第59話- 甘言。-Lilith's Seduction-
――――甘き果実の味をリリスは囁く。
地球温暖化、あるいは全球凍結。
何にせよ地球環境の劇的な変化がもたらすであろう驚異に超能力者によるアプローチがなされている昨今、環境問題はいくらか下火になりつつある。
その気になれば天候すら操れる連中がいるこの世界では二酸化炭素量の変化など微々たる影響でしかない。
代わりにその超能力者の虫の居所如何が、地球の危機に直結するのだから、身近にある危険という意味では大して変わりはないのだろうけれど。
12月、そんな超能力者の、局所的天候操作の恩恵によって降り続けていた雪がいつの間にか姿を消し、1月も中旬に差し掛かったこの頃は学園都市の色は白から灰色染みたモノへと変わっていた。
それはもちろん冬休みの終わりという気だるさからも来ているのかもしれない。が、原因は何か?そう考えて一番最初に思い当たるのは、繁華街方面の大惨事のことだろう。
マンションの近くでの出来事だったにも関わらず、寝過ごした俺はその様子をニュースを通してか、事後の現場を遠目に眺めるぐらいしか知ることができなかったが、それでも十分事の重大さが分かるほど被害は甚大なものだった。
何でも放射能までが検出されたとかで、周辺一帯が立ち入り禁止地域になり、俺も住んでいたマンションから退去して今は別の所で寝泊まりしている。
クリスマス直後を襲った悲劇、超能力都市関与か?
そんなコンセプトでどの放送局もが番組を組んでいるのだが、特別指定都市制度の見直しを提案する、実際被害には遭っていないキャストや街角アンケートの結果にどれほどの意味があるのだろうか。
環境問題然り、超能力研究で実用化された技術を受けている連中が、事故現場も知らず叫ぶ意見に責任感があるとは思えない。
正しく現場地帯にいたことはいた俺は、しかし被害らしい被害を受けてないが故に、この事件に関して恐怖を感じてはいない。
そりゃあ、もし少しでも場所がズレていたらとゾッとはするが、経験も体験もしていない以上何を思おうと、何を語ろうと他人事の域を出ない。
俺ですらこんな感じだ、もっともらしく語る画面越しの人間の言葉をどうも信用する気にはならなかった。
放射能の除去に別学園の超能力者を呼んでいるというニュースも流れ、それを能力者のパフォーマンスと捉える評論家まで現れたが、この一件に関して、世間で言われる『超能力者暴走説』には実は一つ大きな難点がある。
神戸学園都市には放射能操作のできる超能力者はいないのだ。
だからこそ、別学園に出動を要請したわけで、該当する能力者の事件当時の所在も明らかになっていた。
学園の把握していない超能力がいたとしても、それでは学園に全責任を問えない。話題を求めるマスコミが目をつけたのは当然至極研究所だった。
前々から穏やかではない噂が立っていた施設だ。何かやっていたのではないか?そう煽ることで責任を追及し、今まで深く突っ込めなかった研究所へスポットライトを当てたのだが、それに対して各研究所の責任者は口を揃えてこう言った。
「放射能能力に秘匿する価値はない」
確かにその通りで、核子操作の能力研究など、エネルギー分野の研究所で堂々とやればいいようなことだ。隠す意味が微塵もない。
そう言われた時点でマスコミは敗北、今まであった噂の類もこういった無責任な煽りだと反対に指摘され、さらに追い打ちをかけて、現場の放射能濃度は放射線をそのまま放ったとしては低すぎることが明らかになり、逆に神戸の発電能力最強である筒芽旭が紫電一閃でここまでの威力は出せないと証言した辺りで路線を変更、放射能はどこからきたのか?と延々と議論を繰り返している。
しかしもうすぐ1ヶ月となる最近になると世間の関心は移ろい始め、授業が再開した生徒にしてみれば、超能力という一つの学業に対して世間の向ける自重を強いる圧力は鬱陶しいものでしかない。
わざわざ超能力開発禁止を訴える署名活動を、学園都市の駅前でやっている連中を無視して通ってきたクラスメートの話題は惨事の被害についてではなく、超能力のこれからや就職への影響といった事柄に完全移行していた。
しかし、それはあくまで一般的な生徒の話であって、俺の場合はそうはいかなかった。
大惨事のこと、その日異様に疲れを見せていた葉月のこと。
放射線と葉月の能力とは直接結び付けられないけれど、神戸学園都市に放射能操作系能力者が公式的にはいないとしても、相手の能力を得る原始素能という能力だってあるわけだし、超能力者犯人説が最有力なのには変わりがない。
そんな相手が、万可統一機構と繋がりがあったとして、あの日何があったかは知らないが、その結果葉月がくたくたに疲れるような、もはや隠しようもないような出来事が起こったということは十分に考えられる。
容易に関連付けるのは危険とはいえ、事件と葉月には繋がりがあるという、嫌な予感。
それを振り払おうとしながら過ごしてきたここ数日、今日も登校の道すがら、他愛もなく超能力エネルギーの将来性について、就職に影響するかを議論していた俺と隆と葉月の3人は、就職する気がない、興味がない、意味がない、とそれぞれの結論に達した辺りで学校に着いた。
「そういや葉月、九鈴が言ってたが撥水系の施設に道場破りしに行ったって?」
「うーん、まぁ別に破りに行った覚えはないけど・・・・・・まぁ、最近の日課でね。
今日辺りは光反迷彩の能力者と鬼ごっこをやる予定」
「うわぁ、かわいそうに・・・」
「道場破りより性質悪りぃよ」
いくら透明になれようと、鼻の利く葉月からは逃げれまい。
ピクニックにでも行こうという気軽さで、このためにペイントボールを用意したことを嬉々して語る葉月に隆は引いていたが、自分は茶目っ気に受け取れるから困ったものだ。
とうに感覚が麻痺してるんだろうと、隆が葉月に注意するのを横目にしながら思った。
教室のドアをスライドさせ、2人が入るのを待ってから自分も入る。席に鞄を置こうとして、
「うん?」
葉月のそんな声に振り向いた。
見ると、彼女の机の上にはすでに何かが置かれている。
白地に店の名前がプリントされたビニール袋。
怪訝そうな顔つきで、袋に突っ込んだ手が取り出したのは長方形をした紙の箱である。竹皮の模様の印刷されているそれは弁当屋でよく見かける物だ。
「何だそれ?」
隆霧ってきて葉月にそう問うが、彼女も身に覚えがないようで「さぁ」と首を傾げる。
中身を確認すべく輪ゴムを外して蓋を取ると、入っていたのは赤飯だった。
それを見てなぜか固まった葉月は、ぷるぷると震え始め、ぐしゃりと蓋を握り潰した。
「ほ〜ま〜れ〜ちゃ〜ん〜!!」
叫びながら教室を飛び出した彼女の声にどうやら犯人が誉らしいとは分かったが、赤飯の意味はよく分からない。
葉月を動揺させるだけの何かがあったようだけど・・・。
足音が遠ざかりしばらくして聞こえてきたのは悲鳴。
まぁ、光反迷彩でもない彼女が葉月から隠れられるわけもないか。
運動場まで逃走劇を繰り広げていた2人の様子が窓越しに確認できた。
息も絶え絶えに走る誉を追う葉月はわざと力を加減しているようで、体力的・精神的に追いつめるつもりらしい。
誉がへとへとになったところで、いきなり目の前に現れた火球に彼女は驚いて転び、その上から大量の水が降り注がれ、びちょ塗れにされた身体を発破で砂地の上を転がされていく。
数十秒後にできあがったのは細長い泥団子だった。
呆然としている彼女を葉月が引きずっていくのを最後に2人の姿はフレームアウトし、その10分後ジャージ姿の誉が教室に連行されてきた。
力なくうなだれている彼女を席に座らせた葉月は、自分の机に置かれた赤飯を彼女の前に置き、割り箸を突き立てた。
まるでお供え物だ。
トドメとばかりに葉月が発火で火をつけたために、よく燃える木製の割り箸から煙が上がり始める。
それが線香のようで、崩れた誉を余計に哀れに見せていた。
が、そんなことよりも俺の目を惹いたのは、その火の光の方。
「何で・・・」
何で葉月が――――発火能力を、発破能力を、発水能力を使えるんだ?
葉月の能力は形骸変容だったはずだ。
あくまで、身体を変化させる能力だったはずだ。
それらの応用・・・?いや、そんなことができるとは思えない。
ならどうして・・・・・・・・・・・・まて違う、そうじゃない。
問題はそこじゃない。
気にすべきはどうしてではなく、"何時から"かだ。
あの日、葉月が疲れきって帰ってきた日の惨事。
関わっているのは、超攻撃性の能力と放射能。
その2つが同一のモノかは置いておいて、それはおそらく非公式の超能力者の仕業だ。
元々存在を隠していた核子操作系能力者か、あるいは現存する高等級のそれ系の能力者の素能を複製した能力者か。
何にしてもそれと葉月が衝突が先日の事だったとして、
その結果が葉月の今の行動だとするなら?
道場破り・・・てっきりそのままの意味だと、打ち負かすという意味だと思っていたけれど、「今日辺りは光反迷彩と鬼ごっこ」――――それがその額面通りの意味だとして、前回は水操系の施設を、もしかしたらその前には別の能力施設に能力を得るために通っていたとすれば、あの日放射能を放った能力者は後者である可能性が高い。
「どうやって」かは分からないが、その能力を葉月が手にしたとしたら、全て辻褄が合うんじゃないのか?
そんな疑念がぐるぐると回ったまま突っ立って、気づけば線香代わりの割り箸が半分ほど灰と化してた。
まだ燃え続ける紅の炎を見つめている内に、もう1つ思い出す。
火事。
隆と美月さんが急接近するきっかけになったらしいあの火事。
葉月はどうしてか、その理由を知っているようだった!
逆接、隆もその時のことを知っているはずだ。
そう至った途端、居ても立っても居られなくなって、隆を屋上にまで連れ出していた。
♯
「つってもな・・・俺もよく知らねぇよ」
それが、今朝問いつめた隆から帰ってきた言葉だった。
「俺と美月は単に火事に巻き込まれただけで、そこに葉月がやってきただけで・・・・・・仕事とか言ってたな。
何つってたっけ?グループに入れない分、違う何かに入ったって言ってたろ?」
「・・・あぁ」
「たぶんそれ関係だと思ってたけど、違うのかよ?」
「分からない」
原因は能力者の暴走ではないかとまことしやかに噂されるその火事。
葉月がその時発火能力を得たとも考えられたが、その頃葉月は道場破りなんて真似はしていなかったし、つい先ほど自分が今回の繁華街崩壊時に能力を得る能力を得たのではと仮説を立てたばかりだったことに気がついた。
あの火災を鎮火させることがあの時の葉月の仕事だったとして、万可統一機構の被検体である葉月に裏処理に関する仕事を機構自ら命じる理由は思いつかなかった。
いや、そもそも自分は万可の目的というものを、行動原理というものを、知らないのではないだろうか?
万可は『特別都市における次世代教育の体系化』を目標として掲げている。
そんなことはそれこそ、パンフレットにも表記されているし、ちゃんと孤児を引き取り教育するという体裁も取っている。
実際、万可育ちの大人も居るし、そういった人間はたいてい逸脱した才能を発揮してもいる。
だが、本当にそれだけならば、一定年齢まで外出を禁じるような徹底管理をする必要はないし、何より葉月はそんな規則の例外だ。万可が葉月を特別視していることは間違いない。
けれど、それは何故なのか?
その推理材料を俺はまるで持っていない。
水族館で彼女は万可は脳を弄ると言った。
それがそのまま、あの機関の隠密性に繋がるにしても、そこまでして天才を作り出して何がしたいのか。
確かに国から支援を受けている組織であるし、才能ある国民が増えることは国にはプラスだろうが・・・それだけで地方都市の経済中心を崩壊させるようなリスクを負う理由がない。
何か、一本筋の通った狙いがあるのは確かだ。
それが分からない内に判断するのは危険すぎる。
調べよう。そう思い至って新たな自宅に帰ってからずっと、ネット情報を漁っている。
隆の方も発火能力者関係で探ってくれると言ってくれたし、何かしら情報は掴めるだろう。
火達磨先輩と出会った時、彼は放火魔のことを気にしていた。
少なくても彼は火事関連の出来事にはかなり敏感なはずだ。
となれば、俺の方が調べるべきなのは万可についてと繁華街の件。
盛り上がっている掲示板は粗方回ったが大して収穫は得られなかったことから、ピンポイントに放射能操作系能力者の個人サイトなどを当たり、彼らの考察や呟きを参考にさらに別サイトへ飛ぶ。
放射線そのものとしては放射汚染量が少なすぎるところからあくまで攻撃は別のモノではないか?
壁に空けられた破壊の痕跡から放射能が検出、放射線が混じってたのはたぶん本当。
そんな文章をメモ帳ソフトにコピー&ペーストして大分埋まったところで出力する。紙媒体に移った情報から特に気になる文を蛍光マーカーでピックアップしていけば、尾びれ背びれのついた噂と多様で多量過ぎる情報から掴めみづらかった事件の概要が少しずつ見えてきた。
最初、銃声のような音があったのは確からしい。
ビルの密集地帯だったために、かなり遠くまで反響した音を聞いたという人間が複数いた。
それ以前に爆発があったというモノもあったが、これはよく分からない。
被害中心地帯にいた人々はほとんどが逃げきれずに亡くなってしまったようで、その辺りを判断するに情報量が少ないし、生還者もショックが大きすぎて当時の状況を正確に把握していたとはいい難い。
バスが潰れた。火柱があがった。ビームが街を破壊した。
それが本当なのか、ビームに見えた別の何かなのではないか。いくらでも捕らえようがあるが、ともかく人間業とは思えない何かが原因で崩壊が始まったようだ。
いきなり雪が雨に代わり、霧のようなモノが上がり、覆い隠されてしまった被災地は、それが晴れた頃には崩れ今の姿に変わっていた。
空白の時間、民衆の目の届かなくなったその間に何があったのかそれも分からない。
結局、災害の初期にも中間にも、確定的に何があったとは言えないが、それでも噂が立つほどには、いくらか妄想を膨らませる材料は存在している。
なのに、そんな中で最も注目されているはずの全ての原因、あるいは犯人についての目撃情報が見られない。
霧に閉ざされた後は仕方ないとして、その前、事の始まりに際して誰が目撃していてもおかしくはない。
ホテルが爆発した。バスが潰れた。
信用性はどうであれ、そういった目撃談がある中で、それを起こしたモノには触れられていない。
調べ不足と言ってしまえばそれまでだが、その点が気になって仕方がなかった。
重傷者や中心近くにいた人間は放射能汚染されている可能性が考慮されて特別措置を病院で取られていた。
つまり一時的に隔離されていたことになるのだが、事件の目撃情報はそれ以前にネットに上げられたものがほとんどで、措置後の情報は見当たらない。
そこに万可が介入したとのだとすれば・・・・・・記憶操作か。
それを行える人間は予知能力者同様少ない。
いや、予知能力者と呼ばれる人間はこの学園にも百人単位で存在しているが、夢見といった例外を除いて、一般的に言われる予知能力は今ある状況から結果を予測演算するものに留まるために、今回のようなあまりに突拍子な出来事を予知するのは難しく、実用的な危険予知ができるかで言えば、予知能力者としてのアドバンテージはない。
真に未来予知と呼べるような、完全に自分と切り離された未来をも予知できる能力者の数は微々たるものだ。
それでもいないとは言わないし、そういった未来予知の卵というのなら誉がまさにそれに当たる。
予知夢は、リラックス状態にある脳は時として大災害も予測できると言われるが、逆に見たい未来を選べないという不便性も合わせ持っている。
世の中、都合のいいことばかりではないという教訓そのものだが、それが記憶操作にも当てはまる。
一時的に物事を忘れさせはできても、ニュースで繰り返しその話題を耳にするような今の状況で、それが効き続けるとは思えない。
あるいはそんなまがい物の記憶操作とは別に、本物とも言える完全な人心操作が存在しているのかもしれない。
もしそうだとしたら、個人の全てを脅かす能力者は隠すだけの価値はある。
どこかの組織がそれを研究していたとして、今回その能力が使われたとすれば、間接的にしろ直接的にしろ万可に繋がっていることになる。
「駄目だ・・・」
悪い方向にばかり想像が向かっていく。
実際のところは何の確証もない妄想にすぎないのに、それが正しいのではないかと急く思考を止められない。
プリントから目を離し、PCを待機モードに切り替えてからベッドに突っ伏した。
明日、隆の話を訊いて判断しよう。
♯
「あの火事の件には関わらねぇ方がいい」
隆から事情を訊き、わざわざ直接会いに来てくれた達磨先輩こと邦明さんは開口一番そう言った。
その表情は真剣そのもので、俺の身を案じてくれているのだと理解できるが故に、ことが重大なのだという実感がずしりとのしかかり、元々あった不安が体中に広がっていく。
握った手の平に汗を感じながら、乾いた口を開く前に先輩は続けた。
「火災があったのは確か、消防車が出動したのも確か、だが消防も消火には当たってない。火は能力者により鎮火、発火原因は小火だったとなってるが、その後監視してた能力者が行方不明。あからさまなNokindだ」
「ノー・・・カインド?」
「"存在しない奴"でNo kind。『ないことにしておけ』っていう超能力者間の符号のことだ。
グレーゾーンに関わってる人間が最後の一線を越えずにうまくやっていく上で、絶対守らなければならない鉄則だよ」
「触らぬ神に祟りなしってことですか?」
「あぁ、火事の一件はそれに当たる。だから触れるな。
隆に聞いたが、友人が現場にいたんだったか?」
「・・・はい」
「そいつが関わっていたのか、関わっていたとしたらどう関わっていたのか、それは知らない。
だが、今その友達は生きて傍にいるんだろ?ならいいじゃねぇか。めでたしめでたし、それで納得しろ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・できねぇか?」
黙ってしまった俺の様子に先輩は頭を掻いた。
自分では見えないけれど、今自分は先輩を睨んでいるのかもしれない。
彼はお門違いの視線を気にした風もなく、ただ黙って俺の返事を待っている。
何と言えばいいのか纏まらず、何度も開閉させては声にならずに噤んだ口は、しばらくしてやっと言葉らしい言葉を吐き出した。
「・・・その友達は、今回の事件にも・・・関わってるかもしれないんです」
それには眉を跳ね上げた彼は、今度は顎に手をやった。
「なるほど・・・それじゃ、ま、無理か。
それでも俺は関わらないことを勧めるが、止めはしねぇよ。
ただ、そういう関係になると俺の情報網は役に立たん。すまんな」
そう言って去っていった。
♯
ないことにしろ、それが暗黙の了解であり、不可侵領域の事情である以上、学園都市へ普通に通う人間に助力を請うことはできない。
身の程に合わない行為は自殺と同義だ。
それをやろうとしている自分の方が間違いで、頼ることで相手にも迷惑をかけてしまう。
それを理解して、学園内の人間には相談できず、けれどそうはいっても、何も分からずただ疑心に刈られているしかできない自分が1人で突破口や解決策を思いつける訳もない。
だから、俺は学園外でかつ学園の事情に詳しそうで、厄介事にすでに顔をつっこんでいるらしき、唯一頼れる人間を――――師匠に連絡することにした。
いつもの、DeComu経由のチャットではなく、非常用の肉声回線で。
個人情報、あるいはそれに類する言葉は使わないという2人の間にある取り決めが取り払われる回線で。
5秒ほどのコールの後、PC画面のアプリケーションに通話の緑ランプがつき、聞こえてきたのは透き通った女性の声。
「どうしたの?」
そして、簡潔な質問だった。
「クルナさん、前に・・・前に友達の話をしたことがあったしょう?」
「あぁ、情緒のおかしいとか笑わないとか泣かないとか相談してきた・・・双芥中学から進路を変えさせた施設育ちの男の子?」
「はい。その友達が、どうも危険な立場にいるのかも、しれないんです。
前から危なっかしい奴だと思ってたけど、けどそれはあくまで本人の問題だと・・・でももしかしたら施設そのものが――――」
「待って、よく話が見えてこない。その子、ちゃんと別の中学に通えたのよね?
だから私はその施設自体たいしたことはないと・・・もしその子が施設にとって重要な素材なら進路変更なんてそもそも受け付けないわ」
「ええ。でも、最近になって施設関係の用事を受けてるんじゃないかって」
「重要度が変わったっていうこと?」
「たぶんSPS服用から・・・能力発現からなんだと思います。
おかしいとは、ちょっとは思ったんです。2等級能力を発現した時に。
でも、きっとそれ以上に、嬉しさもあって・・・だから、けど・・・・・・形骸変容なんて発現しなければ・・・っ!」
「形骸変容・・・?」
俺の言葉に、息を呑む気配がスピーカー越しに伝わってきた。
「今、形骸変容って言った?」
「そう、ですけど・・・」
「施設ってまさか、万可統一機構なの?」
「・・・はい」
「苗字は織神?」
「はい」
「いや、待ってよ、そんなのあり得ない!
だって、だってその子、男の子なんでしょう?」
「え、えぇ。でも今は女の子ですよ、形骸変容で――――」
「違う。そうじゃないの、形骸変容に男はいない。あれは女性しか発現しないのよ。
・・・あぁ、もうっ!やられた!女子能力者を探しても引っかからないわけだ!
男、そうね。表現型がそうでも遺伝子型ではXX型って場合もある・・・仮性半陰陽か、あるいはそこまで弄った?」
「クルナ・・・さん?」
「あぁ、ごめん。
全く!ビンゴよビンゴ、大当たりもいいところよ。そこまで期待はしていなかったのになかなかどうして・・・・・・。
はぁ、そうね釧。事、君の関わっている問題がそういう類だとするなら、状況を解説するのは難しいよ。
そうね、超能力史以来6つ前例があるのは知ってるわね?
その1例目は40年以上前の東京にあった万可の前身機関、続いての2例がイギリスの大学付属研究所。
形骸変容発現に成功したそれらの研究施設が統合、万可ができたのはイギリスが3番目を発現させてから2年後、日本が特別指定学園都市システムを取った30年前頃に6人目が逃げるまでの約十年間で6人。
なのにあなたの言うお友達が発現するまでの30年間ではまるで生まれてこなかった。
これ、どういう意味か分かる?」
「・・・・・・形骸変容は自然発生しない?」
「そうよ。結局6・・・いや7例全てが施設、それも限られた施設で生まれてる。それにも関わらず万可が同じことを繰り返している理由は、前例5つの形骸変容が不安定すぎて発現後間もなく死亡してしまったから。
その気になれば形骸変容を発現させること自体は難しくないのよ。
問題なのは安定化させることで、それができず彼らは何度も繰り返した。
そうやってやっと6例目を安定的に生み出すことができた彼らは、被検体には逃げられたものの、ヒントを掴んだ。
1、SPS服用は第一成長期後。2、脳の特定部位に施術すること。
だから彼らはソフィの唱えた『脳波学習法』を隠れ蓑に指定学園都市構想を持ち上げ、孤児の次世代教育を謳ったのよ。
形骸変容は能力研究の中心原理、学園都市は形骸変容のために造られた。
危険な立場ね。ははっ、確かに全ての中心ではあるわ。
――――一ヶ月前のアレが、気づいた原因?」
「・・・・・・はい。あれから、ちょくちょく葉月が他の能力者施設を回ってるらしくて」
「そ。それなら、少なくてもフィードバックされることはないんじゃない?
もっとも・・・万可の呪縛から逃れられるかは分からないけれど。
・・・・・・さっき学園都市は形骸変容のためにできたっていったけれど、その理由にはもう1つあるの。
ヒントその3、安定した形骸変容には安定した超能力者の遺伝子を。
薄々気づいていると思うけど、特定の能力者を大量生産するにはクローン体を造ればいい。
ところが、そもそも動物のクローン技術は未だ未完成なのよ。
確かにDNAは遺伝子の本体だけど、遺伝子の全てじゃない。細胞質基質・・・ミトコンドリアを含めた細胞内にある膜系細胞小器官には、染色体経由ではなく細胞質遺伝――――細胞質の分配で継承されるものもある。
細胞質の排除される精子と細胞質を持つ卵子では、卵子の方が遺伝する情報量は多い。
卵細胞に核移植をしたところで、その本人の卵子を使いでもしない限り、同じ遺伝子情報を持った人間は生まれっこない。
能力の形が遺伝子で決まる以上、その差は大きいわ。不安定な出来損ないを生み出したようにね。
超能力者を温存する学園は、そんな出来損ないの欠陥を補う遺伝子情報を採取する場として必要だった。
葉月ちゃん、だっけ?
葉月、旧暦の8月。8。
何でそんな名前が付けられると思う?
万可は1ヶ月に1度、形骸変容の種になる子供を受精させるの。
8っていう数字はね、その年の8番目って意味なのよ。
人工授精に遺伝子組み替え(デザイナーチャイルド)、その子はまず間違いなくシャーレの中で命を受けた。
彼女、産まれる時ですら泣いたことなんてないんでしょうね」
♯
通信が切れ、しばらくして自動で待機モードになったディスプレイは黒く、大きな光源を失った部屋は暗闇に包まれていた。
マイクを外した以外、動くこともできずに背もたれに預けた身体は力がまるで入らずに、じんじんと痺れている。
胸が痛いのは、心臓からなのか精神的なものなのか。
汗が何度もまつげを濡らして、視界をぼやけさせる。
近すぎて焦点の合わない水滴の煌めきに、光の存在を求めれば、それは待機中のPCの青白い点灯ランプだった。
チカチカ揺れる光の煩わしさに電源を落とし、天井を見上げる。
丸い蛍光灯の形状を僅かに象るだけの闇、その色が拒むことを許さず葉月の黒髪を連想させた。
――――好きなモノ?何それ、それって必要なの?
透き通っていて、意味がなく、素っ気なくて、純粋で、色すらなく・・・・・・そう、透明、そう表現するのがしっくりくる、そんな黒色。
晴れ渡る青い空に満ちる空気の色を『透き通った』と表現するように、どこまでも黒い世界も透明な色合いをしている。
混じりっけのない、むらっけのない色合いはそれこそ空の蒼さのように綺麗に見えるが、起伏のない地平線はむしろ歪だ。
俺がまだ"ぼく"だった頃、転入性としてクラスにやってきた少年は男とも女とも取れない中性な姿をしていて、何よりひどく異質に見えた。
だからこそ、惹かれたのだろう。
友達もなく、クラスメートを冷めた目で見ていたが故に、彼の差異に目が奪われた。
けれど、翻ってみて向こうはどうだったのか?
「それって必要なの?」
心の奥底からそう言って、その目に何も映していなかった、当時の"ぼく"以上に世界を平たくに見ていた彼は、どういう過程を経て、自分のことを『クシロ』と呼んでくれるようになったのか。
変化がいつ訪れたのか、今になってははっきりとは分からない。
思い出せるのは人形に話しかけるのと変わらない行為を繰り返す自分の姿。
ロクに反応も示さない、返事からも得られるモノはほとんどない、けれど拒絶はしなかった彼に、一方的に話しかけていた自分の姿。
傍目、無様なものだっただろう。
けれど、"ぼく"はそんなことを気にも留めずに、一年後までは毎日、クラスが替わっても時々は、ひたすら話しかけ続けて2年間を過ごし、少しずつ・・・少しずつ表情が見え隠れし始めて、彼だった彼女は他の生徒とも受け答えをするようになっていっていた。
そして、再びの同じクラス、その3日後のあの出来事。
苛めっ子達に再起不能のダメージを与え、"ぼく"に手を差し伸べてくれた。
あの時、何だろう。確かに葉月の目が"ぼく"を捉えたのは。
決して大きくないない体躯で、か細い腕で、それでも躊躇なく助けてくれた葉月。
それが格好よくて、嬉しくて。
憧れを抱いて、"俺"だなんて一人称を使うようになって。
なのに、今の俺はどうだろう。
真っ暗な部屋に籠もって、うじうじと。
葉月は"ぼく"を助けてくれたのに、"俺"は葉月の助け方も分からない。
それがあまりにも情けなくて泣きそうになる。
相手は巨大で全貌も掴めなければ、取っかかりも掴めない。
あるのは胸を締め付ける痛みと焦燥感だけで、汗の滲んだ手では目尻すらうまく擦れない。
無力だ。
苛められていたあの頃と同じように、自分から何もでない。
強がったところで、自分の本質は相変わらず脆弱。
どうしようもなく、無様な有様。
でも、それでも俺は葉月が好きだ――――失いたくない。
/
翌日午後7時13分。
臨時に入ったバイトを終え、アパートに帰宅してきた織神葉月は1階の集合郵便受けを確認した。
あれ以来、定期的に四十万隆曰く道場破りや能力狩りを指定する連絡は便箋でなされている。
緊急連絡でもない限り、そんなレトロを貫き通すところが、あの男らしいと釧と同じく葉月も思う。
切手も宛先もなにもない真っ白な封筒。
おそらく本人が来て入れていくのだろうソレが、朝した時と同様に入っていないことを確認してパタンとスチールの蓋を戻した。
明日の放課後は自由らしい。
久しぶりに駅ビルに貯蔵しているワインでも呑みに行くかなと、考えを巡らせている最中に携帯が鳴った。
ディスプレイに表示される相手の名前は「岩男」。
通話ボタンを押し、スピーカーに耳を当ててすぐ、
「何故そこにいる?」
聞こえてきたのはそんな台詞だった。
「――――え?」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
けれど、回転の早い彼女の頭はすぐさまその一言から現状を導き出していく。
今日、予定は入っていた。
昨日の夕方にも今日の朝にもそれを知らせる便箋は入っていなかった。
誰かが取った。
他のモノを物色した様子がないことから見ても、その便箋が目当てだった。
その人物はそれがどこからのモノかを知っていたし、内容にもある程度は予測をつけていた。
その人物は自分への指示がアナログな手段であると予想でき、かつその便箋がまっさらだという特徴も知っていた。
そんな人物は1人しかいない。
携帯が、手から滑り落ちた。
/
そこは倉庫だった。
もしも、彼が葉月やそのバックボーンに関わることがなければ、それこそあの夏に逃げ込んだ倉庫と同じく一生足を踏み込むことはなかっただろう、非合法用途に使われることもある倉庫。
その中で、放置された機材段ボールの上に腰をかけて訪問者を待っていた彼は、シャッターが上がる音に瞼を開けた。
そして視界の捉えた者が自分の予想していた姿でないことに少し驚き、それから神妙な顔つきになって招かれざる客人を観察し始める。
一通りそうしてから、
「僕は久遠将来。ここで千代神さんを待っていたんですが、貴方は?」
そう自己紹介めいた台詞を吐いた彼に、
「朽網釧」
やってきた少年は手に持った白い便箋を握り潰して放り捨てて言った。
「葉月は来ない」
ついに釧(盛大なフラグと共に)立つ(笑)




