第56話- 色神睦月。-Tree of Knowledge-
さぁ、皆さんご一緒に!「人間万歳!」
生命が動物界脊索動物門脊索動物亜門哺乳綱霊長目ヒト科ヒト属ヒトに分類される人類の産湯であったにせよ、人類がこの世界で他の生物とは明らかに異なった進化をしてきた事実に変わりはない。
二足歩行の恩恵か、はたまた突然変異の結果か。諸説あれど、知性を獲得したその時から人類の進歩は始まった。
知るコトを知る――――知恵こそが人類の代名詞である。
鋭く尖った石が獲物の皮と肉を剥げるのは何故なのか?火を通した肉の日持ちがよいのは何故なのか?乾いた枝木が燃えやすいのは何故なのか?
時計を分解する童心のような好奇心に導かれ、経験と体験と考察を繰り返して人々は学問を作り上げた。
生命を知る。
生命の神秘に対する解剖行為もその1つ。
筋肉と脂肪の中に整頓された臓器の存在を知った時、彼らはそれが生命維持に不可欠な仕掛けであることを理解し、――部品であるのなら替えが利くのではないかと思いついた。
血潮を身体に巡らせる唯一無二の臓器に『心』臓と名付けた時、彼らはそれこそ生命の核なのだと歓喜し、――それを替え続ければ命を繋ぎ止められると考えた。
頭殻に収まった他の動物より明らかに発達した神経組織に人類の特異性を見出した時、彼らは自らと他の生命とに一線を画し、――それにさえ替えが利けばという発想にまで行き着いた。
分解すればするほど、分析すればするほど、解析すればするほど、人類は新たな可能性の発見し狂喜乱舞する。
憧れた神秘の探究はやがて実用性を求める旅へと変化して、その貢献によって人々の生活や社会は進化していく。
産業革命以降、生命の歴史として地中に閉じ込められていた二酸化炭素が大気に放たれ、急加速した技術進歩に今まで生命が創り上げてきた環境は著しく変貌していった。
人類が環境を蹂躙し始め、人工という言葉は自然の対義語に。19世紀にはクローン技術が産声を上げ、その後胚性幹細胞技術も産湯に浸かった。
臓器を替える。それは自我の成熟故に生命の継続を、不老不死を願い続けた人類の夢の一片だ。
拒絶反応などの問題から未だ未完成な臓器移植を完成させ、がたのきた部品を交換し続けることで生を維持する。老化と共に減少していく脳の細胞をも継ぎ足し続け得る未来を彼らは確かに見据えている。
生命を見失った人類が最も命に執着しているというのはなんとも皮肉。
何にせよ、それらの技術が人間の叡智の象徴であることに揺るぎはないけれど、知性はそれ単体で技術にはなり得ない。
尖った石の切れる理由を知っていようとも、加熱殺菌という考えを持とうとも、乾湿の性質を分かっていようとも、それは結局個人の経験を出ず、その知は朽ちる身体と共に地に還り、次世代に受け継がれることはない。
知識を積み重ねられない以上、人類は同じ場所をぐるぐると回り続け、文明は発展しなかったはずだ。
ならば・・・・・・その発展は何に起因するのだろうか?
その答えは知識の伝達(生殖)。生命が自己保存で栄えたというのなら、知識の継承こそが人類の自己保存であり、情報が彼ら第二の遺伝子だった。
DNAとは違った自己保存、それが人類と他の生物とを別っている。
言葉で知識を伝え、文字で知識を記し、社会で知識を生かし、文明で知識を実らせる。多くの価値観が混じり合い淘汰し合って、より支持されるモノが後世に残っていく。
生物淘汰の焼き直しであり、それは彼らの技術にも言えることだろう。
既出している発想の模倣。
けれどそれは決して猿真似などではない。
電気を使う魚類がいようが、太陽光を電気に変える器官を持った蜂がいようが、それを体外でかつ勝手よく造り出せる生命は人類だけで、ヒ素で増殖する細菌や宿主を性転換させるバクテリアがいるのなら、そんな生命の発想すらをモノにするのは人類の特権だ。
より便利に、より低コストに。人類が掲げるそのスローガンは彼らの指標である。
自ら目標を定め進む限り、技術という生命の呪縛から逃れた第二の進化は人類の支配下にある。
子供の頃目を奪われた光景、いつかあんな風に・・・、そんな憧れや望みに支えられ技術進歩は絶え間なく続いていく。彼らの欲望は彼らの未来に希望の光を照らし、彼らの欲望は彼らに息吐けぬ宇宙を教え、彼らの欲望は彼らに地に眠る生命の価値を教え、彼らの欲望はやがて彼らを新たな境地へと羽ばたかせる。
発想し、あるいは模倣し、それらを応用するそれこそが人類の叡智であり、――――知恵の進化と知識の遺伝の世界が人類の独壇場だ。
■
一旦色神睦月の手中に戻った5本の光の束が再び自分に向けられて織神葉月は斜め前へと踏み出す事でそれを避けた。
触れれば焼き切られると分かっている触光相手に触手は分が悪い。ある程度操作が利くようにはなったとはいえ、結局は背中から生えている葉月の触手は根元を狙われれば簡単に焼き切られてしまうだろうし、これ以上無駄に血肉を消費できる余裕もなかった。故に攻撃手段を発火能力に変更して額前に小さな火球を無数に作り出す。
そのまま、自慢の脚力を使って一気に距離を狭めにかかるが、睦月は葉月という生物の接近に対して必要以上に慎重になっている身だ、触光に葉月を追わせながら右手に発水能力で水を溜める。
方向転換してきた触手を目で見ず背中でしっかり感知してそれが迫る前に間合い5mほど詰めた彼女は先に作り出しておいた火球を睦月に向かって飛ばした。それは睦月が思っていたよりも速さを持っていたが、彼女も先に用意していた水分で膜を張ってそれを防ぐ。
厚さ2cmほどの防壁越し、火球を消し去った際の波紋で歪んで見えていた葉月の姿が、次の瞬間には物理的には紙に等しい水の壁を破り肉薄する。
(光の屈折で距離感が・・・!)
それに気づいた時にはもう葉月は手の届く範囲にまで踏み込んでいた。発破で距離を取ろうと再び右手を振ろうとして、それよりも先に葉月の足が睦月の腹を捉えた。
しかし、並の打撃ではビクともしない念力の防壁にその蹴りはあまりにも貧弱だ。
何がしたいのか彼女が一瞬思考を鈍らせている間に葉月はそのまま睦月の起伏の乏しい身体をまさしく壁のように駆け上り、勢いを生かしてバク宙した。
それによって、飛び散る水滴と葉月の体で隠れていた触光が目に入った睦月は、自分がそれらに『自分に向かってくる葉月を追尾する』よう命じたことを思い出し、念力が能力に弱いことも思いだす。
自爆、それを狙ってのバク宙。
それに気づいた時には既に触光は1mも満たない距離に迫っていたが、所詮は自分の能力なのだから発現自体を切ってしまえばそれだけで危険は回避できる。それに対して、葉月は回避行動の取りにくい空中にいる。
だが、この好機に身体をバラしてやろうと左腕を向けたところで、葉月の方もさっきとは比較にならない大きさの火球を用意していることを知る。
躊躇なく顔面を狙って放たれた火球。
睦月は咄嗟にまだ発破をチャージしていた右手を突き出した。
発火と発破、合わされば起こる現象は爆発以外にあり得ない。
宙にいる葉月は言うまでもなく、睦月も吹き飛び、崩れ去った倉庫の屋根に降り積もる新雪に身体を埋める羽目になった。
「なーぁるほど」
身体の温度を上げて雪を溶かして立ち上がった睦月は呟く。
「なるほど、なるほどな」
これなら触手を相手にしていた方がマシだったということを彼女は理解した。
触手という便利な器官が使えるのなら、無駄に身を危険に晒さずにいることがベストだったさっきまでは守りに入っていた。
確かに触手はもう勘弁願いたいが、受けに回っていた分動きの少なかったさっきと比べて攻めに転じた彼女の攻撃は凄まじい。
対応し切れなくなればアウト。それも体勢を整える時間を彼女が与えてくれそうにない。
睦月と同じく雪から脱した葉月が飛ばしてきた10ほどのバレーボール大の火球を見ながらそう思った。
けれど、
「多重能力の扱いでオレに勝てると思うなよ」
左手の触光、そして右手の撥水。
5本の伸縮自在の光の触手が火球を迎え撃ち、雪へと突っ込ませた右手を伝って撥かれた雪が葉月の足場を崩す。そのまま続けて彼女の下から弾け飛んだ雪の欠片を結晶化して今度は葉月に向け撥き飛ばした。
それが突き刺さるのを確認すると今度はそこから発破をかける。真皮層まで届いていた欠片は肉を巻き込んで吹き飛び、ぱたぱたと白い雪に赤い染みを作る。
葉月は大して気にした風もなく、その染みに目をやって少し動きを止める。意味の分からない停止の後、彼女は踵を返して走り出した。
場所が悪いと考えたのか、あるいは体力の限界か。
傷を治さずに雪の積もった路地へと出た彼女を追って睦月も走り出す。そして、先ほど葉月の立っていた所に差し掛かった瞬間、足の裏に痛みを感じて転げた。
シューズを突き破って、クリアレッドをした氷柱が足に刺さっている。血痕が周りの雪を巻き込んで突起したらしい。
立ち上がって、葉月の去った方へと向けた視界には彼女の足跡と血痕が混じり合って一本道へと続いている。
「くそっ、時間稼ぎかよ」
狭い道路であの血痕撒菱を避けて通るのは良策とは言えない。
睦月は透視能力で葉月の位置を確認しながら迂回することにした。
未だ振り続ける雪は道を50cmほど埋めて、柔らかい新雪は踏みしめる度にきゅ、ぎゅと音を鳴らす。
馬鹿げた機動力を持つ葉月ならともかく、この悪路では睦月は大幅に能力が落ちる。仕方なく、足に熱を帯びさせて雪を溶かしながら進む。
しかし・・・、と睦月は疑念を抱いた。葉月の速度は決して逃げ切れる速さではない。
(じゃあ、何で移動し続ける?)
ここら一帯雪に覆われてるのは葉月も承知のはずだ。葉月の有利な狭く入り組んだ場所に連れ込まれるつもりもない。
ならこの行為の真意は何なのか?その疑問に達した時、睦月は左足を思い切り引かれた。
雪に隠れていた細い髪。
考えてみれば雪の積もった道の上など罠を仕掛け放題もいい所だ。
崩れた倉庫の雪は鉄屑が下敷きになっていて迂闊に動き回れなかったが、ただ降り積もっただけの路地の雪なら何が埋もれているかは予測できる。足を引っかけたりして転びでもしたら睦月にチャンスを与えかねなかった倉庫跡は葉月には動きにくいフィールドだったのだろう。
それに比べれば、ここなら好き放題に暴れられる。
雪を被りながら引きずられていく睦月は、虎の口に至る前に雪で窒息しかねないことに気が付き慌てて熱気で雪を溶かした。
結合が弛んで液体へと変わった雪水がどばっと彼女の身体を濡らしながら流れていく。その水をいくらか口に入れてしまいむせながらも彼女は呼吸と共に回復した視界の中、ピンと張った黒い髪を何とか切断した。
気管支に入った水分を吐き出そうとして止まらない咳に顔をしかめて、まさか窒息が狙いかと疑ったが、それは甘い考えだということを次に視界に入ったモノで理解する。
曲がり角の壁に赤色をした氷柱が自分に突き出していた。串刺しにする気だったらしい。
もちろん、念力で守られている彼女には効かない・・・と、彼女自身がそう考えてかけて、さっき自分の足に刺さった鋭い痛みの感触を思い出し、血痕の付着した道を避けた自分の無意識にも思考が及び、そして止まった。
(何・・・で、念力を突き破れるッ!)
最初からそれができたとは思えない。できるのなら髪の一撃でバラバラにされているはずだ。
いきなり破れるようになった?それなら何時だ?
そこで思い出すのは自分の血を見つめていた葉月の行動。
(あの時か・・・)
それと同時に不可解な行動にも目がいく。単純に念力を破れるようになったのなら、髪に絡まれた時点で彼女の左足は切断されていただろう。
それはできない。けれど特定の条件下ではできる。
それが何なのか、睦月にはすぐさま分析できなかったが、とりあえず血には気をつけることに越したことはない。
研究所の屋根をこちらに向かって移動してきている葉月を確認しながらそう結論付け、もはや寄らせまいと広範囲高出力の火炎放射で迎え撃つ。
視界を覆い、かつ熱感知も潰したところで、自身を守る念力を切り、攻撃に転用して葉月を思い切り殴り落とした。制御の難しい念力を睦月は2か所いっぺんに発現させることはできない。そのため今まで防御にしか使っていなかったのだが、絶対防御として機能しなくなった今はそうも言ってられなかった。
地面に叩きつけられた葉月は雪のクッションでダメージを負うことなく、埋もれた身体を捻って立ち上げ、そのまま睦月へと突進する。その最中に右手の甲を噛み切ったのを見て睦月は血と念力突破の関係性に確信を持った。
左手の触光を伸ばし応戦するが、葉月の運動神経で避けれない速さではない。もう一度殴り飛ばそうとした念力はそれを察知した葉月の触手が鞭打ちで相殺する。筋組織の悲鳴と空気の軋む音が響いて、距離およそ3mで葉月は火球を吐いた。
能力を破る凶弾が顔面めがけ飛んできては動いて対応するしかない。身を低く保ち、撥水能力で葉月をこかそうとして、自分の足場に雪がないことに今更気付く。自分がとかしてしまったせいで染み込んだ雪水が申し訳程度にあるだけだ。
それでも何とか撥き飛ばした水滴に葉月は止まることなく、伏せた睦月の顔面を殴りつけた。
念力の防御で彼女が物理的に飛ばされる事はなかったが、代わりに睦月と右拳の間にあるはずの透明な防壁を氷柱状に変化した血が突き破り、当然ながら彼女の頬とも突き破った。
動力に能力を使ってもあくまで摩擦による切断である織髪は防げても、超能力に弱い念力では変化する能力である形骸変容は止められない。念力突破、解けてみれば大したことはない絡繰だ。
だが、突破されたという事実は痛みと共にその重大さを示している。
「がっあぐぅ」
血氷柱を噛み砕いた睦月は、一度切って生み出し直した触光で葉月の右腕をふっ飛ばし、左肩、右足、横腹2か所を貫く。
焼ける肉の臭い、口の中でする溶け始めた血の味、痛みに朧げになる生の感覚。
離れた葉月も、左頬を庇う睦月も、もう満身創痍と言っていい。
一見睦月が押されっぱなしに見えはするが、つけられた傷を治す余裕もなく、触手も使わず危険な肉弾戦に持ち込もうとしている様子からも分かるように葉月もかなり追い込まれている。
べっとりと血がついた右手を振るう睦月から逃れ、葉月はまた逃げに転じる。
それに悪態を吐こうとするが、頬の傷から空気が抜けてかまともに声も発せない。何とかそれを塞いでから睦月は葉月を追った。
♯
野村椿はその戦いの様子を見て、おおよそ人の所業ではないと結論づけた。
比較的遠方からの監視を任された泥底部隊の彼女は倉庫内での戦闘を直接見たわけではないが、その倉庫が崩壊した時点でその出鱈目さが分かろうというものだ。
むろん一般的な能力者でも同じ様なことができないとは言わない。発火能力者にはあれよりもえげつないことをやってのける火兎だっている。
けれど、逃げることなくその爆発の中に留まるようなふざけた暴挙に続き、瓦礫から出てきた2人には事もなげに身体を修復した上、何故か一方には黒い羽根のようなモノを背中から生やし、もう一方は光の性質を無視しているとしか思えない挙動をするレーザーで反撃している。
超能力者との殺し合いに慣れているはずの彼女ですら、あれには畏怖を覚える。
あり得ないとは言わない。普通できてもやらない、というのが正しい。
人間性を失っているとしか思えないあんな方法を取る連中を人間とは呼べない。
それに・・・、彼女は鉄榴処女のスコープ越しに葉月を確認して、反吐が出ると吐き捨てた。去年8月に兄を殺したその人間もどき。あんな化け物の存在を許すべきではない。
彼女がこの地区で比較的高い研究所の5階で構えている鉄榴処女という名の設置式の狙撃銃は、例の拷問具自体ではなくその伝説に語られる、処女の血で洗えば肌が綺麗になると信じた狂女が血絞り機として使用したという記述に基づかれて作られた頭のおかしいとしか思えない銃器だ。弾自体ではなく内部の殺傷片で負傷させるという仕組みは榴弾と変わりないが、仕込まれている殺傷片が通常使われる釘ではなく絡繰刃であり、着弾と同時に暴れ狂う刃に血抜きどころか肉も削げる。否、死体の惨状など考えたくもない有様であること請け合いである。
それをもってしても、対葉月の非殺傷兵器扱いなのだ。
研究だとか実験だとかそんなことで生かしておいていい生物ではない。
スコープに収まるその姿を見て思う。
・・・ここで殺しておいた方がいいのではないか。
もちろん、そんなことをすれば彼女自身も先がない。けれど、それでも今の内にという得体の知れない焦燥感がある。
自己犠牲など泥底部隊に所属する時点で捨てていると自分でも分かっているが、兄のことを抜きにしてもあれをこのまま野放しにしておくことを考えると背筋に悪寒が走る。
もしもあんなものが世に出てしまえば・・・。
「ふぅ・・・」
息を吐いて、瞬きを数回、改めて両目に映る映像を見る。
倉庫から路地へと場所を変えた2人の戦いは逃げる葉月を睦月が追うという形に定まりつつあった。
ちょくちょくと凶悪なトラップを葉月が仕掛けることはあっても基本的に攻撃を仕掛けているのは睦月だ。
消耗させるつもりなのか葉月は睦月の能力有効範囲ギリギリを保っているし、睦月は少しでも肉を剥いでやると言わんばかりに触光を放っている。
その度に研究所の塀がごっそりと崩れ去り、火球に飲まれて数千万する研究資材が吹っ飛びと傍目狂気の沙汰だった。
戦闘が始まってからもう随分と経っているが2人の猛攻が収まることはなく、研究所から追い出された科学者たちが戻ってきたら泣き崩れるだろう。
ブロック塀へと突っ込んだ葉月が雪の粉塵舞う中から出てきた時には両手には崩れた巨大なコンクリートが握られていて、それを投げると同時に口から火球を吐き飛ばした。火炎の残りが口から漏れている。
当たれば身体が潰れかねないコンクリート塊を無動作で跳ね返し、電柱やマンホールや周囲の壁をも巻き込んで撥水能力で弾ける雪、止めてあった乗用車が宙を舞い、地面に戻る前に葉月に蹴り飛ばされ睦月の念力に弾かれスクラップになった。
さらにどうやら力加減を間違えたらしく水道管が破裂した強烈な水飛沫の中、魚の水を得たるが如し睦月は手をかざすが、その前に葉月の何らかの手段によって水は一気に蒸発してしまう。水蒸気が立ち上り姿が隠れ、葉月はまた移動している――――そんなやり取りがずっと続いているのだ。
戦場は次から次へと移動し、最初は遠くにあったはずの姿がかなり近くに見える。
右腕を生やす余裕はないくせに、大人しくはしているが未だ背中に触手はついている。血を使うのも難しくなってきたのか、攻撃はほぼ発火能力に限られてきていた。
しかし、そう言った純粋な能力戦なら睦月に軍配が上がる。程なくして葉月は雪を気化させて煙幕代わりに姿を消した。
透視能力を持つ相手に大して意味がある行為ではないだろうにと、彼女はそこで疲れの出た目を休めるためにゴーグルを外した。鉄榴処女と繋がっているそれは電子制御されたスコープだ。科学技術の粋を集めた次世代兵器を筒状のスコープを覗いて使ったりはしない。
汗ばんだ目元を拭って肩を解す。もう何時間もロクに動かしていなかった身体は油を差し忘れたモーターのように動きが鈍い。
監視という何時もに比べて温い任務とはいえ、その対象がアレだと緊張も半端なかった。集中力を持たせるためにもいざという時のためにも身体を労わる。
と、その時後ろで物音がして、
「――――ぇ?」
彼女は。
♯
場所と時は移ろい続け、傾き始めた陽の光は赤色を帯び始め、臼田物産第2倉庫から随分と離れた。
縦ではなく横に広がる研究所の中、5階という比較的高い建物に葉月が逃げ込んだことを水蒸気越しに確認した睦月は、一旦透視能力を切った。
逃げる葉月を追って能力を連発したツケが回ってきている。
ガンガンと響く頭痛に耐えながら、エントランスを左手で焼き切って建物に侵入する。人気のないこの類の――――学校や病院といった施設はあまりにも不気味だ。
葉月に有利な屋内に入ることには躊躇はしたが、既に彼女自身限界が近い。早く追い詰めなければならない。休む暇を与えたくはなかった。
ガラスの破片を踏み砕きながらリノリウムの床を進む。
その間、念力は切らさず、血痕が仕掛けられていないか注意する。脳と直接繋がっている目を使うせいか頭痛を激しくする視力系の能力はできる限り使いたくない。
待ち伏せという彼女懸念は、けれど、向こうからやってくる音源にかき消された。
悲鳴と足音。余裕のない声の主が近づいてきていることが大きくなる金切り声で分かる。
何が起こっているのか、状況が掴めないまま警戒を強める彼女の目の前、右に折れた廊下の向こう側から血だらけの女性が一瞬、転げながらとも四つん這いとも取れる滅茶苦茶な動作で姿を現したかと思うと、見覚えのある触手に出てきた陰へ引きづり込まれていった。
濁った悲鳴が1度、それ以後声らしい声はなく、次に廊下を支配するのはさっきとは違った音。
こつこつ、ずるしゅる、ぴちぴちびち、ぎちぎちべきり。
足音、触手の擦れる音、水音、そして何かがかしいで折れる音。
女性の代わりに廊下の角から姿を現した葉月はどこか満足げに赤い舌で唇を舐めてみせる。
今まで出番がなくて縮んで大人しくしていた触手がもごもごと蠢いていて、その隙間からさっき女性のモノらしき生足が見えた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
固まっている睦月を見て葉月は何を思ったか触手の中を探り、ベキリと音をさせてもいだあらぬ方向へとねじ曲がった腕を新しく生やした右手で取り出して言った。
「・・・要る?」
「要らねぇよ!!」
形骸変容を手に入れても絶対にそれだけはやらないと心に誓った睦月の叫びに、そう、とだけ返して背中に腕を戻す。おそらくは触手の奥に口があるのだろう。アノマロカリスの口と触手が背中についていると考えれば分かりやすいかもしれない。
べきべきと骨が砕ける音と床に零れる血の音がしばらく、呆けている場合ではないと気付いた睦月が触光を伸ばすよりも前に葉月は踏み出していた。
食事で血と肉がダイレクトに戻ったためか、その速度がいささか早くなっている。
廊下という空間が限定された場所では触光の軌道は読みやすく、容易くそれをかわした葉月はついさっき睦月に差し出した食べかけの腕をもう1度取り出して振るう。袈裟斬りと同じ軌道を描いたそれは睦月の念力に当たって肉が弾けた。骨の砕ける音とほとんど絞り取られた血の残りが飛び散る。
惨状。まさに惨状だ。
その中で葉月は笑みを深くした。
念力の強度が大分落ちてきている。
けれど、次の瞬間には眉間が寄せられた。
足りなくなった血と肉とを補充するのに野村椿の身体を使ったのはよかったのだが、速効性を重視して能力で血肉を自分のモノに変換したのは失敗だったらしい。能力使用に体力の方が底を尽きかけ、急激に体調を崩し始めた。滲む球の汗零れ落ちて血溜まりを僅かに薄める。
今度はそれに気づいた睦月が口を歪めるが、その次の葉月の行動は早かった。前腕部分が砕け散った腕を今度は火を纏わせて投げつける。それを睦月が触光で切り飛ばした時にはスプリンクラーが作動して天井から水が降り注ぎ始めた。その水が睦月に利用される前に根こそぎ水蒸気に変える。これまで何度も使用してきた手段ではあるが、屋外、それも冷気で満たされていた今までと違って狭い屋内で行われた熱気は凄まじい。
睦月が怯んだ一瞬に葉月は命綱として結んでおいた髪を一気に引く。体調に関係なく、離脱装置は剛速で彼女の身体を外へと放りだした。
「それじゃ、また明日」
「は?」
不吉すぎる台詞をフェイドアウトで聞いた睦月は、晴れた視界に葉月の姿を確認できず、改めて台詞を咀嚼して意味を理解した。つまりは、
「に、にににに逃げっ・・・!」
♯
冬の昼は短い。夕暮れ空を仰いだかと思えば、すぐに薄暗い藍色の絵の具が空を塗り潰している。
全く服として用を成さなくなってしまった衣類を捨て新しく買い直した葉月は自分の住むアパートの正反対、繁華街へと移動していた。元々研究所地帯は繁華街寄りであるというのもあるし、何よりアパートに帰るには葉月の体力がもたなかったからだ。
銃器を使っている内はよかったのだが、本格的に能力戦になった際、睦月の手数の多さに能力を多用せざるを得なかった。誤算、というわけではないが、ここまで切迫した戦闘は葉月にとって初めての経験だった。そういう意味で引き際が分かりやすく体調で洗われたのは幸いだったのかもしれない。
普通に電車を使って釧の住む街にまでやってきた葉月は、当然ながら彼の部屋に寄ることなく近くのホテルに宿を取ることにした。その際に拘ったのはワインセラーがあるかどうかで、部屋に入ってまずワインを口にしたのは言うまでもない。
酒は百薬の長とは言ったもので、どこぞの鬼ではないがそれだけで身体がいくらか楽になる。3本ほど空にした後、彼女は身体を清めて更に代謝を上げてから食事の注文をした。スイートルームだから大抵のことは許されるという偏見の元、肉類を中心に可能な限りの食べ物を持ってこさせた。
それらを平らげながら、ネットから学園都市のチャンネルを視聴する。
超能力を見世物にした番組を眺めて考えるのは、睦月の能力を打破する手段だ。
戦闘を一時打ち切りにしたことはメリットもあるがデメリットも大きい。向こうに休息と策を練る時間を与えてしまうのだ。せっかく追い詰めただけに惜しくはある。
明日、彼女の念力はまた絶対的な防御力を誇ることになるだろう。それをどう突破するか。
念力能力者が厄介すぎる能力者だとは知っていたが、実際対峙してその鬱陶しさがよく分かった。
あれはない。
しかもそれだけではなく、他の能力まで操れるというのだから卑怯もいいところだ。
手羽先10本を骨ごと噛み砕いて胃に収め、ワインをラッパ飲みし、ステーキをレア・ミディアムレア・ミディアム・ウェルダンと焼き加減で食べ比べ・・・・・・そうやって彼女の夜は更けていった。
♯
雪と汗と血に塗れた身体を繁華街のスパで清め終わった睦月は、左手がなくなったことで幾分不自由しながらも携帯を弄っていた。両手操作派である彼女にいきなりの片手操作は難しく、時間をかけながらメールを一通打つとそれを送信してポケットにしまう。
買い直したマフラーを巻き直し毛糸のニット帽を深く被って、しばらく伏せていた顔を上げる。動かし続けた足が行きつけのファミレスまで身体を運んでくれていた。
宿はカプセルホテルでも取るとして、まずは空腹を訴えてくる身体に燃料を押し込まなくてはならない。葉月と違って他人の血肉で腕を生やすような真似はできない睦月だが、身体強化で代謝を上げることで効率的に身体を癒せる。
食べて寝て。それが身体を労わる最善だ。
いっそ奮発して高圧酸素カプセルでも利用しようかとドアをくぐりながら考えていた睦月はテーブルを探そうと意識を店内に向けて・・・固まった。
眉をひそめ、小口が開いたまま数秒、止まっていた思考が再起動して彼女はすたすたと早歩きで目に入ってきたとある人物の許へと進み、向かいの席に座った。
「よぉ、クサミクシロ。しばらくぶりの予期せぬ再開じゃねぇの。ところでオマエ金は持ってるな?持ってるよな?よし奢れ。拒否権はねぇ、オマエはオレに奢る義務があるんだ」
エスカルゴのバター焼き、リブステーキ、ハンバーグ、チーズハンバーグ、グリル、ポテトフライパーティー盛り、イカスミスパゲティー、タラコスパゲティー、お子様セット。
テーブルに次々と置かれていく注文した品々に朽網釧はもはや呆れるしかない。メニューを開いて矢継ぎ早に注文している際にはそんなに食べれるのかと呆れたものだが、実際それをすごい勢いよく胃に収めていく様を見ると今度はよくそんなに食べれると呆れてしまう。
ドリンクバーで混ぜてきたらしい緑かかった黒いジュースで流し込むようにしてステーキやハンバーグを平らげて、きた時よりは冷めたエスカルゴに取り掛かった睦月はふと思った。養殖のリンゴマイマイ、哺乳類だって乳児期にしか飲まない乳を加工した乳製品、当然栽培したガーリック、それらを加熱した調理法。まさに人間の食事だ。夕方に見たスプラッタな食事風景と比べれば雲泥の差がある。
「人間万歳!」
いきなり叫んだ彼女に釧が変なモノを見るような目を向ける。
それを無視して彼女はあっという間にエスカルゴを食べ終え、今度はポテトフライにケチャップを大量にかけて食べ始めた。その1本を摘んで釧は自分が唯一頼んでいた珈琲を口に含む。それからとんでもない闖入者が現れたことで忘れかけていたそもそもの目的を思い出して、バックから1冊の本を取り出した。
『PKの系統と色別の理論-色彩混合の可能性について-』。最初は読むのに苦労したが、最近は何とか意味が分かるようになってきた物だ。
「ん?何だそれ」
それに気づいた睦月の質問に表紙を見せて答える。すると返ってきたのは予想とは違った反応だった。
「・・・いやいやいや、まてコラ。何で持出禁本持ってやがる」
「え、葉月に貰ったんだけど?」
その答えが彼女にとっては予想の斜め上を行く答えだったらしく目を覆って嘆いてますとばかりに呟いた。
「本当、やりたい放題だよな・・・色別理論は他方傾向追究所の専門で基本的に極秘事項なのに」
「へぇ、そうなんだ。というか、さっきからその言い方だとこれについて知ってるの?」
「当たり前だオレの専攻だぞ色別理論は。つーか、その門外不出の情報をオレが手にするために作られたのがソレであってだな?オマエが持ってるのがおかしいんだ。返せよ」
「嫌だ。せっかく読めるようになったのに!」
「読めても使えねぇよ!宝の持ち腐れもいいところだ!」
言い合い、取り合い、両手の釧に力及ばず、思わず左手を伸ばして、その先がないことに後で気がついた。
初見ならともかく左手が健在の時分に一度会っている以上、その変化は釧の目に留まる。だからテーブルの下に隠しておいたというのに、気が緩んでいたらしい。今更後悔しても遅い。
「・・・・・・その手どうしたんだ?」
その問いにオマエの彼女に盗られた、と言えるはずもなく、
「別に大したことじゃねぇよ」
適当に濁して返して、その内生やすとも付け加える。
もちろんその治癒法が葉月の能力を奪って、ということも当然言えない。
「・・・そういえば、前に会った時に君さ――――」
「ムツキだムツキ。教えただろ」
「睦月・・・君?」
「・・・・・・一応、オレにも女のプライドってものがあってな?」
微笑みながら言う睦月だが、目が全く笑っていなかった。
「失言でした睦月さん」
「まぁいい。で?」
「その内生きるか死ぬかする人間だとか何とか言ってなかったっけ?」
何で生きてるの?ある意味そうも聞こえるその台詞にどう答えていいものか悩む。
「そーいやそんなこと言ったなぁ・・・」
というか、つい数時間前その生きるか死ぬかの状況を体験してきたばかりなのだけれど、まさにオマエの彼女に殺されかけてたなんてやっぱり言えるはずもない。
考えてみれば彼に対して言えないことが多すぎる。そんなことは分かっていただろうに、どうして自分は彼に絡んだのか。今更になって首を傾げた。
「まぁ、冗談と予知を交えた真実だと思ってくれ。
それよかオレも訊きてぇんだけどよ。オマエ、オリガミの教育どうなってんだ?」
「は?」
「は?じゃねぇ。前にも増して頭ぶっ飛んでるぞアイツ、どー考えてもオマエの調教不足だろ」
「いやいや、調教って」
「手綱を握るのが彼氏の役目」
「いやいやいや彼氏って。そりゃ、葉月は可愛いけどもさ」
「・・・・・・」
あまりにも自分の目の当たりにした印象とそぐわないその言葉に睦月は釧を得体の知れないモノを見るような表情で凝視して、しばらく考えた後人差し指を彼に向けて口を開いた。
「オマエ目は・・・」
「節穴じゃないよ」
「脳は・・・」
「腐ってないから」
「熱は・・・」
そう言って今度は釧の額に手をやる。
「ありません」
「やっぱ脳が逝かれて・・・」
「ない。というかさっきから失礼な」
「いや、コレばっかりはオレが正しいって!」
睦月の脳内を締める葉月のイメージは髪と触手と炎を操るバケモノだ。時が経ってないが故に鮮明に思い出されるトラウマモノの記憶を探っても『可愛い』という表現は掠りもしない。
一瞬、『地獄の箱入り娘★悪魔っ子はづきん』という恐ろしいフレーズが脳裏を過ったが、どれだけデフォルメしても葉月が『可愛い』キャラクターになることはなかった。
釈然としない気持ちを持て余しながら、彼女はイカスミスパゲティーを食べ終わり、次にお子様ランチに取りかかる。
「うーん、可愛い?ぷりちー?」
何やら難しい顔をしてしょうもないことを考え始めたらしい彼女を放って釧は結局奪われなかった本を開き直した。
第6項のESPのPK的分類。前に読んだ際に引いた赤線に手を当てながら数秒思案、メモ帳を取り出して図形を描いてみる。本のページにあるグラフを眺めて、その2つにある関係性を理解しようと試みるが、教科書のように教えるために書かれてはいないこの書物は行間が読みにくい。
しばらく考えて、思えばこれの内容をよく理解している人物が目の前にいることに気がついた。
顔を上げてみると、彼女は最後に残しておいたらしいプリンを嬉しそうに掬っていた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・何だよ」
視線に気がついて口を尖らす睦月。羞恥心はあるのか頬が少し染まっている。
「いやぁ、何でも。・・・あぁこれ教えてほしんだけど」
えー、と不満を言いつつも彼女は本を引き寄せる。さっと内容とマーカーを確認しただけで何につまづいているのか分かったらしく、メモ帳とペンを取ってグラフを描き始めた。
「ESPだのPKだのってのは要は見た目での分類なんだよ。能力波の観点から見た場合この2つの違いってのは横軸の幅・・・周波数の違いで縦軸はあんまり変わんねぇの。念力能力から別色に変更するのに縦軸を変動させたように横軸を弄ってESPをも使おうって考えなんだが、これにはESPとPKの明確な差である出力の仕方が問題になってくるんだ。PKは基本放出しさえすればいいが、ESPは知覚操作が基本だから能力波の使い方が違う。で、それをどう理論的に説明するかってのがこの文で――――」
・・・・・・こうして、彼女の夜も更けていく。
♯
グランドではしゃぎ回る同類の姿を目で追うも、その焦点は決して合わせない。
友達と呼称した1人が何時の間にか消えていることに気づいたその日から、私は彼らを識別することを止めた。
ここには何もない。
ここでは何もいらない。
大切なモノができてしまったら、耐えられなくなってしまう。
だから、友はいらない。
だから、心はいらない。
――――それでもきっと、彼女にはそれらを捨てることなんてできなくて。