表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/98

第89話- 第二接触。-Replica-

 人の足で踏みならされ磨耗した煉瓦敷きに、血が滴り落ちては阿弥陀くじの如く線を辿っていく。

 獲物から溢れ出た大量の血液は血溜まりとなり、そこに浮かぶのは無惨な残飯。

 臓ふだった破片は飛び散り、開かれ肉を失った胴は骨をも晒している。

 人目で異常だと分かる死体だった。

 そして、その傍には事を成した化け物が居る。

 少女の体躯をした、顔のない人外。ソレは白い肌を晒す一方で顔面は触手で覆い隠した姿をしていた。

 白に血の赤色はよく映える。手も、腹も、返り血を浴びて艶やかな紋様を描き、そして足は獲物の血に浸っていた。

 彼女、と一応呼ぶ事にして、その彼女は食事を中断し一点を睨む。

 眼球こそ持っていないが、彼女の触手は敏感にその存在を感じ取っている。

 奥まったこの道と大通りを唯一繋げる経路から、間違いなく自分に向かってやってきた敵。

 能力者か、超能力者か。それすら分からない。当然素性など知るはずもない。

 未知という最も警戒すべき要素を内包した相手だ。

 そんな彼に向かって彼女の取った行動、それは速攻だった。

 にらみ合ったところで敵に攻撃の機会を与えるだけ。初撃をやり過ごせる確信もない。・・・・・・ならば自身の長所を生かすべきだ。

 織神葉月から派生したソレはそう判断した。

 そもそも『生物』として極限に近いスペックを持つ彼女なのだ。その俊敏さに反応できる者の方が少ない。

 彼に何もさせないまま終わらせるという強い意志を持って、彼女は跳んだ。

 煉瓦敷きに溜まっていた血がびちりと飛び散り、狭い路地に風が吹きすさぶ。

 彼、出雲が目で追えたのは、彼女が地面から側壁へと足場を変えたところまでだった。

 入り組んだ人工のジャングルはその獣に利を与えすぎる。

 派生体は壁をかけ上がり、出雲の視界を抜けた瞬間、彼を襲撃した。

 真上からの直下降。武器は己の鋭い爪だ。

 一薙で人体など上半身が吹き飛ぶ。

 だが、伊達に彼女を相手取ろうとした彼ではない。

 見失ったところで、敵の標的が自分である以上行動は予測できる。

 そして、『攻撃を凌ぐ』という行為こそが彼の十八番なのだ。

 まさに頭部を粉砕せんと迫った彼女は、刹那じりじりとした熱気を察知して、攻撃から回避に転じた。

 体を捻った彼女のすぐ横を下から上へと何かが通過していく。

 ごうっと高速で過ぎ去っていった正体不明の物体は、人の目には追えない代物だったが、彼女の"眼"はしっかりと捉えていた。

 ウォーハンマー、それも柄がかなり短い。

 灼熱と言っていいほど熱された鎚は、確かに出雲により上へと放たれた。

 けれど、どこから?

 そんな物を彼は持っていなかったし隠せる余地もなかったはずだ。

 それにも関わらず彼はソレを放ち、かつ掲げる様に突き出された右手には手袋らしき物まで見える。

 だが、彼女はその事態に考えを巡らせる事ができなかった。

 真上から接近してくる熱源に気づいた時には、宙という身動きの取りにくい(・・・・・)場所では回避できない一撃が迫っていて、彼女はそれごと地面に叩きつけられた。

 灼熱を生身で浴びた事で生じた蒸気の音と異臭。

 それでも彼女が地に伏せていたのは一瞬で、出雲が鉄の手袋――ヤールングレイプルを纏った手でミョルニルを掴み、そのまま振り下ろした第二撃は煉瓦敷きを打ち付ける。

 途端、北欧神話に語られる雷神トールの武器ミョルニルの『力』が周囲数メートルを悉く砕いた。

 煉瓦も、隣接する壁も、等しく瓦礫と化す。

 伝説(オリジナル)に比べて著しく劣化しているが、それでも威力は破格と言っていいものだ。

 人体で受ければ即死しかねない一撃である。

 しかし、それを一度受けたにも関わらず、ソレは機動力すら失わず即座に退避行動を取ってみせた。

 ちっ、と出雲は舌打ちする。

 やはり、分かっていた事だが、アレは化け物だった。

 これでもラグナロクの時に使われたレプリカよりも再現度は数段高いはずなのだが。

 大火傷、そして複雑骨折の傷を負っただろう彼女はそれでも高い機動力を持って追撃を避けた。

 ふっ、と風に吹かれるようにして、視界を遮っている粉塵が不自然な挙動をした。

 それを派生体が高速で移動した事で起こされたものと、出雲はいち早く察知する。

 粉塵に穴が穿たれ、そこを通り過ぎるのは獣の如く激突してくる派生体。

 そんな彼女の攻撃を出雲はミョルニルで捌くが、弾き飛ばされてももう一撃と、連続で繰り返される猛攻に彼は反撃を封じられる形になった。

 その攻防はテニスの壁打ちに似ていた。

 跳ね返ってくるボールの様に、派生体はミョルニルに打ち付けられては彼に襲いかかる。

 その一連の流れは繰り返すほどに洗練されていくようだ。

 いや、実際その通りなのだろう。

 派生体は学習している。ミョルニルとぶつかる際の手応えが消えていっている事に彼は気づいていた。

 このままではいずれ反応しきれずに手痛い一撃を貰う事になるだろう。

 だが、少なくとも彼女の速さに自分が反応できる事は分かった。

 自身の『勘』が彼女に通じる事も確認できた。

 それらが分かれば十分だ(・・・)。最も懸念していた敵の脅威は身を持って理解できた。

 彼は派生体と対峙した最大の目的を達して、次のステップへと移行する事にした。

 今まで一歩も動かなかった出雲が今度は仕掛ける。

 右足で半歩踏み込み、今までと違って体全体の力を使ってミョルニルを振り抜く。インパクトの瞬間、派生体はとっさに受け身を取ったが、神話級の衝撃は押さえきれるものではない。

 近くにあった建物の壁にめり込み、それだけでは足りずにさらにその後方にまで吹っ飛ばされた。

 これで僅かだが時間を稼げた。

 出雲は次の一手の為に、考えを巡らしていく。

 次はどの武器がいいだろうか。アレを効果的に叩きのめす事ができるのはどれなのか。

 それを試す事が彼にとって第二の目的だった。

 けれど、彼が候補を選び出すより前に、派生体が戦場に復帰してきた。

 それも彼の立っている道の真横から、壁を突き破ってくるという荒技で、左右同時に(・・・・・)、である。

 おそらく片方は突っ込んだ家の住人の脳に体の一部を寄生させて操ったのだろう。何にしてもおよそ元人間とは思えない行動だ。

 出雲にとって、こういった敵の行動を知る事も大切な経験値ではあったが、それでもさすがに顔をひきつらせずにはいられなかった。

「化け物め・・・・・・!」

 二方向からの攻撃、ミョルニルでは防げない。

 瞬時にそう判断した彼は巨人の鎚を消して(・・・)、鞘に収まったショートソードを具現させる(・・・・・)

 それは十字架の形をした西洋剣で、鞘は華美ではないものの美しい装飾がされたものだ。

 そのまま一振り、出雲は体ごと回転させて派生体を迎え討つ。

 右回転で、まずは左のモノから。左に居た化け物は鞘に当たった瞬間、骨がひしゃげた音をさせ、骨格全てをいびつにねじ曲げられながら吹き飛ばされた。

 体は人間のままだったようだ。

 つまりは右からきたモノこそが本体。

 一層力を込めて彼は剣を振り抜いた。

 だが、胴に当てようとした鞘は、その直前に派生体の背中から伸びてきた黒い触手で防がれる。飛び出してきた壁の穴にシュートされる形にはなったが、彼女はダメージを負わずに彼の剣を凌いでみせた。

 触れた瞬間、触手は無惨に破砕したが、あれはどうせ生え変わる。

 出雲は苦い顔で派生体の消えていった穴を睨んだ。

 慢心していたわけではない。一筋縄でいかない相手だとは百も承知だった。

 だが、まさかこれほど早く切り札を切らされるとは。

「やっぱり、化け物は化け物か。万可の連中は現実が見えていないんじゃあないのかねぇ」

 と出雲は一人ごちる。

 油断なく周囲を警戒していた目は、今し方飛んできた瓦礫を映した。

 それを出雲は剣をかざす事でやり過ごす。瓦礫は剣に触れる事もなく、見えない何かに弾かれるようにして砕け散った。

 そのタイミングを見計らって、派生体が再び右横から飛び出してくる。背中から生えた触手は計6本、それを体の前で交差させるようにしての突撃だ。

 触手で出雲の剣をやり過ごして、その後に攻撃を加えるつもりらしい。

「なら――」

 出雲は小さく呟き、西洋剣を消した。そして別の剣を取り出して鞘を捨てる。

 魔剣ダーインスレイヴは、『ひとたび抜けば完全に生き血を吸うまで鞘に納まらない』と言われる北欧の伝承武器だ。

 そしてミョルニル同様に必中にして、さらにこの剣でつけた傷は癒えないとされている。

 もちろん、不完全な出雲のレプリカにそこまでの機能はないが、動き回る触手を捕捉して薙払う投擲武器としては十分だ。

 出雲の手を離れた魔剣は回転しながら触手を切り裂き、派生体の防御を破った。

 役目を終えた剣は消え、出雲の手に再び西洋剣が現れる。それは派生体が右腕を振るうのとほぼ同時で、彼女の腕は阻まれるに留まらず、鈍い音を立てて力なくぶら下がった。

 続いて蹴り。

 が、これも相手にダメージを与えるどころか、派生体の脚は骨が折れた拍子に勢いよく皮と肉が捻れ、ふくらはぎの所でぶつんとちぎれた。

 触手も右足もを失った彼女に、もはやまともな行動はできまい。

 この瞬間、派生体は限りなく無防備で、限りなく出雲に接近していた。

 ここで決める。

 そう力んで、出雲は現出させたミョルニルを振るう。

 灼熱の暴力が彼女の頭部に迫ったが、不意に彼女の身体は引っ張られるように勢いよく後退し、ミョルニルは空をきった。

 どうやら髪を後ろの何かに巻き付けて命綱にしていたらしい。

 触手はそれをカモフラージュする意味もあったのだろう。どこまでも頭の回る化け物だ。

 しかし、出雲は距離が多少開いたぐらいで攻撃の手を弛めるつもりはなかった。

 多少抵抗されると直感していたからこそ、彼は追尾機能のあるミョルニルを選んだのだ。

 空を切ったミョルニルは出雲のもう一振りで投擲され、5m先に強制脱出したばかりの派生体を襲う。

 重い鉄が当たる鈍い振動と肉がひしゃげた不快音。

 そして、弾き飛ばされた(・・・・・・・)ミョルニルが弧を描いて出雲の手に戻ってきた。

「おいおいおい・・・・・・」

 出雲は目の前の敵を改めて注視する。

 そこで平然と立っているのはさきほど自分が手と足を一本ずつ潰してやった化け物だ。

 だが、腕の骨は既に完治し、無くなった脚の先からは黒い触手が絡み合って地を踏みしめていた。

 腕の方は手首から先がぐずぐずに崩れてしまっているが、それはミョルニルを素手で弾いたからで、その傷すらもすぐに修復されていく。

 いや、その異常な回復速度はこの際どうでもいい。

 だが、ミョルニルを防いだ、という点は看過できる問題ではない。

 ミョルニルは灼熱を備えているのだ。アレがどれほど肉体を強化できるとはいえ、生物らしく熱への耐性は多少低めだったはずだ。

 それにも関わらず、彼女の負傷はあくまでミョルニルの衝撃によるものに留まっていて、火傷や体内の水分を奪われた痕跡がない。

 本来なら腕一本焼けただれていておかしくないというのにだ。

 それは、つまり――――

(こいつ、魔術を・・・・・・!)

 けれど、だとして、それはどういった類のものなのか。

 例外である出雲が言うのもおかしな話だが、魔術は基本的に事前準備が命と言える代物だ。

 そう易々と魔術的触媒を用意できるものではない。それも戦いの最中ではなおの事。

 その無理難題をやってのけたカラクリを見極めようと感覚を鋭敏にして、彼は己の手にある重みを思い出した。

 北欧神話の武器、ミョルニル。

 今彼がそれを使っているのは、先日の『ラグナロク』による影響で北欧神話系の使い勝手が良くなっているからだ。

 そして、思い至る。

 北欧神話には、刃や炎すら厭わずただ狂ったように戦う兵が居た事を。

 ベルセルク、あるいはバーサーカー。

 時には熊や狼の姿で、文字通り獣の如く戦ったという。

 派生体の身体は人型でありながら獣の様でもあって、出雲に襲ってくる様は確かに狂気じみて見えた。

(こいつそのものがレプリカ(・・・・)か!)

 とすれば――、と出雲の思考はさらなる結論を導き出す。

 つまり、身体を好きに変容させる事ができる化け物が模倣魔術を使えるという事の重大さを。

「・・・・・・化け物退治は英雄の仕事かね、こりゃあ」

 言って、出雲は例の、鞘に入ったままの西洋剣を現出させた。

 その瞬間、今まで新しく生えた脚の調子を確かめるかのように振る舞っていた派生体が跳んだ。

「っ、ぉおっ!!」

 直線的に、一気に距離を縮めてきた彼女。その手は攻撃ではなく、出雲の剣へと伸ばされた。

(こいつ・・・・・・!)

 攻撃が効かないのであれば、まずはその原因を取り除けないい。そうと言わんばかりの行動だ。

 だが遅い。

 僅かながら剣が振るわれ、鞘とコツンと当たった派生体の右手は内骨格を砕かれた。

 その結果を見るや否や、彼女はすぐさま撤退に移る。

 地面を蹴り、瓦礫の山を踏み台に距離を取り、さらにもう一度再接近。

 まともに再生する事すら面倒になったのか、砕けた手は黒い触手が浮き出た気持ちの悪い形になっていたが、出雲にはそんな事はどうでもよかった。

 二撃目も何とか鞘を盾にして防いだが、三撃目は剣を掲げる事すらできなかった。

 派生体の瞬発力がさらに洗練されてきて、彼の反応速度を大きく上回ってしまったのだ。

 そして、七回目の攻撃。埒が開かないと察した出雲は反撃に出る。

 相手が剣を狙っているのならそれを利用してやればいい。

 派生体が飛び込んできた瞬間、剣を消して抜き身の長剣を現出させる。

 目にも止まらぬ速さで飛び込んできたがあだとなり、派生体の腕と胴は勢いよく刃に突き刺さった。

「残念だったな」

 出雲の挑発に派生体の舌打ちが聞こえた気がした。

 彼女は再び後退すると、自分に刺さった長剣を引き抜こうとしたが、そうする前にその剣は光の粒となって消えてしまう。

 その様を観察していた派生体は、手持ちぶさたになった手をゆっくりと地面につけた。そしてもう片方の手もつき、四つん這いの状態になる。

 長く黒い髪が逆立ち、触手で形成されたがグパァッと開かれた。

 ――グルルッ。

 威嚇するように唸るソレを見て、出雲は乾いた笑いを発した。

「はっ、バーサーカーというよりは、まるでフェンリル狼だ」

 と、意識せず口を突いて出た自分の台詞に、ふと気づかされる。

 ソレが自らを神話のレプリカとするならば、それを利用してやれ。

 出雲は次に現出させる武器を決めた。

 そして、肺から空気を吐き出して、腰を低くして構える。

 その構えは相手を誘うためのものでもある。

 さぁ来い、と。

 一方で派生体も、その意図を見抜いてか逡巡する仕草をした。

 相手は勝負を決めるつもりだ。なら、どうする?

 彼女は考え、そして下した結論は『突撃あるのみ』というものだった。

 ヒュゴッ、と空気が引き裂かれる音がし、その一拍後には出雲の視界覆わんばかりに接近した派生体が映し出される。

 この速さでふざけた攻撃力と耐久力に生命力、そして知能を持ち合わせているというのだ。

 こんな相手、普通の人間や能力者では太刀打ちできるわけがない。

 だからこそ、相手取るのは自分なのだ。

 それが出雲の自負だ。

 瞬きすらできない僅かな時間、派生体と出雲が衝突せんとするその刹那、強靱な力が派生体の身体をかっさらっていった。

 後ろへと吹き飛ばされた彼女は、身体に絡まった紐のせいで受け身を取る事もできずに、瓦礫へと突っ込みそのまま縫いつけられた。

 さらにその紐は意志を持つかのように食い込んでいく。

 派生体は紐に噛みついたが、鉄を砕ける力をもってしても拘束を解くことはできない。

「無駄だ化け物、お前が化け物らしくあるほどソレはお前に食い込むぞ」 

 北欧神話におけるトリックスター・ロキの息子にして、ラグナロクの際には最高神オーディンを呑み込むと言われるフェンリル狼。その狼を大岩に封じていたものこそ、この魔法の紐のオリジナル『グレイプニール』だ。

 少なくともたやすく抜けられる拘束ではない。

 何より出雲はこれでもう勝負を決めるつもりなのだ。

 幾度となく派生体の攻撃を阻んだ鞘付き西洋剣。それを現出させて出雲は今度こそ、本当の意味で構えた。

 それは居合いと呼ばれる構えだ。

 本来、西洋剣でやれるものではない。

 だが、彼の能力と剣の性質がそれを可能とする。

 一呼吸の後、高速で鞘から引き抜かれたのは虹色をした光の刀身だった。

 出雲と派生体とは10mは距離があった。

 常識的に考えて届くはずのない距離。それを虹色の伸びる光の筋は易々と斬り裂く。

 周囲のまだ無事だった家屋すら巻き込んで、彼が剣を振るった周辺が全てが爆せた。

 初めは大きな物が転がる音、そして石ころほどに砕かれた物が崩れていく音。

 それらが収まり粉塵が払われた後、派生体が捕らわれていた場所には、胴を半ばからほとんど失った化け物の成れの果てがある。

 びちびちと赤い血が飛び回り、黒い触手がうねっているが、もはやその命は風前の灯火だ。

 砕けた腕を再生する血肉も、逃げるだけの体力もないらしい。

 それを確認して、完全に殺してしまうために出雲は前へと踏み出す。

「まったく、しぶとい奴だ・・・・・・やっぱこっちもちゃんと準備しておかないと防戦一方になるな、これは」

 デモンストレーションのつもりで挑んだ派生体だったが、想像以上の『化け物』だ。

 これの本体となるともはやどう表現すればいいのかすら思いつかない。

 ふとある事を思って、彼は死にかけのソレに問う。

「おい、お前の本体はどこに居る?」

 当然ながら返事は返ってこない。そもそも今まで人間らしい言葉を発してもいなかったし、喉がないのか潰れてしまっているのかもしれない。

 そして喋れるほどの体力も喉を作り直す余力などないだろう。

 はっ、と鼻で嘲って彼は足を進め、そして、その横を黒いアゲハ蝶が飛んでいった。

「――――っ!!!」

 ソレが何なのか瞬時に理解して、出雲は後ろへ跳ぶ。

 それも一歩二歩ではなく、できる限り遠くに後ずさり、そして十分な距離を取った後にダーインスレイヴで蝶を打ち落とした。

 しかし、撃ち落とせたのはあくまで一匹だけで、この夜闇に何匹もの黒い蝶が飛んでいるのに気づいた彼は、すぐさまこの場を離脱する事を決めた。

 蝶による能力範囲の設定――境界、結界。この場では分が悪すぎる。

 だが、いざ出雲が逃げようとしたところで、コツンコツンと足音が聞こえてきた。

 その存在が何であるか、それを出雲はよく理解していた。

 闇から黒い長髪が揺らめくように浮かび上がり、白い肌が月光に照らされて毒々しく輝いている。

 瞼に半分隠された瞳の色は琥珀、そして感情をイマイチ読みとれない表情は彼が資料で何度も見たものだ。

 押し殺した声で、出雲はその名を口にした。

「織神、葉月――!」

 ソレは出雲には目もくれず、死にかけの派生体に近づいていく。

 血溜まりに洒落た靴が濡れるのも厭わずに、派生体の元までやってくると彼女はそこで立ち止まる。と、派生体は力を振り絞って、その細い足に縋りつき、ずるんっと勢いよく本体に吸収されていった。

(くそっ、やってくれたな!織神!)

 そもそも考えればおかしい話だ。

 幾ら派生体が本人ではないとはいえ、織神葉月の性質を色濃く受け継いでいるのなら、出雲と相対して何故撤退を選ばなかったのか。

 プロファイリングされた彼女の性格からして、状況が不利と見ればすぐさま逃走に転じたはずなのだ。

 なのに抗戦に徹して、それをしなかったのは、派生体の役割が出雲の戦力分析だったからに違いない。

 もっと言えば、派生体がロンドンに滞在しつづけたのは、本体がやってくるのを待っていたか、『織神葉月に新たな動きがあった』際に誰が動くのかを見極めるためだった可能性すらある。

 飛び散った血肉が戻ってくる間、下を向いていた葉月が、ふっと顔を上げた。

 琥珀の目がまっすぐ出雲を射抜く。

「ちっ」

 悔しいが今はまだその時ではない。

 それはさっきの戦いで痛いほど理解したところだ。

 出雲はすぐさま撤退を開始する。

 幸い、万可の造った神もどきは追っては来なかった。

 だが、それを喜べる気分ではない。

 何せ、今まで沈黙を保っていた化け物が、ついに動き出したのだ。


 ――そう。

 能力者蠢くこの表舞台に、織神葉月が帰ってきた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ