第二十八夜 松野幸恵
毎夜毎夜、本宮、奥宮、結社と参られるのも大変でしょう。水の神と、苔むす岩の神とが祀られているというのも風情のあってよいものですがね。
自らが辛い思いをしながらも、人に良縁を授けようという磐長姫の優しさが偲ばれます。
いつかあるかもしれぬ物語において、立花浩二、加藤佳乃、新美まやの三人は、五十鈴川駅へ降り立つようですよ。
神宮参拝の折、外宮と内宮だけで済ませてしまう方が多いようですが、実は、この駅近くに月讀宮があり、天照大御神の弟である月の神が祀られているのです。
輝かしい日の光と違い、静かに夜を照らす月の光は優しく、さやけき影との美しい言葉がよく似合います。
さて、その宮を参り、帰りがけに立花浩二らの姿を見かけた松野幸恵の語りです。学び舎とも関わりがあるようですが。
……いけないねぇ。
雑な術を使ってるじゃないか。誰だろう。ちゃんとした師につかず、順序も踏まず、がむしゃらに学んだんだねぇ。
独学の術には荒さが出る。でも、それがまた良い味を出すもんだ。いつかこなれてきた時にはさ。こいつはまだまだだ。
五十鈴川駅から出てきたのは、学び舎の連中だね。立花浩二と加藤佳乃か。あともう一人、見かけない女がいるが、おお、おお、慌てちまってまあ。式鬼が見えてるんだね。半端に見えるくらいなら、なにも見えないほうが気楽でいいよねぇ。
あれは電車のあとを追ってきたんだろう。荒々しい見た目ほどには忌まわしいものでもない。黒い襤褸の奥から突き出た片腕と包丁と。その程度しか姿を示せない弱い式鬼か。御船のものではないし、佳乃を狙っているとしたら、誰の手になるものだろう。
だが、あの程度であれば助けてやることもあるまいて。浩二と佳乃がなんとかするだろう。それぞれ、もとは御霊たる温州蜜柑、古き式神の佳乃であったのだからねぇ。力も記憶も抜け落ちているようだが、あの式鬼はつきまとうだけで何をしようでもない。大丈夫だろうさ。
それよりも、誰の手になるものか。その方が気になるねぇ。いまの御時世にあんなものを使うのは、御船一族か隠れ斎王か、あと一人、野良の術士がいたっけ。浩二の兄、立花浩一か。洗練されたものでない荒々しさは、あやつの術かもしれないねぇ。
おや、佳乃が式鬼を睨んでいるじゃないか。しつこくつきまとわれて腹が立ってきたのかね。小枝を拾って、それで、ははっ、ひと撫でかい。防ごうと持ち上げた包丁ごと、ただの小枝で真っ二つだ。あれが戸隠の鬼から受け継いだ力か。怖い力だねぇ。木っ端の式鬼程度じゃ、相手にもならない。
だが、これはなんだね。霧散した式鬼の瘴気と佳乃の力に喚ばれたか。暗雲立ち込める中、神鳴りとともに大粒の雨が落ち始めた。よくない、よくないよ。
別の鬼が来る。
こいつは式鬼なんかじゃない。十七年前と同じ、いや、それ以上に忌まわしく強力な鬼が来ようとしている。
雲を裂いて、巨大な白い手が伸びて……。
それが佳乃を捉えて持ち去ろうとした瞬間のこと。ははっ、佳乃め、鬼の手にガブリと噛みついたじゃないか。愉快だねぇ。思わず放しちまったのか、痛みに震えるようにして鬼の腕が引っ込んでいったよ。
あの様子じゃ、しばらく来ることはないだろう。学び舎まで戻れば、自分らで利政や美藝、高島らに相談するかね。一応、利政にだけは伝えておいてやるか。