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第57話- 万物と生命の境界。-"for Eve"r Church-

※ 大災害を想起させる可能性のある表現が含まれておりますので、

  ご気分を悪くする可能性のある方はお読みになるのをお控えいただけると幸いです。

 そして見つけた。

 壁から唯一覗く彼岸の建物の屋上に、1人の人物。

 ここの同類が着る簡易すぎる緑の着衣、自由にならない髪はしばらく切られていないのか随分伸びて、男か女かは不明。

 その顔には表情というものがない。

 意思というものがない。

 精神がない。

 心がない。

 命がない。

 ない。何もない。

 そこに在り続けるだけで、何にもない。

 そもそもそこにいるという行為を成していることすらが信じられないほどに、何も汲み取れない。

 夕焼けを背にして、ただただ突っ立ているだけ。

 なのに、

 イメージは紅。

 濃黄から山吹、夕赤に濃紅。

 赤き空を従属して佇む黒き塊。

 紅の逆光がソレを黒く見せて、その輪郭を強調する。

 その口が、何かを紡いでいる。

 ひたすら呟き続けている。

 身体も頭も視線も固定したまま虚空に意識をやっているソレは、口だけを動かしている。

 聞こえもしないその声がまるで呪詛のようだと印象付けられて、見るだけでも精神を冒されそうな光景なのに目が離せない。

 紅を通り越して混沌として密度を増す黒い絡繰人形。

「・・・×××××・・・」

 何を、

「・・・・・・×××××」

 何を言っているのか?

「×××××・・・」

 分からない。分からないけど、

「・・・×××××」

 その言葉を知っておかなければ、いけない気がして――――

「――――・・・××××××」

 その唇が今まで繰り返していたのとは違う台詞を口にしたのだと理解した時、

 ギュルリと、今まで何も見ていなかった目がこっちを向いた。


                     ♯


 ――――お互いがお互い、様子見とばかりに能力の全力使用を嫌った結果が、昨日の決定打のない戦闘だと理解して、今日こそはと意気込んだ結果、引き起こされたのは惨状だった。



 初めて地球に雨が降った日。

 それは大気温度が374度を下回った瞬間だったという。

 大気の大部分が水蒸気で満たされていた地球誕生当時、飽和状態だった水蒸気は、富士山頂の低気圧下で沸点が下がるように、高圧下で上がった沸点の限界温度である374度を切ったその時に、一気に水になり大量に降り注いだ。

 もちろん始めは、またすぐに蒸発してしまっただろう。

 降っては上がり、注いでは昇り・・・熱を奪うことの繰り返しの果て、ついに大気は冷やされ、雨は地表にたどり着いた。

 それが海となってから40億年以上経った今、冷えた大気は雨を雪に変え、生まれた頃とは様変わりした地上へと舞い降りていく。

 クリスマスから一夜、キリスト教がそれほど浸透していないこの国でも大して意義も分からず祝うだけ祝う日とはいえ、そもそも休日ではない聖誕日から1日も経てば、繁華街の様子はいつもと変わらないものに戻っていた。

 もちろん、冬休みに入って羽目を外す若者も多くいて、平日そのものとは言わないけれど、サラリーマンやショッピングに勤しむ人々が、まだ朝に分類される時刻とはいえ、繁華街を行き交っている。

 そこに、いきなりの爆音。

 彼らが見上げる先、ホテルの部屋から煙が上がっていた。割れたガラスと共に飛び出してきたのは黒を纏った少女で、彼女が部屋の内外でいきなり変わった気圧ではためくカーテンの端を掴んだ。

 が、それとほぼ同じタイミングで、轟音が高層ビルの間を乱反響し、後頭部に衝撃を受けたらしい少女は再び宙に放り出された。

 さらに続く轟き、それがどこから来るのかは分からない。

 けれどその非現実的な音が、どうやら狙撃による銃声だと『へいわのくに』の日本人でも気がつきだした頃、3発目の弾が、少女――――織神葉月の顔面を襲った。

 それを難なく口で受け止め、吐き出して、目下26階から急落下中の彼女はホテルの壁を蹴っ飛ばし、どごんと大きな音をさせて跳躍。それによって剥がれ落ちたコンクリート片が落下し、駐車場の送迎バスがへしゃげたのを見て、やっと地上を這う人々はその異常事態に悲鳴を上げた。

 11時13分。色神睦月、ホテルで寝入る葉月を襲撃。

 泥底部隊(ヌタ)の1人を使い、マット型の薄っぺらい爆破装置を彼女が泊まった部屋のドア下から滑り込ませての爆撃。対し、葉月は窓を破って跳躍し、ホテルから脱出、発火から発展させた発破を付加した一跳びで、狙撃犯睦月に急接近した。

 狙撃不可と判断した睦月が空中の葉月に向けレーザーを放ち、葉月がそれを爆炎で弾き飛ばし軌道を逸らした結果、高出力の光線はオフィスビルを襲い、その角を三角錐型に切り取った。

 切断された四面体の塊はそのまま下にいた通行人を巻き込んで更なる悲鳴を上げさせたが、それはほんの序の口にすぎず、次に落ちてきた少女の形をした化け物は、通勤者を乗せた市営バスに墜落し、真ん中からひしゃげたバスは、背中を折って自らの頭と尻を激突させた。

 それはまるで怪物の襲来だった。

 鉄の裂かれる耳障りな音、人の金切り声と呻き声。

 路面の汚れを巻き込んで黒ずんだ道路の雪解け水に赤いモノが混じり、ガロガロと地から離されたバスのタイヤが虚しく空回りしている。

 べきべきと、最も衝撃を受けたはずのバスの中心部から何かが出てこようとする物音を聞いた時、群衆のパニックはピークに。

 逃げまどう人々の中、睦月はビルの屋上から滑空でソフトに降り立ち、葉月は鉄塊の中から姿を現した。

 両者、ゆっくりと歩み寄り、5mの距離を残して対峙した。

「モーニングコール、どうもありがとう」

「いやいや気にするな。本当はフロアごと焼き払うつもりだったんだが、なーぜか小規模になっちまって申し訳ないぐらいだ」

「そうだねぇ、どうしてか僕の部屋の周りをうろつく人間がいたからさ、手足ちぎってあげたんだけど、まさか爆破スイッチが奥歯に仕込んであるとは思わなかったなぁ」

「あーかわいそうに、手足切断される前提で作戦に組み込まれるなんて、使い捨ては辛いなぁ」

「その駒を利用した人間が言っちゃあ駄目でしょ。全く、人員を借りるのはどうかと思うよ?」

「おいおい、人の血肉を借りたヤツに文句をつけられる筋合いはないぜ?」

 あははうふふと笑い合う2人。

 逃げまどう群衆など目に入らないかのように、しばらくの場にそぐわない笑顔を振りまいた後、先に動いたのは睦月だった。

 容赦ないオレンジのド太い一線。

 5m、それも光速で一直線に向かってくる攻撃を、予備動作から見抜いて葉月は避け、光の筋はそのまま後ろにあったバスの残骸を直撃した。

 高熱に晒されてか、あるいは切断による出血のショックか重要機関の損壊か、聞こえる悲鳴が絶えた辺りで、横に避けながら睦月に向かっていた葉月は太股にホルスターで吊したダガーナイフを引き抜いた。

 袈裟斬り、物理攻撃のそれを念力で受けようとして、効かないことは前日に分かっている攻撃をわざわざ仕掛けてくる彼女に違和感を覚えて一歩下がる。が、わずかに伸びた――――能力によって変容した刃に新調したコートが10cmほど斬り裂かれた。

(なるほど・・・一度体内に取り込んだな?)

 となると、腰の拳銃の弾も念力で防御するのは止めた方がいい。

 2撃目、突き出される刃を発破で腕ごと逸らし、睦月は左手に触光を作り出した。

 逃げ場を与えないように覆おうとする光の触手を、睦月自身(ほんたい)を発破で引き離すことで回避して、対抗するように背中に生やした4本の触手で後ろの焼き焦げた鉄塊を睦月へと放り投げる。

 彼女自身はともかく、逃げ遅れていた通行人にとっては溜まったものじゃない。

 睦月が弾き飛ばした塊がまだ人のいるビルのエントランスに突っ込み、建物を揺らした。



 その日、繁華街の周辺を歩いていた彼らが、そのことが致命的な不運だと気づいたのは、空から注ぐ軽自動車の数々を目の当たりにした時だった。

 放物線を描き落下する、人を乗せたままの車体が車道を抉り、人を押しつぶし、あるいは巻き込みながら8車線の道路を襲来したかと思えば、次に目に映ったのは天を劈く高音を響かせながら、橙の筋が近くの高層ビルを一線、開店準備中の店もまだ多い商店街のアーケード内を潜り抜け、その奥のターミナル駅2階の喫茶エリアを消し飛ばしていく・・・。

 進化能力と進化能力、進化する相手を叩き潰すために進化しようとした、相互作用の結果、十数時間の間に飛躍的に能力が底上げされたものの、それがお互いにそうであることを再会の時点で理解した2人は、能力で打ち負かすことをあっさり諦めて、昨日同様エネルギー切れを狙った戦法に切り替えた。

 葉月はそこら辺のモノを使った派手な物理攻撃で念力を過剰に使わせることで、睦月はとにかく彼女を切断して再生で体力を使わせることで体力を削りにかかり、それが先ほどの惨劇へと繋がっていて、それは今も継続している。

 砕けるアスファルトに鳴り響く地響き。

 念力対策として、触手の鞭打ちと同じように、許容限界を超える暴力で攻撃を通すという、シンプルで正攻法な対策を一応は考えていた葉月の腕力や脚力は、正直もはや洒落にならない破壊力を保有している。

 疾駆すれば蹴られたアスファルトは後方へと吹っ飛び、拳槌が地面を捕らえれば振動で跳ね上がる。

 本当なら自動車を投げつけるのではなく、その手と足で何十回と殴りつけて内臓破壊を狙いたいのだが、さすがに睦月はそれを許さない。

 前日に比べて明らかに異常発達した電熱線の威力と有効距離。それは身体強化系と相性がよい出力系なのにも関わらず、昨日は生かせなかったその有効性を今度こそ最大限に利用してやるという意志の表れだ。

 能力使用を控えたい葉月にとって、一撃でも熱線を食らうことは避けたい事態で、どうしても接近戦に慎重にならざるを得ない。

 それをいいことに、彼女は発電能力からかなりかけ離れたモノになっているレーザーを連発する。

 だが、その派手な攻撃に反して消費エネルギーは少ない。

 葉月が身体の改造に重きを置いていたとするなら、彼女はエネルギー運用の効率化に力を入れ、一晩考えた結果、一緒くたに発電能力で行っていた発電と操電を分けて、エネルギー源を発電能力そのものに頼らずに、もっと高エネルギーを作るのに適した質量をエネルギーに変える方法を利用している。

 質量をエネルギーにする。それは質量保存の法則から外れた、物質誕生――――宇宙誕生に纏わる原理だ。

 物質の誕生は宇宙誕生から数十分後。ビックバンの熱が2兆Kほどに下がった頃、陽子と中性子が生まれ、衝突し重水素は作られ、それがさらに中性子を取り入れ三重水素が、その核分裂でヘリウムが発生。とりあえずはそこまでで止まった元素合成は、恒星内の核融合反応で周期表の鉄までの原子核を、さらに超新星爆発によってそれ以降の原子を生み出すに至り、現在の宇宙や星を創った。

 これがいわゆる宇宙の歴史、物質の誕生なわけだが、これらのことから分かることは、原子核はビックバンのエネルギーから生まれるということであり、裏を返せば核を崩壊させることによってエネルギーを得ることができるという理屈が成り立つのだ。

 核からエネルギーを取り出して、陽子や中性子の数を変化させ、質量の違う物質、つまり別原子を作り出す。

 原子核分裂。原子核融合。

 恐れられ、あるいは忌み嫌われるその反応は、そもそも我々の存在の根底にある。

 放射線が生物にとって害であるのは、身体や遺伝子を構成するアミノ酸や糖が破壊されてしまうからだ。

 太古の地球、現在とはかけ離れた組成だった大気に雷が落ち放射線が差し、その刺激で起きた化学反応の結果生命の素であるアミノ酸が生まれた。酸素すらなかった大気に放射線を遮ることはできず、そのままでは再び分解されたであろう生成物が破壊されずに生命となれたのは、雨が作り上げた母なる海の加護があったからにほかならない。

 核反応で生まれ、放射線で産まれ、そして今なお放射能に翻弄される人類が、それでも効率的なエネルギー生成を求めるというのなら、人類の英知を司る色神にこれほどふさわしい方法もないのだろう。

 核子操作。陽子と中性子を操れれば、核融合も核分裂も、放射能の除去も可能。

 そもそも放射線だって電磁波――――可視光線や紫外線の仲間なのだ。

 レーザーとして使用するのに、これほど適した副産物はない。

 有効射程範囲5mだった彼女がいきなり数百mと範囲を伸ばせた理由は前夜に手配したプルトニウムから取り出した莫大なエネルギー故で、その大げさな火力はむしろそうでもしなければ熱が残って危険ですらあるからだ。

 思惑以上に出力の出た光線がまた一筋、カラオケの入った5階建ての建物に穴を空けた。

 お返しとばかりに触手で二輪車を飛ばした葉月は、見えない壁に当たりクラッシュして跳ね返ってきたそれを、発破でさらに跳ね返し、睦月の放つ2撃目(レーザー)に盾としてあてがった。細かい部品をまき散らしながらスクラップになって鉄屑に成り下がったバイクは歩行路の電柱を歪めてから地面を転がった。

 線から触光へ。直進からしなやかな動きに変わった光が葉月の足を絡め取ろうと向かってくるが、右足を軸に一回転、豪速にて放たれた背中の触手に弾かれ、睦月は道路を吹き飛ばされていった。

 直接的なダメージこそないものの、通常なら振動自体を通さないほど物質に対し有利な無物質の壁越しに、地から足を離れさせるほどの衝撃を与える出鱈目な威力に睦月は戦慄した。

 腹に痛いのを食らった経験があるだけに、かなり堅くしておいたはずなのだが・・・。

「これだから化け物は・・・!」

 4回のバウンドの末に乗り捨てられたワゴンにめり込んで停止して、彼女は体勢を整えるために周辺のアスファルトを熱で溶かし時間稼ぎをする。

 が、そんなことでは全く臆しない葉月は、泥濘(ぬかるみ直前で跳んで、熱にやられていない一点、つまりはワゴンに着地した。ガガンッと大きく揺れた車体の中から、5本の蠢く光がフレームを突き破って彼女の左太股を貫き、横っ腹と二の腕を掠めた。

 なるほど、この体勢は思った以上に自分に不利だと悟った葉月だが、やられた分はやり返す。

 鞭打つ触手が睦月に打ち込まれ、衝撃を受けた車は跳ね上がり、熱されたアスファルトにいくらか沈んだ。

 どろりと粘質の炭素水素化合物が主成分の混合物に囲まれては脱出が困難だ。元よりそうするつもりで用意していた冷却能力で一気に熱を奪って、後部座席にねじ込まれた身体をやっと解放させた睦月は、撥水で近くにあった水道管を破裂させた。

 道路にできた噴水、それを無視して睦月へと駆け出した葉月は、熱された後も降り続けていた雪が溶けて隙間に入り込み、脆くなっていたアスファルトが本格的にひび割れ始めたことに気づく。

 そこに、睦月はさらに手を加えるべく、噴き出す水へと腕を突っ込んで・・・・・・、水は一気に蒸発、体積の大きくなった水分子の圧力に耐えられず破裂したのは水道管で、爆発と言って遜色ないエネルギーに晒されて道路は吹き飛んだ。

 それは遠目から見れば、ビルの谷間から白い山脈がいきなり生えたかのような風景で、一緒に巻き上がった雪の粒がその上に天使の輪(エンジェル・リング)を作り上げていた。

 それがその形を保ったまま下へと墜ちていく中、束の間静寂を取り戻したかに見えた光景に、足を止めた人々が次に目にしたのは、その輪っかを突き破る直径数10mはあろうかという火柱。

 噴火にも思える紅の炎が姿を消し、一間、息を呑むのにちょうどいい時間を空けて、今までしんしんと舞っていた雪の代わりに、大きな音を立てて大雨が降り注ぎ始めた。

 雲が暗さを増したのは錯覚だろうか。

 水と共に落ちてくる瓦礫やマンホール、跳ね返る道路だった破片。

 爆発に大通りはすっかりと廃墟へと姿を変え、水蒸気と霧になった水分に湿度が高まり、息の詰まりそうな世界。

 大粒の雨に打たれコートやマフラー、ニット帽を濡らした睦月に、撥水性に優れた自前(・・)の黒い衣装――――オーバーバストコルセットとスカートが一体になったようなドレスに、兎傘鮮香がしていたように発破能力を使って飛ぶために硬質に創られた編みブーツ姿で、衣類よりも髪が濡れるのを鬱陶しそうにしている葉月。

 再びの対峙。

 前髪を垂れる雨粒を振り払って、今度は葉月が先手を取る。

 睦月の真下、露出した地表から姿を現した触手が彼女の左足に巻きつき、対処する間も与えず横のビルへと突っ込ませていく。葉月を中心に360°弧を描いて、すでに半壊していた建物を凪払い、最後、まだ無事に建っていた堅そうな建物の壁をめがけて投げ捨てた。

 トドメにブティックの入っていたその横長3階建て建築物を火柱で丸ごと焼き払う。

 2回目の大火力だ。

 元々能力の効率化とエネルギーの生産強化に力を入れていたことと、昨日の戦闘で経験値を得たことで、一般発火能力者に比べてもかなり高い火力を使えるようになった葉月だが、これを連発するのは正直のところ避けたかった。

 あくまで体力は変容のために取っておきたい、それが本音だ。

 それでもこうして発火能力を使うのは、あることへの仕込みと、それが念力に対抗する有効手段だったからだが、

「あぁ、やっぱり対策は練られてるか・・・」

 昨日の時点で葉月が物理的手段だけでなく出力系能力という攻撃法を会得していることが分かっていた睦月も、それへの対策は構築済みだったようだ。

 お返しとばかりに燃え盛る火炎の中から赤みを帯びた光の暴力が葉月に向けて放たれた。

 それを避けずに、自分の前に熱気を作り出す葉月。

 アスファルトを固めるために冷やされた、地表近くと熱気との温度差が生んだ蜃気楼が光を歪めて拡散、アトランダムに反射させられたレーザーはまだ避難が済んではいない辺りにまで飛び散って新たな被害を増やした。

 数日間降り続けている雪が片っ端から水蒸気になり白く辺りを多い隠し、20階以上ある建物は上が見えない。

 あまりに唐突な災厄の襲来で混乱しカメラに収まっていなかったことと、中の惨事を霧が外から覆い隠してくれたことは万可統一機構にとっては有り難いことだったのだろうが、反抗期真っ盛りとばかりに人目をはばからず、むしろ機構への当てつけのように繁華街で大能力戦を始めた2人は自重する気はないと見えて、黒く厚い雲の下、そのもう1つの雲とも言うべき白い固まりから一筋、飛行機雲のように尾を引きながら彼女達は再び大衆の前に姿を現した。

 睦月の右手が葉月の首に、触手が睦月の左腕と左足を押さえ、他の2本は睦月の触光に焼き切られている。さらに肉を削ごうと蠢く光を発火と発破で捌く中、隙を突いた蹴りと発破が葉月を下界へ向けて吹っ飛ばした。

 新聞社の社名の入ったビルを斜めに貫き、さらに下に激突。

 体勢を整える暇はなかったはずだ。そのために、首を絞めて血流を押さえて思考を鈍らせ、かなり力を溜めて蹴飛ばした。

 もはや人間じゃない彼女にそれらにどれほどの効果があったのかは定かではないが、どの道そろそろ――――2人共も大業の大判振る舞いとはいかなくなってきた頃合いだ。

 さっさと決めてしまいたかったのが本音だが、やはりというべきか、両者そう簡単に討たせてくれる相手ではなかった。

 重いのは腹に一発だけとはいえ、念力で攻撃を受けすぎた睦月も、強化しても生身である身体が何度も攻撃を食らって傷み始めた葉月も、コンディションが低下しつつある。

 葉月の身体で開いたビルの穴めがけて照射された直径2mはあるレーザー、それを火炎の柱が逆方向から迎え討ち、新聞社ビルを爆散させ、崩壊を告げる轟きが鳴り止むより前に、発砲音に似た音が連続、視界を遮る煙を突き破ってきたのは発破で宙を駆ける葉月だった。

 わずか7歩で数百mの距離を縮め、銃を抜く。3発、おそらくナイフと同じで念力で防げないだろうそれを避けたところで、睦月の頸動脈を狙うダガーナイフの刃が煌めいた。

 仰け反って危うく回避、けれどその隙だらけの体勢を葉月が見逃すわけもなく、再生はせずに右2本だけが残った触手で右足を取り、自らの右足で胴を構わず蹴りつける。

 まず蹴られたことで血を吐いた睦月は、その衝撃に体勢を維持できずに、あらぬ方向に固定された右足を捻る羽目になった。

 葉月にしてみれば、本当は胴を(ねじりたかったところなのだが、それが膝の関節に変わったところで睦月にとって最悪の事態には変わりなく、再生能力の面では葉月に遠く及ばない彼女には、その膝の故障はすぐに直せるものではない。

「がっ、く!」

 激痛に耐えて、触光を滅茶苦茶に展開し、何とか離脱を図れた彼女だが、葉月はそれを見越していたようで、左手が光を放った時点で、発破を使って強制的に距離を取り、身体を刻まれるのを回避していた。

 近づき辛い、という睦月の有利性も失われつつある。

 葉月と同じく発破に飛ばされた睦月は、霧のまだ残る被害地帯の中心に落ち、葉月もそれを追って再び湿気に満ちた世界へと舞い戻った。

 白色で霞んだ視界に、睦月の姿を認めた葉月が着地点の物々を破壊しながら降り立ったのは幅の広い橋。混在する他社間の駅や駅ビルなどを繋ぐために作られた歩行者用の連絡橋だ。

 橋面が濃淡2種類の灰色煉瓦を使って、中央に向かって両端から矢印の模様を描いている。それに誘導されるように中央に向かって葉月と睦月は歩き出した。

 さすがにビル貫通の衝撃に無傷ではいられず、肋骨やら何やら自分の折れた骨で内臓器官をあちこち破損していた葉月の息は荒く、右足の関節が逝かれ、ついでに左手もないという満身創痍の睦月の歩きはぎこちなく、それでもこれでやっと2ラウンドに突入したといったところで、ここからが本番だ。

 昨日と同じく消耗戦になりつつあることは辛いところではあるけれど、お互い全力で殴り合ってすら痛み分けになる程度に、実力にも能力にも差がないことはよく分かった。

 刃を一度取り込んで組成を変えたナイフは無事だったのだが、さすがにプラスチック部品を多用している拳銃(グロッグ)の方は破棄を免れない状態だったらしく、彼女はホルスターごとそれを投げ捨てた。

 へしゃげた銃が床に当たる音。

 そして、衝撃。

 仕掛けたのは睦月、見えない暴力が死角である後方(・・)から葉月を殴りつけた。

 前のめりに身体が傾く先――――頭部の位置を見込んだそのポイントに、能力波が集まっているのを視認して、避けた葉月の横顔を掠めたのは転移してきたガラス片だった。

 もし能力波が見えなければ、入出力設定がややこしい能力でなければ、睦月が使い慣れていれば、一撃必殺となりうる攻撃。

 けれど、その行為の意味するところ(・・・・・・・)を汲み取った葉月は、相手の余裕のなさを改めて確認して、凶悪な笑みを作った。

 風切り音、左横から迫る触手、防御できない攻撃に睦月は後退してそれを避けようとするが、それを追いながら葉月の2手目、上から叩きつけてきたもう1本の射程距離からは外れることができなかった。

 右に避けて、それをやり過ごした彼女の頬を打つのは砕けた煉瓦の破片で、反撃しようとかざした左手は往復してきた1本目に弾かれる。

 腕にくる強烈な痺れ、けれどそれ以上に脳が警告音を響かせる光景が目の前に展開されていく。

 開いた懐に滑り込んだ葉月、握られたダガーナイフの一閃。

 降り下ろしと同時に変容で伸びる刃が左肩を深く切り裂いた。

 あくまでも物理的なエネルギー活動にしか影響できない睦月の念力と、あくまでも能力的な動的エネルギーである変容。ひどく相性の悪い組み合わせだ。

 昨日は気づかれなかったからよかったものの、触手の形を変容させながら巻き付かれれば、念力は効かずに肌に接触され、皮膚から癒着されていた。

 正直もはや、接近戦で戦える相手ではない。

 が、距離を取れば取るほどに攻撃を回避される率も高くなり、機動力の高い葉月相手では決定打を生み出せない。

 これまで圧倒的に有利な戦いしか経験してこなかった睦月には辛いジレンマである・・・・・・だが、それでも、殴り返すだけの根性は彼女だって持ち合わせている。

 斬刀水圧。

 この湿度の高い、それも天雨の中で、その能力を応用した結果、雨粒や霧がネジあるいは粉末ダイヤの研磨剤のように、葉月の皮膚を削り取り、目立って大きな傷こそできなかったが、全身から貴重な血液を流し出させた。

 もっとも、それで止まるほど葉月は傷つき慣れていないわけで、十分に近づき、自分の近くからならどこからでも(・・・・・・)発火させることができる彼女は、睦月の先のない左手に火をつけた。

「がっあぁああ!」

 別に負傷させることが目的ではない。火傷による感覚麻痺を起こさせることで、厄介な触光を封じ込めようというのが狙いだ。

 それが功をそうしたかは分からないが、とにかく隙のできた睦月にさらに畳みかけて、ナイフを右太股に突き刺す葉月。

「ぐぅううぅう!」

 けれど、そのうめき声は葉月から。

 その右腕をナイフ共々肘まで高熱で溶かされた。

 睦月はよろめきながらも葉月から離れようとし、風刃を放った。その軌道の先に比較的皮膚の薄い首があることを理解して、これ以上の大量出血を避けたい葉月は残った左手でかまいたちを受け、指を3本持って行かれた。

 さすがに両手が被害を受けた状態で、これ以上追い込みをかける気にはなれなかった彼女は、橋と繋がっている駅ビルへと逃げ込む睦月をとりあえずは見逃し、両腕を能力で治癒させることにした。全身の切り傷の方は浅く、強化された身体の自己治癒でほとんど塞がっている。

 しかし流した血の量は馬鹿にならなかったのも事実だ。

 攻撃に使っていないだけで変容もかなり使わされているし、正直そろそろ決め手がほしい。

 天を仰げば拡散し始めた霧は密度が薄くなっていて、雨雲が見えていた。

(そろそろ・・・もう少し)

 しばし熱を持った身体を冷ますために肌を生命を育んだ天の恵みに晒して、彼女もまた光も雨も遮る無粋な人工物へと入っていった。


                     ♯


 どこからか音が聞こえる。

 それが正確に何がどうなって立てている音なのかは、彼女の知る由ではなかったけれど、建物が傷みに耐えられなくなって悲鳴を上げているのだとだけは分かっていた。

 朝、あるいは昼と呼ばれるの時刻。この季節とも相まって、積もった雪の反射光にも照らされて光が溢れているはずなのに、目に映るのは空気に炭を混ぜたような景色だけ。

 ・・・・・・ここはどこだろう?

 飛び散った窓ガラスが踏みしめる度にジャリジャリと鳴る。

 人気(ひとけ)はない。いや、正確には生の気配がない。

 少なくてもこの周辺で生きているのは自分だけであるという直感が、妙なぐらいすとんと胸に収まる。

 ふらふらと歩み寄った窓枠に手をかけ、顔を外へと出した瞬間、ぬるっとした外気に肌を舐められた。

 外に雪はなかった。外にも人はいなかった。

 辺りを覆い隠す濃霧が薄まってちらりと見えた景色は、彼女の見知った場所ではなかった。

 道路はひび割れ、長い長い信号待ちにいつも苛立っていた信号機も、それを引き起こす絶え間ない車の列も見えない。

 お洒落な衣装を身に纏った顔なしのマネキンが、熔けて割れたガラスを張りつけている。

 見上げるのが楽しかったオフィスビルや独特の形をしたホテル、いつも内容の変わる広告看板、それらが崩れ剥がれ落ち、しっちゃかめっちゃかになっている。

 ここはどこだろう?

 再びの分かりきった疑念に、けれどいつも答えてくれる母親の姿はない。

 どこかへ(・・・・)行ってしまった(・・・・・・・)

 視線を建物の中にやればそこにあるのは瓦礫の山。上の階層が落ちてきたものだ。

 だから、そこに少し前までいたはずの店のお客達はいきなりいなくなってしまった。

 何かを紡ごうとした口は僅かばかり開いただけで何も発することはなく、ガラガラと小石ほどのコンクリートや粉塵が舞って、外とは別の意味で息苦しい世界の中では、意味なく開いた口から砂利が入り込み不快感が増すだけだ。

 ここをでなきゃ。

 今更すぎる決断に、一歩、踏みだそうとした足は、少女の身には大きすぎる瓦礫が上から雪崩落ちて、つま先をかすっていったところで硬直してしまった。

 ただでさえ状況に置いてきぼりを食らっている頭を、さらに一杯にする騒音。

 思わずしゃがんで縮まって、目を閉じ耳を塞いで堪え忍ぶ。

 長い崩落の音が終わって、ぎゅっと閉じていた瞳を開けた時、彼女の視界に射し込んだのは光、だった。

 蹂躙に耐えられず崩れ落ち、天井が抜け、遮光する屋根すら抜けた大穴からの、明るい光。

 少しばかり晴れた霧と雲の間から漏れる陽は、水を多分に含んだ大気に揺らめき輪郭が優しくぼやけていて、降り注ぐ雨が、光を受けて煌めいて、他の音全てを遮断するノイズ音を響かせている。

 天を仰ぐ少女は、その浮き世絵離れした光景に惹かれ、手を伸ばした。


(あぁ、ここは――――なんだ)


 そう思い込んで、その勘違いに縋ろうとして、さらに伸ばした腕を誰かが掴んだ。



 どこか近くで建物が崩れる鈍い響きを聞いた。

 瞳を閉じて大きく深呼吸。

 生存本能がリミットを外した余韻で未だ高速回転する脳が、最も多く情報を送り込んでくる視覚を一時的に遮断されることでいくらか落ち着きを見せる。

(左肩は、駄目。逝かれた。右足は何とか・・・移動には使える、けど、戦闘には無理だな)

 神経をばっさり切られた左腕はおそらくこの戦闘中は使い物にならず、右足も動かすのが精一杯。関節が壊れたというより骨が裂けていて、骨を補強しているからこそ立っていられるが、今が戦いの最中でなければ絶対安静を求められるコンディションだ。

 やっぱり形骸変容(メタモルフォーゼ)の再生能力はずるい、と睦月は苦々しく思った。

 ただ単純に与えられたダメージを計算すればどう考えても、葉月は致死に足る損傷を受けているはずだ。もちろんそれには、形骸変容(メタモルフォーゼ)にはない内潜変容(メタモルフォーゼ)の攻撃での優位性が大きく関わっているのだが、それにしたってあの耐久性は卑怯だろう。

(こちとら、身体は普通の人間だっていうのにな・・・)

 暗闇から半壊した建物へと視界を戻す。

 あるのはフィールドの方が壊れかけているという現実だが、さて、どうやって織神葉月という化け物を打破するか。

 化け物を化け物たらしめている能力を封じ、手足に口と触手を封じる。

 答えは出ていても攻略は難しい。

 けれど、それ以外に彼女に道はなく、その道はなお悪いことに退路もなく、相手は少しの間を待ってもくれないようだ。

「ふぅん、逃げないんだ?」

「最初っからそのつもりはねぇよ」

 溶かした右腕も、切断した左手の指も元通り。少なくても2回分の変容を使わせたことにはなるのだろうが、負傷が自分と違って戦闘に影響しないというのは困った話だ。 もっとも、さらに困るのは、その血肉を彼女は何で補ったかということで、口元の血と唇がくわえた指から思い浮かぶ想像はおぞましさしかない。

「はっ、また人喰いかよ。同じネタを使い回しやがって」

「ん。残念、それが微妙に違うんだよね。前回は生きてたけど、これはそこにあった死体から失敬してきたやつだから。

 でもさ、どっちなんだろうね?」

「あん?」

「腕の持ち主は、僕か君か、どっちの攻撃で死んだと思う?」

「・・・・・・」

「まぁ、どっちでも同じか」

 ケラケラと大して興味なさそうに笑って、彼女は自分の周りに火球を現出させた。

 揺らめく赤色は数珠状に輪になって回り始め、球が線に見えるほどに高速に達したところで、睦月に向かって放たれた。

 回転しながら迫る火の玉は軌道が読みにくい。否、読んで避けたところで、その隙こそが葉月の狙いなのだろうし、何より右足のこともあって彼女はあまり動きたくない。

 回避という選択肢は取れない。となれば、防御か、攻撃か。睦月が選んだのは、『相手の攻撃ごと吹き飛ばす攻撃』だった。

 左肩は使えない。右手をまっすぐ廊下の先にいる葉月に向けて、彼女は放射線をも含んだオレンジ色の一撃で迎え打った。

 直径2mはある攻撃だ。狭い廊下では避けるに避けれない。屋内に入った理由はそこにある。

 だが、葉月は視界を覆い尽くすように迫る光に慌てることなく、実に単純明快な回答で答えた。

 足の一蹴りで床を崩し下層へ。

 姿の見えなくなった一瞬で距離を詰めてきた彼女の触手が床を突き破って睦月もを下へと引きずり落とした。

 緊急防御、制御なしのめちゃくちゃな左の触光。

 じゅりじゅりと肉を焼く嫌な音と臭いがしたが、器用に重要機関は外した葉月はいくらか焼き切れた筋肉繊維などお構いなしに睦月の身体を床に叩きつけた。

 ゴロゴロと転がりながらも、しっかりと高熱を纏った右手で引っかいて、葉月の左肩の肉を削いだ睦月は、まだ攻め続けようとする彼女に対抗するために、足に力を入れ、そして右足の激痛に立ち上がり損ねる。

(しまっ・・・!)

 怪我のことをつい失念していた。

 関節が外れたのとは訳が違う。木刀を雑巾の如く絞ったが様に、捻られてベキベキと骨が割れかけているのだ。

 とっさに捻る、曲げるのできる足じゃない。

 痛みに腕の力までが抜けて、顔を床に打ちつけ、再び顔を上げた時には、1m前で葉月の右足が自分の頭を蹴っ飛ばそうとしているところで、打撃自体なら耐えられたとしても、インパクトの瞬間に念力殺しの変容で足を槌状にでも変えられれば、頭が潰れたトマトになる。

 左手は使えない、右手は塞がっている。

 発破では威力が足りない、レーザーは方向を決めるのに手をかざす必要がある。

 水も空気も強化された彼女の足を刻めるほどの威力はないし、防御には向かない。

 防御に向いている念力は打破済みで・・・・、

(間に、合わっ・・・!)


 ――――グプァンッ!ビシャ、ビチビチビチビチ・・・


 血と肉が弾けた音。

 破砕と破裂の威力が強すぎて、木っ端微塵になった葉月の(・・・・

「ぃぎ、がっ」

 生命維持本能を失わないために痛覚を切ることをしていなかった葉月は、いきなりの現象に神経を切って痛みに備えることができずに、もろにダメージを食らい、それでも発破能力で自分の身体を後方へと吹っ飛ばした。

「ぁあああ!!」

 ビチャビチャと右太股から血をまき散らしながら廊下を転がり、追撃されることからは逃れる。

 痛覚をちぎるように遮断して、失血と足の再生。

 先ほど食べた腕はまだ胃の中に残っている。変容ではなく胃の消化に任せて体内に取り込もうとしたからなのだが、そんな、まだ自分の中にまでは入っていない補給分に対して、新たに流した血と失った肉、使った変容は吊り合わない量だった。

 けれど、問題は怪我よりも能力の方だ。

 目に見えない能力、というのはいい。そのための能力波を視る視力なんだし、彼女にしてみれば能力の形態は対して重要ではない。

 要は能力波が集まっているところを避けてさえいればいい訳なのだから、念力だろうが転移だろうが見えないという点が脅威になることはない。

 なのに、喰らった。

 視えなかった訳じゃない。確かに彼女の目は集まった能力波を捉えていた。

 だが、避けるまでの時間がなかったのだ。

 能力波が集まって、それが発現するまでの時間差。それがほぼない。

 捉えても避けれなかった。

 しかも、そんな速攻にも関わらず、貯め(チャージ)の必要がないにも関わらず、強化に強化を重ねた葉月の足を爆散させるほどの威力がある。

 睦月はそんな攻撃をやってのけた。

 厄介極まりないし、しかもそれが、葉月自身よく知っている能力なのだから、彼女も心穏やかではない。

 ただ、それは逆に言えばその能力の弱点もよく知っているということで、立ち上がった睦月が利用価値に気づいたその能力を使うために接近してくる前に、自分が踏み砕いて貫通させた上のフロアへと跳躍した。

 あの能力はコントロールが致命的なまでに利かない。

 本来の使い手がそれに散々苦労していることは物陰から覗いていて知っているし、それに対する努力の成果が最近実り始めているのも知っている。

 さすがに辺り構わず粉砕してしまうのはまずいと、完全な制御は一端諦め、ある程度能力に方向性を持たせることで応急措置を取ろうとした結果、近頃ではとりあえず視界の下から上へという順序で能力を発現させるにまで至っていたはず。

 逆にそれ以外の制御がまるっきりできず仕舞いなのだが、殺人能力としては十分すぎるスペックだ。

 速い、強い、しかも燃費もいいときてる。

 そしてだからこそ、持ち主を無視して暴れるあの能力は使いこなすのが難しい。漫画などでよくある芝刈り機に振り回されるシーンなんかを思い浮かべれば分かりやすいだろう。

 上へと場所を移した葉月を追って視線を上げる睦月だが、だからといって粉砕能力は葉月の姿を追ってくれない。一度発現して上へと上り始めた能力は、どれだけ視線を動かそうが、消すまで最初発現した視界の上下そのままに上り続けるのだ。

 だから、移動し続ければ照準を合わせられないという弱点がある。

 怖いのは、あくまで接近戦でいきなりやられる時だ。発現の開始地点と同じ位置に身体の一部があった場合は対処のしようがない。

(幸い、クシロと同じで射程は2mちょいみたいだけど・・・最悪の近戦殺しだよね)

 逆立ちでもしない限り、一番重要な頭は大丈夫だとしても、軌道力が武器の彼女にとって足をやられるのはきつい。

 接近は不可。ならば、もう体力温存などと言ってもいられない。

 走り、睦月を下に引きずり込んだ時に開けた穴を飛び越えるついでに、下層を火で焼きつくす。

 当然、そんな攻撃をものともしない睦月がその穴から現れたのを見計らって、触手の鞭が唸りを上げた。

 頭しか上層に出ていない睦月を狙った触手の位置は、床すれすれで、睦月の視界ではなおさら下にある。

 勢いよく破裂する触手。その飛び散った肉片と血しぶきが、楔型に変形してさながら榴弾の殺傷片のように彼女の顔面を襲った。

 浮遊能力を切ってしまい落下し、何とか顔の傷を修復した時には触手がさらに迫っていて――――、衝撃と共に睦月は建築物から無理矢理吐き出された。



 粉砕念力を使うに当たっての弱点その2。

 いや、これは能力自体の弱点ではなく睦月の弱点なのだけれど、複数の能力を同時に使えても、同じ能力を分けることが彼女はできない。

 両手で文字を書ける人間はいても、片手に2本の鉛筆をもって書ける人間はそういないのと同じだ。レーザーと触光を同時に使えないように、念力を使って攻撃する以上、防壁としての念力は解除されてしまう。

 もちろん、ほとんど自動防御と化しているだろうから、粉砕念力を使っている最中に限るのだろうけれど、弱点は弱点だ。

 両足を犠牲にすれば素手でも殴れる。

 そのことにも気づいた葉月だったが、リスクがリスクだけに、今はまだ(・・・・)実行には移さない。

 肉どころか骨も粉砕を許してしまうその一手は最後の手段だ。

 睦月を壁に叩きつけるついでに、狭さで動きが制限される建物から場所を変え、空の見える場所に出た葉月は、転がる睦月を巻き込んで火柱を天に突き立てた。

 液体へと返り地上を湿らした水分が蒸発して、雨がまた激しくなる。

 火炎が消え去った後、満身創痍ながらも火中で立ち上がるぐらいの余裕はあったらしい睦月が姿を現した。

「さっきのあれ、クシロのだよね」

「あぁ、全く、一応と思って拝借しといてよかったぜ。

 まさか・・・これほど使えるとはな」

「まぁ、制御を捨てて照準も威力も形態も全てをパターン化した念力だからね。応用が利かない代わりに、能力を最大限に機能させれるのが最大の強みなんだろうけど・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも、ふぅん、クシロに会ったんだ?」

 何故だろう、睦月は彼女のぽつりと言ったその台詞に、自分が最大級の地雷を踏んだ気がした。

 葉月の表情はあくまで微笑だ。

 にも関わらず、その笑顔に睦月は冷や汗が止まらない。脳裏に引っかかる、既視感を手繰り寄せれば確かにそれは、前に見たことあるもので、「君の脳髄、頂戴」そういった時の笑みと全く同じ物だった。

 ガン、という音。再びの殺し合い。

 一瞬の間に引き抜かれ投げつけられた信号機が睦月に当たることなく歪んで潰れ、それと同時に左側からきた触手は切断されて明後日の方向へと飛んでいった。

 3打目は蹴り上げたアスファルトの塊が正面から。

 受け構えるまでもなく、大音量を響かせつつも睦月の前で制止した1m四方ほどの黒色、それに一瞬奪われた視界に隠れて急接近してきた葉月の右拳がその塊ごと睦月を襲った。

 ダイレクトでない分、威力が足りなかったのか、何とか踏ん張った彼女の腹にもう一発、かなりえげつないのをお見舞いしようとして、今度は葉月を支える両足が砕けた。

 念力の両刀使いができない以上、こうして攻撃されている最中に防御から攻撃に念力を転用はしないだろうと考えていた葉月の油断を突いた、捨て身の攻撃。

 右足がまた膝辺りまで、左は足首までを持っていかれ、うまく立てなくなった葉月は無理矢理、触手に身体を引かせる。が、髪か触手か、そのどっちにせよ、そういう風に退避行動を取るだろうと経験から分かっていた睦月に、斬物風刃で命綱をちぎられあえなく落下、しっかりと足で着地したとはいえ、まだ流血し続ける足のない脚ではまともに立てもしない。

 何にせよ立たれた状態では、粉砕念力で致命傷を与えられないと踏んだ睦月は、まずは葉月の頭を地面につけさせようと接近して、そこで彼女の唇が吊り上がるのを見た。

 ここにきて、この状況で。

「きた・・・!」

 葉月はそう言い、その意味を睦月が考える間もなく、答えは天から落ちてきた。

 元からあった分厚い雪雲、度重なる熱は当然上昇気流となって上空に昇り雪を雨へ、激しさを増した雲の中で衝突を繰り返した氷粒により溜まった静電気はやがて限界を越え、あまりにも強烈な光と轟きとなって降り注ぐ――――、

(神、鳴り・・・っ!)

 光速だ、避けれるわけがない。

 葉月が睦月のレーザーを避けれていたのは予備動作とかざされる手から出力方向が分かっていたからで、単なる自然現象であり、葉月自身に予備動作は必要ないこの攻撃は、成り損ないの現界把握ごときでは察知すら困難だ。

 直撃。

 電流はいい、電圧もいい。

 そんな物理攻撃は葉月の鉄拳に比べればどうということはない。

 問題は光と音。

 これらだけは無理なのだ。

 もしも念力がこの2つまで遮断してしまえば、睦月の世界は暗闇と静寂に包まれることになる。それが分かっていて無意識的に対象から除外してしまっている彼女の念力は、その2つだけは遮れない。

 網膜と鼓膜、目と耳が一気に潰れた。

「ぁあああっぁあああああああ!!!」

 そんな過酷な状況下にも関わらず、対策を取っていた葉月は視覚も聴覚も守りきり、素早く足を再生させた。

 攻守逆転。目を焼く激痛と、視神経から脳を冒し暴れ狂う光という情報に睦月が怯んでいるその隙に、彼女の脳味噌を喰らおうと右手を伸ばし、そして手の平は空をかいた。

自己転移(テレポートっ!?)

 そもそもそんな能力が彼女に初めからできていれば戦局はもっと違う形になっていただろうことから見ても、彼女の転移能力の不格好さを見ても、今の今まで自分を転移させることはできなかったはずなのだけど。

 この土壇場に、生存本能に従って、転移能力の優劣を分けるその壁を越えたらしい。

 転移先はまともに設定できていない無茶苦茶な転移だったようだが、かなりの早業だった。

 葉月の髪や触手に対応する、彼女の緊急回避手段と言うべきなのか。

 何にせよ、

「何なんだろうね・・・あの主人公体質」

 2回追いつめて2回とも避けられた葉月は不愉快そうに、手持ち無沙汰になった手を引っ込めた。

「けどまぁ、逃がさないけどね」

 彼女の後ろで稲光がして、音速を超えた衝撃波が音になって聞こえてくる。

 攻撃と探知両方を兼ねる自分の仕込みがちゃんと機能していることに、彼女は尖らした唇を笑みに変えた。



「クソったれ、なるほどな・・・そういうことか」

 2撃目は直撃だけは避けれた睦月は、ランダム転移した先、一角が自分の能力で切り取られたビルの屋上にいた。

 網膜と鼓膜を治した後、1回目にしろさっきのにしろ、何故自分に向かって稲妻が落ちるのか気になって目を凝らしてみれば、極細の糸が念力越しに蜘蛛の糸の如くくっついていたのだ。

 念力には触覚はない。それを見越して戦闘中に巻き付けたのだろう。実際蜘蛛の糸のように分岐してあちらこちらに伸びているその軽すぎるワイヤーは、葉月の作った上昇気流に乗せられて空へ伸びていく。切れてもいいし絡まってもいい、とにかく空と彼女を繋ぎさえすれば、おそらく鉄分を含んでいるその糸は、自動で雷をリードしてくれるという寸法だ。

 気づかなかったが、おそらくこのフィールド上の至る所に糸が張られているのだろう。

 その分、自分が思っていた以上の変容を使っていたことは有り難い情報ではあるが、この作り出すのが困難なシステムは、完成してしまえば対処が難しい。

 いくら身体の糸を取り除いても改めて付着させられれば意味がないし、葉月自身とは無関係に、人間がまだ制御をなし得ないその自然の猛威はやってくる。

(屋内に逃げるか?いや、あいつは中を嫌ってた。建物自体を焼き払われるのがオチだな)

 その火力をあれが保有していることは知っているし、それで使われた熱は上昇して新たな雷を生み出すことになるのだろう。

 どうするか。

 だが、対処を考えさせてくれるほどの時間を向こうも与えてくれないらしい。

 柵に持たれていた背中越しに、猛烈な熱気を感じて振り返ると、太陽のように煌々しい火球。

「激しーなおい!」

 右手からの光の筋がそれを貫くが、火を生み出した本人はすでに次へと行動を移している。

 火と煙の下を潜るように、発破を使った空中跳躍で屋上に迫り、鉄の柵を着地の衝撃でへしゃげさせた。

 落下分の威力を上乗せして、着地の後に睦月めがけて叩きつけられた触手2本は、直接当たらなかったが、目的としては十分なダメージを屋上に与え、脆くも崩れ始めた建築物の瓦礫に足をつけたままの睦月は浮遊能力で飛び上がろうとして、頭を葉月の絡めた両腕に打ち落とされた。

 足が地に着いているのならいざ知らず、ただでさえ念力を抜いてくる衝撃を空中で喰らってはひとたまりもない。

 加えて、懸念していた事態もが起きていた。

 念力の強度が落ちている。

 もう、ふつうの打撃すら身体に頂くのはまずい。

 だが、釧のことが出てから葉月の攻撃は明らかに激しくなった。

 それが弱点だったのか、向こうにも余裕がなくなっている。

 ここが正念場だ。

 力の入らない、動きもしない左腕が、落ちる身を襲う暴風にはためくままに、触光を発現させる。火傷のこともあってうまく操作はできないが、とにかく葉月の身体を傷つければいい。

 向こうももう再生の材料がなくなる頃合いだし、変容を使う体力も尽きかけているはず。

 切断と貫通と共に肉を焼く嫌な臭い。

 砂埃が目と口に入り不愉快この上ないが、構いやしない。

 触手が右足に絡み、嫌な方向へと足を曲げようとする。

 そうされた以上、念力を攻撃へ転じれない彼女の顔面を狙う葉月の右手。それを無理矢理、葉月が皮膚に絶縁性を持たせて以来使っていなかった電気信号をねじ込んで神経が途切れた左手を盾にした。

 びちりと弾け飛ぶ腕。

 元々手首から先はないのだからと思っていても、形骸変容(メタモルフォーゼがあれば再生できると知っていても、思わず顔をしかめてしまう光景だった。

 血を止める間もなく、葉月の頭突きに顔がぶれる。

 口内を切った。鼻血もが逆流して、舌が鉄の味で滑る。

 右手の放つ熱線が葉月の左腕を消し炭にしたが、ついに右足が関節と真逆に曲がり、その後にねじちぎられて飛んでいった。

 きりもみ状態で落下していく2人は、相手を一部を削ぎ取ることだけに執着し、備えもせずに瓦礫の山に突っ込み、上から注ぐ比較的軽かった落下物に押しつぶされた。

 発火や発破で、相手ごと吹き飛ばそうとした両者だったが、場所が悪かった。

 崩落により粉塵舞う中でのそれら能力は爆発を引き起こし、予想以上に大きかった爆風に葉月も睦月も吹き飛ばされた。

 剥き出しになった地面は雨水を含んでドロドロと軟化していて、それに混ざる血の赤黒い汚らわしさに吐き気がする。

 身体中を泥に塗れさせながらも、先に立ったのは葉月。

 せっかく生地から編んだ勝負服はズタボロで、左肩はほとんど炭化してしまっていた。

 雨に濡れて張り付く黒髪をかき上げて、彼女は吐き捨てるように言った。

「あぁもう、うっざい!パクリ女はしつこいし、万可その他(やろうども)は役に立たないし!

 クシロを巻き込むなんて・・・・・・あれほど言ったのに・・・」

「はっ、随分とお冠じゃねぇの・・・そんなにアイツにオレが関わるのが気に食わないわけ?」

 睦月も皮を張って止血しただけの膝から先のない右足を手頃な瓦礫に乗せて立ち上がった。

 頬についた泥を払い、もはやどう考えても戦えるものではない身体で虚勢を張る。

「気に食わないね。毒舌幼女の時僕がぶち切れたの知ってるでしょ、君は。それが分かっててやったってんだから、なおさら気に食わない」

「よく言うぜ。オマエだって「PKの系統と色別の理論」なんて極秘資料渡したくせに」

「あれは念力所の資料でしょ。至極研究所に含まれてるけど、あそこは念力研究の最高峰で、初期にできた研究施設だからそう呼ばれてるだけ・・・。あそこは万可と直接的な関わりもない。あの本からクシロが調べても、万可の深部には行き着かない・・・と思ってたんだけどね。その様子じゃああれ、君繋がりだったわけだ。・・・・・・全く、幼女のことがあったし、保険のつもりで誤誘導(ミスリードさせようとしてたのに」

「・・・・・・テメェが死んだ後、アイツが調べてもたどり着けないように、か?」

「機構から調べても何も掴めないだろうことはクシロも知ってる。調べるとしたら僕の渡したあの本からだ。幸いにもクシロの親は溺愛の放任主義だし、それなりの名士だし、彼はそう簡単に殺せない。彼がよっぽど深いところに入らない限り機構は手を下さない」

「そのために、アイツを守るために、アイツはそれを知りもせずに見当はずれのところを必死に駆け回るわけだ。

 クソッ、あぁそうだよな・・・嫉妬とかジェラシーとかそんなのオマエに・・・・・・オマエ、要はアイツの気持ちなんてどうだっていいんだ。

 人の気持ちなんて、他人(ヒトの気持ちなんて、まるで理解できねぇんだろ」

 言って、睦月は口に残っていた血を唾と一緒に吐き捨てた。

 頭に浮かぶのは、彼氏と言われた時のクシロの顔、「可愛い」と眼前の人形(ヒトガタ)と評した時のクシロの顔。

 自分にはないモノを持っていながら、自分が捨てたモノを持っていながら、それらを蔑ろにする彼女。

 自分の憧れすらが汚された気がして、睦月は拳を握りしめた。

「オマエは正真正銘のバケモノだよ。そんなヤツに、そんな屑に、死に損ないに殺されてやんない」

 ごきん、と転がった際に変に曲がった首が鳴る。

 傾きが直った視界、そこに佇むバケモノを睨みつけた。


「オレは絶対、オマエには負けない」


 跳んだのは泥。

 葉月の跳躍に、ごっそり抉れた土と水の混じりモノが派手に飛び散る中、息する間もなく接近した彼女の背中に触手は4本。

 2本再生し、残った2本の長さも戻っている。

 先に下からアッパーを繰り出した触手の1本が、念力に阻まれる前に純粋な水圧(・・)に弾かれた。上、もしくは斜めか横からならともかく、すくい上げるようにして繰り出した触手では威力が弱かったか。元は釧の念力を使わせて、防壁を消させるのが狙いだったが仕方ない。

 葉月は右手を振るい、その軌道が首筋に向かっていることを理解して、全体的に薄くなった念力の密度をそこへと寄せた。

 いきなり強度を増した壁に剥がされた爪が葉月自身の頬を切る。

 けれど葉月は止まらない。

 勢いを乗せた右回転、まさしく鞭となった触手3本が睦月の横っ腹を強打した。

 防御の薄くなっていたところへの一撃、とっさに水刃で2本切断したが、ダメージを軽減することは叶わなかった。 

 遅れてちぎれ飛ぶ長細い肉塊。前と違って中から出てくるのは赤い血だ。

 それを止血させる余裕を与えるわけにはいかない。

 内臓を損傷しただろう激痛に耐えた睦月の右手が熱と光を帯び、まだ横っ腹に引っかかっていた触手を焼き切って、そのまま葉月の横っ腹に凶刃を向ける(おかえしする)

 5cmほど肉に食い込んだ光の刃、だが右腕を葉月の左手で捕まれてそれ以上進めない。

 力比べは分が悪い、ならば正直人間離れしていてやりたくはないのだが、いつぞや葉月がやっていたように口から――――そう思って彼女が口を開くより先に、残り1本になっていた、最初下から攻撃を放った触手が、睦月の先のない右脚を、乗せている瓦礫から落とそうと引っ張った。

 バランスが崩れ、口の照準がズレる。

 しかも、その状況で再び襲いかかってくるのは葉月の右腕。

 ゴッ、バンと粉塵をまき散らしながら、爪の欠けた右手は睦月のいた台座代わりのコンクリート塊を粉砕した。

 睦月はいない。

 自己転移、かなり雑な転移になってしまうが、それでも通常の転移よりも素早くそれを成し遂げれるようになった彼女は、葉月のすぐ後ろ、逆さまに空中に転移した。

 その刹那、発現させるのは粉砕念力。

 視界が逆転しているこの体制ならば、足ではなく頭から潰せる。

 ヂッ。

 しゃがんだ際、なびいた髪の先が細切れになるのを感じつつも、葉月はその予測できた攻撃にカウンターを叩き込む。

 素早く振り向き、右足で彼女の頭を蹴り上げ、迫る念力を解除させた後、口からの火球。

 嫌な音を鳴らす首、それでも折れることは避けたが、炎の追撃に打ち落とされることにはあらがえなかった睦月は、空中で体勢を何とか整え、残った左足で着地した。

 そこを狙った葉月の触手を切り落とし、足裏に発破をかけて超速で詰め寄る彼女に、粉砕念力で攻勢に出る。

 あらゆる方向に向かって念力が入り乱れて発現し、まず踏み出した右足が砕け始め、次に左もを巻き込み始めたところで、睦月の左腕に葉月の右手が届いた。

 撥水能力の水圧と発破、その2つで防ごうとしたものの、手首の骨を砕いただけで二の腕の肉を取られるのは免れなかった。

 いや、どうせ肘までしかなかった腕だ。それで済んだのならむしろ上々と言える。

 念力が防壁に戻り、足の損壊を右足首と左足の筋肉を剥ぎ取られるに止めた葉月の3手目は髪。

 今日に限って今まで使ってこなかった髪を動かすのではなく、変容で伸ばして薄く膜を張っただけの睦月の右膝の傷口から侵入を図る。

「が、・・・のっ!」

 けれど、ここまできてもう離脱す気は睦月にはない。

 癒着されることまでは覚悟している。

 手でなく足からならば脳に辿り着くまで時間を稼げる。そして何より懸念していた髪の動きを逸らすことができた。

 それぐらいのリスクを犯さなければ決定打を与えられないのは、激痛を以て知らしめられた。

 ここで逃げればまた同じことの繰り返しだ。

 だから、退かない。ここからが勝負。

「こ・・・のぉ!」

 髪を無視し、雨と霧を使った斬刀水圧で、葉月の全身を刻む。

 弾ける血潮。豪雨の勢いにも負けずに赤い華が開いた。

 葉月の口から火が漏れる、その前に自らの右手を突っ込んだ。能力である炎に火傷はしても、念力が阻んで指は噛み切られない。

 渾身の力で首を横へ。

  上がった炎が作り出す水蒸気などお構いなしに、葉月は睦月の抵抗を抑え込もうと彼女の首根っこを掴んだ。

 左手はない。右手もほとんど焼けて炭になった。

 だが、手も足も口も髪も触手も、全て封じ込めた。

(さぁこい!)

 やっと、これで、全てが整った。

 自然すらを手玉に取るのが生物なら、生物の智恵を奪うのが人間だ。 

 葉月が用意した雷雲だが、それを利用できるのは彼女だけではない。

 発電能力があれば葉月の糸を逆に辿って誘電することぐらいはできる。

 落雷。

 轟音と光の暴力は睦月に。

 再びやってくる視覚と聴覚の濁った世界。

 念力が弱まっていたせいで痺れもきた。

 それに対して葉月もダメージがないわけではない。

 睦月に癒着した髪を伝って電圧と電流が流れ込み、そして目と耳も一時的に使えなくなる。

 葉月が雷に耐えられるのは、強烈な光や音に焼かれない目と破れない鼓膜を持っているからだ。

 いくら彼女といえ、落雷の瞬間、目が見えて耳が聞こえているわけではなく、

 今なら攻撃を避けられることはない。

 ――――今、この時こそが最大のチャンス。

「いっけぇぇええっ!!」

 予期せぬ痺れと光と音で動きが止まった葉月に向けて向けられる焦げた右手。

 けれど、攻撃は葉月の背中から。

 電磁力に引き寄せられた瓦礫の中の鉄骨、ねじ切れて尖ったその先が、葉月の細い腹を貫いた。

「ぇごっ、ぉおぇ!」

 計3つ、葉月を貫通し太い鉄釘。その1つは勢い余って睦月の横っ腹をも刺していたが、気に留めるほど深くはない。

 かざした右手を振りかぶる。今度はレーザーの一線が葉月の腹を通り過ぎた。

 ばたばたばたと口から逆流した黒い血が、自らを貫く凶器に振りかかる。

 胴体は完全にちぎれ、内臓器官のほとんどが駄目になった葉月の身体は、横隔膜がうまく機能せずに息すらできない。

 昨日のようにくっつけられる前に、視力・聴力がやっと戻った睦月は、彼女の下半身を発破で吹き飛ばした。

 それでも葉月の上半身が落下しないのは、彼女が離さずに首を締め続けている右腕があるからで、その手が遂に念力の防壁を抜いた。

「が、あ!」

 それへの対応より先に、右足から未だ侵入を試みる髪を燃やせざるを得ず、対処の遅れた分締まった気道から呻きが漏れる。

 だが、そもそも手首の骨が折れた腕だ。力はそれほど強くはない。

 手を退かすより、葉月自身を止めた方が早い。

 そう判断して、おそらく体温調節すらままならないだろう彼女の身体から冷却能力で熱を奪いにかかる。

 そこへ、突如衝撃が睦月の背中を襲った。

 切り離した触手が元々片足でバランスの悪い彼女を前へと押し倒し、それに押し潰される前に葉月は右手を離した。

 泥と血でできた地面に打ちつけられる織神と色神。

 方や下半身と左腕がなく、方や両腕と右足が使いものにならない。

 2人共無事と言える状態ではなかった。

 服も肌も、顔も髪も、体中が痛々しい有り様だった。

 容赦のない潰し合いなのだ。

 血肉が華やぐ度に、生命が咲き誇る、命そのものの戦いなのだ。

 一歩も譲らない殺し合い、そして生き延び合い。

 だからこそ、そう簡単に決着などつくわけがない。

 生命維持こそが宿命。

 故に、これ以上この場に留まることが死に直結すると分かりきっている葉月は逃げに転じた。

 無茶な発破に任せて身体を打ち上げ髪を伸ばし、さらに遠くへ。

 上半身だけで空を飛ぶという怪奇現象で、逃亡に出た葉月を追いたくはあった睦月だったが、こっちもこっちで片足がない上、絡みつかれた触手に手間取って追うことができなかった。

 両手がないため手で払うわけにもいかず、彼女は能力でそれを引き剥がさなければならなかったし、移動の方も能力なしにはできそうにない。

 いくつかの能力を平行発現するのにも、精神的な限界が近い状態で無理はできない。

 ひとまずは息を整えつつ、触手の方に専念した。

 どうせあの怪我だ。

 遠くに行けないし、ここら辺一体は自分達が焼き尽くして死体すらそうは見つけられない。

 見つかったとして、もう体力が尽きかけている彼女には、身体を再生させることも辛いだろう。

 血と肉をあれほど抉ってやったのだから、体積的にも肉を取り込まないと再生自体難しいだろうし、取り込むにしても、胃腸が潰れた彼女は変容を介さなければそれすらできない。

 変容能力の使いすぎは体調に大きく影響することも昨日の時点で確認済み。

 どの道、状況が葉月に不利であることには変わりない。

 昨日と違って、今日ばかりは体力を回復させる時間を与えるつもりはないのだから。


                     ♯


 水溜まりを歩いていた足が、その中に混じっていたガラスの破片を気づかず踏んで血を滲ませた。

 もう、自分の身体は堅さを保っていない。

 何とか下半身を再生させることはできた。できたのだが、その材料をかき集めるのに、今まで身体の強度を上げるのに使っていた血肉を極限まで削ることは避けられず、それですら足りなかった分は身体全体を縮めてバランスを整えるしかなかった。

 結果、10歳ほどの体躯になった身体は、まさに姿相応の身体能力しか持っていない。

「さっきのはまずったなぁ」

 ふらふらと身体を揺らし、廊下の壁にもたれ掛かりながら移動する。

 左腕を再生する余裕なんて当然なく、本当は身体の再生に能力を使うのも正直やりたくはなかったのだが、さすがに生命維持に支障をきたす致命傷だけにそうもいかず、移動手段として最低限、足も再生させたのだがこの様だ。

 足を再生させずに、発破で移動した方がまだマシだったかもしれない。

 そんなことを後悔しながら、葉月はとてとてと裸足で建物内を移動していた。

 廃屋確定の建築物に逃げ込んだのは、時間稼ぎと血肉の補給を目的にしていたのだが、なかなか後者の当ては見つからない。

 この身体では足で逃げるのはまず無理だろうし、さっきの如く髪で逃げようにも、能力的に体力が持つのか疑問だ。否、髪の量が持つかも分からない。極細で強度のある髪糸を作り出すのは精神的にきつい。

 体の再生の際でもかなり変容の精度が落ちていた。

 だいたい、これらはあくまで崩壊した地帯から離脱を図る方法で、睦月から逃げきることとは別だ。

 昨日のこともあって、何より手と足にあれだけの被害を受けながら自分を追いつめた顔所が、引くはずもないし、何より逃亡対策は取っていることだろう。

 ならば返り討ちを狙うべきか?

 それが一番可能性がある方法だ。

 ただし、発火と幼女の身体能力でどう対抗すればいいのかが問題なのだが――――、その知恵を絞る時間はやはりと言うべきか、与えられなかった。

 色落ちしたオレンジ色が、通ってきた廊下を焼きながら迫ってきた。

 直径10cmもない、一時期のようなビルごと切断する威力もない熱線だ。

 向こうも相当疲労している。

 それでも飛び道具を得意とする向こうに分があるのは火を見るより明らかだろう。

 遮蔽物のない廊下はまずい。

 近くの角を曲がって、天井の誘導板を確認しようと顔を上げた瞬間、塗れた床に足を取られバランスを崩した。

 曲がった先が自分達の攻防で半壊していたようだ。斜めになった廊下をずるると滑って、その先にさらにあった広い階段を転げ落ちた。

 20台ほど並ぶ改札機と滑る前に見た誘導板の『↑ 中央改札口』の表記から、転げた先が新幹線と普通線をも結ぶ巨大駅構内の、最も人の出入りが激しい改札口だと知り、その性質上空間が広く取られていることに舌打ちした。

 改札機のある反対側は、下を通るいくつもの路線を見下ろせるようにと一面全てガラス張りの壁になっていて、丁字型の両方向から各路線の客をここへ集める廊下すらが太い。

 ガラスがなくなって吹きさらしになった構内は寒く、浸されたという表現がふさわしいほどにびちょびちょに塗れている。

 ボロ切れになった黒い布を身体に巻きつけて、とにかく立ち上がり、遮蔽物になりそうな改札機へ駆け寄ろとして、追ってきた睦月の撥水に足を取られてまた転がった。

 追撃を避けるために後ろに向かって放った発火(ブースト)が脆く霧散し、そこから飛び出した睦月の発破を喰らって、改札機に背中を打ちつける。

 肺から空気が抜けて息苦しさを覚えるも、さらに飛んできた風刃に息を整える暇もない。

 機械の後ろに隠れて避けたが、大して大きくも頑丈でもない遮蔽物は一撃でかなり損壊してしまった。

 その陰から睦月の様子を窺えば、向こうも酷く息切れしている様子だった。

 無くなった右膝下を浮遊能力で補って歩行しているらしいが、加減が難しいのかバランスが時々崩れている。

 なら、普通に飛んで移動すればいいのだろうけれど、それをしない辺り、得意ではない浮遊系の能力ではそこまでの力を出せないほど弱っているのだろう。

 念力と浮遊、予知は身体能力の低下した自分相手にもう要らないとみて切っている。となると能力並行の枠は残り2つ。

 やっぱり純粋なPK戦となれば勝てそうにない。

 遂に切り裂かれた改札機から横の改札へ。それもが風に耐えられずに悲鳴を上げている。

 射程距離外だからこれぐらいで済んでいるが、近づかれれば近づかれるほど威力は増すはずだ。

 2mを切った時点で釧の念力の有効範囲。

 アレを使われたアウト。

 あんな出鱈目な攻撃は避けられるものではない。

(っとに応用が利くなぁ、あっちの能力はっ!)

 二の腕を掠めた風に皮膚を裂かれながらも飛び出して、改札内から死角になる切符売り場の壁にまで何とか移動しようとするも、直撃ルートの斬物風刃(カマイタチ)に途中で止まらざるを得ず、身体を隠した頼りない盾はいとも簡単に半壊した。

 壁までは後3分の1ほど。

(せめてちゃんと身体を作れるだけの材料があれば・・・)

 そう思いはしても、ないものはしかたない。

 形骸変容(メタモルフォーゼ)がどれほどこの物的世界で有利性を持った能力であろうと、無から有を創り出せない。

 だからこそ、体積を補うために先代変容だって30年前鉄鋼竜(ドラゴン)になるのに鉄工所の鉄を――――、

(・・・・・・鉄工所の鉄、骨?)

 はっとして彼女は自分の足を見る。

 細い太股、その中の骨はスカスカで、筋肉もほとんどない。

 カルシウムにリン酸、コンドロイチン・・・その他筋組織を構成する細胞材料・・・・・・とにかく足りないモノがありすぎてまともに身体を構成することができなかった結果だが、例えば今自分が防壁にしている鉄屑を取り込んだからといって、その足を健康状態に戻せるかと言えば答えはNOだ。

 鉄から手にはいるのは鉄原子であって、足りない骨や筋肉の主成分はほぼ含まれていない。

 だから自分は必要組織を満たしている同じモノ(・・・・)を探していたのではないか?

 そして、それは先代も同じだったはずだ。

 鋼鉄の鱗を持った堅牢な竜。

 その体長がいくらだったかは知らないが、元からの自分の持っていた筋肉で、体重を支えられたとは思えない。

 明らかに内部組織の材料が足りていない。

 それでも先代がそれを成し遂げたとするならば、鉄骨を取り込んだのが純粋に体積だけの問題だったとするならば、

形骸変容(メタモルフォーゼは陽子や中性子、電子すら操れる?

 核子組み替えができるのなら・・・いや、そもそもどうやって取り入れた?)

 形骸変容(メタモルフォーゼはあくまで自分の身体を操る能力だ。

 例え核子まで操れるとしても、それは体内に限っての話。

 自分が口や背中から噛み砕いて人体を取り込んだように、あるいは今日のために用意しておいた銃弾やナイフを口から呑み込んで吐き出したように、取り込むという動作を経ない限り能力の対象にはできない。

 しかし鉄骨なんて、そんなもの口からは入れられるわけがない。

(アメーバや白血球の食作用のように身体全体で包み込んだ?・・・ちょっと待った)

 体内に取り込んだところで鉄骨は鉄骨だ。胃で分解して取り入れるのとはわけが違う。

 分解しようがしまいが元は外にあった物質であることには変わりないはずだ。

(外物質を自分のモノするって、考えてみればどう定義すれば・・・いや、それを言うなら逆だって・・・)

 思い出すのは夏の倉庫。銃弾にもげた腕。

 神経が繋がっていなかろうが、アレは動かせた。

 あるいは切れた髪や触手、血液だって、大して気にしていなかったが遠隔操作できていた。

 千切れていようが、元は生命活動の結果として体内で作られた物質だから動かせたと仮定するのは簡単だが、今日使った銃弾やナイフは胃に取り入れて、強化するのに多少原子構成をいじったぐらいで、銃弾は元から銃弾だ。

 そもそも、いじる際に変容を使ったのだから、胃に入れた時点で形骸変容(メタモルフォーゼ)の基準では体内物質としてナイフは扱われていたのだろうし、身体の外に出した後、睦月を切りつける時には変容で刃を変形させることもできていて――――つまり、体外に出したにも関わらず、あのナイフは身体の一部という認識だったことになる。

(けど、だったら外から内へ入ってきたものだって、外の物質には違いないし・・・いや、そもそも人間の身体なんて数年もすれば構成する分子は全部入れ替わるんだから、外か内かなんて定義しようがない。

 形骸変容(メタモルフォーゼ)は自分という生命と周囲の別のモノとでどう境界線を引いてる?

 自他を・・・生物と無生物をどう区別する・・・?)

 細い自分の右手を見る。

 それは紛うことなき自分の手で、生きている身体だ。

 手から焦点(フォーカスをずらし、今までぼやけて見えていた周りの風景を意識を移す。

 コンクリートの壁、鉄の枠格子、水溜まり、ガラスの破片に改札機。

 生きていない、モノ。

 全てが無生物に分類されるモノ。

 そこに生命は宿っていない。

 そもそも生命が生体のどこに宿っているのかすら解明できない現状、その有無で生物を分けることなどできはしないけれど、それでも自らを周囲のモノと隔てる何かがあると考えるのなら、生命が産声を上げたその瞬間にこそ、生物と無生物が(わかった要因はある。

 遙か昔、自然の摂理のまま混沌(カオスであった世界に、秩序(コスモスを求めたわがまま娘の誕生は、


 その始まりは膜。外と内を分け『他』から『己』を切り離し『個』を作り出したその時から『私』は生まれた――――


 そう、それまでは『他』も『己』も『個』も『私』も、みんな同じモノだった。


                     ♯


 下にあるフォームを見下ろせる展望壁(ショーウィンドウ)はガラスが飛び散り、枠だけが斜光に当てられ格子型の陰を中央改札へと落としている。

 いつの間にか、あれだけ厚く天を覆っていた雲は晴れ、久しく顔を出した冬の空は橙色の光。

 水溜まりがその陽を反射して、床はオレンジ色に輝いていた。

 もう1撃。

 もう1撃で葉月の身を隠している改札機を弾き飛ばし、彼女を遮蔽物から放り出せる。

 そうなれば、次はもう次の盾に隠れる暇を与えず、トドメを刺しにいける。

 そのつもりで黒焦げた右腕を振るおうとした時だった。

 黄金の光を受けて影を伸ばす鉄屑の陰から、ヒラヒラと何かが舞い上がった。

 夕陽の中、静かに舞う黒い羽。

 その形は揚羽蝶に似ている。

 だが、

(蝶・・・じゃねぇな)

 近くを通り過ぎた1匹を一目見て、睦月はそれが何か理解した。

 確かに蝶だ。けれど本物ではない。

 蝶々結びされたリボンが、蝶そのもののように舞っているのだ。

 あるモノは滑空するようにほとんど羽ばたかずに舞い降り、あるモノははたはと羽を広げて舞い上がり、あるモノは糸を足のように使って水溜りや瓦礫にとまり・・・・・・気づけば何十匹もの黒い蝶が改札の至る所で己が自由を謳歌していた。

 それが何の紐で作られたモノなのか、その分かりきった答えは、目に見える形で示された。

 自ら姿を現した葉月の髪がロングからショートヘアに変わっている。

 いや、ソレはいい。黒い物体が飛び出した時点でそれは予測できていた。

 不気味なのは、今の今まで攻撃を避けていた彼女が、その脆い身体を晒しているこの状況だ。

 何らかの対抗策を思い至ったのは明白。けれど、何を考えているのかがまるで分からない。

 髪を舞わせて、一気に攻撃させたところで睦月には核分裂による高熱がある。

 それを纏われれば髪では攻撃を通せないのは向こうも分かっているはずだし、例え他に小細工のバリエーションを思いついたにしても身体を晒す必要はない。

 どうしてもそうしなければならない手段なのか、あるいはそれほどまでに優位に立てる手段なのか。

 そのどちらにしても、肝心の手段に思い当たらない睦月が、とにかく蝶を近づけさせないようにと警戒を強めたところで葉月は口を開いた。

「隠れんぼ」

「・・・あ?」

「隠れんぼ、しよう」

 何言ってやがる、そう言おうとした瞬間、睦月は横からの見えない暴力に、数十mは離れた売店へ突っ込んだ。

(ん、な、念力だと!)

 商品棚に打ちつけられながらも、すぐに立ち上がった睦月は距離が離れた葉月を睨みつけた。

(できるはずがない・・・できたら初めからやってるはずだし、オレから奪う機会もなかったはず!何、で・・・)

 葉月の起こした不可解な現象にばかり意識がいっていた彼女は、

「あれぇ?隠れないでいいの?」

 そんなさっきとは逆に、余裕を持った葉月の台詞に我に返り、

「隠れないと死んじゃうよ?」

 その言葉と同時にまたもや、今度は腹を殴られるような衝撃を受けて床を転がった。

 各路線と中央改札を繋ぐ、売店が連なる廊下。

 床のタイルを巻き込んでコンビニや土産屋の店前を数件過ぎてやっと止まった睦月は、応急処置をしただけの右膝の皮膚が再度破けて出血しだしたのにも構わずに、風刃を葉月に放った。

 本来なら葉月の身体を裂くはずの風の凶器は、彼女に届くことなくいきなり消えた。

 ならば熱線は、と黒焦げた右腕を伸ばすも、途中までは直進した光は空間の歪みに吸い込まれるかの如く捻れて霧散してしまった。

(逃げ・・・!)

 ようと、使った自己転移は発現すらせず、爆発を起こすための発破もがうまく作動しない。

 さっきは使えた出力系能力が使えなくもなったことを、葉月が近づいたせいだと瞬時に判断できても、近づいてくる彼女を止める術は思いつかない。

 だから、"隠れろ"なのだと今更ながら理解して、足で逃げようとした背中をさらに追撃された。

「ぁ・・・が」

 効かないと分かっていても使わずにはいられずに、葉月を追い払うように放たれる彩り溢れた弾幕は、あらぬ方向へ逸れ、弾かれ、捻れ、消え、跳ね返るだけだ。

(くそ、何でいきなりっ)

 とにかく葉月から遠のいた上で、自己転移で離脱する。

 それぐらいしか対策の思いつかなかった彼女は、同時に、近づかれ過ぎれば右足を浮かしている浮遊能力すら使えなくなるという最悪の状況も思い浮かび、自らの焦燥感に拍車をかけてしまった。

 焦りもあって考えなしに、無理やり浮遊能力で身体全体を持ち上げて、展望壁から外に出ようとして、無念にも打ち落とされた。

 肺の空気を吐き出し、おまけに左腕の怪我までが開いた。

 すでに出血量が限界に近かった彼女は、吐き気に襲われ胃液をぶちまけてしまう。

 うぇ、と呻き漏らす彼女に容赦なく放たれた葉月の不可視の暴力は、彼女をさらに後方にまで追いやった。

 水浸しになった身体。

 血の気のどんどんと抜けていく身体。

 治癒能力の応用で軽減させていた痛覚もが戻りつつある。

 動かすことすら辛い身体になけなしの力を込めてもたげた視界を、黒い蝶が通り過ぎた。

(そう、コイツだ。コイツらが出てきてからおかしくなった)

 だが、その仕組みが分からない。

 何か仕掛けてくると、初めから警戒していたからこそ彼女には分かる。

 コイツらは何もしていない。

 この不吉な蝶が何か不審な動きをすれば、何か掴めたはずだ。

 そのつもりでずっと観察していたのに、殴りつけられている間、この蝶はただ舞ったりとまったりしていただけだ。

 葉月が意味のない行動を取るはずもないのだから、そこに在ることがソレの存在意義なのだろうと、完全に策中にはまった今なら推測できる。

 しかし問題は、在るだけでどうして役割を果たせるのかで・・・・・・。

 改めて、葉月の起こした現象を振り返ってみて、睦月はやっと思い当たった。

 形骸変容(メタモルフォーゼ)の有効範囲を体外に範囲に広げることができるとしたら、先ほどの現象を説明できるのではないか――――?

 (形骸変容(メタモルフォーゼ)の適応対象ってそんな曖昧な・・・?いや、体内体外の境界線の方が不明瞭なんだ。

 ・・・・・・っ!そういうことか!蝶は自分の体内を再認識するため!そうだよな・・・形骸変容(メタモルフォーゼ)の有効範囲が概念的なモノという考えに至ったとしても、そう簡単に今までの認識を変えれるわけがねぇ!だから・・・)

 外と内を分け『他』から『己』を切り離すために、自分の一部(髪)で囲った。

 膜という名の境界を定め直す行程を経ることで、一から『個』を設定し直した。

 つまり結界を創り出した。

(どおりで隠れんぼなんてほざいてたわけだ)

 夏、葉月がしでかしたことを思い出して、睦月は口に残っていた胃液を吐き出した。

 あの時も葉月は同じことやっていた。

 倉庫を密閉し、外界から切り離して、その中に異質を内包することで異界を創るという、魔術的な下ごしらえ。

 別に本当に魔法をかけるわけじゃない。要は自己暗示なのだ。

 ぶち壊れた、狂気染みた世界を演出することで、雰囲気すらを呑み込んで、自分すらを暗示にかけ、この世界もが自分の一部なのだという突拍子のない考えを信じこませた。

 蝶とそれと、2つ合わせてようやく発動する形骸変容(メタモルフォーゼ)の第2段階。

 ならば、せめて蝶からさえ逃げ切れれば、と頭では分かっていても、彼女はある疑念に囚われて動くことができなかった。

 万可統一機構は形骸変容(メタモルフォーゼ)の進化の可能性が、能力奪取ではなく、境界越境にあることを知っていたのだろうか?

 彼らの望みであるという全知全能は形骸変容(メタモルフォーゼ)だけで事足りる。もし彼らがそれを知っていたとすれば、内潜変容(メタモルフォーゼ)の重要性は高くない。それでも自分という存在を用意した理由は、葉月に対する当て馬――――だったのではないのだろうか?

 そんな考えがぐるぐると巡って、そもそも形骸変容(メタモルフォーゼ)を得るのに戦闘に臨む必要性がないことや、この戦いに自分達のどちらが生き残っても万可にとっては同じことなのだと思い至って、挙げ句、

「もーいーかい?」

 葉月の楽しそうな壊れた声を聞いて、いっそう惨めな思いになった。

 そう、考えてみれば、葉月が改札機から姿を現した時点で勝負はほぼ決まっていた。

 体内ならば自在に操れるのが形骸変容(メタモルフォーゼ)なのだから、蝶に囲まれた時点で、自分の殺生与奪の権利は完全に葉月に移っていたはずだ。

「もーいーかい?あははははっ!」

 なのに、彼女は殴りつけるだけで、決まった勝負をわざと長引かせ、今もこうして愉しんでいる。

「もーいーかぁい?」

 こちらに歩きながら、そんな台詞を吐く壊れた葉月をせめてもと睨みつけようとして、

「もぅーいーよ」

 今まで繰り返してたのとは違う台詞を口にした彼女の目が、ギュルリとこっちを向く様直視し、そして思い出した。

 イメージは紅。

 濃黄から山吹、夕赤に濃紅。

 赤き空を従属して佇む黒き塊。

 紅の逆光がソレを黒く見せて、その輪郭を強調する。

 見上げた屋上、そして呪詛を吐く絡繰人形。

 そんな、過ぎ去りし日の情景。

「ぁ・・・」

 縮んだ身体に、短くなった黒髪。

 儚い蒼色が西から迫る紅色に追いやられ、赤の女王が支配する夕空は赤い。

 そんな、今この時の風景。

 その2つが重なった時、彼女は理解した。

「あぅう」

 ソレが何なのか、ソレを動かすのが何なのか、どうしてどのようにしてそこにあるのか。

 織神葉月という存在の在り方を理解した。

 意志も、精神も、心も、命もを取り除き、死に近づいてこそ姿を現す、生命の在り方を理解した。

 彼女は|生命の始まり「エヴァ」、何もかもが混じり合った世界で生と死とを分け隔て、生きること始めた、それまでは生きていなかった、わがまま娘。

 在るのか無いのかも未だ解明されていない、どこにあるのかも分からない、隠れんぼ好きなわがまま娘。

 生を定義できない以上、死もまた定義できない。

 形骸変容(メタモルフォーゼ)がそんな生と死、自と他の境界線にある能力だとすれば、どうやれば葉月を殺せるというのか。

 もがれた腕はそれでも生きていた。ちぎれた上半身はそれでも生きていた。生命維持に呼吸器も循環器も必要としない葉月に、死と呼べる状態が本当に存在するのか。能力発現に関わる脳を破壊すれば可能性はあるが、脳を半分失っても生きている前例はいるし、脳だって発達した神経細胞でしかない。

 いや、そもそも能力を奪うことが目的だったはずなのに、いつの間にかそれを逸して殺すことばかり考えていた時点で、自分の敗北は決まっていたのではないか?否、全力で戦って互角の相手に対して、自分は手加減しなければならないような勝利条件が提示されたところからして――――、

(やっぱり私はっ)

「うぇ・・・」

 そこまで考えが至った時、睦月の心は折れた。

 タイルの剥がれた床、そこに溜まった水。

 そこに頬をつけて、涙なのか鼻水なのかも分からず顔を汚している自分。

 酷く、惨めな、気分。

 近づいてきた葉月の裸足が視界の端に写った。

 右脇を掴まれ持ち上げられ、今日何度目かの対峙を果たす。

「泣いてるの?」

 彼女の顔を見て、心の底から不思議そうに、葉月はそう言った。

 程なくして脇下と接した手から、皮膚が融け合い始め、


 そして、腹が弾けた。


「「ぇ?」」

 それは2人とって驚きで、2人共に痛みを与える一撃で。

 ボトリ。

 本当に、そんな間の抜けた音を立てて、睦月の下半身が床に落ち、"自分"と再認識した結界内を貫かれ、体内をかき混ぜられたような感覚に襲われた葉月は、睦月から手を離した。

 鉄榴処女(アイアン・メイデン)、仕込み刃で血を絞る凶弾。

 ごぷごぽと口から血を吐き出し、腹を押さえてくの字に体を曲げつつも、そのあんまりな横やりの犯人を探し辺りを見回した葉月の目が、視界に青いフードの人物を捉えた。

(風々・・・!?)

 隣に幼い少女を連れているのにも気がついたが、今はそんなことはどうでもいい。

 何でここで、と全てを台無しにした男に怨嗟の念を送ろうとして、足が掴まれる感覚に視線を下ろした。

 睦月が手を伸ばして足首を掴んでいる。

「ぁっ、ぁぅ・・・えぁっぅ、ぅ、ぅ、ぅ」

 呻いて、意味なく必死で自分にしがみつこうとする彼女の姿を冷めた目で見て、葉月は大きく息を吐いた。


                     ♯


 色神睦月、射殺。

 その知らせを受けて万可統一機構は騒然としていた。

 睦月が死んだ。確かに損失は損失だが、それは自体はいい。

 葉月と睦月を戦い合わせたのは自分達なのだし、その過程でどちらかが死亡するという可能性は最初から分かっていたことだ。

 だが、射殺。それも昨日、葉月が食べた泥底(ヌタ)が持っていて、その後なくなった鉄榴処女(アイアン・メイデン)だというのが大問題だった。

 葉月はあの銃を持ち出してはいない。なのに、睦月はその凶弾にトドメを刺されたという。

 つまりは第三者による介入があった可能性が高い。

 昨日の時点でもそうだったが、今日にしても辺り構わず破壊の限りを尽くした彼女達の戦いは、人員や徊視蜘蛛のような遠隔カメラどころか、雲のせいで人工衛星ですら監視することができなかった。

 それ故に、その可能性は機構に激震を走らせたのだ。

 実のところ形骸変容(メタモルフォーゼ)の境界越境などいう発想など持っていなかった機構は、純粋に内潜変容(メタモルフォーゼ)形骸変容(メタモルフォーゼ)の2つを揃わせることを今回の目的にしていた。

 どちらが死のうが、とにかく能力が1つになればと考えていた機構の連中にとって、第三者に1人が殺されたという事実は作戦失敗をも考えられる事態だった。

『駄目です!色神は完全に死亡!腹部で身体がもげていて、これじゃあ蘇生のしようがありません!』

 声と共に前方の大画面に映されている、吐き出す血すらがなく青ざめた睦月の死体。

 その有様を見て研究者の1人が叫んだ。

「くそ!脳が完全に死滅する前に織神を呼べ!あいつはどこへ行った!?」

『近くにはいません!それより早く冷却能力者を!このままでは・・・・!』

「待て、賢者の石だ!賢水ならば劣化を止められる!」

「そんなものを持ってくる余裕はない!冷却能力者なら繁華街の近くにもいるはずだろう!?」

「馬鹿か貴様!半径数キロに渡って崩壊した街に誰がいるってんだ!」

『なら、機構と契約している能力者を派遣――――』

「それだったら水を用意するのと同じだ!いや、いい、とにかく両方用意して――――」

「黙れ!」

 喧々諤々とした室内、響いたのが内海岱斉の怒鳴り声。

 普段、感情の篭った言葉を発することのない、神戸万可の最高責任者の怒号に、部屋と現場の双方は静まった。

「・・・頭蓋を割れ」

『は?』

 一瞬、意味が分からず聞き返した現場の人間に彼は再度声を荒げた。

「頭蓋を割って脳髄があるか確かめろと言っている!」

『は、はいぃ!』

 その、脳の保存とは真逆を行く命令に戸惑いながらも、逆らうという選択肢のない現場班は睦月の死体を俯けに、それから数十秒の間を開けて結果が伝えられる。

『あ、ありません!頭蓋骨の中は空洞です!』

「・・・・・・織神葉月は内潜変容(メタモルフォーゼ)を手に入れた」

 そうこともなげに言って、彼は続けた。


「これより織神は呼称を千代神に改め、万可統一機構は第2段階へと体勢を移行する」

千代に八千代に受け継がれる命の境界。

乙女達の戦いの終わりは教会の鐘の音と共に。

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