第61話- 産声。-Birth Day-
タイトル通り難産でした。
時の流れは久しく、古き良きあの頃の風景は遠くに霞む。
過ぎ去りし子供だった日々は黄金に輝く夢の中へ沈み、身を包む愛情を知らず童心のままに在れた楽園は失われた。
それでも思い出の神秘な絆を忘れずに、ひたすら抱き続けたのならば、ふと、浮かび上がる夢の欠片。
とうに萎れてしまったはずの花冠を再びかぶる未来がやってくる。
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大腿骨についていた筋肉は弾けて飛び、太い骨も軽い音を立てて、骨折という言葉が可愛くみえるほど悲惨に砕け、胴に差し掛かった辺りで腸がこぼれてはちぎれていく。一際大きく見えた肝臓が形をなくした辺りで他の臓器など表現するのも馬鹿馬鹿しく、心臓が潰れて頸動脈なんてものの損傷など既に気にならないほどに血しぶきが上がっていた。
どう考えても手遅れ、まさしくもって生と死の間をさまよっている、そんな状態。
なのに、それらは。
止まっていた。
折れて広がる肋骨も、血管をなくしてなお流れを作る血潮も、身体を構成していた部品がバラバラに分解し、残りは頭だけという寸前で、頭部は支えがなくなったにも関わらず宙に浮き続けていて――――。
時が、止まっている。
その表現は、時行割断という能力を持つ彼にこそ遠い言葉だ。
時間を止めることはできない。それが彼の出身施設が出した答えであり、だからこそ時の流れに敏感な彼にとって、時が遅くなるという現象に慣れている彼にとって、時間停止などという言葉は迷信や伝説みたいなものなのだ。
それが今はそうとしかとれないほど、時間が遅滞している。
自分の能力の比ではなく、だから時を止めているのは彼ではない。
自分のモノとは異質な時間遅滞を行っている者がいる。
そしてその人物は、どうやら500mは離れたところからこの芸当をやってのけているらしいことも感覚で分かった。
今まで自分が1mという距離を縮めるために苦心していたのが馬鹿らしくなるような能力の有効範囲。
その存在が何なのか、彼は知っている。
伝説、そう伝説だ。
学園最強にして無敵、万可すらが干渉を諦め現在は白澤を介して協定を結んでいるにすぎず、先代の鳳凰から眼を複製し、先代変容は相手にすらしなかった。
その能力を完成させてから現在に至って、まだ1秒たりとも自らの時を経過させていないというふれこみで、銃弾は当然として、体内の時間を好きに操るその能力は窒息死もあり得なければ、毒を飲んだところでそれが効き始めるより先に太陽膨張で地球の生命が死滅するという。
もはや出鱈目としか言いようがない、自分の先代。
古き良き風景の最高傑作。
それがそこまで来ている。
敵対すべきでない相手を敵に回してしまったかもしれないという思考に身体は痺れてしまって動かない。
そうこうしてる内に、その存在はついに倉庫にまで辿り着き、地下へと飛び降りてきた。
走ってきたのか、その息は荒く汗もかいていた彼女、久遠未来は「全く、もう・・・」と吐き出すように言った。
「この私に"間に合わない"なんて思わせるなんて、ホント釧ちゃんも葉月ちゃんも、罪作りよね。そう思わない?」
「と、とと時喰らい・・・」
「あははー、そーでーす。時喰らいの未来ちゃんですよー。
無茶する可愛い生徒ちゃんを回収にきましたよーと」
彼女はそういうと、釧の所へと足を運んで彼の頭部を手に取った。
「ホント無茶しちゃって。他の部位はもう駄目ですねぇ。まぁ、頭だけあれば十分でしょう。それじゃあ、私の劣化バージョンちゃん、私はこれで失礼させてもらいます」
「ふ、ふざけるな!」
本当にそれだけと言わんばかりに背を向ける彼女に、まるで自分に眼中に入れない彼女の台詞に彼は耐えきれずに叫んだ。
「い、いきなりやってきて・・・・・・帰る?好き勝手がすぎるんじゃないですかねぇ!?挙げ句、この僕が劣化だと!?出来損ないというなら今あなたが抱えてる男の方がそうでしょう!?自分の生徒か知りませんが、僕はあなたと同じ施設出身の人間だ。贔屓する相手を間違っ――――」
「黙れよ童。私の足下にも及ばないポンコツをなんて呼ぼうが私の勝手でしょうが。
好き勝手?それの何が悪い?力のある者に自由が許されるのは殊学園世界じゃ常識でしょう?
私の生徒だから助ける。私が助けたいから助ける。
ポンコツと天秤にかけて釧ちゃんの方が私には大切なの。
それにね、私だけじゃないのよ。
つい先ほど、私に彼を助けるようお願いしてきた人物が2人いる。
1人は0と1の世界に逃げた化け物、もう1人は神戸万可の無愛想男。その2人が2人とも最悪あなたを殺してもいいと言ってきたわ。
出来損ないってそれだけで罪よねぇ。
私があなたの身の程知らずの台詞をにこにこしながら聞き流してるのは、葉月ちゃんに殺らせてあげるつもりで取ってるってだけよ。
だから、あんまり怒らせないでね?
じゃないと本当に――――」
ペロリ、と赤い舌を覗かせて彼女は時喰らいと呼ばれる所以を口にした。
「あなたの時食べちゃうわよ?」
その台詞に彼は後ずさり、そんな彼の様子すら興味のないらしい伝説の少女は時を止めた生徒の首を大事に抱えて表舞台から再び姿を消していった。
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薄くオレンジの色味を帯びた白い色調の壁。緑色のクッションをした3人掛けほどの長椅子。
狭い廊下は3つのドアを間隔をおいて左右に配置していて、その内の1つにはドアの上に四角いランプが備え付けてある。
1つは外へ繋がる出入り口。1つは薬剤を保管してある倉庫。そしてもう最後の1つは――――けが人を処置するための手術室。
「手術中」と書かれたランプは点いていないが、それは元々点灯すらされていなかった。
唯一駆けつけた葉月がその治療に当たっていたのだからランプを点ける意味がなかったし、行われたのは手術とは言えないような出鱈目な治療だったのだ。
いくら死にきる前に時間ごとパッケージしたとはいえ、生首だけでは本来手の施しようがないはずだった。
が、それをどうにかできるのが形骸変容ということか。
「不可能を可能にする」。それが生命の進化であり、変容能力であるのだろうが、だからといって自分の身体の中で自分の細胞に釧の細胞核を融合させ、その上たった6時間で兆を越える個数にまで、それも分化させて体組織を作り上げつつ増殖させるなど、医療系能力が泣いて崩れ落ちるような技術だ。
こんなもの手術とも治療とも言えない・・・人造というべきだなと、白澤と呼ばれる最高位の医療能力者は心中で呟いた。
まさに神業。
けれど、その偉業を行った神様は長椅子の端に小さく縮こまっているのだから、世の中というのは皮肉なものだ。
よほどショックだったらしい。
まぁ、連絡を受けて息を切らせながら駆け込んで、目の当たりにしたのは首だけになった釧の姿だったのだからそれも当然だろう。
「容態は安定、大丈夫ですよ。時がきたら起きます。白澤や私が居るんです、万が一もありません」
そう、毒舌幼女が嫌味の1つも言わずに去ってからしばらく経っていたが、葉月は動く気配がない。
病院のような内装をしてはいるが、ここは荷稲と未来の住居に隣設されているけが人の処置棟だ。別に誰の迷惑にもならないといえばそうなのだが。
さっきまで手術室に備え付けてあるベッドに釧を運び様子を診ていた荷稲は、廊下に出たところで目に留まった、そんな精神的に参っている葉月に近づいた。
荷稲の接近に気づいた彼女はより一層体を縮込ませた。
「・・・カイナ」
「釧はよく寝てる。未来が死を認識する前に時を遅らせたからな。時が来たら起きる。お前も寝ろ。人体ほぼ丸々再生させたんだ疲れてるだろ」
「カイナ・・・僕、私に・・・」
「うん?」
「前に・・・・・・夏の、時に言いましたよね。バカって・・・バカって」
「うん」
「その前にも・・・唯詠にも、御籤のにも言われたんです。
「自分の生にも死にも興味を持てないくせに、他人の欠落に脅える馬鹿野郎、他者にとっての自分の欠陥の意味も知れず、欠落の意義も思考できない愚か者」だって・・・」
「・・・うん」
「私は・・・!私は残されたクシロがどう思うか、どうなるかまるで理解してなかった!考えれてなかった!」
「うん」
「自分の命を蔑ろにすることは想ってくる相手の気持ちを踏みにじることなんて、そんなことも分からずにずっと過ごしてきた!」
「うん」
「なのに、いざ自分がその立場に立たされたら、こんな・・・・・・クシロが死んじゃったら・・・って、死んじゃったらどうしようって・・・!」
「ホンット、大馬鹿野郎だよお前は」
ビクリと肩を跳ねさせて、震え出した彼女の頭に手を置き、荷稲は乱雑に撫でた。
「うぇ・・・」
それが引き金になったらしく、嗚咽が小さくなった葉月から漏れ始める。
「うっ、ぇぅ・・・っく、ひっ」
拭っても拭ってもこぼれる涙に頬を濡らし、眉頭を歪めて。
下唇を噛み必死に押さえ込もうとした声はすぐに耐えきれなくなって。
まるで歳相応の子供のように泣きじゃくって。
――――その日、少女は生まれて初めて泣いた。
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一通り泣いた後、皺の寄った袖を伸ばして葉月は立ち上がった。
「行くのか?」
「はい」
「体力は?もつのかよ」
その問いに腕を伸ばして手の平を見せた。
何もない。が、閉じてもう一度開いた時には銀色をした成形された石ころのようなものがあった。
「これがありますから」
「おい・・・まさかプルトニウムかよ。なんてもんもってやがる」
「睦月の体内から見つけたんです。エネルギーはこれから取り出せる。物は使う者次第。まさに現代版賢者の石ってやつですよ。
あぁ・・・、こっちの賢者の石、クシロに渡しといてください。私には必要ないので」
今度はポーチの中から普通に取り出された数字のない白いサイコロ。世界に数個しかない代物を渡され、うげっ、と悲鳴を漏らす彼女を尻目に、葉月は使いモノにならなくなっていたシューズを脱いで長いスカートをちぎり腰に巻き付けた後、動きやすさを確認してから長く息を吐いた。
「さて、と。――――売られた喧嘩は全力で買う、借りは2倍の2乗して返しってね」