第二十七夜 新美まや
もうひと月近くが経ちましたね。そろそろ世間はお盆の時期ですか。迎え火、送り火、精霊馬に盆踊り、精霊流しやら灯籠流し、いまも続いているのでしょうか。
そう、廃れつつあるのですね。時代の流れに棹差すこともできますまいが、悲しいことです。
連綿と紡がれてきた技も心も失われていく。知識だけが残り、知恵は失われていくのです。脳を分析し、機械に心を与え、臓器を取り替え、寿命を伸ばし、生命を加工し、月に足跡をつけ、無機質な金属に託して宇宙にメッセージを送ろうと、内側の世界をカケラも理解できずにどうして豊かに生きていくことができましょう。ありもしない死を思いながら。
人の心の大半を乾いた言葉が占めるようになり、知恵は失われた。水とともに真の言葉はどこかへ消えてしまったのです。答えを求めて人は弱くなった。そう、私も、貴方も。
言葉を生む舌ひとつで、人は生きもし、死にもする。天児と呼ばれ、佳乃と呼ばれる者を知るのは誰か。幼いころ、そば近くで彼女を見守った新美まやの語る話です。その舌は真実を語るや否や?
……いやもうびっくりしました。
お嬢さまをこんなところで見かけるなんて。私の目は節穴だけど、見間違いなんかじゃないです。幼いころからおそばに仕えて、クビになるまでずっと一緒だったんだから。
それに、あの角。
絶対に間違いない。家族みな亡くなられ、お嬢さまも亡くなったと聞いてました。でも、うわさなんて当てにならないのです。一緒におられるのはお付きの方かしら。
わわっ、後ろに何かおかしなものが。お嬢さま、見えてますよね。どうして逃げないんです? どうしてそんな警戒した目で私を見るのです? 私のことなど覚えてないのですか。まやは悲しいです。
で、誰です? あなた?
立花浩二さんというのですか。お嬢さまのお付きの方ですよね。え、違う? って、そんなことより、化け物が後ろにいるんです。お嬢さま、早く逃げてください。
あ、危ない! 包丁みたいなものを振りかざしてます。お嬢さま、早く、早く、こちらへ。電車に乗ってください。ふぅ、間に合いました。ちょうど出発ですね。みてください、さっきの黒い化け物はお嬢さまを見失ったんでしょうか。ホームをうろうろしてますね。
とりあえず安心です。
ん? えと、立花さんでしたか、佳乃お嬢さまの様子がおかしいんですけど、どういうことですか。聡明で優雅で美しいお嬢さまが、どうしてこんな寝巻きみたいな格好でロングシートにちょこんと座って、わくわく感満載で外の景色を眺めているんです?
こちら加藤佳乃様で間違いないですよね。
加藤かどうかは知らない? ただ、名前は佳乃で間違いないと。やっぱり、お嬢さまだ。私? 私ですか。ふふん、よくぞ聞いてくれました。私こそは、幼少のみぎり、佳乃お嬢さまを、時に姉代わり、時に母代わりとなって愛情たっぷりに育てあげた加藤家の家政婦、新美まやさんですよ。お嬢さま、こんなに美しい女性になられて。しかし、なんですか、中身が小学生か幼稚園児みたいな感じがします。
これはやはり、私がクビになった後、なにかあったのですね。それはあなたも知らないのですか。私が知ってること? どうですかね。お嬢さまではなく、ご家族の様子がおかしかったことくらいです。
なんだか人が変わったみたいになって。自分の頭がおかしくなったのかと思いましたよ。加藤家で家政婦をするようになって、いろいろとおかしなものが見えるようになってたんです。お嬢さまの額には角が見えましたし、時々、ふわふわと変なものが浮かんでいたり。
でも、そんなことも気にならないくらい、佳乃お嬢さまは愛らしくあたたかく。変なものと楽しく話をされていたり、時には、ぺちんと叩いてそれを追い払ったりされてました。
おかしなものであっても、おかしなことが起こっても、お嬢さまのそばにいる限り、怖いようなことはなかったんです。人間は面白いもので、なんにでも慣れちゃうんですね。
でも、しょせんは家政婦ですから、クビにされてしまえばそこまで。ずっと気になってたんです。神宮参拝に来てお嬢さまとお会いできるなんて幸せです。
で、どうしてお嬢さまが幼児退行しているんです? あ、五十鈴川駅に着きますよ。降りてからゆっくり聞かせてください。