第75話- 過去の中の猫。-De omnibus dubitandum-
たぶん岱斉が一生隠し通したかった秘密が明らかにw
出す気なかったんだけどなー姉。
ちなみにこの設定自体は岱斉が登場した頃からありました。
ロンドン塔は1078年にウィリアム1世が建設を命じた要塞だ。
正式名称は女王陛下の宮殿にして要塞《Her Majesty's Royal Palace and Fortress》。別名はホワイト・タワー。
この世界文化遺産は塔と名の付くものの、実際は複数の役割を果たす英国の重要な建築物であり、それら役目をひっくるめて表現するのは難しい。
監獄や処刑場、造幣所、銀行に動物園まで存在した時代もあり、そのことからこの建物がいかに多岐に渡る用途で使用されていたかが分かるだろう。
現在でも観光地としてだけではなく儀式武装の保管庫などに使われていて、決して歴史的建造物というわけではないのだ。
また、ロンドン塔の面白い習慣としてワタリガラスを飼育しているというものがある。
これは『カラスを失うことが英国滅亡に繋がる』という予言からくるもので、アーサー王が魔法でワタリガラスに変えられたという伝説があることもあって、ワタリガラスを殺すことは忌避されているらしい。が、
「――――ま、我々には関係ない話ですけどね」
僕にロンドン塔について蘊蓄を語ってくれた彼はそう言って振り返った。
その顔には茶目っ気溢れる笑みがあって、少なくても僕が魔術師、魔法使いに抱いていたイメージとはかけ離れている。
・・・・・・ロンドンで姉を訪ねろと言ってきたあの男が相手に一報を入れてくれたおかげか、ロンドンについた空港で彼は待っていた。
出迎えということらしく、彼は僕を例の場所へと案内してくれるという。
そこで、連中を追跡する役と話を聞く役を決めて、兎傘さんが追跡で僕が話を聞くということで空港で分かれたのだ。
さて、そういうわけで同行することになった案内人の彼は、目的地までの道中から着いた今に至るまでイギリスや魔術とも関係深いロンドン塔について教えてくれたのだが、説明しながらもその塔からどんどんと遠ざかっていくのを感じていた僕としては、彼の開き直りとも取れるさっきの発言に「でしょうね」と苦笑いで返す他なかった。
今いる三重録音九法研究の施設はロンドンはロンドンでも中心部からはかなり離れた場所だ。神戸万可同様に町というより山の方に近い。
何で話の内容がロンドン塔なのか。
そう思っていると、心を読まれたのではないかと勘ぐりたくなるタイミングで彼が、
「本当はロンドン塔でやりたかったらしいんですけどね」
と言った。
その言葉にこの建物の外観を思い出す。
煉瓦造りで塔が幾つか見えた外装はロンドン塔にどことなく似ていた。
そのロンドン塔ではなくなった代わりにか、この施設の敷地はかなり広々としていて、建物の外側を一周している廊下を歩きながら眺められる庭にはかなり手の込んだイングリッシュガーデンが見て取れた。
ますます魔法や魔術からイメージが遠ざかる光景だ。
いや、目の保養になるのでじっくり眺めたくはあるのだが・・・・・・と、少しばかり違う方向に飛びかけた意識を戻すと、ちょうど少し前を歩く彼が振り向いたところだった。
「それなのにウツヒの婆様が・・・・・・婆様に会いにきたんですよね?」
「ええ、内海優曇華氏に」
「その彼女が嫌がったんです、『人通りが多すぎる、ここにするなら私は抜ける』って。それで現在の場所に」
そんなわがままを通せる辺り、優曇華氏はよっぽど地位の高い人物らしい。
「優曇華氏は九つ子機関にとって重要な人物みたいですね」
「まぁマスターの1人ですから」
「マスター?・・・・・・監督者?」
「あぁ、クサミさんはこの機関についてはあまりお知りでないんでしたか」
「万可と一番縁遠い訳あり組織だと思っていたので」
「その両者の繋がりが内海姉弟というわけですよ。
九つ子も確かに超能力を扱いはしますけど、それにしたって魔術的観点からの研究ですし。
・・・・・・そうですね、九つ子機関――――三重録音九法研究所について掻い摘んで説明させていただきますと、そもそもこの機関は研究所と銘打ってはいますが、どちらかというと学習施設といった傾向が強いんです」
「魔法学校・・・・・・ってことですか?学園都市のような?」
「えぇ。といっても小学校といよりは研究施設が併設された大学といった感じですけどね。
・・・・・・この機関の目的はご存じですか?」
そう言われ、一応ここにくるまでの間に調べておいた知識を脳内検索する。
さすがに失礼になるのでちゃんと覚えてはきたのだが・・・・・・、
「えーと、確か三重の録音式に基づいて九法を用いて永遠に至る・・・・・・ですよね?」
「その通りです。自己の記憶、他人の記憶、そして世界の記録の三重の記録を成して不老不死の先へ至るという理念、それを達成するために創立時9人のそれぞれ別の得意分野を持つ魔法使いに声がかけられたんです」
「その1人が優曇華氏だったわけですか。だからマスター」
「ええ。この機関には9人のマスターがいて、それぞれの魔術系統を弟子に教えています。
機関としては至り方さえ分かればいいんですから数は多い方がいい。それぞれの魔術師が教わった魔術系統にアレンジを加えいけばいくほど目的は達成しやすくなるわけです。
もちろん魔術師養成もそれはそれで目的の1つではあるんですけどね。
まぁ、あの婆様はほとんどその役目を果たしていませんが」
「果たしていない?」
聞き返すと彼は苦笑いして肩をすくめた。
おそらく彼女に親しい人間なのだろうが、苦労しているようだった。
「弟子をほとんど取らないんですよ。
本当はまずいんですけどね。困ったことに婆様にはわがままを言える実力と事情があって・・・・・・その事情というのがさっき言ったあの姉弟関係ってわけです。
なんでも、元々内海の二人は似たような目的を持ってそれぞれ別のアプローチをしてたようで、婆様は言わずもがな魔術を、弟さんの方は大学でクローン技術の先駆け的な研究をやっていたみたいですね。
その弟さんのところの研究チームを別の組織が吸収して万可統一機構になったとか」
「あぁ、それなら聞いたことが。
でもそうするとずいぶんと深いところで繋がり自体はあったみたいですね」
「といってもその姉弟が仲悪いんで、強い繋がりではないんですよ。
私も万可の人を案内するなんてことは初めてですし」
「僕も初めて聞きましたよ、あの男に姉がいるなんて」
姉がどうかは知らないが、どうせ一癖も二癖もあるに違いない。
彼もその彼女と関わることで苦労していそうだ。少なくても弟の方と関わりっている僕はそうだし。
「ははっ、でしょうね・・・・・・婆様は・・・・・・まぁ、うん・・・・・・・・・・・・あぁ着きましたよ」
そう言って立ち止まったのは一つの大きな扉の前だった。
これまた豪奢な装飾がされていて無駄に威圧感がある。
何でわざわざ扉を飾りたてるのか理解かねるが、こういった無駄さに目を向けられることを精神的に余裕があるというのだろうか。
「それでは私はこれで」
「ええ、案内とお話ありがとうございました」
「では・・・・・・」
と、彼は会釈して、
「くれぐれも貞操にはご注意ください」
最後にそう言い残してそそくさとその場を去っていった。
「・・・・・・・・・・・・え?」
♯
案内人がかなり不安になる言葉を残してくれてからしばらく、躊躇を何とか払いのけた僕は、ノブに伸ばしたまま固まっていた腕に再び力を込めて扉を開いた。
学園都市で変人・奇人・変態には慣れているものの、今回は超能力連中とは手合いが違う。
予想を上回る人物が現れるという可能性もなきしにもあらずなので、やはり緊張してしまう。
特にそれがあの岱斉の姉というのだから懸念はいっそう強かった。
基本的に紙媒体での連絡を好み、無口で、喋ったかと思えば台詞からの情報量は極僅か。
あれは自分ばかりが納得して、他人に理解させようという気がない人間の喋り方で、要するにあの男にはコミュニケーション能力が欠けているのだ。
表情もほとんど変えず、けれど無感情というわけではなく、僕にはことあるごとに地味な嫌がらせをしてきたりもする。
そんな内海岱斉の姉、内海優曇華。
しかも魔術師だという。
まともとは思えない。
その考えは、扉の向こうが視界に入ったことで確信に変わった。
扉を開けた先、そこはまさに異界だった。
一瞬、その現実場慣れした光景に扉を閉めたくなったが何とか堪え、もう一度表現に困る雑然とした部屋の中に視線を戻す。
何とも言葉に表しにくい景色だが、それでも何とか好意的に言い表すなら『紙の森』といった世界が扉の中にはあった。
そう、とにかく紙だらけなのだ。
サイズや形、質もがバラバラな紙片が天井から側壁に至るまで貼り巡らされていて、空気をキンキンに冷やす空調の風を受けてそよそよと葉っぱのように揺れている。
シャンデリアにまでメモ用紙が張られていて、それらが蛍光灯の光をほとんど遮ってしまっているせいで室内は薄暗い。
時折はらはらと剥がれた紙片が舞い落ちてきて、まさに落ち葉といった風だ。
当然床もメモ用紙だらけで一面が覆われていた。
真新しい白色や年代ごとに黄ばみ方をした様々な紙が森に深みを増していて、いっそ幻想的ですらあった。
石造りでかなり広い円形の部屋。その壁を本棚がぐるりと囲んでいて、その枠や本の背表紙にまで紙片が貼られているものだから、納められている書物がどういったものなのかすら分からないし、こんな状態で本を手に取って参照できるのかさえが怪しいものだ。
といより、この膨大なメモをちゃんと覚え書きとして使えているとは思えない。
そんな、整理整頓という概念がすがすがしいほど消え去った部屋の真ん中には書斎机だけが置かれていて、その上に幼女が乗っていた。
・・・・・・・・・・・・幼女が。
「お前が愚弟んとこのガキか。まぁ・・・・・・入れよ」
「・・・・・・お邪魔します」
12歳以下にも見える彼女だが、案内人が呼んでいたように実年齢は婆と呼べる年齢なのだろう。
今更外見と中身が不一致な連中など珍しくもない。
ただ彼女の場合、何というか・・・・・・・・・・・・・・・・・・露出度の高い衣服を身に纏っているため違和感を感じざるを得なかった。
せっかく癖のない艶やかな髪をしているというのに、ポニーテールにしているのが何となく残念だ。
いや、それ以前に格好が残念すぎたが。
メモ用紙を避けて入ることがどう考えても無理だったので、開き直って理解できない文字の書かれた紙片を踏みながら彼女の元へと歩いていく。
机の前までいくと彼女は紙の散らばった床を指した。
そこに座れ、ということらしい。
よく観察してみると、この部屋には書斎机の分を含めて椅子というものが存在していなかった。
このまま座ると目線が合わないので、念力を使って机に座る彼女の高さに合わせて座ることにした。
「念動力か。超能力関連では珍しいらしいが、魔術関連では最もありふれた力だよな。
まぁ、『無いものが在る』というのは魔術基本の1つだし・・・・・・・・・・・・・・・・・・けど・・・・・・ふぅん、やはり魔術のソレとは細部が違うな。
明度・・・・・・いや透度か?不純物の問題というより由来に因るのか?
由来が外か内かの違い、といっていいのかねぇ。それが一番近い感じがするが――――」
ぼんやりとした目で念力が発現している場所を見、口で言うほど大した興味が在るように見えない様子で何やら分析していた彼女は、自分の考察に納得し終えたのか不意に顔を上げ、「さて」と口を開いた。
「あいつから用事があるっていうのは聞いてる。
けど、その内容については聞いてなくてね」
「彼は電話で話さなかったんですか?」
「日時と場所と誰が来るのかだけだ。それだけ言って切りやがった」
岱斉め・・・・・・。幾ら姉弟間とはいえ、やっぱりコミュニケーションが取れてない。
そんな連絡で迎え入れる準備をしてくれたことに驚きだった。
案内人の様子からも、彼女の言い方からも、仲が悪いことを隠す気もにらしいのでずばり訊くことにした。
「仲が悪いって聞きましたけど、本当なんですね・・・・・・」
「いや、別に私はどうとも思ってないんだが」
と、彼女は大げさに両手を広げて見せた。
「あの男、子供の頃に私が強姦したのを未だに根に持ってやがるんだ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・あぁ、なるほど。
岱斉があんな感じになった理由がよく分かった。
何というか、これ以上突っ込むとさらに危険な話が飛び出しそうなので、さっさと本題に入ることにしよう。
「・・・・・・魔術の基本的な理念と、それから今直面している問題についてご意見を伺いたいんです」
「直面してる問題?魔術的なか?」
「ええ。最初は超能力者だと思っていた連中がどうも魔術師らしかったみたいで、連中に関わるにあたって意見を聞いておきたいと思いまして」
そう前置きしてから僕はこれまでの経緯を話し始めた。
そもそもの事の始まりであるロシアの事故について。
北極海エヴァ・リヴ島のレッドマーキュリーについて。
何度も何度も交戦したガンドと見られる魔術師について。
そして、連中の残した北欧神話に見られる二つのキーワードについて。
これまた大して興味が惹かれない顔をしながら話を聞いていた彼女は、僕の説明が一区切りついたところで、
「で、お前はどう考えてるの?」
と訊いてきた。
「そのラグナロクというモノを再現しようとしているのではないかと」
「まーぁ、そうだろうねぇ。
『ラグナロクはもうすぐだ』、そう言っている以上世界の終末の戦争を再現しようとしているのはまず間違いない。
それが最終目的としてか、あるいは過程としてかは知らないがな。
神話を準えることで効果を得んとするのは魔術ではよくあることだ」
何ともなしに彼女はそう言って、部屋と同様メモに埋もれた机上に乗っていたメロンソーダのグラスを手に取った。
ストローから内容物が吸われていっているはずなのだが、ソーダの水位がまるで変わらない。
あれは無限に沸きだしているのだろうか?
それとも残った分が増殖しているのだろうか?
後者だとすると、消費期限やら炭酸が残っているのかやら色々と気になるところだ。
「僕にはどうにもその模倣するという行為がよく分からないんですが。
真似るだけで魔術的な意味合いを持つなら、世の中大変なことになりませんか?」
「真似るだけでねぇ。お前は模倣という物を勘違いしてるんだ。
これは別に魔術に限った話ではないが、真似るという行為は対象の役割や込められた意味を理解して行わなければ効果がない。
形だけを真似ても意味がないんだ。
世の中には十字架のネックレスなんてものがあるが、あれは傍目ロザリオに似ているよな。
けど、ネックレスにロザリオの役割は果たせない。
ロザリオは祈りに使う数珠状の用具を指し、祈りの回数を数珠を手繰って確認する物だ。
輪の部分が数珠状でなければ意味がないし、そもそもロザリオは首にかける物でもないしな」
まぁネックレスなんて元々ファッション用だしそれでいいんだが、と彼女。
「模倣・・・・・・つまり類感魔術は魔術の基礎の基礎、本質を捉えている言ってもいい」
「レプリカは本物の力を幾らか引き継ぐって話は創作物でよく聞きますが・・・・・・ロザリオの話は別として、模倣で『魔術』ってモノが実際起こせるっていうのは少し信じられませんよ」
実際、その魔術と呼ばれるものを目撃はした。
が、むしろ超能力と大差がないことを知ってしまっている分、余計に理解しにくいのだ。
超能力。あれ超能力だって一般人から見れば非現実的なモノには違いないが、その発現に関して多くの謎を残すものの――――SPS薬が超能力の大元になっている。
薬で開発している、言うなればそれが超能力の根拠だ。
だが、魔術に関しては『それが何に因って生じるモノなのか』といった所がイマイチ理解しづらい。
「魔術って結局のところ、何なんですか?」
「ざっくりしすぎて答え難いことこの上ない質問だねぇ。
ふむ・・・・・・魔術とは何だろうか?
怪しげな呪文を唱えて怪しげな現象を起こす術だと思われがちだが、これは大きな間違いだ。
呪文には意味があるし、魔術にもちゃんと仕組みがある。
奇蹟を起こす術とはいえ、ご都合主義的なモノではなく、起こされる現象は法則に則って起こっている。
大ざっぱに言うと、魔術とはこの世界の人智を超えた法則を利用し目的を成し遂げる術を指すんだ。
悪魔を召喚する際の魔法陣は悪魔から自分自身を守るための結界なわけだが、これはそもそも『天使が悪魔に有効』であるという教えに従って魔法陣に天使名を記入するものだろう?
あれだって、喚ぶ悪魔によって天使名も変わるし、かなり厳密なルールがある」
「けれど、天使や悪魔自体空想の産物でしょう。その法則性にしたって人が勝手に決めたもので、悪く言ってしまえばでたらめですよね?
それに厳密に則ったところで意味があるんですか?」
「でたらめ、ね。それがそうでもないぜ?
確かに天使といった存在は宗教の一部に見られる想像物だとされるのが一般的だが、そこにはそれを想像させる"元"というものがやはり存在しているんだよ。
火のないところに煙は立たぬ、創作物にもそのルーツはある。
さっき私は『魔術は人智超えた法則に則る』と言い、悪魔と魔法陣と天使名の例を出したわけだが、ロザリオにしてもこの例にしても宗教が絡んでいる。
このことから宗教と魔術に深い繋がりがあるのが分かると思うが、この関係性は魔術が宗教の副産物的な――――どちらが先に生じたのか、といったものではない。
君の遭遇した連中の行おうとしているモノを含め、確かに宗教や神話を準えて行われる魔術も多い。
が、これは宗教という法則に沿って魔術が組み立てられたというより、宗教と魔術の起源が同じだからだ。
宗教と魔術は超自然的な見えないモノや法則性や関係性から生じた。
つまり奇蹟と呼ばれるような"何か"があり、それを神の御業としたのが宗教で、人の知らない法則が隠れていると考えてそれを利用しようとしたのが魔術といった具合にな。
だから、その法則を宗教を仲介して利用するという魔術があるわけだ。
魔術は解明されていない世界の法則を使う技術であり、逆に論理立てて証明されたものを科学と呼ぶ・・・・・・なんて解釈があるが、ある意味でそれは正しい。
根拠はあるが、それが科学に基づいたモノではないだけというのが表現としては一番近いね」
「模倣が役割を理解していなければ意味がないのと同様に、そういった法則、奇蹟といったモノもちゃんと理解していないと使えないと?
だから一般で出回っているような・・・・・・お呪いやアクセサリーなんかは効果がない?」
「まー、その認識でいいんじゃないか?
お前の知りたいのは魔術は魔術でも模倣についてなんだし」
確かにその通り。
魔術界隈の事情は知らないが、すでに結構話の内容にお腹が一杯だ。全体像となると短い時間で語り切れるものとは思えない。
知りたいことに絞って講釈してもらえる方が有り難い。
その方面に少し興味は沸いたものの、ゆっくりかみ砕いてでないと難しそうだし、今は趣味に走っている状況ではんはないのだ。
頭を切り替えて質問を続ける。
「もほ・・・・・・類感魔術は魔術の本質を示している・・・・・・でしたっけ?」
「ああ。模倣というのは宗教でも魔術でも重要な要素でね。
宗教で言えば同じ形をしたモノを関連づけるという行為がそれに当てはまる。
例えばエジプトのスカラべ。転がす丸い糞を太陽と見立て、『太陽の運行を司っている』としてふんころがしを太陽神ケプリとして神聖視したというのは有名な話だ。
魔術においての模倣は類感魔術。類感魔術は魔術の基礎の基礎、本質を表している。
丑の刻参りの人形は呪う相手のレプリカであり、それに釘を指すことで呪いをかけられるのは、髪を仕込んだ人形と本人とに繋がりがあると考えられているからだ。
スカラべにしても似ているからという理由だけで崇められているわけではなく、似ているから繋がりがあると考えられている故に崇められている。
しかし、何故『似ていると何かしらのバイパスが繋がる』という考えに至ったのか?
単純な結びつけやこじづけに思えるかもしれないが、そこにはもっと深い意味があるんだ。
人形と人、つまりミクロとマクロだが、この双方には相似性が見られる例が多々ある。
原子と電子の関係は太陽系における恒星の関係と相似性が見られるが、形だけでなく、銀河における公転と電子・陽子・中性子の動きを比較すればその動作までが似てることが分かるし、細胞と宇宙の構造が似ているという人もいるな。
形が似たもの同士は動きや働きも似ている。理由は定かではないが、大きささえ違う双方の役割に相似性が見られるという現象は人々に驚きを与えてきた。
実際に物理的な関係性は見られないが、何かしらの繋がりがあると、人はそれと学ばずに経験として知っているんだ。
偶然にしては一致点が多すぎる、とすればそこに見えない何かがあるのではないか――――『見えないモノが在る』というこの感覚が宗教と魔術の根元なのさ。
話は逸れるが、本物とレプリカの関係以外にも、『無関係であるはずのモノが偶然の一致を見せる』という事象そのものにも奇蹟と呼ばれる"何か"が垣間見えることがある。
神様というものを多くの宗教で扱うが、これは何故だろう?
宗教は身も蓋もない言い方をすれば救いの求め先だ。
救いは自分より大きな存在からもたらされるモノであるという発想に行き着くのは自然な流れだろうが、それが超自然的な存在――――神と呼ばれる存在に行き着くのは何故か?
しかもその多くは性質すらが似通っている。どうしてなのか?
それは人はどういった時に神を幻視するのかに由来する。
数学者は数式の整頓された美に神の意識を垣間見る。
物理学者は宇宙の法則に、生物学者も生命誕生が神によるものではないとしながらも、生命進化の試行錯誤の途方もない道のりに偉大さを感じるだろう。
人は自身の理解を超えた、偶然とは思えない奇蹟の存在に直面した時そこに神を垣間見る。
だから神様は居る、というわけだ。
実際それが宗教における神様通りかは別として、この世界にソレを発想させる"何か"は存在しているんだから。
宗教や神話はそう言った"何か"を分かりやすく説明しているにすぎない。
天使や悪魔にしても、その関係性が見えない"何か"の関係性を言い換えているとすれば、完全に虚像とは言えない。
だから、魔術式を組むのに宗教やら神話やらが関係してくるんだがね。
まぁかなり論点がずれたが・・・・・・類感魔術は原始的だがちゃんと手順さえ踏めばちゃんと効果はある魔術だ。
シンプルな分、かなり大ざっぱな効果しか期待できないがな」
「大ざっぱ、ですか。
連中の魔術だと、世界の終わりとやらをどこまで再現できるんですか?」
「さあ?連中がどれくらいの規模で術式を組んでるのか私は知らないし。
けど、連中の言うところのレーヴァテイン、レッドマーキュリーは北極海に浮かぶ研究島から奪われたものなんだろう?
レーヴァテインは北欧神話界のトリックスターである狡知の神ロキにより氷の国ニブルヘイムで鍛えられ、女巨人シンモラによって9つの鍵のかかった箱の中に保管されていると言われる武器だ。
極寒地に9つのセキュリティー、そしてレッドマーキュリーは世界を終わらせるに足る能力を持ったいわば『炎』のシンボルと言える。
剣として扱われることが多いが、元々レーヴァテインはどんな武器だったか表記がない。人型をしていても問題ないというわけだ。
北欧神話における世界終末の日であるラグナロクは、正確には神々の戦いの始まりを意味する。
日本でも有名なバルキリー、つまりワルキューレが戦死した勇士を天上に向かい入れるのはこのラグナロクに備えてだ。
この戦いにおいて主神オーディン他多くの神々は死に、巨人スルトが振るった剣の炎が世界樹に燃え移り世界は滅びる。
この炎の剣をレーヴァテインと同一視する傾向があって、連中の狙いもソレだろう。
だが、ラグナロクはアースガルズの門番であり、千里眼と地獄耳の持ち主であるヘイムダルがギャラルホルンの角笛を吹くことで始まるはずなんだがな。
『ラグナロクはもうすぐだ』・・・・・・レーヴァテインを持っていったところで起こるものじゃないんだが・・・・・・」
「ヘイムダル相当する何かが別にあると?」
「可能性は高い。
連中もロンドンにきたんだよな?
・・・・・・これから北欧にでも向かうつもりなのかねぇ。
おそらくラグナロクにふさわしい場所を目指してるんだろうが、今の情報で推測できるのはそれぐらいだ」
ヘイムダル、ラグナロクにふさわしい場所。
またもや面倒くさそうなキーワードが出てきたことに辟易とした。
けれど、それよりも引っかかっていることがある。
彼女は魔術は『見えないこの世界の法則性』を利用する技術だと言った。
確かにその理論で『科学的な根拠に乏しいミクロとマクロの相似性』を利用して『丑の刻参り』や『レプリカにオリジナルの効力を引き継がせる魔術』が成り立つことを説明はできる。
だが、今話題にあがっているラグナロク・・・・・・世界の終わらせる神々の戦いの始まりは神話そのものだ。
天使や悪魔単体なら、まだそういった関係性にある"何か"があると納得できなくもないが、神話自体となれば話は別と言わざるを得ない。
ラグナロクの場合は世界の終わりを指した言葉だが、神話の多くでは世界の始まりや生命の始まりについても当然言及があるはずだ。
世界の始まり、つまり宇宙の誕生について科学ではビックバンがその始まりだとほとんど解明されているし、生命の誕生も膜で自分と他人の間に境界を引いたその時だと言えるだろう。
要するに、すでに明らかにされているのである。
ミクロ・マクロの関係性と違って科学の手が届いていない領域でもない上、それに関しては間違いであると判明してしまっているわけだ。
天使・悪魔単体を引き合いに出すならともかく、この世の始まりを語る実話としてはすでに破綻している神話を持ち出しても、魔術が発動するわけがない。
彼女の語った理論でもその点は説明できない。
そのことを指摘すると彼女はケラケラと笑った。
「さっきの言い方が悪かったな。
確かに私は明らかになっていない法則性を使うとは言ったし、解明されていない世界の法則を使う魔術、論理立てて証明された科学と二つを比較したが、正確に言えば明らかになっている法則性というのは科学的に証明されたモノと言うより人の経験則から得られるモノと言った方が正しいんだ。
この辺定義がややっこしいんだが・・・・・・例えば私たちは石を打ち合わせることで火を起こせるのを知っているわけだが、これは科学では摩擦やらなんやらで説明されるよな?
けれど別に仕組みが分からなくてもても火が起こせることを人々は知っている。いうなればこれが経験則であり、物理法則に則って説明づけたのが科学だ。
ところでこれは、世界に存在する"何か"の関係性を天使・悪魔で説明づけた、という私の前の説明と似ていると思わないか?
方向性が違うだけで、魔術も科学技術も結局は自分達の理に従って目的を果たそうとするという点では変わりない。
何故なら科学もまた宗教だからだ。
それもまだ若い、可変的な教典を持った宗教で、恩恵の多さと理論的な教えが時代に受けて随分信者を増やしているがな。
どれほど論理や証明主義に基づいて世界法則を説明づけようが、科学が正しいと言い切ることはできない。
『我思う、ゆえに我あり』という言葉があるが、あれは単純に『世界は考える私が中心になっている』『観測する私があるから世界がある』という意味ではない。
デカルトは『これだけは疑いなく真実である』という存在を見つけだすために少しでも疑いのあるものを排除してみようと考えたんだ。
視界から得られる情報は時に人を騙す、当然視覚は排除される。
触覚もまた正しい情報を脳に送るとは限らないし、聴覚もそうだ。
味覚は?痛覚は?
いやそもそも、『私』の身体は本当に存在するのだろうか?
確かに目でみれば身体を視認できるが、その情報は疑う余地のあるものだし、手で触って確認してもこれも「確かだ」とは言えない。
自分の声を耳にしても、それは本当に自分の口から発せられたものなのか・・・・・・?
いやいや口と言うものがちゃんと存在しているのかも定かではない。
私達は観測しているこの世界のほとんどすべてを疑わざるを得ないし、それらが虚偽でないと言い切ることはできないんだ。
けれど、そうやって疑っている自分だけは確かに存在している――――『ゆえに我あり』なのさ。
科学の実験証明の結果がどうであれ、それを観測する私達の目や耳や、もっと言えば記憶というものは正しいとは限らない。
となれば科学もまたでたらめと言わざるを得ないわけだ。
特に世界の始まりなんてものはその中でも不確定な出来事だよ。
言うに及ばず過去というものほど正確さの欠けたものはない。
歴史を紐解けばそのでたらめさなんていくらでも挙げられるだろうし、例え昨日の記憶さえ人によっては定かではないんだからな。
宇宙誕生を137億年前とする推定も、生命誕生を40億年前とする推定も、その根拠は思うほど盤石なものではない。
科学的な宇宙や生命の始まりと神話の話に差異はない。
シュレーディンガーの猫において、哀れな猫は青酸ガスが50%の確率で充満する箱の中に放り込まれる。
猫が生きているか死んでいるかの確率は各々50%だと私達は知っているが、そのどちらかであるかは蓋を開けるまで分からない。
過去の出来事はまさに生きながら死んでいる、確率の重なり合った猫なのさ。
世界の始まりが科学の言うビッグバンによるものなのか、あるいは多種多様な神話が語る通りなのか、その可能性が重なりあっている。
時間の流れは箱の蓋だ。例え1秒でも過去のことになってしまえば、私達はその時起こった事象について確実だと断ずる権利を奪われる。
そして蓋を開けることが不可能である以上――――」
「神話が間違っているとも科学が正しいとも言えない?」
「そういうこと。
思っている以上に世界は定まっていないんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
やはりにわかには信じられない話だが、この考え方は僕にとってかなり重要な意味を持っている気がしてならなかった。
1つ、ずっと気になっていたことがある。葉月についての、万可の接し方についてだ。
それに関して、この話を基にすれば仮説が立てられる。
できればもう少しこの辺りの概念を知っておきたい・・・・・・・・・・・・が、そろそろタイムオーバーだ。
追跡を兎傘さん1人に任せるのは不安すぎるし、そろそろ僕も彼女に行き先を聞いて後を追わなければならない。
キリのいいこの辺りで引き上げるべきなのだろう
。
「お話、ありがとうございました」
礼を言って立ち上がった僕に、彼女は慎ましさを欠片も見せずに頷いた。
「あぁ。感謝しておけよ、私が講義するなんてことは滅多にないんだからな」
曲がりなりにも教育施設でそれはどうかと思う。少なくても胸を張って言うことではない。
もっとも、その胸も大してないが。
もう一度お辞儀をしてから扉まで歩き、それから言うかどうか迷っていたことをやっぱり言うことにした。
「上、着た方がいいですよ。
ショートパンツもどうかと思いますけど、上半身裸はもはやセクハラです」
「ちっ、ちょっとでも発情したら襲ってやったのに」
♯
三重録音九法研究所を出て、ロンドンの空港へと向かう最中に兎傘さんからの連絡が入った。
あのガサツな彼女に敵を追わせているだけに心配だったが、気づかれずに無事オスロという町に着いたらしい。
彼女は尾行中という緊張すべき状況にも関わらずお気楽な声で現状報告をしてくれた。
どうやら発信機用の徊視蜘蛛もまだ生きているようだし、追跡に関して言えばうまく言っている。
これで合流まで何も起こらず、ちゃんと情報をまとめる時間も取れれば言うことなしなのだが、そこまでうまく事が運ぶかは怪しいものだ。
「オスロってノルウェーの?で、オスロからドンボス方面・・・・・・いや、さすがに僕もそこまで地理に詳しくないんですけど。
そこら辺で有名なのって・・・・・・フィヨルド?世界自然遺産?
あー、まぁいいです。ええ、引き続きよろしくお願いします。
こっちは一応話は聞けたんで今からそっちに迎います。
はい。話の続きは落ち着ける状態になったら・・・・・・」
通話を切り、深く息を吐く。
ロシアからイギリスのロンドンときて、今度はノルウェーとは・・・・・・。
ほとんどユーラシア大陸を横断したことになる。
フィヨルド、世界自然遺産。
ノルウェーでフィヨルドといったら、確か滝で有名な――――・・・・・・