第88話- 爆弾発言。-Terrorist-
釧 無 双。
茶番乙。
多局が放映する生放送の中、大勢の記者とカメラの眼前で、釧が言い放ったその言葉に、その場の人間達はしばし沈黙した。
日本全土でパンデミックを起こしかねない連続テロ。
超能力者による国民への攻撃行為。
それらを鑑みた台詞が今の言葉だと言うのか。
いや、それ以前に目の前に居るのは本当に『実草詩句』なのか。
彼らの知っているその名のタレントは、会見においては無難な発言しかしない優等生タイプの人物だった。
どれほど記者が意地の悪い質問を飛ばしたとしても、ヤラセ番組で針のむしろに座らされても、のらりくらりと立ち回る、それが『実草詩句』という人間だ。
その人柄を知っているからこそ、会見という場では彼は記者の質問にそれなりの情報を落としてくれると思っていた。歪な形ではあるが、それは一種の信頼とも言える。
だが、マイクを石垣議員から奪い取った目の前の超能力者は笑顔で辛辣な言葉を吐いてみせた。
そして、釧がその笑みを止めてつまらなそうに顔を歪めた一瞬、瞳が蔑みを湛えているのを彼らは見た。
もはや認めざるを得ない。現在目の前の人物は今まで自分達が対話したどの時よりも機嫌が悪いのだと。
「えぇっと、まずはどうしましょうか。
・・・・・・そうですね、事件のあらましから。綿貫さん!」
「ふぇっ!?」
いきなり呼ばれた美由紀は慌てて最前列の席から立ち上がった。一記者が名指しされたことへの好奇の目が彼女に注がれる。
本人もその視線に気づき、「うげっ」と小さい声を漏らした。
「な、なんでしょうか?」
「事件の全体像を説明してください。僕が言っても信用度が低いですから」
投げやりな口調でそう言うと、彼はちょいちょいと美由紀に手招きした。
会見者側の机に来い、ということらしい。
今、石垣議員の座るはずだった椅子には釧が居て、その両脇に一つずつ空席のパイプ椅子が残っている。本来なら弁護士か秘書かが座ることになっていたのだろうが、その彼らは未だ金蹴りから立ち直れていない男に付き添ったままだ。
小鳥は腕を組んで壁にもたれた格好で釧の後ろに控えている。その瞳は閉じられていて、我関せずという今までのスタイルを突き通したものだった。
そんなテーブルに座らされては目立ちに目立つ。放送のことを抜きにしても明らかに浮いて見えるに違いない。
かなり躊躇した美由紀だったが、この場でごねても心象が悪くなるだけだと観念して移動した。
座った席に置かれたマイクを手に取り、恐る恐る口を開く。
「えーと・・・・・・」
とはいえ、どこから何を話せばいいのやら。彼女が取っかかりを見いだせずに悩んでいると、釧が彼女の所属局と今回ウイルス爆弾除去に同行した旨を伝え、
「事件の流れについて第三者の立場から彼女に説明してもらいます」
と締めくくった。
第三者の同行者という言葉に、自分への関心が強まったのを感じ、内心で悲鳴を上げる美由紀。
思えば、一人で釧についていけ言われてから大役を任され続けている気がする。
「・・・・・・事の始まりは先日、当局にウイルス散布を目的とした爆発物が設置され、爆破テロが行われたことでした。この子細については新聞・ニュース等で報道されたので、ご存じかと思います。
放送の際に使用する副調整室でのバイオテロの後、犯行声明がカードの形で送りつけられ、その署名から実行犯が超能力者が構成する過激派団体『メトイカ』だと判明。これらの情報が報道されました」
そこまで言って、美由紀は釧を一瞥した。
この内容は超能力者にとってはよろしくないもののはずだが、彼が美由紀の話に気分を害した様子はない。
「その後、さらに同じカード形式で犯行予告がなされました。
この時点で対超能力人員として実草さんともう一人の方が――」
と、あまり目立ちたくなさそうな小鳥の名前は出さないことにして続ける。
「――局を訪れました。
犯行予告があったことは情報規制すると取り決め、当局のスタッフの同行が許されたわけです。
犯行予告には翌日に楠公園で行われている反能力者集会でウイルス爆弾によるテロを行うというもので、指定された時刻、我々スタッフと実草さん達、警察職員数名で事にあたりました。
爆弾は参加者達の頭上へ何らかの方法で投射されましたが、実草さんら能力者によって被害はゼロ。その直後、テレポーターによると思われる方法で次の予告カードが届きました。
次の爆弾は同日の国会議事堂前道路に止めてあった車の底に張り付いていましたが、これも起爆する前に解除という運びでした。
再び同じ方法でカードが届き、今度は石垣議員の討論会でのテロが予告されたわけですが、それが今日の午前十一時のことです」
美由紀が記者達の目を盗んで石垣の様子を見てみると、ようやく復活したらしい彼が、いかにも深刻そうな顔をして彼女の言葉に首肯していた。
もちろんその仕草はポーズであり、超能力者へのネガティブ・キャンペーンの一環であるのだろう。
しばし次に話す内容を吟味した彼女だったが、『事実を事実のままに』という結論に達した。
「討論会場には実草さんは入場が許されず、別室で待機した状態で予告時刻を迎えることになりました。
その直前で石垣議員は会場を別階に移すことを独断し、参加者はそれに従いました。ですが、実草さん達の観測によるなら――爆弾は移動先に持ち込まれ、起爆直前に彼らによって処理されて事なきを得ます」
視界の端で石垣が自分を睨んできていたが、『嘘は言っていない』彼女は涼しい顔でそれを無視した。
反論されようが否定されようが、横にいる能力者タレントが迎合してくれるだろうことは簡単に予測できるし、黙っていたところであの時の参加者からどうせ漏れる情報だ。
この場で喋る記者『綿貫美由紀』は清く正しい姿であればいい。
それが自分や局に降り懸かるリスクを回避できる最善の選択なのだから。
「さらにその後、この場『都メゾン』で起きた事件が起こることになるのですが――」
と、美由紀は抗議しようとする石垣を遮る形で次の話へと話を進めた。
「これに関しては実草さんが独自ルート得た情報で未知のウイルスが使われた、予告なしのバイオテロでした」
自分は超能力者側にも組みしない、詳しい事情をこの場で話してもらう。
そんな意図がその言葉にはあった。
だが、石垣と違って、釧は彼女の情報漏洩を気に留める様子はなかった。
彼女に説明を託した時点で、この程度のリスクは考慮していたのかもしれない。
つれない彼の態度に、美由紀は「ちぇっ」と心の中で毒づいた。
「都メゾンでは石垣議員による討論会が再び行われようとしていましたが、この騒ぎで中止になったというのは皆さんもご存じの通りです。
また、カードによる予告も同時に行われたため、都メゾンの方へ私と実草さん、カードで指定された反能力者集会の方へ局スタッフともう一人の超能力者が向かいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・私が知っているのは以上です」
言い終わるや否や勢いよく着席する美由紀。
その顔には『これで解放された』という本音がありありと滲み出ていた。
さて、これでここにいる記者、そして生中継を見ている日本全国の人間に事件の概要が伝わったことになる。
ようやく本題に入れると、釧はマイクを口元に近づけたが、それよりも早く石垣が使われていなかったマイクをひっつかんで叫んだ。
「聞きましたか、皆さん!超能力者によるテロ!そしてそれを隠匿しようという圧力!
私は二度に及んで命を狙われたのです!
ですが!私はッ!彼らに屈しません!
力を誇示したがる、超能力者の・・・・・・支配的・・・・・・左翼的な――」
だが。
石垣の始まったばかりの演説は、多くを語る前にどんどんと小さくなり、最後には途切れてしまう。
釧が妨害したわけではなかった。
もちろん、小鳥でも美由紀でもなかったし、メトイカの連中でもない。
ただ、会場中に響く哄笑に、石垣も記者達も気を取られたのだった。
その発生源は釧だ。彼が、今までTVで見せたことのない邪な顔で笑っていた。
ひとしきり嘲り笑った後、彼は吐き捨てるように言った。
「隠匿?左翼的?何いってんだか。
なーんで、わっかんないかなぁ?
今の話、どう考えてもおかしい点があるじゃないですか?」
「え?」
「テロにはウイルスが使われました。超能力団体の犯行声明がありました。
だから能力者の仕業です?
いやいやいや!そんなわけないでしょう?
考えてみてください。これをやったのが能力者なら――何故超能力を使わなかったのか」
「い、いえ、確か犯行予告はテレポートで・・・・・・」
「ああ、そうではなくて、ここで問題にしているのは直接犯行に関係する場面での話ですよ」
「カモフラージュだ!超能力者が自身の犯行を誤魔化すために――」
石垣が横やりを入れる。
が、釧の反応は冷然としていた。
「ちょっとは頭働かせてくれませんかねぇ議員さん?
超能力団体からとする犯行声明があったんです、その可能性は一番最初に除外されるでしょうが。
大体、今回のテロに使用されたのは天然痘ウイルスですよ?
1958年に根絶計画が可決され、二十数年後の1980年に根絶宣言がなされたウイルスです。
自然界に存在しないとされている上に、1984年には特例二つを除いた全施設で天然痘ウイルスは破棄されている事になっている。
手に入れる事がまず困難と言っていい。
仮にカモフラージュにするにしても割に合わなすぎるし、超能力という絶好の手段を持っている連中がわざわざ使う理由がない」
「待ってください、連中には座標転移者がいたでしょう?
確かにわざわざ手に入れる動機はないにしても、手間はそれほどかからないのでは?」
「その記者の言うとおりだ、貴様の話には根拠がないッ!」
石垣が吠えた。
釧と美由紀は同じタイミングでそんな彼を鬱陶しそうに見やり、お互い目を合わせて前を向く。
明らかに冷静さを欠いた人間を見る事で、美由紀は現状を落ち着いて把握する事ができるようになっていた。
今、この場所において、自分の役割は事件の概要を説明する役から、記者の代表として質問する役に移っている。
事件を体験した分物わかりがいい質問役を釧も望んでいることは視線を交わした際に理解した。
(いいじゃない、やってやるわ・・・・・・!)
何よりこれまで追いかけてはあしらわれ続け、ロシアでは苦汁を飲まされた相手と、公の場で対談できるのだ。
この機会を逃す手はない。
気を取り直して、美由紀はさっきの続きを話し始めた。
「テロを行った団体にテロに使えるような派手な能力者がいなかったというのは?
だから、天然痘という珍しいウイルスを持ってきた」
「なるほど、つまり綿貫さんはテロの目的が何かしらの主張のためだと考えているんですね?」
「そういう考えもできるのではないかと」
「では、そうだったとして、その目的は達せられたと思いますか?」
「それは・・・・・・」
言われて美由紀は考える。
ウイルス爆弾自体は起爆したものを含めて全てが感染前に処理されているし、二つ目以降のテロについては局が発表してすらいない。
事件と関わっていた自分にはかなり派手な事件に見えたが、世間の認識ではあくまで単発のテロという事になっているはずだ。
「中途半端でしょう?
犯行予告があった事、それから後の一連のテロについては公表を禁止させてもらいましたが、もし綿貫さんの言うとおりの目的だったなら、途中で別の報道機関に予告先を変更したでしょうし、一つの局だけに犯行声明を送っているというのもおかしい。
ウイルステロ自体も何度も阻止されているのに対策が取られていない。
目的を達するための必死さというものが、今回のテロには欠けているんです。
能力者が処理側に回る事が想定外だったとしても、犯行予告を送らないといった方法で簡単に回避できたはずですし、もっと言えば爆弾じゃなくて割れやすい容器に入れて、テレポートでぽい・・・・・・とでもすればウイルスをまき散らしてパニックぐらいにはできたでしょうに」
「反超能力運動の抑止、つまり脅しのために行ったという考えはどうです?」
「待て!テロの狙いは私だ!だから途中ではまき散らさなかったんだ!」
美由紀は石垣の発言を無視することに決めた。
どうしても自分を悲劇の主人公に仕立て上げたい彼の言葉など耳に入れてしまえば、ただでさえ複雑な内容がさらに面倒なものになるのが目に見えている。
「・・・・・・脅し、ですか?何のために?」
一方、美由紀の仮説に釧は顎にちょこんと手をやって首を傾げた。
「反能力運動の勢いを鈍らせることができれば、それだけ超能力者の社会的立場を守れる。そう考えた集団が行動した可能性です」
「んー、でもそれってわざわざ脅す必要があるとは思えないんですけど」
「実草さんはそう考えるのかもしれませんが、別の超能力者にはそういう思想を持っている人物が居てもおかしくはないのでは?」
「あっあー、なるほど。まずそこからですか。
そういうレベルではなく、僕の言っているおはもっと根本的な感覚の違いですよ。
超能力者と能力を持っていない者では決定的な差異があるでしょう?
言わずもがな、超能力の有無です。
例えば・・・・・・」
と釧は嫌そうに石垣を見た。
「そこにいる男が邪魔だったとします。アンチ超能力、能力者法案云々と、いちいち鬱陶しいから黙らせたい。
なら――消せばいい」
「そ、それは・・・・・・」
「短絡的だと思いますか?
抵抗させずに殺して、目撃されずに死体を処理する。
その一連の行為が、適した超能力を持っている人間なら比較的容易に行えるんです。
超能力があるとないとでは暗殺のコストもメリットもまるで違う。前提条件が、心構えが違う。
道徳の話を抜きにして考えれば、超能力者には『実行困難』からくる殺人の抑止力は貴方達が思っているほど働いていない。
少なくともメトイカはテレポーターを有していますが、その能力だけでそこの男を誘拐して殺害する事は容易なわけで。
綿貫さんはメトイカのことを過激派団体と表現しましたが、そうだとするなら何故その最も簡単な手段を採らなかったのかって話になるでしょう?
カモフラージュだ脅しだって意見は確かにそれらしく聞こえますが、超能力者の視点からすると『割に合わない』の一言に尽きます。
そんなことをしなくとも、反能力者を黙らせることはできますから。
・・・・・・まぁ、いつでも始末できるからこそ野放しにされているとも言いますが」
そこで区切って釧が記者達を見渡すと、彼らの反応はあまり芳しいものではなかった。
「実感沸きませんか?それなら・・・・・・瑞桐さん」
「ん、何?」
それまで腕を組んで控えていた小鳥は、釧の呼びかけにふっと頭を上げる。
その顔は生中継に臨んでいるとは思えないほど気の抜けたものだ。
「瑞桐さんならこの男、何秒で消し去れます?」
物騒にもほどがある問い。
しかし、小鳥から返ってきた返事は釧の期待したものとは違った。
「えー、小鳥バカだから分かんな〜い」
「いや、それはもういいですから」
というか年齢的に無理がある。
釧はその言葉をとっさに飲み込んだ。
もし口にしたら、さっきの質問の答えを自分で実演することになりかねない。
「そう?」
いきなり真顔に戻った小鳥に記者一同は引いたが、彼女は気に留めず眠たげな視線を石垣に向けた。
「一応聞いておくけど、それコンマ秒での話よね?
コンマ二、三秒ぐらいかしら。『瞬きする間に』って感じ。予備動作も必要ない。
心臓を焼けば一撃だし、体ごとを蒸発させてしまえば人混みの中でも暗殺できる。はい、神隠しの出来上がりってね。
距離のことを言えば、ここからならいつでも殺せるけど?どうする?」
「瑞桐さんがやりたいならどうぞ。
僕はもう能力者問題の緩衝剤役やるつもりないですから」
釧は本当に辟易した様子で投げやりに返した。
「だいたい、釧君だってこの会場の全員ぐらい瞬殺できるでしょう?」
「まぁ、念力で粉砕して後は海に捨てるなりすれば全員始末はできますが。ただ、はっきり言って面倒臭いだけですよ」
そんな話を、世間話の様に超能力者二人は語っている。
その様に自分達の命の扱いが彼らにとって些末である事を実感して、記者一同は今更ながら思い知らされた。
釧の言っていたことは事実だ。
少なくとも今回の件で超能力者が脅しを目的にしていないのだろうし、そもそも目の前で泡を食っている議員の男が生かされているのは、超能力者にとってその価値がないからなのだろう。
彼らは背筋が寒くなるのを感じながら、前でなされる会見の行く先を見守るのだった。
「ああ、そろそろ話を戻しますか。
えーと、脅しというのがテロの理由としてそぐわないと分かってもらえたと思いますが、そんな面倒な話の以前に、犯行声明を出して超能力者団体による犯行だと宣言しているにも関わらず、実際の犯行で能力を使わなかったというのがどう考えてもおかしいんですよね」
「さっき言っていた、能力があるのにわざわざ手に入りにくいウイルスを使った事ですか?」
「いや、それとは別です。
テロの犯人が超能力団体であるというのなら、彼らは超能力を使わなければならなかった。
平時でも言える事ですが、能力問題が表面化している今の情勢では特に、名乗りを挙げたところで、それをそのまま受け取ってくれる人間は少数です。
別の能力者、あるいは能力者を疎く思っているような連中による偽装ではないのかという疑念が常に付きまとう事になる」
釧がそこまで口にしたところで、美由紀はあっと声を上げた。
「犯行声明を出して・・・・・・・・・・・・何かを主張しようとする人物達にとって、自分達が本物かどうか疑われる状況は好ましくない・・・・・・。
よしんばウイルスを手に入れるチャンスがメトイカにあったとしても使うはずがないと、そういうことですか?」
美由紀の言葉に釧は頷く。
「そうなんですよね。超能力を使っていれば、まず反能力派の仕業という可能性を排除できるわけですし、能力は超能力者で固有ですから、うまく使えば他の超能力者団体とも差別化できたはずなんです。
逆に使わなかった場合は?そう考えてみてもメリットはないわけで。
まあ、はっきり言ってしまうとですね。
今回のテロ、超能力者が犯人だとすると辻褄が合わないんです」
釧の言葉に会場はざわめき立った。
それはもちろん、超能力者が仲間を庇っているともとれる発言をしたからというのもあるが、話の筋は通っているために戯言と切り捨てられなかったからだ。
少なくとも彼は記者側・非能力者側の質問役を立てて、その人物から質問を引き出しつつ理屈を組み立てていった。
同業者の綿貫美由紀という人物が反能力気味の記者であると知っているからこそ、彼らは釧の話にあからさまな贔屓がないと理解できてしまう。
しかし、その理屈通りなら能力者によるテロに思われた今回の事件は全く違う意味を持ってくるわけで・・・・・・。
今、自分達が放送しているものが、どれほど重大なものかという考えが彼らに動揺を与えていた。
その様子を見てさらに焦り出すのが石垣だ。
超能力者の仕業ではないとする台詞に対し、ここにいる記者達なら否定的な言葉を飛ばすだろうと予測していた彼だったが、結果はその期待とは異なったものだった。
肯定的ではないにしろ、身内を庇う超能力者の与太話に耳を貸すなどというのは彼には許せることではない。
口角泡を飛ばす勢いで彼は口を開いたが、美由紀の声がそれを遮った。
「で、でも待ってください!
確か、犯行予告は超能力団体によるものだとサイコメトリーが証言しているんですよね?
それに予告カードは間違いなくテレポーター・・・・・・超能力者が送ってきたと実草さんも言っていたでしょう?」
「ええ。けど、とりあえずその事は置いておいてください。順序立てて考えていかないとややこしくなるので。
まずはテロの犯人は超能力者ではないという前提で犯人の正体を推理してみてほしいんです」
「え?うーん、いきなりそう言われましても・・・・・・」
「何か難しく考えすぎてません?
いいですか、犯人はそこにいる石垣議員の討論会が一回目に狙われた時、この男が勝手に場所を変えたにも関わらず爆弾を設置できたんですよ?
そして犯人は超能力者ではないとするなら?」
「そうか、そうですよ・・・・・・あの状況で爆弾を仕掛けられる人間なんて会場に居た人物しかいない・・・・・・。
いえ、そもそも討論会以外の現場でも近くにいな、ければ・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
と、そこで、
「――――あ」
美由紀は真実に至って、自局の撮影スタッフを見た。
いきなり視線を向けられた彼らは思わず身じろぎしそうになりながらも平静を装ったが、記者の端くれとしての観察眼は持っている美由紀には十分すぎる回答だった。
特に、責任者としてずっと立ち会ってきた、釧に美由紀を押しつけた例の男の隠しきれていない動揺が全てを物語っていた。
「だから言ったでしょう?『茶番』だって」
釧の言葉がキッカケとなり美由紀の顔が呆然から怒り、恥辱、非難の色に変わったのを見て、男は慌てて叫んだ。
「濡れ衣だ!だいたい予告カードの鑑定結果から超能力者の関与は疑いようがないではないか!
犯人が超能力者ではないと考える?それこそこの男の思惑通り、超能力者の罠だろう!」
最前列の席から立ち上がった彼の姿を無数のカメラが捉える。
彼は自分の行動が異様さを際だたせていることに気づいていなかった。
いや、その余裕がないのだ。
彼の眼前にいる論敵は、彼の反論に対して眉一つ動かさず頬杖をついている。
その様子から見て取れる相手の余裕が彼の心に焦りを生じさせていた。
釧はそんな男を一瞥するに留め、
「では説明しましょうか?事の最初から、順を追って。罠かどうかそれではっきりするでしょう?」
彼にというよりはざわめく記者達に向けてそう言った。
そして、記者達の意識が自分に戻ったことを確認して続ける。
「・・・・・・さてさて、えーと、そう、そもそもこのテロはそこのTV局による自作自演が発端でした。反能力の声が大きくなる中、大スクープをもくろんだヤラセ。
まぁ、他にも思惑はあったのでしょうが、主に能力者の立場を悪くしようとしたわけです。
そして計画は実行され――本来なら事件はここで終わるはずでした」
ところが、と冷笑混じりに釧。
「ここで彼らの予期せぬ出来事が起こります。
自分達が濡れ衣を着せた相手、本物の『メトイカ』からのメッセージ。
その内容は次の犯行を指示するものでした」
「じゃあ、あれは犯行予告ではなくて・・・・・・」
「局への命令文です。真相をばらされたくなければ言うとおりにしろ、という類の」
「それで予告カードにはメトイカの残留思念が残っていた?」
「そういうことです。この時点ではまだ予告をもみ消して知らぬ存ぜぬで通すこともできたのでしょうが、さらに彼らには悪いことに僕達がウイルステロの予告を嗅ぎつけて来てしまった。
そうして彼らは引くに引けなくなったというわけです」
「だ、だから予告カード・・・・・・命令カード通りにウイルス爆弾を仕掛けたっていう事ですか!?」
「彼らにとって自演がバレるのは破滅ですからね。
それに本当にメトイカが関わってきているのなら、まだ連中に罪を着せられるという希望も残っていましたし」
「でたらめだ!あんたの話には根拠がない!」
溜まらず男が喚いた。
本来なら味方してもらわなければならない、同じ局の美由紀が向こうの意見に流されているというのは最悪の状況だ。
彼としては石垣の加勢を期待していたのだが、議員であり会見の主役であったはずの男はただ顔をひきつらせているだけだった。
「論拠はありますよ。犯行声明と犯行予告です」
「それが何だというんだ!」
「連続殺人と同じですよ。犯行手段が違えばそれを同一犯と考える者はいない。
この一見を主張ある連続テロだとするなら、一件だけ犯行後に宣言を出して、その後は事前に予告するという不統一な手段は取りません。
テロに超能力を使うべきだった理由と同じで、まずは自分がやったことをまず断定させなければいけないんですから。
・・・・・・要はそれぞれを送ったのが別の人物だとするのが一番論理的に解釈できるんですよ。
それともう一つ、あなたは言いましたね。
『超能力者は信用できないから犯行声明のカードは科捜研に渡さず手元に置いている』と。
けど、実際はサイコメトリーされると困るからでしょう?
予告カードと違って犯行声明の方の残留思念はあなた達を示してしまいますからね。
ああ、反論は結構です。何も言わずに犯行声明を科捜研に送って頂ければ、それではっきりするので。
あ、もちろんまだ持ってますよね?紛失したとか言わないでくださいよ?それこそ状況証拠と取りますよ?」
マシンガンのように追求されるも、男はひとつとして反論できなかった。
犯行声明のカードについては出せるわけがない。
釧の言うとおり、あれを調べられれば自分のやったことが露見してしまう。
こうして会見で堂々と超能力者に指摘されさえしなければ、反能力者の風潮がある今なら、あるいは濡れ衣だと言い張る事もできたのかもしれないが、時すでに遅しだ。
彼は完全に追いつめられてしまっていた。
何故こうなったのかと、頬を流れる汗を感じながら考える。
そもそも連続テロになどするつもりはなかったのだ。
本物の『メトイカ』が現れようとも押し切れる算段だった。
予告カードに似せた脅し文がきた時ももみ消せばいいと考えていた。
なのに、万可統一機構が過剰に反応してきた。
このご時世だというのに、世間体を省みない強引な方法で捜査に介入されて・・・・・・そこから計画が狂いはじめたのではないか・・・・・・。
「というか、彼らにしてみればここまで超能力者がこの事件に突っ込んでくるとは思ってなかったんでしょうね。
犯行声明を警察に押収されずに持っていた事からみて、警察に強力なコネが持っていたようですし。
ああ、というより提案してきたのは向こうからですか?
とにかく、計画通りなら能力者の反応も押さえ込めるはずだった。
さぞ混乱したでしょう?何故、『万可統一機構』がでばってきたのかって。
それを説明するためにも話を事件の経緯に戻しましょうか。
本来なら単発で終わっていたウイルステロ。それが何故こんなに複雑な事態になったのか・・・・・・。
ぶっちゃけてしまうと、テロと同時期にメトイカが本当に万可が管理していたウイルスを盗み出していたからです」
「そこの都メゾンで爆弾に仕掛けられたウイルス、ですね?」
と美由紀。
「ええ。その一件だけはメトイカの犯行であり、メトイカの目的でしたから。
つまり、言ってしまえばタイミングが悪かったんですよ。
嫌がらせだったのか、他に理由があったのか、何にせよ危険なウイルスを盗み出したメトイカ。そんな彼らの耳にあるニュースが入ってきた。自分達がTV局にウイルス爆弾を仕掛けたというニュースです。
そこで彼らは考えたのでしょう。これは利用できるのではないか、と。
一方で万可の方も必死だ。もしウイルスが外界に漏れだしてしまえば能力者もそうでない者も等しく大量死することになるわけですから。
だから最悪な事態に陥らないように僕達を派遣した。
そうして今回の連続テロへと発展したというわけです。
その結果は先ほど説明があった通りですね」
「・・・・・・何度も予告を送って連続テロを印象づけた後、一回目の石垣議員の討論会を妨害。場所を移した討論会で問題のウイルスを使った爆弾を予告なしに設置した・・・・・・ということですね?
ということはメトイカの狙いは石垣議員だったことには違いないと?」
そんな美由紀の台詞に、ついに自身にお鉢が回ってきたと喜色を示した石垣だったが、
「まあ、お遊び程度の目的ですけね」
釧の一言に冷水を浴びせられた思いをした。
「綿貫さんが言ったように、メトイカは一度目の討論会を妨害して場所を移させているんですよ。
何故だか分かりますか?」
「気密性・・・・・・一回目の会場ビルでしたけど、二回目は地下でしたよね。
メトイカが予備の会場の情報を得ていたのだとしたら、そっちの方がウイルスを使うのには都合がよかったのではないでしょうか」
「その通りです。ウイルスが漏れ出すというのはメトイカにも困る事態ですからね。本命の前に必要ないテロを繰り返させたのも、僕達のようなウイルスに対処できる人間を呼び出すためでもあったんでしょうし。
まあ、要はうまい事に条件が揃ったからこそ彼らはウイルスを使ったわけで、そこのTV局が自作自演のバイオテロなんて起こさなければ、今回の計画を思いつきもしなかったと思いますよ。
前言ったように、能力で殺害した方が断然速くて面倒がないんですから。
死んだら愉快だな、程度の気持ちだったんじゃないかと」
あっさりと、そんな残酷な言葉を吐いて、釧は未だ立ち尽くす真の犯人の男を見た。
男は呼吸を酷く乱して脂汗をいくつも滲ませている。
その後ろでは他の記者達が世話しなく意見を交わしあっているが、その話し合いが帰結することはないだろう。
「認められるはずがない!!そんなはずがっ!!」
突如、石垣が叫んだ。
その手にはもうマイクはない。己の声だけで、会場中に届く音量は備わっていた。
「お遊び?愉快?貴様が私をコケにしたいだけだろう!
私はこの国の代表の一人として!国の行く末を常に考え・・・・・・っ!」
「考えて行動した結果が会場の勝手な変更だというのなら、実際あなたは能なしでしょう。
そもそも僕達が任されていたのは盗まれたウイルスの対策であって、TV局の仕掛けた天然痘ウイルスではなかった。
あなたがくだらない行動をした時だって、放っておいて感染させても別によかったんです。
天然痘ウイルスの除去に関しては善意みたいなものだ。連続テロはそちらの自業自得なんですから。
石垣議員、あなたは事ある毎に僕に嫌がらせをしてきましたが、それらに関して僕が反応した事がありましたか?ないでしょう?
それが答えですよ。
興味がない。この男は何も為さない。どうでもいい」
「・・・・・・っ!!!・・・・・・だが!貴様の話には穴がある!」
石垣は最前列で突っ立った男を睨んだ。
「連中がテロをでっち上げたと仮定して!そのウイルスはどうやって手に入れたというのか!
天然痘ウイルスが入手困難だと言ったのは貴様だ!超能力者にすら困難な代物を、人間が手に入れられたとは考えられない!」
「さあ?それは彼に聞けばいい事でしょう?
まあ、予想くらいはできますが。
公に天然痘ウイルスを保持しているのは世界に二カ国しかない。その大国の内、超能力の立場が揺らいだり日本が二分されて得をするのがどこかって考えれば・・・・・・ねぇ?」
釧は明言こそしなかったが、超能力関係の事情に多少精通している人間ならすぐさま思い当たることだった。
特に、その関連事件に関わっていた美由紀には心当たりがありすぎる。
ロシア。あの国はレッドマーキュリー計画も頓挫して超能力の世界では一歩遅れをとってしまっている。
しかもそのレッドマーキュリーの顛末に日本の超能力者が関わっていた事を掴んでいるとしたら・・・・・・・。
彼らにとって特別都市は喉から手が出るほどほしいものだろう。北方領土という侵入経路を持つ彼らにとって、本島から切り離された北海道の学園都市は非常に美味しい獲物に見えていたはずだ。
ロシアは日本内の能力者・非能力者の分裂を望んでいた。
一方で、日本としては国内が不安定のこの時期に侵略を受けるなどたまったものではない。
日本政府が日々高まる超能力への非難を無視できない以上、形だけでも超能力者を御しているという体裁がほしかった。
超能力者による不祥事を起こす事で能力者の立場を貶めるというのは、政府にとって一つの策になり得る。
いくら超能力者が各人で強力な能力を保持していようと、比率的には日本人口の数%がいいところだ。
民主主義を謳っている国である以上、大多数の意志を示す事で能力者を押さえられるという考えがあったのかもしれない。
もちろん、それは本当に希望的観測でしかないだろう事が、釧の話を聞いた美由紀には分かっていたが。
何にせよ、多様な要素が入り乱れた結果、自演テロは行われた。
とすると、それが暴かれた今、この国は、この世界はあまりも危険な状況に置かれている・・・・・・?
「何にせよ、これは超能力者全体に対する侵害行為にある事は間違いない。
踏み込んではいけない最終ラインへの侵犯だ」
釧は最終ラインという単語を強調しながら、カメラの向こうで見ているだろう能力者達にそう告げた。
「これで能力を持たない人間と持つ人間とは決裂することになるでしょう。
正直言って、随分バカな事をしたものですね」
軽蔑の籠もった釧の声。
それに反応したのは、石垣議員ではなく真犯人というべき男だった。
「あんたに何が分かる!」
彼は脂汗を飛び散らせながら、伏した顔を上げて釧を睥睨する。
「超能力は他国にとって甘い蜜だ!
もし、このまま日本が超能力問題を野放しにしていたら!間違いなく諸外国に攻め込まれる!
そうなれば駆り出されるのは自衛隊、つまり能力のない普通の人間達だ!」
なるほど、と美由紀は部署違いの男の言葉に納得がいった。
確かに自衛隊の多くは未だ普通の人間だ。
超能力者もいなくはないが、『自衛』隊とはいえ超能力者を兵器として運用していると取られない行為は、諸外国を刺激してしまうという理由からどうしても数が少ない。
今の状況で侵略行為が為された場合、当然自衛隊が出る事になるが、そうして戦うのは超能力とは無関係の人々という事になる。
「それだけではない!無関係な国民にまで被害が及ぶ!」
「だからテロをでっち上げた?
はっ、ご立派なことで。貴方こそ議員になればよかったんだ。きっとそこの石垣よりも疎まれたろうに。
その、超能力者を国民に含めない考え方こそが両者の溝を深くしているんでしょうに。
能力者と君らの決裂なんて、結局のところ時間の問題だったんです。
まあ、よかれと思った行動で、自らトドメを刺してしまうとか、呆れを通り越して若干愉快ですらありますが」
「まるで他人事のように!超能力者の、その無責任さがどれだけの人間を・・・・・・っ!」
「『犠牲になると思っているのか』って?知りませんよ、そんなこと。
他人事?ええ、そうですよ。僕にとっては他人事だ。
勘違いしているようですが、僕は超能力者の代表じゃあない。
はっきり言ってあげましょうか?
僕個人としては反能力と能力者、双方が共倒れしてくれるのが一番嬉しいんですよ」
花咲くような笑顔で、無邪気さすら残る声色で釧は言った。
この度、釧のそんな笑顔を何度も見ることとなった美由紀だったが、この笑みが一番背筋を寒くさせた。
共倒れこそが釧の目的だというのなら。
その目的の元、この会見を乗っ取ったというのなら――自作自演の男より、連続テロを仕立てたメトイカより、この男こそが真のテロリストではないか。
「一応、超能力者タレントとして義理で仲を取り持つよう努めてはきましたが、それももう無意味でしょう。
勝手にいがみ合ってくれるんだから、全く・・・・・・。
いっそ全滅してくれたらすっきりするのに」
全滅、というのはこの場合超能力者を含む日本国民全員を指して言っているだろう。いや、あるいは世界全てを見据えているのかもしれない。
超能力者と対峙しているつもりだった石垣とTV局の男は、ここに来て相手にしていた存在の不気味さにたじろいだ。
目の前でマイクを握る人物はいったい何を考えているのか。それが分からない故に生じる恐怖がじわじわと全身を満たしていく。
会場全体を包み込む異様さに記者達を含め彼らは言葉を交わす事すら忘れていた。
そうして場に訪れた静寂を破ったのは、記者達に届いた通信だった。
会場中で聞こえ出すバイブレーションのかすかな音、そして応答した記者の声や物音。
ある者は立ち上がり、ある者は聞かされた情報に思わず声を漏らし、ざわめきは段々と混乱の相を示すようになった。
もはや会見などおかまいなしに、通話向こうの相手と情報交換を計ろうとする記者達。
その声のひとつが美由紀にも聞こえてきた。
「・・・・・・国会議事堂襲撃って・・・・・・メトイカの仕業ですか?え、違う・・・・・・!?別の超能力者?でも・・・・・・」
美由紀は思わず釧を見た。
自分よりも遙かに耳がよい、記者達の会話をより詳細に理解できているはずの彼は、大混乱となった会場を眺めながら口角をつり上げていた。
♯
生中継での最終ライン侵犯宣告、それに伴う能力者の不文律の発動――すなわち、政府へのクーデター。
石垣議員の会見という名目で始まった中継から、そこで明らかにされた非能力者と超能力の不和を決定的なものにする事件に、さらには突如始まった超能力者の武力反乱と目まぐるしく移り変わった状況の展開は、すべて釧の思惑通りのものだった。
超能力者も視聴しているだろう会見の場で『最終ラインが破られた』と宣言した事は言うに及ばず、言う必要のない能力者側の動きや、万可の名前を出した事も含めて釧の計画した事だ。
未だ勢力争いの絶えない超能力界隈、今回の件で信用を地に落とした日本政府、そんな中でクーデターが決行されればどうなるか。想像するのは容易いだろう。
「最終ラインを越えて権利を侵害されてた場合は、いがみ合うことなく協力して政府を落としましょう」という超能力者達の不文律は聞こえはいいが、主導者が定まっていないままに行われてしまえば、結局権力闘争が後に残ることになる。
そこに『万可統一機構』まで絡んでくるとなれば、もはや内戦の激化は避けられまい。
ここ最近の動向で疲弊が見える万可にとっては強烈な一手となるに違いない。
それこそが釧の狙いだった。
一方、この状況は天然痘ウイルスを秘密裏に流した犯人であろうロシアの思惑でもある。
こうして日本国内が不安定になっている間に北海道をかすめ取る。それが彼らの狙いだろう。
天然痘ウイルスは確かに公式には二大国しか保持していない事になっているが、他にも保持疑惑のある国々は存在しているため、それだけで疑いをかける事ができる証拠物とは言い難い。
特に国家間の交渉においては、相手が犯人と分かっていても明言できないという状況というのが多々あるものだ。
それが分かっているからこそ、ロシアは天然痘ウイルスなどという変わり玉を使ったのだろう。
もしかしたらレッドマーキュリーが日本にいる可能性が高いことを掴んでおきながら追求できない事への意表返しだったのかもしれない。
何にせよ、レッドマーキュリー計画が頓挫したロシアは超能力関連には余裕がない。
今後攻めてくることは容易に想像できる。
さすがにそれは困るので、釧は先んじてこっちにも手を打っておく事にする。
借りたままだった美由紀のケータイを使い、電話をかける相手はある意味問題の人物であるレッドマーキュリー、ラリーサだ。
登録していない番号からの通話に向こうは混乱しているようだったが、それを二言三言で諫めてから彼は言った。
「近く、君を幽閉していたロシアに報復できるチャンスがあるかもしれないんだけど、興味ある?」
即座に返ってきた答えに、釧は満足そうに頷くとガラケーを折り畳んだ。
場所はとある喫茶店、その奥のテーブルに釧は一人で座っている。
会見会場から記者を撒くために小鳥とは別行動をしたのだが、待ち合わせであるこの場所に先に到着したのは彼だった。
尤も店内を自分に向かって歩いてくる小鳥の姿が見えているので、待たされる心配はいらないようだった。
だが、その小鳥の連れている人物に気づいて、釧はあからさまに嫌そうな顔をした。
「何で加藤がここに居るんだ・・・・・・」
「出会い頭に失礼な奴だな貴様は!任務を与えたのは私なのだから、私が様子を見に来ても何らおかしくはなかろうに」
そう言うと加藤倉密は釧の正面の席にどかりと豪快に腰を下ろした。この男の隣は嫌だったらしい小鳥は何も言わず釧の隣に座る。
「それで?」
とメニューを鼻を擦りつけるほど顔に近づけて凝視する倉密に、釧が切り出す。
「それで、とは?」
「岱斉は何て?お咎めは?」
「ふぅん?・・・・・・いや、何も言ってはいなかったが?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・脱退命令は?」
「いいや?」
倉密の答えに釧は眉を寄せた。
拍子抜けしたというのもあるが、かなり手痛い一撃であるはずの行動に対しての反応が薄い事が気になるといった具合だ。
「何だ、意外だな」
「そうかね?私は相応だと思うがね」
と、これまたあっさりと倉密は言う。
釧はどうも納得がいかずにアヒル口になって、両肘を付いて顎を乗せた。
けれど倉密はそんな釧などお構いなしだ。
好き勝手に注文を行った後、テーブルから乗り出さんばかりに迫りながら二人に尋ねた。
「それよりもだ。どうだった、H.O.Xウイルスは?
君らは直接目の当たりにしたのだろう?!」
どうと言われても、ミクロン以下の存在を裸眼で捉える事はできない釧に答えられることはない。隣の小鳥に視線を移すと、彼女は期間限定メニューのチラシを広げながらつまらなそうにしている。
返答を待つ視線を二つ受けて、彼女は溜め息を吐いた。
「期待しているところ悪いけれど、アレ、バラ撒かれても大した被害にならなかったと思うわよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「何というか・・・・・・・・・・・・いっさい活動していなかったの。
人体に入っても増殖しないんじゃないかしら」
「ちょっと待ってください瑞桐さん。それって死滅していたってことですか?
けど、滅菌作業はしましたよね?」
「死んでもいない。けど、生物的な動きもない。
・・・・・・説明しづらいんだけど、本当に『停止している』って感じだったのよね。
休眠状態にあるってわけじゃないし、もちろん活性化できないような環境にあったわけでもない。なのに動かない。あんなの視るのは初めてよ。
加藤、貴方は知っていたんでしょう?」
「まぁ、培養できないからこそ機関の保管庫で放置されていた代物だからな。
いつ活性化するか分かったものじゃなかったから今回は大事を取ったわけだが」
「不活性って・・・・・・四年前、確かに猛威を振るったウイルスが?
待ってください。増殖しないって事はDNA複製が行われていないっていう事でしょう?
それだと万可の保管していたアンプルのウイルスは、当時採取されたウイルスそのものだという事に・・・・・・?
なのに毒性どころかウイルスとしてすら機能していない?」
「そういう事になるわね。
いつの段階で、どうやってかは不明だけど・・・・・。
そう、たぶん、あれは――――葉月ちゃんが、止めてる」
その言葉に釧は僅かだが目を見開き、倉密はぼそりとひとりごちた。
「やはり・・・・・・観念的なアプローチからDNAの発現を止める、か・・・・・・そのままではいけないとは、どこかで聞いた事のある話だな、全く」
それは非常に小さな声だったが、釧の耳に妙に残るものだった。
その後、それでもテンションの高い老人の話に二人は付き合わされる事となり、彼らが解放された頃には時計は午後9時を回っていた。
疲れ知らずの老人はうきうきしたまま店を出ていき、テーブルには釧と小鳥の二人となった。
お互い夕食になりそうなものを注文した後、釧はようやく話せるようになった話題に入る。
「ところで瑞桐さん」
「何かしら。ああ、犯行声明のカードならこっそり焼いておいたわよ?そういう事でよかったのよね?」
「まぁそうですが。それとは別の話です」
「あらそう」
小鳥はテーブルに並べられた甘ったるいパンケーキの盛り合わせから、まずはチョコのかかったバナナをフォークに指した。続けて、イチゴ、焼きリンゴと同じ様に取っていく。
その様子から見て取れるのは、分かっていたが話したくないという心情だ。
だからこそ釧は話を続ける。
「H.O.Xウイルスですが、確か神戸万可から持ち出されたのはアメリカとの取引があったからですよね。
その為にまず琉球万可に運ぶところだった」
「そう聞いているわ」
「アメリカ、ペンシルバニア州といえばソフィ研究所だ。
SPS薬の解析をやっている研究所が何で使いようのないウイルスを欲しがったんです?」
「それ、私が知ってると思う?」
「琉球万可もウイルスを受け取る予定だったんでしょう?
ということは活用法にも心当たりがあった、違いますか?」
小鳥は肩を竦めて、フォークに刺さった果物を口に含んだ。
「根拠としては薄いわね。実用性はともかくH.O.Xウイルスが希少なものである事には違いない。ただ欲しがったとしてもおかしくはないわ」
「なら攻め方変えます。
当然秘密裏に行われていた今回の空輸。聞いたところによると夜で、しかも海上だったそうじゃないですか。
そんな特定の難しい状況で、どうしてメトイカは襲撃できたのか。
内部からのリークがあったと考えるのが自然じゃないですか、ウイルス護衛を任される予定だった瑞桐小鳥さん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・はぁ。
私が聞いたところじゃ、取引で万可がもらう予定だった例の髪の毛のDNAと合成するって話よ。
『ウイルス』というのに魅力を感じたとか何とか」
「合成・・・・・・遺伝子組み替え?
DNA発現のみられないウイルスと合成して何の意味が。
いや、そもそも群馬の局長ダヌキ曰く髪の毛のDNAは葉月のオリジナルのものであるはず・・・・・・それを葉月から分離したウイルスDNAと合わせる?
葉月そのもののDNAではないにしろ、派生物である以上似たような塩基配列だろうに・・・・・・・・・・・・意味のある行為には思えない・・・・・・。
万可の意図は相変わらず理解し難い、か」
「案外、理屈で考えない方がいいんじゃないかしらね。
琉球の万可じゃ、局長より出雲の方が発言力あるぐらいだけれど、それで回っているし」
「出雲?」
「琉球万可のお抱え能力者。今沖縄にはいないけど」
小鳥はそれだけ言うと、本格的に目の前のパンケーキを食べ始めた。
これ以上は話を聞いても無駄だと察した釧も頼んだワッフルに意識を向ける。
焼きリンゴとメープルシロップがふんだんに使われた今日の夕飯の代わりは糖分を摂取するには十分なものだったが、生じた疑問について考えるにはそれでも足りない気がした。
それから、小鳥が沖縄行きの便の出る時刻となって店を去り、釧は一人になった。
夜の喫茶店は、この時間帯だからこそ店にやってくる客層がいるためにそれほどがらんとしているわけではない。
他の客のたてる微かな物音や店内BGMに耳を傾けながら、釧は物思いに耽っていった。
考えることは多い。
万可の素っ気なさすぎる釧への反応。ウイルスの用途。
そして、ソフィ研究所の不可解な動き。
情報は揃っているのか、それとも判断材料はまだ足りていないのか。それすら分からない。
足りていないとして、次はどこをつついてみるべきなのか。
輪切りバナナに皿に残ったチョコを絡める。
候補は二つ。淡路島か、ペンシルバニアか。
どちらにすべきか・・・・・・釧がその選択に思考を巡らせていると、店のドアのベルが鳴った。
来客を告げる鈴音に何ともなしに顔を上げると、入ってきたのはスーツ姿の男が数人のようだった。
その中に、テロ対策で顔を合わせてハイヒールを預けた警察関係者も混ざっているのを見て釧は首を捻る。
こんな時間に訪ねてくるような急用があっただろうか。
いや、生中継であれだけのことをやらかしたのだから追求される理由はあるだろうが、あの件に関しては釧はあくまで観測者であって直接犯罪を犯したわけではない。
それ以前に、連続テロについて警察機関がまともに捜査できる状況ではないはずなのだが・・・・・・。
男達は釧のテーブルの前に着くと、怖ず怖ずといった風に釧に話しかけた。
「朽網釧さんですね?」
「そうですが、何か?テロについては会見以上のことは知りませんよ?」
先に釘を刺すつもりで釧は言ったが、彼らは首を振って否定した。
「いえ、その件でなく・・・・・・・・・・・・ロシア、レッドマーキュリーの騒動に関して、あなたが関わっていたのではないかという情報が出てきまして」
「は・・・・・?」
「その件について重要参考人としてご同行お願いしたいのですが。
科捜研の・・・・・・長谷川亜子主査によりますとハイヒールから事件時期にロシアに居たことや破壊活動を行った残留思念が視える、だそうで」
ハイヒール、という単語に釧は警察の男へ振り向いた。
その形相に気圧された彼は、両手を前で振りながら言い訳する。
「そのっ、犯行予告のカードを届けた時に、長谷川主査がハイヒールの方にも興味を示されて・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(やりやがったな、副委員長っ・・・・・・!)
♯
ロンドンでは最近、まことしやかに囁かれている噂がある。
曰く、切り裂きジャックの再来だとか。
曰く、ロンドンの街に巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされているだとか。
曰く、夜の街を徘徊する不定形の化け物だとか。
その噂のどこまでが本当なのかは別として、このところロンドンで行方不明事件が多発していることは間違いなく、この手の目撃情報が頻発するようになっているのは事実だった。
目撃者によってその形状はまちまちだが、とにかく『何かが居る』という漠然とした恐怖が街には漂っていた。
それは、九つ子機関壊滅に端を発するおぞましい事件の続きと言えた。
あるいは二次災害と言い換えることもできるだろう。
ロンドンの行方不明者多発事件は葉月派生体の仕業なのだから。
本体と違い明確な目的を持たない個体故の、気まぐれな殺戮だった。
そして、そんな行為はその日の夜にも行われていて――、獲物となったのは夜道を歩いていたOLだ。
帰宅途中の彼女は壁を跳ねて飛びかかってきた存在に気づくことなく、首の骨を折られて絶命した。
"彼女"は裏路地に獲物を引きずると、さっそく食事に取りかかったが、今晩はそこからがいつもとは違っていた。
コツコツと石煉瓦を叩く足音が、まずは"彼女"の租借を中断させる。
人通りの多くない袋小路である"彼女"の現在位置は夜中に人が来るような場所ではない。
それにもかかわらず、足音の主は意思の宿った歩みで近づいてきている。
その事に気づき、あえて隠れることをせずに待った"彼女"の前に現れたのは見た目は同年齢くらいの少年だった。
内臓をこぼした女性の死体と血塗れの裸女を見て一切動揺しない彼の様子に、"彼女"はその存在が敵なのだと理解する。
男――出雲は、目の前に広がる血生臭い光景を見据えて言った。
「まぁ、一応あの魔術師達には世話になった事だし、敵討ちぐらいはしてやるさ。
劣化個体だろうがアレのクローンには違いない。試すにはちょうどいいだろ。
――来いよ化け物、小手調べだ」