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おんせん

 僕たちは、枯山水の庭を抜けて、16畳くらいの木造の広間に通されました。

 部屋の中央には、ソファーとテーブルがあります。天井は僕を3人縦に重ねたくらいの高さです。壁には間接照明のランプが等間隔に並んでいます。


「よっこいせ」


 ディエスさんはリコリスさんをソファーにどすんと寝かせました。


「あー、おもかった……」


 リコリスさんはぱちくりと瞬きして、飛び起きます。


「あれ? 怪物はどこにいった?」


 リコリスさんは左右を確認して、ほっと一息つきました。


「もしかして、あたしに恐れをなして逃げたのか?」

「さあ。まだ近くにいるかもよ」

「なにぃ!」


 リコリスさんは、すばやくソファの影に隠れます。


   *


「うみゃ? なんだろう、あれ?」


 メディアちゃんは部屋の端まで駆けていき、暖簾をつんつんしています。


「そっちはおんせんだよー。……ここのおんせんは、あんまり匂いがしないほうらしいよー?」

「おんせん? これ、おんせんっていうの?」

「ちがうよー、その中にあるんだよー。地面から沸いた、あたたかいお湯のことだよー」

「そうなんだ!」


 シルクさんは僕の背中に手を回してきます。


「こずえさん、みんなで温泉に入ってみるー? せっかくだから浴衣も着てみてよー」

「は、はい。ありがとうございます。でも、僕たち、おたからをさがさないといけないので、また今度でもいいですか?」

「わかったよー。でも、お風呂には入っていきなよー。さっぱりするよー」

「え、えっと……ひえっ」


 突然、メディアちゃんが僕のところまですっとんで来ました。

 目をきらきらさせています。


「どうしたの、メディアちゃん」

「ねえねえ、こずえちゃん。おんせんって、なんだか面白そうだよ。ボク、見てみたいなー。ねえねえ、ちょっとだけ、寄り道していこうよ!」

「わかったよ、メディアちゃん。じゃあ、お言葉に甘えて、おんせんだけでも入っていこうかと……。すみません、シルクさん。お邪魔します」

「はいよー。荷物はフロントで預かるよー」


   *


 僕たちは脱衣所に案内されました。

 遅れて、リコリスさんを小脇に抱えたディエスさんがやってきます。

 脱衣所は、腕を広げた僕が3人入るくらいの横幅があり、同じように腕を広げた僕が5人入るくらいの奥行きがあります。天井は見たところ檜造りのようです。

 乾いた薄紫色のカーペットが敷かれています。


「こっちは狐の湯浴場だよー。肩までゆっくり浸かってねー」

「はい!」


 シルクさんからバスタオルとミニタオル一式を受け取ります。するすると服を脱いで、編みかごにしまい、そそくさとバスタオルを身体に巻きました。


「あれっ? こずえちゃん、毛皮は?」

「毛皮……服のことかな? むぎわらぼうしみたいに、取れるんだよ」

「へぇー、取れるんだ! ……どうやって?」


 メディアちゃんは毛皮をぐいぐいと引っ張っています。


「わぁっ、待ってメディアちゃん、服が破けちゃうよ!」


   *


「リコリスさん、服は脱いでねー」

「ふく?」

「毛皮のことだよー。むかし、教えてもらったんだー」

「なぬっ、毛皮を?」


 リコリスさんは、ディエスさんとシルクさんに服を脱ぐのを手伝ってもらっています。リコリスさんの身体の半分ほどある大きなスコップは、壁に立てかけられていました。


「なあ、じっとしてくれって。こんがらがっちまうよ」

「動いたら絡まっちゃうよー」

「ぐぬぬ……うまくいかないのだ」

「まあまあ、すぐになれるさー。リコリスさん、手先が器用そうだからねー」


   *


 僕はメディアちゃんの服を折りたたんで、かごにしまいます。


「うー、さむいよ!」


 小さく震えるメディアちゃんにバスタオルを巻きました。


「どうかな?」

「ありがとう、こずえちゃん。変わった毛皮だね」


 シルクさんは獣耳をぴこぴこと動かしながら、ドアを開きます。


「おんせんはあったかいよー」

「おんせんに、しゅっぱーつ!」

「うん」


 浴場は脱衣所よりも一回り大きな空間です。檜で仕切られた大きな長方形の浴槽は浴場全体の半分くらいの大きさがあります。また、大きな浴槽とは別に、入口近くには、石で造られた小さな正方形の浴槽が見えます。

 浴槽奥の花壇越しにはガラスが張られ、ガラス奥には地下水の溜まった空洞が広がっています。

 浴槽の反対側にはシャワー一式と風呂桶、椿油や蝋のトリートメントと豆乳ボディーソープが備え付けられていました。入り口付近の水風呂の傍には、シャワー用の座椅子が重ねられています。


「おっきーい! でも、どれから入ればいいんだろう……。この、ちっちゃいのから入るのかな?」

「えっ」

 メディアちゃんはすでにジャンプしていました。

「跳んだらあぶないよー」

「ええっ、はやく言ってよ!」

「ごめんねー」

 メディアちゃんは、入口近くにある浴槽にちゃぽんと入ります。

「うみゃっ! つ、つめたーい!」

「そっちは水風呂だよー」

「うわぁ、メディアちゃん! 待ってて!」


   *


 メディアちゃんの身体にあたたかいシャワーを浴びせます。

「ボク、びっくりしたよ……」

「き、気をつけようね……」


 メディアちゃんの髪の毛をごしごしと泡立てます。不思議とほとんど汚れていないので、どんどんあわ立ちます。

「あめめは、ぎゅっと閉じていてね。かゆいところはないかな?」

「ないよ!」


 戸が開き、服……毛皮を着たままのシルクさんが浴場に入ってきました。

 メディアちゃんは、目をぎゅっと閉じたまま、獣耳を傾けます。


「誰か入ってきた! うーん、シルクの足音かな?」

「あたりー」

「シルクも温泉に入るんだね」

「いやー、入っても足で浸かるくらいかなー。ちょっと気になる磁場を感じてねー。見回りに行ってたんだよー。ここ最近、おおきな怪物さんを見かけるから、心配でねー」

「ええっ、ここにも怪物が出るの?」

「そうだよー」

「メディアちゃん、お湯で流すよ?」

「う、うみゃ……」


 お湯でさっぱりとしたメディアちゃんは、ぷるぷると身を震わせて水滴をとばしました。


「じゃあ、次は身体を洗うよ? あと……シルクさん。怪物さんのこと、詳しく教えてくれませんか?」

「いいよー。でも、いまはゆっくりしなよー。ここはまだ安全だからねー。わたしがちゃんと外を見張っておくからさー」

「はい。ありがとうございます……」


   *


「ぐぬぬぬぬ……目がちくちくするぅ……」

「リコリスさん、じっとしてよー。目をあけたらだめだってー。それにー、目を弄ったら、余計にちくちくしちゃうよー?」

「あたしが押さえておくから、今のうちに洗ってくれ」

「はいよー。リコリスさん、髪の毛長いねー。しっぽみたいだよー。さらさらー」

 シルクさんは、リコリスさんのヘアリボンを解いた長髪を、丁寧に手もみしてトリートメントを馴染ませていきます。


   *


 メディアちゃんをくまなく洗った後、今度はメディアちゃんに僕の全身を洗い流してもらいます。僕たちがシャワーを終えたころには、リコリスさんとディエスさんもシャワーを終えていました。


「ぷはぁ~」

 リコリスさんは大浴場で背をもたれています。

「シルクの尻尾はもふもふなのだ」

 シルクさんは足だけ浸かりながら、リコリスさんの頬を尻尾でぽんぽんします。


 温泉のお湯をメディアちゃんの身体にかけてあげます。折りたたんだタオルを頭に乗せて、大浴場へ一緒にゆっくりと入ります。少し震えていたメディアちゃんは、肩まで漬かると、すっかりと安心したように、目をとろんとさせました。

「あったかいね、こずえちゃん!」

「うん。ちょっと、ぬるぬるしているみたい。お肌がつるつるになるかも?」

 狐の湯はほんのりと白色がかっています。掌でお湯をすくってみると、指の間からするすると抜けていきました。


 ディエスさんは源泉の近くで半分目を閉じています。

「そこまできつい匂いはしないな。……どこかに成分表はないかな?」

「むかし、ここに来た物知りなお客さんに教えてもらったんだけどー、成分表なら、おんせん入口のかんばんに書いてあるよー。効能はー、美容とかー、リウマチ……関節痛? とかに、効くらしいねー。それとー、狐の湯も絹の湯も、源泉は同じだよー」

「シルクは、物知りだな!」

「わたしは読んでもらっただけだよー。むずかしい文字は読めないからねー」

「それでも、シルクが覚えているのはすごいと思うのだ」

「そっかー。ありがとー。リコリスさんはやさしいなー」


 シルクさんはリコリスさんの獣耳を手でマッサージしています。


「ええっと……その物知りなお客さんって、もしかして、リコリスさんが見つけた、おたからのちずを書いた方でしょうか」


 シルクさんは、ちらりと天井を見上げてから、黄色い瞳を向けてきました。


「そうかもねー。まあ、けっこう昔のはなしなんだけどー。その、おたからっていうのはー、たぶん、おうごんのりんごのことだと思うよー。ものしりなお客さんも探していたんだー。そのお客さんは光るりんごっていっていたけれど、同じものなんじゃないかなー」


 シルクさんは、うんと背伸びをしました。


「うーん。地図のメモには、おうごんのりんごって書いてあったんだよな。だったら、どうして光るりんごなんて言い方をしたんだろう……」

 ディエスさんは、何か考えごとをしている様子です。

「おたからのちずを書いた方とは、別のお客さんなのかもしれません」

「その可能性もある。けど、あたしもよく知らない代物の情報を持っている時点で、同一人物と考えるべきだと思うんだ。もしかしたら、おうごんのりんごは、わざわざ言い方を変えなければいけないくらい貴重な品ってことかもしれない。なんだか、きな臭くなってきたな……」

「ディエスさんでも知らなかった情報をもっている方……。いったい、どんな方なんでしょう。……ちずのメモを読む限り、トラップを仕掛けるような変わりものですけれど、悪い方ではないと思います」

「トラップ、か……」

「おうごんのりんごが僕の考える以上に貴重なものだとしたら、そのぶん、ディエスさんの研究がはかどるかもしれません。いまは、前向きに考えましょう」

「そうだな。こずえの言うとおりだ」


「ぬくといよー」

 すっかりとくつろいでいるリコリスさんは、シルクさんのふさふさのしっぽにしがみついています。


「それで、おたからは、どんなものなのだ?」

「あまくておいしい、ぴかぴかと光るりんごだよー」

「なぬっ。たべたことがあるのか?」

「まあねー」

「それじゃあ、」もうおたからは残ってないのか……?」

「まあまあ、おちついてー。おうごんのりんごは、ひとつじゃないんだからー」

「……? わからなくなってきたのだ……?」

「ここ、ちていいせきの奥に、一本、おうごんのりんごの木が生えていてー、ときどき実るんだよー。ただ、むかしは、その木と一緒に、りんごの木がたくさん生えていたんだけどー、怪物が出るようになってから、ぜんぶなくなっちゃったんだー」

「ええっ、全部ですか?」

「ひどいや……」


 メディアちゃんは獣耳を、ぺたん、とさせました。僕にぴっとりとくっついて、しっぽを手首に巻きつけてきます。頭を撫でてあげると、ごろごろと喉を鳴らして甘えてきました。


「でも、おうごんのりんごだけは残っているんだー。お客さんと怪物を捕まえるためのわなをしかけたしー、わたしが抜け道を通ってちょくちょく見張っているからねー。ものしりなお客さんは、怪物さんをつかまえるためにー」

「トラップ……わなを仕掛けたんですね」

「そうみたいだねー。わたしたちをまもるためでもあるみたいだよー」


 シルクさんの説明を聴いたディエスさんは、神妙な面持ちになりました。

「守る……クジャクデマの関係か? わからん……」

「クジャクデマ……? ジャックさんと何か関係があるんですか?」

「ん、ジャックって誰だい?」

「ヒトのすがたをしていない、さすらいのクジャクさんです」

「へえ、知らない子だね。それで、クジャクデマっていうのはね……ちょっとショッキングな話だけど、それでもいいかい?」


「ええっと……」

「うみゃ?」


 メディアちゃんのほうをちらりと見ると、こくりと頷きました。


「はい。お願いします」


「クジャクデマっていうのは、ニジイロチョウと勘違いされて、クジャクが教われる事件のことだ。ヒトが、ハネがほしいばかりにね」


 おんせんに浸かっているのに、背筋が凍るような感覚がしました。


「えっ、ヒト? こずえちゃんと同じヒトが、そんなことするはずないよ!」

「そんな……どうして……」

メディアちゃんの左頬が、自然と僕の左頬に寄せられます。

「情報が絞られている中で、虹色の羽が生き残るために必要だというあいまいなウワサが爆発的に広まったことが原因だと考えられている。ウワサの出所は……よくわからん」


 記憶をなくす前の僕は、何か悪いことをしてしまったのでしょうか。

 でも、不思議といろいろな知識は頭の中にあります。

 もしかして、僕は、記憶をなくしたわけではないのでしょうか。

 ……よくわかりません。


「昔の話だ、気にするな」

「きっと、たまたま、その子がいたずらしただけだよ。こずえちゃんは、そんなことする子じゃないもん。そうだよね、こずえちゃん!」

「……うん」


「……続けてくれ」

「はいよー。それからー、たしか……。ものしりなお客さんは、わたしに、わなの場所を教えてくれたけどー、もう、わながどこにあるか忘れちゃったよー。ふだん、わたしが通らない道だったのは覚えているけれど、口頭だからねー。ひとつ実際に見せてもらって覚えているのは、けっこうおおがかりなものだったような気がするよー。どんなのだったかなー? わすれちゃったよー。……んー?」


 ディエスさんがリコリスさんのほうに親指を立てています……?


「ぐぬぬ……」

「うみゃあ。こずえちゃん、リコリスがなんか変だよ? 赤くなってる!」

「えっ」

 

 見てわかるくらいに、リコリスさんが火照っています。


「あの……。リコリスさん、だいじょうぶですか……?」

「な、なんだか、あたまがくらくらしてきたのだ」

「それって……のぼせてしまったのでは?」


 ディエスさんはリコリスさんに近づき、おでこに手をあてがいました。


「見たとおり、のぼせているな。ほどよく冷やしてやったほうがいい」

「引き上げましょう」

「まあまあ、こずえさん。ここは、わたしにまかせてよー。リコリスさーん、のぼせちゃってるから、いっかい、上がろー。ほいっと」


 シルクさんは、しっぽの力だけで、リコリスさんを引き上げました、

「リコリスさーん、きをつけようねー」

 シルクさんはリコリスさんを両腕で抱きかかえます。それから、ふさふさのしっぽの先を水風呂に浸して、ぺたりと額にあてました。


「リコリス、赤くなくなっていくよ!」

 遠目に見ても、リコリスさんの顔色が戻ってきたので、ほっとしました。

「うん……だいじょうぶそうだね」


「ひんやりするのだ」

「そうだねー。……とまあ、これが、おうごんのりんごについて、わたしが知っていることだよー」

「そんな大切なもの、僕たちがいただくわけには……」

「まあ、それでも食べられちゃうときは食べられちゃうんだけどねー」

「ええっ! もしかして、もう……」


「いやいやー。ほかのりんごの木と違って、あの木はがんじょうみたいでねー。怪物がぶつかっても折れないみたいだし、実がなくなってから、しばらくすると、また実が成るみたいだよー。だから、怪物さんに渡すくらいなら、もっていきないよー」


 僕とメディアちゃんは顔を見合わせました。


「いいんですか?」

「いいよー」

「ありがとうございます、シルクさん!」

「ありがとう、シルク!」

「たくさんおしゃべりしたら、お腹が空いてきたよ……」

「キャンパスさんにお弁当をもらったから、みんなで食べようか」


 次回、第3章 第1節「きけんなわな」。

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