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第76話- 現界把握。-Heimdall-

 秩序の神族と混沌の巨人との世界最終戦争であるラグナロク。

 その詳細は知らなくても、単語の意味を知らない人はそういないだろう。

 戦いの始まりを告げるギャラルホルンにしてもその名前も用途もかなり知名度が高いし、ルーン文字も然り、ゲームを多少なりとも嗜む世代なら一度は聞いたことのある神話の登場物というものは数多い。

 北欧神話で例を挙げれば、まずはヴァルキリーもしくはワルキューレと呼ばれる戦乙女がそれだ。

 戦場での勝敗を決め、死せる勇者達(エインヘリャル)をオーディンの宮殿ヴァルハラに迎えるというその役割はよく知られている。

 あるいはレーヴァテインを筆頭にした数多くの武器も神話の花形と言えるだろう。

 オーディンの持つ槍グングニルや雷神トールの最強の槌ミョルニルは決して的を外さず再び手中に戻ってくる武器であり、これらの武器はファンタジーモノのゲームや小説ではよく登場する。

 武器と言えば北欧神話ではリジルという剣も存在するのだが、これは心臓を切り取るのに使われたと言う。

 これを知って僕はあの心臓殺しのロシア娘が思い浮かんだが、彼女は普通の超能力者の可能性が高い。彼女とはそれなりに言葉を交わし、能力という言葉も使ったが、向こうはその言葉に違和感を覚えた様子はなかった。

 何よりロシアには昔カエルの心臓を潰せたSPS薬とは別系統の超能力者が存在していたという話もある。

 さて、ずれた話を戻すが、神話の登場物というのはこのように多くの人々に知られている部分も多い。

 だが、よほど興味のない限り詳細を調べようとは思わないだろうし、神話の原典にしても複数あったりその内容が矛盾しているものも少なくなく、往々にして分かり辛いものだ。

 そういったことを踏まえ、僕なりに北欧神話について整理してみた。

 まず、北欧神話ではこの世には9つの世界があると考えられている。

 アース神族の世界である『アースガルズ』、ヴァン神族の世界である『ヴァナヘイム』、死を免れぬ人の世界『ミズガルズ』、灼熱の世界『ムスペルヘイム』に氷の世界『ニヴルヘイム』、エルフの住まう『アルフヘイム』に黒きエルフの『スヴァルトアルフヘイム』、ドワーフの世界である『ニダヴェリール』、そして巨人達の『ヨトゥンヘイム』。

 これらの世界は世界樹ユグドラシルによって繋がれ、特にアースガルズと人の地ミズガルズとの間には虹の橋ビフレストが架かっているという。

 これらの世界・住人は相互に影響し合い、要するにこうした世界に住む神や巨人やその他の種族達が織り成す物語が神話となるのだが、そういった過程は飛ばして終局にまで話を進めると、さっき出てきた虹の橋ビフレストを眠りを必要としない千里眼と地獄耳を持つヘイムダルが監視していて、来るラグナロクには巨人達がアースガルズへと攻め入るのに橋を使う際に、彼がその侵攻を知らせるためにギャラルホルンと名づけられた警笛を鳴らすらしい。

 つまり、ラグナロクは門番ヘイムダルの笛の音によって開戦する最終戦争であり、この時点では今回散々追いかけ続けたレッドマーキュリー『レーヴァテイン』は無関係といって差し支えない。

 炎の剣が登場するのは戦争の最後。世界樹がその火によって焼き尽くされ、世界が海へと没するというくだりでだ。

 これらの話はオーディンが死んだ巫女を呼び出し、未来の運命について聞き出すという形で語られる『巫女の予言』という『古エッダ』の一節などに書かれている。

 初めから死が運命付けられた神々の神話というのが北欧神話の特性らしいが、それはともかくーーーーレーヴァテインを欲していたからと言って連中の狙いを世界滅亡とするのは些か早計だろう。

 確かに北欧神話において世界は一度滅びるが、その後神話には新たな世界が誕生するとも書かれている。

 神話に詳しくない身で判断するのは危険であるし、目的が分からずとも相手の計画を妨害できるだけの情報はとりあえず手に入れた。

 勝利条件が見えれば自ずと作戦も決まってくる。

 今までレッドマーキュリーばかりを追いかけきたわけだが、例え次の小競り合いで彼女を奪えたとしても護送中に襲撃されるだろう。

 ならば、争奪戦より殲滅戦を。

 妨害されずに無事帰国するためにもヒット&アウェーではなくインファイトが好ましい。相手を完全に脱落させるのだ。つまり、

「タイミングを見計らって一気に叩きます」

 ということで、僕はその結論を電話越しで兎傘さんに伝えた。

 ノルウェー王国の都市オスロ。厳しい気候の中にあり『虎の都市』とも渾名されたその街に着き、すぐさま食事を取ることにしたのだが、その席で僕は彼女に電話している真っ最中なのである。

 九つ子機関で聞いたことを伝え、北欧神話について調べ推測したところを述べ、それから今後の指針についてはさっき言った通りだ。

「連中がもし峡湾(フィヨルド)を目指しているとするなら足は間違いなく船です。

 水上なら兎傘さんの能力も被害が広がりにくいですし、逃げ場もない。襲うならそこでしょう」

『なぁ、それ世界遺産だって知ってて言ってる?そんな場所で全力だせるか』

「大丈夫。そもそもフィヨルドは氷河の侵食によってできた入り江ですよ?

 そんな大自然の彫刻品から学べることはただ1つです」

『何だ?』

「形あるものいつか滅びる。侵食で削られようが兎傘さんの能力で木っ端微塵になろうが大差ないので問題ありません」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

「で、問題なのはーー」

『待て待て待て!今ので私が納得したみたいに話を進めるな!』

「知りませんよ。そんなに気になるなら手加減しながら圧勝してください」

 彼女は大した怪我もしていないからいいだろうけれど、こっちは結構な大怪我をしてる身なのだ。今更手加減もなどする気はない。

「それで問題なのがヘイムダル。

 連中にとってのソレが何なのか分からないことには先回りはできませんし、かといって特定できるまで様子を見るわけにもいかない。

 こちらとしては連中が事を起こす前に蹴りを着けるしかないわけです」

『・・・・・・まぁ船に乗ってるんだとすれば殲滅自体は難しくないだろうよ。

 考えなくちゃならないのはどうやってレッドマーキュリーだけを避けて攻撃するかだな』

「ラリーサを先に奪還して攻撃ってのが一番分かりやすいですが、連中を船ごと沈めるようと思うなら採れませんね」

『というか、一網打尽にするかしないかで労力がまるで違うだろ。船ごとってのは前提だ。

 考えなくちゃならないのはレッドマーキュリーを攻撃しつつ回収する方法、あるいは攻撃の範囲から除外する方法ってところか。

 んー、別に気にせず攻撃しっちゃっていいんじゃねぇか?レッドマーキュリーの実力だったら自力で生き残れるだろ』

「そりゃ、意識があればそうですが。その有無を確認する方法がないでしょう?

 まー、絶対生け捕りしなきゃいけないってわけでもないんでそれでもいいんですが」

『進んで採る必要もないか。とりあえず第一撃を入れてみるのは?

 意識が戻るか、連中が連れ出そうするか、どっちにしても生存確率は上がるんじゃないか?』

「完全に不意を突けなくなるのがデメリットですね。何人か船から逃がすことになりますよ」

『どの道向こうの戦力は不明だし、こっちの攻撃がちゃんと通るのかも怪しいだろ。

 ヘイムダル、それに相当する人物も向こうには用意があるんだろうしな』

「・・・・・・・・・・・・ホント、厄介なことになりましたよねぇ。早く日本に帰りたい」

『私もだ。さっぱりした日本食が食べたい。・・・・・・この監視だっていつまでもバレないとは限らない、早く来いよ』

 こうして作戦のあらましについて話はするものの、僕にしても兎傘さんにしても基本的に単独行動タイプの人間だ。作戦の詳細を詰めることなく通話は終わった。

 一応、2人で襲撃する予定ではあるものの、監視がバレれば彼女は1人で行動に移すだろう。

 僕も状況に応じて臨機応変に対応するつもりであるし、できるだけ急いで彼女と合流を図ろうとは思っているが、その前にやっておきたいこともある。

 魔術。思いがけず得たこの概念と超能力との関係性について、どうしても真偽を確かめたい仮説があるのだ。


                     #


 ・・・・・・超能力の原理は未だよく分かっていない。

 脳の普段使われていない部位が活性化したためだとか、あるいは薬で無理やり書き加えられた能力だとか色々な根拠のない説は溢れているものの、本当のところはどうなのか、それを専門に扱う学園都市ですらその原理に明確な答えを用意できる人間はいないままだ。

 ソフィ女史が造ったSPS薬を飲み、ある種の訓練を積めば発現するーーーーとこの世界では認識されているが、考えてみればそんな得体も知れないモノを人体に使った超能力開発がよくこうも大っぴらに行われているものである。

 そもそもソフィ女史に纏わる多くの逸話はどれもこれも胡散臭い。

 特に死亡時における怪奇現象染みた事件に関しては不可解な点が多く、オカルトマニアにあれやこれやと突拍子もない推理をでっち上げられてきたわけだが、そこに本当に魔術(オカルト)が関わっていた可能性があるとすれば、真実に近かったのはむしろ彼らかもしれなかった。

 万可統一機構、その目的の1つが葉月のような存在を創ることだったのは紛れもない事実だ。

 葉月が誰かのクローンであるとクルナさんは言った。万可に入った今ではそれがおそらく間違いないことも知っている。あの施設には葉月と同じ顔をした子供達が何人も紛れ込んでいた。

 そしてその研究はおそらく万可の設立当初から成されていたのだろうし、当然その前身の機関でも同様だっただろう。

 万可はその日本にあったという前身機関と、内海岱斉の所属していた研究施設とが合併してできた。

 岱斉の研究はクローン技術の先駆け、つまりクローン体の製作だ。

 何のクローンかはいうまでもない。数少ない形骸変容(メタモルフォーゼ)の内2例はイギリスで発現している。

 つまり岱斉は万可の他の連中と組む前から葉月のオリジナル体と言える存在のDNAを所持していたということになるのだ。

 魔術師を姉に持つ岱斉が、である。

 それも仲が悪いといいつつも同じ方向性の研究をしていたというのだから怪しいことこの上ない。

 万可統一機構がごく初期から超能力の歴史に関わっていたことは想像に難くないし、とすれば全ての発端であるソフィ女史に纏わる話にも魔術が絡んでいてもおかしくはないだろう。

 もちろん超能力と魔術が直接関係していたかは定かではないが、今回のレッドマーキュリーのことを考えるとソフィ女史の事件の際に何かしら魔術師の思惑があった可能性は十分あるし、ともすれば今後も彼らのような連中とぶつかることもあり得る話だ。

 何にせよ今まで常識だと思っていた超能力史を疑う必要がある。

 魔術についてもだが、超能力の起源について知らなければならない。

 と、そういう結論に達した僕だったが、まぁできることなど知れている。

 とりあえずソフィ女史の記念研究所を調べようということで、アメリカにいる知人に依頼することにしたのだが・・・・・・、

『ソフィP・S記念研究所てお前、ペンシルバニア州だぞ?

 俺の居るのはハリウッド!カルフォニア州!ペンシルバニアとは大陸の末端同士だ!4500キロはあるんだぞ!』

 話を聞いた隆から返ってきたのはそんなつれない返事だった。

「こっちはユーラシア大陸横断やり遂げて今はノルウェーだよ。同じ国内なだけマシだろ、金は出すんだし」

『・・・・・・お前何やってんの?』

「シベリア鉄道で行くぶらり二人旅。疑惑のレッドマーキュリーを追え!北欧神話に思いを馳せながらのユーラシア大陸横断!」

『あーよく分からんことだけは分かった。

 しっかしソフィ博士の研究所ね。あそこはSPS薬の解析とかをやってるって話を聞いたことがあるぞ?』

「それが事実なのかも含めてちょっと調べてほしい。

 それとアメリカ(そっち)で出ているソフィ氏の資料も集めてくれ。訳本じゃなく原本が読みたい」

『俺の他に誰か居ないのかよ・・・・・・こっちも本業あるし時間がかかる』

「構わない。あと美樹がどこに居るか把握してるか?」

『いや。どうかしたのか?』

「大したことじゃない。形骸変容(メタモルフォーゼ)のきな臭さが増したってだけ。会ったらそう言っといてくれ。

 朝空風々は?」

『知り合いですらねぇよ。名前しかしらない』

「そうか」

 あの人が青森から掻っ攫ったDNA、あれも前にも増して気になる。

 万可が必死に取り戻そうとしているほどのモノという点もだが、何に使うかが問題だ。奪われてからもうだいぶ経つはずだが何の動きもない。

「楚々絽達もあれからどっかに潜ったらしいけど?」

『分からん。俺は全うな会社経営者だからな。今も仕事中だ、そろそろ切るぞ』

「あぁ、じゃあな」

 ・・・・・・さて。

 通話を切ったケータイをバッグに入れた僕は、その代わりにいつも世話になっている能力波の受信機を取り出した。

 念力だと思って今回はまだ1回も使ってなかったけれど、相手が魔術師だと判明したからには大いに役立ってもらおうと思う。

 魔術の波長記録は僕自身のステップアップにも役立つだろう。

 そのためにも一度機器を調節しておきたい。

 超能力と魔術の差異を精密に見極められるようにアンテナ部位も感度の高いものに付け替えなくてはいけないのだが、いかんせん設計から製造まで全て自分で行ったモノなので交換しやすい造りにはなっていない。

 部品交換のために一々ばらさなければならないのでメンテナンス作業はかなり手間になるのだ。

 旅行中の今回は最低限の工具しか用意してなく、慣れない海外で現地調達するというのも苦労したし、揺れる車内、膝の上という悪状況下で作業しにくいことこの上ない。

 本当は兎傘さんとの合流先でやればいいのだろうが何があるか分からない。向こうで休める時間も取れるかどうか・・・・・・。

 移動時間は有効に使いたかった。

 それにどうせもうすぐ目的地であるガイランゲルに着く。

 今度こそ連中との決着が着くことを祈りつつ、ドライバーを手に取った。


                     /


 日本人にとっては馴染みのない言葉であるフィヨルドは、溶けた氷河が作り出した入り江や湾のことを指す言葉である。

 河や川は山の湧き水が流れることでできるが、その水が氷河の水と変わったものと考えれば分かりやすい。

 氷河によって大地が谷のように抉らているため、川の両側が崖に挟まれたような地形になっていて、時にはその側面に滝が見える。

 悠久の時をかけて自然が作り出したフィヨルドの景観は美しく、観光者の多くは遊覧船に乗ってそういった滝や谷の景色を楽しむという。

 さて、連中を追って兎傘鮮香がたどり着いたガイランゲルもそんなフィヨルドで有名な辺りであり、ノルウェーで初の世界自然遺産でもあるそのフィヨルドはガイランゲルフィヨルドと呼ばれている。

 世界最大級の長さと深さを持ち、広がっているのは地学的価値も高い珍しい景色。

 『七姉妹』や『求婚者』といった、お互いフィヨルドを挟んで向かい合った滝もあり、船から見るその風景はさぞ心打たれることだろう。

 だが、鮮香も朽網釧も観光をしにきたわけではないし、今後もおそらく景色に目をやる暇はないだろう。

 敵が船に乗って30分ほど。というのが彼らが決めた襲撃のタイミングであり、午後4時32分である現在連中が一旦停泊していたこのガイランゲルの村を出て動き始める兆しを見せていた。

 近くの宿屋の一室を借りていた兎傘と合流した釧は、到着して腰も下ろさない内にそのことを聞き、休む暇がないことを嘆く一方で連中の活動開始前に間に合ったことに安堵した。

 それからすぐさま自らが大切にしている機器の最終調整に取り掛か過ごして至る現在。

 スナック菓子で軽食を取りながら、結局連中に見つかることのなかった徊視蜘蛛から情報で連中の様子を探っていた結果、連中の動きがついに本格化したことを知ったのである。

 連中所有らしき中型の船が停泊し、確認できただけで10名以上の人間がそれに乗り込んだ。元から乗っている連中を含めると自分達と相手との人数差はさらに広がることだろう。

 レッドマーキュリーを直接見ることは叶わなかったが、船に運ばれたことは間違いない。

 釧らが部屋に散らかした工具やスナック菓子を片付け、軽く準備運動している間に彼らの船はついに港を離れた。

 装っているだけなのか、あるいは盗んできたからなのか、彼らの船はこの辺りで見れる遊覧船と同じ型をしている。

 それを襲おうという釧達としては多少は人目が気になるところではあるが、まぁ仕方あるまい。フィヨルドは入り組んだ地形なので遊覧船が近くにない限り目立たないだろうというのが唯一の救いだった。

 雨でウィッグが駄目になってからは眼鏡地味子スタイルだった釧だが、今は動きやすいラフな格好に変わっている。

 伊達眼鏡も外し、地毛は短いポニーテールに。ジーンズのベルトには例の機械と携帯電話、動くのに邪魔にならない大きさのポーチがつられていた。

 鮮香の方はいつもと大して変わらない格好で、強いて言えばどこで手に入れたのか分からない鉄板を持っていることぐらいしか挙げるところがない。

 大体本人の意気込みからしていつもと変わらずのんきな感じで、釧とは結構な温度差があった。

 なんというか、言うのが実に憚れるのだが・・・・・・要するに彼女は今回の件に関して完全に飽きてしまっているのだ。

「よーしいくぞー」

「気合が抜けるからやめてくださいそんな掛け声。

 ・・・・・・ちょっとはやる気出してくださいよ。

 やっと周囲に部外者の居ないフィールドなんですよ?本気出せるじゃないですか」

「一回世界自然遺産っていうものについてよく考えて見た方がいいんじゃねぇの?

 モスクワで空港熔かした時はすっげぇ怒ったくせに」

「そりゃあ人工物だったからですよ。人目につくでしょうが」

「人工物だから別にいいんじゃん。自然遺産とか不味いだろうが」

 意見の食い違いに二人はしばし視線を交差させて無言の会話を行ったが、すぐに止めて歩き始める。

 その先には連中の船がいなくなった港がある。

 釧達は船を使うわけにもいかないので、鮮香の能力で空中を移動する予定だ。

 彼らが港へと消えていってから数分後、鉄板が何かに強打された高音が響き、鮮香と釧による襲撃開始を告げた。



 ――――魔術師といえど超能力者に対して決して無知というわけではないし、炎や水を操る人間ということならむしろ彼らの方が向き合ってきた年月は長いだろう。

 その長い積み重ねの中で魔術師同士の抗争だってもちろんあったわけだし、そんな歴史の中で経験は蓄積し、超常的な連中を相手取る知恵は次世代に継承されてきた。

 普通の人間ならば迫りくる身の丈ほどの火球に対処できないのは仕方ないにしても、彼らにはそれに対処するだけの知恵と経験がある。

 何より――――変に超能力関係の不祥事が続いて規格外な連中が目立って勘違いしがちだが、超能力者と言えど絶対的な力を持った人物は稀なのだ。

 だから連中『SnE』は、モスクワで釧達に沈められた仲間からの連絡で自分達を追う連中が超能力者だと知っていたが、それほど危険視していなかった。

 これまでいくども交戦したものの、部外者を巻き添えにしてしまう危険があったため釧達は全力を出せていなかったし、釧に関してはその度にかなりの大怪我を負っていたこともあり、彼らの目には2人がそれほど強い能力者に映らなかったのだ。

 ところが。

 ところがである。

 その2人こそが彼らが規格外と呼ぶ類の能力者だったわけであり、そのわずかな判断ミスがもたらした惨状を彼らは今目の前で見ることになっていた。

 船が、自分達の乗る船が沈もうとしている。 

 自然の癒しに満ちていたフィヨルドが煙に汚れ、静かだった船上が怒号に溢れている。

 あり得ないような音がして、脳髄まで揺れるような振動が甲板を伝ってやってくる。

 なんだ、何が起きているのだ。

 船に乗る魔術師の1人が天を仰いだ。

 そこに、赤い火を点滅させながら高速で移動する化け物がいる。

「何だアレは!」

 彼は叫び、傾き始めた船から脱出するために走り出した。

 ・・・・・・ほんの数秒前の出来事だ。

 赤い火の玉がいきなり振ってきた。直径2mほどの球で確かに脅威ではあるものの、船に燃えるものが少なかったこともあって大事にはならなかった。

 敵襲という声を聞き、すぐさま彼らの敬愛する主から『迎え撃て、レーヴァテインを保護せよ』との旨の命令が下った。

 各人、持ち場の役目を果たすべく勇み立ち・・・・・・そう、その瞬間だ。

 赤い熱線が過ぎ去って、船が真っ二つになったのだ。

 全長50m・総トン数650トンはある鉄の塊が、まるでバターのように、ばっさりと。

 一瞬の出来事だったとはいえ、自分達のすぐ近くを通り過ぎていった熱気に身の焼けるような思いがし、なお悪いことに熱線の当たった川の水面が一気に蒸発して視界が遮られた。

 迎撃という任務が思考から抜け落ちたのを誰が責めれよう。呆然としてしまった彼らに向けて次に降ってきたのは見えない圧力だった。超能力者はソレを念力と呼び、魔術師は別の表現でソレを呼称するモノだ。

 船首を含む、ようするに船の前半分はその圧力に耐えかねて水中にその大半を沈め、船に残っていた彼の仲間は巻き添えを食らった。

 その衝撃はすさまじく、振動が水面を介し、船の残り後ろ半分にまで達し、甲板の彼らの足にまで伝わって脳を揺らしたほどだった。

「く、っぉぉおお!」

 傾き始める甲板から飛び降り、冷たい水中に叩きつけられた彼は、水面から顔を出すと同時に悪態を吐いた。

 水が鼻と口に入って気持ち悪い。今すぐにでも魔術を使って陸に逃げたいくらいだったが、それよりも増して気になるのは仲間がレーヴァテインをちゃんと確保できたかということだ。

 全くもって間が悪い。後はラリーサを他の仲間の元へと送り届けさえすればよかったというのに!

 仲間が主の指示通りレーヴァテインを船から運び出せたなら、待っている連中のところに連れて行くまで敵の襲撃から守る役が必要になるだろう。

 元々、そういう役割を割り振られた同僚もいるが、この非常事態で彼らが無事である保障はどこにもない。

 実際、いくら魔術的な通信を介して呼びかけても応答がないのである。

 とにかく、今動ける者が動くしかないのだ。

 水面(・・)に立ち上がると、彼はついさっき自分が飛び降りた沈没中の船に向き直った。

 どこにレーヴァテインがいるのかは分からない。

 だが、何としても探し出さなければならない。

 と、その時だ。

 熱線による切断面が未だ赤く染まっている船の一部が、今度は内側から突如別の熱線が噴出した。

「っ、まずいぞ・・・・・・これはっ!」

 列車でアレ(・・)が暴れた時に見た覚えがあるオレンジ色の光。それを見た瞬間、彼はレーヴァテイン運搬班と連絡がつかない理由を察した。

 やられたのだ。レーヴァテイン、レッドマーキュリー本人に。

 つまり、ラリーサは目を覚まし、そして彼らの支配下から抜け出した。

 列車の時もそうだったが、封印してはいたとしても、その処理とて完全というわけではない。

 本気で暴れられると手がつけられない彼女を封じる最も有効な手は、結局のところ意識を刈っておくことなのだ。

 船の揺れ、もしくは振動によって彼女は目を覚ましてしまったに違いない。

 襲撃者、十中八九例の2人組はソレが狙いだったのか。ともすれば、彼女をねじ伏せるだけの力を持っているのか。

 様々な疑念が頭の中をぐるぐると駆け巡っていく。

 いや、重要なのは再びレーヴァテインをこちらの元に取り戻すことだ。

 彼は頭を振り、もう一度沈みゆく船を見据えた。

 二度目の熱線が噴出し、船だった塊の原型がますます損なわれ、そして――――穿たれた穴からラリーサが姿を現した。

 彼女は長い長い鈍った金色の髪を靡かせ、その顔に浮かぶのは憤怒の表情を浮かべている。

 そもそもあの極寒の監獄から抜け出す手引きをしたのは自分達だというのに、何故そんな感情を向けられなければいけないのか。

 たった一度の協力すら断って逃げ出した彼女を彼は睨み返したが、ラリーサの方は彼など目に入っていないようで、鋭い視線は空に向いていた。

 さっきからずっとゴギィン、と鈍い鐘の音のようなものが鳴っていて、それはどうやら空を飛び回る襲撃者の1人が出しているものらしい。その音がなる度ジグザグと移動していく黒い点を彼女は見据え、そして三度目の熱線を放出した。

 直径1mほどのオレンジの光線が空を飛ぶ相手に向けられたが、かなり高速で動き回る標的をそう簡単に射抜けるものではない。

 攻撃は外れ、代わりに向こうから何かが落とされてきた。

 船に衝突した落下物は彼の見間違いでなければ人の形をしていて、そのポニーテールをした人物は何もなかったかのように雷らしき攻撃でラリーサを攻撃し始める。

 涼しい顔をしているが、少なくても100mはあっただろう高所からの落下に耐えられる時点でこちらもやっはり化け物だと彼の目には映った。現にボロボロになった船の方は衝撃の追い討ちで半分以上が水に沈んでしまっているのだ。人間に耐えられる衝撃ではない。

 ただでさえ狭い上、傾いて足場の悪くなった甲板で10mほどの距離を取って対峙する落下者とラリーサ。

 光と光の応酬が幾度となく続いている様子を観察しながら彼は考える。

 レーヴァテインを取り戻すのなら、できれば横取りという形が好ましいだろう。

 彼自身大した力を持っていないというのもあるが、まだ滞空しているもう1人のことを考えれば不意打ちぐらいしかできそうなことはない。

 意を決し、彼は今度こそ沈没中の船に向かって走り出した。

 水面から鉄くずへと靴底の踏みしめる素材が変わり、地面の角度もほぼ直角になる。が、魔術の補助のおかげで落ちるようなことはない。

 船の外殻を走り上り、甲板にたどり着いた彼は交戦中の2人に見つからない物影に位置取って身を潜めた。

 あとはタイミングだ。

 連中がレーヴァテインの意識を刈って気を抜いた瞬間を狙ってのヒット&アウェイしか方法はない。

 彼の使える魔術は水面散歩を除けば身体能力の補助と重力の影響を低減、それから目くらましにしかならない光のルーンだけなのである。

 主やあるいは頼りになる隊長はなら・・・・・・と思わずにはいられないが、ここでう無茶に飛び出すような真似をするほど彼もおろかではない。

 たった2人の人間が戦っているだけなのにも関わらず、甲板はさっきから立っているのが困難なほど揺れている。

 光線が甲板の諸々に当たれば鉄製であるはずのソレらは容易く熔け出し、川を襲えば水蒸気が間欠泉のように噴出する。

 真正面から相手にしようものなら、その苛烈な攻撃を我が身に向けられることになるのだ。

 固定された系統しか使えない代わりにほとんど前準備の必要がない超能力に対し、様々な系統を任意で選べる代わりに備えが必須なのが魔術である。

 例えあの2人の攻撃を受けられる術式を知っていたところで、準備がなくてはどうにもならない。

 だから、今できる最善の選択は身を潜めること。

 けれど。

 今自分が隠れている船は後どのくらいもつのだろうか。それが彼は心配でならなかった。

 もはや船として機能していない鉄くず。沈むことを意にも介さない連中の攻撃。そして上空にいるもう1人。

 見上げれば、彼は名前を知らないが――――鮮香がなんとか生き延びた彼の仲間と交戦していた。

 その際にあちこちに向けて放たれる発火系超能力者の火の玉が時々船の辺りにまで飛んできている。

 一気に混沌の度合いを深めることになった現状、そして危うくなっていく彼らの作戦を思い彼は呻いた。


 自分達はただ、このクソったれの世界を救いたいだけなのに、と。


                     #


 釧を船へと投下した後、鮮香は4人の魔術師に襲われていた。

 1人は狼の姿をし、1人は炎を使い、残りの2人はガンド撃ちに長けている。

 これがなかなか鬱陶しくて彼女は悪態を吐いた。

「あー面倒くさいなーもぉっ!」

 船はかなり強引な方法で切り裂いたし、釧の念力で無理やり沈めたのだ。

 多くの乗員が水中に没したはずだから、何とか難を逃れた連中も他の仲間を助けることに手一杯だろうと思っていたのだが・・・・・・。

(まさか釧君ではなくこっちにくるとは)

 例え仲間を見捨てるにしてもレッドマーキュリーを守る方にいきそうなものだが、釧の方には妨害らしい妨害もないままこちらばかりが攻撃を受けている。

 一瞬意外に思ったが、彼女はすぐにその理由を悟った。

 連中は彼女の飛行能力を危険視しているのだ。

 おそらく今の連中に怒り狂っているレッドマーキュリーを鎮圧するだけの余裕はないのだろう。釧が倒してくれれば万々歳、後は掠め取ればいいだけと考えているのに違いない。

 それは前にもやられた手だ。彼らがそういったやり方に手馴れているのは分かっている。

 そこで問題になってくるのが鮮香の移動手段だ。

 定位置に留まり続けることが難しい反面、高速移動に関してはかなり優れ、ジグザグと軌道が読みにくいこの浮遊術は、連中にしてみれば掠め取りしにくい相手と言える。

 釧がレッドマーキュリーを下し、すぐさま鮮香が回収して一気に離脱という一連のコンボを決められると追いかけることすら困難だろう。

 そういう意味ではまずは鮮香を倒すことが肝要であり、4人の魔術師の判断は間違いではない。

 釧は殲滅する気まんまんだが、彼女としては確かに釧がラリーサに勝った時点で無理やり回収するのもアリだと思っている。そう考えると彼らは邪魔だ。

 なら、こっちとしても掠め取られる前に潰せばいいのだが、鉄板移動法は敵に当てられにくい一方で、自分も狙いが定めにくいというデメリットがあるのだ。

 さっきから襲ってくる狼やら炎や見えない弾丸をかわしつつ、火球を投げつけてはみるものの当たっていなかった。

 連中が地面に足をつけていれば必中で攻撃できるものを。

「こっのぉ!」

 今も鉄板を太ももとふくらはぎで挟み、両の手で船を切断せしめたあの熱線を繰り出してみたのだが、それはフィヨルドを形成する谷にぶち当っただけだった。

 世界自然遺産がかなり不味い崩壊の仕方をしている気がしてならないが、真面目に連中を相手にしているわけにもいかないのだ。

 釧がレッドマーキュリーを捕縛次第駆けつけられるように向こうの状況を逐一把握しておかなければならないので、目の前の敵に集中できないのである。

 相手もそれが分かっているのか嫌らしい戦い方をしてくる。

 狼の素早さと図体のでかさを利用して視界の邪魔と撹乱をし、見えないガンド撃ちで気を散らし、隙を狙って本命の火炎をあてにくるのだ。

 向こうはおそらく彼女の攻撃を一度でも当たればアウトだろうし、それほど余裕のない中でこの作戦を必死で実行しているのだろう。

 が、鮮香にはいい加減鬱陶しかった。

 作戦変更。

 当てようとするから駄目なのだ。・・・・・・当たらないなら避けさせな(・・・・・)ければいい(・・・・・)

「いい加減に!・・・・・・墜ちろ!」

 その言葉と共に、彼女の周りに火球が次々とする。

 一粒一粒は直径30cmほどの小さな火の玉が集まって、彼女を包む大きな球体を作り出し、溜め時間を置いてから全方位に放散した。

 かなり速く、球とと球の隙間が狭い弾幕に襲われ、魔術師4人は直撃を避けるのに注意を向けざるを得ない。

 だが、鮮香はそんな彼らに同じ攻撃で追い討ちをかけていく。

 弾幕が重ね掛けされ、それが3回目、4回目となるともうとても避けれるものではなくなっていた。

 ローブとルーンのお守りがなければすでに火傷で墜とされている。そのローブももうボロキレ状態になって使い物にならない。

 追い詰められて手堅い作戦を続けるということができなくなった彼らは、もう一か八かの賭けに出るしかなくなった。

 まず初めに仕掛けたのはガンド撃ちの1人。

 遠くからでは弾幕に遮られて攻撃できないため、身を炙る火を無視して一気に接近を図る。

 だが、それこそ鮮香のかっこうの的で、捨て身で近づいてきた男相手に彼女は火炎放射を食らわせた。

 1人目が墜ち、今度は狼に化けた女が空を駆けて牙を向くが、この1人も発破でぶっ飛ばされた鉄板に沈められた。

 鉄板を攻撃に使ったことで乗り物をなくし落下を始める鮮香。

 これを好機と捉えて残り2人が畳み掛ける。

 まずはガンド撃ちが接近と共に弾丸を撃ち込まんと腕を彼女に向けた。ところが、照準を合わせる前に鮮香の姿がいきなりぶれ、彼は背中を強打されて墜落した。

「残念だが、鉄板は靴にも仕込んでてな?」

 蜃気楼による囮からの踵落とし。それも接触の瞬間に発破で威力が増された一撃に、彼は一直線に降下し水柱を作って沈んだ。

 最後の1人がそれに気づいた時には、彼女の目の前に大きな火球が迫っていて、彼女はそれを自らの火で凌ごうとしたが火力負けして炎に包まれた。

 それでも彼女は何とか持ち堪えようとしていたが、鮮香はそんな彼女を速やかに蹴り落とす。川に落ちる際ジュボッという音がした。

 それから、自らもフリーフォールで船の方へと落ちていく。

 鉄板を仕込んだ靴はあくまで非常時、あるいは一気に決める時の切り札であって、移動・運搬用には心もとない。

 鉄板は狼を撃ち落とすのに使ってしまったため、鮮香も後は落ちるしかなかった。 

 まぁ、なくなったなら補充すればいいだけで、このまま船に落ちてその一部を切り取って拝借する算段だ。ついでに釧の援護もできる。

 自分が落ちる位置を調節するためにも下を確認すると、釧とラリーサの姿がまだまだ小さいが確認できた。

 発火、発電、撥水、冷却に念力と多様な攻撃で撹乱しつつ一撃を決める隙を狙っている釧と火力の高さを生かそうとするレッドマーキュリー。

 もしこれ初戦であれば釧に分があったのだろうが、一度彼に念力で意識を落とされているだけあってラリーサは釧を頑なに近づけようとしない。強力な熱線を使うためにはチャージが必要な彼女は連射に攻撃を切り替えていた。

 あまりに強力な力を持つ連中の戦いというのは僅かな戦略や先読みの違いで一瞬で雌雄が決してしまうことの方がほとんどだが、こうなってしまってはもはや忍耐力の勝負になってくる。

 そして、釧は左腕と心臓に重傷を負っている身なのだ。勝負が長引くほど身体に負担がかかる。

 鉄板移動法でここまでくる際にも、かかるGに苦痛を訴えていたことを思い出し、少しまずいかと鮮香は考え直した。

 鉄板は後回しにして、まずはレッドマーキュリーを潰そう。

 釧の発電能力をラリーサが避けた瞬間を狙って、彼女は頭上からのキックを繰り出した。

 だが、風切り音でそれに気づいたラリーサはギリギリでかわし、代わりに甲板を穿った衝撃に船はまたもや酷く揺れて、隠れていた魔術師を驚かせた。

 ただでさえ残り少ない船の命がさらに縮み、ついに甲板にまで浸水し始める。

 靴が水に浸かって、ラリーサはようやく自分の置かれている状況に気がついた。

 彼女に鮮香のような空中移動法はない。船が完全に沈んでしまえば身動きが取れなくなってしまう。

 けれど、その思考が命取りだった。

 自分の真横に穴を開けた鮮香と脱出手段に気を取られていた彼女はもう1人の存在を一瞬忘れてしまっていた。

 気づいた時には念力で無理やり身体を前に飛ばした釧が目前まで迫っていて後頭部に重い一撃を入れられる。

「ぐっ・・・・・・ぅううう!」

 意識を落とすまいと踏ん張るが、穿たれた穴から飛び出してきた鮮香に顎を蹴り上げられてついぞ白目を剥いた。

「よぉし撤退っ!」

 いつの間にかちゃっかり鉄板も拝借していた鮮香の掛け声に、釧はラリーサの腰を抱えて鉄板に乗り込んだ。

 そこを狙って例の魔術師は物影から飛び出したが、ラリーサが釧に対して警戒していたように、一度やられたからには横取りに対して釧達も注意は払っていた。

 フラッシュで目くらましして近づこうとした彼の腹に念力の重い一撃が入り、彼は水浸しの甲板に崩れ落ちる。

 改めて発破をかけて釧達は空へ。ここまで叩きのめしたのだ、戦火としては上々だし後は離脱するだけ――――、

 だが。

 魔術師の執念はそんな2人の思惑を狂わせた。

 飛び立つ瞬間、何とか釧の足を掴んだ魔術師によって、重心が狂った鉄板は上ではなく斜めに飛び出してしまったのだ。

 予期せぬアクシデントにバランスが崩れたことで彼らは空中でバラけ、釧を投げやった魔術師はラリーサを掴むことに成功した。

 腹のダメージから回復できず、そもそも浮遊手段を持たない彼はそのまま落ちていく。

 釧はそれを追って加速しながら降下し、後もう少しというところで腕を伸ばしたが、それをいきなり現れた影に掠め取られた。

 さらに、標的を見失った彼を3m以上ある巨狼がタックルでふっ飛ばし、彼はフィヨルドの側壁に激突した。

 念力でインパクトを耐え、石と埃ににまみれながら釧が自分が突っ込んでできた穴から顔を出すと、空中に今までいなかった連中や動物達の姿が確認できた。

「援軍・・・・・・まさか・・・・・・もう1つ船が?」

 『レーヴァテインは向こうに届く』というのはここノルウェーに届くという意味だと解釈していたのだが、それは間違いだったらしい。

 別に全てが自分に都合よく進んでいくとは思っていなかったとはいえ、ここまでくると今まで積もりに積もっていた鬱積の念が爆発しそうな釧だった。

 だが、不快なことはそれだけに留まらない。

 ラリーサを咥えた狼がフィヨルドを先に進んでいくのを見つけて、彼が飛び出そう飛び出そうとしたタイミングで携帯が鳴った。

 いつもなら、こんな状況下でそんなものは取らないのだが、当然マナーモードになっているケータイで着信音がなるようにわざわざ設定しなおしているのは緊急時における内海岱斉の電話番号のみだ。

 イライラしながら通話ボタンを押すと、彼の現状を知らない鉄面皮男のいつも通りの声が聞こえてきた。

『作戦は中止だ』

 相変わらず前置きのない、しかもあまりに唐突な岱斉の発言。

「あぁ?」

 これがトドメとなって、さすがに怒りの沸点を超えた釧は思わず上司に対して出してはいけない言葉遣いを出してしまった。

 その不機嫌を隠しもしない声に岱斉は若干怯んだ気配をさせたが、それでもすぐに気を取り直して繰り返した。

『作戦は中止だ。お前には急遽別の任務を与える』

「別の・・・・・・?」

『捕縛標的の変更だ。御籤一四三(みくじ ひとよみ)が見つかった』

「――――――――っ」

 その単語を聞いた瞬間、釧は頭がくらくらする感覚に襲われた。

 御籤。ESP系最高級の能力を目指すESP追究研求所の申し子。

 現界、把握。

 ・・・・・・そういえばロンドンを発ってから万可に連絡を入れるのを忘れていたと、彼は今更になってそんなことを思い出した。

 そして、ケータイを握り直してから、電話相手に向かって尋ねた。

「それ、発見地点はどこ?」

『ガイランゲルフィヨルド。ノルウェーだ』

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・今そこにいるよ」


 不味いことに。

 どうやら千里眼と地獄耳のヘイムダルはもう揃っているらしかった。

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