第87話- 茶番乙。-Precognition-
石垣耕造。今年で六十五を数える彼は、政界ではベテラン議員に分類される人物である。
『石垣議員』と聞けば、誰もが彼の白髪と四角い顔を思い起こせるほどには知名度があり、何より偏見と取られかねない過激な言動を繰り返すお騒がせ議員と言えば真っ先に彼を挙げる人も少なくない。
特に超能力に関しては、彼自身が能力開発最初期に子供時代を過ごした体験から反能力を掲げ、政界において超能力反対を主張し続けている。
その主義主張の正誤はさておき、彼の政治的手腕に関して言えば優秀であるのは間違いなく、何度も当選し議員職を勝ち取っている男だ。
また、彼の活動は政界に止まらず、出版や芸能にも影響力を持っている。
能力者タレントとして表舞台に立っている釧にもその魔の手は及び、彼に嫌がらせや妨害を受けたことは一度や二度ではない。
被害者の釧からしてみれば、彼は時代についていけない古狸であり、自身の年の功に耄碌した老害である。
今回の問題を暴力で口を封じられると考えている超能力者も大概外道だが、こっちが身内である事を差し引いても、彼のやり口は腐っているというのが釧の心象だった。
発言の端々に感じられる蔑視や、他者の価値観や倫理観に対する軽視、そして今回の反能力者法案。
特に法案は彼の醜い功名心が透けて見えると能力者の反感を買うこととなった。
釧ほど近い距離にいたわけではない他能力者にとっても彼は目の上のたんこぶだ。
クーデターの建前を作って勝手に墓穴を掘ってくれるという意味では役立ってなくはないが、感情の部分で彼に好印象を持てる能力者はいないだろう。
そして、小鳥にとっても関わりたくないし、関わる必要もない人物だった。
釧や他の能力者とも違って、琉球万可と特殊な協力関係を結んでいる彼女にしてみれば、彼はいっさい興味のない存在であり、それどころか興味をもたれたくない相手とも言える。
能力者の間で名を知られていようとも、世間一般では無名な彼女にとって、彼への接近はまさに百害あって一利なしなのだ。
けれど。
そんな二人の気持ちは関係ないと言わんばかりに、そんな人物が今、目の前にいる。
歳を重ね白く染まった短髪に頬骨の角張った顔面。だぶついた頬肉の上に乗せられた小さく丸い目、パサパサの紫がかった唇を上に向けた表情。
男の顔から汲み取れるのは、悪意のある思惑だ。
今、この状況を、どう利用してやろうかという思惑。
その点は、釧も小鳥も同じだが、彼の場合は確信犯的に自身の行為が大衆の為になるという盲信が行動の基となっている。
どこまでも利己的な釧よりも、彼の方が大衆を考えてはいるにも関わらず、彼の行為が日本の命運を決定的に変えてしまいかねない立場にいるというのは皮肉なのかもしれない。
さて、犯行予告に選ばれた場所――ある高級高層ビルの前で釧らと石垣は顔をつき合わせているわけだが、
(・・・・・・情報規制は、今日までもてばいい方か)
彼のそんな顔を見た釧は言葉を交わすより前にそう判断し、同時に今後の展開を計算し始めた。
明日にはクーデターが日本政府中枢部を制圧・掌握するとして、問題はその後だ。能力者間での主導権争いは未だ続いている。事が起これば学園都市の行政機関と能力者の睨み合いは激化し、能力者の手綱を握らなければならない万可統一機構もそれに加わる事になるだろう。
だが万可は『化け物のDNA』の一件で労力を割き、『ソドムとゴモラ』による都市壊滅の火消しに手一杯で、『H.O.Xウイルス』をまともに運送すらできなかった状態だ。
ここでさらに負荷がかかればまともに動けなくなるだろう。
つまり、釧にとって今の状況はチャンスなのだ。
うまい具合に地雷を踏んでくれよと、石垣議員に笑顔を返した釧は「さて」と口火を切った。
「改めて・・・・・・初めまして、石垣耕造議員。『実草詩句』朽網釧です」
「あぁ、ご活躍は聞き及んでいますが、初めてお会いしますなぁ。石垣耕造です。
・・・・・・・・・・・・そちらのお嬢さんは?」
石垣が目線で指した先にいるのはもちろん小鳥だ。
「瑞桐小鳥、今回のテロにおける最終兵器です。
万が一爆弾が爆発した際は彼女が殺菌を行います」
「ほぉ、それはウイルスだけをということですかな?」
「ええ」
「ほほぅ、それはそれは・・・・・・強力な超能力をお持ちのようだ」
彼は釧からその後ろに控える小鳥に、今度はしっかりと意識を向けた。
タレント活動をしている釧と比べて、彼女の方は腹芸がさほど得意ではないだろうと、彼の嗅覚が嗅ぎ付けたようだ。彼の表情からは新しい玩具を見つけたという感情が見て取れた。
「現在超能力者が持っている選民的な思想について、是非ともお嬢さんのご意見を伺いたいものですなぁ」
それは『否定しにくく、無駄に言葉を重ねるほど言い訳がましく聞こえる』という、実に嫌らしい質問だった。
さて、これにどう答えるのか。
TVカメラが回っている中で、失言を引き出せれば儲け物だと石垣はほくそ笑み、釧は他人事だとばかりにそっぽを向いた。
小鳥は釧をチラッと見てから、両手を重ねて胸に当て小さくを息を吸った。そして言った。
「えー?小鳥ちゃん馬鹿だからわかんなーい」
声のトーンも仕草もバッチリのぶりっ子ぶりだった。
「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」
そんな、いい大人の、無理な口調と仕草に、何とも言えない気分になった釧と石垣は黙りこくり、場に嫌な空気が流れる。
気を取り直すために、釧はわざとらしく咳をして、
「気にしないでください、彼女馬鹿なんで」
もちろん『馬鹿』という言葉には、冗談で言った戯言を実行に移した馬鹿という意味と、通じるはずもない芝居を実際使って自分の馬鹿さ加減を露呈させた馬鹿という意味の皮肉が多分に含まれているが。
石垣は彼女の様子から突いても頑なに馬鹿なキャラクターを演じられるだけだと察して、意識を釧の方に戻した。
「あぁ、そうです。こちらから一つお願いしたい事がありましてなぁ」
「・・・・・・・・・・・・なんでしょう」
「警備に関してなのですが、実草さん達超能力者の立ち会いはやはり遠慮願いたいのですよ」
「承諾しかねます。通常の犯罪行為ならいざ知らず、今回はウイルスによるテロです。
極めてデリケートで事態の収拾も困難な案件だ。最悪、大量感染が起こるかもしれない。
その可能性を座視することはできません」
「こちらもデリケートな問題でしてねぇ。
超能力者に対する法的処置に関して普通の人間が話し合う場に、超能力者が立ち会うとなると差し障りが生じるてしまう。分かるでしょう?
もちろん、こちらとしてもテロには取れるだけの対策をさせて頂きますとも。こちらのSPも目を光らせていますし」
SPが閉め出す対象に釧が含まれているのは間違いないだろう。
「超能力者以外の対テロ部隊やTVスタッフの同行は許可しますし」
許可するも何も、TVスタッフの存在は彼にとってはメリットでしかない。そのTV局と組んで超能力者のネガティブキャンペーンを行っていたことも釧は知っている。
そして、そもそも許可されるまでもなく捜査権限を持っている。
が、ここで面倒なやり取りをする事に意義を見いだせなかった釧は、投げやりな気分で譲歩案を提示した。
「私は別室で待機。ただし、瑞桐さんは討論会の現場に立ち会う。これ以上交渉の余地はありません」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
釧の突き放した口調で成された提案に、石垣は逡巡したようだが、首肯して了承の意を示した。
話が終わったところで、釧が討論会が行われるビルに入ろうと一歩踏み出すと、エントランス前で佇んでいたセキュリティー・ガードの男5人が立ちはだかってそれを制した。
石垣の方へと視線を向ければ、彼は相変わらず癇に障る笑みを浮かべている。
「すみませんが、セキュリティーの関係上ビルには不審物や通信機器の類を持ち込むのを禁止していまして」
彼らの手をみると、なるほど、金属探知機らしき機材を持っている。彼らの後ろには荷物検査用のX線装置も見えていた。
「機械類はここで預かるという事ですか?」
自分の問いに男の一人が頷くのを確認した釧は、頷き返し、ポケットからスマホを取り出すと、
「よろしくお願いします」
後ろに控える小鳥に向かって放り投げた。
「はいよー」
そして、小鳥がそんな軽い返事をしたのと同時に、宙を舞っていたスマホは塵一つ残さず蒸発した。
さらに小鳥は自分のものを取り出すとこっちも躊躇なく消滅させる。
それは事前に打ち合わせをしていたかのようなスムーズな手際だった。
預けたものがどうされるか分かったものでない以上、まずい情報も多々含まれる電子機器を持ち続けるわけにはいかない。
バックアップは取ってある。情報を復元するのはそう難しいことではない。
手間ではあるが、釧達にとって惜しむほどの物ではなかった。
平然と行われた二人のやり取りを見て、石垣や綿貫は唖然としていたが、それに構わず、釧達は残りのポータブルレコーダーといった機器をセキュリティー・ガードに渡していく。
これらは重要度の低い物品だ。情報源にはならない。
とはいえ、できれば返ってきてほしいと思いはするが。
そうやって所持品を吐き出した釧と小鳥は、本来主役になるはずの石垣すら放置してビルの中へと入っていった。
♯
釧が待機することになった部屋は、『45-F 会議室(小)』とネームプレートのかけられた地上45階にある一室だった。
討論会があるのは30階の大ホールなので、上に14階離れている。一応、ホールの見取り図を用意させたが、これが役に立つ可能性は低いだろう。
彼のいる会議室は楕円ドーナツ状のテーブルを中心に椅子を並べただけの部屋だが、見取り図を見るに、ホールは収容人数もさることながら、最新の映写機と各席に小型モニターが備わった金のかかった部屋となっているらしい。
舞台側の壁がビルの外壁に面していて、会議室同様にミラーガラスになっているため、映写機を使わない場合は高所からの景気も楽しめるようだ。
釧はただの討論会に随分景気よく金をつぎ込んだなと思うと同時に、石垣にとって今回の策がかなりの勝負所あると再認識した。
逆に言えば、この討論会を台無しにしてやれば、彼にとっては大きなダメージになるはずだ。
まあ、それだけの価値があるかといえば微妙ではあるし、こうして除け者にされている釧にできることは少ない。
(その辺は瑞桐さん次第か)
釧はホールに向かう小鳥との別れ際の会話を思い出す。
「諸々の判断はお任せします」
と彼は言い、
「了解です司令」
と小鳥はおちゃらけて返した。
その言葉には『故意に爆発させるかどうかも』という意味も含んだつもりだ。
彼女がその気になれば、爆弾は無慈悲にウイルスをホール中にまき散らす事になるだろう。
そんなギリギリな状況とは露知らず、綿貫美由紀やスタッフ達は入場を許されたことを喜んでいた。
知らぬが仏とはよく言ったものだ。
スマホが取られて暇つぶし道具が一つなくなった彼は、代わりの文庫本を適当に開いた箇所から読み始めた。
何度も読み返しているため内容は完全に頭に入っている。それでも読むのはその本が純粋に好きであるのと、『読む』という行為で気を紛らわせるためだ。
最近はこういう貧乏くじを引くことが多かったが、今回のは一際酷い。
が、同時に自分の見込み通りであれば今回で一段落つくはずなので、それが救いでもあった。
逸る気持ちを抑えるためにも気を逸らす。
そんな行為に入ってしばらく、時刻はついに犯行予告まで一分というところまで差し掛かった。
その事を時計で確認しながらも読書を続けようとした釧だったが、乱暴な動作でドアが開け放たれた音で本から顔を上げた。
「実草・・・・・・さんっ!」
ドアに枝垂れかかるようにして立っていたのは美由紀だった。
息を切らせて、肩を揺らす彼女は途切れ途切れになりながらも言葉を紡ぐ。
「石垣議員が・・・・・・ば、場所を・・・・・・」
そんな彼女の様子を見て、紅茶のペットボトルを渡す釧。
彼女はそれを勢いよく飲み干して、今度こそ途切れることなくまくし立てた。
「大変です! 石垣議員が、いきなり場所を変えると言い出して・・・・・・! 皆さん10階のホールに・・・・・・瑞桐さんはついていって、それで、私が伝えにきました!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・やりやがったな、あの野郎・・・・・・!」
それは釧が最も危惧していた事だった。
超能力者によるというバイオテロ。幸いにもウイルスにはワクチンが存在する。
しかも、それを阻止しようと動いているのも能力者だ。
爆弾の解除に成功しても失敗しても、テロ行為に屈しないというアピールになるし、失敗すれば尚のこと能力者を責める材料ができる。
つまり、どっちに転ぼうと石垣にはメリットがある。
前に、反能力者運動に乗り込んだ際も思ったことだが、この状況を利用しようとする者こそが真の脅威なのだ。
常識的に考えれば、ワクチンがあろうともウイルスが蔓延しかねない危険を犯すのがどれほど倫理に反するか分かりそうなものだが、それでも一線を越えるものがいるからこそ人間の欲とは恐ろしい。
釧や小鳥といった、人間相手に距離を置いている人物であるならまだしも、導くべき者達だと信じて疑わない相手すら足蹴にするのだから。
釧は本を乱暴に閉じると、ミラーガラスを見やった。
スマホがない今、正確な時間は分からないが、もはや残された時間は数十秒ほどだ。
エレベーターでは当然間に合わない。階段も右に同じ。
ならば、どうするか。
釧の決断は早かった。
まだ階段全力疾走の疲れが抜けない美由紀の腕を掴むと、念力でガラスを粉砕し外へ飛び降りる。
「え?」
いきなりの行動を美由紀が認識した時には、彼女の体は地上から200m以上の宙に放りだされていて――、
「ひぎゃぁあああああっ!」
彼女のあげた悲鳴は体と共に急速に落下していった。
「実草さん! 落ちてる、実草さんんん!」
「大丈夫です。滑空自在って能力で滑空してますから」
「え、滑空!?いやそれ俗に言う『カッコつけて落ちてるだけ』ってやつですよね!?」
「失礼な。紐なしバンジーができる素敵能力ですよ!」
「人はそれを飛び降り自殺って言うんです!
そもそも『飛行』じゃなくて『滑空』って時点で落下エネルギーを相殺しきれてないじゃないですかー!」
「あーもううるさい!」
釧は美由紀の口に文庫本を突っ込んだ。
それから視線を女記者からビルへと移す。
真っ逆様に落ちている釧の目には、ビルの外壁が車窓の風景のように流れて見えている。
代わり映えのしないマジックミラーの升目は、目にも留まらぬ速さで視界を過ぎていくが、釧の目はそれをきっちり捉えて数えていた。
34階分真下に落ちた、地上10階に相当するガラスが釧の目標だ。
このビルは10階おきにホールが備わった設計になっている。ホール自体の造りは変わらないはずだから、事前に用意させた30階ホールの見取り図はそのまま使えるだろう。
とすると、ガラスを破った先にあるのは舞台、そして半円状階段の客席ということになる。
爆弾が仕掛けられるのはどこか?
会場が変わったのは犯人にとっても不測の事態だ。よって設置する余裕はない。
(おそらく、時間の直前に放り投げるられる)
それも、舞台などの注目を集める場所は避けるだろう。身バレするリスクが高すぎる。
(つまり、足下)
なら、どうすればいいのか。そんなことは分かりきっていた。
10階のガラスに到着する寸前、釧はハイヒールを脱いだ。
そして、念力で落下する身体を無理矢理急停止。
その時点で身体にかかる負荷に耐えきれなかった美由紀は失神したが、かまわず勢いままにガラスめがけて身体ごと突っ込んだ。
念力でガラスだけでなく舞台装置も巻き込んで破壊して飛び込んだ場所は、今まさに舞台に立って演説を行っていた石垣議員の頭上だった。
ガラスの破片に限らず暗幕、照明の残骸と様々なものが大理石の床へと落ちていく。
当然のことながら石垣にも降り注ぎ、彼はしかめた顔を釧に寄越したが、釧は意に介さない。
彼のスーツが埃で汚れる様をざまあみろと一瞬だけ視界に収め、釧の全神経は奥の客席へと向けられた。
タマネギの皮の様に並べられた弧形の長テーブルは、完全に床に固定されているタイプだ。
舞台側から見える側面を板で覆っているため釧の方から客の足下は一切見えない。
いや、収容人数100人を越えるホール全体を調べる時間は元々なかった。
数秒後にはどこかに転がされでもした爆弾が起爆するのだから。
ならば、もはや洗いざらいやるしかない。
釧は能力波をホール全域に拡げた。次に念力を発現すると、客全員の肩を掴んで天井へと持ち上げる。
あちこちから悲鳴があがるが、美由紀の時同様構っている余裕はなかった。
「こんっのぉぉおおおおおおっ!!」
舞台に着地し体勢を整えて、彼が腕を振るうのと呼応してホールそのものが地響きをあげた。
それは床を這うように働いていたエネルギーによるもので、釧の最も得意とする形の念力でもある。
破壊。それもホールの床に接するもの全てに対する破壊だ。
固定されたテーブルも、テーブルと一体となっている椅子も、あるいは人の肩以下の高さの取り残された諸々もが、全て纏めて圧壊していく。
鉄のひん曲がる耳に触る悲鳴や、ペットボトルが中身をそのままに圧縮されて鳴らす断末魔。
そして、真下で起こっている非現実的な破壊現象を目の当たりにして討論会の参加者達が上げる悲鳴まで重なって、ホールは阿鼻叫喚の地獄のような有様になった。
それは釧が床にあったあらゆるものを念力で潰し固めてしまうまで続き、床に降ろされてた頃には逃げ惑う気力すら失って、彼らはすっかり設備が剥がされたホールに立ち尽くすだけ。
今、この場を支配しているのは世間的には『実草詩句』として知られる、超能力者の朽網釧だった。
多少息を荒げ、何より底冷えするような視線をホール全体に向ける彼に逆らおうとできるものはいなかった。
反超能力を掲げる彼らであっても、実際に能力をこれほど間近で使われたことはない。『破壊』という目的でということとなれば尚更だ。
彼が自分達を持ち上げなければ、ホール中央に転がるあらゆる残骸の塊と同じ運命を辿っていたという恐怖が彼らの心を支配していた。
釧はホールを見渡した後、舞台に棒立ちになっている石垣に視線を向けると、一言だけ口にした。
「舐めた真似をするなよ、愚図が」
「・・・・・・・・・・・・っ」
それが彼のどんな行動に対するものなのかは、彼自身が一番分かっていることだ。
彼の反論がなされるより前に、参加者同様念力で放り上げられた小鳥が駆け寄ってくる。
彼女もまた辟易したように石垣に一瞥をくれると、問題の塊を一瞬で焼失させた。
これで万が一にもウイルスが漏れ出すこともないだろう。
それを確認した釧は、気絶した美由紀を叩き起こした。
「はぇ?え、あれ私どうして・・・・・・あぁああっ!
実草さん!あなたどういうつもりですか!いきなり飛び降りるなんて!
というか何で私まで!?考えてみれば私が一緒に行く必要は――」
だが、彼女はその先を口にすることができなかった。
今度は小鳥も一緒に、まだ十階分の高さがあるビルから飛び降りんとする釧の手は美由紀の襟首をしっかり掴んでいて、彼女の台詞は悲鳴に書き変わって下へと落ちていったのだった。
♯
「し、死ぬかと思いました・・・・・・」
事件が一段落してから、次の予告カードが来るまで休憩するという名目で、釧達は小さな喫茶店に入っていた。
案内されたテーブルに小鳥、美由紀と座り注文を終えた直後、美由紀が吐き出した台詞がさっきの『死ぬかと思った』というものだ。
二回のバンジーを無理矢理体験させられた彼女の疲労は凄まじく、仕事ということを忘れて特大パフェを頼むほどには彼女の心にダメージを負わせたらしい。
撮影を続行しようとして店に拒否されたスタッフがガラス壁越しに恨めしい視線を彼女に向けているが、それすら気がついていないようだ。
店内はクーラーが効いているが、まだ太陽が照りつける時間帯である外はかなり暑い。
汗を衣服に吸わせながら立ち尽くす外の連中を眺めると、多少溜飲も下りる思いがする釧だった。
「念力持ちがあれぐらいで死ぬわけないでしょう」
「いや、私は超能力持ってないですし」
「人の目がある場所で僕が見捨てるなんて行為、できるわけないでしょう」
「・・・・・・それ、世間体を気にしなかったら見捨てられるってことですよね?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
釧はその問いに答えず、自分が頼んだグリーンティーを一気に飲み干し、同じものをウェイトレスに注文した。
グラス一杯400円の冷やし抹茶をがぶ飲みするというのは、端から見ればかなりの贅沢なのだが、それをやってしまうほどに釧にもストレスが溜まっているのだ。
分かっていたとはいえ、バイオテロという非常時にソレを悪用しようとする様を実際見せられると苛立たずにはいられない。
特に、自分自身には阻止する理由もなく、くだらない連中の尻拭いをさせられていると自覚している身で、他人の利己的な行為を目の当たりにするというのは苦痛だ。
一刻も早くこの寸劇が終わってくれることを祈るばかりだった。
「でも、本当にあるんですか?次の犯行予告って」
美由紀がようやくきたパフェを前にしながら言った。
彼女にとって喫茶店の一時は願ってもない癒しの時だったが、それと同時に能力者二人の態度は不安の要因でもある。
次の予告がくるまで待機。
という受動的かつ無策に思える行動の意味を彼女は掴めなかった。
「逆に聞きますけど、次がないっていう根拠ってあります?」
「標的には重要度が高い反能力集会が段階的に選ばれていましたけど、さきの石垣議員以上となると思いつきませんし、それに予告カードは今まで前回の予告時間直後に送られてきましたけど、今回はまだ来てませんよね?」
「テロ終結の宣言もされてないですよ」
「そうかもしれませんけど・・・・・・」
「と、いうかですね、綿貫さん。
僕の予想だと本命はむしろ『次』なんです」
「え?」
「予告があるかどうかは分かりませんが次の犯行はあるはず・・・・・・そうでなけれ意味がない・・・・・・」
「はい?いや、言っている意味がよく――」
と、彼女は言いかけて、外の様子がさっきとは違うことに気づき会話を中断した。
局のスタッフの一人が慌てて店内に入ってくると、その手に持ったものを見せてくる。
見間違える訳がない、もう見慣れたテロ予告のカードだった。
「・・・・・・・・・・・・どうして分かったんですか、次があるなんて」
「ちょっと今回の事件のカラクリを考えれば綿貫さんにも予測できますよ。
それよりです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうしましょうかね?」
最後の言葉は小鳥に向けられたものだったが、予告カードを弄くるのに夢中になっていた彼女から返ってきたのは「さあねぇ」と何とも気が抜けた返事だ。
続けて彼女は言う。
「午後五時五十五分、また反能力運動が標的、ね。
正直、この予告現場には行きたくないかしら」
「ですよね。本当、どうしたものか・・・・・・」
釧もまたやる気のない返事でメニューから顔すら上げずにぼやいた。
「い、行きたくないって・・・・・・!」
美由紀の非難の声。
けれど、その台詞もさきほどと同じように、店外からやってきた人物によって遮られる。
今度の男は釧達と協力にある警察関係者で、釧が自身を認識したのを確認するやケータイを差し出してきた。
彼のものらしいケータイには釧も知っている番号が表示されている。
「科捜研の長谷川さんからです」
長谷川亜子、副委員長。
今回は彼女のサイコメトリーで予告カード等を調べてもらっているわけだが、彼女の方から連絡があるとは思っていなかった。
一般能力者側の人間で、しかも一応正義の味方ということになっている職業の彼女と、万可所属の釧とでは立場的に話しづらい関係にある。
何の連絡かと首を傾げつつケータイを耳に当てると、久しく聞いていなかった声が聞こえてきた。
『ん、替わったかな?釧君?』
「ああ、替わった。・・・・・・どうかしたのか?」
『いや、私からは特にないんだけどね。誉ちゃんから伝言があって』
「伝言?」
『君のケータイ繋がらなかったみたいだけど?』
そう言われて、釧は自分のスマホを破棄したことを思い出した。
「ああ、ちょっとした訳があって溶かしたの忘れてたな・・・・・・」
『何がどーなってそうなるのか、私にはすっごく疑問です』
電話の向こうの声には多分に呆れが含まれていた。
だが釧はいい加減呆れられ慣れている身だ。
「気にしない気にしない。で、誉は何だって?」
『新しい予知夢の内容を伝えてくれって。
次のバイオテロのことらしいけど、『標的は石垣議員の討論会、場所は都メゾンって建物の地下五階、今日の六時に爆発』だって。
それと、本命のウイルスがどうのって言ってたけど、どういう意味?』
「次が本命って意味だろ」
『H.O.Xウイルス』について説明するつもりはない釧は適当にはぐらかしたが、
『ふぅーん』
亜子から返ってきたのは意味深な相槌だった。
まぁ、どうせバレたところで大したネタではない。
釧は早々に彼女の疑念を晴らすことを放棄して、二言三言話してから通話を切った。
ケータイを警察官に返した後、正面の小鳥に向き直る。
「"本命"が来ました。『都メゾンの地下五階で六時』だそうです」
「え?え?本命って、え?だってさっき予告が・・・・・・」
美由紀が釧の言葉に困惑の声をあげるが、この場で状況を把握できていないのは三人の中で彼女だけだ。
小鳥は面倒くさそうに自分のスマホを見た。
現在時刻は五時ちょっと過ぎといったところだ。
予告カードで指定された反能力者運動現場と都メゾンはかなり距離が離れているし、この喫茶店からも遠い。
つまりは行動するなら早い方がいいが、ここで問題なのは――、
「私と釧君、どっちがどっちに行くべきかしらね」
そう、この点に尽きる。
「本命の方に瑞桐さんでしょう。ウイルスの処理を考えると、僕は適任とは言えません」
「いや、また石垣議員が関わってくるとなると、私じゃまずいでしょ。
さっきも下のホールに移動するのを止められなかったしね」
「ああ、そういう不安もありますか。
・・・・・・仕方ない、僕が都メゾン担当ということで。
瑞桐さんはそっちが片づいたら、すぐにこっちに駆けつけてください」
「えぇー」
「ハイハイ、嫌そうな声を出さない。・・・・・・綿貫さんはどうします?」
ここでいきなり話を振られ、美由紀の思考はさらに混乱した。
そもそも彼女は、何故釧達が事件の全体像を把握しているように会話しているのかもよく分かっていないのだ。
そこに二つの犯行がこれから行われると言われて、どちらが正しいのかという議論すらすっ飛ばして"本命"を決め打ち、役割分担を始めた彼らについていけるわけがなかった。
だが、そんな彼女の心境などお構いなしに釧は言う。
「僕の方についてくるのか、瑞桐さんの方か。早く決めてほしいんですけど」
「えと、それは他のスタッフにも聞かないと・・・・・・」
彼女がそう言うと、釧は店外のスタッフを指さした。
「GO」
「犬みたいに言わないでくれませんかね!」
美由紀はそう言い捨てて、釧に指示されたようにスタッフと話し合うために席を外した。
そして、数分後。
帰ってきた彼女の顔には今まで以上に困惑の表情が浮かんでいた。
「えー、その、なんて言うか、私一人が草実さんについて、その他のスタッフは瑞桐さんの方に行く・・・・・・と。
私、なんか重役任されてしまいました・・・・・・」
「でしょうね」
「え?」
「じゃあ、僕と綿貫さんが都メゾンに向かうということで。
連絡方法はどうしますかね。スマホなくなっちゃいましたし」
「ああ、それなら私のを貸しますよ。スタッフからグループ通話専用のものを渡されてますし、私はそっちを使います」
そう言って美由紀は釧に自分のケータイを渡した。
一応と思い釧が確認してみると、待ち受けが公営放送の子供向け番組のキャラだった。
それを見ないことにして、次は時刻に意識を移す。
表示されているのは店の掛け時計と比べて10分早い時刻になっていた。
「あ、私のケータイの時計、10分進めてあるんで気をつけてください」
「何で?」
「ほら、時間に厳しい職業ですから」
だったら正確な時間に合わせておくべきじゃないかと思う釧だったが、下らない話をする時間はないので口にはせず、今度は外で待機している警察の人間を呼んだ。
さきほど亜子との連絡を取り次いだ男がやってきたので、彼に犯行予告カードを渡して亜子の元に届けるように言付ける。
ついでに脱いだハイヒールも預かっておくように言って、喫茶店に入る前に買っておいたスニーカーに履き変えた。
「それじゃあ行きますか」
ぐっと伸びをして釧は席を立った。
目的地は『都メゾン』、時刻は暮れにさしかかろうという頃合い。
バイオテロ事件はついに佳境を迎える。
♯
石垣の討論会はウイルス爆弾に水を差されて一度はうやむやになってしまったが、彼が反能力を掲げている以上、ここで会議を取りやめるわけにはいかない。
能力者によるテロで討論会を中止となれば、それは彼にとって能力者に屈したのと同義になるからだ。
自身のプライドのためにも、議員として民衆を惹きつけるためにも、彼は討論会を強行しなければならない立場にあった。
前回のテロではホールを変えることで、『能力者の指示に従わず、テロに立ち向かった』という姿勢を見せつけようと画策した彼だったが、その試みを釧に文字通り『握りつぶされて』からは厄介な状況に追い込まれていた。
元々、能力者による妨害を考えて予備の会場を予約しておいたのはいいとして、前回では参加者に移動を強い、しかもそれではウイルス爆弾を振り切れずに能力者に尻拭いをさせるという醜態を晒してしまったのは痛恨のミスだ。
幸いにも釧の丸めたホールの塊の中に爆弾があったのか確証がないために、醜態の方は火消しができる程度に収まった。
だが、釧の念力を間近で見て、テロという脅威に晒された事実を肌で感じことで参加者がごっそりと減ってしまった。
機密性の高い地下五階の、それなりに高価で広い場所を取っているにも関わらず、そこに収容された参加者の数はあまりにも少ない。
これでは討論会をしたところで、大した広告効果も得られないだろう。
だというのに、彼はあまりに規模が縮小してしまった討論会を中止することができない。
能力者によるテロという、一度は利用してやろうとすらした事実が彼に身動きを取れなくしていた。
かくして、討論会はほとんどの参加予定者が欠席したまま執り行うことになったのだが、ここにきて更なる追い討ちが彼にかかることになる。
悪魔の使者としか思えない朽網釧が建物を訪ねてきて「爆弾が仕掛けられた」と言ってきたのだ。
もう討論会を邪魔されるわけにはいかない。
ウイルス爆弾に関しては予告されたのは別の場所だと確認を取った。
釧のいうことは嘘で、自分の討論会を台無しにしようとしているのではないかという被害妄想までが頭をよぎる。
いや、そもそも話が本当だったとしても、彼にはもう選択肢がないのだ。
とにかく、討論会を続行させなければ。
彼の思考にはそれしかなく――――。
『都メゾン』と呼ばれる八階建ての建物のロビーにて、釧と美由紀は通せんぼを食らっていた。
理由は先述した通りで、石垣の思惑通りに動く側近のボディーガード達はまるで聞く耳を持たない始末だった。
警察関係者であり、正式な手順を踏んでいると主張したところで彼らは岩の如く動かない。
都メゾンに所属しているガードマンは釧達の話を聞いてすぐさま退いたが、石垣の命令を断固として守ろうとする側近達は釧達の入場を拒み続けた。
「困ります。ここでは現在石垣氏の討論会が行われているのです。部外者の方は――」
釧達が建物に着いてからその一点張りだが、そもそも都メゾンは石垣の所有物ではないし、今も他の利用者がいるはずだ。
建物にも入れずに私兵に足止めされる謂われはない。
ちらりと釧がケータイを確認すると時刻は五時三10分にまで迫っていた。
もう、くだらないことで時間を潰している余裕はない。
「ですから、能力者の方には入場していただくわけにはいかないんです」
そう言いながら、ボディーガードの一人が釧の肩を掴もうと手を伸ばした。
が、彼の前腕は釧に触れる前にボキリと乾いた音を立ててあらぬ方向へ曲がった。
「え・・・・・・?」
いきなりの現象に、男は痛みも忘れて自分の腕を見る。
その彼の目の前で手首が捻られ、親指から小指の骨までが一本一本ポキポキと折れていく。
「がっ、ぎぃいいいいっ!」
一テンポ遅れて、その不可解な現象が釧によるものだと気づいた彼は、釧を信じられないものを前にしたような目で見た。
彼だって釧が能力者であることも、念力を使うということも知っていた。
けれど、実際それを自分に使われることなど露にも思っていなかったのだ。
法や釧の立場がそれを許さないと信じて疑わなかった。
だが実際は彼、いや彼らの考えは甘かったとしか言いようがない。
誉が予言した"本命"のウイルス、『H.O.Xウイルス』はワクチンすら存在しない代物だ。対処しなければ冗談抜きでパンデミックが起きる。
今まで扱ってきた天然痘ウイルスとは違い、馬鹿垂れの愚行に付き合う余裕などないし、強行突破に足る正当な事情もあるのだ。
さらに言ってしまえば、この後に及んで『タレント』というイメージを守る必要性が釧にはなかった。
次の瞬間には、男は四肢を折り畳まれ、ガラスをぶち破って一階フロアにシュートされ、他のメンバーもそれに続く。
折られた手足はともかくとして、ガラスの破片で至るところを切った彼らは磨き抜かれた床に血糊をべた付かせて芋虫のように転げ回った。
立つことすらできない彼らのもがく様と呻き、粉砕されたロビーのガラスに、フロアにいた人間はパニックに陥ったが、都メゾンの警備員によって何とか鎮静化された。
釧と石垣の私兵のやりとりを聞いていた彼らは、この場が退っ引きならない状況に置かれているといち早く理解して、客の避難に取りかかる。
都メゾンは基本的に前の高層ビルと同じく空間の貸し出しをしているため、各部屋に通信で呼びかければ一応は警告は出せるのだが、それだけでは危機感を持たない人間もいるだろう。
優秀な彼らはすぐさま使用中の部屋へと駆けていった。
釧と美由紀はそんな騒然とする都メゾンへと足を踏み入れたが、ここで釧が美由紀を制した。
「ここから先は僕一人で行きます。綿貫さんは外で待機していてください」
「え、でも、私も行かないと・・・・・・」
「綿貫さん、こっちの爆弾は今までのモノと違うんです。ワクチンもないので感染したら骨まで焼却コースですよ。
もちろんその前に血反吐はいて死にますけど。
さっきの連絡で予知能力者からの伝言を聞いたんですが、それによると『爆発するのは六時』だそうです。
予言を信用するなら解体が失敗する可能性が非常に高いことになる。
ロビーで時間を食ったせいで余裕もないんです。
ケータイは繋げておきますが、外で待機、いいですね?」
「わ、分かりました」
有無を言わせない釧の指示に美由紀は素直に頷いた。
釧は受付に寄って構内図を頭に叩き込んでから、石垣が取った部屋に向かった。
目的地である部屋は前のホールよりは小さく、地下という閉鎖的な場所ではあるが、セキュリティーの面ではビルよりは強固と言える。
予備の部屋としては適した空間だが、避難という観点から見れば不安が残る。特に、逃げることを渋るような人間がいるとなれば尚のことだ。
地下五階の問題の部屋の前にきたところで、釧は大きく深呼吸をした。
そして、
「さーて、さてさて・・・・・・」
当然のように施錠されたドアを当然のようにぶち破る。
音に反応して中の連中が釧に向くが、中でも激しい反応を示したのは壇上に立つ四角い顔の男だった。
今度こそは邪魔されてたまるかと彼、石垣は鼻息を荒くしてドア辺りに立つ侵入者に向かっていく。
「貴さ」
だが、彼が余裕ない罵倒を浴びせるより前に、釧渾身の右ストレートが彼の顔面を直撃した。
もはや馬鹿らしい舌戦を繰り広げるつもりさえ釧にはないのだった。
葉月製の身体で殴ったので、鼻の骨ぐらいは折れていそうだが、だとしても釧が感じるのは清々しさだけだ。
ざまあみろと、伸びた石垣を足蹴にしながら、彼は部屋中を見渡し、思った以上に少ない参加者達に、
「外、避難、オーケー?」
と簡潔に伝えた。
我先にと部屋を飛び出してく参加者の一人に石垣を押しつけ、釧はもう一度部屋を見渡す。
簡易的な机と椅子に壇、物を隠す場所は大してない。
テロの首謀者とされる組織はこれまでずっと釧とはち合わせないように動いている。
というより、実際関わっていると確認が取れるのは犯行予告を転移してくるテレポーターだけだ。
そのことから彼らは釧達能力者との接触を神経質にまで避けているということが予想できる。
まあ当然だ。『色神』にわざわざ仕掛けるなど、百害あって一利なしなのだから。
そういう理由から、この部屋にウイルス爆弾が仕掛けられるとすると、テレポーターが直前に寄越すような方法は取らずに予め設置しておくだろうと考えられる。
石垣がこの場所を押さえていたのは調べれば分かることであるし、最初の討論会を失敗させてこっちに誘導することも彼らにはできたはずだ。
しばらく見渡した後、目星をつけた釧は壇を形作る高級木番をひっぺがして、床と壇の隙間に爆弾を見つけた。
ご丁寧にカウントディスプレイ付きの、それ以外は素朴な作りをした箱型の爆発装置。
アンプルがむき出しの構造だったなら、いっそ抜き取って飲み干してしまえばそれで解決なのではないかと、正気の沙汰とは思えない期待をしていた彼だったがそれは望めないらしい。
持ってきた工具袋を広げ、繋げっぱなしだったケータイも脇に置いて、釧はここにきて初めて本格的な解体作業を開始したのだった。
というより、ウイルステロを扱っているのに思えばここまで繊細な作業をほとんどしていなかったことに気づいて、ある意味自分らしいと呆れ混じりの溜め息がこぼれる。
まぁ、万可の本命もこのウイルスだけなので、他は解体する必要がなかったからだが。
まずは爆弾を覆っているカバーを外し、隠れていた内部構造を見る。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
アンプルを抜いてはい終わり、というわけにはいかない作りであることは明らかだった。
『実草さーん、そっちどうなってますかー?』
ケータイから間の抜けた美由紀の声が聞こえてきたが、今の状況では気を紛らすのにちょうどよかった。
「爆弾解体中です。中は結構複雑ですね。これは本格的に間に合わない可能性が出てきました」
『だ、大丈夫なんですか?』
「まあ、その辺は大丈夫です。僕はこのウイルスでは死なないでしょうし。
それよりそっちはどんな様子です?避難は終わりました?」
『石垣議員も出てきましたし、避難は完了したと・・・・・・・・・・・・ただ、ちょっと面倒なことになっていまして。
石垣議員がテロについて公表するだとか、能力者による暴力を受けたことについて記者会見がどうだとか・・・・・・。
実草さん、あの人殴りました?』
「スカっとしました」
『いやいやいや、まずいでしょ。どうするんですか。
局のスタッフにでも連絡されたらもう止まりませんよ』
「いいじゃないですか、それ」
『え?』
「綿貫さん、スタッフに連絡を入れて放送の準備しておいてください」
『は?』
「どうせなら生放送でいきましょう。これが終わったらできるようにお願いします」
『ちょっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・何を企んでるんです?』
「まさかー。事件の真相を明らかにしようってそれだけですよー」
全く説得力のない口調で言いながらも、釧はしっかり手を動かし、ネジを外し終えてディスプレイを持ち上げる作業に移っていた。
まだ数本の導線が本体と繋がっているが、これでかなり中が見やすくなるはずだ。
だが、障害物を取り除けたと思いきや、今度はディスプレイの置き場に困る羽目になった。
導線が繋がったままの電光板は本体と床に置けるほど離すことができない。
結局は宙ぶらりんのまま放置することになって、刻一刻と迫る制限時が余計に目に付くようになってしまった。
気が散って仕方ない。そう苦々しく思って、視線を逸らそうとした釧だったが、デジタル表示が視界を掠めた瞬間、何か引っかかりを覚えて動作を止めた。
カウントの数字を二度見し、それからケータイの画面を確認する。違和感は表示された二つの数列から生じたものだった。
「あれ?」
『どうかしました?』
思わず漏らした声は電話向こうにも聞こえていたようだ。予期せぬ美由紀の相槌に、釧は答えるべきか少し迷ったが、結局は口を開いた。
「時間がズレてるんです・・・・・・。綿貫さん、このケータイ時計が10分早いんですよね?」
『ええ、そう設定してるはずですけど』
「予言による爆破時刻は六時。今の時刻からして十五分ほど時間があることになるんですが」
と、歯切れが悪いしゃべり方をする釧に、美由紀はその先を促す。
『ですが?』
「カウントダウンには残り五分と」
『はっ!?ちょっ、えっ、ま、まずいんじゃないですか、それ!』
電話を介しても大音量の叫び声に釧は眉を寄せる。
「まあ、言ってしまえばそうですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
けれど、それも少しの間のことで、彼の関心はもっぱら別の事に向けられていた。
「それよりもこのズレは何だ・・・・・・・・・・・・?どうして時間にズレが出る・・・・・・?」
『そんなの気にしてる場合じゃないでしょう!?実草さん、早く解体を!
あと五分もないんですよ!?
カウントがそう指してるってことは予言が間違ってたってんです!』
「けれど本命の爆弾がここにあるという点は当たっている・・・・・・。違うのが時間だけというのは・・・・・・」
そして、そこである事実に思い至って、釧は床のケータイを見つめた。
「いや、まさか・・・・・・けど、んー、これは・・・・・・」
そんな釧の暢気にも思える独り言を聞いて心穏やかでないのは美由紀だ。爆発まで思っていた以上に時間がないと知らされた上、電話相手の意識が解体作業から離れているとなれば当然だろう。
彼女は余裕のない声で叫んだ。
『予知能力は結局は高度な予測演算能力だそうじゃないですか!
計算に狂いが生じることだってあるでしょうし、それにほら、予言を聞いたら誰だって最善を尽くすわけですし!』
「ああ、綿貫さんはそういう風に聞いてます?
ただ、今回の予言って予知夢によるものなんですよね」
そこでようやく釧は止まっていた手を動かし始めたが、その動作は明らかに前より遅いものだった。
一方で、その動作音が聞こえてきたことで美由紀は安堵の息を吐いた。
『予知夢って・・・・・・私が聞いた話だと、睡眠状態での予測はより正確だということでしたけど、何か違うんですか?』
「さぁ?けど、少なくとも僕はその予知能力者の予知夢が外れたのを聞いたことはありません。
それがちょっと気になっていて・・・・・・。
綿貫さんが言ったとおり、『予言による未来の変動』を考えると、そもそも完璧な未来予知なんて実現不可能なはずです。
予言を受けて人の行動が変わり、結果として未来が変わった場合は予知としては失敗になる。一方で、予言での行動変化まで折り込まれていて、予言通りに未来が展開した場合は予言がなかったIFの"未来"はどうなっていたのかということになる。
学園都市の予知能力は予測能力であるとされているのであまり取り上げられませんが、大きな矛盾をはらんでいるのが本来の未来予知なんです」
『常人では観測できないような森羅万象を計測して計算するって触れ込みですものね。
計算だから外れても仕方ない。本当に予測で導きだせるか分からないような予言でも、『常人では観測できない』と言われればそれまで。
・・・・・・でも、何でそれが気になるんです?』
「いや、予知"夢"ということは映像として視てるのかなーと」
『夢なんですから、そうでしょうね』
何を当然のことをと美由紀は眉をひそめた。
電話相手が何を言いたいのか分からない。
「だとして、何で時間まで分かるのか疑問に思いません?
いつも都合よく時計のある場所を視るわけではないでしょうに」
『能力者じゃない私じゃよく分かりませんが、そういうのは感覚で分かるものなんじゃないんですか?』
「まあ、予知夢能力は持ってないんで僕も正確なことはいえませんが、少なくとも今回の場合は視たんじゃないかと思います」
釧の台詞は妙に確信めいた口調だった。
『・・・・・・・・・・・・何故です?』
「10分のズレ」
『はい?』
今度こそ意図を汲み取れずに、間の抜けた声をあげてしまう美由紀。いまいち話を理解できていない彼女にお構いなしに、釧は続ける。
「今、僕は綿貫さんのケータイを床に置いて、爆弾とにらめっこしてるわけです。爆弾にはお約束のカウント表示があって残りは五分、ケータイは五時五十五分を指してます。
予知夢でこの場面を視たとするならば――10分のズレが説明できてしまうんです・・・・・・よね」
『それは、そうですけど・・・・・・『しまう』?『しまう』ってどういうことですか』
「予知能力はあくまで未来予測という計算能力、予知夢はその発展系のようなもの・・・・・・さっき綿貫さんも似たようなことを言っていたでしょう?
その一般的な予知能力の原理を信用するなら、10分ズレたケータイを僕が使っているこのシーンも、あくまで予測演算で導き出された空想として視たということになる。
ケータイの時刻ズレまで導き出せる観察力と演算力なんて、いくら何でも出鱈目すぎる」
『で、でも、超能力自体が出鱈目なところありますよ?
念力とか、『不思議な力が働いてる』としか説明しようがないじゃないですか』
「だとしても不可解な点が。
考えてみてください。未来のビジョンをここまで正確に計算できるほどの観察力があるなら、現在・過去に関してもかなり広範囲の現象を見通せるはずなんです。
けれど、僕は予知夢の能力者が千里眼の才に秀でているという話を聞いたことがない」
というより、普段からそれなりに未来を予測できるのなら、誉は釧にコネ入社を申し入れてはいない。
「確かに予知夢以外の予知能力者に関しては、状況把握能力に優れているというのは知られていますし、それは予測演算という原理にも一致しますが、より高度であるとされる予知夢の能力者がその法則に当てはまらないというのは不自然なんです。
というか、ですね。
ケータイのズレまで予測できる何かしらの要因があって、それを予知能力者が知れる環境にあったとして――――ズレまで計算して予測を立てた本人が、無意識の内の演算かつ夢の中という形であったにせよ、間違った時刻を勘違いしたまま伝えてくるというのは考えにくいんですよ」
その言葉に美由紀は息をのんだ。
彼女は超能力に関しては当人ではない。そのため詳しいことは分からないが、予知夢が未来予測だとするならば、釧が指摘した点は確かに不可解だった。
時間のズレを勘違いできるのは、本当に未来のビジョンを見たような場合だろう。
つまり、指摘が正しいとするなら、未来予測と予知夢は本質的に異なったものであるという事になる。
『予知夢には何か別の原理がある・・・・・?』
「問題はそれが何なのかです。・・・・・・爆発まであと一分を切りました、時間がない・・・・・・」
『はっ・・・・・・!?』
と、そこで美由紀は我に返った。
そうだ、マイペースな能力者にノせられて、すっかり今が爆弾処理中だということを失念していた!
『そうですよ!こんなに悠長に話している場合じゃないでしょう!?
爆弾解体はどうなってるんです!?』
「落ち着いてくださいよ。どうせ綿貫さんのところまで被害行きませんから。
爆破装置もほとんどバラせて、導線残り二本というドラマチックなシーンまで来てます。
どっちの導線が正解なのかもマニュアル通りなら答えが分かっている状態です」
ほとんど解体されかけた爆破装置を見ながら釧は宥めるように言った。
そう、ほとんど解体はできている。だからこそ手が止まっていた。
残り一分。それは予知夢の謎を解き明かすには短いが、解体処理には充分すぎる。
これでは予言と違って解体できてしまう。
その事実が、釧の手を止めていた。
『な、なら早く解除を!』
「それなんですが、これ、正解の導線を切ったとして、爆発を回避できるものなのかどうか・・・・・・」
『え?』
「予知された未来を回避できるのは、予知能力者が実際は予測を行う能力でしかないからなんですよ?
予測以外の方法で未来視を行っている予知夢の場合はその原則から外れているわけで。
未来が変えられるかどうか定かでない状況で、軽々しく切るのは躊躇われるというか」
『変えられるかどうかって・・・・・・・・・・・・導線を切れば解除できるん、ですよね?』
「そのはずですが・・・・・・今回の予言では爆発するところまで含まれていたのをお忘れですか?
ここで僕が解除すれば彼女の視た未来と矛盾が生じることになる・・・・・・。
さっきも言いましたが、それはつまり未来視そのものの存在否定です。
確定した未来が視れないのであれば、未来予知は不可能なんですから。
ですが、現に予知夢能力者が存在している。
そして、そうである以上は、理論上『予言は覆らない』ということに・・・・・・」
『そ、そんなの、考えすぎです!
未来なんて不確定で当然なものなんですから、『確定した未来』を前提に考察する事自体が間違っているんです!
矛盾が生じて当たり前でしょう!?
シュレーディンガーの猫ですよ。箱の中の猫が生きているか死んでいるかなんて、箱の外から分かるわけがない!
理論がどうって話なら、そもそも未来視なんて不可能なんですから!
予知夢もその例に漏れないはずなんです!
変なこと考え込んでないでさっさと導線を切ってください!』
もはや悲鳴のような美由紀の声。
それを聞いて、釧は頭の中を真っ白に染め上げられる思いがした。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・今なんて言いました?」
『へ!?あ、す、すす、すみません!思わず命令口ちょ――』
「いやそうじゃなくて!さっきの発言!リピート!」
『理論上が――』
「その前です!」
『箱の中の猫が生きているか死んでいるかなんて、箱の外から分かるわけがない?』
「箱の中の猫・・・・・・っ!」
その言葉で思い出されるのは九つ子機関での内海優曇華との対話だ。
あの時は確か『創世の解釈』が話題にあがっていた。
科学的に地球や宇宙の誕生が解明されても、それはあくまで憶測に過ぎない。神話で語られる創世記を否定し得ない。
ビッグバンに因るのか神に因るのか、その可能性は重なり合っている。
過去を実際に見ることができない以上、過去は確定しない。
なら未来は?未来もまた可能性の重なり合った猫だ。
時間の流れは箱の蓋だとあの魔女は言った。
そして、『蓋を開けることが不可能である以上』と。
超能力。
それを可能にする力が存在するとすれば。
時間の蓋を開けて、その中を視れる能力があるとすれば。
だとすれば――――予知夢は、予知なんていう生易しい力ではない。
その本質は『未来を観測することで、未来を確定させる』能力だ。
そこまで考えが至って、釧は爆弾処理を完全に放棄して立ち上がろうとした。
だが、体が微動だにしない。
不可解な現象だが原因は分かっていた。
誉が見た光景は、爆発するまで解体作業をする釧の姿だったはずだ。
途中で放棄する未来は予定にない。
もし予知夢の真実に気づかなかった場合はそのまま迷い続けて爆発させてしまう未来だったのだろうが、カラクリを知ったところで修正する力が働くらしい。
同じポーズを取らされ続ける絵画の中の人物の気持ちを味わっている気分だ。
しかし『未来』という概念そのものの力に対抗できるはずもなく、すでに秒読みに入っていたカウントは無慈悲に数字を減らし、
「ああもう、結局これか!」
――地下五階の閉鎖空間の中だとはいえ、人類未知のウイルス爆弾は爆発した。
♯
「全く世話が焼けるわね、君は」
「いや、僕のせいではないんですが」
H.O.Xウイルスのアンプルが割れた後、念力もフル活用して部屋を密封した釧は、予告カードの方の爆弾を処理して駆けつけてきた小鳥の殺菌処理を経て、ようやく地下室から出ることができた。
爆発してから三10分。小鳥の眼で存在するウイルスを全て熱処理できたからこそ、そんな短い時間で感染した釧も隔離を免れて外にでれるようになったのだが、それでも彼には時間が長く感じられた。
最も懸念していたウイルスが蔓延せずに済んだことで、いっきに疲労が出てきたのだろう。
今日一日、色々とありすぎた。
万可としてはウイルスのアンプルは無事のまま回収できればベストだったのだろうが、どうせ予備はあるだろうから大した問題ではない。
都メゾン地下の廊下を小鳥と歩きながら、釧はこれからの事を考える。
さっさとホテルに帰った後は、熱いシャワーを浴びてベッドに飛び込む。持ってきたゲームはまだ残っているが、今はそれをやる気にはならない。テレビもなし。
タブレットで動画サイトでも漁ろうか。ベッドで寝ころびながら、スナック菓子と出前を取ってぐうたら過ごす。
それがいい・・・・・・。
思いに耽ったままの釧を乗せエレベーターはようやく息苦しい地下から地上へ。
釧は自分が破壊したエントランスフロアに足を踏み入れた。
何の感慨もなくエントランスを抜けてガラスの砕けた出入り口をくぐると、いきなりのフラッシュが二人に浴びせられる。
「あーそういえば・・・・・・」
釧はテレビ中継をするように美由紀に言っていた事を思い出した。
目に優しくない光の中、周囲を見渡すと、押し掛けた報道関係者が隙間がないほどに群がっている。
一つの局だけにしては人が多い。おそらく石垣が別の局にも連絡したのだろう。
建物から少し離れた場所に、簡易的な会見会場が作られているのが目に入った。
あの場所で石垣はあることないこと話すつもりなのだろう。
(まあ、させないけどね・・・・・・)
釧は小鳥に目配せして会場に向かって歩き出した。
割れる人海の間を悠々と通り抜けて目的地に辿り着くと、美由紀や小鳥に同行していたTVスタッフも居ることが分かった。
独占はできなかったらしいが、ちゃっかり一番いい位置に陣取ったようだ。
「さて」
と、釧は我が物顔で長テーブルに置かれたマイクを手に取った。
「おい、何をしているっ!」
それを見た石垣が詰め寄ってきたが、釧の容赦ない蹴りを股間に受けてその場に倒れた。
悶絶する石垣をしばし画面に納めていた中継カメラは、釧がマイクを口元に持っていったことで、そちらに集中する。
釧がいよいよ口を開こうとしたところで、それを遮って食い気味の質問が飛ばされてきた。
「実草さん!今回の件が例のバイオテロと関係していたというのは本当ですか!?
予告はされていなかったのことですが!」
それを皮切りに、急に呼ばれて興奮しきった記者達が好き勝手に言葉を投げかけ始める。
「能力者のテロ組織が関与していたという情報がありますが、これについて説明を!」
「テロについて今までこっちに入ってきてなかったんですがー?
これは情報規制されていたという事でいいんですかね。
超能力者は不祥事隠蔽の体質が染み着いてるんじゃないですか!?」
「実草さんは今回、爆発物処理のため活動されたそうですが、現場での出来事について教えてください!
この事件に対する感想は!?」
留まるところを知らない質問の嵐に、釧はマイクをポンポンとはたく事で制した。
話す意志を示す事で相手の言葉を封じる方法だ。やったことは咳払いと同じである。
それから、わざとらしくマイクチェックをして勿体つけてから、釧は話し始めた。
「えー、今回の件――天然痘ウイルスによる連続バイオテロについて、まずは私の見解から述べさせて頂きますと――」
そして、世間でよく知られている『実草詩句』の笑顔になって、万可に呼び出されてから今までの事を思い出しながら、その間感じた様々な思いと溜まりに溜まった疲労感を絞り出すように言葉にした。
「茶番乙」
と。




