第65話- 青森学園。-Hot War-
釧、お前もか。
リンゴの生産高日本一、面積も全国8位と広い土地を持つ青森は日本トップクラスの農業産地として国民に知られている。
他にもニンニクの生産高も日本一だし、菜の花の作付け面積も日本一で、菜の花畑の延々と広がる景色は印象深い。
むつ市にはかの恐山を、南西部には世界遺産の白神山地をと自然に恵まれている一方、核燃料リサイクル施設や国内最大級の風力発電施設といったエネルギー問題に関わった建物をも内包したこの県は、本州最北端であると同時に多くの分野において日本という国を支えている。
その施設の中に特別学園都市も含まれているのだが、リンゴ畑に菜の花畑、田畑に加え多くの山々の広がるこの地で纏まった面積を取るのは難しく、解決策として青森学園都市はそのほとんどを地下に埋め込まれることとなった経緯を持つ。
主要研究所が地下へ施設を拡張していき、学習施設もまたそれに倣い、それぞれを繋ぐ地下通路が発展していった結果、県地の下に巨大な地下街が広がり、やがて1つの都市へ。
それが地下学園都市と呼ばれる青森学園都市の特色であり、厄介なところでもある。
地下という閉鎖空間は地上に中の出来事を漏らしにくく、セキュリティーも組みやすい断然守り側に有利なフィールドになっている。
入り組んでいる上、方向を知る目印は少ない地下は迷いやすい。それだけでも1つの防壁として機能するというのに、進路を塞ぐだけで侵入も防げるし逃げ道も塞げるのだ。侵攻者にとってこれほど不利な状況もない。
非常に隠密性が高い分、各学園都市に支部を持っているような機関においても、重要な資料などが集まる傾向にあるのだが、侵攻にも後退にも高威力の能力が要求されるこの都市は、破壊活動を行うには難易度も高い。
そんな難攻不落の通称『蟻の巣』に挑もうという朽網釧は、現在標的である万可統一機構の地下施設とは離れた宿泊施設にいた。
地下でありながら外の景色を映し出す窓、新鮮な空気を送り出す空調音が静かに鳴る室内・・・・・・。
これらはこの学園都市のホテルとしてはベーシックなモノだが、間取りは限られた地下空間にしては広く取られている。
その点は満足だったのだが、2人部屋としても十分なスペースが取られているにも関わらず、彼は同行人のせいで狭苦しさを感じていた。
入った瞬間ベッドにダイブし、荷解きすればバッグから出てくるのは必要なのかも怪しい機材で、挙げ句どたばたと走り回る。
自分よりもかなり年上のはずなのだが・・・と思いはするも、それなりの期間この老人と関わってきて、考えるだけ無駄ということは理解していた。
そんな落ち着きのない老人は放っておいて、彼も彼で荷解きがてら、この学園都市の地図を何枚もベッドに広げていく。
都市全体を移したモノから、特定の経路だけを抜き出したモノまで。厚さの薄い紙質は重ねて合わせられるようにとの工夫だ。
地形を頭に入れる作業はここにくるまでの飛行機の中でもやったのだが、念には念を入れてもう1度確認しておく。
手始めに現在地を探し出して、それから万可の位置を目で追ってみて、――――思わず溜め息が出た。
「一応、万可機構間での交友学習って名目できてるのに、ゲストである僕らの宿泊場所が当の万可から離れてるって・・・。
これ完全に気取られてるよなぁ」
「そりゃあそうだろう。ほとんど強引に細川美樹を囲ったタイミングで、かつての級友が建前でしかない『組織間連携』を盾にやってくるというんだ。
奪取目的以外に何がある」
期待していなかった同行人の返しに、ごもっともと彼は肩をすくめた。
広げた地図をしまい、次はボロボロになったメモ帳を取り出すと、これまた数ページめくって内容を確認する。
中身は完璧に頭にインプットされているが、こうして再確認することで気分を落ち着けるのが臨戦前の儀式になっていた。
しばらくして気がつけば、あれほどはしゃいでいた老人が背後からメモの中を覗き見ている。
「ふむ、それが例のPK波状図か。それぞれの座標軸を記録しているわけだ。
その粗末なメモ帳だけで一千万は下るまい」
「・・・価値分かってるなら、人の努力の結晶を盗み見ないでくれないかな。あんた研究者だろ」
「私は別に自己顕示欲があって研究をしているわけではない。
私にあるのは好奇心だ。それを満たすためなら土下座でも何でもするぞ」
そう言って、実際土足であるホテルの床で土下座をしてみせる彼を、釧は無視してメモ帳をポケットにしまった。
「けど、いいのかねぇ。一応、万可所属であるところの僕が別支部といえ万可に攻撃仕掛けても」
「構わんさ。元より万可同士強い繋がりがあるわけじゃない。
支部ということになっているが、目的を同じくしているだけで、そこへの至る手段は多少異なっている。
上層組織としてはどれかの万可が目的を成せばそれでいいと考えているんだろうな。
収斂進化みたいなものだ。
別の洞窟内にいる魚共は示し合わせなくてもそれぞれ眼を退化させるように、異なった場所であっても進化の方向性を同じくする。
むしろ交流の少ない方が、至る手段が多様になるメリットがある。
だいたい強行手段というなら、前に琉球万可に8月を拉致されかけたこともあったが、それも別に咎められなかったようだしな」
「それ、初耳だぞ加藤」
「そうだっったかね?
まぁ、あの時は向こうさんがこっぴどくやられたわけだがね」
「で、形骸変容を手に入れようとして今度は青森が被害を被るわけだ?
神戸もあーなったってのに、生命の樹の実を手にしようなんて懲りないよな・・・」
「はんっ、しかしそれが人間だろう?」
自慢げに胸を張って原罪まみれの老人に、釧は再度肩をすくめた。
「それじゃあ僕は、その『人間』代表としてちょっと頑張ってきますか」
♯
幾重にも層を重ねる地下学園都市は、地下街という様相こそ呈してはいるものの、実際にはそんな瀟洒な造りをしてはいない。
『蟻の巣』の名の通り、天然の穴蔵を思わせる地下世界は、ビルの階層のように各フロアの広さや形が同じわけでも、間取りが似通っているわけでもないからだ。
フロアの形や面積が上下ではまるで違い、同じ"地下4階"であったとしても、降りる階段を間違えれば隔絶した別個の階層に行き着くことすらある。
地元の学生でも地下内の地図を常に持ち歩くほどに入り組み、迷いやすい。
そして、なお悪いことにこの特徴は一施設内においても同様なのだ。
地上においては、例えば学校の廊下と登校路の違いなどは目に見えて実感できるものだが、建物として外観が露出することのない地下施設では、施設内外の境界は門を潜るかどうかほどの差異でしかない。
地下街の道路、施設内の廊下と言葉で違いを表せど、結局壁に囲まれた地下道だ。
それは施設が一つの閉鎖系であると同時に、それを含んだ地下街そのものが巨大な閉鎖構造を取っているに等しい。
つまり脱出という、最も緊迫する状況がその分だけ長く続くということだ。
地下に潜るというのはそれだけで圧迫感を感じるものではあるが、いち早く逃げなければならない身で、逃亡困難な地下迷路の奥深くに潜らなくてはならないというのは、想像ですら恐怖が重くのしかかる。
実際、精神的なことを差し引いても、侵入を試みるには分が悪すぎる。
が、かといって、他の戦略を採ることが難しいのも事実だった。
地下なのだから空調パイプを破壊すれば兵糧責めにできなくもないのだが、空気の貯蔵もあるだろうし、外からの増援が駆けつけた時点でタイムオーバー。挟み撃ちにされるだけだし、それ以前に釧の場合は目的が美樹なので使えない。
向こうを炙り出せればいいのだろうが、基本スタンスが『貴重資材の保存と保護』である青森万可は、自らの役目と得手を自覚している。敵の挑発に乗ってはくれまい。
侵入者である以上、攻め入るしかない、それしか相手に採らせない、防御に回られると青森学園はまさに難攻不落の要塞だ。
あるいは敵と認定した瞬間に口を閉じる、食虫植物。
そんな虎の口――――万可の門前に釧は立っていた。
予行演習がてら、宿からここまでの嫌みなほど長い道のりを、なんとか地図なしでやってくることができた彼は、
「いやぁ、本当迷うかと思いましたよ」
そう門番に話しかけながらIDを見せた。
「ははっ、私なんかも時々迷いますよ。むしろ一発でここでこれたのは幸運だ」
笑いながら思ってもいない言葉を返す彼に、釧も同じくらい胡散臭い笑顔で応えた。
「えぇ、随分ここから離れた宿舎だったんで不安立ったんですけど、道すがら神戸とは違う雰囲気が楽しめてよかった」
「ははっ、それはよかった。
・・・もう少し待ってくださいね。中から迎えがくるはずですから。
施設の中はさらに複雑で、案内役なしでは回れないんです」
「てめぇらよくも嫌がらせしてくれやがったな」という応酬に、「馬鹿なことを考えるなよ?」という暗なる牽制。
表面上はにこやかに談話する彼らだったが、釧の目が門番というだけにはやたらとごつい自動小銃にいき、その視線に気づいた彼と目が合ったことで、2人の間に嫌な緊迫感が流れ始めた。
「あははっ」
「ははっ・・・」
再び笑顔を交わした、その面皮の下で釧は考える。
(まぁ、予想していたことだけど、全くもって平和的交渉の余地がなさそうだ)
いくら学園の制式部隊が銃の携行を許可されているとしても、施設の護衛職でしかない彼が銃をぶら下げていい理由にはならない。
万可が悪名高き組織であろうと、わざわざそんなことで諍いを起こしたがるわけもなく、いつもなら彼だってそんなものを携帯してはいないはずだ。
それが、今日に限ってこの装備ということは、明らかに彼を警戒している。
(いや・・・、僕自身も狙いか?)
わざわざ宿を遠くに取り警告し、一端の門番に武装させてまで警戒しておきながら、それでもこうして自分を招き入れようとはしている。
一見矛盾しているようだが、これらは向こう安全策なのだろう。
警告を受けて彼が躊躇してくれればそれでいい。警戒しておいて彼が行動に移さなければそれでもいい。
彼が強引な手段に出たところで警戒しておけば素早く対応できるのだし、防御においては確固たる自信がある。
なにより、釧自身が今や神戸万可に属する、織神葉月の作った身体という意味合いでも貴重なサンプルである以上、捕縛できればそれに越したことはない・・・。
自ら率先して動くことなく、甘い蜜で獲物を自分の体内に誘う。
ハエトリソウというよりウツボカズラだな、とそんなことを釧は思った。
だが、それならば、わざわざ相手の思惑通りに行動してやる必要はない。
もちろんお互いの内心を隠しつつ、施設の中に入ってからの方が、侵攻の手間はいくらか省けるのだろうが、相手に自分を囲う暇を与えてしまうのも事実だ。
向こうの思惑が分かった以上、こちらも最初から攻め入った方がいい。
(さっさとこの門番を潰して入ろうか?顔面に一発・・・いや念力で・・・)
女装してタレントデビューという将来設計図に全く描いてもみなかったイベントを通して、無駄にうまくなった微笑み。その裏で、結構ゲスいことを考えていた彼は、不意に開いたシャッター型の分厚い門の先に、案内というにはちょっと大勢で、ちょっと豪勢なお出迎え・・・・・・もとい、自分を拉致る心づもりを隠しもしない武装集団が出てきたことで、躊躇なく今まで談笑していた門番の顔を殴りつけた。
「ぶふっ!」
壁に埋め込まれた、チケット売場などでよく見かけるような門番所で、ガラス越しに話していた相手を、その防弾ガラスごと殴るというでたらめな暴挙に出た彼。
それに反応した部隊の連中が、銃を構え制止の命令もなく発砲してくるのを、門番所から引っこ抜いた男の身体で防御した彼は、とりあえず一端やってきた道の曲がり角まで後退した。
盾して利用した中年男を乱暴に放り出すと、うめき声が聞こえた。
生きてはいるらしい。
その理由は彼が防弾チョッキ、それも葉月の髪を手本に作られた繊維を利用したチョッキを身につけていたからというのともう1つ、中から出てきた部隊の使っている弾があくまで捕縛を目的にしたものだからだろう。
どの道、彼にしてみれば食らいたいものではない。
同じく捕縛用の麻酔弾の入っている名も知らない自動小銃を手にし、彼は角の陰から飛び出した。
万可の壁に向かって照準を合わせずに銃を乱射して、威嚇してみたが連中はまるで怯みはしない。
まあ、弾が非致死性というのもあるし、・・・連中が犯罪者を寄せ集めた使い捨ての泥底部隊ではないというのもあるようだ。
神戸のように一応は開けた土地柄であり、通常の学園の体を取っている場所と違って、ここは物事が一般人に知られにくい性質を持っている。
守りが主になるここの学園の施設では質のいい部隊を飼っていることも多い・・・・・・とは加藤が釧に話していた内容だ。
適当に打ち込んで、打ち返されて。彼はそれらの銃弾を念力で止めて、一瞬の逡巡後せっかく手に入れた銃を捨てた。
代わりに、ファンシーなポーチから自分で持ってきた拳銃を取り出す。
自動小銃の方を捨てたのは、彼が撃った銃弾が非殺傷弾と勘違いされるのを防ぐためである。
見える位置から撃つのであれば、銃の種類で見分けはつくのだが、遮蔽物越しで銃撃をする際にはその限りではない。
PK能力者という立場上、銃に威嚇以上を求めていない彼にとって、弾数よりも威嚇にならない可能性の方がデメリットは大きかった。
そもそも、彼の目的は一応美樹の奪還ということになっているし、彼自身の私情を挟んでも、連中のような能力者でもない人間を相手にしてもうま味がない。
接近しつつ拳銃を彼らの顔の高さに合わせ、再度銃弾を打ち込むが、やはり怯む様子は見せなかった。
狙いはわざと外しているのだから当たらないのは分かっているのだが、向こうにそれが気取られているのが問題だ。
適当に蹴散らすつもりだったのだが、銃は役に立たないらしい。
「まぁそれならそれで・・・」
銃撃戦の最中、遮蔽物すらない道の真ん中で釧は悠然と拳銃をポーチにしまった。
それから、『数撃ちゃ当たる』ではなく『能力を使わせ続けて集中力が切れるのを待つ』ために弾雨を降らし続ける、前座でしかない連中に向けて不敵な笑みを漏らし、
「やり方ってモノがあるんだけどね?」
その台詞から一拍置いて、地下空間に響き渡ったのは、すさまじい打撃音と振動だった。
♯
外敵を寄せ付けない要塞であり、取り込んだモノを逃がさない監獄であり・・・・・・当然それに見合った強固な造りをしているはずの万可地下施設を揺さぶる振動に、こういった有事に際して使われるオペレーションルームで『神戸万可の異端児捕縛作戦』の様子をモニターしていた者達は思わず天井を見上げた。
施設の正面出入り口――――万可施設のフロア1は地下5階、彼らがいるフロア13は地下17階に相当する地下深くだが、かすかに振動が感じられるほどの何かが起きたらしい。
一瞬にしてカメラ映像を映し出していたモニターを黒く潰した現象に、青森万可室長である車良二は眉をひそめ、状況を確認すべく指示を出した。
「状況確認、部隊の生存者の有無、何があったかのか報告。
まだ使える近辺のカメラをかき集めて接続、標的の再補足」
「了解・・・・・・・・・・・・B部隊『巳』からの無線です。『標的の攻撃は念力によるもの。死者なし、エントランスフロア半壊』だそうです」
「フロア1、生きているシャッターゲート」
「・・・・・・奥から2つです。エレベーターのある区画はすでに隔離、フロア4から下も部隊搬入ルートを除いた全てのゲートを締めてます」
良二はそれを聞いて考える。
エレベーター自体も電源は切ってあるが、隔離壁を突破され破壊されると、フロア4まで繋がっている。
施設の性質上、最下部まで直通しているようなエレベーターは存在せず、幾つものエレベーターやエスカレーターがバラバラに配置されている間取りになっているため、すぐに脅威にはならないが、どうやら標的は壁自体を砕けるほど協力な念力能力を保持している。
時間稼ぎにしかならないだろうが、ゲートはできるだけ閉めておきたい。
ならば、地下4階にまで侵入される前に部隊を上げてしまって、搬入ルートも締め切った方がいい。
一応、閉鎖された場所だからこその切り札もあるのだが、セキュリティーレベル1のエリアであるフロア4までの比較的薄い壁では失敗することは分かりきっている。これはさらに侵入された場合の保険としておいておくとして、では守りでなくこちらからの攻撃はどうすべきか。
現状、昏倒する程度には強力麻酔弾を装備させているが、弾にだって限りはある。
外敵を拒絶することが専門のこの地下施設は、裏を返せば物資の供給が苦手である。
兵糧責め。釧の破棄したその手段は、確かに実現できれば効果的ではああるのだ。
麻酔はやはり効かない。まずは弱らせなければ。
とすれば非殺傷弾から殺傷弾にチェンジさせるのも手だが、それだって念力の前では大した効果は期待できない。
相手の体力を尽きるのを待つ前に、フロア5以下のセキュリティーレベルの高い層にまで侵入され兼ねない現状下では、時間稼ぎではなく効果のある攻撃が要求される。
仕方ない。彼は最終的にそう判断した。
「残りのAからF部隊までをK装備でフロア4、超兵を4部隊フロア6へ・・・」
しかし、
「室長!」
「・・・・・・どうした」
その指令は言い切る前に遮られる。
「標的を捕捉しました、M-3モニターに映像出ます!
場所はフロア3、エレベーターの方へは向かわず・・・・・・・・・・・・念力で床を掘削している模様!」
「・・・・・・!?」
攻めと守り、そのスタンスの違いは大きい。
どうしても備えに意識をやりがちの守りに対し、体力切れというタイムリミットを持つ攻めの釧は、デメリットもあることを承知しながらも力を温存せずに、ゴリ押しでのスピード決着を狙っているらしい。
備える暇を与えず一気に片を付ける、というのは心理的に攻める側だからこそのスタンスだ。
モニター映像の中、フロア3の床をもぶち抜いた強引すぎる侵入者が、さらに1フロア下への侵攻を果していた。
♯
接敵より6分、戦闘開始より3分でセキュリティーレベル1を無傷でほぼ突破。
予測より早い侵攻速度でもって、地下万可自慢の堅い殻を真っ向から食い破る侵入者に、彼らはここにきて余裕をなくした。
いくらアレが、千代神喪失以来神戸万可が手塩にかけてきたスペア素体だとしても、結局は念力能力者であると彼らは考えていた。
葉月が作った身体という意味では非常に価値のある代物だが、葉月の変容能力を複製している美樹の方が彼らには価値がある。
だから、釧がこのタイミングで青森にやってくると聞いた時、その意図を理解していながらも、むしろチャンスだと内心ほくそ笑んだ。
棚からぼた餅、飛んで火にいる夏の虫。
美樹という甘い蜜に釣られ、彼女ほどではないにしろ貴重な被験体がもう1人、このウツボカズラの中へと舞い込んだ。
これで青森万可は他の万可よりさらに一歩リードできる、と。
だが、そんな思惑はあまりに甘い思い違いだったのだ。
加藤が収斂進化と言い表したように、『連携しないのが連携』である万可同士は情報もお互い晒すことを嫌っている。
釧が祠堂学園のデータから念力能力者だったことぐらいは知っていたが、その程度がまさか60cmほどあるコンクリートを抉るほどとは予想だにしなかった。
美樹は指令室と同じセキュリティーレベル4の区画に軟禁しているのだが、これではすぐさま到達されかねない。
そして、それが彼らには最も恐ろしいことでもある。
難攻不落であるために逃亡することを捨てた彼らに、逃げ道はない。
自慢の防御がショートカットまでされて突破されている現状は悪夢に近かった。
「標的はフロア4に侵入!依然として堀進行動を継続中!
このまま行動を許せば一気にセキュリティー4まで侵入される!」
先行していたB部隊は死傷なしと言えど重傷者も多く、非殺傷装備であることもあって戦線を離脱。
本来は後ろから追撃させたいところではあるのだが、泥底と違って使い捨てでない彼らには相応の治療を施さなければ、他の隊員の士気に関わってくる。
無理をさせて、これから施設を守って貰わなければならない別部隊の忠誠心まで削ぐのは愚かしい。
念力に"圧"倒された彼らは外部の治療施設を頼って万可施設からも離れ始めていた。
「何としてもあいつの掘削作業をやめさせろ!
殺傷弾使用許可が下りている、弾雨に晒して気をこっちに引くんだ!」
けれどその代わりに、残りの常人部隊ほとんどが下から戦場へと送り込まれることになった。
その先陣を切ったのはF部隊。
オペレータールームの操作によって一時的に解除されたシャッターゲートを潜り抜けながら、部隊の隊長『辰』は隊員達に呼びかける。
「全員、用意はいいな!?」
本来、無線があるのでわざわざ叫ぶ必要はないのだが、超能力者との対峙前にはこうして大声を出すのが慣例になっていた。
自分達と比べものにならない力を持った化け物に立ち向かう前に士気を上げ、恐怖を振り払うための儀式のようなものだ。
隊員達の応答を聞き、頷いて、『辰』は他の11人のメンバーを率いて最後の角を曲がった。
「標的と接――――」
が、接敵を告げる言葉すら言い切る前に、彼らは凶撃によって壁に叩きつけられた。
攻撃を許すつもりもないという意志表示と共に、掘る作業を中断して攻撃に転じた釧の念力が炸裂していく。
それは侵入が目的であるからこそ、部隊との戦闘よりも堀進を優先するだろうという万可連中の思い込みを突いた、釧の辛辣な駄目出しだった。
フロア全体を不可視の巨大ハンマーで叩き潰すような圧倒的な暴力は、遅れてやってきた残りの部隊も同じように這いつくばらせるには十分で、地響きを伴った剛圧の雨が収まった時には、釧の周りに煩わしい音を立てる人間はいなくなっていた。
それを確認してから彼は悠々と掘削作業を再開した。
彼にしてみれば堀り進めて美樹のところにまでたどり着こうが、やってきた連中を根こそぎ叩き潰してエレベーターで下りようが大した違いはない。
どうやら敵も一応一掃できたようだから、階段でも探して下りてもよかったのだが、わざわざ相手の危機感を煽らせる方を選ぶことにしたらしい。
もちろん理由はある。
常人部隊相手にこれだけの圧勝をしてみせたのだ。
ここまで追いつめられたら彼らは"連中"を出すしかない。
『神戸学園都市』対『千代神葉月』の時でも投入が遅かった"連中"、個人個人が個性的でありすぎる故に統制が取りにくいとされる"連中"――――超兵、超能力者部隊。
地下という特殊空間であるからこそ、特に投入が躊躇される彼らはまさに諸刃の剣だ。
戦闘力が高く、能力者に対しても有効だが、攻撃力がある分、被害が拡大しやすい。
だが、通路が狭いために脚足戦車が一切使えない地下万可に他の手段は取れまい。
「さてそろそろ・・・」
と、釧がセキュリティーレベル1最後の階層であるフロア4からフロア5へ降り立った瞬間、彼の頭部に水弾が襲いかかった。
威力はともかく、まだ能力を反射できるほど制御できている訳ではない釧は念力でそれを受け止めれずに被弾する。
頭に受けた衝撃で床を転げた彼めがけて次に飛んできたのは紫電で、電撃に床から身体を弾かれた後、仰向けになった彼に向けて上から氷柱が10本ほど落とされた。
そのままいけば、釧の身体を串刺しにしただろう氷柱。
けれども、それが刺さったところで大して彼は気にもとめなかっただろうし、そもそも刺さることさえなく、氷の槍は蒸発して霧散してしまった。
「ふぅん」
先ほど受けた攻撃のダメージなどまるで感じさせずに起き上がり、釧は言う。
「水に電気に氷ね。
思ってたのとは違うけど、まぁそれほど期待してなかったし、いっか」
「はっ、随分なコト言ってくれるじゃねーっすか、先輩。
けど、見た限り不遜な先輩の念力は能力波を跳ね返せない。
余裕かましてますがいいんですかね?念力の弱点は能力ですよ?」
立った釧の正面に1人、後方に2人。
『先輩』と言った正面の彼を見ると、歳は確かに釧より下のようで、部隊とはいっても発展途上の能力者を子飼いにしている一面が見て取れた。
常人部隊と違って身を隠すことをせずに対峙する彼らに釧はうん、と素直に頷く。
「確かに僕の念力はPK能力全般に対して防御としては脆弱だ。
けどさ、物事には何であれメリットとデメリットがあるものだろ?
君らの能力だってそうだ。水にも電気にも氷にも弱点はある――――」
そう言うと、少女の風体をした彼は、身体をほとんどなくし、生まれ変わって以来、本来の二次性徴を経験しないままに成長した中性的な顔を綻ばせ、指をパチンッと鳴らした。
途端、音を呼応するように暗い廊下に輝いたのは紫電を散らす電気の塊だった。
「水には電気」
今度は左手に水玉が泡をポコポコと言わせて揺らぎ現れ、
「電気は誘導してやればいいし」
彼の頭上に炎もが上がった。
「氷は炎に弱い。
あと、草にも炎だよね。飛行には電気、毒にはエスパー格闘もエスパー。
・・・昔はエスパー強かったのに、今じゃ結構弱点が増えたよねぇ。
ゴーストには悪。鋼にも炎。・・・アレ?炎強くない?
ま、いいか。で、ドラゴンはアレだ、育てにくい・・・・・・」
彼が言葉を発する度に、ボコボコと能力の塊が発生していく。
その様に、何か口にしようとしてはパクパクと口を開閉させる超兵部隊の先兵達。
彼らのそんな様子を見て釧はますます笑みを深くする。
「君は何が好き?
電気?水?炎?氷でも、もちろん念力でもいいよ?
さぁっ、どれにする?」
悪びれずしれっと怖いことを訊いてくる彼に、正面からその笑顔を受けていた1人がようやく言葉を発した。
「・・・・・・・・・・・・何それセケぇ」
――――知識は遺伝する。
発想し、あるいは模倣し、それらを応用することが人類の叡智であり、知恵の進化と知識の遺伝の世界が人類の独壇場だ。
知恵の樹、『人間』色神睦月。
その系統は確かに受け継がれている。
「いやぁ、そんなに誉めないでよ。
さて、ではでは不肖、他方傾向追究所と万可統一機構の変わり種、色別理論規格の『色神』朽網釧がお相手させていただきます。
なーんてね。せいぜい足掻いて僕の糧になって頂戴」




