↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/100

第七十五夜 稲田勝樹


 懐かしい光景が目に浮かびます。


 水の枯れた谷間に山霧が満ちみちて、上古の湖が戻ってきたように思えたものです。朝まだき、薄雲の向こうから投げかけられる日の光に美しく輝いておりました。


 水無瀬(みなせ)といい鬼無里(きなさ)という。


 地名ひとつに歴史があり、暮らしがあり、名もなき人々の想いがある。打ち寄せる山霧に洗われて、波よけの鳥居が姿を見せていた日のことを、ありありと思い出します。


 さて、文字の霊を紙上に封じ込めるようになっての幾年月(いくとしつき)。とはいえ、気紛れな者たちですから、口伝ほどでなくとも変わり続け、移り続け、騙(かた)り続けます。


 次には、戸隠異伝(とがくしいでん)についてお聞きください。語り手は稲田勝樹(いなだかつき)殿で。



……物語には必ず異伝がある。


 戸隠(とがくし)の鬼についても同じだ。呉葉(くれは)と呼ばれた娘は呪(まじな)いをよくし、自らに似せた人形(ひとがた)を作り出すことができた。あるいは戸隠の鬼は、双子の姉妹だったという伝承もある。


 姉は人に倍する怪力の持ち主で、その名をかさねという。逆に妹は姉に力を奪われたのか、生まれつき病弱で、残り滓(かす)として、くずと名付けられた。


 ただし、成長するにつれて、くずの美貌は名高く、広く知れ渡るようになった。また、床(とこ)から離れられないものの、呪術に優れ、薬師(くすし)としても人の信望を得ることとなった。姉妹の周囲に人が集まり、賑やかさを増した。


 それが不幸の始まりだ。


 いつの世でも、優れた者、世の評判を得た者は怨嗟(えんさ)の対象となる。妬(ねた)まれ、恨まれ、謂(いわ)れなき中傷を受けるのだ。


 その頃、都ではやんごとなき方の世継ぎが重い病(やまい)に伏せっていたという。その原因として化外(けがい)の民による呪いであるとか、人を集めて謀反を企んでいる、また呪術の贄(にえ)が必要だなどと理屈をつけて、戸隠の鬼も狩られることになった。


 荷駄の如き扱いで、遠く都へ運ばれていく途中で妹は死んだとも言われるし、姉の方は冷たくなった妹を抱えて山へ消えたともいう。


 一方で、姉妹は生きて都へたどり着き、貴人の寵愛を受けたとも、呪術の贄(にえ)とされたとも。先の世継ぎの病平癒(やまいへいゆ)を祈って成し遂げ、多くの褒美を得たともいう。また逆に、世継ぎを呪い殺した者こそが戸隠の鬼だとも。


 何が本当で何が嘘か、俺にはわからん。


 一説には、世継ぎの病平癒のために禁術が使われたのだという。蜘蛛(くも)、百足(むかで)、蛙、蛇などを用いての蠱毒(こどく)に代えて、人を用いての蠱毒が為されたとも伝わるが、それが事実だとすれば無道な話だ。


 人の歴史においては、記された限りであっても、とても想像がつかないような残酷で残虐で酷薄な出来事がある。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。