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第八十六夜 御船かなで


 ふみは、その後、箱の力もあってか幸せに暮らしたと聞きます。その子孫は、代々、大切に箱をまつり、名門神尾家をなしたのでした。


 それはまあそれの話です。


 一方、箱を手放した私ですが、その後も引っ切りなしにやってくる追手に悩まされておりました。なにしろ私の生き肝を手に入れようとしている連中ですから、始めから殺しにかかってくるわけです。


 そんな折、新たに戸隠とがくしの鬼退治を命じられたのは、かつて土蜘蛛つちぐもと呼ばれ、いまは御船家の端くれに加えられた者たちでした。かつての王権に背き、山里で異能を伝えてきたのです。


 今宵の語り手は里の女長おんなおさ、御船かなでより。



……とうとう来たか。


 そのうちに沙汰があろうと思うていたが、予想よりも早い。戸隠とがくしの鬼退治、本家の連中には荷が重かろうて。

 かさねの方は討ち取ったと聞くが、くずの方は千年蠱毒の場より逃げ、追手を次々と返り討ちにしておるらしい。


 御船の名をたまわったとはいえ、我らは土蜘蛛つちぐもを祖とする一族。妙に手柄を立てられては困るのだろう。それを命じてくるあたり、もう余裕がないのであろうな。


 と考え込んでいるところへ、鼻先に酒の匂いがした。目を開くと、さかずきが宙に浮かんでおり、誰もいないのにゆっくりと酒が注がれていく。安易に術を使うなというてあるに。りん、横着をするでない。そう口に出すと、どこからか悪戯いたずらっぽい声が返事をする。


おさってば、難しい顔をしちゃって。せっかくの祭りなんだから、少しくらい楽しんだらどうです?』


 いつも陽気なりんの声が、今日は特に華やいでいた。豊作を祝う祭なのだからな。楽しそうなところに可愛そうだが、言うべきことは言わねばならぬ。


『酒はいただこう。だが、術は切り札だと何度いえばわかる。非力な女子おなごと見せておけ』


『はぁい。んで、なにを考え込んでたの?』


『御船本家からの指示だ。戸隠の鬼を狩れと言うてきた。漁火いさりに行かせる』


『兄さんに……』


 声が黙りこみ、宙に浮いていたさかずきが地に落ちた。こぼれた酒が、乾いた土をとくとくと満たしていく。


『心配か?』


『いささかは。だって、戸隠の片割れは天下に比類なき美人なのでしょう? きれいなひとには弱いから』


『はは、なにかと思えばそんな心配か。戸隠の鬼は、さように甘いものではないぞ。片割れが死に、生き残った者がその異能を得た。人に倍する力と獣の如き身のこなし、くわえて人ならざる術を使うという。はたして漁火いさりでも勝てるかどうか』


『兄さんなら勝つわ。絶対に』


『そうだな。我が里きっての使い手だからの』


『ええ、あたし、呼びに行ってくる』


 ああ、頼んだよと応じて地面に落ちた盃を拾いあげると、それは、ぱきりと音を立てて割れてしまった。手に持った半分を残して、割れた盃が再び地に落ち、乾いた音を立てる。



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