第82話- ソドムとゴモラ。-Sodom & Gomorrah-
ややっこしいので、作中の登場人物一覧↓
礎囲智香 発電能力 裏方・トリッキーズ リーダー
朝露瑞流 思体複製 アホウドリ
佐々見雪成 変身能力
音羽佐奈 冷却能力
岸亮輔 能力媒介 SAN値直葬
保駿啓吾 発火能力 元・放火魔
赤田心一 発破能力 デモ指導者
下川里子 テレポーター
北信也 能力反射能力
松本ミサ 千里眼
「ないんですよ、こればっかりは――――言い表すロゴスが」
「・・・・・・・・・・・・何?」
と、その時、建物が大きく揺れた。
震度にして3度弱、時間にして5秒ほど。程度は大きくないとはいえ、現在この祠堂学園本部の置かれている状況を考えると看過できない非常事態だ。
大方、学園周囲を囲むデモ隊によるものだろうが、彼らが居たのは塀の向こうだったはずで、そこから本部建物まではかなり離れている。
だというのに、能力が届いたのは何故か?いや、そもそもこのタイミングで直接的な攻撃に打って出たのは何故なのか?
釧の疑問は、会話を中断した行年がモニターの映像を別のカメラのものに切り替えた事によって解消される。
否、予想はできたが考えたくなかった事を目の当たりにさせられた、というべきなのか。
液晶画面にはデモの軍団が運動場にまで侵攻してきている様子が写っていた。
(こんな時に・・・・・・)
釧は毒づいて、さらに映像を注視した。
さっきの攻撃からさらに追撃しようとする様子はない。本部を攻撃したのは威嚇だろう。自分達が攻撃を辞さない事を主張している。
なら、次は交渉してくると考えるのが妥当だ。
だが――――、連中の目的は『祠堂学園への牽制』ではなかったのか?襲撃犯が戦争を始めたがっているといっても、それはあくまで非能力者との戦いであり、まだ両者の関係が争いと言えるほどには激化していない現状で、祠堂学園に攻撃を仕掛ける旨みは見当たらない。
そもそも、学園都市に対する不満を解消しては元も子もないのだ。祠堂学園に対するデモは慎重派の能力者を丸め込むためのものなのだから。
なのに、今になっての攻撃。何かがあったと見るべきだろう。
問題は何があったか、だが。
「・・・・・・外には護衛がいたはずですよね?」
3人居るボディーガードの方を向いて尋ねるが、揺れがあってからインカムをいじっていた一人が首を振った。
「連絡がつきません」
学園領地内にいた護衛はやられたとみていいようだ。
まぁ、デモ相手に堂々と殺傷火器を装備していくわけにもいかないのだろうから、能力を使われればいずれこうなるとは分かっていた事だ。連中の目的が牽制、及び理事長の間接的な拘束であると知っていたからこそ、攻め込んでは来ないと踏んで護衛を軽装にしたのが裏目に出たのだろう。
群馬万可の長である行年が、仲がいいわけでもない外の万可から、わざわざ能力者である彼を呼ぶというリスクを冒したのも、能力以外の攻撃手段を用いる事が余計な面倒を引き起こしかねないと考えたからだ。
だが、こうして事態が直接的な攻防に発展してしまえば、もはやそういった考慮など意味を成さない。
軽装の護衛隊は無力化され、残っているのは3人のボディーガードと釧だけという事になる。
にらみ合いの最中なら愉快な話し合いを続けていられたのだが、事態がこうなってしまえば釧としても、外の連中の相手をしなければならなかった。
学園都市、ひいては万可を潰してくれるだけならばデモに荷担するという選択肢もあったが、『神戸事件に祠堂学園の生徒が関わっていた』事に対しての抗議を建前にしている彼らが、デモ行為に成功しすぎてしまうのも彼にとっては困るのだ。言わずもがな神戸の件は葉月の仕業だ。釧の願いは葉月との再会であり、そのために万可の目的を挫いて、脅かされる事のない居場所を作ることである。それ故に、デモが成功して葉月の事が広く知らしめられる、なんていう事態になるような事は避けなければならない。
本当に厄介な事になってしまった、と釧はモニターの向こうに恨みの篭もった視線を送った。
「建物内に配置されている人員は?」
「いえ・・・・・・居ません」
釧は行年の方を向いた。
「私よりも例のDNAの方が重要なので」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
身辺警護に3人しか割けていない状況から分かっていた事ではあるが、この建物のガードは思っていたより紙だったようだ。万可の施設ならもう少しまともな防衛システムが整っていたのだろうが、デモの矛先を万可に向けるわけにも行かなかったのだろう。
この施設にもシェルターがあるとはいえ、シェルターは人を守ってくれても施設を守ってはくれない。建物が制圧される事は避けられないし、祠堂学園の本部が制圧されるというのは想像されるより重たい事態だ。それ自体極力避けなければならない。
しかも、総勢4名で。
どうしたものか、と釧が面倒くさそうに頭を掻いた時だった。
インカムに耳を傾けていた護衛の表情が強ばり、緊張の入った動作でインカムを行年に渡した。
「交渉、だそうです」
受け取った行年は釧を一瞥し、インカムを耳に当てる。自分が理事長である旨を伝えた後、彼は二三回相槌を打ち、自分からは喋らずに通信を切った。
「向こうの要求は?」
正直、どうせ無理難題なのだろうから聞きたくないというのが本音だが、立場上しかたないのでしぶしぶと釧は聞いた。
「『箍の外れた発条』の活動停止、暴走コードのオリジナルデータの受け渡し、及びハードの生産ラインの公開・・・・・・だそうです」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・なるほど」
と、今度こそ釧は乱暴に頭を掻いた。手入れの行き届いた髪が少しばかり乱れる。
『箍の外れた発条』はネームバリューのある名前だからともかく、『暴走コード』の事は一般的に知られていない。釧自身も万可と関わっている伝で偶然聞いた事があるだけで、それほど詳しくはない。そんな珍しいキーワードが、ここにきていきなり現れた理由について、考えられる原因はほぼ一つしかなかった。
暴走コード。その単語を釧が発条を調べる過程で知ったのは、まだ記憶に新しい、彼女との遭遇によってだった。何より、能力開発分野に眠るその爆弾を、このタイミングで持ち込んでくるような度胸の持ち主は他に思い当たらなかった。
(デモの中に裏方が混じっている・・・・・・!)
だが、目的は何なのか。
リミッターを解除した状態での能力者操作を目的とした、通称『暴走コード』と呼ばれる品は、暴走と洗脳効果を引き起こすソフトウェアと極小化されたハードで構成される。特注品であるハードの生産ラインを潰す事で得られるだろう効果は分かるのだが、ソフトウェアのオリジナルなど、引き渡させたところでコピーが取られていればそれまでだ。暴走コードという有用な研究を学園都市がむざむざ諦めるとも思えない。
こんな事をしたところで意味がない事は向こうも分かっているはずだ。
おそらくデモの指導者にでも暴走コードについて漏らしたのだろうが、そうして今の状況が彼らにどういったメリットがあるというのか。
それについてしばし釧は考えて、一つ思い当たった。
(暴走コードを能力者に広く認知させるため・・・・・・?)
あんな要求を祠堂学園は飲めるはずがない。そもそも大前提として祠堂学園は万可と直接的な関係はないことになっているし、当然箍の外れた発条とも繋がりはない・・・・・・となっている。要求を飲む事はそういった繋がりを持っていると肯定してしまう事になるし、拒否したところで暴走コードの存在を認めてしまう事には違いない。つまり、祠堂学園は知らぬ存ぜぬを通すしかないわけだが、これにしたって結局は交渉決裂で責め入られるという結果が見えている。
要は祠堂学園に選択肢などなく、デモ連中及び裏方にとっては『暴走コード』について要求した事に意味があるのだろう。要求を受け入れようが受け入れまいが、暴走コードの存在は認知される。祠堂学園がうやむやにしたとしても、これだけ大規模のデモが要求を突きつけて、学園の制圧に乗り出したとなれば、かなりの信憑性を持って能力者達に受け入れられる事になる。どう転んでも『暴走コード』の存在はデモの騒ぎに乗じて拡散する――――、いくらでもコピーの作り出せる暴走コードに対して、能力者も数で対抗しようというわけだろう。
いきなり攻め込まずに、要求を突きつけたのもその辺が理由か。
さらに言えば、理事長を拉致すること学園都市に対してイニシアチブを握る事もできる。
決定打にかけるとはいえ、確かに有効な方法だ。
これが葉月と無関係に行われていたら、おおいに誉め称えたいところだが、今回ばかりは殺意が沸く釧だった。
「さぁて、どうしたものか」
向こうにしてみれば、責め入るのはすでに決まっているようなものだ。こちらも対抗手段を講じる必要がある。
生放送の時のお返しのためにも、会話を中断された腹いせにも、おそらく襲撃してくるだろう連中を叩き潰さなければ気が済まない。
釧がここに来た時のノリと打って変わって、まじめに考えていると、行年が声をかけてきた。
「朽網さん、朽網さん」
「・・・・・・なんです」
「朽網さん、何か物騒な事を考えていませんか?」
「だとしたら何です?」
まさにその通りです、という顔で釧が質問を返すと、
「そういうのはよくないですよ。物騒なのはいけません」
行年は微笑んで言った。
「――――LOVE&PEACEで行きましょう」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
釧はこれから襲って来る彼らの前に、まず目の前の厄介者から片づけたい衝動に駆られた。
いや、
(いっそのこと――――)
#
今まで学園領内にまでは入って来なかったデモ隊が、広々とした運動場へとなだれ込んだ事で、デモによる喧噪もにわかに高まっていた。かなりの面積を占めている運動場を覆いつくさんとするほどの人員が減少したにも関わらず、相変わらず学園の塀を囲み込む陣形が崩れていない事が、このデモの大きさを物語っている。
直接攻撃は控えるようにと指導者に指示されてはいるものの、脅しとはいえ暴力に訴え始めたデモが、遅かれ早かれその禁を破るだろう事は誰の目にも明らかで、今この場所は極度の緊張状態にあると言ってよかった。
もっと言ってしまえば、デモの上層部は戦闘が起こるとほぼ断じていて、その上での作戦をすでに実行していたのだった。
非能力者との戦争がそこまで迫っている中での、能力者側の主権を握るための対学園都市デモ。万可との組織的な繋がりを噂される祠堂学園を押さえる事で、イニシアチブを握ろうと考えてのデモだったが、暴走コードという要素が明らかになり、流石に智香の持ってきた現物を見せられて疑う余地がなくなった事で、彼らは考えを改める必要に迫られた。
このままでは能力者は学園都市の支配を免れないままだ。むしろ今回の件で、一層圧力がかかる可能性すらある。すでに引き返せないところにまで来てしまっていたデモの指導者は、このまま突っ切る事を選択した。
暴走コードに対する能力者の危機感を煽り、かつ祠堂学園理事長兼万可局長を拉致する。
祠堂学園から暴走コードに共通敵をすげ替える事で能力者内の団結を維持し、非能力者との戦争に持っていく。
今の状況ではこれがベストだと考えたのだ。
もちろんデメリットもリスクもある案だが、危機回避のための布石も一応は打ってある。そのためにも暴走コードの情報を持ってきた連中の手も借りた。
「・・・・・・・・・・・・要求からそろそろ5分、指定した時間だ」
襲撃者でありデモの指導者であり救命措置である赤田心一は、閉じていた瞳を開き当たりを見渡した。
「朝露は?」
彼の問いに智香が答える。
「動きはないわ。異常なしって事でしょ」
運動場に設置した新たな拠点テントの中には、即座に祠堂学園本部を襲撃できるように選抜されたメンバーが控えていた。
荒事に慣れている裏方・トリッキーズのメンバーと発破能力に長けた赤田、救命措置の活動で彼とよく組む座標転移の下川里子に千里眼の松本ミサ、そして今回の切り札とも言える能力反射ができる念力の北信也。計10名が襲撃に参加する事になる。
いくら本部建物が広いといえど、多勢で乗り込めば混乱を招くだけだ。内部の間取りがまるで分からない事、シェルターに逃げ込まれる可能性が高い事、以前にヘリで到着したという人物が障害になりうる事を考慮した結果、この人選となった。
その内、思体複製の朝露瑞流はすでに本部へと潜入して役目を果たしている。本部建物は千里眼対策を施されていて、内部の様子がよく分からないため、彼が思念体で入り込み中の様子を調べていたのだ。
祠堂学園への襲撃を決定してすぐに彼は潜入を開始し、建物を攻撃する前にはシェルターへ繋がっているらしきエレベーターを発見している。要求を突きつけた時点でそこに動きがあれば、即座にここに控えているメンバーが襲撃をかける予定であり、今の状況をみるに、どうやら早急な対応が求められるパターンは回避できたようだった。
シェルターに通じる道はおそらく二つ。エレベーターによるものと、階段によるものとが用意されているはずだ。階段は、強固に作られたエレベーターが、それでも故障した場合の予備だろう。こっちのルートはもし使われれば発見しやすいのでいいとして、赤田が問題にしているのはエレベーターの方だ。瑞流の仕事によって、シェルターに通じるエレベーターの位置は把握できた。だがそれは、あくまで位置のみの事であり、ESPに特化した瑞流なら稼働音を聞き分けられるために、使用されているかどうか判断できるというだけに過ぎない。
つまり、出入り口がどこにあるのかがまだ分かっていないのだ。問答無用でエレベーターを壊せばいいとも思えるが、果たして破壊しきるのと、エレベーターがシェルターにまで着くのとではどっちが早いだろうか?
できればエレベーターに乗られる前にケリを付けられるのが好ましい。
そのためにも理事長室の位置を知る必要があるのだが、これに関しては最上階にはないだろう、とぐらいにしか検討がついていない。VIPヘリで現れた人物がESPを持っている場合を考えて、瑞流を深入りさせる事はしていないからだ。
よって、襲撃に至って内部に入り次第、彼らはまず千里眼で内部構造をサーチし、迅速に目標位置を確認して行動しなければならない。
そのための手順はすでにメンバー内で示し合わせてある。
テレポーターと共に比較的理事室に近いはずの屋上から攻める、赤田、下川、智香、保駿啓吾のグループ。
下から潜入し、シェルター用エレベーターを監視しつつ相手を追い詰める役目を負った、佐々見雪成、音羽佐奈、岸亮輔、北、松本のグループ。
この二つに分かれて上下から挟み撃ちにする。
見つける前にシェルターへ逃げ込まれそうに思えるが、最上階から一気に部屋を破壊しつくしていけば、勝率は決して低いものではない。
だから一番の問題は襲撃のタイミングだった。
わずかな時間が勝敗を分ける。
要求が受け入れられず、本部を攻め入る大義名分ができた瞬間に速攻をかける必要がある。
今、このテント内を満たしているものは、そんな臨戦に向けての緊張感だ。
もう少しで向こう側に与えた猶予である5分を過ぎる。そうなればどの道強行に出ることになる。そろそろテントから出て、襲撃に備えるべきだろう――――と、彼が席を立った時だった。
「赤田さん、返答がきました・・・・・・!」
思いがけずもたらされた報告に、彼や裏方の連中は少し驚いた。こちらの意図を察する事ができれば、返答の無意味さは理解しているはず。
それにも関わらずの返事。
それはえもしれぬ不気味さすら感じるもので、通話機器を介したものだろうと、腕を伸ばした彼の手に乗せられたのはインカムではなく、白い四つ折りの小さな紙だった。
「・・・・・・なんだ、これは?」
「それが・・・・・・その、理事長護衛を名乗る男が持ってきたもので・・・・・・」
報告を持ってきた仲間は歯切れの悪い喋り方をした。自身もこの状況におかしなものを感じているのだろう。自然と下がっていた視線を再び持ち上げると、彼は続けた。
「その男は拘束しました。彼によると、その手紙を書いた主にそれを届けるように命じられたそうで。
現在、中には護衛は3名しかおらず、かつ能力者は1名だと・・・・・・」
「そいつが喋ったのか」
「はい、『話せ』と言われたとかで・・・・・・・」
その台詞に彼らは不安は一層深まった。
逃げ場のない現状、少ない手駒。そんな状況下におかれて尚、手の内を晒すという余裕を持った――――いや、挑発行為を行えるような相手があの建物にはいる。
嫌な予感がする。頭の中で警鐘が響く。
けれど、戸惑っている時間はない。
赤田は意を決すると、粗雑な紙を開いた。
そこには、怨さが籠もった文字が書き殴られていて――――、
「レンタカー 弁償代 カエセ」
それを見た瞬間、その場にいたメンバーは理解した。
この作戦は、想像できる限り最悪のシナリオでもって進んでいる。
実物がどんなモノか、多少なりとも知っている裏方メンバーは言うに及ばず、メッセージの相手が『魔女』であるという事実に至った赤田は、もはや一刻の猶予もない事を悟り、叫んだ。
「即刻だ、即刻攻めるぞ!」
#
ボディーガードの一人にデモへの言伝を頼んですぐ、釧は用意した縄で理事長を拘束し、残っていた二人の護衛にもそれぞれ役割を与え、自らは人一人分の重さの荷物を持ってエレベーターに乗っていた。
襲撃される側としては余裕しゃくしゃくに思えるその行動だが、実はそれほどの余裕は彼になかった。
紙にあのように書き殴ったものの、この攻防戦はすでに負けが確定しているようなものなのだ。
暴走コードへの対策はすでに成功していると言っていい今、デモ側は理事長を拉致あるいは監禁する事を第一目標としているのだろうが、これは例え理事長がシェルターに籠もったところで達成可能な目標だ。要は本部そのものを制圧すれば、シェルターに居よう居まいが関係ないのだから。学園都市や至極研究機関に人質の効果があるかは別だが、シェルターがどれほど強固でも、日本各地でデモが起こっている現状なら、彼らに協力してくれる高出力の能力者は必ず居る。シェルターが時間稼ぎにならない事は目に見えているし、万可どころか学園都市全体の戦力がどうやらDNA奪取に注がれている今は特に効果的だろう。デモの彼らにとって生身で捕まえる事が最善であるとはいえ、今始まろうとしている戦いが勝ち戦である事には変わりない。
そして、何より問題なのが本部制圧が彼らの必要条件である以上、シェルターに避難するにしろ、人質になるにしろ、ある意味安全が保証されている理事長とは違って、それを護る立場である釧は排除すべき敵でしかないという点だ。
つまり、シェルターに理事長を連れていっても釧に未来はない。
だから、彼は勝利条件を変えた。
デモを挫く事と、理事長を守る事は必ずしも一致しない。
なら守りを捨てて、攻めに転じこの状況を脱する。
勝機は少ないが、可能性があるだけマシだ。
外にあれだけの人数が控えているといっても、襲撃にくるのはせいぜいが十数名。ああやって自分の正体を晒した以上、やってくるのはこの手の荒事に慣れている連中だろう。
向こうは『魔女』が万可の犬と知っている。多くの能力を使いこなす事、何より形骸変容を持っている事を鑑みれば、出てくるのは多少なりとも形骸変容を見知っている人物の可能性が高い。
つまり裏方の連中である。それならばこちらも幾らか手の内を知っている。
それと、せっかく挑発したのだから是非とも例の襲撃者が来てほしいところだ。
その方が人質としても利用しやすい。
と、物思いに耽っていると、揺れと共に照明が暗転してエレベーターが止まった。
「・・・・・・あー、思体複製か」
千里眼対策を施されたこの施設で、こうも早く自分が見つけられた理由に当たりをつけ、釧はひとごちる。
この手際の良さからして、思体複製は先に入り込ませていたのだろう。
何にせよ場所は割れた。元々シェルターに繋がっていないエレベーターなので、止められたところで大して問題はないが、止めただけで彼らが済ますわけがない。
エレベーターから脱出を試みる暇もなく、釧の乗った鉄箱は真横からの衝撃を受けてひどくひしゃげた。
ドアが歪み、ボタンのランプはでたらめに点灯して最後には消えた。天井の板が斜めになって内側に倒れかかり、四角かった箱はくの字に形を変えてしまっている。
縦穴に反響する轟音が、エレベーターが受けた衝撃の強さを物語り、金属が擦れ合う音と合わさって耳に悪い。
だが、そんな中で釧は平然と立ち続け、笑みをこぼした。
発破能力者がいる。そしてそれは例の襲撃者と同じ能力だった。
「さてさてさてさて・・・・・・やられた分はやり返さないと、ねぇ?」
釧は嬉々として踏み出した。
#
魔女という、思わぬ相手からの言伝を受け取ってからの、赤田らの動きは早かった。
自力で飛行できる啓吾を除いた智香、赤田はテレポートで屋上に侵入。とめられてあったヘリと室内への扉を壊し屋内へ。自分の足で一階から本部に侵入した雪成らは、先に瑞流の思体複製でマッピングした地図を頼りに、複雑な内部をかなりスムーズにのぼっていった。
外壁と違って、建物の内部は千里眼対策がなされていない事は、費用や複雑な構造物ほど遮蔽器を設置しにくいという性質から分かっていた事で、階段を駆け登りながらも上を向いて標的を探していた千里眼の松本、早い内に動く影を発見、その情報は上から攻めている赤田らに伝わり、発破による振動によってエレベーターは停止した。そして、ちょうど止まった階にまで床に穴を開けて侵攻した赤田らがエレベーターをドア越しに発破や発火で攻撃した事によって、哀れな鉄の箱は完全に破壊される事になった。
作戦は、ここまでは成功だった。完璧と言ってもいいデキだ。
だが、屋上組として先行する赤田と啓吾に着いてきた智香は、火花と粉塵をあげるエレベーターを見て逆に不安を覚えてしまう。
これが通常の相手ならば確かに作戦は成功だ。けれど、相手が織神葉月と同類とするならば、成功し過ぎるのはむしろ失敗ではないか。あの類は、こちらの手を読んだ上で、さらに罠を張ってくるのだ。今こうして、エレベーターの前にいるのは、朽網釧の策略ではないのか――――不安を拭えないままに立ち構える彼女の前方で、ガラガラと音が鳴った。
エレベーターの砕けた金属片が転がっていくその音は、明らかに中から何かが出てこようとしている物音に変わり、最後は発破音と共に歪んだ箱を塞いでいた瓦礫が吹き飛んだ。
そして、
「やぁ」
閉じられた檻から抜け出るように、
「ねぇねぇ、あのさぁ、僕は今すごっく不機嫌なんだけど」
『魔女』が現れた。
「君らがストレス解消に付き合ってくれるって事でいいのかな?」
――――傍らに、目隠しされ、赤い縄で亀甲縛りされた男を携えて。
「え・・・・・・ぅぇえ?」
#
相手の意表を突く、というのは立派な戦法の一つではある。膠着状態に陥った場合や、どう考察しても不利な状況にある場合、それを打開するためには有効な手段だし、能力者戦ではESP系を相手取った際は、相手の察知できない一手を採らなければならない事が非常に多い。
だから、能力者相手だと、奇抜な手段というのは比較的よく仕掛けられはするものの、かと言って、今現在彼女らが目の当たりにしている異様な様は奇抜というより異常だった。
生身を敵の渦中の晒し、さらにはご丁寧にも傍らに敵の獲物を引っ提げるという自らが不利になるような行動。
これでは意表を突くというよりも馬鹿を晒しているようなものだ。
だが、以前葉月と行動を共にしていた智香は知っている。知ってしまっている。こういった度の過ぎた演出は葉月が好んだやり方だ。
一見、狂逸したように思える振る舞いに、計算された悪意を潜ませつつ、相手を精神面からいたぶっていく・・・・・・。
まだ裏方トリッキーズが葉月を監視していた8月のあの日、徊視蜘蛛の映像越しに聞いた断末魔が耳の奥で蘇った気がして、智香の頬を嫌な汗が伝った。
しかし、最悪だったのはその次の、釧が口にした台詞でだった。
「ねぇねぇ、あのさぁ、僕は今すごっく不機嫌なんだけど――――」
その言い回しは、葉月が泥底部隊をなぶり殺しにする際に使った台詞に違いなかった。
それを、葉月の能力を引き継いだ『魔女』が言っている。
その事実を理解してしまったらしい岸亮輔の悲鳴が、インカム越しに智香にも届いた。
お互いの会話をしっかり拾うために、感度を上げてあったのが仇となったようだ。
元々精神面で強くない亮輔のトラウマが再発。実際その姿を見なくても、智香には彼がほとんど使いモノにならなくなったのが分かった。
登場して、一瞬の内にこれだ。一瞬で味方一名が撃沈。
無論、それを向こうが狙ってなかったとは思えない。実に嫌らしく凶悪な一手だった。
だから嫌なのだ、あの類を敵に回すのは!
智香は心の中で叫んだ。
だが、状況は待ってくれない。すでに襲撃した手前、もはや退くなどという事ができるはずもなく、トリッキーズのメンバーが物怖じする理由も知らない赤田と啓吾は、正面に現れた釧めがけて、発火と発破能力を仕掛けた。
巨大な火球と、純粋な圧力の膨張による発破だ。火の方はエレベーターに通じる廊下を塞がんと直進し、発破はその隙間を縫うように走り、釧に届くか届かないかの位置で爆発を起こした。
発破によってかき混ぜられた空気で火炎の勢いを増したようだ。発破と発火は近い能力だというが、その相性も抜群らしい。
が、調整が難しいようで、思いの外大きかった爆発に、その場にいる三人ともが思わず目と耳を塞いだ。
強固に作られた建物だった事が幸いして、廊下はひび割れはしたものの形を残していたが、爆発の後には、窓の強化ガラスは砕け散り、高価に違いない調度品は無惨な姿になり果てていた。
威力は十二分、だがそれがあの『魔女』に効くかどうか。
それを確認しようとエレベーターへと伏せていた顔を向けた智香だったが、廊下の先は白く覆われていた。
「水蒸・・・・・・気?」
肌に触れる冷たい感覚に、彼女は思い至ったその正体を口にする。
火球の熱を利用して作り出したのだろうが、空気中の水分を集めて使ったにしては量が多い。
大方、自分が高出力の発火系だと知った上で、先に用意しておいたのだろうと啓吾はすぐに思い至った。
「ちっ・・・・・・!」
相手に自分の能力を利用された事に若干苛立ちを覚えた彼だったが、怒りで我を忘れたりはしない。
「赤田さん!発破で水蒸気を外へ!」
先ほど火炎の威力を上げたのと同じ要領で、割れた窓へ空気を流す様に赤田に指示し、彼自身は水蒸気の方へと走り出した。
爆発が起こってから、何かしらのアクションを起こせる程度には時間が経っている。自分達は爆発に竦んでしまったが、向こうは撥水系能力で水を操作して水蒸気を作れる程度には冷静だったはずだ。
なのにこちらに攻撃してこなかった。それは、おそらくこの目隠しが身を隠しながら攻撃するためのものではなく、逃亡のためのものだからだ。
水蒸気が急激に廊下の外へと流れていく中、両手に作り出したバスケットボール大の火球を連続して放り投げてみるが、それを水壁か何かで受け止めるような音はやはりしない。
あそこまで大胆に身を晒しながら、この撤退の早さ。本当に自分達を動揺させるためだけに登場したらしい。亮輔を潰した次は、逃げながらの各個撃破を狙っているに違いなかった。
それに加えて、理事長を縛り上げて持ち歩いているのが、啓吾には一つの懸念だった。
インパクトを狙ったというのもあるのだろうが、あのスタイルは二人して本部から脱出するのにも適してはいる。
祠堂学園を囲む能力者デモから易々と脱する事はできないとは思うが、自分達の作戦では最悪でもシェルターに籠もってもらわなければ困るのだ。
護衛対象にあそこまで非道な事をやってのけるとは考えていなかったのが災いしていた。
推測通り、晴れた視界には大破したエレベーターだけが現れて、釧と男の姿はなかった。
エレベーター前は丁字路になっているため、逃亡ルートを特定するのは難しいだろう。
「逃げられた・・・・・・松本さん!」
啓吾は下方から上ってきている千里眼に呼びかけ索敵を要請し、後ろから追いついた智香と赤田に振り向いた。
「・・・・・・アレ、こっちに引き込めないのか?」
一瞬まみえただけだというのに、彼の声には僅かな疲労が滲んでいる。
「理事長の扱い方からして、向こうもまともに護衛する気ないみたいだしよ。
建物内ってのだけでもやりにくいのに、ああいう戦い方をされるとこっちは全力を出せないぞ・・・・・・」
「私もできればそうしたいわよ!けど、挑発文が送られてきたって事は、向こうは利害が一致ないって考えてるって事!
こっちの狙いが分かってないとも思えないし、というかたぶんほんとに機嫌悪いよあの子・・・・・・」
例のヘリが能力者を乗せていた事は情報にあったし、それが強者だろうとは考えていたものの、よりにもよって一番アレな人物が来ていた事、加えて機嫌が悪そうな事を感じ取って、智香は苦々しく顔を歪めた。せめて赤田が彼を襲撃していなければ交渉の余地が多少なりとも残っていたかもしれないが、そんなIFを考えても仕方ない。
「お喋りは程々にしろ、俺達はなんとしてもあの男を捕らえなければならん」
赤田に咎められて二人は肩を竦めた。と、それとほぼ同時にインカムから下川の声が発せられる。
『見えた、標的はエレベーターから上層へ、あ、10階に降りた』
「了解。下川、俺らを10階へ運べるか?」
「無理、一度も行った事のない階層はやめた方がいい」
彼女の言うとおり、確かに間取りを知らない空間への転移は危険だ。
彼らは標的の座標を確認後、床を突き破ってまでして、強引に今の階層までやってきた。どの階も構造が一緒な建物ならともかく、複雑なこの建築物では無理な座標転移は諦めた方が無難だった。
ならば、やはり足で上らなければならないかと赤田は思考し始めたが、そんな中、啓吾が動いた。
「俺が下川さんを背負ってエレベーターの縦穴から先に行く、赤田さん達はその後にテレポートで!」
このままではテレポーターが使えない。そう理解した啓吾はすぐさま残りの3人にそう言うと、下川の腕を取り、釧が通ったのと同じ通路を通るべく、壊れたエレベーターの中に入って行く。しばらくして瓦礫を吹き飛ばす音がして、二人の姿は完全に暗闇へと消えた。
「・・・・・・彼は直情径行のようで思慮深いな」
赤田の言葉に、えぇまぁ、と智香は曖昧に答えた。
こういった非常時で彼が瞬時に動けるのは、おそらく放火魔をしていた頃に『見つかった場合どう逃げるか』をシミュレートしていた結果だろうという事は黙っておく。
それより今の問題は相手は普通の能力者だと想定して立てられた作戦を改め直す事だ。
「ところで、対魔女戦の作戦ですが」
「経験者の意見は?」
「同時攻撃を仕掛けて理事長を手放させるくらいしか私は思いつかないわ」
「いくら魔女でも一度にいくつも能力を使えない、と?」
「大の大人を片手で持ち上げられるとは思えない。彼は身体を激変させるような変容は使えないはず・・・・・・多分得意な念力で補助している。それで一つ能力を使ってるし、完全に念力だけで持ち上げずに手を使っているのは余計な意識を割かないためとも考えられる。鬼ごっこに誘い込もうとしてるのは複数を相手にする事を避けている、とも取れるわ」
「だとして、畳みかけ――――」
と、そこで下川が虚空から現れて、二人の手を取った。視界に映っていた景色が煤けた廊下から損傷のない廊下に替わる。見取りがまるで違う事も周囲を少し見渡せば分かった。周囲を見渡すが釧の姿はない。すでにどこかへ行ったか、あるいは隠れているのか。
「――――畳みかけるなら、戦力になるのは俺と北、保駿と礎囲に音羽の5人という事になるぞ」
赤田は中断された事を気に留めずに台詞を続け、それに智香も頷いた。
「テレポートをうまく使って彼を追いつめましょう。
そのためにも下川さんにまずこの建物の構造を把握してもらうべきね。・・・・・・松本さんと合流、千里眼を補助にここの地理を頭に入れてもらうのが最善よ」
「標的を追いつめられそうになったら、下のメンバーから応援をテレポートするとして、それまでは俺達で攻めよう。念力反射は切り札だ。温存する。
朝露は引き続き、シェルター用エレベーターを監視しつつ、思体で下の層からマッピング、他の下方メンバーは足で上ってくれ」
ほとんど赤田と智香との相談の様になっているが、作戦自体はインカムを介して皆に伝わっている。各人からの相槌がインカムから聞こえてきた。
それを確認した赤田が下川に目配せすると、彼女は座標転移してこの場からいなくなった。すでにマッピングの終わった下層に移ったのだろう。
この間僅か数十秒の出来事だったが、時間のロスには違いない。彼らは止めていた足を再び進め始めた。
「松本、標的は?」
『そこから右に曲がった三番目のコーナーをさらに右・・・・・・絶えず動き続けてる。けどその先は行き止まりよ』
「分かった。・・・・・・・・・・・・早速チャンスだ、何としても追いつくぞ!」
行き先を知った足は速度を上げていく。さっきの階と違って、一本道になっているエレベーターまでの通路を逆走し、まずは一番最初の角を右へ。千里眼の指示によれば、その次は三番目の角で右折だ。
その角を曲がったところで赤田が智香の方を見て言った。
「礎囲、お前は後ろに控えていろ。お前の能力が一番敵へ届くのが早い。俺達が先鋒をやる」
啓吾も頷き、二人は彼女より数歩前に出た。
確かに智香の電撃は火や念力よりも早く攻撃できる。不意打ちを狙うなら彼女の能力が一番適してはいた。果たしてあのタイプの能力者にどこまで通用するのか不安ではあったが、熟慮する余裕はない。
前方からドアを開閉する音が響き、インカムからもこの先にある部屋に標的が入った事が伝えられた。音がしてすぐに彼らもその部屋のノブを掴むに至ったが、一足遅く、ドアには鍵がかけられていた。
ならば破壊するまでだ。
赤田の目配せに啓吾と智香は一歩下がった。
発破音。さらに壊れたノブが床に落ちる音。
赤田がドアを蹴破るタイミングに合わせ、啓吾は前に出る。彼らがドアから顔を出した瞬間、部屋は青緑色に輝いた。
進入直後の攻撃を予測していた啓吾が、反撃と防御を兼ねた火炎を繰り出すが、エネルギー同士がぶつかり合う衝撃は思ったより少なく、まばゆい光が収まった後、彼らが部屋の中に見たものは、金属の剣山だった。鈍色をした刃が床の至る所に生えていて、釧は窓際に立っている。
啓吾が一歩踏みだそうとしたが、二人よりも早く釧は男を持っていない右手でピストルを作り、意地悪な笑みを浮かべた。
それを見て、彼らが廊下に下がるのと、釧が、
「BANG!!」
と、発破を発現させるのとはほぼ同時。
砕かれた剣山の刃が部屋中の壁に刺さり、それだけでは済まずにドアを抜け廊下の壁にまで至った鉄の破片を見て、三人はぞっとした。
再び啓吾が部屋に視線を投げかけたが、その時にはすでに釧が強化窓ガラスを念力で破り、身を乗り出しているところで、窓に駆けつけた時には下方で別のガラスが割れる音が聞こえただけだった。
「ちっ!」
おちょくられていると感じた赤田は苛立ちながら舌打ちし、啓吾は部屋の様子を見て顔をひきつらせた。
「炎色反応をもうここまで使いこなせるのかよ・・・・・・!」
と、
「ちょっ、うわぁあぁああぁっ!」
不意にインカムから佐奈の悲鳴が漏れてきた。どうした、と彼らが言葉にするまでもなく、状況は松本から伝えられる。
『音羽と標的がはち合わせたっ!階層は・・・・・・さっきの階よ!』
「音羽は足止めを頼む。下川、テレポートだ。まずは保駿から!挟み撃ちにするぞ!」
#
祠堂学園にて、デモ陣営と釧が鬼ごっこを繰り広げている一方で、若内鈴絽と楚々絽は釧のタレコミに従って、群馬万可にやってきていた。
ここまでの道中で、デモの喧噪を掻い潜りながら聞いた話では、祠堂学園が神戸の件に関与していただとか、あるいは隠蔽していただとか、とにかくその手の噂が絶えず流れているようで、デモの構成員はほとんどそっちの方に行っているようだ。
神戸12月の出来事について、どうも風々が介入したらしい事は鈴絽の耳にも入ってきていたが、今回の噂がかなり信用度の高いものとして受け入れられている背景に、彼の意図が働いている可能性を彼女は嗅ぎ取っていた。
鈴絽はこの手の感がよく働く。風々と袂を分かつ前から、厄介事に首を突っ込むのは得意だった。
現在風々がやらかしている事に関しても、青森で多少関わり合った事もあって知っていた。
だが、その影響力は彼女が思っていたよりも大きかったらしく、普段なら警備が堅い万可の施設がほとんどもぬけの殻に思えるほどだった。
楚々絽が事前に調べておいた事だが、万可近郊部に置かれているはずの超大型戦術輸送機も出払っていて、万可施設に配備されているサワガニすら出動しているという。
局長が祠堂学園理事長として出払っている事で事実上機能していない事もあって、現在彼女らが前にしている施設の重要度はかなり下がっているようだった。
それに加え、鈴絽達は前に万可への侵入を果たした経験もある。その際に、抜け目ない鈴絽は交戦した相手のIDードまでくすねていた。そのカードがセキュリティーの傾向を検分するのに役立ってくれたおかげで、今回はダミーカードを前もって用意する事もできていた。
セキュリティーレベルは下がっている、準備は万端。
彼女達の侵入は思っていた以上にうまく行き、彼女達はスムーズに通信施設の中へと入った。
本施設と通信施設のケーブルに割って入って誤作動させ、その間に侵入したので本施設の連中は気づいていないし、通信施設は普段使われないのでよっぽどの事がなければここに立ち入る人間もいないだろう。
よっこらせと重い荷物を下した鈴絽は荷解きを始め、楚々絽は備え付けられたテーブルの上にスマートフォンをスタンドで立てて、アプリでTVニュースを流し始めた。
通信施設は円柱形の建物で、ドーナツ状のテーブルは内側の壁に沿って備え付けられ、その上にPC機器が同様の形で並べられている。機器の本体らしき黒い箱はかなり大型のもので、その裏側は接続端子が碁盤状に埋め尽くしていた。 あまりこういうものには詳しくない楚々絽は軽い眩暈を覚えた。虫がたかっているようにも見えて、あまり眺めていたい光景ではない。
その一つに端子を差した鈴絽が手元のPCを操作すると、差された機器が立ち上がるブゥーンというあの特有の音がした。部屋の照明は着けていないため、起動したディスプレイからの光が青くぼやけて辺りを照らし出す。
「これをそこの端子に差し込んでくれ」
鈴絽に言われて楚々絽は受け取った見知らぬ記憶媒体を、先ほどの端子群の中から差さりそうな穴に当たりをつけて押し込んだ。
「これって、青森から取ってきた例のデータ?」
「ああ、自前のPCじゃ開けないからな。
・・・・・・全く、こんな事なら始めからデータを読んでればよかったぜ。二度手間だ二度手間」
備え付けられた方のディスプレイに記憶媒体の中身がフォルダとして羅列され、その中から鈴絽が選んだ『第8次非常時における対処マニュアル』と銘打ったデータファイルが開かれる。
あれほど自分のPCでは開けなかった物が、こうも簡単に開いてしまうと、それはそれで何とも言えない気分になる。長く息を吐いて、鈴絽はバッグから取り出した携帯用のプリンタの端子を目の前の機器に繋げた。だが、暗号データを開くのに必要だったソフトウェアには印刷機能がないらしく、ディスプレイ画面をそのまま印刷するという裏技もどういうわけかうまく行かなかった。
「ま、予測はしてたが・・・・・・・・・・・・やっぱり自分の目で読んでくしかないか」
そこまで印刷機に期待していなかった鈴絽はすぐに切り替えて、文章データを映しているウィンドウを画面の端にずらし、気になって文章と一緒にデータへ落としたものの、全く使い物にならなかったソフトウェアを起動した。
こっちのソフトは開けはしたものの、どうやらこの通信施設そのものと併用して使わなければならない、ネットワークに関係するソフトらしく、持ち帰っても意味を成さないものだった。
『ロゴス』に関係するものに間違いはないのだし、この正体不明のソフトウェアがどのような動きをするのかも検分しておきたい。
有事が勃発している今なら、監視衛星の役目も担っている『ロゴス』にも仕事が回ってくる事もあるだろう。
本人には非常に失礼な考え方だが、朽網釧が何やら動いている事だし、大事が起きる可能性は高い。
それを待ちつつ、文章データを読んでいくというのが、賢い過ごし方というものだろう。
彼女は持ってきた魔法瓶からミルクコーヒーをカップに並々と注いだ。
「期待してるぜ、釧ちゃん」
♯
――――釧が窓から飛び降りた後。
どこぞの誰それが期待している通りかどうかは別として、朽網釧は争乱の渦中にいた。
下の階層で音羽佐奈と鉢合わせた事により、彼女に追われる事になったし、もっと大きな視点で言えば、戦争勃発を左右しかねない争いに巻き込まれているとも言えるだろう。もちろん、彼自身が当事者であるのだから、戦いに直面している現状も彼の責でもあるのだが、『万可も学園都市も潰したい、かといってデモに出しゃばられたくない』というジレンマに苛まれ続けるというのは精神に毒だった。
「あぁあもぉおおっ!待てってのに!」
後ろから掛けられる追跡者からの声。乱雑な足音2つが時折絨毯を踏み外して大理石をカツンと叩く音。
赤い絨毯が伸びていく廊下を釧と佐奈は走っていた。
一対一ならば交戦してもよいように思えるが、テレポーターが存在していると確信している釧は、挟まれる事を嫌って絶えず位置を変えている。
それを察した佐奈としては、どうにかして彼の足を止めたいし、そのために努めてはいる。
しかし、それらが『魔女』に対して有効かは別だ。
空気中の水分を集めて冷却するという彼女の能力は、水が豊富な場所であってこそ真価を発揮する。屋外ならともかく、空調調整された密室空間では分が悪く、明らかに火力不足だった。
氷で足元を凍らせようにも、常に走っている彼の足を捉えられるほどの急速冷却には水分が足りず、氷のつぶてを投げつけたところで彼はものともしない。
それどころか、時折彼女めがけて火球が飛ばされる始末で、自分の身の方が危うかった。
埒が明かない。これでは上の連中が痺れを切らして無理に転移してくる。
(何とか、しないとっ・・・・・・!)
能力に不可欠な水を補給するために、2Lのペットボトルを腰に提げてきているのだが、果たして今これを使っても止められるかどうかは怪しい。
だが、釧が吹き飛ばされたエレベーターの方へと向かった事で、攻めあぐねていた彼女にチャンスが巡ってきた。
水蒸気の多くは外へ出されたとはいえ、彼女らが差し掛かった一帯は水分が豊富にある場所だった。
それと手元の水があれば、充分に水分が確保できている時にしか使えない技が使える。
この機を逃すわけにはいかない。瞬時に判断した佐奈は、腰にストラップで止めていたペットボトルの蓋を氷結、粉砕し、釧に向けて思い切り投擲した。
たかがペットボトルとはいえ、中に2Lの水が入っていれば十二分に凶器になりうる。その上、彼女がそれを氷結させようものなら、打ち所によっては即死しかねず、釧にはその可能性を看過できない。
念力で投げられてきた容器を打ち落す。と、それと同時に中に入っていた水が一気に飛び出した。
飛び散り方に違和感を覚えた釧だったが、その時にはボトルの水と水蒸気の水分が氷結しながら彼に襲いかかった。
「いっけぇえぇええっ!」
手段としては足止めに使おうとした方法と同じだが、今回は足より動きの少ない胴体狙いで、出力も最大限だ。
充分な水分がなければ身体を覆うことができずに失敗する技だが、今回はうまくいった。
すんでで発火系PKで融解させられたが、氷霧が釧にまとわりつき、その足を止めさせた。
今だ。口には出さず叫び、佐奈は足に力を込めた。体勢を僅かに崩しながらも跳躍で距離を縮め、何とか縛られた男の袖を掴む。
それを振り払おうと、釧は彼女の腕を掴んだが、焼けるような痛みにすぐに手を引っ込める事を余儀なくされた。彼女の能力で凍傷にさせられたらしい。
彼女には直接触れない方がいいようだ。
そう心得た釧は、男の手と足を繋いでいる――――と同時に手提げ鞄の持ち手替わりにもしていた――――縄を切断した。それによって彼は強いられていたえびぞりから解放され、曲がっていた胴を伸ばしたが、持ち手を失った釧は代わりに彼の足を両手で掴み、佐奈に殴りかかった。
口を封じられている男のくぐもった声を彼は無視し、かまわず佐奈への横殴りを敢行。袖から手を離す事で彼女は何とか鈍器と化した男から逃れる。
が、勢いは止まらず、標的を逃した男の頭部は壁に打ちつけられ、かなり嫌な打撃音がした。
彼が死んでいない事は、苦悶する様子を見れば確認できたが、護衛される対象にあるまじき負傷状態にあるだろう事は間違いない。
だというのに、釧はすでに第二撃の構えに入っていて、しかも今度は下から上に殴り上げるつもりらしく、男の頭部が床にゴリゴリと当たり、首もぐらぐらと揺れていた。
「ちょっ・・・・・・!」
待った!卑怯!卑怯すぎるっ!
あまりの事に、彼女身体は硬直してしまって動けない。
けれど、そんな彼女にも釧は躊躇なしだった。
「ちょーっ!それはなし・・・・・・っ!」
ゴヂッ!頭部と頭部を打ちつける音がして、一拍置いてから佐奈は床に崩れ落ちる。
これでまずは一人を下した。
「よしっ、と」
ストレスを少し解消できた事もあって、釧は小さくガッツポーズをする。
だが、勝利の余韻に浸れたのも束の間、佐奈が倒れたのと僅差で、彼の後ろに啓吾がテレポートしてきた。
着地時の音に反応して、釧は襲撃者の存在を知ったが、その時には啓吾の最大出力の火炎が廊下を埋め尽くしながら、唸りを上げて迫ってくるところで、釧といえどこれを受け止めるのは至難の業だった。
暴走コードの被験者となり、脳のリミッターを一度外した事がある啓吾の火力は洒落にならない。事件を起こした時のように周囲を融解させてしまうまでには至らなくとも、釧といえど当たって無事に済まされるほど温いものではないのは一目瞭然だ。
よって、回避するしかなかった釧は近くの部屋に逃げ込んだが、避難先の部屋にはすかさず赤田が転移してきた。
ここに逃げ込んだのはどうやら失敗だったらしい。
テレポートによる不意打ちまでは何時かくると考えていた釧だが、思わぬ全力攻撃を受けた直後に、避難先の部屋に第二弾目が転移してくる事にまでは気が回らなかった。
前回、レンタカーを粉砕してくれた男がテレポーターの女性と共にいきなり現れ、女の方はまたすぐに消えていくのを見て、
(まさか、次に投下するメンバーを迎えに・・・・・・?)
釧は袋叩きにされる可能性について至り焦りを覚えた。
いや、目下問題なのは前にいる男だ。転移してから瞬きする時間も経っていない内に、彼は能力を繰り出す準備を終えてしまったようだった。
彼の右手には能力波が凝集されている。放たれるのは発破だろうが、部屋に転がり込んで体勢を崩している釧に、果たしてその攻撃は避けれるものなのか。いや、前より持ちにくくなった荷物を携えた状態なのだ、考えるまでもない。
「ちっ!」
回避を諦めた釧路は、捨て身で真正面から迎え打つ覚悟を決めた。
鼓膜が破れんばかりの発破音と、硬質な物を砕き割る轟音とが競うように響き合い、それほど大きくない会議室風の部屋は、内装を大きく抉られ、その飛沫物にまみれた。
発破による被害はまだ少なかったのだが、赤田に迫った念力が周囲の壁を巻き込んだのが大打撃だったらしい。内壁は化け物の爪で削られたような有様だ。
だが、そんな中で最も被害を受けたのは赤田心一であり、彼の身体は念力に押し潰されて、壁にめり込んでいた。
迎え打ったはずなのに、このような結果になったのは、釧が自分の念力は能力波に干渉できない事を利用したからに他ならない。正面衝突しながらも、念力は相手の攻撃を透過、赤田を襲った。
その代わりに、当然自分も相手の発破をまともに食らう事になったわけだが、人質がいる以上、向こうが本気を出せない事も計算の内だ。身体を庇った左腕はプラプラとおかしな方向に曲がって揺れているものの、被害としては少ない方だろう。
何より、向こうの大将を落とせたのは大きい。
テレポーターの動きが見えないのが気になるが、今はこのまま流れに乗るべきだ。
次は啓吾を潰そうと釧は廊下に出た。が、さっき巨大な炎弾を放ってきた男はそこにはいなかった。
どうやら一度退いたようだ。これまた面倒な事である。
啓吾が退却した理由が体勢を整えるためだとすると、今度もさっきの様に多段階の転送を利用した戦法で攻めてくる可能性が高い。
(やっぱり面倒な転移能力者から崩していきたいが・・・・・・)
捉える事が困難なテレポーターを狙って潰すのは至難の業だ。運搬役に徹している彼女を追うよりは、相手のPK能力者を全滅させた方がまだ効率がいい。
だとすれば、今まで同様隙を見せて相手を誘う方向で行動すべきだが・・・・・・。
「・・・・・・シェルターに向かうか」
向こうは釧達がそこに閉じ籠もろうと考えているはず。その素振りを見せながら突撃してきた連中を各個撃破しようと、釧は進路をシェルター用のエレベーターに定めた。
片腕が折れてしまった事で、荷物を携える右手と合わせ、腕の両方共が今後の戦闘に使えなくなっている。
能力発現において手をかざすという行為は、座標指定と発現のイメージを補強するのに非常に有効な手段だ。特に釧の様にいくつもの能力を同時に運用しようとする者にとって、それが使えなくなるという状況はかなり不利なものと言える。
できれば早々に決着をつけたかった。
啓吾の炎で焼け焦げた廊下を歩きながら、釧は周囲を警戒する。
うまい具合に引っかかってくれという彼の願いが通じたのか、襲撃は前回からそれほど時間を空けずに現れた。
転移の女性と電撃使いである智香が真正面への転移。だが、これはブラフで本命は次の転移だ。
釧は後ろの攻撃に備えつつ、前の智香に向けて炎弾を放った。
相手を目眩ましする意味も込めて、大きめのものを三つほど。
ところが、弾が当たる前に智香の姿は再び消え、代わりに現れたのは釧の知らない男だった。北信也というその男の能力は反響氾濫である。
釧の持っていない性質を持った念力が即座に張られ、彼の炎弾は彼に向けて跳ね返された。
「っ、ぁあもう!面倒なの連れてきやがった!」
「面倒なのは君の方だろう!」
思いがけない攻撃に意識を奪われる釧。そこに追い打ちをかけたのは、彼の後ろに転移し直してきた智香だ。
囮役、そして再転移を果たした彼女の鋭い電撃が釧を襲う。
当たるまでがかなり早い電撃は、攻撃に気づいてからでは避けられない。前から来る自分の火の玉に対処しようとしていた彼は、手に集めていた電気伝導度が低い純水を自分の背後に回し、防御を試みた。
が、幾らかのダメージは通り、肩に感電の跡が残る結果になった。
さらには集めた水を電撃に向けた事で、対処できなくなった前方の火が釧に迫ってくる。
今度は、自分の能力で作ったものである事を利用して、同じ念力波で中和しようと念力を自分の前方に発現させるが、北の放った念力弾が火球を食い破るように現れた事でその目論見は破綻した。
もう、別の能力を発現している余裕はない。釧は咄嗟に念力を廊下の壁にぶつけ、空いた穴に入り込んだが、その際に男から手を離してしまった。
さらに畳みかけるように、逃げた先に啓吾が転移。連続襲撃に晒される釧だが、さすがに一度やられたこのパターンは読めていた。部屋に入った瞬間、全方向に向けた弱い破砕念力を放出し、啓吾を呆気なく天井に打ち上げると、彼はUターンして、さっき自分が入ってきた穴に向かう。
落とした荷物を拾いに行かなくてはいけない。その荷物は穴の近くの廊下の隅にあるはずだ。
しかし、釧が穴に近づく前に、そこから北が部屋に侵入してきた。
(・・・・・・よりにもよって反響氾濫が来たか)
もし、ここで智香が現れれば、さっき同様、問答無用に念力で吹き飛ばせばよかったのだが、反射念力が相手にPK能力の乱射は危険だ。
目の前にいる男は、PKが売りである『魔女』としては非常に戦いにくい相手なのだ。
結局、肉弾戦しか思いつかなかった釧は、そのまま彼に向かって突進する事にした。
物理的攻撃にもPK攻撃にも強い反響氾濫を相手取るには、少々下拵えをする必要がある。
腰につけた能力波計測用の機器をいじり、釧は左足の踏み込みと同時に正拳突きを繰り出した。当然、それは北の念力に阻まれ、今度は彼の念力が釧の右腕を軸に発現していく。が、完全に発現する前に釧は折れた左腕を突き出した。
ただでさえ折れていた左腕がさらに捻れて血が吹き出す。
「くっ、狂ってんのか!?」
目の前で起こった惨事に、動揺を隠しきれない北。
釧はそんな彼に向けるための右手を強く握りしめた。
「こちとらッ!このくらいの傷はしょっちゅうなんだっての!」
初めの一撃と全く同じ位置に放たれる拳に、北はさきほ同様に念力を張った。
ところが、釧の腕を阻むはずの念力は、彼の意図に反して消滅してしまう。
「なっ!?」
それが、釧が一発目に殴りつけた時に記録した北の念力波を利用し、能力の中和を行った結果だと彼は気づけない。
「っ・・・・・・ぉおっ!」
気づけないまま、釧の拳は彼の顔面にめり込んだ。
釧が標的から手を離し、廊下からどこかしらの部屋に消えた直後。
意識を失ったリーダーの代わりに指揮を取っていた智香は、これを最大の好機と捉えた。
このまま目の前に転がっている亀甲縛り男を外に転移させて逃げに転じるというのも手だが、敵が釧であると判明した事で事情はかなり変わってきている。標的を連れ出しただけで、果たしてあの女装子が大人しく手を引いてくれるどうか分からないのだ。このまま撤退する事は勝機を逃す事にしかならないのではないか。
後顧の憂いはないに越した事はない。
しっかり彼を倒した上で、この本部ごと占領するべきだ。
啓吾を釧の行く先へ転移させた下川に連絡して、下にいる佐々見雪成を連れてこさせた彼女は、標的に変身するよう彼に指示し、下川には標的を外に運ぶように行った。
これで少なくとも標的を確保し、うまく行けば自分が倒れても釧の隙を突けるという保険をかける事もできたはずだ。
彼女は亀甲縛りと目隠しをされた男に扮した雪成に念を押す。
「いい?私らが倒れたらあんたしかいないんだからね?
猿ぐつわが外されたら仕掛けなさいよ。会話できるほどそいつの事知らないんだから」
雪成が頷くのを確認して、彼女は彼の背中に回っている縄を持った。途中で釧が縄の一本を切断したため、かなり持ちにくい。念力がある釧はいいのだろうが、自分の事を非力と言ってはばからない智香には文字通り荷が重かった。
しかし、ある程度運んでおかないと違和感がある。何とか運ぼうと彼女が奮闘していると、例の穴から鈍い音がした。
啓吾を投入した直後に建物が揺れたが、あれとは違う打撃音だ。
智香が身構える中、人間大の横穴から現れたのは北の襟を掴んで悠然と歩む釧だった。
左腕がぶらんと垂れ下がり、服には裂傷が幾つも見られるが、本人はいたって平然な顔をしている。
何となくこうなるのではないかと思っていたが、物理も能力も効かない事からチートとすら言われる反射念力を僅か数十秒で沈めてくるとは。
表情筋がひきつるのを自覚しながら、智香はそんな彼に呼びかけた。
「えーと、朽網君?」
「何かな?」
「て、停戦協定とかは〜・・・・・・・・・・・・」
「却・下♪」
そう笑顔で言って、釧は伸びた北を投げつけてきた。
人の身体を扱うには、思い切りが良すぎる動きで投じられた北は、傍から見ても当たればただで済まされない勢いで飛んできている。
智香は防壁に使えるような能力を持っていない。やむを得ず身体を低く保ってその投擲攻撃を回避した。
後ろで少々洒落にならない音がしたが、今は振り向くわけにもいかない。
素早く体勢を整えた智香は、両手に纏った電撃を時間差をつけて放っていく。防げない釧には避けにくい電撃は有効なはずだ。
だが、釧はその攻撃に怯むことなく、得意の念力をぶっ放した。
床や壁を砕き、その破片を智香へと叩きつけていく念力の波動。周囲が変形してしまって自身が動きにくくなるといったデメリットがあるために多用できない技だ。
飛んでくる瓦礫から逃れようと背を向けて駆けだした智香だったが、その背中にソフトボール大のコンクリート塊が被弾して、彼女は俯せに倒れた。
騒々しい念力波の嵐が収まった後、瓦礫に半ば埋もれてしまった智香は、釧がトドメを刺すまでもなくダウンしていた。
釧はそれを確認した後、同じく能力の被害に遭って粉塵まみれになった縛られ男の元へ向かった。仰向けで倒れている男の近くにまでくると、立ち止まって肺に貯まった息を吐き出す。
そして、
「よっ、と」
釧は無防備な彼の腹を思い切り蹴り飛ばした。
「っ、ぉおおぉおおぉおおぉ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ!」
まさかの暴挙に雪成が凄まじい呻き声を上げたが、その加害者はまるで気にしない。
彼は相手に変身能力者がいると分かっていて、一度目を離した相手との入れ替わりを疑わないような間抜けではないのだ。
そもそも釧が亀甲縛りにして連れていた男の手首には手錠付きのブリーフケースがついていない。この男は理事長ではなくただのボディーガードだ。
ちなみに、もう一人残っていたボディーガードは理事長と共に理事長室の床に拘束されて転がっていて、つまり護衛についていた三人は釧によって身動きが取れなくされていた事になる。
相手に変身能力者がいる状況で、連携の取りようもない少数の味方など足手まといなだけだ。
釧が彼らを体よく追いやったのは、入れ替わりを警戒していたからでもあった。
三人の内二人は戦闘に参加もしていない。となると、理事長室に気付かない限り、雪成が変身できる相手は限られる。
つまり囮の縛り男だけだ。
後は入れ替わられている確証があろうとなかろうと、目を離した後はとりあえず殴っておけばいい。
「さて、と。これで粗方片づいた・・・・・・かな?」
彼の呟きに異議を唱える者はいなかった。
♯
「それで?何してるんですかね、智香さん達は?」
理事長室の机に腰掛けた釧に見下ろされながら問われて、
「あはは・・・・・・えーと、ね・・・・・・」
智香はさっきの戦闘からひきつったままの顔で笑みを浮かべた。
こういう時にどんな顔をすればいいのか、彼女の脳内データベースにはインプットされていない。
気づけば自分達はどこかの床に転がされ、周囲を確認すると、ここにいるのはアホウドリとトラウマ野郎を除いた裏方メンバーと北だという事が分かったのだが、本来なら同じように捕まっているはずの赤田が居なかった。どうも転移能力者の下川が彼だけは回収していったらしい。どうせなら自分達も逃がしてほしかった。
釧は尋問しつつ、ネイルのチェックでもするのかという気軽さで左腕の具合を確かめているが、捻れた腕は筋肉すら経たれてほとんど機能していないはずだ。
その手で自分達が拘束されたらしいのだが、手足を縛られるだけならまだしも、亀甲縛りという複雑怪奇な縛り方をされている事に戦慄すら覚えてしまう。
というか、不便な腕でわざわざする辺り、この縛り方に拘りでもあるのだろうか。
とにかく何か言わないとと思って、智香は口を開く。
「せっかくデモが祠堂学園や万可に向いてるんだし、乗っかろうかなー、的な?」
「・・・・・・そのせいで大勢の人に多大な迷惑がかかるって分かってます?」
溜め息混じりに釧は言った。
「人間、相手の事を考えて行動しないと」
お前が言うなと意識を取り戻した連中は思ったが、口には出さなかった。そんな事を言って、これ以上機嫌を損なわれてはかなわない。人質にしろ捕虜にしろ、それらに対する釧の扱いは先の戦いで身に染みたのだった。
(そういうところ、葉月ちゃんに似てきたなぁ・・・・・・)
と智香。だが、心の中で思っただけのつもりが、うっかり口に出ていたらしい。釧はてれてれしながら「そう?」と言ってはにかんだ。
間違っても照れる場面ではないという言葉を、智香は今度こそ飲み込む。
代わりに、ずっと気になっていた事を訊いてみる事にした。
「というか、何で亀甲縛り・・・・・・?」
一応、年頃の乙女であるからにして、さすがにこの格好は屈辱的だし、この格好に縛られた過程の事は恥ずかしすぎて考えたくない。
が、釧にかかればそんな乙女の心境などお構いなしだった。
「抵抗したらその格好で建物の外に吊そうと思って」
その回答を聞いて、彼女達は抵抗しない事を誓った。取材ヘリも飛んでいる中を、こんな格好で吊し上げられるのはまっぴらだ。
と、釧は思い出した様に手を打った。
「そういえば、「祠堂学園の生徒が」っていうあの噂の元って知ってます?
何でこんなに広がってるのか気になってるんですけど?」
葉月に関わりある噂を流した人物だ、いい印象はない。見つけ次第制裁をと考えながら訊いた彼に、智香は「あーあれね・・・・・・」と生返事をした。
果たして風々の事を言ってもいいのだろうか。あの男はあの男で隠密活動中のはずだが・・・・・・。
しかし、今自分が置かれている状況と格好を思い出し、結んだ唇を開いた。
「写真よ写真。写真が配られてるの」
「写真?」
「オリジナルから焼き増しした残留思念読取で読み取れるモノに、それをさらにコピーしたモノ・・・・・・・・・・・・・・・・・・両方含めるとかなりの数が出回ってるみたいよ。
私も持ってるけど・・・・・・」
「どこ?」
「・・・・・・す、スカートのポケット」
智香は恥じらいを持って答えたのだが、釧は躊躇いなく彼女のスカートをまさぐって、問題のモノを取り出した。女としての矜持を傷つけられて、智香はうなだれる。が、それすらも釧は意に介さず、胡乱そうに写真を注視し、映っている内容を理解して表情を変えた。
写真を指に挟んだまま、器用にスマートフォンを取り出すと、内海岱斉に繋ぐ。数コールした後、いつもの厳つい男の声が聞こえてきた。
『なんだ?』
「・・・・・・・・・・・・岱斉。例の噂だが、元になっているのは写真だ」
彼は手元の写真に視線を落とす。そこにはブレている上、水蒸気か煙かでよく見えはないが、能力らしき光を放っている黒髪の女子が映っている。これが葉月かまでは分からないが、残留思念読取が読みとったというのなら、間違いなく神戸の事件で撮られたものだ。
「12月の神戸の件では衛星は使えなかったんだよな?
だとすると、あの惨事を撮影できた人物は限られる。確か、あの件には朝空風々が介入――――」
だが、最後まで言う前に通話は唐突に切れた。
どうしたのか。あの男は確かに付き合い辛い性格をしているが、いきなり通話を切断するような事はしないはずだ。
釧が憮然として切断を知らせるメッセージを表示したスマホの画面を眺めていると、今度は大地を揺るがすような轟音が部屋の外から聞こえてきた。
音の質からいって、航空機の類が近くを通る音だと釧にも判るのだが、さすがにそれ以上の事は分からない。そんな彼の代わりに反応したのは智香だった。
彼女はその轟音を北海道で聞いた事があった。
「マンタ・・・・・・!?超大型の戦術輸送機が、どうして!?」
彼女の台詞に釧は外の様子を移すモニターへと駆け寄った。机に備わっているボタンをいじると、画面の映像が切り替わっていき、ついに問題のモノを捉えた映像が現れる。
近くで見ると巨大な黒い影にしか見えないソレは、よく見ると確かにオニイトマキエイに似ている。だが、問題なのはその機体のスペックと用途であり、彼が知る限りアレは脚足戦車を搭載して、戦地に投下するような大規模の作戦で使われるものだ。そもそも学園都市の戦力は、今風々に割かれているはずで――――いや、だからか。
風々がここに居る可能性が高い事を知った万可が、これを起こしているとしたら・・・・・・・・・・・・。
釧が今から起こるかもしれない最悪な事態に顔をひきつらせていると、持っていたスマホが震えた。見るとポップアップが加藤倉密からの電話を知らせている。通話ボタンを押すといきなり老人の興奮した声が聞こえてきた。
『釧!見たか!見てるか!マンタだ、マンタがそっちにいったぞぉ!
それも最大積載数のレギオンを積んだマンタときた!
盛大な投下風景が見られるに違いない!ぬぅおぉおぉおお何故私はそこに居なぃいいのだぁあぁあああっ!』
「おい、気狂い博士、ちょっとテンション下げろ。
うるさくて・・・・・・って最大積載って言ったか?まさかそれ全部投下」
するつもりか?と釧は言おうとしたが、それを言う前に、モニターの映像がマンタが灰色の物体を放出してく様子を映し出してしまった。
しかも、周囲の様子を見るに、その位置は群馬学園都市の少し外側だ。それに気づいて釧は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「・・・・・・外から風々を閉じこめるつもりか」
だが、
(今学園都市の境界には、反能力者デモが居る・・・・・・!)
そんな状況でさらにその外から学園都市のレギオンや正式治安部隊が囲めば、形式的に非能力者のデモ隊は外側の彼らと内側の能力者デモに挟まれる状態になる。
この緊張状態下で、そんな事をしてしまえばどうなるか。
戦争。
分かっていた事だが、今まさにそれが始まりかねないとなると話は別だ。
『釧!映像だ!映像記録を取ってくれっ!高画しっ』
釧は未だ興奮してくだらない事をほざき続けている馬鹿との通話を切った。
「これは・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう収拾つかないぞ」
♯
結論からいえば、群馬学園都市にマンタの戦力が投入されたこの現状こそが、朝空風々の狙いだった。
緑川光に噂を流すよう指示し、デモの標的を祠堂学園を介して万可にすげかえ、その上で自分の影をチラツかせる。かなり遠回しな方法だが、彼にはそこまでして万可に追われ続けている現状を、打開する必要があったのだ。
そもそも理事長の言う様に、彼の目的が板川由と髪の毛の主に会う事であるとして、その第一関門である二人が合流するという事自体はそれほど難しい行為ではない。
板川由は1.5という現実とはズレた世界を行き来できる能力者だ。普通の人間どころか能力者だって、彼を捉える事などできはしない。彼が風々の所へ空間を渡って来さえすれば、二人は簡単に合流する事ができたはずだ。
それは万可もよく知っていて、実際、学園都市の連中はしつこく風々を追い回していたが、由はほとんどマークしていなかった。そちらに人員を割くよりは、風々を追い詰める方が合理的と考えたからである。
が、追いかけっこという点では圧倒的に有利なはずの風々と由は、どうしても追っ手を遠ざけなければならなかった。
何故か?
それは、彼らが行おうとしている計画の第二段階、つまり髪の毛の主に会いに行くための儀式は完了するまで時間がかかるからである。
いや、時間だけなら気取られなければいいのだが、『世界をずらす』という由の能力の性質上、力を使えばその能力波が大規模に展開してしまうのだ。
数年前の文化祭の時に葉月で試してみた結果から、その類の奴らは由の世界に取り込みにくい事は分かっていた。
能力を使って合流するとして、その時点で気取られる事は避けられないので、髪の毛を取り込む儀式はその直後に行う必要がある。一連の流れの間無防備になる事を考えると、風々に付きまとう連中は邪魔で仕方なかったのだ。
そのために今回の作戦を企てたのだが、それは思いの他うまくいったようだ。
『移動する重装備部隊』とも言えるマンタが風々の近くから去った事で、一番の懸念は取り除かれた。
儀式を成す絶好の機会は今をおいて他にはない。
手筈通り示し合わせた彼らは、群馬学園都市から少し離れた地方都市にあるマンションの一室で合流した。
――――ついに儀式が開始される。
勝負服の方が力を出せるという理由で巫女装束を身に纏った由が、風々から中の透けたシート状の保存容器を受け取った。二枚のシートで髪の毛で挟んでいるようにも見えるが、中は例の賢者の石で精製された水で満たされているはずで、かなり薄いが正確にはケースというべきものだ。
中で揺れる白い髪の毛を確認した由は、それをテーブルの上に丁寧に置き、神楽鈴を取り出した。
じゃりん、と十五個の鈴が鳴る。
風々は、その鈴の音を聞いてようやく、長い長い逃走の終わりを実感したのだった。
彼が能力を使った事で、万可もこちらに気づいただろう。
だが、もう遅い。
けれど、
♯
群馬万可の通信施設にて。
データ閲覧の共に監視していたとある『ネットワークに関係するソフト』がいきなりアクティブになった事で、オフィスチェアに深々ともたれ掛かっていた鈴絽はガバッと起き上がった。
今まで赤だった筈の接続を示す何かしらのアイコンが緑に変わり、明らかにどこかしらの万可に動きがあった事を示している。テーブルに置いたスマートフォンのニュースでは、今まさにマンタからレギオンが投下されたという報道をしているところだ。
「きたきたきたっ!さぁーて、どこからだっ?」
自前のPCで待機させておいた逆探知ソフトを起動させる。どこがこの通信を行っているのか、そしてどこへ通信を行っているのか。それを突き止められれば、今後の活動で大きな利益となるはずだ。
「おっと、こっちもどんどん動いてるな」
自前の方の画面で探知している間、設置されているPCのソフトもさっきとは違う動きを見せていた。通信状態を示すだけだったウィンドウに、ポップアップメッセージが幾つも表示さている。
鈴絽はとりあえず目についたものから呼んでいく事にした。
が、
「第8次非常時宣言・・・・・・・・・・・・・・・・・・発令ッ?」
まず初めに目に入った文章からして、彼女の予想の範疇を越えていた。
もう一度、彼女はニュース番組に視線を移す。確かにそこには非常事態と言える世情が映し出されている。
けれど、第8次非常時の発令規定は『非能力者による超能力者の政治的、法的な人権侵害が著しい場合』か『一部能力者により能力者全体に著しい損害を与えられる可能性がある場合』だったはずだ。
前者はニュースを見る限り起こっていない。となれば、この発令は後者によるものという事になる。
今、学園都市で何が起こっているというのか。
彼女は青森で手に入れたデータ名を思い出した。『第8次非常時における対処マニュアル』、それは当然『ロゴス』による対処を指すものだろう。
こうしている間にも、自分達が追っている『ロゴス』が動いている。その事を再認識して彼女は画面に食い入るように見た。
「コード確認・・・・・・神戸・・・・・・琉球万可で・・・・・・承認、ロック解除」
「姉様、ソフトが探知しました!えぇと、送信先の方で、場所は・・・・・・・・・・・・淡路島から、これは衛星に送ってる?」
「淡路は神戸万可のテリトリーだ・・・・・・。そこから『ロゴス』へ?・・・・・・経由している?何故・・・・・・いや、それよりも――――」
一体何が起ころうとしているのか、鈴絽がその疑問を口にしようとした時、一際大きなSEをさせて、赤い縁取りをしたポップアップが表示された。
楚々絽もが画面に顔を寄せる中、鈴絽はそこに書かれている文章を読み始める。
「オールクリア・・・・・・システム実行、コード名は・・・・・・・・・・・・」
本来、そこは『ロゴス』という単語があるべき箇所だ。
彼女が持ってきたこのソフトは『ロゴス』に関係するもので、通信を探知した結果、確かに衛星ともやり取りを行っている。コード名にあるとすれば、それは現在も天にと浮かんでいる例の人工衛星の名前であるはずで――――。
なのに、そこには『ロゴス』の名はない。
一息深呼吸し、彼女はその先を続けた。
「ソドムとゴモラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
♯
そして、
「~~~~ッ!まずい・・・・・!風々ッ!?」
「――――――――!?」
その日、とある地方都市が天から注ぐ光の柱に焼かれて、跡形もなく姿を消した。
♯
「――――見つけたっ・・・・・・!私の子供達・・・・・・っ」
↓ 今回のまとめ☆ ↓
強硬派「魔女襲撃じゃぁい!」
風々「よし光、ガソリン掛けてこい!」
光「分かったよお兄ちゃん!」
強硬派「今日から火祭りじゃぁぁああ!」
釧「爆弾持ってきたよ!」
裏方「追加燃料お待ちっ!」
強硬派「次は祠堂学園襲撃じゃあっ!」
釧「テメェら弁償しろや!」
万可「風々どこ隠れとんじゃあ!」
風々「儀式開始だオラぁ!」
万可「くらえや神の火」
他の戦犯者「え?………………え?」