第81話- 複製・転写・核心・変容。- Central Dogma-
誰だよバックドラフト起こそうとしてるやつ……。
群馬県にある特別指定学園都市、その一角に広い敷地を広げる祠堂学園。
そこに建つ白い角柱の建築物は、15の階層と多数の階段とエレベーター、そして複雑な内部構造からなっている。
一辺約50m。その数値はほぼそのまま廊下の長さに当てはめられ、上階へのアクセスだけでも体力を奪う事になるだろう。
どの階も廊下が建物の形に沿って一周しているため、攻める側は常に後ろを取られやすく、その一方でこの建物は籠城者には易しい。さらには地下にシェルターまで完備されている。最悪そこに逃げ込めば、並の者では手出しができなくなるだろう。
ここで警備として働く連中は当然その事を理解しているし、今回の場合もシェルターという最終防壁をさらに守るため各々の持ち場に着くことになった。
だが、未曾有の非常事態に、外の防御に割かれた人員は予想外に多く、その結果が理事長の近辺警護に当たれたのが3人という事態だったのある。
だが、それでも十分ではあったのだろう。
シェルターには水も食料も空気もある。外から援軍が駆けつける時間さえ稼げれば、シェルターが突破される可能性があったとしても問題はない。
そう。
籠もる分にはこの場所は申し分なかったのだ。
しかし、そんな堅牢な防壁は、たった一人によって破れる事となった。
「さぁ、知っている事洗いざらい全部吐け♪」
笑顔でそう命令する裏切り者は、本来理事長の座るべき椅子に腰掛け、それに対して理事長は棒立ち状態から抜け出すと、客用のソファに腰を下ろした。
銃を向け続けるボディーガードに武器を降ろすように指示した彼は、自分の置かれている状況にしては余裕な、けれど困ったような顔を向けた。
「そうは言いますけど、ね」
さらには男の一人に二人分の紅茶を出すように指示してから続ける。
「僕の知っている事なんて限られているんですがね。
まあ、それでもいいのなら――――」
と手にはまった手錠をガチャガチャ揺らしてみせた。
「・・・・・・貴方の誠意に応えましょう」
その態度が釧には気に食わなかったが、変に警戒して隙を見せるのも下策だと判断した。
「・・・・・・・・・・・・まずは万可の目的を。
『箍の外れた発条』に『ESP追究所』、『日常的な赤』、『古き良き風景』・・・・・・。多くの機関に張り巡らしたネットワーク、いや、学園都市というシステムをも構築するに至った元凶について話してもらいます。
都市システム以前、東京にあった万可の前身は何を目的に設立されたか。
国外で形骸変容の発現成功が唯一知られているイギリス、内海岱斉の所属していた研究機関、そして似た目的を持っていた姉がいる『三重録音九法研究所』との関係について――――岱斉が局長の座にいる理由にそれらが関わってくるとすれば、万可の真の目的もその辺りでは?」
「万可統一機構の目的ですか。それはすでに貴方も知っている事だと思いますが」
「神の創造、それが本当の狙いだとでも?」
「神に祭わる事、目的なんてこれ以上でもこれ以下でもありません。
『万可統一機構』、その目的はその名が掲げる通りですよ」
「全知全能に何の価値がある?」
「その言葉が示す通りには」
行年の台詞の後、二人の間に沈黙が降りた。
果たして目の前にいる脅迫相手はまともに受け答えをしているのか、ただからかっているだけなのか。しばし吟味した釧はとりあえず彼の台詞回しに乗っかる事にした。
「まるでおとぎ話みたいな話だ。理性のある理由だとは思えない。
神。確かに作り出す事に意義はあるんだろう。
だが、その行為に何の意味があると?
探求心、好奇心、あるいは人間の可能性を示すという大義?
そんな理由で説明できるような計画の規模でも、資財のつぎ込みようでもないでしょう?」
「つまり、もっと俗物的な目的を持っているのでは、と?心外ですね」
「魔術。岱斉を引き抜いたところをみて、その存在は初めから知っていたはずです。
そういった側面から別の目的があるのでは?」
「扱っているのは『神様』ですから、そりゃあ魔術と接点も幾らかはありますよ。
ですが、魔術的な目的は持っていません。まあ、私の知る限りですが」
あはは、と頬をかく彼の姿からは、やはり祠堂学園の理事長や万可の局長の威厳や人格を感じられない。
まさに優男、と表現するのがしっくりくる人物である。
だが、釧の彼に対するイメージは、『始終笑顔を絶やさない胡散臭い男』で固まりつつあった。
先ほどからのらりくらりと質問をかわされているし、返される答えはあやふやなものばかりだ。
こうなる事は分かっていたが、思った以上に相手の考えが読めない。
質問に対する応答自体は極めて真摯な態度だが、それが隠し玉を持っているが故の、余裕からくる嘘なのか、持ち合わせた度胸からくる嘘なのか。はたまたただ真実を述べているという可能性もある。
読心術か嘘発見器のようなものを用意する時間がなかった事が悔やまれた。
「学園都市には九つ子機関の支部があるでしょう。
ただの接点にしてはべったりしてるように思いますが」
「仲はいいのですよ。互いに目的は違いますが・・・・・・協力し合える部分がありますし。
それに、もし魔術的な目的を万可統一機構や学園都市が持っているとするなら、もっと魔術機関があって然るべきでしょう?」
確かに。釧もそう思ってはいた。
魔術というものが彼とってファンタジーの産物だったのは、彼の周囲にそれを臭わす存在がなかったからだ。
もしそんなオカルトチックな組織が存在があったのなら、至極追探組織同様に噂になっていただろう。
釧はこれまでの人生のほとんどを学園都市で過ごしてきたわけで、そんな彼すら魔術というものの片鱗を目の当たりにしたのは学園の外だった。それも偶然に近い出来事で、だ。
仮に学園都市が「神」を使って魔術的な何かを行おうとしているとするのなら、都市内部にそういった研究所があってもおかしくはない。
そもそも、日本の学園都市は、外国が『真理への到達』を掲げ始めた時代に、実用性重視の権化として現れたシステムだったはずだ。
学園都市自体が万可ら闇組織の作り出したもので、魔術の利用を元より考えていたとするなら、わざわざ『実用性重視』を掲げるのもしっくりこないところではあった。
いや、そういえば最近魔術的、宗教的な意味合いを持つものが学園都市にもあったか。
釧は一つだけ思い当たって、それを口にした。
「・・・・・・ロゴス。ロゴスと言えば、少し前に打ち上げられた人工衛星、あれの名前もロゴスでしたね。
レッドマーキュリーを見つけたのも確かあれでしたか」
「以前から一応監視衛星はあったんですけどね。今回の物は性能がかなり向上してますよ。
これで『千代神』が見つかればいいのですが」
「見つかるわけないでしょう」
「ははは・・・・・・これは手厳しい。
まあ、彼女は無理でも他の能力者に効果があれば儲け物です。
どうにも万可は昔から能力者をちゃんと制御できていませんでしたから」
また彼は頼りなさを感じさせる空笑いをした。
正直、笑っていられる話ではないと釧は思うのだが。
「制御ね。制御、それに関しても最近耳にしましたよ。
『箍の外れた発条』の超兵の増産って研究ははかどってます?」
続けて、さも当然の如くブラックな話を振るのだが、
「いやぁ、その辺に関しては私疎いんですよ。そもそもあそこは繋がりのあるだけの外部機関ですし」
これまた大した動揺も見せずにのらりくらりとかわされる。
「・・・・・・能力者の制御、それも能力を使用できる統制された兵隊となれば、能力者にとっても能力者でないものにとっても脅威になるんでしょうね」
「それはどうでしょう?」
と、彼は視線を壁に掛けられた大型モニターに向けた。
この建物はどの部屋も完全に内側にあり外壁と接している所はない。そうなると当然窓も備え付けられていないわけで、本来見えない窓の景色を映す役割をモニターが担っているらしい。大方建物の壁にカメラでも備わっているとみえて、その画面には建物からの俯瞰が写っていた。
能力者達の群がり、時折行われる能力による威嚇、掲げられる自身らの意志を書き殴った垂れ幕。
それはたくさんの人間が一つの主張の元に集まった形作られた群像だ。
だが、その内に秘める理念は果たして同一のものなのだろうか。
「例え、能力者を外的に制御できる装置が完成したとして、果たしてそれがどれほどの意味を持つのか・・・・・・・。
正直私には計りかねますよ。
そもそも私達は本当に"自分の意志"で動いているのか、それすら定かではないというのに」
「外にいる連中はあくまで例の襲撃者に裏で操られている傀儡だと?」
「いえいえ、彼らもまた自身の考えの元に動いているのでしょう。何せ、誇るべき我が校の生徒ですから。
彼らは今回のデモ、そしてそれを利用しようとする強硬派の流れを利用したのでしょうし、貴方の言う襲撃者もまた世情の動きを察知して利用しようとしたのでしょう。
そういう意味では誰もが意志を持って行動し、お互いに利用し合ったわけですが、それは裏を返せば、お互いに相手に動かされた事に他なりません。
私達はいつだって、周囲の状況に因って行動を決定しているのですから。
貴方だってそうでしょう?
今回私を脅しにかけようと思ったのは、デモの事があったからだ。
その行動は実は誰かの意志に動かされたものかもしれない、貴方の知らないところで何かの意志に利用されているのかもしれない。
結局、人なんて何時だって誰かに利用し利用され生きているのです。
今更能力者制御が可能になったところで大した意義はないでしょう。
仮にそんなものが作られたところで、それを操るのは誰かに"操られている"人間だ」
「・・・・・・さいで。けれど、それはあんたの個人的な意見であって、直接的に操られる身にとってもその被害を受ける人間にとっても看過できない問題には違いないと思いますが?」
「そうですか?私なんかはそんな物を作ったところで、どうせ君達みたいな者に潰されると思うんですけどね――――」
♯
ぐしゅっ――――と、音がして、食べられる事なく地面に落ちていたリンゴ飴が潰れた。
辛うじて果実を覆う砂糖だけは食されていた知恵の実は、無惨な姿に成り果てて、代わる代わる人の足に踏みつけられる内に、消えてしまったと錯覚するほどに細かくなっていく。
それを成した大勢の人と、密集しながらも激しい往来を繰り返す様を、保駿啓吾は「波のようだ」と形容した。
確かに、彼がぽつりと呟いた通り、デモ同士が激突するその区域においては、互いに押し合う人々の応酬は海の波の動き似ている。
とすれば、彼らの幾人かが掲げる横断幕は海面に浮かぶ海草かゴミのようなものだろう。
もっとも、ここが海原であれば多少なりとも涼しげであろうが、波を成しているのは人、それも黒髪が多い集団であるからにして、炎天下においてのその熱気といえば言葉にするのも嫌になるものだった。
音羽佐奈が自分の能力で涼んでいるのを恨めしそうに見ながら、自らは発火能力者である啓吾は手にしたかき氷を頬張る。
智香から風々が何かしら企んでいるという連絡があってから、彼らはとりあえず自分に今与えられている役割を続行する事に決め、外側のデモまでやって来ていた。
「・・・・・・分かっちゃいたけど、すごい熱気だねぇ」
少し離れた場所でデモの様子を観察している最中、佐奈がそう言って、啓吾もそれに同意した、
「能力者も非能力者も熱心なもんだ。この内どれだけの奴が本心から参加してるのかねぇ?
雰囲気に流されてるってのもあるんだろうし」
「能力者にしてみればまるで祭りね。出店の事もだけど、多くは『数を大きく見せるため』に参加してるんだろーから」
「まぁな」
と、啓吾は難しい顔をして、食べきる前に溶けてしまったかき氷の残りを飲み干した。
確かに『自分と同じ主張を掲げる者がこれだけいるぞ』とパフォーマンスする事がデモの目的でもある。
実際マスコミが喜々して放送している今の世の中を見れば、その行為は確かに成果を上げているのだろう。
しかし自身が箍の外れた発条の暴走コードに操られ、その脅威を追い続ける身としては今の世間の情勢は愉快なものではない。
自分の主義と意志に基づいての行動ならともかく、目の当たりにしたデモの過剰さはマスコミに煽られている感じが否めない。
これでは暴走コードで操られているのと大差ないのではないだろうか。
「けど、その辺は反能力者も変わらないだろ。世情というより、あれはマスコミの扇動であって、連中の報道がなかったら果たして世間は今のように動いていたのかどうか・・・・・・」
「マスコミが時勢を動かしたのか、世情に沿った報道をマスコミがしたのか。『人々が求める情報を発信してる』とはいうけど――――鶏が先か卵が先かって話だもんね」
「ま、影響し合って今の現状があるんだろうし、考えてもしょうがない事だけどなー。
問題は自分達にとって現状がどうなのかって事で・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぶっちゃけどう思う?」
啓吾の問いに佐奈は「よくはないね」と返し、自分の周囲にペットボトルに入った水を地面にぶちまけた。
彼女の冷却能力は基本的に熱を受け取りやすい水分を使うのだが、いつもならともかく、さすがに炎天下ともなると空気中の水分は乏しいようだった。
「よくはない・・・・・・物騒ったらありゃしない。けど、ここまでされれば腹も立つよ」
彼女の視線の先にあるのは反能力者のデモだ。
自分の正しさを疑ってはいないのだろう。いや、確かに能力者による災害の大きさを鑑みるに彼らの訴えももっともではある。
が、『だから正しい自分達の主張が尊重されるべきだ』というのは話が別だ。少なくとも、今回の場合は。
「能力問題をよく知らないで騒いでる奴は論外として、そうでなくても・・・・・・・・・・・・例え連中の主張が正論であったとしても、自分の立場と生活を守る必要が私にはあるし」
「正しさなんて、この場合問題じゃない、か」
「というより、勝てば官軍でしょ、この抗争は。
能力者の自由や権利・差別を正す事が正義なのか、能力の被害に合わずに生きる権利を求める事が正義なのか。そんなものに決着をつけられるとしたら、法の下の正義においてでしかないし、石垣が掲げた法案でそれまでが揺らいでいる今、もはや法は尊重されない」
反能力デモの訴えは能力開発の中止と司法の下での能力者管理だ。
もしこれらの主張が通るとすれば、それを通すのは司法・行政・立法――――つまり国家という事になる。一応万可といった組織がそれらの連中の手綱を握っている側面があるにはあるが、前々から能力者取り締まりの強化へと動いていた国はあくまで反能力デモの身内側なのである。
石垣議員の事もあって、国が能力者に対して公正であるというイメージがなくなっている今、この抗争が法的な措置による解決を見る可能性はかなり低いだろう。
「それで、自分が不利な立場になりたくないから賛成?」
「そうかな。というか、私達が追ってるぜんまいのコードにしたってそうでしょ?自分を守るためじゃない」
「あー、あんなもんに限らず他人に操られるのはいい気がしないもんな。俺の場合個人的な恨みがあるにはあるが、自業自得だしなー。
どっちかっていうと、追う事にしたのは皆に同調したからか。
そう考えると、これも人に影響されてってやつか・・・・・・?」
何やら考え始めた彼だったが、ものの数秒で飽きたのか顎から手を離した。地面に向いていた視線はデモの方へ向けられ、時折放たれる能力弾に見入っている。
(あー、まずい。気分が高揚してる・・・・・・)
「で、保駿さんは?この件についてはどう思うの?」
お目付け役という任も与えられている佐奈は彼の意識を別の対象に移すために話を続ける事にするが、
「んー、能力者だからって参加する必要はない、といったところかねぇ」
彼女の問いに答えはするものの、彼の目はデモに向いたままだった。
「国外に出てフツーの人として暮らすってのもありだとは思う。
ま、犯罪者のオレとしては、ぶっちゃけ参加以外の選択肢がないけどな――――というわけで、参加してきていい?」
はぁ・・・・・・。心の中で溜め息き。
佐奈は極めて落ち着いた声で、ただし強い口調で言った。
「ダメに決まってんでしょーが」
「ほら、情報は集めなきゃいけないしさぁ」
「だからって参加する必要はないっしょ」
「こう・・・・・・何というか周りの熱気見てたら身体が落ち着かなくて」
それは見ていたから知っている。だから意識を反らそうとしたのに!
けれど、そんな彼女の気遣いなど彼には伝わらなかったらしい。
「おもいっきり人に影響されてんじゃないですか・・・・・・。操られるのはよくないってさっき話したばかりなのに・・・・・・」
「・・・・・・人間は周りに影響される生き物だから?」
もはや、頭痛しかしない。このままでは彼の押さえが聞かなくなるのも時間の問題のように思われた。
それならば、一刻も早く情報集めを終わらせてしまった方がいい。
「とにかく、ダメだからね。はぁ、とにかく情報収集始めようよ」
「へいへい・・・・・・」
再三に渡る彼女の不許可に、彼は仕方なく引き下がった。
「それじゃあ、そうだな、おーい、そこのあんちゃーん!」
啓吾はそう叫んで、少し離れた所でデモへ参加しようとしていたガタイのいい男に手を振った。
男はかけ声に気づいたらしく、かけていたサングラスを上にずらして彼らを一瞥した後、駆け寄ってくる。
佐奈が「何でよりもよって怖そうな人に・・・・・・」と内心びくびくしている間に、男と啓吾は軽く挨拶を交わし終え、さっそく本題に入っていた。
何の用か尋ねる男に、啓吾はまずは先ほどこの学園都市に着いた旨を説明し、
「いやぁ、ここのデモは特に激しいなぁ・・・・・・と。
向こうさんのデモ隊とも激突してるみたいだし、参加する際の注意ってあるかなと思ったんだ」
と続けた。
男の方はそれで納得したらしい。頷いてから口を開いた。
「当たり前だが、直接的な攻撃行為・加害は厳禁な。必ず牽制に止める事。
それから例え向こうに何かされても報復は取らない事。
何かあった場合はデモのリーダーへ伝える。
あと、オレらはあくまで『デモという名の暴力に抵抗している被害者』だという事を忘れない事。
それらさえ守れば結構派手にやっていい」
「直接的なってのは?」
「向こうだってロケット花火やら何やら使ってパフォーマンスしてんだ。
わざとじゃないにしろ、それが偶然人に当たる事もある。
こっちもそうだってだけさ」
「おーけー、おーけー把握した。
リーダーって言ってたけど、やっぱりこのデモをうまく調節してる奴がいるんだな。
別の都市のデモもそうなのか?」
「いや、さすがにそこまで手は回せてないと思うが、どうかな?オレは知らん。
ところでお前の能力は?参加するんだろう?」
「え?あー、どうしよっかなぁ」
彼は佐奈の方をちらっと見る。彼女は目配せでそれを当然却下した。
「・・・・・・正直あんまりデモ向きの能力じゃなくて・・・・・・」
「そうなのか?」
「発火能力なんで、ちょっと危険かなってね。人に怪我させる可能性は高いだろうし――――」
と、そこで彼の台詞を遮って、男はその肩をパンッと叩いた。
「何だよ、そんな遠慮する事ないだろ。派手でいい能力じゃないか!」
「そ、そうか?」
「ま、確かにこんだけ人が密集してる所で使うとなると気後れするかもしれんが。人がいなけりゃいいんだろう?ほら・・・・・・」
男はデモの上の虚空を指さした。
「空中なら平気だろ。派手な花火を見せてやれ!」
その鼓舞に乗せられる形で、啓吾は「お、おぉ!」と声を上げて炎を纏い始める。そうなると、慌てることになるのが彼のお守りである佐奈だ。
「ちょ、ちょっと!」
参加はダメと口を酸っぱくして言ったのに!
だが、その台詞を口にするよりも早く、保駿啓吾という花火はデモの上へと飛んでいってしまった。
「あぁああぁあああっ、もうっ!かんっぜんに周りに煽られてんじゃんか、あのアホー!」
彼女の叫び声が喧噪に消えていく中、赤い炎の筋が螺旋を描いていく・・・・・・。
♯
祠堂学園の本部に向かうヘリを見送った後、智香と瑞流は再び歩みを進め、かの学園を覆うデモに辿りついていた。
領土を仕切る塀の外に群がり、プレートを掲げながら叫び、あるいは威嚇行為を繰り返す群衆。
そんな様子を目の当たりにして、まるで包囲網のようだという感想を抱いた智香は、なるほどとひとごちた。
話に聞いたとおり、デモの指導者は祠堂学園を本格的に攻めているらしい。普段ニュースの映像で目にするようなデモ行進とは内に秘められた意図が違う。
隙間なく学園周囲を覆い尽くす人の壁は相手を閉じこめるという攻撃的なものであろうし、能力を使った爆音や光弾はパフォーマンスではなく牽制に違いなかった。
確かに、これは訴えではなく脅しだ。
学び舎らしからぬ建物が並ぶ学園領土は、なまじただっぴろい運動場を備えているために違和感が凄まじい。その様相を形容するのは難しいが、港に隣接されたコンビナートとコンテナターミナルがそれに近い。まず製品を生産する工場があり、その隣に製品を積めたコンテナが並べられるスペースがある。それをそのまま船に詰め込んでいき・・・・・・その積み込みがちょうど終わった後の風景がまさにそんな感じだろう。
人や建物が密集していて住みにくいと愚痴をこぼす一方で、身に余る空間の広がりを前にしても居心地の悪さを感じてしまうのが人間なのだ。祠堂学園を目の当たりにしての感覚はまさにこれだ。
特に使用者がいない今、祠堂学園の領土内は異質さを増していた。
そう、使用者はない。運動場はがらんとしている。
絶好の陣地があるにも関わらず、デモ隊は塀の中に踏み込んではいない。
そこが、祠堂学園にとっては厄介になっている所に違いない。
領土内に踏み込んで暴力の一つでも行使したなら、彼らは尤もらしい理由をつけてこれを排除できたはずだが、彼らの行為は『脅し』であるにも関わらず、表面上全うなデモ活動として捉えられている。
まして、反能力者デモもあって報道ヘリが飛び交っている現状では下手に手を出せない。
そんなこんなで学園側が何もできない内に、デモ隊は着々と襲撃の準備を進めているのだ。
おそらく群馬だけではない。ここを皮切りに他の都市でも主要施設が襲撃される事になるだろう。
その事は聞いた話から予測できてはいたが、実際見てみると、事の大きさがよく分かった。
いや、というか――――智香は呟きながら隣にいる長身の女性を見た。長髪をリボンで雁字搦めにするという奇抜なファッションを数年前から貫き通している彼女は、手で日除けを作って、祠堂学園の本部を見やっている。
ついさっき偶然会ったのだが、彼女達がいる事自体が大事だった。
「鈴絽さんがここにいる時点で、事がただで済むとは思えない・・・・・・」
「失礼な奴だな。俺だっていつも物壊してるってわけじゃないんだぞ。最近は隠密活動が主流だしな」
彼女はそう言うが、とても信用できたものではない。智香は鈴絽に連いてきていた彼女の妹に目をやった。
「本当だよ。この前青森に行ったけれど、情報奪取しかしなかった」
「・・・・・・・・・・・・」
その青森万可は現在半壊状態でほぼ機能を停止しているはずだ。本人が直接手を下したかはともかくとして、彼女が『死神』や『疫病神』の類である事には代わりがなかった。
「今回は何用で?姉御さん」
留年していた関係で、彼女との付き合いが長い瑞流も胡乱な目で鈴絽を見る。
正直、今でさえ一発触発の状況であるのに、この上彼女が何かしでかすとなると、今すぐこの学園から脱出した方がいいのではと考えてしまう。
「ちょっと群馬万可にハッキングしにな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・隠密?」
智香にしてみれば、そんな事が相手方に発覚した時点で大騒動だとおもうのだが。
「隠密だろ。ちょうど今、万可は手薄みてーだし、ま、荒事にする気はねぇーよ」
「手薄?そんな情報が?」
「そそろが手に入れてきた。祠堂学園の理事長が群馬万可の局長なんだとよ」
「それ、本当?」
「情報源は確かだよ。デモがこうやって学園に詰めかけてくれてるお陰でこっちは動きやすそうだね」
「あぁ、ここにはそれを確認しにきたのね。万可はどこに?」
「学園からは結構離れてる。ま、つーことで、俺らはそろそろ行くわ」
「くれぐれも大事にしないでくれよ・・・・・・?」
「わーってるって、俺らもどうせ情報を得ない事には動けないんだよ。
例の監視衛星、調べれば調べるほどキナ臭いぞ。あんなもんがある内は下手に動けん」
誠実さの欠片もない適当な動作で手を振って、鈴絽とそそろはきびすを返した。二人並んで、何やら楽しそうに話しながら去っていく姿だけを見れば、微笑ましくもあるのだが、どうしてこんなにも不安な気持ちになるのだろう。
隣にいた存在感の大きな二人組みがいなくなったことで、喧噪が大きく、けれど静けさが戻ってきた気がした。
と、自分のケータイが震えた事に気がついた彼女は、ポケットをまさぐった。表示には佐奈の名前が映し出されている。耳に当てると、半ば呆れた彼女の声が聞こえてきた。
どうやら保駿啓吾が外のデモに参加したらしい。
全くもって頭痛のする話だが・・・・・・いや、むしろ前向きに考えるべきか・・・・・・?
思い直した智香は佐奈に連絡するまでデモに参加しながら待機するように伝えて通話を切った。
隣で内容を訪ねる聞いてくる瑞流にバカの暴走を伝え、
考えを纏めるために深呼吸し、それからもう一度目の前に広がるデモの姿を目に入れた。
本来はわざと非能力者との争いを勃発させるためにおこされたデモ。学園都市をも陥れる事を目的にしていたが、今や風々の思惑によりさらに攻撃的なものになっている。
当初はなかっただろう、祠堂学園への直接的な攻撃も計画されているはずだ。だが、だとすれば問題はそれが何時になるのかである。
「まずは脅しで圧力をかけて、実際に攻め入る事になるのは・・・・・・どのタイミングかしら」
「ここのデモがか?能力者と非能力者の戦争が始まる前か同時か、あるいは後かってとこだろうな」
「ん、そのどれかだと思うけど・・・・・・・・・・・・」
(違うか、この場合時期は考えなくても、いっそこっちでタイミングを早めてしまえば――――)
「来る戦争の日、この国の主権と同時に学園都市をも掌握しようとしているデモ組織・・・・・・・・・・・・チャンスよね、これ」
「うん?」
「くすぶっていた火種に油が注がれて、祠堂学園が大炎上、外も内もデモで囲まれて学園都市は密閉状態よ。風穴開けたら爆発しそうよね。
しかもおあつらえ向きに学園理事長は万可の局長・・・・・・」
その言葉に不穏なものを感じた瑞流がうげっと顔を歪める。
「何かやるつもりか?」
「鈴絽さんがきている以上、やっぱり私はこの件がまともに終わるとも思えないのよね。なら、いっそ攻めるのも悪くない・・・・・・。
瑞流、デモのリーダーの所に行くわよ」
♯
「――――そもそも」と手錠をかけられた彼は再びカップを口に運び、一息入れてから続けた。
「社会学や文化人類学的な話は別にしても、私達が自己の意識の源と信じてやまない脳は環境に強いられて発達したものだ。
恐竜が闊歩していた時代、地上を追われた哺乳類は地下へ追いやられた。光のない暗闇の世界は視覚ではなく触覚や嗅覚がものをいう・・・・・・・・・・・・それら限られた器官からの情報を集積し空間や危険を把握するために神経中枢として脳が生まれた。
だとするならば、私達の思考は、結局外界からの刺激に対する反応によって形作られている。
そう思いたいわけではありませんが、周囲の影響を受けているという疑念は拭い切れませんよ。
いやはや・・・・・・人類たる私達は脳によって発展したのか、あるいは周囲に強いられて脳が発達した結果発展したのか・・・・・・」
「鶏が先か卵か先か、ね。そんなの論じるにも値しない言葉遊びでしょう」
「まあ、そうですが。栓もない話をしてしまえば、鶏も卵もニワトリという種が生まれた時点で両方存在していたでしょうしね。単細胞から増殖し成体になっては単細胞に戻るというサイクルは遙か以前に螺旋構造に刻まれた仕組みなんですから」
行年はニコニコしながら言ってくれるが、釧の方は彼の話にいい加減辟易していた。
岱斉ほど喋りにくい相手はいないと思っていたが、話の内容がストレートな分、彼の方が今目の前にいる男よりマシかもしれない。
何にせよ、これ以上この話題を続けても意味がなさそうだ。螺旋構造という単語が出たところで、釧は話題を核心にもっていく事にした。
「螺旋構造の話が出たついでに、青森で盗まれた例のDNAについて聞きます。
加藤倉密は化け物のものだと言ってましたが、結局のところアレは何ですか?」
「・・・・・・・・・・・・おそらく、あなたが一番初めに思い当たった予想の通りだと思いますが」
「織神葉月のオリジナル・・・・・・けれどそれはありえないでしょう?」
「何故です?」
「朝空風々は元々神戸に居ました。形骸変容のDNAが欲しかったのなら、わざわざ青森に行かずとも簡単に手に入ったでしょう。
今になって必要になったのだとしても、織神が元のDNAと学園能力者のDNAを組み合わせて作られている以上、元の形骸変容の細胞片は、どこの万可にもあるはずだ。青森を狙ったのはそのDNAが特別なモノだと考えるのが妥当です」
「ええ、確かにあのDNAは特別ではありますね。青森の金庫に納められていたのですから、それは誤魔化しようがありません。
ふむ・・・・・・・・・・・・ですが、どうして貴方はそれを形骸変容のモノだと断じているのですか?」
「・・・・・・え?」
「だってそうでしょう?さっきの言いぶりだと、貴方は織神が遺伝子操作幼児だと知っているようですが、ならばそのオリジナルについては少なくとも二つ仮説ができるのでは?
一つは貴方が言ったように元も形骸変容という可能性、そしてもう一つは別の能力者であるという可能性。
改造なのですから、後者の方が想起しやすいでしょう?
なのに何故――――」
と、そこで。
彼は台詞を途切れさせ、しばし固まったまま虚空を見つめた。
「もしかして――――その話、誰かから聞いたのですか?」
それはもはや確信しているような口振りで、釧にはここで誤魔化かしても無意味に感じられた。
「・・・・・・だとしたら?」
「いえ、昔同じような事を言っていた知人がいまして、いや懐かしい」
愉快そうに彼は笑い、それからいたずらっぽく言った。
「まあ、何にせよ、青森のDNAは織神葉月のオリジナルのモノで間違いありません。僕にはそうとしか言いようがありませんね」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
果たしてその言葉は本当なのか。信用するにはその男はあまりにも胡散臭かった。
相変わらず胡散臭い男の様子に釧は疑わずにはいられないが、それにも増して、彼の言う『知人』というのが釧には気になってしょうがなかった。
深香クルナ。釧に織神の事を教えてくれた人物だが、元々彼女も形骸変容を追っている様子だった。
その辺、深く探りを入れたいという衝動に駆られるが、向こうに余計な情報を与えてしまいかねないと、努めて自粛する。
代わりに、風々の目的について聞くことにした。
「仮に、青森のDNAが葉月のオリジナルのモノだとして、朝空風々はそれを一体何に使おうとしているんですか?
倉密はそこが問題だと言っていましたが」
「風々が1.5と通じているからですよ」
釧の質問に彼は間髪入れずに答えた。
「1.5・・・・・・?空想現実、板川由の事ですか?」
「そう、彼です、巫女の一族の、板川。
ですが、彼の能力を『空想現実』と捉えるのは語弊がありますね。
アレの能力の本質は境界をずらす事・・・・・・干渉する事だ。
世界をずらし、別の空間を生み出す、行き来する・・・・・・彼にとって時空というのは我々の認識しているソレとは違うのでしょうね。
恐ろしい話ですよ――――とはいえ、自由に、というわけではないようで。
今のところ時間軸を逆行する事はできていないようですし、空間の行き来にも所縁のモノを媒体にしなければならないみたいですね。
だから髪の毛を盗んだ」
「風々と板川はDNAを使って、その持ち主の所へ行こうとしていると?」
「それ以外にないでしょうね。行く、というよりこの場合は召喚というべきなのでしょうが」
「けどそれは死後の世界でも存在しない限り・・・・・・・・・・・・髪の毛の主が生きていなければ成立しない・・・・・・」
「そうなりますね」
「・・・・・・なら何故、織神を創った?
オリジナルが死んでいないのなら、そいつを使って研究を進めればよかったはずだ。形骸変容そのものでなかったとしても、形骸変容様の能力を保有しているのなら、オリジナルは自己進化能を持っていたのではないのか?50年もの年月をかけて一から形骸変容を創る必要はなかっただろう」
「オリジナルが目的に適していなかった――――自己進化能力を持っていなかった、と考えないのですか」
「とぼけるなよ。もしそうなら、そのDNAを元にカスタムベイビーを創ろうという発想が出るわけがない。
万可の神創りの肝は自己進化だった。あれは『自己を造り変えられる能力』ありきの計画だ。
何故、オリジナルを使わない?
神創りの為のカスタムベイビー・・・・・・・・・・・・それを成すための学園都市まで用意して、40年以上も費やして・・・・・・そこまでしておいて、オリジナルが改良種である規格『織神』より優れているとも考えられない。
青森のDNAが葉月のオリジナルというのなら、なんで風々の行動をそんなにも恐れる?
髪の毛の主の、何をそんなに恐れている?」
そう、そこがネックなのだ。その点がどうしても引っかかり推測が次に進めない。
しかし、釧のそんな心情などお構いなしに行年はただ、
「怖いからですよ」
と笑みの張り付いた顔で答えるだけだった。
「――――・・・・・・・・・・・・DNAの持ち主は誰だ?」
もはや回りくどい質問はなしにして、抑揚のない低い声で尋ねる釧。
またはぐらかされる事を予想しての、せめてもの脅しだったが、
「それは・・・・・・言えません」
今までペラペラと長広舌をふるっていた行年が、ここにきて口ごもった。
「ふざけてるのか?」
本格的に苛立ちを感じ始めた釧は、スマートフォンの画面に表示されている、起爆アプリのカウントをスワイプしてごそっと30分ほど減らす。それを見た彼は慌てて両手を挙げた。
「いえいえっ、そういう訳ではなくてですね・・・・・・?
ないんですよ、こればっかりは――――言い表すロゴスが」
「・・・・・・・・・・・・何?」
と、
その時。
♯
分厚いとはいえ、シート一枚を隔てただけで外の喧噪から隔離される。周囲の音が遠くに聞こえる。
それは鈴絽達が去った際にも感じたものだが、そういった印象というものは、自身が何に集中しているかによるのだろう。
鈴絽達の時は、彼女達の持つ雰囲気が周囲に増して騒がしいように思ってからだろうし、今回は会話の内容に集中するために雑踏の物音から意識を離している。
ここは、テントだった。日除けと鉄組みで作られた大きめのタープテント。壁面をも緑の布で覆われた、軍事司令部に似た外装をした場所だ。
設置されている目的もその外面にそぐうもので、ずばり群馬デモの本部がここなのである。
その中では折りたたみ机を中心に、幾人かの人物がパイプ椅子に着座していて、リーダーであり、救命措置である山北綾は一番奥の椅子を陣取っていた。
そして今、そんな彼らに対面するように座っているのが智香と瑞流である。
時系列にして釧と行年の話しが佳境に入るよりも前に、彼女達はデモの指導者とコンタクトを取るに至っていた。
対面し、重い沈黙の中でまず口を開いたのは綾だった。
「――――で、話、というのは?聞いた所ではデモに欠陥がある、とか?」
綾は大柄な男で、年齢は恐らく20代後半に見える。落ちついた口調は重みとを感じさせるものだ。態度は不遜にも思えるものだが、指導者・味方としては頼もしいものだろう。
相手にするには少しばかりやりにくいが・・・・・・下手に出るよりは大きく出た方がやり易いと智香は踏んだ。
「ええ」彼女はわざと挑発的な態度で足を組む。「このデモはうまくいかないわ。致命的な見落としあるのよ」
「・・・・・・ほう、見落としか。それはどんな?」
「そうね、情報が足りていない・・・・・・と言った方がいいかもしれないわ。
――――貴方達は『暴走コード』って知ってる?
『箍の外れた発条』による暴走能力者研究が、能力制御を介した能力者そのものを操作する研究にまで延びている事は?
ついこの間青森であった騒動で、それが実験的に運用されていたと言ったら驚くかしら。
能力の暴走を止めるという用途で使われれば、多大な恩恵をもたらすはずのソレを、今まで学園都市が隠してきた理由は?
完全とは言わないまでも、既に彼らは能力者を操る術を持っているのよ。
例えデモが成功しても学園都市の制圧は成功しない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・その話、詳しく聞かせろ」
そして、デモ騒動はさらなる混沌へと墜ちていく。