第78話- ラグナロク。-Ragnarøk-
準・現界把握、超能力方面において最も全知に近い御籤一四三は、実のところ何も知らなかった。
今回自分が携わることになった作戦についても然り、そこに魔術が関わってくることすらも知らなかったのである。
いや、そもそも魔術というモノが存在することを知ってこそすれ、その内実となるとまるで知らなかったと言っていい。魔法や魔術という言葉は、事の全てを自身の属する宗教で片づけたがる信仰深い連中の言いがかり程度に思っていたほどだ。
だから、ラグナロクという大舞台を整えるのに自分が一役買うなど全く考えもしなかったし、そのラグナロク発動の仕組みに至っては無知極まりなかった。
学園から逃げ出して以来、こういった仕事――――多くが用心棒や人探しだったが――――を受けてきた彼女は、依頼人達がESP能力に頼りながらもその能力を忌避していることは感じ取っていた。要するに詮索されたくないという連中が大半で、彼女もその仕事で食べていく以上はマナーには必要以上に気を使わざるを得ない。
今回にしても、多少は特殊な依頼ではあったものの、だからと言って読心術を使うなんて事はしなかったし、彼女の予知能力は布衣菜誉の浅夢予知とは違って全く情報のない事柄に関しては予知演算ができないタイプのものだ。そして魔術というのはまさしく彼女の頭からすっかり欠落していた情報だった。
レッドマーキュリーの時と違い・・・・・・否、ラリーサ相手にも最初は取引を持ちかけたのと同様、連中は別段一四三に手荒な真似をしたわけではない。
彼女は囚われて渦中の船に乗っていたわけではなく、ただ単に依頼されてそこにいたのである。
船内が慌ただしくなり始めた時も、それから彼女の雇い主であり、おそらく連中のボスであるところの女性から連絡を受けた時も周囲の喧噪などまるで気にせず待機していた。
さて、その頃釧はその女性を下してフィヨルドを船に向かって進んでいたわけだが、先行していた鮮香の方が船に近かったのは言うまでもない。
それが一つの運命の分かれ道だった。
連中は元々自作自演をしてヘイムダルにソレをさせる気だったのだが、ここまで追ってきた敵の襲撃に予定を変更した。敵を誘導し、それを感知したヘイムダルにラグナロクを宣言してもらおうと考えたのだ。
それは非常にうまい機転ではあったものの、連中は一四三が釧のことを織神葉月関連の情報として知っていることを知らなかった。
もし、釧が先に着いて入れば一四三は任務遂行を躊躇したかもしれない。
だが、連中には幸運なことにやってきたのは鮮香であり、この2人には面識がなかった。
フィヨルドを鉄板で高速移動している彼女とはいえ、ESPの一四三にとって捉えるにはたやすく、その人影を千里眼で確認した彼女は自分の任務を遂行し――――、
そして、ラグナロクが始まった。
雇い主が彼女に要求したことはただ一つ。実にシンプルなものだった。
「敵が船の1km以内に入ったら、汽笛を鳴らしてくれ」
ギャラルホルン、もしくはギャルの角笛。
『galla』は叫ぶ、響きわたると言った意味を持ち、『horn』は角笛を示す言葉であり、ギャラルホルンとはヘイムダルがラグナロクの開始、巨人達の侵攻を知らせるための警笛である。
とすれば、その象徴は角笛ではなく、音でもって警告を発する役目そのものというべきだろう。
『horn』、その本質は『音を出し知らせるモノ』。
昔は角笛が果たしていたその役目を、現代にまで引き継いできた物は多い。
楽器のホルンは言うに及ばす、自動車のクラクションは「ホーン」とも呼ぶし、電話はテレフォンと名付けられた。
名前に拘らなければ、ホイッスルなどはその原型を留めていると言えるだろうし、現代ありふれている通信なんてものはまさに昔は角笛を使って行っていたことだ。
あるいは。
そう、例えば船の汽笛だってまさに警笛という役目を担っている――――。
・・・・・・結果、一四三が鳴らした警笛がフィヨルドどころか世界中に響き渡り、ラグナロクの始まりを告げてしまった。
神々の黄昏。神々の運命、北欧神話における世界の終末。
その兆しは、まず色という形で訪れた。
夕焼けに染まるフィヨルドの金色が急激に赤みを帯び、水面が直視できないほどに照り返した。
今までの目に優しい夕焼けではなく、日が沈む僅かの間に見えるオレンジの太陽を思わせる赤が今やフィヨルド全体を染め上げている。
いや、これは本当に夕焼けなのだろうか?朝焼けを思わせる、イヤに澄んだ空気が釧の肺に入り込んできて、彼は今が何時頃なのか危うく忘れそうになった。
視界がかなり悪くなり、下からくる反射光に目を開けているのも辛い。
強烈な光を少しでも避けるために釧は視線を上に反らしたが、今度はそこで世界が直面する新たな変化を目にすることになった。
太陽がない。なくなっている。
これほどの光で溢れていながら、本来それを発するべき太陽がなくなって、空は夜のソレを呈している。
そのため天上には、日本ではあり得ないほどのまさに『ちりばめた』星々が見えているが、月もやはりなくなっていて、その所在を探す内に輝いていた星々がポロポロと窓の雨粒のように落ちていった。
「太陽と月はフェンリルの子らスコルとハティに飲み込まれ、星々は天上から落ちる・・・・・・ラグナロクが始まった・・・・・・!?
あぁもう状況がどんどん混沌とっ!」
光源がなくなったのにも関わらず光の溢れた世界にいきなり放り込まれたのを感じて釧は叫んだ。
しかし何故このタイミングで?
そう思考を巡らしている内に、彼は自分達がまさに神々を攻める巨人と同じ事をしていたという事実に気がついた。
(まんまとしてやられた・・・・・・)
けれど、今更気づいても遅すぎる。
ラグナロクが始まってしまった事は視覚情報だけではなく肌からも感じられた。
何というか、とにかく、世界が変わった、という感覚がして体中が総毛立って落ち着かないのだ。
能力波を感じられる脳味噌がどうにも、警笛が鳴って以来あちこちで何かが溢れているのを感じていて、そのことも気に入らなかった。
と、その中に特に大きな塊を察知して彼はそっちを向いた。
魔術師が赤と黄金の中に浮かんでいて、その視線の先には鮮香がいた。
奥の方には彼らが沈没させたものより大きな船が見える。
射光の具合が変わった瞬間、魔術師と思っていた人影が実は一人が一人を抱えた2人分の影だったと気づいて、彼は飛び出した。
魔術師連中は自力で浮ける。となれば、魔術師がわざわざ抱えてまで運んでいる人物は、ニョルニルを操る女性が言った通り鮮香に対しての『有効な手』に違いない。
果たしてそれは正解で、間一髪、釧は心臓殺しの照準に割り込むことができた。
が、彼の破損を修復して間もない心臓は、今度こそ根こそぎに消し飛んだ。
「あっ・・・・・・がっ!」
肋骨を含め、皮も血肉もを巻き込んでぽっかり穴が開いて、どっぷりと血が抜けていくと共に力も抜ける。
身体を空中で支えられなくなって落下し始めたところで、鮮香に受け止められた。
そして、幾分高度を落とした彼らに向けて上から声がかけられた。
「以前あなたがした質問に、今なら答えられます」
心臓殺しの少女は言う。
「ならば心臓ごと抉り飛ばせばいい、と」
「よく言う・・・・・・前はそんなことできなかったくせに・・・・・・」
「おい、もう喋んな!」
鮮香は傷口を何とかしようとしたが、釧はそれを制止した。
「大丈夫・・・・・・です。形骸変容で傷口自体は塞げます。
ただ・・・・・・活動限界が極端に短くなっちゃいましたけど」
だから基本的に使えないんですけどね、この方法。
小声で素早くそれだけ伝え、今度は声を大きくして心臓殺しに向けたさっきの台詞を続ける。
「――――別に君自身の力ってわけでもないんだろう?
ラグナロク、ミョルニル・・・・・・どこまで似ていれば模倣魔術として発動するかは知らないけれど、心臓抉りの武器が確か北欧神話にはあったよね?」
「リジル。今の私なら心臓ごと消し飛ばせます。
・・・・・・まさかそれでも死なないとは思いませんでしたが、けれどこれでチェックメイトですね」
そう釧らに言いながらも、目線が彼らから外れた辺りに向けられたことに気づいて、2人は僅かに視線を後ろに向けた。
後ろから近づいてくる人影があり、それはどうやら釧が下したあの女性だった。
「ご苦労様」
と彼女は『心臓殺し』から『心臓抉り』とクラスチェンジした少女を労って、
「後は頼みます」
と釧らには目もくれず船の方へ向いた。
そっちにはいつの間にか蜃気楼のように揺らめく巨大樹の影があり、ちょうどフィヨルドの川の中から生えているように見える。
「私はミーミルの水を飲みに行きますので」
樹――――ユグドラシルへと浮遊して行く彼女を見やりながら、釧は彼女の言うミーミルの水が主神オーディンが片目の代わりに知識を得たという、ユグドラシルの根本にあるミーミルの泉の水であろうと当たりを付けていた。
(なるほど、泉を探すには目印となる樹が必要だった・・・・・・ラグナロクは世界を北欧世界化させて樹を現出させるため、ね)
回りくどいことする。そんな感想を抱いた彼に、リジルの少女が言った。
「動かないでください。不審な真似をしたら即刻彼女の心臓を抜き取りますよ」
それから、一拍間を置いて、
「あなたは私達をちゃんと殺しおくべきだった」
そう付け加える。
その言葉に対して「全くだ・・・・・・」と彼はぼやいた。
もし彼が前の邂逅で彼女を殺していれば、こんなややこしいことにはならなかっただろうに。
「ならそうするよ」
「え・・・・・・?」
彼の台詞に対して彼女は疑問を口しようとし、けれどそれは半ば失敗に終わった。
ごぷっ、と開いた口から血が溢れ、声はほとんど声として発せられないままに吐き出され切れなかった血と共に食道に流れ込んだからだ。
痛みより先に全身に気だるさを感じ、意識せずに目線がかくんと下に落ちた時になって自分の身に起こった事態を知った。
体中から刃物らしきものが生えている。
何故、という疑問が頭を支配したが、そんなことを気にする余裕など彼女にはなく、
「うぶっ・・・・・・!」
彼女の乗り物代わりになっていた魔術師共々、2人はなす術なく落下していった。
流した血による能力補助と案外使える炎色反応による必殺攻撃。
負傷すら利用して好機を作る・・・・・・マンネリ化している気もするが、むしろマンネリ化していることの方が問題だろう。
『血を使う』という行為が魔術の儀式のようだと彼は今は関係ないを思った。
「ま、運が良ければ生きてるでしょ」
「おま・・・・・・エグい事を」
「いや、超手心加えたじゃないですか」
できる限り主要な臓器や血管は避けたんですし。そう付け加えた彼に彼女は「それ余計苦しむだけだろ」と返す。
苦痛を与えないのが情け。普段は親の店で店員するようなどこにでもいる女性である彼女も、こういうところの思考は能力者といった感じだ。
「それは知ったことじゃないでしょう?お互い様です。
彼女だって随分苦しめてはくれましたがトドメは刺してこなかった」
「いやいや、全力で刺してたろーが。お前が死ななかっただけで」
「そうとも言いますが――――そろそろ彼女を追いましょう。
僕、正直自分で動けそうにないんで運搬よろしくお願いします」
「私にずっとお姫様抱っこしてろと?
むしろ私はされたいお年頃なんだがな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ぷふっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・落とすぞ?」
思わず噴いてしまった釧に、鮮香がかなり本気の殺気を向けた。彼女も微妙なお年頃なのである。
より運びやすいように彼女は腕の位置を動かしたが、血だらけになった手がべとついて顔をしかめた。
釧は大丈夫と言っているが、軽く笑えるほど傷は生やさしいものではない。
左手をなくした際もだいぶ出血していたし、ここ最近はそっちの治療に栄養が回っていたはずだ。造血する余裕があったとは思えない。
そうそう死にはしない体だとはいえ、彼女にしてみれば任務より彼の治療の方が優先順位は高かった。
世界の終わりがこようとも死ぬ気はしないが、葉月相手だったら軽く死ねる。
(早く終わらせるしかないよな・・・・・・)
本人が作戦を放棄していない以上、オマケで尽きてきた自分が投げ出すわけにもいかず、彼女は宙を蹴った。
鉄板は釧を受け止める代わりに落としてしまった。移動は鉄を仕込んだ靴に発破をかける方法に頼るしかない。
かなり足に負担がかかる手段なので、彼だけではなく彼女にも時間はなかった。
ミョルニルの女性は彼らが心臓殺しを落としたことに気がついて顔を向けたものの、そのまま世界樹へと向かっていった。
フィヨルドの向こう、風景というにふさわしい遠方に佇んでいるように見える世界樹だが、距離感が狂っているのか、はたまた光の屈折率が狂っているのかそれほど遠くはなかったらしい。ミーミルの泉の水を飲むという彼女がまだそこにつく前に追いつくことができた。
水面近くを浮遊する彼女に釧は停止を求めて呼びかける。
「ストップ、そこまでです。動くと串刺しにしますよ」
「・・・・・・ふぅ、追いつかれてしまいましたか。
困りますね、超能力者という人達は。
速さにしても威力にしても・・・・・・入念に下準備をして魔術師がやる以上のこといとも簡単にやってのけるんですから。
特にあなた」
と、彼女はゆっくりと振り向いて釧に目をやった。
「本当あなたは何なんですか?
心臓を潰しても抉っても、挙げ句ミョルニルを受けても死なないなんて。
世界蛇じゃあるまいし」
彼女は鉄槌ミョルニルの一撃で唯一死ななかった魔物の名前を挙げ、彼はその例えに応じた。
「だとしたらラグナロクが起こった今こそミョルニルがいるでしょうに。
最終戦争でヨルムンガンドはトールの振るうミョルニルに叩き潰されたんですから」
「私にトールになれって?イヤよ、蛇を倒した雷神トールはその毒を受けて死ぬ。
けれど――――私は死ぬつもりはない!」
叫び、彼女は手に握ったミョルニルの残骸を彼らに投げつけた。
だが、もはや魔術的価値を失った柄だけの武器に脅威などなく、それは易々と釧の撥水能力で受け止められ、それと同時に水面からでた水の触手が彼女を束縛する。
先の宣言とは違い、炎色反応で串刺しにはされなかったものの、利き手である右手はあらぬ方向へへし曲げられた。
両手足を拘束し、細い胴と首元にまで触手は伸びている。
無理に動こうとすれば今度こそ致命打になる骨が折られかねない。
完全に手詰まりという状況だが、それでも彼女は余裕のある表情のままだった。
「・・・・・・あら、串刺しにするんじゃなかったのかしら?」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「まぁ、あなたがあの奇妙な刃を使ってこないだろうとは思っていましたけど。
あんな便利な技、使おうと思えばいくらでも使い様はあったはず。
それを多様しないのはよほど使い勝手が悪いか、何らかのペナルティーがあるからでしょう?
それに、結局あなたに人を殺す覚悟はない。
本当に甘いわ。そのお陰で私はミーミルの水を飲むことができる!」
そう言って、彼女は首元に巻き付いた触手に噛みつき――――その塊を飲み込んだ。
「!?・・・・・・な、でもミーミルの泉は・・・・・・ッ!」
世界を繋げるユグドラシルの根の内、巨人の国に通じる根元にあるはず。
ここは人間の世界ミズガルズだ。泉があるのは樹を辿った先でなければおかしい――――だが、彼女は確信をもって断言した。
「何を言ってるんです?ここがミーミルの泉ですよ!」
ずぐっと彼女の綺麗だった左目が白く濁り、水面に腐り落ちる。
オーディンは泉の水を飲み知恵と知識を得る代償として片目を差し出した・・・・・・。
彼女からこぼれ落ちた眼球を追って、釧は視線を下に落とし、そして見た。
黄金に輝く水面の奥に、巨大な、人の物とは思えない眼球が浮かんでいる。
(オーディンの・・・・・・目っ!?)
とすれば、ここは確かにミーミルの泉だ。
けれど、どうして。
彼の意識は水中から水面へ移り、そこで彼はソレに気づいた。
彼女の背に見える巨大樹、その幹と枝がフィヨルドの水面に反射している。
そっくりそのままの樹の姿。それが水の鏡を挟んで、お互いに上下逆に繋がっているのだ。
まるで、水中に張り巡らされた根のように。
「光の錯覚を利用した・・・・・・」
彼の呟きを彼女が引き継ぐ。
「模倣魔術の応用ですよ。そしてコレもまた・・・・・・レプリカです!」
――ゴバンッ!
彼女の声と共に鮮香の背中に衝撃が走った。
背後から一撃をくれたのは、彼女が投げつけてきたミョルニルの柄。鉄槌としての形もなくなったただの木製の棒だった。
それを受けて、彼女は体勢を崩し、釧がすんでで念力を張ったとはいえその威力はついさっき彼女が投擲した時とは比べ物にならず、何とかバランスを保つことはできたが、釧による水の拘束は完全に解けてしまった。
さっきまではただの残骸だったモノが何故?
そう彼が目まぐるしく考え巡らせている内に、彼らを襲撃した棒きれは彼女の左手へと戻った。
「自分の手元へと返ってくる」。その性質はミョルニルのモノと同じ、・・・・・・否、そういえばそれと同様の性能を持った武器が他にもあったことを彼は思い出した。
「まさか、グングニル・・・・・・?」
頭の部分が砕かれたミョルニルの柄。先端の木材が念力で裂けて尖ったその姿は確かに槍に見えなくも、ない。
しかしそれはあまりにもこじづけがましいし、よしんばレプリカとして機能でき得るとしても、さっきまで確かにあの柄はただの木の棒に過ぎなかった。
それが返ってくる時にはグングニルになっていた。
何かキッカケがあったはずだ。あの間にあったこと、それは――――、
あの彼女がミーミルの泉の水を飲んだこと。
そして、左目を泉に捧げたこと。
主神オーディンがしたのと同様に。オーディンのように。
模倣魔術。レプリカ。
真似て、象って、騙どって。
今や彼女が父なる神。
なればその手にある槍こそがグングニル――――必中の槍。
ミョルニル同様、完全に神具の性質を再現できているわけではないだろうから、避けられないことはないだろう。
だが、人ひとりで振り回すには明らかに大きすぎたあのミョルニルを彼女が釧めがけて投擲できていたことから、自動照準にホーミング機能ぐらいついているとみて間違いない。
つまり、利き手を折ったところで戦力奪取の意味はなしていない。
釧はあの時、宣言通りに彼女を串刺しにしておくべきだったのだ。
甘い。あまりにも甘い。
「ふむ・・・・・しかしやはりそうですか、知識だけでは・・・・・・・」
と、彼女は何やら思案げに顎に手をやり、それから首を振った。
「何にせよまずはあなた達が先ですか」
そして再び、グングニルが放たれる。
鮮香は念力越しでも看過できない打撃を与えてくる槍をまずは発火能力で蒸発させようと試みたが、どう見てもただの木棒なのに消えるどころか火も着かなかった。
「ちっ、厄介な武器だよ全く!」
迫ってくる槍に、仕方なく靴に発破をかけて上へと避けたが、その先で背後からの強烈な熱を感じて、今度はまともな体勢もできないまま緊急回避を取らざるを得なかった。
抱えていた釧に発破をかけることで彼は上に鮮香は下に、その間を光の線が通り抜ける。
それはもう馴染み深いものになったレッドマーキュリーのモノだった。
落ちてきた釧をキャッチした彼女は熱線のきた方に目をやり、そして「げっ」と声を上げた。
視線の先には黒くがたいのいい男がいて、その小脇にラリーサは抱えられていたからだ。
意識はあるようだが、ラリーサの目に生気はなかった。
(そういえば、途中でラリーサを見失ってたっけな・・・・・・・)
と今更すぎることを思い出した鮮香。
「紹介します。彼はスルト、炎の巨人です」
オーディンがそう言い、彼女は自分が抱えている釧に視線を落した。
「どういう意味か説明頼む」
「僕は解説キャラじゃないんだけどな・・・・・・。
彼女が言ったとおりスルトは炎の巨人、世界を焼き尽くすというレーヴァテインを振るう巨人だよ」
「あーなるほど、だからレーヴァテインであるラリーサを扱えると・・・・・・・・・・・・・・・・・・もはや何でもありじゃねーか」
ふざけんなと悪態を吐く鮮香に、釧は「といっても」と付け加えた。
「できるようになったのはラグナロクが始まったからこそなんでしょうよ。最初からできるなら電車で暴走とかなかったはずだし。
けどまぁ、何が一番ずるいって、ラグナロクは神と巨人の戦いなのに、その神様と巨人が手を取り合って僕らの敵ってところですよ」
「ええ、その通りです。
ただの魔術師ならともかく、私達は自ら神々を演じることで神格を得え、今やこの場もラグナロク――北欧神話の世界観を基準に廻っている。
あなた方であろうと勝てると思わない事です。
・・・・・・シレノス、やはりミーミルの水だけではなく、『巫女の予言』での確認が必要なようです。
先に邪魔者を片づけますよ」
「了解しました主様」
「釧君、『巫女の予言』ってのは?」
「だから解説キャ・・・・・・あぁもう!
まんまそのままの意味です。ラグナロクを含めた神々や世界の未来に関する予言。
巫女がオーディンに語りかける内容で・・・・・・あぁ、オーディン化はそのためでもあったのか・・・・・・。
知識と知恵の次は予言、ね。何が知りたいんだか」
「世界の未来です。救済と安寧についてです・・・・・・よっ!」
言葉尻に合わせグングニルが飛んできて、それが戦闘開始の合図となった。
避ける釧達と砲撃を繰り返す神と巨人と構図がすぐさま形成され、赤みを帯びた黄金色のフィヨルドを縦横無尽に影と光がかけ巡る。
釧と鮮香の人影が跳ね回る様に、槍の影は弧を描く様に、核反応エネルギーの熱線は空を滑る様に。
他の魔術師達が参戦どころか近づけない苛烈なやり合いがそこにはあった。
ほとんど停止していることがないぐらい世話しなく動き回る釧達も、その標的を狙う攻撃の数々も、とてもじゃないが目で追っていられないのだ。
あんな中に入って、間違ってどちらかに当たってしまえば待っているのは無惨な死だけだろう。
しかしこの場合、観客に徹することとなった――――といっても満身創痍でどの道大半が動けない――――連中が戦々恐々としたのは超能力者の2人の方だった。
自分達の主がどれほど優れた人間なのか彼らは知っているし、オーディンやスルト、グングニルやレーヴァテインといったものがどれほどの脅威なのか、実際目の当たりにしている当人達より理解しているのは彼らなのだ。
それに真っ向から対峙できる人間が、ゴロゴロといるというのがどれほど恐ろしいことか。
自分達がラグナロクという下準備をした上でやっと行える事を、易々とやってのける人間がこの世界には溢れている――――それが何を意味するのか?
言うなれば、それこそ彼らが今回の事を起こした動機であるが故に、戦慄せざるを得なかった。
とはいえ、現状は自分達側が優位に立っているのも事実であり、それだけが彼らにとっての救いだろう。
超能力者はさっきから避けてばかりだ。その内一人はどう考えても重傷で、時間が経過するほど有利になるはずだった。
だが、視点を当人達に戻してみるとその印象はガラリと変わる。
本来必中であるグングニルはまるで当たらず、逃げまどっている彼らはこういった事に慣れているのかそこまでの疲労も見せていない。挙げ句、けが人である釧が移動先を指示しているようなのだ。
(何を企んで・・・・・・!?)
と、オーディンの彼女が戻ってきたグングニルを投擲しようと構え直した時、それは起きた。
フィヨルド水面の爆発。
水蒸気が一気に宙に舞い上がり、水の微粒子が辺りの光を乱反射し視界を奪う。
彼女自身は直撃を免れたが、シレノスはその中に巻き込まれた。
思い返せば、超能力者連中は僅かずつ高位を下げていたのかもしれない。蒸発させるためか?いや、そんな単純なことを彼らがするのだろうか?
脳裏に様々な憶測が浮かぶが、だとしてもと思い直す。
相手の考えが読めないにしても、やる事は変わらない。こんな目隠しをしようと味方の位置に関してはバッチリ確認できているのだ。
多対少の乱闘戦に臨むに当たり、敵味方の識別はできるように魔術的な信号を互いに所持している。
グングニルに敵の自動追尾機能がある以上、味方に当たらないように注意しておけば水蒸気などあってないようなものだ。
彼女は槍を構え直して今度こそ放った。
30m四方はある霧に穴を開けるようにグングニルは風を纏いながら突き抜けていき、それは弾かれるか避けられるかするのだろうが、再度霧から抜けて彼女の手に戻るはず、だった。
突き抜けてくると考えていたグングニルが現れる前に、グチャッと不快な音がして、
「――――え?」
彼女は時が止まったかのような錯覚を覚えた。
(そんな馬鹿な。そんなはずは・・・・・・!)
だが、彼女の拒みは虚しく、霧からボタボタボタと赤い液体が大量にフィヨルドに落ちていった。
それが、敵である超能力者のモノであればよかった。
だが違う、違うのだ。
彼女の目は確かに捉えていた。音がする直前、血が流れるその前に、味方の識別信号がグングニルの射線上に踊り出ていたのを。
そして、ついに決定的なモノが漂う霧から落とされた。
グングニルが刺さった、巨人スルトを演じる・・・・・・同胞シレノスの亡骸が。
レーヴァテインはいない、連中に回収されたようだ。
しかし、何故?
その答えが霧の中からいきなり現れて彼女に迫った。
触手だ。水でできたあの触手。
(水蒸気はそのために!?)
彼女自身が一度それに囚われているだけにその脅威はよく理解できていた。
あらゆる方向から予測できない動きで迫ってくる触手は一度接近されると避けることが難しい。
アレに捕まれ、彼女の部下はグングニルの前に突き出された、ということなのだろう。
「――――ッ!」
事実を、一拍遅く知って歯噛みした彼女のすぐ横を触手が掠めた。
まさに生きているように蠢く触手と、それが生えている実体のないはずの霧の体。
その姿は化け物めいていて、彼女は今自分が対峙している相手が人間だということを忘れてしまいそうだった。
何より向こうの本体の居場所が掴めないのが痛い。グングニルが手元にあればよかったのだが、その槍は仲間と共にフィヨルドに沈んだ。
シレノスの安否を直接確認した訳ではないが、
神と巨人の戦いの真っ直中に、神の槍が巨人に当たったのだ。実は生きていたという期待は持たない方がいいだろう。
自分の槍で、という点に想うことはある。
が、その時間は自分が死ぬ時に取れる。
だから今は計画の進行が先で、そのためにはやはり目の前の二人が邪魔なのだ。
その上、今にこそ必要なレーヴァテインは向こうの手に落ちてしまっている。
レーヴァテインの奪取と巫女の予言、その2つを済ませるためには・・・・・・。
(戦える仲間にがんばって貰うしかありませんね・・・・・・)
彼らも満身創痍に違いないが、この戦いにおいて今更怪我の心配などしても仕方ないだろう。
彼女は念話を使い仲間達に呼びかけた。
次で最後、巫女の予言で確認が取れればその時は――――。
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魔術師連中が霧の中の釧達を視認できないのと同様に、彼らも能力なしには外の様子を知ることはできない。
濃霧の中から釧が触手をオーディンの彼女に向けられたのは千里眼によるものだし、攻撃に加わってはいないが鮮香も熱感知で外の情報を得てはいた。
敵に動きはまだない。
その僅かな隙に釧は血が足りず鈍った頭をフル回転させて考える。
スルトは倒した、レッドマーキュリーも手に入れた。
戦況は一気に自分達側に傾いたわけだが、さてこれからどうするか。
いっそ逃げるという手もありだとは思うのだが、逃げきれるのかどうかは結構怪しいし、土壇場でターゲットが御籤一四三に変わっているため、ラリーサを連れ帰っても任務完了というわけでもないのだ。
それにラグナロクという世界異常を起こしている舞台装置をそのままにしておいていいものなのか。
仕事とは直接関係ないとはいえ、放っておけば自分にも害が降りかかる可能性はかなり高いだろう。
もしも体調を万全に整えてからでも間に合うのなら迷いなく逃げるのだが、どう考えても時間が足りそうにない。
今自分達がやっていることにしても、時間稼ぎにしかなっていないきらいがある。
(難しいところだな・・・・・・)
本当ならもっと思考を巡らせたい。
だが、その時間もやはりないようだ。
千里眼による視界が、リーダーらしき彼女が背を向け、代わりに今まで傍観に徹していた辺りの魔術師達が自分達に向かってきている様子を捉えたことで彼は即決した。
「兎傘さん、二手に分かれましょう」
「はぁ?」
「僕は彼女を追います。雑魚連中の相手をお願いします」
「ちょい待てよ、その怪我じゃ無茶すぎる!」
「グングニルを無くしてあの彼女もそろそろ手詰まりのはずです。だから連中に足止めをさせようとしてる。
ここは一気に叩くべきだ。
それに兎傘さんだって二人も抱えて戦えないでしょう?」
そう言われて彼女は反論できずに口をつぐんだ。
彼女は今、釧を片手で抱きかかえ、ラリーサを背中でおぶっている。その状態で発破で宙に浮いているのだから、体にかかる負担はかなり大きい。
何より、こうして霧の中に隠れて戦闘する場合、彼女は視覚を熱感知に頼らざるを得ないわけだが、火球を放とうものならその熱で視界がうまく映らなくなってしまうのだ。
このままで戦えるとはとても言えなかった。
そうこうしている内に釧は彼女の腕を離れ、念力で足場を作ると霧から抜け出すために跳躍した。
「ちょっ、おい!」
彼女の制止は間に合わず、ついでに雑魚連中も間近に迫っていた。
「ちっ!」
もはや役に立たない水蒸気を熱で吹き飛ばし、彼女は自分の目で敵を見る。
ついでに自分達から遠ざかろうとしていたオーディンとそれを追いかける釧も見えた。
「はぁ・・・・・・すぐに追いつけばいいか」
位置がずれてきたラリーサを抱え直し、鮮香は魔術師達を睨みつけた。
「お前等には悪いが、私は複数相手も弾幕戦も大の得意でな」
言葉と共に展開される幾多もの輝く球体。
それらが一斉に散りばめられる。
背を向けた方で始まった戦闘を後目に、釧は離れていくオーディンに食らいつかんとしていた。
彼ら魔術師の浮遊がどういった原理で行われているかは知らないが、スピード自体はそれほど早くはない。
万全の体調ならすぐに、今の状態でもいずれは追いつくだろう。
いや、追いつけなくてもプレッシャーを与え続けれればいいと釧は考える。
『巫女の予言』はオーディンが巫女を呼び出し予言を聞くという物語だ。
主様と呼ばれた彼女がその話の通り巫女の未来予知を受けようとしているのならば、どうしても落ち着いた場所が必要になる。彼女が戦場から撤退しようとしているのはそういう理由だろうし、だから釧に追われるのは都合が悪いはずだ。
ただ、この作戦は釧の方にもデメリットが大きいのも事実だった。
左手に心臓、さらにはその周辺の血肉と骨。疲労も溜まっているのに、それを回復する余力も身体には残されていない。
そんな状態で動くということがどれほど危険か。
それに、さっきから背中の辺りで血が垂れている感触がしているのだが、もう傷口を塞ぐのに能力を使うことさえできていない。
心臓殺しにやられた後に一度塞いだその傷は、スルトが登場した際、鮮香が彼を上へと発破で打ち上げた時に開いてしまっていた。
彼女には知らせなかったのだが、あの時背中にかけられた発破がちょうど傷の位置にあったのだ。
心臓は左胸にあると思われがちだが、実は胸のほぼ中心にあるということを彼女は知らなかったのだろう。
そういうこともあって身体はいよいよ悲鳴を上げていた。
願わくばもう魔術師に奥の手がないことを祈りたい。釧がそう思っていた時だった。
今まで背を向けて戦線離脱を図っていた彼女が立ち止まり振り向いた。
「あぁ・・・・・・」
その動作を見て釧は諦観の混じった溜め息を吐いた。
ここで、ここにきて立ち止まるということは・・・・・・、
「まーだ隠し玉があるわけか・・・・・・」
「隠し玉だなんてそんな。むしろこれは不測の事態の結果ですよ。
レーヴァテインに裏切られたことも、超能力者に妨害されたことも――――勇敢な仲間を失ったことも・・・・・・・・・・・・・・・・・・私達の計画にはなかった」
隻眼の彼女はそう言って、星のない空を仰ぎ見る。
黄金に輝くフィヨルドと対照的に闇に満たされた天上。世界樹がその彼方に突き抜けていて、そこにはこことは別の世界があるのだろう。
「そしてだからこそ、私達はまだ戦える!
今!この時なら!もう一度一緒に!」
彼女の叫びがミズガルズに響き渡った。
死を免れない人間の地に。
そして、その暗澹たる空に光の帯が舞い降りる。
極光、オーロラ。
青紫から緑、そして赤に青の揺らいだ光の粒子群。
それが彼女と釧の間に差し込んだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・そういえば今はラグナロクの最中だったっけ」
釧は呟き、それと同時に思い出していた。
神と巨人の予期されていた戦いに、『巫女の予言』。それらに限らず、北欧神話は全体的に悲壮観が漂う世界観を有している。
主神オーディンでさえが死ぬ運命にあり、彼らはそれと知って最終戦争に臨むのだ。
それは神話発祥の地の文化が強く反映された結果なのだろう。
ラグナロクはそんな北欧神話の象徴的な物語であり、そして同様に北欧神話として知名度が高いものに戦乙女ヴァルキリアの話がある。
勇者達は戦死した後、ヴァルキリアによってヴァルハラの館に迎え入れられる。戦乙女達に選ばれた勇士の魂はオーディンの養子となって、予期された最終戦争のためにかの地で戦いと宴に明け暮れるという。
死を怖れぬ者ほど恐いものはない。
タクシーで襲われた時、自ら命を絶った魔術師に対して釧はそう思ったものだ。
しかし、考えてみればなぜ死んだ彼女が任務にそこまで身を捧げることができたのか、思い巡らせることはしなかった。
何で気づかなかったのだろう。
『死を怖れない』というならば1つ有名な連中が北欧神話関連で存在しているではないか。
死後ヴァルハラに迎えられることを栄誉とし、それ故に死を怖れず戦場に臨んだという海賊ヴァイキング。
その名前『vikingr』の由来が古ノルド語でフィヨルドを指す言葉であることは何の皮肉なのか。
オーロラはヴァルキリアの鎧の輝き。
戦乙女に連れられて勇敢な戦死者は今こそ舞い戻り、オーディンと共に侵略者に立ち向かう。
「こうして」
と、死せる勇者の彼女は言った。
「こうして言葉を交わすのは初めてだな、魔術師じみた超能力者」
魔術師じみた、とは幾つもの能力を併用できることからだろう。能力者間でも『魔女』と呼ばれる釧の超能力は確かに魔術師の方に近い。
その反対に、前に会った時には魔術師らしかった彼女は今は剣と盾を持っていて、戦士といった風貌だ。
「まさか化けて出られるとは思いもしませんでしたよ。ちゃんと荼毘に付したはずなんですけど?」
「お供え物が左手だけでは満足できなかったんだ。
・・・・・・お前の手の内は見せてもらった。ヴァルハラで対策も立てた。
今度は勝つ」
「たったあれだけの邂逅で何が知れたっていうんですか?
手の内というならこっちの台詞です。
魔術師と知った以上、超能力戦との勝手の違いで戸惑うことはもうない。
今度こそちゃんとあの世に送ってあげます」
エインヘリャルに行く手を遮られた先で、オーディンの彼女が背を向けて離れていく。
(はぁ・・・・・・儀式を止めるのは無理そうだ)
それを傍目に確認した後、目の前の敵に視線を戻した釧は一呼吸して、
「らっしゃぁああッ!」
かけ声と共に右手を振りかぶり、最大出力の斬刀水圧が放出された。
炎色反応と同様、青森学園でコピーしてからなかなか自分の物にはできていないが、威力という点ではかなり優秀な能力だ。
いくら火力が高くてもガードされがちな炎や雷と違って、水圧攻撃は物理的な防壁を簡単に抜いてしまう。不意打ちしてしまえば大抵一瞬で事が片づく便利な技なのだが、やはりというか、死んだ彼女はそれを手にしていた盾で凌いでしまった。
普通の武器ではないとは思っていたが、やはり超能力に対しても優位に立てるほどの代物だったようだ。
その確認ができたことに釧は頷き、次は電撃系統の攻撃を試そうと右手にチャージし始めたところで、今度は彼女の方が接近してきた。
これもエインヘリャルの特典なのか、他の魔術師と違って浮かぶのではなく駆けるように宙を高速で移動してくる彼女。
前回の戦闘で、自分相手に遠距離戦以上に接近戦は分が悪いと彼女も理解しただろうと思っていた彼は、その行動にほんの僅かに反応が遅れる。
左手の盾を前に突き出したまま、右手の剣が振るわれ、釧の念力防壁と右手から放たれた紫電にぶつかった。
一閃の電撃の筋は盾に反らされ、念力は剣に引き裂かれ、刃が掠めて釧の左肩に切り傷ができた。
剣にも盾同様の力が宿っているようだ。
もっとも、念力の防御が利かない相手とは青森でも相手をしたことがある。脅威ではあるが驚くほどではない。
今対峙している彼女の厄介なところは、それらの武器を操る本人のスペックがどう考えても普通の人間のものとは思えない点だった。
俊敏さも強化している釧と大して変わらず、何より腕力が細い腕という見た目からかけ離れすぎている。
その腕力の威力たるや、斬撃を念力で受けた際、足場にしていた方の念力まで沈み込むほどだ。
(こっちの攻撃は盾に受けられる、向こうの攻撃はガードできない。
案外久しぶりだな、こういう戦闘は)
多種多様な超能力や能力自体の無効化が使えるようになってからは、こういった『どう攻撃を当てるか』を考えさせられる戦いというのはめっきりすくなくなっていた。
その類の戦闘で一番印象に残っているのは、やはり久遠将来との一戦だ。
そもそも能力もまともに扱えてなかったあの頃、必死だったとはいえ無謀にも時間操作系の能力者に挑むという愚かなことをしたわけだが、今はそんな必死さが些か恋しくもある。
冷静に戦えるようになるほど、どうしても余力を残そうとしてしまうというか、全力で戦えていないような感覚がついて回るものだ。
加えて彼女はもう死んでいる。一切の加減をしなくてよいというのは、それこそ本来殺し合いでしかできないことだ。結局のところ人殺しに迷いを捨てきれない釧には、そういった機会などないに等しい。
だから満身創痍でなければ嬉しい戦いなのだが、ここまできてさらにこんな敵が相手というのは厄介事でしかない。
足場の念力を意図的に消し、釧は鼻先にまで接近していた彼女から下方に身体一つ分の距離を取った。
さらに、そのままの流れで下からの念力アッパーを仕掛けてみるが、念力は彼女が下に向けた盾に阻まれる。それでも念力の優位性が幾らかは働いているのか、彼女は体勢を僅かに崩し、その隙をついて釧の斬物風刃が彼女を襲った。
念力の反動で盾は肩の上にまで押し上げられてしまってる。なので、その位置からは防御しにくい腰の辺りで上半身と下半身の切断を狙った攻撃だったのだが、彼女はそれをバク転で回避してみせた。
彼女の腹の上を風刃が抜けていき、彼女は綺麗なフォームで宙に着地。すぐに攻撃へと転じる。
剣が上から下に真っ直ぐと振りおろされて、防ぐわけにもいかない釧はそれをバックステップで避けた。
が、
「っ痛!?」
背中の筋肉が引っ張られた際に、傷口がさらに裂けて激痛が走る。
そのことを悟られないようにしたかったのだが、顔に出ていたようで、釧とは反対に彼女の顔には『今が好機』という表情が浮かんでいた。
追撃をかわすために釧は右手をかざし、その手の平から火炎を放射。彼女の攻撃のタイミングを外す。
火を盾でガードした彼女は、それでも彼に向かって突撃し、火を割りながら一太刀加えんとしたが、接近により彼の念力射程内に入ったところを上から念力を落とされて、それを凌ぐために剣を振るわざるを得なかった。
部屋の天井を落とすイメージで、かなり広範囲を念力で押しつぶした釧だったのだが、念力の壁は彼女の剣に裂かれてボロボロと崩れてしまう。
剣と盾の性質は能力波そのものに干渉する力といったところなのだろう。
彼女の武器はラグナロクのために神から支給されたものだと思われるが、それはつまり対巨人・魔物装備ということでもある。超能力と魔術の類似性が明らかになった今、そういった武器が超能力に対抗しうるとしても不思議ではない。
さらに、おそらく彼女は能力波そのものを感じ取れるようにもなっているのだろうと彼は推測した。
目で見えない念力を事前に察知して防いだところから見て、何らかの方法でこちらの攻撃を見極めているのは確かだ。
(さぁて、できれば彼女の予期しない能力でいきたいけれど・・・・・・。
売り言葉に買い言葉で『あれだけの邂逅で何が知れた』なんて言ってみたものの、ぶっちゃけ手の内なんて火か水か電気か念力かぐらいだしなぁ)
実はまだ使っていない能力が一つあるにはあるのだが、攻撃手段としてはポピュラーなPKのソレと変わりないので、単体で相手の不意を打てるものでもないのだ。
攻めあぐねたことで、お互いに一度距離を取った二人は光の満ちた世界の中で10mほど置いて対峙した。
「私を閉じこめた妙な錬金術は使わんのか?」
「使えないって分かってて聞かないでほしいんですけどね。
あんな便利なものおいそれと使えたら、あの時の戦闘だってもっとスマートに勝ってます」
彼女の言葉に釧は肩を竦めて素直に答える。
どうせバレていることだ、隠しても意味がない。無理に使おうと思えば使えなくもないのだし、この言葉で相手が安心して隙を作ってくれたなら万々歳だ。
「だろうな。そしてもう一つ――――お前はもう治癒術を使う余裕もない。
攻撃が当たらなくとも動かし続ければ、いずれは私の勝ちだ」
彼女は勝ち誇るでもなく淡々とそう口にした。
「対策立てたっていう割には実にシンプルな作戦ですね。
まぁ、僕の現状を見ればその方が賢明でしょうけど、自然に自滅する相手にわざわざ全力を尽くすこともないでしょう。
ですが」
釧は人差し指を立ててくるくると回しながら台詞を続ける。
「それはこっちだって同じです。本当のこと言えば、僕もわざわざあなたを倒すまでもない」
「何だと?」
「『妙な錬金術は使えない』とあなたが判断したように、こちらにもあなた方の事情を推し量る判断材料は与えられているってことです。
ラグナロクを起こすのにレーヴァテインは必要ないし、肝要であるところのヘイムダルはすでに船で待機していた。
その気になればもっと前にラグナロク自体は起こせたはずだ。
なのに、ラリーサが運ばれてくるまで起こさなかったのは、このラグナロクそのものに時間制限があるからでしょう?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・なるほど、頭のいい奴だな、お前は」
「もっと言えば、あなたやあなたの主にとって、あなたがエインヘリャルとして現れることで何らかのデメリットを被るんじゃないですか?
呼び出すタイミングっていうんなら前にもあったはずです」
そもそも追いつめられてから出さなくても、スルトと共に3人で戦えば僕達を一気に倒せたかもしれないのに。
そんな彼の指摘に彼女は笑った。
「死せる戦士はラグナロクに備えヴァルハラの館で戦いに励む。試合で死んだものも夕方には生き返り、夜には宴を・・・・・・。
しかしまぁ、それはあくまでラグナロク前の話だよな。
ラグナロクの結末は言うに及ばずだ。神も世界も死んでいく。戦士の魂がどこに逝くのかなんて分かりきっているさ」
「なるほど・・・・・・」
死後の世界を知っているだけに、主たる彼女は本当の別れをも知ってしまっている。
同胞をこうして呼び出すことはおそらく彼女にとっての苦渋の選択だったに違いない。
リーダー直々に釧を止めに行ったところからして、彼女は仲間を駒として切り捨てられるほど冷徹な人間ではないのだから。
「・・・・・・つまり本当の本当にあなたの存在は奥の手なんだ」
「だが勘違いするなよ。私は悲観も後悔もしていない。嬉しいんだ。
最期まで私はあの人と共に戦えるのだから」
「そうですか。
ですけど、あなたが彼女の最終手段だっていうのなら、あなた、僕の後に兎傘さんを倒さないといけないんじゃないですか?
レーヴァテインは兎傘さんの手にあるわけですし。
言っておきますけどあの人僕より強いですよ。
時間制限のことも含めて、やっぱり追いつめられているのはあなた達だ」
「・・・・・・やってやるさ」
お互いの相手を焦らそうという作戦は釧に軍配が上がったようだ。
再び攻防を繰り広げ始めた二人だが、エインヘリャルの彼女の方が若干せいでいるように感じられる。
釧が相手の攻撃をできるだけ身体に負担をかけないように避けて、時に攻撃に転じているのに対して、彼女は釧の攻撃を盾で強引にねじ伏せながら剣を振るっている。
発破による攻撃は盾で弾けて破裂音を生み、元から素養があったらしい彼女の一太刀を受けて念力が布を裂くような悲鳴を上げる。
超能力者の紫電の一閃が雷鳴をさせて宙を走れば、魔術師の放つ火炎がバリバリと豪快に辺りにかじりついていく。
通常魔術の炎は釧に無効化され粒子となって散り、雷鳴もまた避雷針になった剣先に反らされて塵になった。
互いに決め手を得ようと攻撃と防御と回避とをやり合って、着いては離れを繰り返す。
相手の気をはやらせることには成功した釧だが、攻防が苛烈になるほど負担も大きくなるのが道理だ。
背中からの出血が太股まで垂れ始め、胸の傷を無理矢理埋めた肉の組織もかなり裂けていた。
「ぁああぁああああッ!」
気合いの咆哮を上げ、彼女が幾度目かの接近を計る。
釧の方ももう避けること自体が辛くなって、いい加減に禁じ手を解禁することにした。
彼自身が最もその恐ろしさを知っている粉砕念力の完全解放である。
トラウマ故にできる限り使いたくないのだが、ここにきて出し惜しみはできない。
盾を突き出し突進する彼女を彼はそろそろ指すら動かなくなってきた腕を上げて迎え打った。
――ガゴッガガガガッ!
シュレッダーに無理矢理紙束を詰め込んだ時のような音がして、まず最初に念力に晒された盾が大きく揺さぶられる。
円状だった形を歪ませ、端々を削り取られていく自分の盾に彼女は驚愕を顔に表したが、退くことなくそのまま身体をねじ込んだ。
盾が駄目になってしまう前に一気に方をつけるべきだという判断だろう。
本来なら盾は一方向の攻撃しか防げないが、彼女の盾は念力を割り裂きながら進むため、粉砕の力から使用者の身を守りきっていた。
盾が粉々になるのが先か、彼女の刃が届くのが先か。
その結果はぎりぎり接近するまでは盾は持ったもの、剣を振るえる体勢を維持できるほど余裕はなかった、というものだった。
盾の陰となって念力の効果から免れられる範囲が、立っていられないほど狭まると判断した彼女はすぐさま次の手に移った。
途中で剣を上に投げ捨て狼化、その細い体躯で念力をすり抜ける。釧にそのアギトを、とそこまではよかったのだが、盾が崩れて防御しきれなくなれば、そういう手を使ってくるだろうことは彼にも予想できていたことだ。
目映い閃光と共に狼となった彼女を襲ったのは、今回の事の起こりでもある放射能能力系によるエネルギー波だった。
避けれるタイミングではない。
まだほとんど使いこなせていないとはいえ、使いこなせていない故に一切手加減もできない。
そんな熱線を受ければただでは済まないだろう。
――――それが釧の油断になった。
太陽がなければ、『上からくる物に日差しが遮られて気づく』なんていうお決まりの展開も起こりはしない。
吹き飛ばされ焼き焦がされながらも、上からもう一撃加えんとする彼女に彼が気づいたのは直前のことで、思わず念力と右手で防御姿勢をとったものの、彼の身体にかかった負担は大きすぎた。
「あっ、ぐぅうぅうぅぅっ!」
激痛に防御念力が消え、吹き出した血が透明な足場を赤く染める。
衝撃に頭が揺れて目眩を起こした彼に、狼化を解いた彼女が迫った。
上に放り投げた剣が落下してきて、彼女の手に。
「らっぁ!!」
左から右へ、剣は横一線に振るわれ、
その剣身は釧の身体を切断する――――ことなく、清々しい鐘音をさせて真っ二つに折れた。
「え――――?」
そのことに一番驚いたのは釧の方で、
「な、ぁ」
と彼女は言葉にならない言葉をこぼし、それからフッと穏やかな顔になって、得心したように「あぁ・・・・・・」と呟いた。
そして。
ワンテンポ遅れて、血と肉を抉る不快な音。
持ち直した釧の念力を纏った手が彼女の胸を貫いた音だった。
「・・・・・・・・・・・・なぁーんだ、ちゃんと人を殺せるじゃないか、お前。
そういうこと、できない奴だと思ってたけど、さ」
実際のところ、朦朧とした頭でそうする以外の攻撃が思い浮かばなかっただけの釧は、彼女の言葉に眉間を寄せた。
その腕から伝わってくる感触と重さに耐える覚悟なんて、実際できていたとは言い難い。
「ははっ、そういえばお前が持っていってたんだよなぁ、ソレ。
すっかり・・・・・・忘れてた」
それが彼女の最後の台詞になった。
ずるりと腕が抜け、彼女の身体はフィヨルドの水面へ。
しばし自分の手を見つめていた彼は、彼女の言葉を思い出して、生温い血にまみれた腕を上着の右ポケットに突っ込んだ。
堅い何かに手が触れる。
取り出してみると、それはルーンの刻まれた石だった。
ラグナロク、そしてルーンの生みの親であるオーディンのレプリカの現出。
それらによってお守りの効力が強まっていたとすれば、それは彼女にとってなんて酷い結末だったのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
いや、やめよう。首を振って彼はオーディンを探し始めた。
エインヘリャルとの戦いの途中で見失ってしまっていたが、向かった方角は大体分かっている。
視線をそっちへと向けると、そう遠くないところにオーディンの彼女はいた。
フィヨルドにかかる虹の上に立って、身体が透けた女性を前にしていた。
あれが巫女なのだろう。
血の気が失せて感覚が完全に麻痺した指で額の汗を拭う。
麻酔をかけた時の自分の身体がぶよぶよとした肉の塊になったような感触がした。
もう手の先にまで血が巡っていないようだ。
頭がくらくらする。戦闘が終わって緊張の糸がきれたせいか、足も重たく感じられた。
後、もう一仕事だ。
念力を最小限、自分の足の裏に展開してゆっくりと歩み出す。
左手は何時までには元通りになるだろう?
これが終わったら、まずは身体を拭こう。
タンパク質を摂るには何がいいんだっけ?
早く寝たい。
手の血を早く拭わないと。
仕事の方、こんな身体で大丈夫なのか。
御籤を探して、それから・・・・・・。
ルーンのお守りはどうしよう。
持っているのがいいのか、持っていてもいいのか。
・・・・・・最後、あの人は一体何を想って落ちていったのだろう?
ぐるぐる、ぐるぐると取り留めもなく、意志にすら反して色んな考えが浮かんでは脳味噌の中で混合されていく。
巨大な樹の幹とそれに繋がる虹の橋、それらを浮かべる黄金の光の海。
星のない空、もうオーロラも見えない深淵。
至るところから滴る血を右手で拭うがきりがない。
そもそも、手をべたつかせるその血は本当に自分の血なのだろうか。
息を吐いて、最後の一踏ん張り。
何とか虹のところにまでたどり着いた釧は、あり得ないことに硬質化している虹の上に足を着けた。
ガラスのように透けつつも堅く、透き通った虹の橋。
今更気づいたが、世界樹はフィヨルドに元々かかっていた虹の片端と繋がるように現出していた。
いわばこの虹が現実と幻想との橋渡しをしているのだろう。
虹があることがラグナロク発生の条件の1つだったに違いない。だからこそほぼ間違いなく虹がどこかで掛かっているフィヨルドでラグナロクを起こしたと考えるのが妥当だ。
何にしても、足場にする念力分の負担を軽減できる場所があるというのは有り難かった。
そのまま釧は休まずに足を動かし、身体を左右に揺らしながらも何とかオーディンの彼女の近くで立ち止まる。
呼吸を整える間、彼女の様子を観察するが、背後からなので彼女の顔は見えないし、途中からでは彼女が何を聞き出そうとしているのか分からなかった。
だが、どうも話の内容は彼女にとって好ましくないものらしい。
背中越しでも、その仕草に余裕がないことが見て取れる。
巫女の言葉に対し矢継ぎ早に二言三言質問を返した彼女は、
「あぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・そんな」
いきなり崩れ落ちて膝を着いた。
「そんな・・・・・・ことって」
打ちひしがれて天を仰ぐ彼女。
そんな彼女を霞む目で数秒眺めてから、釧は歩みを再開した。
コツ・・・・・・コツ・・・・・・コツ。
歩みは鈍い。
彼の靴が材質も分からない虹を叩く音に、ようやく彼女は釧が近づいてきていることに気づき首を向けた。
長い髪に隠れて、その表情は分からない。
「・・・・・・あなたですか。
レーヴァテインを、返してもらえませんか?
ユグドラシルを燃やしてしまわなければならないんです」
「世界滅亡なんて、させると思います?」
「その方がいいってことだって、あるんですよ。
例えこの世界が燃え尽きようと・・・・・・次の世代が新世を創るのなら、その方が。
この世界はもう駄目です。救いが・・・・・・ない」
そう言って、彼女はゆっくりと立ち上がった。
釧同様に身体がふらふらと覚つかないが、こっちは精神的な要因によるものだろう。
「ミーミルの泉の知識を借りて、巫女の予言を聞いて――――念には念を入れて、何度も確認しましたが、やはり駄目でした」
背を向けていた彼女が振り向く。
左目の眼窩と右目の眼球が釧を睨みつけた。
「混沌。混沌ですよ。
・・・・・・あなたみたいな超人がこの世界にどれほど存在しているのか、その影響力がどれほどのものか、考えたことがありますか?
あなたほどでなくても、一般人や私達のような魔術師よりも遙かに力を持った能力者がこの世界には多くなりすぎた。
もうバランスを保ってはいられない。
混乱と惨劇しか、ない」
「絶望の未来を迎えるよりは一度滅んででも再生の方がいい?
その方が人類としては希望があると?
そのためのラグナロク・・・・・・つまりオーディン化したあなたは言わずもがな、あなた達全員端っから死ぬ気だったわけだ。
けど、世界の滅亡と再生、それは事情を知って覚悟を決めたあなた達だからこその判断でしょう?
混乱と惨劇の世の中でも生きようする人間はいるはずです。
あなた達がいくら納得してようが、結局自分本位の、自分勝手にしかならない」
こんな場面なら誰でもするような何気ない台詞。
だが、
「自分勝手?」
彼女はその言葉に苛烈な反応を示した。
「自分勝手なんて・・・・・・それをあなたが言うんですかっ!」
今の今まで、仲間が討ち死のうと、どれほど追いつめられても泰然自若としていた彼女が、初めて感情を剥き出しにして怒鳴った。
「あなたが!全てを台無しにするのに!」
腹の奥底から叫び、
「あんな・・・・・・あんな、あんまりな答えのために、あなたが!」
そして釧に飛びかかる。
今までそんな素振りを見せなかった彼女の豹変に釧は反応できない。
あわや彼女の腕が彼の首にかかろうとしたその時、真っ赤な熱が横から現れて視界を遮った。
「ぁ・・・・・・」
視界はすぐに元に戻ったが、彼女の姿は消え失せて、今まで遮られていた景色が佇んでいるだけだった。
吹き飛ばされるたのか蒸発させられたのかは考えたくもない。
何はともあれ、それに自分が助けられたのは事実だ。
「兎傘さん・・・・・・」
火炎の放出された方を見ると、自分に襲いかかってきた敵を全てたたき落としたらしい鮮香がいた。
「まぁ、こういうこともあるさ。胸くそ悪い結果だがな」
彼女を呼ぶ釧の声に非難の色を読み取った彼女がそんなことを言ったが、
「いや、兎傘さん・・・・・・」
と釧は首を振って世界樹を指さした。
「燃えてるんですけど、樹が・・・・・・」
「ん?」
言われて彼女がその方向を向くと、確かに悠然とそびえ立っていたユグドラシルの一部が炎に包まれていた。
後味の悪いこの結末に想いを巡らせる暇もなく、釧は何とも言えない顔で燃えかけたユグドラシルを見る。
「そういえば・・・・・・兎傘さんも特性は炎ですよね。発火能力者なんですし」
「そりゃあ、そうだが」
「ラグナロクって兎傘さんが侵攻してきたのをキッカケに起きたんですよね?状況を見るに」
「そうかも、しれないな?」
「ということは、兎傘さんはレーヴァテインを持った巨人の代用足りうるわけで・・・・・・その火が世界樹に燃え移ったらどうなりますか、ね?」
「まぁ、それは当然・・・・・・世界終了のお知らせかしら」
「『かしら』って・・・・・・いやいや!消さないと、早く消してくださいよ!」
「無茶言うな!燃え移った火まで制御なんてできねぇっての!
私は燃やすの専門だぞ、お前こそ何とかしろよ!」
「水操作は苦手なんですよ!火事を消せるほどの水なんて操れません!」
「というか何でまだラグナロクが続いてるんだ!?
魔術師はもういないんじゃないのか・・・・・・!?」
「たぶん、まだ北欧神話世界やラグナロクを維持できる因子が残っているからです。
レーヴァテインになりうる兎傘さんもまだここにいますし、ヘイムダルである御籤一四三も船の中。
キッカケを与えたたのは魔術師でも、僕達自身が模倣の補強に加担してしまってる!」
「じゃあ、御籤を連れてここから脱出すれば・・・・・・」
「いや、それでもう着いてしまった火が消えるとは・・・・・・何かもっと決定的な・・・・・・ッ!」
辺りを見回していた彼は、ふと目を下に落としたところで、自分が立っている虹に気がついた。
世界と世界を繋ぐ、虹の橋。
北欧神話とこの世界の繋がりさえ、断ってしまえばあるいは。
「間に・・・・・・合えッ!」
正真正銘最後の力を振り絞って、彼は虹に手をつく。
粉砕念力。
ガラスを砕く音が手元から響くのと同時に、闇と黄金に満ちた世界にも罅が入り、瓦解を始めた。
限界に達して消えようとする意識の中、その向こうに見慣れた世界の光景が垣間見えた気がした。
#
気絶した釧を背負って、鮮香は連中の船の甲板に降り立った。
今やあの赤と黄金の輝きは失われ、フィヨルドは夕闇に覆われている。
月や星々も姿を表して、あの目が痛くなるような光景が嘘のように、しずしずと控えめに天を照らしていた。
フィヨルドの波はまだ穏やかとはいえず、船は幾らか揺れているものの、宙に浮き続けるよりかは遙かにマシだろう。
さてどうやってここから帰ろう。
鮮香がそんなことを考えながら、釧やラリーサ共々甲板の床に座り込んでいると、船内に待避していたらしい御籤一四三が現れた。
黒い短髪、右目の泣き黒子。学園にいた時とは随分と違うが、彼女こそ正真正銘の準・現界把握の能力者である。
「・・・・・・あんたが御籤か。全く、人騒がせな奴だ」
「そう言われても、別にわざとってわけじゃあないんだし、勘弁してほしいなぁ。
私だって知らないことくらいあるんだよ」
「どうだか。その言葉が本心なのかだって私には分からんね」
皮肉を返した鮮香に一四三は肩を竦めた。
「ホントよ。魔術の存在、それを知れたのは大きいわ。新たな見地が開けたんだから」
「新たな見地?」
「・・・・・・・・・・・・例えば、葉月の出生とかですよ」
二人とは違うもう一人の声に鮮香が振り向くと、釧がゆっくりと上半身を起こしそうとしているところだった。
「気がついたのか・・・・・・あんま無理すんなよ?
で、葉月の出生?」
「神様創り、確かにそれが万可の目標には違いないんでしょうけど、じゃあその動機は?って考えると違和感があるんです。
神様に希うのが目的にしては、連中は葉月をずっと実験体扱いしていたし、何かしらの最終目的を持っていてそのために葉月を利用しようとしているのなら、万能である必要はない。要するに兎傘さんや御籤さんのようにその分野にだけ特化していればいいんですから。
何で神様、何で万能でなければならないのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今までや判断しかねていたわけですけど、魔術的な観点を手に入れた今なら別の推測が立てられる」
「なるほど」
手を打って納得したことを示す鮮香。
「ま、実際どうだか分かりませんけどね」
そう言って、釧路はそんな彼女から一四三に視線を移した。
「それで、御籤さんにお聞きしたいんですが」
「なんでしょう」
「葉月は今、どこにいるんですか?」
釧の質問にその答えを知っているだろう全知の少女は笑みを顔に張り付けたまま、答えようとはしなかった。
「・・・・・・・・・・・・例の神戸壊滅以来、織神葉月が幾分か丸くなったなんていう連中もいる」
代わりに彼女はそんな風に切り出した。
「君のおかげで彼女の価値観は大きく変化しただとか、君がいる限り彼女が学園に対して思い切った行動を取ることはできないだとか、ね。
けど、私はそんな噂は信じていないんだ。
私はね、釧君」
一息。
彼女は釧を見据えながら、最後に言った。
「私は、あの子が恐くて堪らない」
#
――――フィヨルドの峡谷を一望できるとある場所で。
今までの戦いを傍観していたその人物は、着信を受けてケータイを耳に当てた。
「ああ、亜那か。・・・・・・おー、興味深かった興味深かった。ありがとな教えてくれて。
で、そっちは?・・・・・・・・・・・・・・・・・・ふぅん、警笛は全世界に届いたのは確かなんだな?
それでラグナロクの異変が確認できたのは?・・・・・・・・・・・・デンマーク、アイスランド辺りまでね・・・・・・。北欧神話の文化圏が限界か。
やっぱり伝承されている土地っていうのは深く関わってるのな。
かなり参考になったよ。おかげでもう少しレベルアップできそうだ。
そうだ、あとは魔術!あれについてもうちょっと知りたいんだよ。
俺の能力ってどう考えてもそっち系だろ?
なぁ、コネとかないの?行ってみたいんだよ、九つ子機関に」




