第67話- 三番煎じ。-Third Attack-
フロア1と違って、戦闘がなかったために釧の開けた穴以外は無傷の廊下。
迷路状になっていて人の有無を確認しにくい場所とはいえ、暗いフロアには職員どころか警備兵すら見当たらず、人の気配もない。
下から時折振動が伝わってくる以外は静かなもので、まだ表層の、比較的セキュリティーの甘い場所とはいえ、深度5の至極機関の内部とは思えないほどすんなりと、施設は2人の侵入者を通していた。
鈴絽に楚々絽。
漁夫の利を狙う彼女達は、突貫している釧とは180°違った和気藹々とした雰囲気のまま廊下を進んでいた。
「青森万可は18階のフロアと最下層区画からなっていて、これが5段階のセキュリティーに分けられてる。
フロア1から4までがレベル1、いわゆる外向きの顔としてのエリアだ。
中身は普通の施設なのでセキュリティーも甘いが、めぼしいものもない。
ま、当たり前だな。
5から7がレベル2で、研究エリア。ただし研究自体は重要度は低い。もっとヤバい研究はレベル3の8から12のフロアで行われてる。
ただ、レベル2から他の万可同様電波妨害がされていて、機密が漏れ出さないようになっているらしい。
ちなみにレベル1とレベル2の関門も厳しくなってる。これは研究者を外に出さない仕組みだな」
「外から入るも中から出るも監獄ってわけか・・・。
で、我らが囮の釧君は、そういった向こうさんががんばって作った防壁を無視して侵攻中、と」
「そういうこと。万全を期して防壁張ってる分、彼みたいなイレギュラーに連中は弱いところがあるしな。
おそらく今頃はレベル3辺りだろう。
レベル3はさっき言った通り研究施設も兼ねているが・・・・・・、ここから下は俺じゃあ情報が得られなかった。
図面もないから侵入したら確実に迷う。
それから万可の中枢があるのがレベル4、フロア13から15。
美樹ちゃんのいるのはたぶんレベル4のフロアだな。
そして俺らの目的であるクラッキング対象の本体もこのエリアだ。
オペレーションルームがあるのがフロア14だから、これは間違いない」
「ふぅん。でも、地図がないのにどうやって目的地に辿り着くつもりなの姉様?」
「いや、そもそも行かない」
「へ?」
驚いて姉へ振り向く楚々絽。
そんな妹に荷物を預けて身軽な姉は、頭の後ろで組んでいた腕をほどいて、『お手上げ』のポーズ取った。
「だってどう考えても無理だぜ?
学園都市ぶっ潰した葉月ちゃんじゃあるまいし、それ自体がシェルターみたいな地下施設なんてぶっ壊すせやしないだろ。
釧君がいとも簡単に突破してるからイマイチ分かりにくいが、例え強影念力を持っていたって本来は侵入できる場所じゃないんだ。
シャッターでの封じ込めも怖くはあるが、何よりここには純粋に強力な門番がいるらしいからな」
「門番?」
「シャッターを打破できる能力の弱点を突ける超能力者を雇ってるのさ。
転移能力殺しに念力殺し。その内の1人が三大火柱の火の玉だと。
単なる身体強化の俺じゃ手も足も出ないだろうよ」
「そんなに強いんだ、火の玉って?」
「いや、会ったこともないし、どんな能力かも知らないが・・・妹よ、その気になれば日本沈没を成し遂げられる火兎と同列扱いの化け物だぜ?
戦いたくもない。というか戦いにならない。
個人戦で勝てるような相手じゃないからな。
で、それを知っていながらタイマン張ろうってのが釧君だ。
適応能力という特性があってこその力技だな。
あの子の能力も結局は織神や色神の系統だろ?
そういう特殊化した能力じゃないと歯が立たないのがこの施設なんだよ。
で、凡人たる俺達としては今回はそのおこぼれをもらう形になる。
俺達の向かうのはレベル2の最上層部、フロア5さ」
「・・・・・・?でも、万可は無線は使えないんじゃ?
だから内部に入る必要があるって言ったのは姉様だろう?」
「ああ、普通の万可なら、通常時ならな。
けど、ここは地下要塞と名高い青森万可で、今は非常時だ。
釧君がここをこの時期に攻撃してくれたのはまさにグッドタイミングだった。
シャッターがセキュリティーの重要な役割を果たす地下万可は、各フロアのシャッター開閉システムが手動でも使えるようにパネル式で壁に備え付けられてる。
本部との通信装置としても機能するパネルはオペレーションルームのメインシステムとが有線で繋がってるんだ。
通常時なら接続が切られているそれらも、釧君の侵入で現在は稼働中。
今ならレベル1エリアからでもハッキングできる。
まぁ、レベル2まで足を運ぶのは保険だな。
さすがに外向きの顔であるレベル1エリアじゃ、その下のセキュリティーと繋がってない可能性もなくもないし」
「なるほど・・・・・・つまり釧の襲撃は願ったり叶ったりだったんだ」
「じゃなきゃ無難な他の都市の万可を狙ってるっての。
まぁお陰で俺らはずいぶん楽ができるわけだし、それに風々もな。
何を奪いたいのか知らないが、情報目当てのこっちとは違って、あいつの目的はたぶん最下層の金庫にある何かだろ。
何にせよ釧君には頑張ってもらおうじゃないか。
フロア5の壁面パネルまで辿り着く時間を稼げれば万々歳だ」
#
高さを10mほど取った、体育館同等の面積を誇るオープンスペース。
大容量の空気を必要とし、地下施設としてはコストの高すぎる空間は、まさに侵入者の攻撃から身を守るエアクッションとして機能する場所だ。
だが今は、そんな大役を負った立派な部屋も、一部天井が崩れ、ぶら下がっていた照明2つが床に落ちてしまっている。
他の明かりに白く照らされた空間は刺さった刃や折れた刃が散らばっていて、剣山の様にも見える。
その具現からしばらく経っても消えないところからして、その褐色の金属刃は時間経過と共に消滅するタイプものではないらしい。
(これはもう、厄介とか、そういう程度を越えている)
釧は額から流れてきた血を舐め取り床に目をやった。
香大と彼との距離は約30m。
その間には刃が散乱していて、距離を縮めることを阻んでいる。
そして炎色反応は遠距離・広範囲のPKだ。
加えて、彼の念力では防げない斬撃を使えるというのも痛い。
防御法を講じなければならない上に、金属という重たい芯を有した砲撃を、通常のただ火や水を固めただけのPKでは打ち落とせるかも怪しかった。
何にせよ、と釧はまたもや頭上に広がっていく炎の雲から逃れるために走りながら思った。
(足の硬化と強化は必須!)
踏み砕き、あるいは突き刺した刃を蹴散らす。
その度に靴が破け、ストッキングが皮膚ごと裂けていくが気にしてもいられない。
いくら変容の強化が多少使えるとはいえ、彼のソレでは圧力への耐性が精一杯だ。
斬られることに対しては、大した効果を得られないことは承知していた。
せめてジーパンにしておけばと後悔しつつ、降り出した刃の雨をかわしていく。
だが、それは一撃目ほどうまくはいかない。
上を向けば下の刃に足を裂かれ、かといって下を向くわけにもいかず・・・・・・避けても傷を受けてしまう。
それでも踊る様に致命打をかわしていく彼に、香大は直射状に火炎を放射した。
火自体は30m先の釧には当たらなかったが、勢いよく放たれた炎は巨大な銅の鏃となって突き進む。
念力で床の一部を抉り飛ばしてそれを迎撃、なおも踊らせられ続ける彼は叫んだ。
「さっきから銅ばっかり!」
「炎色反応の名から読み取れる通り、金属なら何でも作り出せるわけではないんだよ!」
ガラン、と最後の危険な金属片が床に落ちた瞬間、今度は釧が攻撃に出た。
あらかじめ出せるように用意しておいた発水能力で濃霧を作り、それに乗じて香大に向かって走り出す。
無惨に落ちた刃を砕く音がそれを知らせて、彼は釧が接近を試みているのに感づいた。
「目隠しなんて、そんなコソコソした真似は食らわない」
そう言って、自分の周りにフラフープ状に灯した火の玉を回転させる。
熱と気流で水蒸気を上に押し上げた彼の目に釧の姿が映った。
そのまま、灯した火を遠心力で飛ばそうとしたが、釧の意志で密になった水滴に消火されて、半分ほどが不発となる。
水蒸気が上がり、刃の成り損ないは床に。
それを観察して釧は笑みを作った。
「なるほど、具現前なら消せなくもないのか」
さらに、空気中に散布した水分を使い氷塊を作り、香大の上から降らせる。
発水からの撥水、あるいは冷却能力の流れは釧の好んで使うテンプレートだ。
斬刀水圧といった発水とその操作を一度に行う能力を彼は苦手としている。
この場にくる際に記録した斬刀水圧の劣化物は使用できるが、あれは水圧の強さや軌道をそのまま再生するものなので、一切自分で操作できないという欠点がある。
そんな彼が、操作性に優れた水系能力を使うには工夫が必要であり、この手法はそれに叶っている。
だが、実際その手が敵に通用するかは別の話で、
「言っておくが普通の火も使えるぞ?」
香大は落下してくるテニスボール大の氷を通常の火で焼き払い、走り寄ってくる彼に火で作り出した青紫色の大蛇で反撃に出た。
俊敏な動きで追撃してくる火蛇に、釧は近づけずに進行方向を変更、攻めから逃げに転じる。
追っ手の青い蛇は、その尻尾から身を白銀の金属へと変化させながら伸びてきている。
一際大きく蜷局を巻いて釧の周囲を囲んだ蛇は、一度は金属化したその蜷局に再び炎を纏い、中心の釧に向かって棘状の突起を突き出した。
空中に逃れた釧の目にはそれは車輪の様に映った。
が、そんな芸術的なオブジェを鑑賞している暇などなく、念力で螺旋階段を上がるように空中散歩する彼を新たな火蛇が追ってくる。
着地点に予め念力で足場を作りながら、跳び跳ねて燃え盛る火を避け、舞いながら少しずつ香大の方へと向かう釧。
彼は子供1人が収まるほどの火球を生み出して、地上で涼しげに突っ立ている香大へ放った。
蛇を維持することを優先して、彼はそれを能力で撃ち落とさずに避ける。
床に散らばった銅の刃が火球に弾かれて飛び、一方釧の方では、バネ状に金属化していた蛇の尾は形状を維持できずに床へと落ちていく。
鈍重な音が地下空間を振るわせ、元は灰色の床に銀色を散りばめる。
その白銀が紫の光を反射したかと思えば、今釧を追っている蛇とは別の1匹が現れて追撃を始めた。
空中を移動していく釧を追う2匹の火蛇は、挟み撃ちにしようとして何度もお互いの尾を絡ませながら弧を描き、最終的に釧をその輪の中に閉じこめることに成功。
すでに金属に変わっていっている後尾も含めて再度青紫に燃え上がり、形を変えて金属化した。
それはさっき蜷局でやったのと同様に、内側に棘を突き出すという変形で、今度はさながらDNAの二重らせん構造のモデルの様だった。
だが、それが完全に完成する前に――――つまり釧に突き刺さる前に、彼を中心に吹き荒れた斬物風刃によって金属アートは脆くも崩れ去った。
炎色反応で青紫色を灯す金属はこの常温下では強度を持たないのだ。
砕けた破片が香大の方にも落下してきて、彼は思わずそちらに気を取られる。
その隙に釧は一際大きく跳んで、香大の頭上を陣取ってそのまま自由落下に身を任せた。
「――――ッ!」
顔を上げた香大は上から迫る敵を見て逡巡した。
これでは彼お得意の、上からの攻撃はできない。
火の蛇を使っても落ちてくる金属に自分が晒される。
どうすればいい?
その答えを彼は何とか捻り出した。
(下から突き刺す!)
自らの右手に青緑色の炎を纏わせ、まさに急迫してきた釧を迎え討つ。
上半身から落ちてくる釧には回避行動はまず取れない。
槍と化した銅の刃は確かに彼を抉った。
#
釧にノックアウトされて伸びていた2人の同僚を何とかたたき起こした乃一は、その2人に肩を借りて歩く最中物音を聞いた。
「ん?」
それはほんの小さな音で、両脇の2人には聞こえなかったようだったが、下からくる振動ではなく横方向からの音だったのが気になって、彼は耳を傾ける。
(やっぱり・・・)
自分達の足音に、時々何者かの話し声が混じっている。
左側の女子が彼の様子に気づいて、問いかけるために口を開けたが、彼は手の平を彼女の口の前に出してそれを制した。
それから小声で言う。
「誰かいる」
「・・・・・・マジっすか」
「侵入者は1人じゃなかったと?」
「分からん、仲間なのか別の侵入者なのか・・・・・・。
何にしろヤバいのは、万可は今下にかかりっきりだってことだ。
・・・お前の無線生きてたよな?」
「ああ」
言われて、右の男子はトランシーバーを取り出してみせる。
ヒビが入ってはいるが、まだ使えるだけ幸運と言えるだろう。
残り2人の物は完全に使い物にならなくなっていた。
呼びかけろと言われるまでもなく、冷却能力の彼は通話ボタンを押し、そこで、
「させると思うか?」
突如現れた影に手を蹴り上げられた。
「がっ!?」
持っていた無線は砕かれ、ついでに指の骨も砕かれて、その持ち主から悲鳴が上がる。
彼が崩れ落ちることで、支えの半分を失った乃一の身体は傾いた。
奇襲、と脳が起こっている現象を認識しているのにも関わらず、身体の方が頭についてこない。
そんな一瞬の出来事を、斜めの視界で目の当たりにした乃一は、襲撃者の姿を辛うじて捉えていた。
(くそっ、身体強化能力者だっ!)
人のモノとはかけ離れた俊敏さで接近・攻撃してきた敵を瞬時にそう判断して、さらに後ろから第二撃を繰り出さんとするのを感知、わざと前に転ぶ。
左にいた同僚もそれに巻き込まれて倒れたが、その悲鳴を気にしている余裕はない。
いや、むしろ転んだのは彼女を攻撃から逃がすためだ。
まともに歩けない彼に身体強化者と対抗できる力はない。
自分よりも、動ける仲間のダメージを避けることの方が重要だった。
うつ伏せになった身体を仰向けに回転させ、間髪入れず水弾を放とうとするも、その時にはすでに襲撃者――――鈴絽は目の前まで迫ってきていた。
右手を腰まで引いた構え、突き出される拳。
ーーゴガンッ!
とっさにもう一回転身体を捻って回避したが、ただの突き1つで床を砕いてしまったその威力に背筋が凍る。
(くそったれ!今日の侵入者はどいつもこいつも・・・!)
倒れている彼と立っている彼女とでは、行動に移るまでのタイムラグが違う。
当然床を穿った腕を引いた鈴絽が先手を取り、もう一度彼に腕を振り降ろそうとしたところで、彼を助ける紫電が彼女へと走った。
絶縁性に優れた外套に守られて、ダメージこそ受けなかったものの、暗がりに慣れていた目に光は眩しく、
「ちっ」
生まれた一瞬の隙の間に、倒れていた乃一は同僚達に引っ張られて姿を消していた。
一旦拳を解いた鈴絽は、耳を澄まして連中がどこに逃げたのか、その方向を探ろうとしたが、入り組んだ迷宮では音の反射が複雑化して捉えにくく、詳しく位置を掴むことはできなかった。
それでもその強靱な聴覚は、走り去る足音が2人分であることまでは捉えていて、つまり足の使えない1人を2人が抱えて逃げていることまでを彼女に告げている。
体力はそう持たない。どうやらもう無線は持っていない。
対抗できる力もないことを知っている彼らの取るだろう行動は、簡単に予測できる。
彼女は再び駆け出した。
「壁面パネルだ、あれで下に連絡するしかない。
シャッターも閉じてしまえば時間稼ぎできる!」
同僚の脇に抱えられながら、乃一が口した提案に2人は頷いた。
「ええ、けど、あいつの目から逃げるために入り組んだルートに入っちゃいましたから・・・ここから一番近いパネルでも結構距離が・・・・・・」
「正直、辿り着く前に追いつかれる。だから」
乃一が怪訝な顔をする中、冷却と発電の2人は互いに頷き合って、それから彼を床に転がした。
「お、おい!」
「私らが時間を稼ぎます、這いずるなり転がるなりして早くパネルへ!」
「バカか!俺を捨て置いていけば追いつかれもしない!
足が遅い俺を向かわせてどうする!?」
「・・・どの道、時間稼ぎは必要だ。
立てもしないあんたじゃ時間稼ぎにもならないだろうが!」
「ッ!」
「早く行ってください!時間が惜しい!」
反論すること事態が愚策、2人の思いを踏みにじる行為だと知って、乃一は身体を横に転がし始めた。
端から見てあまりにも滑稽で、無様な格好だけれど、それでも何も成し遂げられないよりはマシだ。
#
――――槍と化した銅の刃は確かに彼を抉った。
実際、その切っ先は釧の左目を2分割にまでは斬り裂いていた。
ところが、槍がさらに血肉を抉る前に、それを構えている香大ごと無色の剛力を受け、右腕に関しては2回転ほどした挙げ句ぷらんと無惨に垂れてしまった。
念力という彼の本来の能力を香大は失念していたのである。
槍は釧の顔の皮膚を引っかいただけで力の入らない手から床へと落下、同じく念力によって膝の関節も痛めた香大も体勢を崩しかけたが、何とか踏み止まった。
それらはすべてコンマ秒内での出来事。
全てがスローに見える世界で、彼は理解していた。
ここで、このまま釧の接近を許してしまえば、自分の負けは確定だ。
今この時に、何としてでも彼を追い払わなければならない。
香大自身を中央として青緑の炎が床に円陣を描いた。
燃え尽きた火はハエトリソウの葉のようにそれぞれ突き出た刃を交差させて彼を守り、同時に釧を攻撃する。
円錐上のオブジェに身を隠した彼を見て、釧は宙で身体をひねり着地地点をずらして床に右足を着けた。
が、次に左足が地面の感触を味わう前に、突進してきた新たな炎蛇を避けるために着けたばかりの右足で床を蹴ることになった。
さらに追ってくる蛇を斬刀水圧で切り刻みはするものの、しつこく迫ってくる蛇の攻撃に少しずつ後退せざるを得ない。
こうなれば基本的に釧は防戦一方となる。
だが、始めから今までこちらの攻撃を受け流されて、決定打を与えられないのも事実だ。
円錐から出た香大は、一気にカタをつけるべく大技を繰り出すことを決めた。
正直、一人の相手に使うよりは多勢戦滅向けの技で、狭い空間で使うものでもない上に、元は人の目を楽しませるために作ったものなのだが、これ以上に彼の能力を体現しているものもない。
意を決した彼は天井に無事な左腕をかざし、巨大な火球を打ち上げた。
球は大きな円形に広がり、赤青黄緑紫などの彩り鮮やかな炎を点らせていく。
やがてその一部が金属化したのだが、それは氷の結晶のような形をしていて、色味にとんだ炎をその間に敷き詰めている様は、まさしくステンドグラスそのものだ。
「へぇ・・・ほんとアートだな、あの能力・・・」
炎色反応。それは検体中の金属類の検出にも用いられる化学分野に馴染み深い現象だが、もう一つ、日本人にとっては文化的に馴染みのあるものだ。
そう、花火である。
色とりどりの火花を散らすあの夏の風物詩こそが、炎色反応を利用した芸術の代名詞と言える。
それを能力で再現したのが彼のいわゆる『必殺技』であり、当然彩られた炎はそれぞれ金属に変わって降り注ぐという性質を持っている。
その中でまず始めに変化したのは一番外側に灯った黄色の炎で、炎色反応に乗っ取ってナトリウムに変化し、強力な光を放った。
視界を白く染めるフラッシュの中、次に金属化した銅が釧を襲う。
ほぼ見えない視界の中、とにかく自分を覆うように斬物風刃を展開して釧はそれを凌いだが、切断された破片までは防ぎ切れずに皮膚を裂かれた。
視界が戻った途端、さらに煌めきながら金属が落ちてくる。
今度はクナイ型をした銀色の金属で、暗赤色の炎からしてルビジウムだろうことが釧にも分かった。
念力で防御できない以上、防御は風刃に頼らなければならない彼は、そこまで得意ではない風系能力でそれらを弾いていくが、今までの金属とは違って、純度の高められた単体のルビジウムは空気中で自然発火を起こし爆発した。
火の粉と金属片が飛び散り、肌を刺す。
ナトリウムにしてもルビジウムにしても、炎色反応を示す金属に多く含まれるそれらアルカリ金属は、化学反応がまんま手榴弾に応用できる点が厄介だ。
しかも金属をそのまま飛び道具や切断系の攻撃にも使えるのだから手に負えない。
この青森万可を攻略するにあたって、シャッターを破るには、高出力系か念力系を保有していることが絶対条件になってくるが、飛来してくる重い金属を弾けないPKや能力波の反射ができないただの念力では、香大にはかなわないだろう。
重要度の高い場所は転移系能力をも遮断する防壁を張られているだろうし、PKを意図的に反射させる念力・反響氾濫の念力能力者はむしろこういった機関に引き取られることの方が多い。
地下施設自体のセキュリティーに彼の能力が加わると、その突破はほとんど不可能だと言える。
釧が多数の能力保持者であるからこそ、こうして凌いでいられるが、現実問題これは不可能作戦と言って過言ではない程度にえげつない防御システムだ。
さらに言えば、これはあくまで『侵入』に関してのみの話であり、お目当ての紙媒体資料や物を盗むとなると、セキュリティーレベル5の保管庫を開けるだけの技術力が求められる。
単独での突破など自分の墓穴を掘りにいくようなものだし、突破の可能性が見えてくる人数を集めようとすると、先に計画が露見してしまう。
改めて自分のやっていることの大胆さを実感しつつ、釧はさらに降ってきた銅の棘と散らして、再び接近を試みる。
左目が見えない今、照準精度は落ちている。今後も弾幕を打ち落とし続けられる保証はない。
棘が止み、ステンドグラスは次の攻撃へ。
ネズミ花火のように回転しながら火花を散らすルビジウムの雨が、視界をチカチカと白く点滅させながら肌を焼き、さらに直径1mはある円盤状の刃が、ギロチンの如く落下し何度かバウンドした後、くるくると変則的な軌道で転がっていく。
直線に進むなどとてもできずに、急停止、一回転、跳び退きと絶えず身体を動かして弾雨を避ていくのだが、履いていた靴はすでに穴だらけで滑り止めとしても役に立たなくなっていた。
それを器用に脱ぎいで放って素足になった彼は、氷柱状の金属の落下位置から身体をズラし、遅れて落ちてきた同形の物々を風刃で散らした。
香大との距離は10m、縮めるのにはかなり骨を降りそうな距離だ。
(何か策がいるな・・・できればもう一度空中に逃げたい、けど)
上に打ち上がったままの花火が消えるまでそうするわけにもいかなかった。
高い位置に行けば行くほど、弾幕が自分の所へ到達する速度は早くなる。
すでに一杯一杯なのに、これ以上自分でステージの難易度を上げて悦ぶ性癖は持っていない。
とはいえ、床に足を着けていくのもかなりキツいものがあった。
靴を脱いだことで足に破片がダイレクトに食い込み、容赦なく皮膚を破っているし、ふくらはぎもかなり深い傷ができて出血している。
血で足が滑る前に何とかしたい。
そう思っていたまさにその時、左足がずるりと床を滑った。
「――――っ!」
けれど、それは血のせいではない。
前に何度も追いかけられた炎蛇の成れの果てが溶けて床に広がっていて――――それで足を滑らしたのだ。
蛇の纏っていた蛇の色は青紫色。炎色反応でその色を呈する金属はセシウム。
融点は28℃、常温付近において液体を取る数少ない金属だ。
(初めから足場を無くすことが目的で乱発して!?)
僅かにできた隙を香大が逃すはずがない。
今まで形を保っていた天井のステンドグラスがバラバラと崩れは始め、幾何学模様をした枠の部分はそれぞれ巨大な撒き菱となって落下していく。
いや、銅でできた、先端の鋭利なテトラポッドとでも表現した方が分かりやすいかもしれない。実際、それほどの大きさをした撒き菱が降ってくるのだ。
落下の衝撃だけでも凄まじく、当たれば串刺しにされるのは免れない。
なお悪いことに足場も悪く、転倒こそしていないものの、バランスの悪い体勢に置かれている釧には回避行動も取りづらかった。
落ちてきた2つが彼の前方を塞ぎ、ガランガランと後ろから転がってきたモノが挟み撃ちに。
動けなくなった所に上から追撃を食らい、彼の姿は見えなくなった。
それでも香大は攻めるのを止めない。
釧のいた場所には鉄の塊ができ、まだ止まらない攻撃にその大きさはさらに増す。
ついには直径5mほどの球状にまで成長したが、時折聞こえる風刃と金属のぶつかり合う音が中にいる人物の生存を告げていた。
「中は鉄の処女状態のはずなんだけどな・・・。
いや、それ以前に耐えられる重圧じゃないってのに・・・・・・」
香大は必殺と自負していた弾幕を最後まで耐えきられたことに僅かな動揺と戦慄を通り越した呆れを感じたが、すぐさまさらなる攻撃のために新たな炎を左腕に纏わせた。
すばしっこい敵の動きをようやく止められたのだ。攻撃の手を休めるわけにはいかない。
投擲を思わせるフォームで力一杯振るった腕の先から、長さ3m、刃の大きさだけでも人の頭部ほどはあるだろう槍が放たれる。
おそらくは釧のいるだろう、球体の中央部めがけて投げられた槍は、巨大撒き菱をケチらしながら球の核を打ち抜いた。
勢いそのままに後へと直進する槍の先、ばらけていく撒き菱の中から釧の姿が現れる。
全身傷だらけになりながらも今までの攻撃を捌き続けた彼は、この槍の刃をも掴むことで止めていた。
後方の壁に激突する直前に刃から手を離した釧は床に着地し、槍はそのまま壁に刺さる。
「でたらめな奴・・・・・・めっ!」
2発目、右腕は使えないのでもう一度左腕での投擲。
せっかく詰めた距離をゼロどころかマイナスにまで離された釧は、それを今度は受け止めようとすらせず、拳を握って構えを取った。
「らぁっ!」
突き。
ただそれだけの、投擲された巨槍に対するには全くふさわしくない行為。
だが、もたらした結果は香大を驚かせるものだった。
拳に当たった瞬間、槍が青緑色の炎に還って消えたのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・どうやったんだい?」
「気合いだよ気合い。この世の全てはそれで説明がつくんだよ」
「嘘付け、君はどう考えても理屈で動くタイプだろうが。
というか、魔女とか言っておいて――――・・・ッ!」
そこまで口にして香大は気がついた。
(相殺、された・・・!?)
強影念力の能力者間において『干渉』という現象が存在する。
それは色が透明であるからこそ、個人差が存在しない念力同士でのみ観察される現象で、お互いの能力波が同調し合うことを利用し、相手の能力にまで『干渉』するというものだ。
だがこれは、あくまで念力に限った話であり、他のPKではあり得ない。
色の付いたPKである発火や発電能力の場合、同じ赤色であろうと黄色であろうと、色味に個人差ができるからである。
同じ発火能力であっても全く同じではない。
だからこそ同調も相殺も本来あるはずのない現象と言えるのだが、今彼が相手にしている人間はそういった常識が通用するタイプではない。
朽網釧が『魔女』と呼ばれる所以、『彩色念力』とやらのそもそもの根元は相手の能力コピーする能力だ。
彼はその方法を『ラジオのチューニング』と表現していたが、能力波の波長を合わせることで能力をコピーするというのであれば、それは相手と同じ能力波を取得することに他ならない。
相殺という現象を引き起こすことは理論的には可能だ。
だとすれば、『彩色念力』の真骨頂はコピー能力ではない。
能力の無力化だ。
そして、その現象が実際起こされたということは、能力をコピーされかけているということである。
(時間をかけすぎた!・・・いや、能力を連発し過ぎたのか!)
あるいはと、もう1つ香大には閃いたことがあった。
釧はここくるまでの間に何度か能力者の攻撃を受けているが、実際戦った香大には釧があれらの攻撃を易々と食らうような反射神経をしていないこと判っていた。
それがもし、わざと攻撃を受けていたとしたら?
その行為がもし、能力波のチューニングに欠かせないモノだとしたら、彼が接敵して目を犠牲にした理由が見えてくる。
(近くで、肌で直接能力を受けることが必要だった?)
それら2つに思い当たって、香大に余裕はなくなった。
能力波を解析されているとするなら、もう時間がない。
完全に複写されてしまえば、彼の攻撃はことごとく無力化されてしまう。
改めて釧へと意識を戻した際、彼がくすりと笑ってみせたのを見て、香大は駆け出した。
遠距離では攻撃を見切られる。接近するしかない。
それに呼応するように釧も走り出し、火球を放ってきた。
香大の作り出した巨大な手裏剣が入れ違いに釧へと向かい、風刃に打ち落とされ床に刺さる。
火球を身を低くして避けた香大の次の一手は、床から銅刃を突き出すという攻撃だったが、釧の速度が急に上がり、金属化して銅が突き出るより早く接近してきた。
自分の身体を念力で押しているらしい。
距離5m。両者がそれぞれ放った刃や金属、炎や水が飛び散る。
それらが見当外れの方向へと逸れ、ついに懐に入り込める距離になったタイミングで、釧の右手が青緑色の炎を灯した。
炎色反応がくる。
それを感じ、対抗して香大も手に能力を具現させた。
今までのモノの投げ合いではない、純粋な一騎打ちだ。
釧がコピー能力に拘っているいるのなら、必ず炎色反応を使うと香大は確信していた。
取得したばかりの能力と使い慣れている能力、どちらが優位かは一目瞭然だ。
香大の方が釧よりも早く手を伸ばし、そして、
その身を空中へと放り出された。
「がっ!?あっ!」
下から上に突き上げられた念力が腹を直撃した痛みに香大が苦しむその下を、釧は何事もなかったようにスライディングする。
宙から床に叩きつけられた頃には完全に気を失った香大に振り返って、彼は肩をすくめた。
「嫌だな、そんな簡単に能力がコピーできるわけないじゃん」
そう言って、腰につけていた機器を手で叩いてみせた。
「言っただろう?能力波を記録して、まんま返せるって。
考えなしに同じ形の、同じ威力の攻撃なんて繰り返すから猿芝居に引っかかるんだ。
それじゃあね火の玉。君の能力は帰ってからゆっくり解析させてもらう」
#
地下通路は、入り組んでいるとはいえ、幅には余裕を持って作られている。
それは人1人が横向きに転がって行っても、まあ、十分なスペースではあるのだが、それとその行為の快適度とは無関係なわけで。
最初の10mを転がり進んだ辺りで、乃一の頭は激しい回転運動に参ってしまっていた。
三半規管がやられたからのか、それとも脳が揺さぶれたせいなのか、意識がぐわんぐわんと円を描いて頭の中を回っているような感覚に、吐き気までする。
パネルに向かっているという、そのことすら忘れそうになり、飛んだ意識を戻すのに時々頭を揺するが、それでさらに頭痛を覚えるという悪循環。
何もかもが回っている中、それでも止めることなくパネルまで辿り着けたのは、彼なりポリシーがあるからだ。
万可がどんな組織であろうと、何をやっていようと、曲がりなりにも雇用された傭兵の立場である自分は全力で仕事を全うする。
もちろん馬鹿な無茶をするつもりはさらさらないが、言われなかったからといって、できることをやらないほど腐ってはいない。
退却しろとは言われたが、迫ってきている別の危機を知らせるぐらいはやってやる。
壁にもたれ掛かり、彼は前と同様パネルを起動させた。
パスを打ち込み、備え付けられていた無線機を引ったくる。
敵の様子も味方がどうなったのかも分からないが、それらを心配している暇もない。
大きく息を吸って、呼びかけようとしたその時、彼は後頭部を掴まれて、壁に顔面を打ちつけられた。
気絶と共に力が抜けて床に臥せた彼の後ろから姿を現したのは、まるで無傷の『大将』鈴絽で、パスが開かれ淡く緑色に光るパネルをのぞき込んで言う。
「おっ、パス外れてるじゃん、ラッキー。
手間が省けるな、もうここからでいいか、クラッキング」
#
フロア7、セキュリティーレベル2最後の床が削り取られ、侵入者はレベル3へ。
その事実がモニターの映像から伝えられ、レベル4のオペレーションルームにいる彼らの動揺は大きくなった。
傍目からみれば終始炎色反応が優勢だったはずの戦闘は、彼らの期待と予想を裏切って釧の勝利となってしまった。
それが意味するところは侵攻の継続だ。
シャッターという受動防御機能も、子飼いの攻性防御機能も突破されて、いよいよ万可には対抗手段がなくなっていた。
一応、まだ通常兵も超兵もいるにはいるが、時間稼ぎが関の山だろう。
決定打になりそうな策はもう1つしか残っていない。
(これが駄目なら・・・・・・諦めるしかないが)
セキュリティーレベル3。
まだ下に2段階のレベルが設定されてはいるものの、それは引き際の目安として青森万可では認識されている。
これより下は――――特に、レベル5のフロア19に相当する最下層の金庫にだけは侵入を許す訳にはいかないからだ。
それを許せば、身内同士での足の引っ張り合いすら罪を問われない万可統一機構内でも、責任を取らされかねない。
金庫としての役割を担っている故の、冷静な判断が今まさに要求されている。
逡巡の後、良二はスタンドマイクを手に取った。
「ガス室責め。ガス麻酔、フロア8のシャッターを閉じると同時に。大型動物適応量注入」
「・・・・・・了解。医療班も用意しますか?」
「ああ」
人間に許される分量よりも多めの麻酔ガスを密室に充満させる。
それこそが彼が取っておいた奥の手だった。
誰もが思いつきそうな手ではあるが、実はこれは言葉にするほど簡単なことではない。
麻酔ガスは分量を間違えれば命に関わる、非常にデリケートな代物だ。
それをマスクで直接吸入させるのではなく、室内に充満させて吸わせるということは、当然本来の分量より多いガスを使うことなるのだが、標的がどれだけの量を吸い込むかは予測するしかないために、捕獲を念頭に入れての作戦場合、かなり使いにくい手段となる。
ならば少な目にすればいいというものではなく、少なすぎては効かない。
相手が普通の人体をしていないというのも、予測を困難にさせていた。
よくモンスターパニックもので、麻酔薬を使うシーンがあるが、打ち込んだにも関わらず倒れない、麻酔がイマイチきいていなく逃げられる、といったシーンはそういう背景があるからだ。
捕獲と麻酔は切っても切れないものだが、同時に最も頭を悩ませる問題でもある。
体重も測らず、本来よりも多めでも大丈夫という粗い見積もりで麻酔ガスを使うということは、言外に生死を問わないと言っているようなものである。
「・・・・・・麻酔準備できました。シャッターも一気に降ろせます」
問題はガスが効く前に穴を開けて逃げられることだが、そのためにできるだけ速攻性のあるものを用意した。
気取られて対処される前にしとめる。
一拍置いて、彼は口を開いた。
「やれ」
だが、
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・?」
合図を受けて、オペレーターがEnterキーを押したにも関わらず、モニターに変化が現れなかった。
キーを連打する音が何度もして、それからモニターが操作していないウィンドウをポップアップし始め・・・・・・、ついに彼らは気づく。
「何者かにクラッキングされてます!」
「どこからだ!制御は!?」
珍しく声を荒げた良二に、オペレーターの1人が答える。
「効きません!・・・完全にこちらからの操作をブロックされてます」
「信じられん、どうやったんだ!ここのセキュリティーはそう易々と破れるものでは・・・!」
「いや、セキュリティーを破るのはソフトを手に入れればなんとか・・・・・・」
「待て、そんなコネを誰が持ってるってんだ!」
「そういう問題じゃないだろう!ここは基本的にスタンドアローンの地下施設だぞ!
どうやってシステムに入ったんだ!」
喧々囂々、オペレーター達同士の声が室内に響く。
ある者は立ち上がり、ある者はキーボードを叩き、各々の行動を取っているが、総じて混乱していた。
「もしかして・・・・・・パネルからか?」
「パネル?上の壁面パネルか?
・・・・・・そうか、今ならここと繋がってはいる・・・!」
そうこうしている内に、モニターは複数あったガス攻撃のコマンドウィンドウを全て閉じて、万可のコンピューターにあった新たなシステムを起動させた。
それは万可データバンクの検索ソフトであり、検索フォームにクラッカーが探りたいであろう単語がいくつも羅列されていく。
『衛星』『ロゴス』『監視』・・・・・・。
検索にかけられる羅列を見て連中は、侵入者が何を知りたいのかを理解した。
検索結果として表示された『第8次非常時における対処マニュアル』というデータがコピーされ始めたことで、それは確信となる。
「室長・・・!システムのコードを物理的に遮断しましょう!」
「だが・・・一度システムを切れば復旧に時間が・・・朽網釧を放置することになるぞ」
「今だってシステムを掌握されることには変わりない!」
その通りだった。
システムを完全に掌握されてしまったことで、もはや釧に対抗することはできなくなってしまった。
それどころか重要度の高い情報まで流出させかねない現状、さらに被害が拡大するおそれすらある。
これら2つに対処する手段はもはや明らかだろう。
釧を諦め、美樹を諦める。
システムを物理的にスタンドアローンにして、クラッカーを遮断する。
痛い決断だが、刻一刻とデータを探られている状況下では、躊躇することすら許されなかった。
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「『第8次非常時における対処マニュアル』?
『第8次非常時』って表現は、万可というより学園都市のマニュアルに多い表現だった気がするけれど・・・」
フロア3、パスの開いたパネル前。
楚々絽の運んだ機器を手際よく繋げ、それと同様に手際よくハッキングとクラッキングを成し遂げた鈴絽は、妹のつぶやきに「ああ」と相槌を打った。
確かに、第何次という表現は万可ではあまり使われない。
万可の場合、セキュリティーの段階にしろ非常事態の程度にしろ、『レベル』という単語を使うことが多い。
些細な差ではあるが、組織においてこういう言い回しに癖ができることは彼女達も知っているし、どこからか得られた情報の出所を探るのに、言い回しを判断材料にすることは実際よくあることだ。
それなりに目の肥えた2人にしてみれば、万可の機密情報に探りを入れて『第8次非常時』という言葉が飛び出してきたのは、大きな違和感だった。
「万可単体ではなく学園都市の機構まで関わってるってことか?
あるいは学園都市が実は万可に付随する機構だったってことか・・・・・・その辺は分からないが、どうも思ってたのより、かなりスケールのでかい情報に手を伸ばしてたみたいだな」
「・・・・・・やっぱりやめとく?」
「まさか、こんなチャンス二度とない。
メモリーいっぱいにデータ詰め込んで、後でゆっくり調べてやるさ」
だよねぇ、と楚々絽は半ば分かっていた返答に苦笑いを返した。
「しかし・・・・・・おかしいな」
「うん?」
「『ロゴス』だよ『ロゴス』。
上がってくるデータに含まれてる『ロゴス』の単語数が少なすぎる。
問題の衛星の名前だぜ?もっと使われていいはずの言葉なのに使われてない。
かといって、別の人工衛星を検索してるってわけでもなさそうだし」
「万可内では『ロゴス』と呼ばれてない?」
「かもな、調べたいが、まぁ、これも後でだ。
それにそろそろ・・・・・・」
その先を鈴絽が口にする前に、彼女が予測していた自体は目の前で起きた。
今まで明るく表示されていた7v型サイズのモニターがブラックアウトしたのだ。
「ま、そりゃコード抜かれるわな、最終的には。
戦闘もほとんでなくて、物足りないが・・・・・・・撤退するぞ妹よ」
#
「やぁやぁやぁ〜」
ここまで侵入した方法と同様に、フロア8にまで念力で穴を開けてやってきた釧は、これまでの階層とは違い明かりの着いた廊下に降り立ったところで、そんな状況にそぐわない声を聞いた。
聞き覚えのある、というか目的であるところの声の主が、廊下を1人で歩いてくることに状況を察して、疲れを身体から追いやるように溜め息を吐く。
「思ってたより少し早かったなぁ。フロア10辺りまでは粘ると思ってたのに」
「何でも第2の侵入者が入ってきたらしいよ?
詳細は知らないけどー、そーいうわけで私はお払い箱・・・というか厄介払い?
うんまぁ何でもいいや、とにかく晴れて解放されちゃったよ釧君」
「ふぅん、まっ、僕も欲しいモノは手には入れたし、・・・・・・それじゃあ帰りますか」
前代未聞の青森万可襲撃を1人で行い、セキュリティーレベル3にまで侵入するという偉業を成し遂げておきながら、釧はあまりにも呆気なく撤退を決めた。
早くも歩きだそうとする彼。
そんな彼に、今回の騒動を引き起こす原因となった細川美樹は、手を差し出した。
怪訝な顔をする釧に美樹はいたずらっぽい笑みを投げかける。
「囚われのお姫様をエスコートしてくださらない?」
「・・・・・・いや、美樹はお姫様っていうより封じられてた化け物の方だろ」
「酷いな酷いな、美樹ちゃん傷ついちゃったなー」
「嘘つけ。
僕は君が囚われるほどか弱いとも思ってないし、そもそも囚われたってのだって実は信じてないんだ」
「えぇ〜、友達を信じないなんてそれこそ酷いぜ、くしろん」
「はっ、考えてみろよ、今回の件で一番得したのはどう考えても美樹、君だろう?」
「心外だなぁ、私は捕まってただけだよ?」
口ではそう言うものの、彼女の顔には不信を悲しむ表情も、拘束された自分を憂う表情も浮かんではいなかった。
にこにこと笑う彼女を一瞥して、釧は踵を返す。
美樹を解放したことからも、万可が釧に早くここを立ち去ってもらいたがっているのは明白だ。エレベーターは使えるだろう。
エレベーターのある方へと歩き出した彼と、それを追う彼女。
一旦途切れた話は、3mほど歩んだところで美樹の方から再開された。
「それに、利益を得たというなら釧君もでしょ?
欲しいものが手には入ったって言ったじゃん」
「そうだな。おかげでうまいこと火柱が1人、火の玉の『炎色反応』のデータを得られたよ。
前々から一度体験したい能力だったし、兎傘先輩の話を聞いて以来欲しいとも思ってたし。
でさ、僕、以前美樹に青森万可にいるらしい火の玉の能力が欲しいとかこぼしたことなかったっけ?」
「そうだっけ?覚えてにゃーねぇ」
「東日本は西日本に超能力研究でリードを許してしまってるってのは能力者なら知ってることだし、だから万可にしたって、君みたいな希少生物がのこのこ行ったりしたら監禁されかねないって忠告もした。
青森万可が地下監獄染みてるって話もだ」
「うん、ごめんね、注意されたのに守らなくて」
「・・・・・・さて、でだ。それらを踏まえて考えてみよう。
あるところに突然不老不死の体を手に入れた少女がいたとして、彼女はまず何をするだろうね?」
「保身を考えるだろうねー。
不老不死なんて人類の夢がもし叶うとしたら、どんな手段を用いても欲しがる人はいるだろうし。
あと、怖い組織もあるしね」
「だろうな。ところがここで、もし彼女に自分の身を守るだけの力がないとしたら?」
「実は彼女の近くには彼女に似た身体を持った人物が数人いたけれど、彼らはみんな見合った力を持っていた。
それがない自分はどうすれば身を守れるか、彼女は考える」
「結果、彼女は自分に箔をつけることにした。
あるいは虎の威を借るとでも表現すればいいのかもしれない。
万可でも、堅固の守りを誇る青森の地下施設から、それを打破しうる能力者が、彼女を助けにやってくるとなれば、易々と手を出す人間はいなくなる。
実際に手を出した青森万可がこっぴどくやられるほど、彼女自身の危険度は高まるという寸法だ。
囚われのお姫様なんて初めからいやしない、いたのは悪い魔女だけだよ」
「ふふふー、そうかもねー。
・・・・・・そういえばさ、釧君に私の夢って言ったことあったっけ?」
「ないんじゃないかな。少なくても覚えてはない」
「そっかー」
とんたんとたん。
美樹はリズムよくステップを踏み、先行していた釧を追い抜いて彼の正面で止まった。
「私の夢はね、この世界の成り行きを観察することなんだ。
釧君は思ったことはない?今私達が生きているこの世界は数百年後どうなっているのか、どう動いていくのか。
学校で触り程度の歴史を紐解いてみてすら、過去と現在には大きな差異がある。
電話なんてなかった時代、まさかこの世にインターネットなんてものが現れるなどとは露ほどにも思わなかったに違いない。
なら、今から数百年後にも、私なんかでは思い及びもしない世界が広がっていることだろうね。
その移ろいを追いたい、たった百年ほどしか生きられない人間には観察できない、マクロな時間の流れを感じたい。
別に傍観者になりたいわけではないけれど、観察できる立場に身を置きたかった。
形骸変容はそれに打ってつけだったわけ。
でも、もちろんそれで被る厄介事は要らないしね」
「はぁ・・・・・・わざとと分かっててここまで迎えにきたんだ。感謝しなよ?」
「うん、ありがと」
その後、他愛もない会話をしながらお騒がせな2人は万可を後にし、そして――――。
#
そして、程なくして、システムの復旧もまだほとんど終わっていない、敗戦処理真っ直中の青森万可に、大音量の警告音が響き渡った。
「まさか・・・まさか3度目だと!」
1度目の侵入に際し多くの床に穴を開けられ、2度目の侵入によってセキュリティーが麻痺し、未だ万全ではない機構にもはや防御機能は望むべくもない。
抵抗のしようないほど素早く3度目の侵入者はセキュリティーレベル5、最下層の金庫室へと侵入し、そしてこの日、万可全体に損失を負わせたとして責任取らされるほど重要なモノが、・・・・・・決して奪われてはならないモノが盗まれた。