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第3話- 定期考査。-the Circumference-

 2次測定及び訓練期間が終了してから、2週間が経った。

 疾風怒濤、神速といった言葉がこれほどまでに似合わない日々はなかったと思う。

 貰った衣服と一緒にたたんでおいた制服をハンガーに掛けようと取り出したら、いつの間にかズボンがスカートにすり替わっていたので、紙袋をいじくれる時間があったカイナを殴った。

 家に帰るとクローゼットに入っていた男物の衣服が全てなくなっていて、代わりに女物の服が増えていたので、アパートの合鍵を持っている唯一の人物であるクシロを殴った。

 メリケンサックが欲しい今日この頃だ。いや、拳を硬化すればいいんだけど。

 校長室の本棚の後ろから不健全極まりないゲームが見つかったり、家庭科の時間に九鈴さんが包丁を柄を握ったまま走って前のめりにこけるという惨事を起こしたり、バイト先にクシロやカイナがからかいにやってきたり・・・・・・とにかくせわしなく日々が過ぎていった。

 充実しているからこそ、時は早く過ぎるという人もいるけれど、どっちかというと僕はやることがある時の方がゆっくりと感じる。

 することもないと日々はまるで味気なく終わってしまうから。

 ああ、嫌なことは長く感じるっていうのもあるかもしれない。

「がー、終わらん!」

 タカが金髪を掻きむしってそんなことを言っている。

 もうすぐ、定期考査なのだ。

 僕及びクシロとタカは、クシロの住居にて勉強会を開いていたりする。

 提案は当然タカ。僕もクシロもテストの度に集中的に勉強をしなければならないほど、日頃怠けてはいない。

 今この空間で勉強らしい勉強をしているのはタカだけだ。

 初めの数日は教科書やノートを見直していたクシロも、今やゲームに没頭しているし、僕は能力訓練に勤しんでいる。

 僕の周りには南京錠が散乱している。どれもこれもロックが掛けられた状態で、どこにも鍵はない。

 付属していた2つずつの鍵は全部捨ててしまった。

 開けれなくなった錠を、指を変化と硬化して解除するというのが今の僕のトレーニングメニューとなっているのだ。

 最初は時間がかかっていたこの作業も今では5秒もあれば十分こなせるようになった。

 かちりと開けてはかちんと閉めるという繰り返し。この単純作業にも飽きてきたから、そろそろ次の方法を考えないといけない。

 形だけの変容には慣れてしまったので、次は少し複雑な組織系を作ってみたいな。

 葉緑体を擬似構成して指で光合成なんてどうだろう?ほぼ無意味なところがポイント。

「あー、が―――っ」

 再び唸り声を上げるタカ。

 今彼がやっているのは歴史の暗記だ。

 考査の範囲を見直すだけでもかなりの時間がかかる。それも、1度も見直していなかった人間には特に。

 範囲内からしか出ないのだから、もっとも点の取りやすい科目なのだけど、やってないからこんな目に合うんだ。

「見直しただけじゃあ意味ないんだよー」

「あと理科と国語も暗記だしさ、ほとんど」

 合理主義万歳な僕ら2人は助けない。

 他人事だし、自業自得だし、人の不幸は見てる分には面白いものだしね。

「「まぁ、がんばれ」」

 ということで、各々自由にくつろいでいる。

 時折タカの質問に答えつつ、時価20億以上という贅沢極まりない空間でのんびりまったりするというのは本当に快適だ。

 僕らの居るのは比較的片付いた小部屋。デスクトップパソコンが2台が並んで構えられ、その背面には本棚がある。中央になぜかちゃぶ台、その上に電気ポットという生活観バリバリで見た目は格好のつかない。

 と言っても他の部屋には、異常に整頓されたデザイン重視な部屋もあるし、パソコン部屋と言われる部屋にはワークステーションやらなんやら、いらないに違いないハイスペックな機器が雑多として置かれていたりする。

 それを使ってビオサイドなどのオンラインゲームをプレイしているらしい。

 ここにあるパソコンではどうも快適に扱えないようで、なら1番スペックのいい1つにしろと言いたいのだけど、僕自身よく借りるのでないと困る。

 快適なネット環境の恩恵は大きいものなのだ。

 『お金が回れば人が踊る』、『明日に向かって二歩後退』、『The Quest for B-ni-K』、『死した屍喰らう者あり』etc,etc......

 ピッキング訓練にも飽きて本棚を探ってみると、こんな題名の書物が倒れたり横にもたれかかったりしながら並んでいた。

 うん。読むのは諦めよう。

 B-ni-Kが何なのかは気になるところなんだけど。

 ・・・・・・暇だ。

 今日はバイトが入っているのだけど、それも午後の遅い時間帯からだ。定期考査で授業が午前で終わるこの期間には空白が多すぎる。

 いっそのことこの期間だけ午後すぐから毎日入れてもらおうか・・・?でも、親父さんは頑固なんだよなぁ・・・。中学生らしく勉学に励めと言うに決まってる。というか、定期考査で時間が余ってるからシフト入れてくださいなんて絶対言えない。

 結局この日は、何をすべきか?ということを考えることだけで終わってしまった。


                     ■


 ――――白布に(くる)まり、天井を見つめる空ろ。


 変化とは、全くもって理不尽を振り回して全てを変えてくれる。

 周りも、内も、意識できる範囲も、意識できない範囲も混ぜこぜに。

 それを望んでみた僕の結果はどうだろうか?


 女として扱うヒトビト。

 女として動くヒトガタ。

 女として経つニチジョウ。

 女として廻るセカイ。


 日常(イママデ)との差異。変化を知る瞬間。

 それは恍惚。悦びの快楽。

 飽くなき日々を送るための因子。

 それは刹那的に生きる僕の趣味。

 日々に散りばめられた宝石をただ鑑賞するという生き方。


 布衣菜誉(ふいな ほまれ)曰くの『終着越境』。

 朝空風々(あさぞら ふふう)曰くの『死後過動』。

 自嘲試作品(プロトタイプ)曰くの『馬鹿野郎の愚か者』。

 万可統一機構(ばんかとういつきこう)曰くの『折り紙の8月』。


 とかく、僕の様を感想する彼らは僕をそう称するけれど。

 まぁ、どうでもイイコト。

 問題は、僕が楽しいかどうか、それに尽きるのだから。

 願わくは、幸せがそのまま終わりまで続きますように。

 ・・・・・・いつ、終わってもいいですから。


 ――――だらりとベッドからはみ出していた腕にかろうじて入っていた力は抜け、指からすり抜ける。


 書類の束が床に散らばった。

 どれもこれもさほど関心の寄せられない物達。

 『性別変化による戸籍変更の告知』。

 性別欄の男女両方に丸が付けられれるという可笑しな戸籍の複写物が同封されていた。

 『証明書類の改竄報告』。

 学生証明証他、性別欄に男性とチェックされた書類全ての変更を告知。

 遠隔写真(・・・・)での写真像の変更も終了済みとのこと。

 無骨で、オブラートに包みもしない非現実的な書類だ。

 ここ数週間でこんなことを完了させれたということは、前の形骸変容(メタモルフォーゼ)の時に同じような作業をしているからだろう。

 最後に、何の変哲もない手紙1つ。

 白で、セロハンで封をしてあるというゲテモノ。

 あて先も差出人の名前もない。

 『この度、お前が形骸変容(メタモルフォーゼ)の能力者として登録されたことを歓喜する。また、不審な行動を取った場合のお前周辺にかかる被害を考えた行動取ることを祈る。』

 逃げるな、抗うな。服従しろ。

 誰が書いたのかなんて分かりきっている。僕に『織神』の苗字を与えた岩男。

 わざわざこんなものを直筆で書いてくるあたり、思っていたよりお人よしな一面があるのかもしれない。 

 そんなことは分かりきっている。

 そもそも、この僕にそんな発想があるわけがないのにね。


 ――――笑い声が漏れた。


                     /


「ぎゃ――――、ぁああぁぁあああっ!」

 タカが叫ぶ。

「「うるさい」」

 間髪いれずに切り捨てる僕ら。

 遂に明日から中学生活初めての記念的な定期考査が始まる。

 初日の割り当ては、理科、歴史、家庭科。

 全て暗記のオンパレードである。

 追い込みに賭けている生徒への悪意としか思えない選択だ。嫌がらせか。

 まぁ、僕には関係ないんだけど、タカがねぇ・・・。

「配膳の配置が覚えられねぇ・・・」

「家庭科は諦めて理科でもやった方がいいと思うが?」

「あるいは理科と歴史を諦めて、副教科オールコンプリート」

 もうこんなやり取りにも慣れてしまった。

 というかタカ、もう諦めろ。現在時刻10時半。僕的にはそろそろ眠い。

 今日は追い込みということで、僕らはクシロの部屋に泊まる算段になっているのだが、タカは今日眠るつもりはないらしい。

 僕としてはそろそろお風呂にでも入ってそのまま寝てしまおうかと考えている。

「良い子はそろそろ寝る時間なんだけどな・・・」

「そうか、葉月。じゃあお前に睡眠時間は存在しねぇ」

「へぇ・・そう。・・・そんなに眠気対策に協力して欲しい?」

 主に激痛と鈍痛とで。

 眠気に打ち勝つために、カッターナイフで手の甲を切りつけた人物の武勇伝を(なぞら)えるのはどうかな。

「ふふん、何だ?コーヒーでも入れてくれるのか?」

 おおぅ。今日のタカは絡むなぁ。

 反撃されたら返さなければいけない。

「別にいいよ?無糖ブラック、ただしニッキでブレンド」

「・・・ニッキ・・・・・・」

「カップの半分も入れれば昏倒するはず」

 地味だなぁ・・・と苦笑いするタカ。

 む。何か馬鹿にされた気がする。

 ニッキって結構苦いんだぞ。たぶん勉強する気も失せると思う。というか気分を害すね。

 僕は大嫌いだ。和菓子に大量に入っているものを知らずに食べて酷い目にあったことがあるから。

 あ、でもニッキなんてここのキッチンにないか。

 クシロも自炊はしてるけど、そもそもニッキを必要とする家庭料理ってなんだろ?

 ・・・・・・どうでもいいか。

 さて、くだらない話をするのも切り上げて、入浴にしよう。

 僕は学生鞄から大き目の巾着袋を取り出して立ち上がった。

 この居住空間にはユニットバスが複数存在する。

 どれも同じ造りなのだけど、それも当然。今更ながら観察してみると、クシロの根城は同フロアの複数の号室を壁を破って無理やり繋げたものだからだ。

 そりゃあ20億超えるわけだ。号室1室で5000万以上・・・だと思うけど、それに改築費が追加されるんだから。

 壁を壊して、繋げて、その上色々と改装もしてるみたいだし。

 だから、この巨大住居空間にはお風呂もトイレもキッチンも複数個存在する。

 その内、いつも使われている洗面所に進みドアを閉めた。

 袋を開けて先に中身を出しておく。

 代えの着替えとしてのジャージと普通のブラジャー、それからドロワーズのショーツ。

 ・・・・・・この点に関して言えば、美樹さんに感謝している。

 まるで着慣れない下着群の中で唯一何とか馴染めそうなのがドロワーズだった。

 足の付け根の違和感がなくって本当に助かった。

 これが1番感触的にまともだと知った日の内に、僕はこのタイプの下着を買い漁る羽目になっている。

 どうしても夜だけはストレスを感じずに安らぎたいものである。

 服を脱いで、僕は風呂場に足をつけた。


                     /


 僕の周りで変わったことの1つ、バイト。

 今で厨房でネギを切ったり、麺を茹でたり、天ぷらの衣を付けたりという仕事をしていたのが一転。接客に変わってしまった。

 笑顔で接客。できないこともないけれど、やり慣れないところがある。

 というか親父さん、それで集客率アップとか思ってませんよね?・・・よね?

 ・・・・・・とにかくバイト代が上がった。

 いやいやいや、そもそも僕を含めて4人しかバイトがいないのに、3人接客に回してどうするんですか。

 他の2人だって料理が真面目にできない人たちなので、交代というわけにもなかなかいかないというのに。

 1人厨房に残されたフリーターな兄貴の忙しさが倍増した気がする。

 つまり、機嫌が悪い。

「生3つ入りまーす」

 居酒屋でもないのに、夜に差し掛かると酒をあおる客が結構来るこの店。

 酔っ払って、店員にからむこともある会社帰りのサラリーマン達。

 色々とよろしくないと、僕は、特に女子になってからバイトの時間帯が短縮させられた。

 その分バイト代を上げてくれたんだろうけど。

 親父さん、子供に甘いのだ。

 で、当然そのしわ寄せはフリーな青年に降りかかる。

 やはり、機嫌が悪い。

 もはややりなれている蕎麦打ちを恐ろしい音を響かせながら、ストレスを麺生地で発散させている。

 そもそも麺打ちや麺切り作業なんてものは、修練に時間がかかって然るべきもので、そこから彼のここでのバイト暦が長いことを物語っているわけで・・・・・・・。

 いっそここで正式に働いたらどうかと。

「機嫌悪そうですね・・・」

 長めの金髪に隠された鋭い目で睨まれた。

 元々目つきが悪いんだけど、不機嫌になると本当に怖い人だ。

 まぁ、悪い人じゃないんだけど。

「ああ?いいと思うかよ、おい」

 分かっているんだけどね・・・?

 黙ってる方が気まずいから。

「あの親父・・・何考えてるんだ?ただでさえ少ない厨房を減らしやがって・・・。

 お前がこなしてた作業分、回せるわけがないのにな」

 真面目にやってただけ、うっぜぇ・・・と彼は言う。

 それは褒め言葉ですかね。いや、嬉しいんですけどね?

「しかもお前が接客に行ってから客が増えやがったし・・・」

「いや、そんな変わるものじゃないでしょ」

 自惚れ以前に、そもそも話題になること自体ないし。

 別にマスコットや看板娘であるわけでない上に、容姿の良し悪しなんて人それぞれじゃないだろうか?

 確かに僕好みではあるのだけど。

 というか、他人に言われるのは照れるんでやめてください。

「そんなわけないでしょう」

 そう答えると、彼はじとっと僕の顔を見て、

「・・・あの角にいる大学生」

 失礼にも客に指を刺した。

「はい・・・?」

「俺の後輩でな、この間俺の様子見だとか言って来てお前を見つけてな。

 『幼さを残した風貌、振る舞いに、熟れ始めた体つきがストラ――――イクッ!!!』とか言って・・・」

「・・・・・・」

少女偏愛者(どうるい)に携帯で撮ったお前の写真を送りまくってたんだが」

 待て。

「・・・そこまで見ててなんで止めてくれなかったんですか?」

「とにかく、その情報が色んな所に飛び交って、興味を持った情欲旺盛な奴らがこの店に集まっていたりするわけだ」

 それは知りたくなかった・・・・・・。

「・・・あの、本気で外1人で歩くのやめた方がいいですかね?」

「絶対止めとけ。俺も釘は刺しといたけどな。

 ・・・・・・で話を戻すが、即効の集客力だろ、お前」

 嫌な具体例を挙げられてしまった。

 心の底から否定したいんだけど、その言葉がない。

「僕って『幼さ残る二次成長真っ只中の少女』に見えるんですかね」

「ある程度体が育ってる分だけ、普通の男の情欲対象にも入るだろうけどな」

「その情欲っていうの止めてください。生々しいです」

「生々しい方がいいだろ。危機感が抱ける」

 まぁ、この通り優しい人なのだ。口は悪いけど他人のことを心配してくれるし。

 ただ、

「先輩、女の子にもてないでしょ」

 ぴたりと止まる彼の肩。

「ほほー、女になって数週間のヤツが女心を語るか、こら」

 あ、何か地雷踏んだっぽい。あれか、図星なのか。

「いえ、すごく真面目に作意なくそうやって気遣ってくれるのは嬉しいんですけど、自分も含めて男は危ねぇ・・・とか言っちゃうタイプでしょ先輩。

 女の子にすごく頼りになる、最高の友人って言われてそれ以上になれないような気がして・・・・・・」

 無言。その後、蕎麦を切っていたその手を止めて、僕の頭を万力締めした。

「イタッ、ちょっ痛い!痛いってばっ!!先輩!」


                     /


 初日の考査が終り、その夜。

 テスト勉強が期末考査準備期間だけだろうと思っていたらしく、今日の朝までに力を出し尽くしたらしいタカは、1日分終えても明日の分の勉強をその日にしなくてはならないという事実に今更ながら気づき沈没していた。

 ちゃぶ台にノートを広げ、それに突っ伏しているタカ。

「暗記科目は今日で終わっちゃったんだから、後は実力だよ。やる量自体は少ないでしょ?」

「葉月、隆の場合はな、覚えれば確実に点の取れる暗記に集中しすぎて、数学や英語なんかの練習が出来てないんだよ」

 日ごろからの学習をやっていないのは例のとおりだろうし。

 もう諦めたらどうだろうか?

「別に点を取る必要もないんじゃないかな?」

「50点以下が1つでもあったら小遣い止められるんだよな」

 バイトで稼げ。ああ、ちょうどうちの蕎麦屋は人手不足だし。もしそうなったら誘おう。

 そしたら、厨房2人が金髪強面の殺伐とした蕎麦屋になるなぁ・・・。

「昨日徹夜しちゃってるから、今日は寝た方いいと思うけどね」

「効率落ちるし、何より本番もたないだろうな」

 しかし、タカは顔を紙面から上げて、再びシャーペンを握った。

「やるなら最後まで・・・」

 やるっていうのは徹夜のことだろうか?

 人は2日寝ずに過ごすと幻覚幻聴に遭うらしいんだけどなぁ。

 実際そんな実験をしようとした人にも驚きを隠せない情報だ。あれって本当なのだろうか。

「あれ、あれだ・・・何か効きそうな栄養ドリンクがあったろ?」

「『こんばんは不死身君』か?あれは止めといた方がいいと思うよ。倒れるのが1日延期になるだけだから」

 そんな物を置いて何をやってるんだ、クシロ。

 その捨て身アイテムの使いどころがいまいち分からないんだけど。

 まぁ、いいか。僕には関係ないし。

「じゃ、僕寝るから」

 基本夜型の2人を置いて僕は寝室に向かう。

 この寝室というのは、ここにおいての僕の寝室だ。

 余り過ぎている部屋の1つにベッドを入れただけのものだけれど、そもそも他人の家に普通そんなものはない。

 頻繁に僕がここに出入りして、その上泊まっていくために用意されたもの。

 うん、依存してるなぁ、僕。

「チクショウめ・・・」

 タカが恨めしそうに、羨ましそうに呟くのを無視して僕は部屋を出た。


                     /


 黒いジャージをぶかぶかと着崩した葉月が、本当に眠そうにしながら部屋を出て行くのを見送って、俺は改めてちゃぶ台に突っ伏している隆の方に向いた。

「で、どうするの、隆は?」

「まだやるぞー、せめてマジで意識が飛びそうになるまでは粘る・・・」

 そんなことを言って、午前3時頃になると逆に眠気がこなくなって結局徹夜になりそうだ。

 眠気って不思議だよなぁ。何である程度時間が過ぎると、一気になくなるんだろう。

 さて、それは置いといて、何で隆はこうなるまで勉強しないのだろうか?

 能力開発の授業や作業がある分、学校本来の勉強まで満ち足りてはできないことは前々からわかっていたことだ。

 ただでさえ、授業内容が進んでない分の範囲を自主学習で終えなければならないのに。

「まぁ、同情できないんだよねぇ・・・」

「冷たいな、おい。・・・・ドリンクくれ、ドリンク」

 だからあれはお勧めできないんだよな。

 寝るの忘れるぐらい脳は活性するんだけど、後になって疲れを思い出す感じで、どっと疲労が来るから。

 長期戦には逆効果だということは、自身の身で実証済みだ。

 まぁ、持って来てやるか。

 これで倒れても知らん。

 俺は座っていた腰掛椅子から立ち上がる。

「あっ、そうそう」

 と、タカがそれを引き止めた。

「ん?」

「葉月のヤツ、まるで変わった様子がねぇよなぁ」

「あー、でも少しは変わってるんじゃないか?・・・微妙に」

 自信はないが。

 いや、取っ掛かりができた気はする。

 一応羞恥心らしきものを覗かせてるところがあるし。まぁ、カイナに訊いた話だが。

「そんないきなり、劇的に変わるものでもないし。きっかけぐらいになれば申し分ないだろ?」

「矢崎も言ってたな・・・。『織神の愛護会を作ろうぜ!』ともほざいてたが」

「ほざいてたな。あれは1度駆逐しないとだめだろう」

 とりあえず葉月に変な知識を植えつけないように。

 あいつは変なところで純心だから。

 でも、葉月の色々のリアクションを楽しむ日常も悪くはない。

 今までではありえないことだし、新鮮味がある。

 もっとも、向こうも同じようなことを考えているのだろうが。

 それに矢崎の提案は悪くはない話だった。

 俺がそれを受け入れるのを確信してて話を持ってきた節はあるが。

 ・・・・・・願わくは、葉月には普通の女の子のように過ごしてほしい。

 別に男子でも構わないし、そこら辺は無関係だ。とにかく、普通であってほしい。

 そのためにも、

「・・・矢崎が葉月に変なことをしたりさせたりしたら、即排除しないとなぁ・・・」

「まぁ、あいつもそこまで悪意はないだろ。蹴られて悶えてたのはどうかと思うけどな」

 だなー、と雑音の少ない部屋の中で声を合わせた。

 この部屋、というより住まい、広いのはいいのだが静か過ぎる。1人で住む所じゃないと最近になって悟った。

 馬鹿をやったなと今更後悔。反省はしていない。

 夏祭りの花火大会を1人占めできるのもいいし。

「あと」

 隆は言葉を続ける。

 その後の言葉は俺の精神を直撃した。

「何の懸念もなく親しいとはいえ、男子と一夜過ごすようなところも直さないとな」

 ・・・・・・。

 心の中で頭を抱えて、しゃがみ込みながら同意する。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だよな」

 本当に、それはどうしよう。


                     /


 定期考査最終日の午後。

 バイトが終わった帰り道、5月と言えども日暮れは早く、寂れた夜道を歩いていた。

 店内での熱した視線は今はなく、アパートはもうすぐ先。

 今日も何もなく終わったと、妙な安心感。

 しかし少し足を速めてアパートの階段に急ぐその先に、人影を認めた。

 襟も袖もフードも、淵々にモフモフと獣毛がついたフェザーのダウンコート。

 ビンテージらしい分厚そうなジーンズ。

 外されたフードから覗くのは、染めたらしい三つ編みの茶髪と左目の白い眼帯。

 この季節にありえない、そんな格好。

 右目は挑戦的な強さがあり、その口は愉快そうに歪んでいる。

 どうしようもない不審物。何が目的なのか掴みかねる。

 僕はその横を何もないように通り抜けようとして、

「おいおいおい、それは酷いんじゃないの?」

 やはりというべきか――――声をかけられた。

 思った以上に高い声。とぼけるような音調。

 仕方なく立ち止まり、どちら様か分からないその不審者に振り向く。

「こんにちは、『馬鹿野郎の愚か者』」

 その少女はそんな言葉を吐いた。

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