第五十五夜 烏丸
山では不思議のことが起こるといいます。
我々が空想で描いてみる世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い。とは、山に埋もれたる人生あることとして紹介された一文でありますが、子どもらの首を切り落とした男がその後どうしたか、何者も伝えませぬ。
異界というものは遠くて近い、ふとした切っ掛けで迷い込んでしまうものなのかもしれません。普段の考えや常識が、ぱちりと外れてしまう、それだけで。
此処で語るものたちもまた人ならざるものたちで御座います。そうした言葉を耳に入れてしまって、貴方は大丈夫なのですか? あら、大丈夫と云うのですね。
ふふ、お酒と同じく、大丈夫と云う者が大丈夫であった試しはありません。でも、まあ良いでしょう。此の世は泡沫の夢。どうぞ心地よい夢を。
今宵よりの六夜は、人ならざるものたちより。まずは貴方、高島承之助様の式鬼である烏丸の見聞きするであろう出来事です。
……へへっ、俺様は由緒ある式鬼よ。
その他大勢、有象無象の連中とは違う、名を与えられた式鬼なんだぜ。今日も主人の任務を絶賛遂行中だ。
行方しれずとなった御船龍樹とやらを探してあちらこちら。ふらふらと空を飛ぶのは気持ちいいもんだ。飛べないなんて、人間はかわいそうだねぇ。なに? 烏なんて、ゴミを漁ったり虫を食ったり、そっちの方がかわいそうだって? ばか言っちゃいけない。袋を破るまで何が入っているかわからない、あのドキドキ感。人間風情にゃわからんだろうなぁ。ミミズなんかも美味いんだぜ〜。
おっと、そんなこたぁいいんだ。
見つけたぜ〜。まさか空から見張られているとは思うまい。さあ、主人に場所を伝えてやろう。ふぅん、山頂へ向かってんだなぁ。開けた場所に出て、展望の良いところじゃねぇか。ま、人間的に言ってな。
そこで立ち止まった女を鳥居の上から見ていたんだ。しばらく動かないでいてくれるとありがてぇな。主人は学び舎を離れられないが、近くまで立花浩一とその一党が来ているらしいんだ。おっと、なんだ、若い男がえらい勢いで登ってきやがったぞ。着流し姿に狐面の、ああ、こいつが三郎か。
おお、おお、焦っちゃって、まあ。
御船龍樹を探して連れ戻しに来たみてぇだな。でも、やめといたがいいと思うがねぇ。って、ああ、ああ、言わんこっちゃねぇ。
手をつかんで連れ帰ろとしてやがるが、ほれ、頑として動かねぇでやんの。地中深く埋め込まれた角塔婆の如くよ。
ぎろりと睨まれて、軽く振りほどかれたと思えば、三郎の体が宙を舞ってるじゃねぇか。おお、おお、怖いこって。ばかだねぇ。
おっと、こりゃいけねぇ。御船龍樹と目が合っちまった。ひえ〜、怖い目をしやがる。こんな烏を睨んでどうすんだい。ここはひとつ空へ逃れて……。と思うのに体が動かねぇや。
白い腕を伸ばして、その手は遠く離れているってぇのに、俺様の体がぎりぎりと握りつぶされていくじゃねぇか。
ちっ、どじったぜ〜。主人さん、ここまでですわ。すんまへん。あーあ、最後に美味いミミズを食いた……




