嘆きの怪物(なげきのかいぶつ)・下
力いっぱい息を吸い込みたいところですが、ガスが充満していて、そうもいきません。
「ねえ、ディエス。ニジイロチョウの羽、持ってない?」
「えっと……まだあったかな」
ディエスさんが胸のポケットを漁りますが、見つからないようです。
「くっ、なんたってこんなときに……。こずえはニジイロチョウの羽を持ってないのか?」
「あ、あの……すみません。もう、全部使ってしまいました……」
「じゃあ、りんごの料理は?」
「うみゃあん……。おべんとうも、もう食べちゃったよ……」
「なあ、シルク。りんごとか、りんごが入った料理とかはないのか」
「ごめんねー。ここには、お水ときつねうどんくらいしかないよー」
「りんごの木はあるか?」
「このあたりで採れるりんごといえば、おうごんのりんごくらいだからねー。でも、ここからだと、けっこう歩くよー」
「そんな……」
メディアちゃんとディエスさんは顔を見合わせました。
「ねえディエス、なんとかならない?」
「そ、そう言われても……待て、考えるから!」
「お願い!」
メディアちゃんの心臓の音が、だんだん早くなっていきます。
「そ、そうだ、りんごだ。リコリスがおうごんのりんごをもっているじゃないか」
「ふえっ」
リコリスさんがすっとんきょうな声を上げました。
「まかされ……あれ?」
リコリスさんはポケットの中をごそごそと探っています。
「おい、まさか」
「お、おたからを、落としてしまったみたいだ……」
「どこで!」
鬼気迫るディエスさんに、リコリスさんは小さくなってしまいます。
「ごめんなさい! わ、わかんないのだ……。でも、たしかにここに……あっ! あいつ!」
丸い水色の小さな液体怪物が、おうごんのりんごを取り込んで、地面を這っていました。
「あいつか!」
こちらに気づいた怪物さんは、こぶし大ほどの壁の割れ目に逃げ込んでしまいます。
「げっ。こんなところ、あたしらじゃ入れないじゃねえか」
メディアちゃんは、僕を抱えたまま、壁に近づいていきます。
「これくらいのかべ、ボクがやっつけちゃうよ!」
「ま、待って、メディアちゃん。下手に壁を壊したら、遺跡が崩れちゃうかもしれないよ? おんせんりょかんの辺りの壁は、もろくなってきているらしいから」
「そうだよー」
メディアちゃんは爪を引っ込めて、うなだれました。お耳としっぽも、へなり、と倒れて、しょんぼりしているのがわかります。
「ううー……。でも、こずえちゃんがー!」
「僕はまだ平気だから、落ち着こう。ね? ……メディアちゃん?」
ぽたぽたと、僕の額に熱いものが零れ落ちてきます。
「メディアちゃん……」
「……うん」
メディアちゃんの目を指先で拭ってあげます。
リコリスさんは、スコップを肩に担ぎました。
「なあ! おたから……おうごんのりんごがあればいいんだろう? だったら、まだ実っているから、はやく採りにいこう!」
「よし、いくぞ。今すぐいくぞ」
ふと、シルクさんが天井を見上げます。メディアちゃんは、獣耳をぴくぴくと動かしています。
「んー? 上のほうに、なにかいるよー。もしかして、さっきの怪物かなー?」
「うん……。上のほうから、なんだか変な音がするよ……?」
「音?」
「なにか、転がってくるような……」
「えっ」
ディエスさんは足を止めました。リコリスさんも振り返ります。
「どうしよう。怪物が転がって来てるのかも。さっき、見つかっちゃったから……」
「なぬっ、ここに怪物が来たら、おんせんを壊されてしまうのではないか?」
リコリスさんは小首を傾げました。
「んー。ここはいつもなら、あまり怪物は来ないなはずなんだけどなー。それに、この進路は……よくないねー」
「ええー、そんなあ! どうしよう!」
メディアちゃんの問いかけに、シルクさんはおんせんの入口を指差します。
「壁が壊れるだけなら直せるけど、中にあるパイプとか更衣室とかの設備は、そこまで頑丈ではないし、かんたんには直せないんだー。それと、もし怪物が中に入ってきたら、ぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれないよー」
「ねえ、シルク。いつもはどうやって怪物を追い払っているの?」
「いつもなら、1体くらいしか来ないから、わたしがみなさんに見せた影絵で脅かして追い返しているんだよー。それでもうまくいかないときは、入口だけでも死守することにしているよー」
「そうなんだ……。なら、ボクたちでおんせんの入口を守らなきゃ!」
「だけど、こんなにたくさん怪物に来られたら、ひとたまりもないかもねー。どうしよー」
「うみゃあん……それでも、守らないと、おんせんがなくなっちゃう……。でも、こずえちゃんも守らないといけないし、ううー、どうしよう!」
ディエスさんは困ったようすで、後ろ頭をかきました。
「こずえがこんな状態なんだ。悪いが、あんな奴ら相手にしてられるか」
「そ、そうだけど……」
「助かる見込みがある以上、人命救助が最優先だ。時間がない。悪いが、シルクに案内してもらって、さっさと、おうごんのりんごを採りに行くぞ」
「んー。しょうがないかー」
メディアちゃんのしっぽが、へなりと地面に垂れました。
「うう……。ごめんね、シルク」
「いいよー。こずえさんのほうが大事だよー」
メディアちゃん、ディエスさん、リコリスさん、シルクさん。
みんな、僕のことを心配してくれています。
……僕がしっかりしなきゃ。
「こ、こずえちゃん?」
僕は地面を踏みしめて、気合で立ち上がります。
ちょっとふらふらしますが、まだ……少しくらいなら、平気です。
「リコリスさん、シルクさん。おうごんのりんごがあるところは、どっちの方向ですか?」
「こっちにあったよ!」
「そうだねー」
リコリスさんは下り坂になっているほうをスコップで指しました。
「おうごんのりんごが見つかった場所は、行き止まりでしたか?」
「ん? 確か、そうだったはずだけど?」
「でも、抜け道があるよー。いちばん近い道を通ると、わながあるから気をつけようねー」
おんせんりょかん前の通路は3方向に伸びています。
怪物さんは、おんせんりょかん入口に向かって左後方の上り坂になっている通路から、おうごんのりんごは、おんせんりょかん入口から正面の下り坂の奥にあります。おんせんりょかん入口に向かって右は、なだらかな下り坂になっているようです。
「……わかりました。僕とメディアちゃんとディエスさんで、怪物さんを食い止めます。その間に、リコリスさんはシルクさんと一緒に、おうごんのりんごを採ってきてください。おうごんのりんごがある場所は、シルクさんがご存知ですし、シルクさんは磁場を感じ取って怪物さんの位置がわかると思います。リコリスさんは、もし怪物と出会わせたら、倒さなくてもいいので、スコップで追い払ってください。すみません……お願いできますか?」
「任せとけ!」
「わかったよー」
リコリスさんとシルクさんは、足早に駆けていきました。
「ええー……」
ディエスさんは、頭を抱えています。
「すみません、ディエスさん……僕に作戦があるんです。実は……」
「うみゃっ!」
ぽかんとするディエスさんを遮るようにして、メディアちゃんがとびこんできました。
「うわぁ! メディアちゃん?」
「ボクはこずえちゃんを守る! ボクの後ろに隠れてて!」
「うん……わかったよ。ねえ、メディアちゃん、上のほうからする音がどんな感じかわかる?」
「うーんと……さっき見た怪物がたくさん転がる音……かな?」
「どれくらい近くにいるかな?」
「けっこう近いかも? 緑茶が3回できるくらい時間がたったら、ここに着くと思うよ。あと、なんだかへんなニオイがする」
「におい?」
「うん。まちでやっつけた怪物のニオイと、あと、なんだろう? キャンパスのところにあった、さらだおいる? みたいな……でも、なんかちがう」
それって、もしかして……。怪物さんの特徴と関係しているのでしょうか。
「……わかった。ありがとう、メディアちゃん」
3分くらいで来るということは、綿密に戦略を立てる時間はなさそうです。
「メディアちゃん、ちょっといいかな?」
「うみゃ?」
「ディエスさんも近くに来てください」
「どれどれ……?」
「まず、メディアちゃんは、これを、こうして……」
「……うん。うん? えっ、いいの? ……うん」
「……ええー」
僕はメディアちゃんにポーチを預けました。
「ちょっと危ないけど、怪物さんが集まってきたら使ってね」
「よくわかんないけど、わかった!」
うーん。だいじょうぶでしょうか……?
「それから、ディエスさん。これを持っておいて下さい」
「何だ、これ? ……ああ、なるほど」
「落とさないように、内ポケットなどに入れておいて下さい」
「んー? わかった」
メディアちゃんは僕の背後で屈伸運動をしています。
「怪物さんを引き付けたら、メディアちゃんが、いま説明した通りに動きます。そしたら、その場から離れて、危なそうなら、これを使って下さい」
「ほーん。……これを使えばいいんだな? おもしろい」
「はい。お願いします!」
ディエスさんは小さくまばたきして、横曲げの運動をはじめました。
メディアちゃんは床で爪とぎをしています。
「でも、効くのか、それ?」
「僕の考えが確かなら、効くはずです! ……たぶん」
たぶん……これで、なんとかなると思います。
なんとかならなかったら、その時は、僕が……。
「でも、この作戦が必ずうまくいくとは限りません。そこで、怪物さんたちに帰ってもらう別の方法も考えてあります。まず、怪物さんの進路ですが、怪物さんは僕たちがいるところに向かってくるみたいですので、おんせんから離れれば、おんせんは守れると思います」
「なら、わざわざ怪物を返り討ちにしなくても、あたしらが逃げて回っていれば、おんせんに被害は出ないんじゃないのか?」
「怪物さんは上のほうから転がってきています。前に見た怪物さんの速度だと、おんせんの中まで入ってきてしまうかもしれません」
「うーん、そうかな……」
「それに、僕たちがみんなでおうごんのりんごのところに逃げ込んだとしたら、怪物さんと壁の間に挟まれてしまうかもしれません。そこで、僕たちがここで怪物さんの足止めをします。怪物さんを返り討ちにするのは難しいので、怪物さんがおんせんやリコリスさんとシルクさんのほうへいかないように、誰もいない下り坂へと転がしてしまいましょう!」
狭い通路で待ち伏せする方法も考えましたが、怪物さんはメディアちゃんをふきとばしような勢いで転がってくるので、難しいです。そこで、怪物さんの勢いを利用して、誰もいない下り坂のほうへと転がそうという作戦です。
……怪物さんは、ちゃんと下に転がってはくれないかもしれないですが、それでも構いません。
うまくいけば、ここの怪物さんを、まとめてやっつけることができます。たぶん。
ディエスさんは肩をすくめました。
「あたしらは、ひとまず、上から来るゴムボールみたいな怪物連中の軌道をそらせばいいってわけか。……こいつは骨が折れそうだ」
「ディエスさん、お願いできますか?」
「へっ。当たり前だ。下がってろ。勝てるかどうかはわからないけど、負ける要素はない。こずえは後ろで指揮をとってくれ」
「はい。よろしくお願いします!」
メディアちゃんは、うーんと唸っています。
「うみゃ……坂の下に転がせばいいの?」
「うん。メディアちゃんは、僕と背中合わせになっていてくれる?」
「わかった! ……来るよ!」
*
「向こうにいくなら、こっちのほうが近いよー」
シルクさんはリコリスさんを呼びとめ、隠し扉を回転させました。
「おおー、こんなところに抜け道があるのか! シルクは物知りだな!」
「そうかなー? まあ、この中も安全とは限らないんだけどねー」
「そうなのか?」
「ちょっとでも隙間があると、怪物が入ってくることがあるみたいだねー」
「最短距離でいくのだ!」
「はいよー」
リコリスさんとシルクさんは、駆け足で通路を抜けていきます。
「この先に何かいるみたいだよー」
「まかせとけ!」
「たのもしいねー。じゃあ、あけるよー」
シルクさんは、数字の書かれた壁のスイッチを押して、突き当たりにある回転扉を開きました。
通路の奥には、サッカーボールほどの大きさをした、水色の球体の怪物さんが3体、ふよふよと漂っています。
「たあーっ!」
リコリスさんはスコップを横なぎに払い、怪物を散らしました。
「おー、つよいねー。さすがリコリスさん」
「でも、あたしだけだと、きっと迷子になってしまっていたと思うのだ」
「そっかー、でも、わたしにも苦手なことだってあるから、気にしなくてもいいよー。……もうすぐだねー」
シルクさんは上り坂道を見上げました。
「そうそう、ここ! この上に行けば、おたからが生えている木があるのだ!」
「そうだねー。でも、この道は近道だけど……たしか……」
シルクさんが左右を見渡すと、等間隔に、小さな穴があいています。穴の近くの床の色は、周囲の床よりも濃くなっています。
「思い出したー。色の濃い床を踏むと、大きな岩が転がってくるわながあるよー。あぶないから、気をつけてねー」
「わかっていれば、こわくないのだ!」
リコリスさんは、色の濃い床を踏まないようにジャンプしながら、ずんずん進んでいきます。
「たくましいねー」
シルクさんは、わなの床の上空を、ひょいと跳び越していきました。
坂を上り終えると、64畳ほどの、開けた広い空間に出てきます。
中央には、わずかに緑の押し茂る地面に、太い幹をした大木がありました。
見上げると、天井を突き破り、枝が外に出ています。
天井から砂漠の砂が落ちてきた様子はなく、ごつごつした天井の断面から、天井の穴は岩場に繋がっていると考えられます。
天井の穴からは、暮れかかった夕日が差し込んできました。
「これ! これがおうごんのりんごの木! あまり実っていなかったから、1つだけもらったのだ。だから、あと3つ残っているのだ」
「なるほどー。リコリスさんは、やさしいねー。ちゃんと3つ残っているってことはー、怪物には荒らされていないみたいだねー。……んー?」
部屋の隅には、シルクさんの身長の2倍ほどある大岩がたたずんでいます。
「……んんー?」
「こずえさんのためだ、もうひとつもらうよ」
リコリスさんはおうごんのりんごを掬い上げるようにもぎとります。
「リコリスさん、じょうずー」
「えっへん」
今度こそなくさないように、ポケットの奥の奥まで、おうごんのりんごをしまいました。
「……こずえさんにおたからを渡したら、ディエスのぶんは……そうだ、半分こすれば」
「いやいやー、はんぶんこしたら、すぐに食べないと、いたんじゃうかもよー。怪物さんにとられるまえに、もうひとつもらっていきなよー」
シルクさんは、おうごんのりんごをもぎとり、両手で大切に抱えました。
「これはわたしがもっていくよー」
「おたからさん、すまないのだ……」
「気にしなくていいよー、また実るからさー……おろ?」
「あ、あれは!」
崩れた天井と枝葉の隙間からでもわかる、巨大な虹色に煌く翼が、橙色の上空を馳せていきました。
「きれいだねー」
「なのだ……みとれているばあいじゃなかったのだ。はやくこずえさんに、おたからをとどけないと!」
*
「どうした。もう終わりかよ」
ディエスさんの強烈な蹴りが、どろどろした水状の怪物さんを吹き飛ばします。
水色の怪物さんは、全部で3体いました。以前みかけた怪物さんと形がそっくりです。
怪物さんたちが近づいてくると、いっそう呼吸が苦しくなります。
「……怪物さんが、ガスを出しているみたい……です」
頭上を飛び上がる2体目の怪物さんを、メディアちゃんがするどい爪でひっかきました。
怪物さんはピンボールのように跳ね返って、遠くに転がっていきます。
「こずえちゃんと、おんせんりょかんには、ボクが近づけさせないから!」
3体目は、僕の正面、メディアちゃんの背後からごろごろと勢いよく転がってきます。
「メディアちゃん!」
「うみゃっ!」
僕はメディアちゃんに抱きかかえられて、壁際までジャンプしました。
「こずえちゃん……こずえちゃん?」
……視界が暗くなってきました。呼吸をするだけでも精一杯です。
「待っててね、こずえちゃん……僕がずっと一緒にいるから!」
「おい、よそ見するな!」
僕とメディアちゃんは、転がる怪物に吹き飛ばされて、宙を舞いました。
「う、みゃあ……」
メディアちゃんは僕を抱きかかえて、背中をしたたかに打ち付けます。
「立てるか?」
「うん。これくらい平気だよ。ボクは、がんじょうだからね。……でも、こずえちゃんが倒れちゃった……。ねえ、ディエス、どうしよう!」
「安静にしておけ」
「……うん。まっててね、こずえちゃん」
ディエスさんは宙返りして、冷静に怪物さんへと蹴りを入れます。
メディアちゃんは、こずえちゃんを抱えて、怪物さんを飛び越えます。
「どっせい!」
怪物さんたちは、リコリスさんたちのいない下り坂へと、弾きとばされていきました。
「きりがねえなあ……うじゃうじゃいやがる」
「うじゃうじゃ……?」
「ああ。四方八方、怪物だらけだ。……さっきより増えてないか?」
上のほうから、送れてやってきた大きな水色の怪物さんたちが3体転がってきました。下に転がした怪物さんは、のろのろと転がり、戻ってきてしまいます。
「うげっ……。このままじゃ、埒が明かねえ」
ディエスさんは頭を抱えてしまいました。
メディアちゃんは、獣耳をぴくりと動かします。
「うーんと……怪物は、これでぜんぶみたい!」
「おう」
メディアちゃんは、ポーチからマッチを取り出します。
「よーし。やるぞー!」
「……えっ。本当にやるのか?」
ディエスさんは怪物さんを回し蹴りで跳ね飛ばしながら、目をぱちくりとさせました。
「……おい待て。こずえの勘が正しいと仮定して、ガスが充満しているところで火なんか点けたら爆発するかもしれないだろう」
「えー、なんで! まちでは火を点けても全然平気だったのに!」
「まちなんかよりも狭い場所に、ガスをふき出す怪物が6体もいるんだよ?」
「うみゃ……」
「でも、あんたも前に見たとおり、この前の怪物の断片を調べたら、揮発性の高い成分……えっと……よく燃える成分がたくさん含まれていたんだ。だから、こいつらも同じようなもんだろうし、試してみる価値はあるかもしれない。ガスが充満しすぎていて、どうなるかわからんけど……」
ディエスさんはぷよぷよした怪物を蹴り上げ、宙返りして踵落としを決めます。
メディアちゃんはぼんやりした表情で、僕の顔とマッチ棒を交互に見つめます。
「やっぱり、すごいや。こずえちゃんの言うとおりになったよ」
「……おい。まさか、こずえはこうなることを予測していたんじゃないだろうな」
「実は、こずえちゃん、とっても小さな声で教えてくれたから。『たぶん爆発するから、ディエスさんが避難したら、僕の影に隠れててね』って」
「えっ」
メディアちゃんはうつ伏せになって僕の身体に覆いかぶさると、マッチ棒とマッチの箱を構えました。
「こずえちゃん、ちょっとあついかもだけど、我慢しててね! いくよ!」
「まって」
ディエスさんがおんせんりょかんのほうに転がり込むと同時に、周囲は、まばゆく輝きました。
*
白い薬剤は、爆発の残滓をかき消していきました。
「あー、びっくりした……。なんとかなったか……?」
ディエスさんは、黒く煤けた壁際から左右を見渡します。
使い終えた容器をスーツの外ポケットにしまい、ひとつ咳払いしました。
「よし、いないな……。……おーい、平気かー?」
ディエスさんは、僕とメディアちゃんの下に駆け寄ってきました。
立ち膝になると、懐から取り出したニジイロチョウの軟膏を僕の肌に塗りつけてきます。
「持っててよかった携帯消火器……ってやつ? そういえば、こずえは、なんだってこんなものを持ち歩いているんだ?」
「あの……」
「よう。最初からこれを使えばよかったな……」
僕は軟膏を塗られて、ちょっぴり元気になりました。
僕の頭に伝わる感触を確かめると、メディアちゃんの膝があります。見上げると、瞳を閉じたメディアちゃんが、僕のポーチを肩から提げていました。
でも、なんだか煤けています。
本当は、僕が咄嗟にメディアちゃんの盾になる秘密の作戦があったのですが、その前に、僕が倒れてしまいました。
「メディアちゃん……?」
メディアちゃんの獣耳が、ぴくりと動きました。ちょっぴり煤けています。
「つらい思いをさせちゃってごめんね。ありがとう、メディアちゃん……」
「あっ、こずえちゃん! まだ、動いちゃだめだよ! けがしてるし、それに、まだ……」
メディアちゃんは、いろいろなものをこらえながら、僕の太ももにしっぽをぎゅうっと巻きつけてきます。
「……また会えて、よかった」
「うみゃ……なんだか、せなかが、ひりひりする?」
僕はディエスさんから軟膏を貸してもらい、メディアちゃんのせなかに馴染ませていきました。
やけどにも効くでしょうか?
「おーい! おたからを持ってきたのだー! ……って、なにか蹴ったのだ?」
カラカラと赤い筒状のものが転がっていきます。
「なんだかすごいことになってるねー」
「すごいというか、こげくさいというか……」
「こげてるというかー?」
リコリスさんとシルクさんは顔を見合わせます。
「あっ、リコリスとシルクが来たよ!」
「おーい、リコリス、シルク。こっちだ、こっち!」
「まかせとけ。へい、パース!」
リコリスさんはおうごんのりんごを軽く放り投げました。
「あいよ、サンキューな」
「ありがとう!」
ディエスさんは片手で難なく受け取ります。
おうごんのりんごは、鮮やかな黄色い皮をしていて、実全体が仄かな虹色に輝いていました。
「ちょっくら切ってくれ」
「任せて! うみゃっ!」
おうごんのりんごは、綺麗に6等分されました。
メディアちゃんが、おうごんのりんごをひときれ、僕の口元に差し出します。
「はい、どうぞ!」
「ありがとう、メディアちゃん」
光輝くりんごを口にすると、胸の中がすうっと軽くなって、呼吸が楽になりました。
「どう? げんきになった?」
「うん。らくになったよ」
「そっか、よかった!」
メディアちゃんはしっぽをぴんと伸ばして、じぶんの指をぺろりと舐めます。
「あまーい!」
シルクさんは、おうごんのりんごを掲げてみせました。
「もうひとつあるから、そっちはぜんぶ食べちゃいなよー」
「えっ、いいの?」
メディアちゃんは僕の口にりんごの欠片を次々と押し込んできました。
「ちょ、メディアちゃん……ゆっくり!」
「あっ、ご、ごめんね、ゆっくりだね!」
*
~ミニあとがき~
「で、どうして携帯消火器何て持ってんだ? ほかにも変なもんがちらほら……」
「家事になったら危ないと思って、入れておきました」
「ま、まあ、ダイナマイトが入れてあるくらいだからなあ……」
「えへへ……」
「で、どうして携帯消火器何て持ってんだ? ほかにも変なもんがちらほら……」
「家事になったら危ないと思って、入れておきました」
「ま、まあ、ダイナマイトが入れてあるくらいだからなあ……」
「えへへ……」
次回、最終回 第4節「ほんとうのたからもの」。
~ついき~
「リコリスさーん。こずえさんのことを呼び捨てにしちゃってるよー」
「こずえ〈さん〉なのだ!」
「ちなみに、こずえさんはどっちでもいいみたいだよー?」
「そうなのか? こずえさんはすごいからこずえさんなのだ」
「すごいからかー。リコリスさんもなんだかんだですごいんじゃないかなー? あのわなって、そういうことだよねー?」
「ん? なんの話なのだ?」
「さあねー」
*
「あともうひとつあったよー。こずえさんのセリフが『お願います』になっていたよー」
「まちがいだらけなのだ……」