第90-A話- 名前。-Name-
久しぶり過ぎる投稿。そして、ダイジェスト気味な内容ですスマヌ。
これ以上遅くしても仕方がないという判断で投稿。
(投稿遅延で焦りだけが募るのと、後で書き直せるネット小説という利点を今まで捨ていたと気づいた事もあって)
色々と目途が着いたらこのエピソードは特に書き直すかもしれません。
残酷な展開はいきなりやってくるのだと、喜田門次郎はその日思い知ったつもりだった。
生中継中に発せられたタレント能力者の一言がクーデターを引き起こし、政府の主要機関をことごとく叩き潰した、その時に。
あらゆる政党の本拠地が襲撃された。
反能力者派の筆頭であった石垣は改めて開いた弁解の席で、何も口にできずに爆散した。
その派閥のほとんどが『とりあえず』と刑務所へと送られた。
そうして、日本政府――今では『元』が頭に付くが――その根幹を担う機関のほとんどが乗っ取られたのだ。誇張でなく日本の終わりが見えた。
超能力者のわがままな暴力的行為によって、国が荒らされた事に怒りも覚えた。
しかし、自分はあまりにも無力であり、日本の明日を決めるはずの自分達政治屋はただの鼻つまみ者になりさがるしかなかったのだった。
しかし、この状況はチャンスでもあると思った。
石垣議員と違い、対話による超能力者問題の解決を唱えていた喜田は、能力者が暴力的手段に訴えた今こそ、自分をアピールするチャンスなのだと考えたのだ。
対話を訴え、暴力に挫けない、暴力に訴えない『真に人間らしい』行動で人、そして政治家としての自分をアピールする時なのだと。
そう、『真』にである。
対話による解決を唱えていたが、彼自身能力者への差別意識は持っていたし、法的手続きを踏んだ上で改憲してでも能力者を縛るべきだという思想を抱いていた。
超能力の脅威に国民がさらされるべきではないし、超能力者は能力を得た者の責務として、甘んじて法的管理下に置かれるべきなのだ。
むろん反発はあるだろうが、平等権を大きく犯してでも法を整備する事が正義であると、彼は堅く信じていた。
喜田門次郎は決して善人ではなかったが、悪人というほどではなく、野心と善良さを持った普通の人間だった。
しかしこの世の中、そんな人間だからといって全うな人生を送れるわけではない。
今、彼を襲っているのは、彼が思い知ったと思っていた残酷さよりも遙かに残酷な現実だった。
東京湾に面する羽田空港。
その滑走路には散らかされたジェット機が轟々と炎を上げて、真夜中の海と空を照らしていた。
用意した多脚戦車のほとんども飛行機と同じ運命を辿り、喰い殺された自衛隊員の残骸がその周囲を飾るマーブルチョコレートのように散りばめられている始末だ。
しかしそれはまだマシな方なのだ。
空港の中心部とも言えるターミナルには、ジェット機が数台突き刺さり、終いには崩落して、中で待機していた隊員達は皆圧死してしまった。
こんなはずではなかった。
喜田は、空港駐車場に高見の見物のつもりで設置したパイプテントで体を振るわせた。
こんなはずではなかったのだ。
ただ一人の能力者を捕まえるだけのはずだったのに。
たった数十分の間に、何故羽田が崩れ落ちるのか。
何故、数百人の自衛隊員達が一方的に殺戮されるのか。
その顛末に至った経緯を語るには、クーデターの直後まで遡る事になる。
#
「くそっ、くそくそ・・・・・・!」
クーデターが起きた後、喜田に取って政治家という立場を追われるよりも苛立たせたのは、朽網釧の処遇を一任された事だった。
穏健的な反能力派という建前の下、政治活動を行っていた喜田だったが、彼にとっての超能力者というのは政治的な自分をアピールする道具でしかなかった。
言ってしまえば、利益があるというのなら、超能力促進派に寝返ってもいいというぐらいには、彼はそこに拘りがなかったのである。
それを見抜かれたからなのだろう。
さる大物政治家から『お誘い』を受けたのは。
彼自身も政界には長く居座り、その噂ぐらいは聞いていたとある会へのお誘い。
それは万可統一機構に代表される超能力開発機関の拡充を推し進める会だった。
喜田はその招待に一も二もなく飛びついた。
彼に求められたのは『ほどよく能力開発に反対する政敵』という役割で、彼はこれまで通り反能力派として活動を続けると共に、学園都市の裏側に関わる事になったのである。
もちろん、新入りの彼が得られる情報などたかが知れていたが、神戸万可での顛末や葉月や釧について書類上の知識はあった。
そんな彼にとって、今回のクーデターを起こしたとも言える釧の拘束は与えられた大役ではあったものの、慎重にならざるを得ない監視体制に反比例して、彼からは情報がほとんど得られなかったのだった。
彼が収容されているのは、東京にある能力者専門の刑務所の、最重要VIPルームと言われる場所で、脱出はほぼ不可能とされているが、同時に尋問には適さない。
というのも、釧のいるのは地下にある施設の、円柱形をした縦穴に吊された5m四方の透明な立方体の中なのだ。
円柱の壁には能力波を反射する非常に高価な特殊素材が張り巡らされているため大抵の能力者は手も足もでないが、徹底されたリスク回避のために監視カメラすら立方体の外から遠方で映すのみで、面会も円柱を切り抜いたスペースから直接声を張って行うようになっている。
要は顔を付き合わせての尋問も行えなければ、VIPであるため食事を抜かすといった責めも行えない。
そもそもが『レッドマーキュリーとの関わりが示唆された事に対する聴取』での拘束で、何時までここに閉じ込めて入られるのか分からなければ、能力者政権となった今、能力者を拘束しているだけで彼にとってはリスクになる。
この施設は数十年前に東京周辺の研究施設が破壊されてから、研究組織の誘致に手こずり続けている東京が、受刑者という体で能力者を確保しようとして出来た牢獄であり、例の会の息が掛かっている。
元政府が崩壊した隙に付け込んで釧をここに放り込めたまではよかったが、政界の古狸共もその後の扱いに困ったのだろう。
そして喜田に白羽の矢が立ったのだろうが、厄介事を押しつけられたというのが彼の素直な感想だった。
それでも何とか有効利用しようとあれこれと試してみたが、どれも結果はよろしくない。
この前も彼の元同級生である長谷川亜子を寄越したのだが、送られてきた監視カメラの映像を見た結果が冒頭の悪態だ。
今も再生されている映像だが、始めから振り返ればその内容は――――。
#
立ち上がると、淀んでいた空気が僅かにかき回された。
5m四方の透明な壁に囲われてた空間は、空気の流れが酷く悪い。
監視カメラすらが、能力者に対しては牢の虚弱性になりうると取り払われたこの場所では通風孔すら特殊な造りになっているためだ。
通気性は二の次で、周囲から丸見えな四角い箱は居心地のいいものではない。
しかも、その箱はあくまで一段階目の隔離構造で、能力者を閉じこめた箱を、特殊素材が張り巡らされた筒の中に宙づりにして、地中深くに埋めてある。
つまり三段階の隔離構造をしていることになり、普通の受刑者にしてみればまさに絶望的な場所なのだが、現在そこに収容されている能力者、朽網釧を留めておくにはいささか不安であるというのが、本人と看守含め施設職員の認識だった。
特に釧にとってみれば、普通の部屋もこの隔離施設も出れる事には違いはないのだから、居心地が悪い分どうにも損をしている気分になるというだけなのだ。
東京が能力者を確保するために作った牢獄――という噂話は釧も聞いた事があったが、普通の能力者ならいざ知らず、彼にはイマイチ危機感がなかった。
彼の細胞サンプル等は万可に収められているのだから、ここの連中が万可と同じ系列であれば彼を拘束する必要もないし、別組織であれば万可が黙ってはいまい。
そもそも、この施設は通常の能力者を収容する施設であって、釧のような多重能力者を隔離し続けるにはスペックが足りていない。
確かにこうして実際に入ってみた感じとしては、刑務所というよりは、動物サンプルのケースに居るような感覚に陥る場所ではあるが・・・・・・。
釧は透明壁に淡く映る自分の姿にそんな感想を抱き、それから目の焦点を壁からその向こう、能力反射板の円柱を一部切り抜いた『面会者用スペース』に入ってきた人物に移した。
いつも暇つぶしがてら新聞を朗読させている顔見知りの看守に連れられてやってきたのは、副委員長こと長谷川亜子。ここに入る事になった原因でもある女性だ。
パリッとアイロンのかかったレディーススーツを着こなした彼女は、中学の頃の少女から大人の女性へと華麗に変貌していた。
対する釧の行き着いた先が女装タレントだけに、ある意味眩しさまで覚えてしまうほどだ。
「やぁ、久しぶり。こんなところに放り込んでくれてどーも」
やや、やさぐれ立った声で釧が声を掛けても彼女は澄まし顔のままだ。
面会者スペースとガラス箱とはそれなりに距離があるが、声は響くように設計されている。
そのため直接聞くのは久しぶりとなる彼女の声は、エコーして聞こえてきた。
「あら、私が放り込んだわけじゃないわ。然るべき理由に因ってよ」
「いやー証拠不十分だろう。『関わってたかも』で、こんな所に閉じこめやがって。出るのめんどいじゃんか」
その言葉に看守は顔をひきつらせたが、亜子は肩を僅かに竦めただけだった。彼女も釧を捕まえていられるとは思っていないらしい。
彼女にしてみれば、日本の政治主権を超能力者が奪取する際に、釧が関わらないようにできればそれでよかったのだろう。
そんな事より、と彼女は釧の愚痴を切り捨てる。
「ロシアの件、一体どこまで万可が関わっていたの?」
「それ、質問が漠然とし過ぎてるよな。
どこぞのふんぞりかえったおっさんも聞いてきたけど、何? 君ら司法の連中は能力者の不祥事には全部、万可が関わってると思ってるの?
君らの頭の中の万可統一機構はどんだけ悪の組織なんだか」
自身の形だけ所属する組織が善良とは露ほど思っていない釧が、やはり思ってもいない事を口から吐き出した。
しかし実際、レッドマーキュリーの件に万可がどこまで関わっていたかなど釧の知る所ではないのだから、提示できる情報などたかがしれている。彼にとってこの邂逅は単なる暇つぶしなのは確かだった。
「レッドマーキュリーの研究そのものに関わっては?」
それを知っているのか、知らないのか。どちらにしろ、こうして能力者の牢獄にわざわざ足を運んだ割にはやる気の見られない様子で、亜子は次いで質問を投げかけてきた。
その事務作業の延長にしか見えない彼女の態度に、釧は何となく彼女の事情を察した。
(お上に言われて仕方なくきたんだな、これ・・・・・・)
管轄外な上、情報入手は期待できないともちろん渋っただろうに、強引に連れてこられたに違いない。
意味がないだろう行為に駆り出されて、澄ました顔で隠してはいるものの相当機嫌が悪いはずだ。
それを相手にさせられる気持ちにもなってほしい。
「レッドマーキュリーの研究に? ロシアの国営研究に万可が関わってると思うか?
高火力能力者や放射線系能力者なんて学園に幾らでも居るのに?」
「まあ、そうよね。ではエヴァ・リヴ島での爆発、及び放射線が確認された列車事故については?
少なくとも、貴方がレッドマーキュリーと称される女性と面識がある事は読みとれたわよ」
「だとして、ロシアの研究施設に僕や万可が関わっていたという事にはならないだろう?
大体、ロシアは島の爆発を事故として発表していたはずだろ?」
「『当初はそう考えられていたが、日本の超能力者の関与が発覚した』と、現在ロシアは諸国にふれ回っているそうよ」
亜子の言葉に釧はケラケラと笑った。
隔離部屋であっても新聞で情報自体は得ていたが、彼女から直接外界の話を聞いた事で、予想通りに展開する外の世界の滑稽さに口元が緩んだのだ。
「つまり連中は『国が総力を挙げていた研究所を易々と破壊された挙げ句、偽造工作に引っかかりました』と主張しているわけだ?
実に情けない話だねぇ、情けなさすぎて普通口にできないほどに」
「そうよね。真偽はともかくとして、国のメンツを潰しても有り余るメリットがないと主張できない事柄よね」
亜子も苦笑して、座っていた椅子の背もたれに体を預けた。
「ところで、ロシアに戦争準備の動きがあるそうよ」
「現在日本政府は超能力者に取って代わられている最中。
先に侵略行為を受けた被害者という大義名分を利用してそのゴタゴタに乗じれば――なんて夢を見てるんだろう」
「それに中国が同調する形になるでしょうね」
「SPS薬の配給量について、あの国は不満が溜まっているからな。
けれど、ロシアが仕掛けた瞬間、戦争は終わる」
今度は笑みを嘲りに換えて言う釧に亜子は片眉を上げた。
「終わる?」
「レッドマーキュリーに纏わるあの事件をダシにしているからこそ、ロシアは手痛いカウンターを食らう事になる。大義名分を失えば報復戦争という体裁は保てない」
「・・・・・・そういう事」
ぼかされた台詞だったが、彼女はこれまで得ていた情報と繋げ合わせる事で全てを察した。
レッドマーキュリーが日本にいる事。
おそらくは亡命という形で、協力体制まで取っている事。
ロシアが攻め入れば、まず彼女が迎え打つだろう事。
被害者面をしたいロシアは、レッドマーキュリーは日本側に殺された、もしくは拉致されたとほのめかしている。そんな状況で、レッドマーキュリー事件の報復を掲げた軍が、その彼女と激突する事になれば、どうなるか。
あるいは彼女自身に日本への亡命を主張されてしまえば・・・・・・。
ロシアの主張がひっくり返り、彼らの薄っぺらい正当性すらなくなる。
大義名分を失ったロシアがそれでも強行した場合、超能力需要の高いアメリカや諸外国は圧力をさらに強めるだろうし、不当な扱いを受けて逃げ出した能力者をダシに、今度は他国の能力研究を強奪しようとしている国に対して、世界に散らばる超能力者はどう考えるか。
「ロシアは今後超能力研究をまともに行えなくなるわね・・・・・・」
「だろうな。まあ、何にしろ、これで聞きたい事は聞けたんじゃないか?」
と釧はガラスの向こう、苦虫を噛み潰したような顔の亜子に言う。
「そうね。はぁ・・・・・・けど徒労だわ。
結局、万可がエヴァ・リヴ島事故には関わっていないって事じゃない。
上の欲しいのは関わってる証言なのに」
彼女の愚痴に、今度は釧が眉間を寄せた。
「関わってる関わってないに関係なくロシアは攻めてくるだろうに、何で今更そこに拘るのか疑問だったけど、まさか、この期に及んで非能力者のお上様は、万可が関わっていればそこから超能力勢力を崩せるとか幻想でも抱いているわけ?」
亜子は肩を竦めて見せた。
「けど残念、エヴァ・リヴ島のアレはレッドマーキュリー自身の仕業だ」
「それで納得してくれればいいんだけれど、私も能力者だからね」
「庇う可能性があると?そのくせワザワザ副委員長を寄越したのか?
超能力者相手なら喋るだろ話を聞け、だが思った話違うなら信用はしない、ってもう色々とダメダメだろ」
「やっぱりそう思う?そろそろ辞めるべきかしら」
「辞めた方がいいんじゃないの?というか、未だその職に居る事の方が謎だ」
「色々あるのよ。でもまあ、貴方をここに封じ込めてた事で義理は果たせたでしょう。
よっし、やーめたっと」
言って、亜子は背伸びがてら立ち上がった。
その表情は清々しいものだ。隣の看守は顔を青くしているが。
そのまま退室しようとする彼女の背中に、釧は言葉をかける。
「あ、こっちへの義理も忘れないでねー」
亜子は見向きもせずにヒラヒラと手を振り、釧も興味をなくしたように元の位置に座り込んで瞑想を始めた。
あまりに緊張感のない口調と、それまで交わされていた会話に、看守だけがただ呆然と両者を見比べたのだった。
#
そして、そんな映像を見た喜田は悪態をつく事になった、というわけである。
喜田には釧や亜子の考えている事は大して読めなかったし、終始おちゃらけて進んだ会話に信憑性はないに等しい。
分かっていた事だが、能力者間の仲間意識は強く、亜子にやる気は感じられないどころか、彼女を送りこんだ事を釧には馬鹿にされる始末だ。
確かに彼の言う通り、亜子が引き出した情報が何であれ、それを鵜呑みにするつもりは喜田にはなかった。
しかしそれを駄目押しされた挙句、縁遠いとはいえ親戚の亜子に見限られるにまで至るとは・・・・・・。
この映像が届けられる前に、亜子は行方をくらましている。つまりそういう事なのだろう。
「くそっ、どいつもこいつも・・・・・・!」
自分の正義を貫く事が困難になりつつあり、彼には余裕がなくなっていた。
自分は国民の為にやっているのに、何故このような仕打ちを受けなければならないのかという、ある種身勝手な苛立ちすらあった。
彼の事務所は既に破壊され、ある地下に用意された施設だ。
安アパートの一室で息を潜めるよりは幾分もマシではあるし、その事に関しては例の会と通じていて良かった事柄だったが、外の様子を窓越しに確認できない薄暗い一室は息が詰まる。
まだ超能力者達に抵抗できる余力がある内に、何とかしなければ。
「何か・・・・・・何か使えるものは・・・・・・人材は・・・・・・」
しかし、その焦りが付け入られる隙になる。
「あら。なら、ちょうどいい話がありますよ?」
「だ、誰だっ!」
喜田が声をした方を振り向くと、暗闇の中から一人の女が姿を現した。
緑川光、デモの激化を促した犯人だが、彼はそんな事は知らない。
彼女は神戸学園都市崩壊で自身に起きた事、故に万可を恨んでいる事を話し、そして本題に入った。
それを聞いて、復讐の為と語る彼女の情報は信用に足ると、"人の良い"彼は思ってしまった。
それが破局への一歩だったに違いない。
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「織神が日本に・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
緑川光が口にした情報は喜田の予想を越えたものだった。
行方知れずになっていた織神葉月の居場所について。それは本当なら万可すら欲するだろう情報だ。
当然、真偽を疑う彼に彼女は、厚いA4封筒を手渡した。
封の紐を解いて、彼が中身を確認すると、入っていたのは空港会社に入ったある日の日本入国者達のネームリストだった。
その内容について光が補足する。
「今日からちょうど一週間後、日本全国の空港に入国してくる搭乗者達から、『織神葉月』を名乗る多数の人物達をリストアップしたものです」
「一日の間に・・・・・・百人以上の『織神』姓が日本に・・・・・・」
喜田は乱暴にページをめくっていくが、そのどれにも小さな文体で『ORIGAMI HADUKI』の名前が載っている。
出身国も年齢も性別まで違うにも関わらず、だ。
「当然ですが彼らのパスポートは本物です。彼らはここ数年の間に名字・名前の変更を申請していますね。
少なくとも全員、予約が『織神葉月』の名で取れるようになっていました。
万可もその辺は察知していたようですが、まあ攪乱目的だと静観していた・・・・・・と。
ところが来週、その彼ら彼女らが皆してここ、日本を目指し始めた」
「こんな・・・・・・異様な事態を外の諸国が止めないはずがない・・・・・・」
もっともな事を喜田は言ったつもりだったが、光はハッと鼻で嘲った。
「もちろん向こうのお偉いさんが政府――超能力者の方にお伺いを立てましたよ?
能力者の返事はこうです、『放置するべし』。
クーデター直後で超能力者を刺激したくない諸外国と、織神を刺激したくない能力者の思惑が重なったわけです」
「織神葉月が仕掛けてくる・・・・・・」
ようやく、現実味が湧いてきた喜田は生唾を飲んだ。
神戸の一件は話には聞いている。
アレが動くだけでその場は惨事になるというのだ。
今回の目的が何なのか知らないが――――と彼は葉月の目的について思考を巡らせて、ある事に気づいた。
朽網釧。織神の狙いは彼ではないのか・・・・・・?
だとすれば、これはチャンスだ。
彼女の急所を自分は今握っている事になる。
織神葉月の確保、それは自分にとって大きな切り札になりうるはずだ。
未だ組織として力を持つ万可に対してはもちろんの事、織神を厄介視している超能力者に対しても、優位に立てる。
賭ける価値は十分にあると喜田は思ったのだった。
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かつて織神葉月の怒りに触れた街は、数年の間に見てくれだけは復興していた。
とはいえ学園都市としての機能を低下させた都市に、喜田は哀れみすら感じていたが、デモの最中に消し飛んだ街や今の東京を思えば、この街は逞しく回復した方なのだろう。
彼が崩壊後の神戸に降り立ったのはこれで二回目となるが、超能力者のデモが未だ各学園都市で行われている最中、神戸はかなり静かな街だった。
デモがないわけでもないようだが、人で道が埋もれるような事はなく、喧騒が聞こえる事もない。
静かに、ただピリピリした空気が張りつめているようで、それが不気味ですらあるが、顔の知れた反能力者派の喜田にとっては能力者の目が少ない事は都合がよかった。
目深に帽子を被りサングラスをして顔を隠してはいるが、その姿も怪しく映るのは自覚している。
ボディーガードが男二人しかいない今、能力者一人に見つかれば、抵抗らしい抵抗もできずに拘束される事だろう。
まだ生きていたツテからプライベートジェットを借り神戸空港に降り立った後、彼はそそくさと神戸の街を進んでいった。
目的地は神戸万可統一機構。
織神葉月を生んだあの機関の長に啖呵を切りに行くのだ。
それはこの男のくだらない矜持であり、万可へ牽制でもある。
織神を確保するに当たって、連中の横やりが入っても困る。ここ最近急激に力を失っていると噂されているが、念には念を入れるべきだろう。
これから、税金を湯水のように使って化け物を生み出したいけ好かないあの組織の、あのいけ好かない男の歪む顔を見れるかと思うと、自然と下卑た笑みを浮かんでくるようだ。
数度目にした内海という名の無表情の男は、神戸崩壊に際して多くの人命が失われた時でさえ、その顔を崩さなかった。
人命をどうとも思わないその態度に、その時から喜田は怒りを抱いていたのである。
一つ、間違いが正される。
そう思うと口元が緩むのも仕方がない事なのだ。
帽子とサングラスの壮年の男の笑みというのが、通行人にどう捉えられていたかは置いておいて。
しかし、万可に到着した彼の話を聞いた内海岱斉は、「なるほど」と言うや背もたれに深くもたれ掛かり、彼を見据えた。
「それで?」と、次の話を促す素振りすら見せる岱斉に、喜田の方がたじろぎそうになった。
「・・・・・・織神葉月捕縛に関して、万可の手を借りたい。自衛隊の擁する多脚戦車では数が足りまい。
その後は・・・・・・こちらで行う」
一段低い声で口早にそう言った喜田に対し、岱斉はゆっくりと口を開く。
「多脚戦車を使うなら学園都市の所有部隊に頼めばいい」
平時ならともかく、クーデターで学園都市の主導権が曖昧となった今、お尋ね者の喜田が学園都市の部隊を動かせる訳がない。
分かっていてそれを言う岱斉を喜田は睨んだ。
「そも、多脚戦車如きでどうにかなると?」
「アンタは失敗した。だが私は違う。
電磁パルスにウイルス、対策さえ練れていれば脅威ではない。
なにより、こっちにはアンタの手足だった朽網釧が居る。
奴が助けにあの収容所に入れば、それはそれでよし。袋の鼠だ、閉めるだけで事が済む」
まさにそのような仕組みだった青森万可が、人質であるところの釧に破られているのだが、それに気づかない男に現実を教える義理は岱斉にはなかった。
彼は目の前の身を持ち崩した男の相手が早くも面倒になってきて、立ち上がるとワインボトルを取り出し、自分だけに注いで飲み干す。
「貴様はアレを捉えられると思っているようだが、私はそうは思わん。
どうせ失敗する事を邪魔しようとも思わん」
「ならアンタはアレを野放しにし続けるというのか! 超能力者がどうという問題じゃない、アレは野放しにはしておけないはずだ!
あそこまでの資金をつぎ込んで作り出して置いて、何故放置する!」
「見解の相違だな。あれは在るだけでいい、捕まえても意味がない、それだけだ。
・・・・・・人材なら群馬の万可に借りればいい」
「織神の名を称した搭乗者は全国に現れる・・・・・・今の人数では人手が――――」
「全ての空港を待ち伏せる?
それこそ無謀。全てを解決しようなどと思わない事だ」
「本体が一人だとしても、『織神葉月』を名乗っている時点であの化け物の息が掛かってるのには違いない。放っておくわけには――――」
「総力をもって当たらなければ話にもならんな。アレがどこに現れるのか、検討もついていないと?」
煽る岱斉に、喜田はデスクを両手で叩いて応戦した。
「・・・・・・東京だ、奴は東京に現れるっ!」
「なら群馬から借りればいい」
「・・・・・・っ、いいだろう。
だが、こちらが織神葉月が確保した場合、身柄は好きにさせてもらうぞ」
「できるものなら」
岱斉はすげなくそう答え、グラスのワインを揺らし、それから、ふと思いついたよう言い足した。
「・・・・・・ああ、ならば一つ賭けをしよう」
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神戸万可を後にして再び空港に戻る間、喜田は先ほどまでの会話を思い出していた。
最後にあの男が話題に上げた『賭け』。
その内容は賭けというよりぜんもんどうのような、妙なものだった。
「見つけられるか否か。私は『否』に賭ける。
見つけられなければ、奴にどこに居るのか聞け」
見つからなければ聞くに聞けまいに、それを賞品とする賭けなど成立するわけがない。
意味の分からない話であったが、意地と何より打算もあって喜田はそれにノった。
賭けの条件はあくまで『織神を見つける事』、東京を目指す事が分かっているのだから、勝負は喜田に有利なものだ。
人手が足りないといっても、全国の空港を見張る事ぐらいはできるし、どの道、織神を捕まえない事には彼に未来はない。
賞品として神戸の有する特殊部隊を工面する事を要求して、彼は万可の施設を出た。
今思えば狐に包まれたのではないかとすら思える体験だった。
昼間であるにも関わらず、万可の辺りは陽が弱く照るだけで、無機質な建物に遮られた陰は冷たく湿っていたし、ひとけのないコンクリートの構造物は廃墟に感じるような"得体の知れない化け物"の気配を感じさせた。
そこに住まうのはどこか浮き世離れした無表情の男で、交わした言葉ものらりくらりとしてようと知れない。
まさしく怪談話のような経験を、自分がしているように思えて、喜田は落ち着かずに襟首を締め直す。
怪談において、人外との約束事というのは禄な事にならないものだ。
施設から去る途中、白髪をした子供達の赤い瞳に見つめられた気がした事が、余計に不気味な思いをさせているのだろう。
そういう理由から足早に敷地を出た彼は、空港に着いてもまとわりつく悪寒に、頭を振った。
もう一度悪寒を振り払おうとしての事だったが、それは失敗に終わる。
いきなり、どんっと胴に衝撃を受けて、彼はよろめいた。
途端にぞわりと全身を駆け巡る怖気。
人の多い空港での事だ。ボディーガード二人ではこういう事もある。
放心していた迂闊さを後悔しながら、帽子を押さえて不届き者を探ると、自分の近くに倒れている少女が目に映った。
政治家であろうとなかろうと、ぶつかってきた子供に叱るほど狭量ではない彼だったが、今回ばかりは別だった。
少女の容姿を見た瞬間、「ひっ」と喉を馴らして後ずさるに至った彼は、少女に手を貸す事もせず、逃げ込むようにプライベートジェットに乗り込んだ。
そして、神戸を遠く離れて自らの地元である東京に帰って来るまでの間、落ち着かない様子で過ごしたのである。
・・・・・・少女は白い髪をしていた。そして紅い眼も。
いや、それだけなら驚くような事ではない。
アルビノは決して多くはないとはいえ、普通に存在している。
ただ彼は、この日、白い少女を見すぎていた。
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その日の一日は喜田門次郎にとって厄日だった。
少なくとも彼はそう思っていた。
しかし、東京に帰って来た彼に一つの幸運がもたらされる。
それは、神戸万可で彼が気を逸らしている間に、同施設に侵入した緑川光が持ち帰った一つの映像データ。
「いいものを見つけたわ」
そう言う彼女が再生した映像の中で、遠巻きに撮影された黒髪の少女――織神葉月が、白い少女の質問に答えていた。
『外の人の名前なんて訊く機会ないですから』
そう無邪気に問う少女に葉月は言う。
『志保。汎藻志保』
それは織神葉月が使った、初めての偽名だった。
そして。
極僅かながら大量の『織神葉月』の中に混じっている一般人らしき人物名の中に、その名前があった。