いた小説です」

俺は紙飛行機だったページの皺を良く伸ばした。

文章を書き足す。。

そして新田さんに渡した。


秋視点


「・・・」

私は病室に戻る。

暗い廊下に雨の音が響いている。

私は歩く。

夜の病院の廊下がこんなに不気味だったなんて。

雨の音のせいで静寂に包まれていないのが余計に嫌に感じた。

私は歩きながら。

さっきのことを思い返していた。


本当に雨が強かった。

風もだんだん吹いてきて。

私はなかなか眠れなかった。

そんな時、ドアが開いた。

(誰・・・?)

私は寝たふりをしていた。

ゆっくりとナースコールを手繰り寄せる。

その人物は私がよく知る人だった。

(終君・・・?)

雨に濡れた終君が私の横に立っていた。

「秋」

「ごめんな」

「俺は」

「約束を守れなさそうだ」

「ごめんな」

「俺は―」

「秋が大好きだから」

「俺自身が秋を傷つけるかもしれないことに耐えられないんだ」

「ごめん」

「ごめんな」

「俺は―」

「君の神様にはなれないよ」

終君はそう言うと鞄から紙を取り出して紙飛行機を折った。

そして、部屋を出ていった。

「・・・」

私は残された紙飛行機をほどく。

それは小説の最後のページのようだった。


「君の願いはこの鞄がきっと叶えてくれるさ」

「鞄?」

「そうだよ」

「この鞄は望んだものはなんでも手に入る魔法の鞄さ」

「もう、わしが居なくてもこれで君は幸せになれるんだ」

「そっか」

「私、これからこの鞄で幸せになるね」

「そうだ」

「わしがいなくなっても、それで十分なんだ」

「きっとその鞄で手に入るものは偽物だろう」

「それでも本物に手を伸ばし続ける苦しみに比べたら幸せに違いない」

「わしはもともと君の幸せを願っていたんだ」

「・・・そろそろ時間だね」

光の粒が神様の周りに群がっていきます。

そして神様は消えていきました。

赤色の魔法の鞄を残して。


「・・・」

これは終君が文集のために書いた小説なんだろう。

神様と少女の話か・・・。

終君。

君は言った。

「君の神様にはなれないよ」と。

でもね。

君はもう私の神様なんだよ?

十年前。

君がわたしをこの病室から連れ出してくれた瞬間から。

君が私の世界広げてくれた瞬間から。

君はもう神様なんだ。

ありがとう。

ごめんね。

私は終君に何もしてあげられなかった。

終君が苦しんでいるのに何もできない。

それでも私は―

「神様―」

ありがとう。

「終君」

そっと紙飛行機を折っていく。

終君の思想と。

私の思想が。

閉じ込められていく。

私は病室の外に出る。

・・・。

終君。

君と出会う前。

この廊下ですら私の知らない世界だった。

あの頃の私にとってここは。

伸ばしても届かない空みたいな所だった。

だから、飛ばすね。

私と君のこの紙飛行機を。

きっと、この小さなツバサでも。

何かに届くと思うから。

私は腕を引く。

瞬間にあたりが蒼一色に染まる。

「終君」

そして。

「ありがとう」


「・・・」

私は病室に戻る。

暗い廊下に雨の音が響いている。

私は歩く。

夜の病院の廊下がこんなに不気味だったなんて。

雨の音のせいで静寂に包まれていないのが余計に嫌に感じた。

さっきまでの蒼は黒く染まっている。

あの飛行機は届いただろうか?

この黒の中を。

どこまでも飛んで行けただろうか?

そんなことを思っていた時だった。

「え?」

「・・・あっきー」

どうやら、まだ日は昇らないみたいだった。

それでも、もう一つの蒼色が。

私の前に現れた。


葵視点


午前中は晴れていたのに午後になって雨が降りだしてきた。

きっとそのせいで終は今日学校に来ていないんだろう。

「・・・」

小説も書き終わっているのに寝ずに授業を受けていた。

まあ、眺めているのは黒板じゃなくて黒い空なんだけれど。

『今日はサボるの?』

机に隠したスマホで終へのチャットを開く。

既読はついていた。

でも返信は何も無かった。

放課後になっても終から何も返信が無かったので私は終が小説を書いている喫茶店に向かった。

もしかしたらそこでまだ書いているかもしれない。

「いらっしゃいませ」

中に入るとコーヒーのいい香りがした。

お客さんは一人だけだった。

それは残念なことに終では無かった

「すみません」

「今日の午前中に金髪の男子高校生来ませんでしたか?」

「あーあの子か」

「来ていたよ」

「そうなんですか・・・」

「同級生の子かな?」

「そうです」

「何時ごろまで居ました?」

「何時だったかな?」

「お昼すぎだとは思うけれど」

「そうですか・・・」

「すみませんありがとうございます」

そう言って立ち去ろうとした時だった。

「彼はもう駄目だよ」

「以前の彼とは変わってしまった」

「・・・?」

一番奥の席の男性客が話しかけてきた。

「きっと家に引きこもっていると私は思うよ」


「彼に何があったか知っているんですか?」

「ああ」

「すみません。教えていただけませんか?」

「長い話だ」

「コーヒーをおごるよ」

「座り給え」


「・・・最低ですね」

「その言葉は彼にも向き得るということを分かっているのか?君は」

「あなたの言葉なんて聞きたくないです」

「せっかく、話してやったのにな」

「これ、コーヒー代です」

「おや?少し多い気がするが」

「感謝の気持ちだと思ってください」

「あなたはお金に困っているようですので」

「では」

私は立ち上がる。

「終」

「なんで・・・」


家に戻って私の書いた文章を手に取る。

雨に濡れないようにビニール袋で鞄ごと包む。

「葵?どこ行くの?」

「友達の家」

「ちょ、ちょっと!外はこんなに荒れているしもう真っ暗よ?」

「大丈夫すぐ戻るから」

私は終の家を目指した。


終の家についてインターフォンを押す。

風や雨の勢いが強まってきている。

(終、お願い出て・・・!)

心の中でそう呟いた時だった。

ガチャリ。

ドアが開いた。

「え・・・」

だけど、それは終ではなかった。

「すみません、終はまだ帰ってきていなくいて」

「こんなに天気が悪いのにわざわざ来てもらったのに」

「いえいえ!こちらこそすみません」

「こんな時に来てしまって」

出迎えてくれたのは終のお父さんだった。

病院では秋の主治医として問診しているところを何度か見たことがあった。

「多分そろそろ帰ってくると思うので良かったらここで待っていてください」

終のお父さんは私にコーヒーを入れてくれた。

終は家族との仲があまりよくないみたいだったなと思って、少し終のお父さんと話してみたいと思った。

「たしか、八月一日さんのお友達の方ですよね?」

「あ、はい」

と思ったら終のお父さんの方から話を振ってきた。

「終もよく八月一日さんのお見舞いに来ているようだと聞いています」

「仲がいいんですね三人は」

「はい」

「終君が授業に久々に授業に出てきたときに私から話しかけて」

「そしたら、秋を紹介してくれて」

「それで仲良くなった感じです」

「はあ、やっぱりあいつは授業をサボっているのか」

「あ、あの、そのことは忘れてくれると・・・」

「え?ああ、すみません」

「別に怒っているわけじゃないですよ」

「何となく終が授業をサボっているのは知っていましたし」

「そうなんですか?」

「はい」

「大体髪は金色だし、学校の先生から何度も電話をもらいますからね」

「そうだったんですか!?」

「そりゃあそうですよ」

「本当に困ったものですよ」

終のお父さんははははと頭を掻いて笑った。

「でもまあ」

「終もちゃんと自分の信じる道を早く見つけてくれるといいんですけれどね」

「え・・・?」

終のお父さんはさっきから見たこともないくらい穏やかな顔をしていた。

終から話を聞く限り、もっと厳格な人だと思っていた。

「自分の信じる道ってどういうことですか?」

「言葉のままだよ」

「自分が本当に夢中になれるものを見つけてほしいってことだよ」

「『正しさは正しかったとしても正解ではない』」

「それって・・・」

「『花束ほどの幸せを』の最も有名な文だ」

「私は昔から本が好きでね」

「よく終に読んでやったんだ」

「私が一番はじめに読んでやったのがこの本だった」

「何だっていい」

「自分が信じたもの」

「自分が見つけたもの」

「そういうものの正解を掴みに行くような人になってほしかった」

「終は昔よく『冒険』をしていた」

「学校をサボってね」

「私はそれでもいいと思ったよ」

「終が正解に手を伸ばしている気がしてね」

「でも、それは逆に終を傷つけたみたいだった」

「終はたった一人で手を伸ばし続けた」

「いつまでたっても届かないものに」

「それはきっと負担になっていったんだ」

「私は医者で上の息子も勉強が得意だった」

「そういったものに劣等感を抱いたんだろうね」

「髪を染めたり」

「反抗したり」

「そうやって自分の存在をアピールしていた」

「私はダメな父親さ」

「父親失格だよ」

「理想ばかりを押し付けて、終が苦しんでいる時に何一つ手を差し伸べてやれず」

「きっと終は怖いんだ」

「正解があるのかどうか分からなくて」

「私は思うよ」

「終は自慢の息子だ」

「何もやってやれなかったけれど」

「終は自分で自分の道を探ろうとした」

「いつか」

「ちゃんと伝えたいと思っている」

終のお父さんは残りのコーヒーを飲み干した。

「私は何熱くなってしまっているんだろうね」

「すまないね、こんなこと言って」

「いいえ」

私は首を振る。

「私、終に助けられたんです」

「終はいつも正解を求めていたから私は救われた」

「終のおかげで私も間違えることを止めることができた」

「今終は苦しんでいるんです」

「私が終を助ける番だと思うんです」

「だから」

「ありがとうございます」

「終のことを愛してくれて」

「図々しいと承知で言います」

「あなたはきっと愛の伝え方を知らないんだと思います」

「それを知れば」

「それを知ろうとすれば」

「きっと、今の気持ちを終に伝えられると思いますよ」

私はそう言って立ち上がる。

「すみません。私帰ります」

「この家にはこんなに素晴らしいお父さんがいるなら」

「わたしは要らないと思います」

「終を」

「よろしくお願いします」

頭を下げる。

「お邪魔しました」

私は嵐のような夜を歩く。

だけど、全然怖くなかった。

そっか。

終。

君の周りには。

君を愛している人がいっぱいいるんだよ。

だから。

終は終のままで居なよ。

そうじゃないとその人たちに失礼でしょ?

私は駆けていく。

雨の中を駆けていく。

終はきっとあそこにいるんだろう。

私、会いたいな。

終に伝えたいんだ。

私のこと。

私の気持ち。


結局病院に着いたのは夜中になってしまった。

当然面会時間は過ぎている。

それでも終に会いたいと思った。

真夜中とは言えないけれど

消灯して暗い病院に侵入するのはかなりドキドキした。

まだ終が帰っていないなら。

ここに居るとしか考えられなかった。

終になんて言おう。

それに悩んだまま私は歩いた。

そして。

あっきーの病室に着いた。

私は中に入ろうとした。

その時―


「秋」

「ごめんな」

「俺は」

「約束を守れなさそうだ」

「ごめんな」

「俺は―」

「秋が大好きだから」

「俺自身が秋を傷つけるかもしれないことに耐えられないんだ」

「ごめん」

「ごめんな」

「俺は―」

「君の神様にはなれないよ」


中から終の声がした。

やっぱり終はここにいた。

だけど。

終の言葉の中で。

一か所だけ消化できないものがあった。

「俺は―」

「秋が大好きだから」

その言葉を聞いたとき。

私はひどく苦しく感じた。

何を今更という感じだけれど。

私が書いた小説はそういう話だったじゃないか。

でも。

それでも、やっぱり言葉で聞くのは辛かった。

私は失恋した。

見ないようにしてきた事実が。

急にはっきりした。

「でも・・・」

それでも私は。

大好きな人に。

自由な空の下で笑っていてほしいから。

私は蒼い空になるんだ。

あっきーと終が笑って居られる。

そんな世界を作るんだ―

「・・・」

終が出てきた。

酷くやつれているように見えた。

私は彼を呼び止めたくなる気持ちを必死に抑える。

そして、じっと待つ。

あっきーの気持ちを。

あっきーの答えを。

ちゃんと見なくちゃ。

「・・・」

「終君」

「ありがとう」

あっきーはそう言って紙飛行機を飛ばした。

そして戻っていった。

私は落ちた紙飛行機に近づく。


「君の願いはこのかばんがきっと叶えてくれるさ」

「鞄?」

「そうだよ」

「この鞄は望んだものはなんでも手に入る魔法の鞄さ」

「もう、わしが居なくてもこれで君は幸せになれるんだ」

「そっか」

「私、これからこの鞄で幸せになるね」

「そうだ」

「わしがいなくなっても、それで十分なんだ」

「きっとその鞄で手に入るものは偽物だろう」

「それでも本物に手を伸ばし続ける苦しみに比べたら幸せに違いない」

「わしはもともと君の幸せを願っていたんだ」

「・・・そろそろ時間だね」

光の粒が神様の周りに群がって行きます。

そして神様は消えていきました。

赤色の魔法の鞄を残して。

「神様、ありがとう」


あっきーが出した答え。

書き加えられた答え。

それは「ありがとう」

違う。

違うよ。

そんな言葉をどうしてこんなに苦しそうに書くんだよ?

あっきー。

終は正しさを選ぼうとしている。

でもあっきーは神様から。

正解への手の伸ばし方を教わったんじゃないの?

だから。

私はあっきーの文に加える。

「神様の嘘つき」

再び紙飛行機にする。

私はそれを。

おもいっきり遠くに。

全身全霊で。

飛ばした。

「さて」

「私は二人に」

「正解への道しるべをしないと」

私はあっきーを追いかけた。


「え?」

「・・・あっきー」


「あーあ」

私はあっきーの病室から出て入り口に向かう。

これでよかったのかと考え始めると収集が着かなくなりそうで辞める。

私は夜の病院の道を一人歩く。

「今日は侵入者が多いな」

「うわ!新田さん」

新田さんに見つかってしまった。

あっきーの病室に通うようになって新田さんとも仲良くなっていた。

「ダメでしょ葵ちゃん」

「病院に侵入したりしちゃ」

「ごめんなさい・・・」

「・・・」

「って叱りたいところだけれど」

「葵ちゃん何かあった?」

「え?」

「秋ちゃんがいつも言ってたんだ」

「葵ちゃんは空くらいおっきな明るさで満ちてるって」

「・・・」

「あっきーそんなこと言ってたんだ」

「実際話してみて私もそう思った」

「葵ちゃんってすっごく明るくて元気な子」

「だけど今はちょっと落ち込んでる?」

「・・・」

「失恋しちゃって」

「・・・そっか」

「なかなかビターな話だ」

「大好きだった?」

「・・・うん」

「どんな子だったの?」

「うーん」

「誰よりも優しいのに」

「すっごく不器用で」

「生きるのが下手で」

「まっすぐ過ぎて頑なで」

「わお、マイナス要素ばっか」

「・・・うん」

「ちょっとわざと」

「しかも分かっちゃったよ」

「・・・ヤンキー君?」

「うん」

「最初から言えばよかった」

「ヤンキー君か・・・」

「さっきここにいたのはそういうこと?」

「うん」

「じゃあ、そっか」

「うん、それはかなりつらいやつだね」

「そう」

「私じゃなくてあっきーを選んだんだよ」

「せっかくぼかして言ったのに」

「大丈夫だよ」

「私、あっきーも終も大好きだから」

「ちゃんと応援できる」

「・・・」

「そっか」

「私の話、してもいい?」

「新田さんの話?何々?恋話?」

「違うよぉ」

「私が看護師になった理由」

「私ね。人の面倒を見るのが好きで看護師になったの」

「・・・介護士とかじゃなくて?」

「うん、最初から看護師志望」

「病院にはいろいろな人が入院してる」

「だから、色々な人生が交わってる」

「それを見てみたくて」

「・・・」

「こんな気持ちじゃダメなのかもしれないけどね」

「私は自分の仕事に誇りを持ってる」

「私が頑張ることで誰かの人生が未来に繋がるんだもん」

「そんな大層なことじゃないって友達にバカにされることもあるけどね」

「私は誰かの人生の一部になれるの」

「たまに、私に手紙をくれる患者さんとかもいてね」

「そういうのが好きなの」

「たとえ、主人公やヒロインじゃなかったとしても」

「誰かの世界の一部になれるなら」

「それはとっても素敵なことだよ」

「そして、意外とそんな何でもない人が主人公やヒロインの世界を救うこともあるんだよ?」

「だからね、葵ちゃん」

新田さんは手を握る。

暖かい手だった。

「たとえ、恋が届かなくても」

「君が思った大好きな彼の人生の一部に」

「君はなっているんだよ」

新田さんはすごくまっすぐな目で見つめてくる。

なんだかその顔が真剣過ぎて面白く感じた。

「ぷっ」

「?」

「あはははははははははははははははは」

「ええ!?」

でも。

そっか。

『そして、意外とそんな何でもない人が主人公やヒロインの世界を救うこともあるんだよ?』

私は終の人生の一部なんだ。

だったら。

私の選択はきっと間違ってなかった、よね?

「新田さん」

「ありがとう」


「ええ?笑ったり感謝したり何が何だかわからないよ・・・」

「ごめんなさい」

「病院に侵入したりして」

「もう絶対しちゃだめだからね」

「それと、ありがとうございます」

「私」

「終とあっきーの」

「恋のキューピットになります!」

そう言って私は頭を下げる。

正面入り口に向かった。

私は。

蒼い空なんだ。

あっきーと終は。

この空の下で。

二人のシナリオを歩むんだ。


新田視点


「・・・」

「よかった」

「ちゃんと、泣いてくれた」



11/30


終視点


インターフォンが鳴った。

誰だろう。

俺はカーテン越しに外を見てみる。

誰かが家の前に立っている。

そして家全体を見回している。

怪しいやつだな・・・。

そんなことを思っていると電話が鳴った。

「葵・・・」

そしてあることに気づく。

最近似たような人影を家の周りでよく見た。

もしかして、あれは・・・。

「・・・」

俺はカーテンの隙間から外を見る。

しかし。

「あれ、いなくなってる」

そんなわけないよな。

毎日だぞ?

毎日毎日。

数分の時もあれば何時間の時もある。

そんなことある訳がない。

と。

その時。

「え・・・」

空にゆらゆらと白い何かが揺れている。

それもひとつじゃない。

10個以上ある。

「っ!」

俺は慌てて窓を開ける。

「おい!何ひとんちに投げてるんだ!」

「あ!終!やっぱり居留守だった!」

「な!葵・・・」

「話があるの。家入れて」

「嫌だ。帰れ」

「そんなこと言うならもっと飛ばす!えいっ!えいっ!」

「やめろ!」

「あーもう!」

「分かったから!」


葵視点


やっと入れてくれた。

やっと終に会えた。

あの日。

9月17日から私はずっと終の家に来ていた。

そして、あっきーは昨日やっと物語を書き終えた。

終はずっと同じ部屋にいた。

何やってたんだろう?

「なんだよ。葵」

終はお茶を出してくれた。

意外と出来る子?

「良い話と良い話それから良い話」

「どれから聞きたい?」

「何それ」

「どれ?」

「どれも変わんないじゃん」

「どれ!」

「たくっ、分かったよ」

「良い話で」

「うん」

私は小さく深呼吸をする。

私は終が出してくれたお茶を飲む。

汗で体がびっちょりだよ。

こんな姿好きな人の前でしたくないよ!

でも。

私は好きな人があんな姿をしている方が嫌だ。

ちょっとは成長してるじゃん、私!

「これ」

私はあの日あっきーに渡した時のように紙の束を終に向ける。

「私が文集用に書いたやつ」

「結局文化祭には出店出来なかったけどね」

「終に読んで欲しくて」

「今読んでよ」

「・・・」

「分かった」

終が私の小説を読み始める。

すっごく恥ずかしいけれど。

読んでほしかった。

丁度、あの夜。

あっきーに読んでもらった時のことを思い出す。


「私ね」

「終のことが好き」

「・・・」

あっきーは私の小説をじっと見つめていた。

「あっきーの気持ち聞かせてほしい」

「実はね」

「さっきの終が言ってたの、聞いてたんだ」

「葵ちゃん・・・」

「でもね」

「何となくわかってた」

「終はあっきーのためならいろんなことをしていた」

「それは、私がもうすぐ死ぬから・・・」

「違うよ」

「私は違うと思うよ」

「きっと終の中にあっき―に対する特別な思いみたいなのがあって」

「それが終を突き動かしてたんだと思う」

「私さ」

「終のそういう誰かのために一生懸命になる姿に惚れたの」

「その誰かはあっきーだったけれどね」

「終は不器用だし」

「生きるのが下手だし」

「まっすぐ過ぎて頑なだけど」

「それは全部」

「あっきーに対する気持ちだっただと思う」

「だからさ」

「あっきーの気持ち」

「教えてほしいな」

「・・・」

あっきー。

そんな顔しないでよ。

私はあっきーにそんな顔してもらうためにここに来たんじゃないよ?

私はあっきーに。

あの笑顔をしてもらいたくてここに来たんだ。

本当は私の気持ちなんて話すべきじゃないのかもしれない。

そうすればあっきーは何も気にしないで終と結ばれたんだと思う。

でも。

それは、正しさだから。

私たちが正しさで誰かを好きになっちゃ。

私の好きな人を裏切ることになっちゃうから。

だから―

「葵ちゃん」

あっきーの力強い目が私を見つめる。

「私の小説、読んで欲しいの」

「まだ書きかけだけれど―」


「・・・」

終は私の小説を最後まで読んだ。

「・・・ありがとう」

「感想は聞きたくない」

「終が読んでくれたってだけで」

「このお話は報われるから」

「・・・」

・・・やっぱり。

私の小説じゃ、終は―

「よし!じゃあ、次の良い話」

「・・・聞きたくねーよ」

「終のお父さんの話」

「え・・・?」

私はこの話題なら終を救えるかもと思った。

「終のお父さんは」

「終のことを自慢の息子だって言ってた」

「『何もやってやれなかったけれど』」

「『終は自分で自分の道を探ろうとした』」

「『いつか』」

「『ちゃんと伝えたいと思っている』」

「そう言っていたよ」

「そんな・・・」

「『正しさは正しかったとしても正解ではない』」

「この本を終は読んでもらったんだよ?」

「お父さんに」

「父さんが?」

「終」

「終の周りには」

「終のことを愛している人が沢山いるんだよ?」

「終君が手を伸ばし続けていることを」

「咎めている人なんてどこにもいないんだ」

「これから私たちが大人になって」

「終は手を伸ばすのが苦痛に感じるかもしれない」

「でも」

「でもね」

「そんな時、終の周りには」

「終に手を差し伸べてくれる人が沢山いるんだ」

「その時になったらきっと助けてくれる」

「私で力になれるのだったら」

「私が助ける」

「だからね終」

「君は君の信じた空を追い求めていいんだよ?」


終視点


葵の声が俺の心の黒を洗い流していく。

そして透き通った蒼色になっていく。

そう。

まるで、自由な空のように。

ああ。

俺は。

俺はこんなにも愛に塗れていたのか。

そして、俺は。

誰かに希望を与えていたのか。

正しさは正しかったとしても正解ではない。

そうだ。

俺が信じる正解は。

空よりも広く―

空よりも蒼いんだ。

「・・・もう大丈夫?」

「ああ・・・」

「ごめん葵」

「迷惑かけた」

「違うよ」

「私は私がしたいことをしただけ」

「・・・」

「最後にこれ・・・」

「三つ目の『良いこと』」

「あっきーの小説だよ」

俺は葵が差し出した紙の束を受け取る。

秋。

お前はどんな世界を書いたんだ―?


私は手を繋いだままの男の子を見る。

花火を見上げる顔がいろんな色に染まる。

「ありがとう」

私の声は花火の音にかき消される。

だけれど、どうしてもこの気持ちを伝えたくて。

私はちょっとだけ繋いだ手をギュッとした。

と、その時。

「え?」

不自然に黒い何かが夜空の花に向かって飛んでいく。

握った手とは反対の手で彼が何か投げたのだと気付いた。

さっきよりも大きな声で話しかける。

「何投げたの?」

「紙飛行機」

「なんで?」

「俺の思想を空に投げたの」

「なんで?」

「かっこいいから」

「・・・?」

「よし!これでミッション達成!帰るか!」

「え!?最後まで見ていかないの!?」

「早く戻らないと病院に入れなくなっちゃうよ」

「そ、それは・・・」

「大丈夫だよ」

「え?」

「きっと大丈夫だ」

「君の人生はちゃんと面白くなるよ」

「だってあんなに綺麗な顔で花火を見てたんだもん」

彼は笑顔で恥ずかしげもなくそう言った。

「な!?」

「意外とピュアなんだな!ほっぺ赤いよ」

「は、花火のせいだから!」

「ほら!もう行こう!」

私は彼の手をほどいて歩き出す。

体が火照っているのか、手を離してもなかなか熱が逃げなかった。

「待ってよ」

私は彼よりも少し先にいた。

変わったのかな。私の人生。

ちゃんと面白くなったかな。

「ねえ」

私は振り返って彼を見つめる。

伝わらないでほしいからわざと小声で言う。

「もしも」

「もしも、私の人生が面白いものになったとき」

「君はまたこの花火を一緒に見てくれる?」

叶わないはずの願いを呟く。

なんとなく彼ならやってのけてしまいそうだったから。

私はまた君と手を繋ぐ。

そして来た道を戻る。

花火の音がまだ聞こえる。

初めての花火だったから最後まで見れないのは本当に心残りだけど。

大丈夫だって。

君が言ったから。

さあ、戻ろうか。

今までと同じようで。

全く違う。

私の世界へ―


「これって・・・」

モノクロだった景色が色付いていく。

そして、あの時の音や匂い、温度が脳裏に蘇る。

そうだったのか・・・。

あの時の。

一緒に冒険をした君は―

「秋だった、のか・・・」

「私もびっくりしちゃった」

「まさかあっきーと終が十年前に出会っていたなんて」

「終もこれ読んでちゃんと思い出した?」

「ああ」

「そっか」

「あっきーは言っていたよ」

「私はあの時の終みたいに笑いたくて」

「いろんな本を読むようになったって」

「終のお父さんが終に教えたこと」

「それを終はあっきーに伝えたんだよ」

「きっと凛先生もその笑顔にもう染まっている」

「終」

「連れて行ってあげなよ」

「あっきーはずっと終を待っているよ?」

「終がまた冒険に連れ出してくれるのを」

「私は蒼い空だから」

「二人の冒険を」

「ちゃんと見守っておくよ」

「葵・・・」


葵視点


もー!

終までそんな顔して。

やめてよ。

そっちのほうが何十倍も辛いよ。

本当はさっき。

この小説を渡さないで帰ろうとも思った。

でも。

私は決めたから。

この物語のヒロインはあっきーだから。

「ほら!早く!」

「うわああ」

私は終の背中を無理やり押す。

そして家から追い出す。

「葵」

「ありがとう」

「っふふ」

「あはははははははは」

いつぶりだろう。

こんなに悲しく笑ったのは。

終。

私は君が好きだ。

だから。

君は君のままでいてほしい。

正解を追い求める。

私の好きな終のままで。


終視点


「はあ、はあ、はあ」

俺は病院に向かった。

空は蒼さに満ちていて透き通っていた。

その蒼の下、自転車を漕ぐ。

「はあ、はあ、はあ」

秋。

秋に会いたかった。

俺は秋に言ったんだ。

秋の神様になるって。

俺は秋と一緒に。

バッドエンドでもなんでも迎えるって。

まずは謝ろう。

約束を破ろうとしたこと。

秋は許してくれるだろうか?

許してくれなさそうだな。

そしたら、また約束をしよう。

俺が秋の望みを一つ叶えてあげよう。

そして。

秋に許してもらえたら。

ちゃんと伝えるんだ。

俺の気持ち。

俺が秋に対して感じているこの気持ち。

秋・・・。

秋。

秋!

頭の中に色々な姿の秋が映る。

そして全てが綺麗に折られていく。

紙飛行機になったそれらが。

空を飛んでいる錯覚に陥る。

秋。

俺は―

君のことが。


「秋?」

俺はおそるおそる秋の病室のドアを開ける。

しかし。

「あれ・・・?」

ベッドは綺麗に片づけられている。

秋がいた痕跡すらなかった。

「あ・・・」

「ヤンキー君・・・」

振り向くと新田さんがいた。

「新田さん」

「秋はどこですか?」

「・・・」

「秋ちゃんはね」

「今朝亡くなったの」



12月一日


凛視点


私はとある場所に向かった。

懐かしい道を通った。

何度も二人で通った道。

二十年くらい前の記憶なのに。

記憶と同調して色に染まっていく。

そして。

「・・・」

私はゆっくりと。

その古びたドアを開けた。

「いらっしゃいませ」

「・・・お久しぶりです」

「ええ・・・」

久しぶりに見る同級生の顔には当時なかった皺が増えていた。

その分私も白髪が増えた。

「・・・」

「懐かしいですね」

「だいぶ前ですが西高の文芸部を名乗る子がここに来て小説を書いていましたよ」

「私たちもそんなことをしていたなと」

「思い出していたんですよ」

「・・・」

「西高の文芸部には秋が在籍していたの」

「秋は昔からの夢を叶えられたの」

「・・・」

「・・・今日、ここに来たってことは・・・」

「ええ・・・」

「秋は・・・」

涙が溢れてきそうになる。

それでも泣くわけにはいかなかった。

私は秋から託された言葉をあの人に伝えなくてはならないのだ。

「・・・」

私は奥の席に目をやる。

生気を失った目でキーボードを叩く男を見つける。

「・・・秋が亡くなったわ」

私はその人の前に立ってそう言った。

その男は手を止めた。

「・・・そうか」

それだけを言って物書きの男はまた手を動かした。

カタカタという無機質な音が響く。

「秋は言っていたわ」

「最後にお父さんにも会いたかったって」

「秋からの伝言だけ言って帰るわ」


「私をこの世に立たせてくれてありがとう」

「私、とても幸せだった」

「私は死ぬまで幸せだった」

「この幸せはお父さんのおかげ」

「ありがとう」

「お父さん」


私は喫茶店を後にする。

空を見上げると。

そこには蒼い空が広がっていた。

ああ。

秋はきっと空に昇って行ったんだ。

そして、この蒼の一部になったのかな。

そっか。

もう、いい秋?

私の目から透明な涙が零れる。

秋。

私、ちゃんと伝えたよ。

あなたからの伝言。

だから。

もう、いいよね?

涙が加速していく。

秋が残していったものが。

零れてしまう気がして、今まで涙を流さないようにしていた。

出来なかった時も沢山あったけれど。

それでも、私の涙はもう透明だ。

秋が昇った蒼色がもう涙には残っていないから。

私は泣いた。

透明で。

ただ、愛しい秋を思うだけの涙で。

この気持ちには。

無限大の空よりも広く大きいから。


新田視点


「・・・」

私は真っ白なベッドを見つめる。

昨日まで命があったはずのベッドを。

私は出来が悪かったから、研修が長引いてしまい、夏明けくらいから初めて患者さんの担当をした。

私の初めての担当の子。

私と同じくらいの年齢の女の子。

小さいころからずっと入院しているらしい。

・・・どんな子なんだろう?

ちょっと緊張しながら私は病室に入った。


「あ、新しく八月一日さんの担当になりました、新田遥です!」

「よろしくお願いします」

緊張が丸見えの挨拶にその子は笑った。

「よろしくね!新田さん」

彼女はとても綺麗に笑う子だった。

正直驚いた。

学校にも行けず、この狭い病室にずっといる人がこんなに綺麗に笑うことに。

「八月一日さんじゃ堅いから下の名前で呼んでよ」


きっと私の緊張をほぐすためだったと思う。

彼女は私にフランクに接してくれた。

私は彼女のおかげで、肩の力が抜けた。

彼女は本を読むのが好きだった。

友達と一緒に文芸部をやっているみたいだった。

一人は女の子。

ショートカットで元気いっぱいの女の子。

一人は男の子。

金髪のヤンキー君。

なんかバランスがぐちゃぐちゃな感じがしていたけれど。

彼女はここで三人で話している時、あの笑顔で笑っていた。

その笑顔を見る度に私は誓った。

(私がこの子の未来を作るんだ。)

彼女が何の憂いも無く笑って生きて行けるように。

三人でいつまでも笑っていられるように。

そう誓った。

「なのに」

私は彼女を死なせてしまった。

彼女の未来を奪ってしまった。

「秋ちゃん」

「ごめん」

「ごめんね」

泣きたくない。

泣きたくない。

泣いちゃだめだ。

泣いちゃだめだ。

そう思っているはずなのに。

涙がとめどなく溢れてくる。

「・・・ここに居たんですね」

「え・・・?」

振り返ると五月七日先生がいた。

「先生・・・」

「・・・」

先生はその部屋をゆっくりと歩いた。

「八月一日さんは」

「幼いころ、何の希望も持っていないような目をしていた」

「全てを受け入れた目」

「私は悲しくなったよ」

「まだ十年も生きていない少女が」

「していい目じゃかった」

「子供っていうのは」

「自由でいなくちゃいけないんだ」

「目を輝かせて世界を眺める」

「それが子供の価値なんだ」

「大人はそうふうに子供たちが過ごせる世界を作らなくちゃならない」

「私は小児科医としてそれを心掛けた」

「子供たちが背負う必要のない過酷な運命を」

「取り除こうって」

「でも、八月一日さんにそれは出来なかった」

「そんなことないです」

「先生はずっと秋ちゃんのことを見てきたじゃないですか」

「それに・・・」

「私こそ何もできませんでした」

「・・・」

「八月一日さんをそんな絶望だらけの世界から救ったのは」

「終だった」

「・・・」

「はい」

「息子の自慢話ではない」

「大体私は終の父親を語れるほどできた人間じゃない」

「終は彼女を冒険に連れ出したことがあった」

「その冒険が彼女を救ったんだ」

「私は終のことを叱った」

「だけれど、私はそれをひどく後悔した」

「あの冒険の日から彼女は終みたいに笑うようになった」

「ああ、私は正しさを選んでしまったんだ」

「そう思ったよ」

「『正しさは正しかったとしても正解ではない」

「『花束ほどの幸せを』という小説のフレーズだ」

「終は八月一日さんと話して」

「ちゃんと正解を選べたんだ」

「彼は本当に素晴らしいい子供だ」

「終は自慢の息子だよ」

先生はとても悲しそうな顔でそう言った。

「・・・」

「・・・結局」

「結局、息子自慢じゃないですか」

先生は少しぽかんとした。

そのすぐあと。

「そうだな・・・」

先生は笑った。

窓から見える蒼い空を見つめていた。


葵視点


あっきーが死んだ。

私の友達が死んだ。

私の大切な人が死んだ。

私の好きな人の好きな人が死んだ。

それなのに。

世界は何も変わらなかった。

あっきーはあんなにこの世界を求めていたのに。

世界はちっとも変わらなかった。

同じ速さで回って。

同じ時間を刻んだ。

あっきーと過ごしたのは私の人生でもかなり短い期間。

それなのにあっきーの顔が私の脳裏から離れなかった。

思い出。

そう言う名前を付けよう。

空き教室で補習を受けていた顔。

屋上で終と話していた顔。

誕生日をお祝いされた顔。

大好きな四ツ谷サイダーを飲んでいる顔。

文集のためにお話を書いている顔。

好きな人を思っている顔。

紙飛行機を飛ばした顔。

どうしてだろう。

あっきーの顔はすごく笑っているのに。

私は涙を流した。

理由は簡単だ。

もう、この笑顔を見ることはできないからだ。

思い出は風化していってしまう。

記憶は一秒一秒積み重なっていく。

下の方の記憶は掠れていってしまう。

嫌だな。

あっきーのこの顔を忘れたくないな。

私は空を見上げる。

透き通るほどの蒼い空だった。

私はこんな空みたいになれただろうか?

あっきーの世界の空になれただろうか?

私は涙を流す。

雨は空が泣いているみたいだという。

じゃあ、きっとこの涙は雨だ。

どうしてだろう。

本当の雨は早く止んで欲しいのに。

この雨は一生止んで欲しくなかった。

この雨が止んでしまったら。

あっきーが本当にいなくなっちゃう気がした。

だから私は秋が残したものを空に飛ばした。

あっきーが残した小説を。

ここにはあっきーと。

あっきーが愛した少年のお話が詰まっている。

私はそれを紙飛行機にして空に投げ続けた。

十。

二十。

三十。

数はどんどん増えた。

その間私の涙は流れ続けた。

だけれど。

「あ・・・」

最後の一枚だった。

これを投げたら―

そんなことを考えて私は投げるのを辞めた。

その一枚だけは。

紙飛行機にして自分のポケットにしまった。

そうだ。

冒険に行こう。

あっきーを探しに行こう。

あの日。

あっきーを救った少年を誘って。


終視点


「・・・」

俺は蒼い空を眺めた。

あの日。

秋と出会ったこの場所で。

ここに居たらあの日みたいに。

秋がドアから出てきて。

俺を呼んでくれる気がして。

秋。

俺はお前の神様になれたのかな?

その答え合わせはもうできない。

そんな行き場のない自問自答を繰り返していた時だった。

「・・・え?」

雲よりも白く。

空よりも遥かに小さいそれは。

高く、高くまで昇った。

自由な空を昇っていく。

が―

真っ逆さまに落ちてくる。

俺にだんだん近づいてくる。

それを掴んだ。

「終」

声がする方を見る。

「終」

葵があの日の秋のように話しかけてくる。

「冒険に行こう、終」

「・・・」

「ああ」


葵と二人で海岸沿いを歩く。

二人の影が長く伸びている。

海に半分顔を隠した太陽がやけに大きく、眩しかった。

「・・・」

「・・・」

俺たちは無言でただ歩いた。

何も言葉を交わさずただ歩いた。

あの場所を目指して。


「・・・」

十年前と同じくらいの時間だ。

季節は秋を過ぎて冬だけれど。

花火は上がっていない。

「あっきーと終は」

「この景色を見たんだね」

「・・・ああ」

「そっか」

「私」

「あっきーと一緒に見たかったな」

俺は目の前を見つめたままその言葉を聞いた。

「・・・」

ふと、何か小さなものが飛んでいった。

「葵?」

「これはあっきーに届くかな」

「・・・届くといいな」

葵が飛ばした紙飛行機は月に向かって飛んでいった。

それはきっと。

どこまでも飛んでいったのだろう。

「・・・そろそろ行こう」

「うん・・・」

俺たちはその月を後にした。


「せっかくだし、神社にお参りしていこうか」

葵が無理に笑ってそんなことを言った。

「そうだな」

俺と葵はちょっとずれたタイミングで五円玉を投げた。

そして二人で手を合わせる。

最後に一礼した。

「終は何お願いした?って聞こうと思ったけど辞めた」

「なんで?」

「私も終もきっと同じことだと思ったから」

「・・・」

「なんで無言になるの!」

「不安になっちゃうじゃん!」

「・・・」

「ごめん」

「もー!終ったら」

葵は駆けだした。


「絵馬も書いていこうか」


「よいしょっと」

葵と俺は絵馬を書いて結ぶ場所を探していた。

この神社は管理がずさんなのか、かなり前の絵馬も結ばれたままだった。

「そっち、スペースある?」

「ないな」

「そっか・・・」

色々な絵馬が目に入った。

「合格祈願!」

「〇〇君と結ばれますように」

「元気な子が生まれてきますように」

年代も。

性別も。

時間も。

全てがまちまちの願いがここに結ばれていた。

その時だった。

「そっち見つかった?」

葵が駆けてきた。

「終?」



9/18


秋視点


「・・・」

終君は私の小説を読んでくれたのかな?

私は窓外の空を眺める。

蒼い空が今日も広がっていた。

この空の蒼さを教えてくれた私の神様は。

今どこで何をしているんだろう?

それとも。

私の思いは届かなかったのだろうか?

その時だった。


「秋ちゃん」

「新田さん」

新田さんが入ってきた。

「お薬の時間だよ」

「はーい」

新田さんが私の点滴の液を交換する。

「いつもありがとうございます」

「いーえ」

「どうしたの?」

「新田さんにはいつもお世話になってるなって思って」

「感謝しないとって」

「気にしすぎだよ」

「・・・」

「でも、患者さんに感謝されるのは嬉しいな」

新田さんは微笑んだ。

「これヤンキー君から」

「え?」

私は目を疑う。

昨日、私が廊下に飛ばした紙飛行機だった。

私はその紙飛行機をほどく。


「君の願いはこのかばんがきっと叶えてくれるさ」

「鞄?」

「そうだよ」

「この鞄は望んだものはなんでも手に入る魔法の鞄さ」

「もう、わしが居なくてもこれで君は幸せになれるんだ」

「そっか」

「私、これからこの鞄で幸せになるね」

「そうだ」

「わしがいなくなっても、それで十分なんだ」

「きっとその鞄で手に入るものは偽物だろう」

「それでも本物に手を伸ばし続ける苦しみに比べたら幸せに違いない」

「わしはもともと君の幸せを願っていたんだ」

「・・・そろそろ時間だね」

光の粒が神様の周りに群がって行きます。

そして神様は消えていきました。

赤色の魔法の鞄を残して。

「神様、ありがとう」

「神様の嘘つき」

少女の声は神様に届いていました。

神様は少女に聞こえない声で言いました。

(大丈夫だ)

(大丈夫だよ)

(君の人生は)

(ちゃんと変わったから)

(きっと大丈夫だ)

(君の人生はちゃんと面白くなるよ)


終君。

やっぱり君は私の神様だ。

ありがとう。

「新田さん」

「秋ちゃん?どうしたの?」

「お願いがあるの」

「何?」

「私、冒険に行きたいの」


「秋?どうしたの?」

「お母さん」

「ごめんね急に呼び出して」

「大丈夫よ」

「それより冒険って?」

「うん」

私は最後の冒険の相手にお母さんを選んだ。

そしたらいつも通り黒いスーツで来てくれた。


「お母さんなんでいつもそのスーツ着てるの?」

「だって私は一応教師だから」

「スーツが制服でしょ?」

私は薬の副作用で体力が落ちた。

今では車いすがないと出歩けなくなった。

お母さんに車いすを押されて私は海岸沿いを過ぎる。

あの十年前の冒険みたいに潮風が私に吹く。

今は秋だから、風で身震いする。


「寒くない?」

「それだよ!」

「!?」

「お母さん夏でもスーツじゃん」

「暑くないの?」

「まだその話続いていたのね」

「・・・そうね」

お母さんを見上げると遠い海を見つめていた。

「これは私の誓いみたいなものなの」

「秋のお父さんの話」

「したことあったわよね?」

「うん」

確か、お父さんは小説家を目指していて私の病気が発覚して家を出て行っちゃったんだっけ。

「秋のことを守れるのは私しかいないから」

「私はいつでも秋のために働こうって」

「その気持ちを込めていつもスーツを着ているのよ」

「そっか」

そんな意味があったんだ。

「ありがとうお母さん」

「いいのよ」

「前にも言ったでしょう?」

「私は秋が笑っていてくれればそれでいいって」

「うん」

私たちの影が二つ伸びている。

「ねえ」

「ん?」

「これから私が言うことは」

「お母さんをひどく傷つけてしまうかもしれない」

「でも、聞いてくれる?」

「・・・」

お母さんは立ち止まった。

そして車いすも止まる。

「当たり前じゃない」

お母さんは私を抱きしめて言った。

やっぱりあったかかった。

「私、お父さんに感謝しているの」

「私が生まれたのはお母さんとお父さんのおかげだから」

「だからね」

「お父さんにこの感謝の気持ちを伝えたいの」

私はお母さんの顔を見ることが出来なかった。

「・・・」

長い沈黙だった。

波の音だけが聞こえてきた。

「秋」

「やっぱり秋は自慢の娘よ」

「愛しているわ」

そう言ってお母さんは力強く抱きしめる。

「く、苦しいよ・・・」

それでもお母さんは私を抱きしめ続けた。

苦しいはずなのにとっても嬉しかった。


「私って色々な人のおかげで今日まで生きてきたんだなって」

「そう思うんだ」

再びお母さんが歩み始めた。

沈みかけの太陽が眩しかった。

「五月七日先生と新田さん」

「私の病気を診てくれた」

「私の看病を沢山してくれた」

「それがきっと今を作り出している」

「きっと二人が居なかったら私もうここにいないかもしれない」

「・・・」

「そう言う縁起でもないこと言わないの」

「あははは・・・」

「そうだね」

夕暮れの空気が私たちを包む。

「次は葵ちゃん」

「彼女は本当に優しい子だった」

「自分のことを投げ出しても私のことを考えてくれた」

「ごめんねって言いたいけれど」

「それを言っちゃったら葵ちゃんに失礼な気がするんだ」

「だから私はありがとうって言ったんだ」


「でも、やっぱりこの世の中で一番感謝しているのはお母さんだよ?」

気が付くと境内についていた。

もう少し進むと終君と花火を見た場所に出る。

「そうなの?」

「五月七日さんじゃないの?」

「終君には感謝もしているけれど」

「違う感情もあったから」

「・・・そっか」

「私、お母さんみたいな大人になりたいな」

「私、そんな誰かに憧れられるような人じゃないよ」

「ううん」

「もしもお母さんがお母さんを嫌いでも」

「私はお母さんが好きだし」

「尊敬しているよ」

「・・・」

「ありがとう秋」

お母さんがそう言った時だった。

「あ・・・」

お母さんが足を止めた。

そこに広がる景色が私たち二人を魅了する。

「綺麗・・・」

「綺麗だね・・・」

紫色から赤を通って黄色に収束する空。

それをちかちかと映す水面。

紫色のグラデーションの海。

そして。

海に浮かぶ鳥居。

その間にすっぽりと収まった太陽。

綺麗だった。

「ねえ、お母さん」

「何?秋」

「来年はみんなで見ようね」

「え?」

「終君と葵ちゃん」

「それから新田さん」

「みんなみんな呼んで」

「この夕日を見るの?」

「大冒険だね!」

「新田さんは見るからに体力なさそうだから」

「ここに来るまでにばてちゃうかな?」

「葵ちゃんはその点大丈夫そうだね」

「終君は・・・どうだろう」

「まあでも、そうやってみんなでワイワイやって」

「ここに来るの」

「来年は私と葵ちゃんは二十歳だから」

「お酒を飲むの」

「なれないお酒で酔っぱらって」

「それでみんな笑って」

「終君はまだ未成年だじゃら四ツ谷サイダーで我慢だよって言ったら」

「終君が怒っちゃって」

「俺も飲む!とか言い出して」

「そしたらお母さんが止めるんだよ?」

「お母さん?」

私が振り向くとお母さんは俯いていた。

「・・・お母さん」

「俯いていたら夕日が見れないじゃん?」

「ほら、すっごく綺麗だよ?」

「ええ」

「すっごく綺麗ね・・・」

「ちゃんと見てる?」

「それとも来年のために取っておいてるの?」

「来年はもっとしたいことあるんだ」

「花火大会でしょ」

「あときっと来年も高校生だから文化祭!」

「あとはあとは」

「秋・・・」

「何?お母さん」

「全部」

「全部叶うわ」

「絶対、全部叶うわ、秋・・・」

「・・・」

「そうだよ!」

「楽しみだな」

「すっごく楽しみだな・・・」

私はポケットから紙飛行機を取り出す。

神様。

私を。

そんな未来に連れて行ってくれますか?

もしも、私が。

このバッドエンドを乗り越えられるのなら。

一つだけわがまま聞いてください。

「それっ!」

私は紙飛行機を夕日に向かって飛ばす。

黒くて小さなそれは。

まっすぐ。

まっすぐに。

飛んで行った。

「・・・戻ろっか」

「ええ」

お母さんの涙は夕日ではっきり見えた。

逆光で見えないといいな。

私の涙は。


終視点


「そっち見つかった?」

葵が駆けてきた。

「終?」

俺は見つけてしまった。

他のどれよりも。

一番叶って欲しかったもの。

いや。

ここに書かれていることは全部。

その人にとって。

心からの願いだったのだろうか?

それでも―

「秋・・・」

「秋!」

「終!?」

それでも俺は。

その絵馬から目を離せなかった。

俺は。

秋の神様になんてなれなかった。

だって。

秋の最後の願いを叶えられなかったんだから。

どんなに俺が手を伸ばしても。

どんなに空が蒼くても。

どんなに俺が願っても。

どんなに秋が思っても。

運命というものは揺るがなかった。

八月一日秋の未来は。

秋が今ここにいることは。

―無かった。

「秋!秋!」

伝えたかったこと。

聞きたかった言葉。

一つも届けることも受け取ることも出来なかった。

秋。

俺は秋が大好きだった。

愛していた。

ああ―

運命はこんなに残酷で。

秋のバッドエンドはこんなにも酷いものなのか。

秋。

ごめん。

君と一緒に―

バッドエンドを迎えられなくて。

「終君とずっと一緒に居たい」

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