第四十二夜 岸田葉介
はい、こんばんは。ようこそ参られました。
少しばかり出歯亀になってきましたが、これも黄泉がえりに必要なこと。すでに死したる鬼に見られたとて、痛痒もありますまい。
近頃は男女に限らず、BLの百合のと様々な形があるようですが、恋の話は万国共通。
いやよいやよも好きのうちなどとも言いますが、なんとも手前勝手な言葉です。西洋では、『People hate what they really love』というらしいですね。直訳すると、『人は愛する者をこそ憎悪する』となって、ちょっと怖いような言葉になりますか。
悪は善、善は悪、救いは罪、罪は救い、悲しいは嬉しい、嬉しいは悲しい、苦しいは楽しい、楽しいは苦しい、憎悪は愛、愛は憎悪。言葉だけがその境界を別つけれど、私たちはそれを確固たるものと思いたがるけれど、本当のところはどうなのでしょう。
貴方のその思いは果たして?
ふふ、引き続き、学び舎の保健室での話です。次なる語り手は松野六花に淡い思いを寄せる同級生、岸田葉介で御座います。
……持ってるだけでドキドキする。
山崎先生は本当に変わってる。はい、と言って渡されたのがコンドームだった。六花の近くに居たくて保健室へ来てることを見透かされてる。それにしたって、普通、いきなりこんなもの渡すか?
いらないのって聞かれて、思わずもらってしまった。淡い期待というか、変な期待を持っているからなのか。セックスだけが好きってことじゃないし、抱きたいだけが愛じゃないと思うのに。いや、抱いたことなんてないけど。
保健室のベッドはそのためにあるのよ、なんて意味深なことを言って先生はどこかへ行ってしまった。
いま六花が来たらどうしよう。何事もないように話せる自信がない。だから、保健室へ入ってくる人の気配がした時、思わず息を潜めてしまったんだ。
シーツにくるまって、カーテンの向こうから聞こえる声が自然と耳に入ってきた。結果的に盗み聞きをすることになってしまい、出るに出られない。
少し怒ったような突き放すような声で話しているのは加藤先輩だ。鬼と関わりがあるとウワサの加藤佳乃さん。そうすると、話している相手は浩二さんか久美ちゃんだろう。話の内容からは、加藤先輩が浩二さんと二人で話をしているように思える。
『どうしてそれほどに、わたくしのことを気にかけてくれるのですか。あなたには昔の記憶が無いのでしょう?』
『せやな、温州蜜柑とか言われてもピンと来やんわ』
『鬼に狙われているのはわたくしです。あなたは、いつでもここを出て久美さんとともに家族のもとへ戻るべきです』
『そうなんやけど。なんやこう放っておけへんっちゅうか、気になるっちゅうか』
『はぁ……。わたくしは、当面、学び舎の外へ出るつもりはありません。橋姫の結界の中にいる限り安全で、なにより人様に迷惑をかけることもないのですから』
『そんなん、つまらんやんか。赤福も食べに出られへんのやぞ』
『差し入れてくれたら、それで結構です。寮舎で食べようと外で食べようと同じでしょ』
『えぇー? んなこたぁないで。そりゃあ、外で、おかげ横丁の風と人と、赤い床机とお茶と空と川の音と全部ひっくるめての赤福や』
『赤福のことはいいんです。本当に、なぜそんなに気にかけるのです?』
『なぜって、わてはおまんのことが……。って、くだらん理由もあるわな。うっさい、いろいろ、いろいろや! おまん、本当は外へも出たいんやろ?』
『それは、叶うことなら。でも……』
『ええやないか、外へ出ても。浩一兄ちゃんも見守ってくれとるし、わてと二人なら、なんとかなるわ』
『そう、かしら?』
『そやそや』
『……ありがとう』
『ちょ、おま、泣くなて』
『泣いてません! まったく、記憶が戻らなくても、やっぱりあなたはお人好しのバカね。
式神でもなく、鬼でもなく、人でもない。葛葉様にも五郎様にも迷惑をかけただけ。生まれ変わったとて、こんな女、相手にする価値はない。いや、ただの女ならばまだしも、わたくしは死したるもの、鬼の娘ですよ。夜伽の相手にすらならない』
『んなこたぁない。あ、いや、夜伽がどうとかじゃなくて……』
『ふん、寝床に忍び込んで来ようものなら、噛み千切られても知りませんよ』
『こわ、怖いわぁ。って、そうやない。もうじきおかげ横丁で猫祭りがあるんや。とりあえず、それ行ってみるか?』
『猫……。ねぇ、ジジのこと覚えてる? そう、それも忘れてしまっているのね。いいわ、行きましょう、猫祭り』
と話し終えた二人が出て行って、ようやくベッドから出ることができた。保健室の窓の向こう、横丁のあちこちに猫の飾り物が見えていた。夕暮れ空の下で赤く映えて。
OKしてくれるかどうかわからないけど、僕もとにかく六花を誘ってみよう。お二人も仲良くおかげ横丁デートに行けますように。




