第53話- 降誕前夜。-Cool Angel-
――――朝、最後のクリオネが死んでいるのを見つけた。
うつ伏せになって厚い雲に覆われた空を眺めていると、見上げているのではなく実は見下ろしているのではないかという錯覚を覚える。
寒空に浮かぶ厚く灰色の雲は太陽の存在を覆い隠すが、僅かな隙間からその陽を漏らして自らの陰影を濃くする。
雲のうねりや襞、そして影によって演出された奥行きを見て、ふと珊瑚礁のようだと思った。
透明度の高い海水の中、浅い海底に広がる珊瑚礁のそれに色がないことを除けばよく似ている。
ならばむしろ自分の方が宙に浮かんでいて、水中に屈折されながらも揺らめく陽の光は自分の後ろから差し込んでいるのではないかと夢想する。
焦点の合わない視界の端には実際煌く白色が映っていて、あながちその想像は悪くはない線を行っているだろう。
けれど、そんな錯覚は自らに向かって降り注ぐ雪によって否定される。降り積もる白銀に反射する陽の光在っての夢想は同じ雪によって否定される・・・その皮肉さが気に入って顔を綻ばせた。
・・・・・・そんな静かな時がしばらく、
「なーにやってるの?」
静寂を破ってかかった声を契機にして現実に意識を戻し上半身を起こした。その際、寝転がっていた間に身体の上へ積った雪が振り落とされる。埋もれた足を掘り起こして立ち上がった。
声のした方には誉ちゃんがいて、こっちに向かって歩いてきていた。
場所は中学校の屋上。彼女と2人きりというシチュエーションはこの場所がほとんどだ。
「ちょっと暇つぶし。バイトまで時間があるから」
まずは彼女の問いに答えて、それから訊く。
「そっちは?」
「グループの集まりがあったの。で、その帰りに寄ってみたらはづちゃんが居たわけ」
予知夢系のグループに集まってまでする話題があるのか疑問に思うも口には出さずに、脇を過ぎていった彼女を追って柵に身体をもたれかける。
校庭を見下ろせば積った雪で雪合戦や雪だるま作りを行っている生徒がかなりの数残っていた。
昼時だが、今日は終業式だったため学校としてはすでに解散しているのだけど、やはりというべきか大多数がまだ学園に残っているらしい。
「毎年っちゃあ毎年だから有り難味が減っちゃうけど、やっぱり雪っていいよねぇ」
12月24日。学園都市では毎年この日雪が降る。神戸だろうが沖縄だろうが学園都市限定で、天候操作に青春を捧げる超能力者達がホワイトクリスマスを演出するのだ。
どこで水蒸気を発生させて、どのように学園に運び、どうやって冷気をぶつけるのか。裏ではそれらの綿密な計算と計画がそれこそ青春映画のようなノリで展開されているのだろうけれど、そんな情熱に溢れた熱い話はこの際考えないことにして、とにかく西日本太平洋側では珍しい大雪が学園にこんこんと降り、屋上から眺める風景は一面白銀に染まっていた。
「知ってる?今日から年末までイベント尽くしだって」
「学園のネットチャンネルがサイトにできてるらしいね。『今年の煩悩108カミングアウト』とか『年末カウントダウン』とかそんな番組がどうとか」
騒ぐこと、目立つことが大好きな学園都市らしい番組内容ではあるけれど、民間放送も年末はこんなものなのだったろうか?
考えてみればテレビというものにいまいち自分が興味がないことに気がついた。
「カウントダウンは実際見に行った方が楽しいらしいよ?臨場感があるってさ。
火に飛び込んだり水で打ち上がったりスカイダイビングしたり学園1つだけでもいっぱいあるから毎年違う場所行けるし」
確かに新年を親戚と過ごさない生徒にとっては暇を潰せる有り難い話だ。
まぁ、ネットテレビはともかくイベントに参加しようとは思わないけど。
「カウントダウンは別として他のイベントもそんな命知らず野郎万歳な感じなの?」
「いやいや普通のパーティーとかもあるよ?ほら、隆君が行くのだってその1つのはずだし」
「・・・あぁ、美月さんと行くやつね。あれも学園主催なんだ。高級料理がどうとか言ってたけど」
「料理なんて学園都市に通ってる時点で富裕層なんだから今更な話よねー。あのリア充め・・・」
「リア・・・?確かにクラスの中で一番青春してるよね」
「そーゆーはづちゃんだってどうなの?今日は釧君とこ行くの?」
「うん?いや、別にいつも行ってるし。特別予定はないよ」
「くそぅ!自覚がないなんて・・・なんて贅沢な!」
「はぁ・・・?」
何やら彼女は自分で振って自分の地雷を踏んだらしく、1人ガーッ!と頭を抱えたり掻き毟ったりと悶え始め、
「いーもん、私は1人で枕濡らしてるもん。夢の中なら彼氏いるもん」
最終的に捨て台詞らしき台詞を吐いて去っていった。きてから大して時間も経っていない。一体何をしにきたのだろうか?
訪問者がいなくなり、屋上は再び静寂に包まれる。
見上げれば変わらず降る牡丹雪。
あぁ、珊瑚の産卵と捉えればあるいは・・・・・・。
暇を持て余した思考が再び天と地を入れ替えた。
♯
午後6時半、親父さんの気遣いにより早めにバイトを終えた僕は前々から手に入れたかった書籍をコンビニで受け取ってから帰路についた。
それほど距離があるわけではないけど、どうせ予定もないのだから急く必要もないとネットで購入したその本に目を通すべく包装紙を開けてみる。
『軟体動物の解剖学』。繁華エリアの大型書店で『生物』や『解剖学』のジャンルから同じ様な本を何冊が見繕ってはみたものの、やはりというか何というか・・・・・・僕のような用途で使おうと思う人間はいないため欲しい情報は手に入らず、ネットで載っていそうな文献を探した結果これに行きついた。
先代変容の資料が手に入ったとはいえ、結局は独学になりがちな形骸変容今冬の自主課題の教本だ。
タイトルからしてそのままだし、中を見る分、他の参考文献と合わせれば事足りるだろうという感触もある。すでに大方形にはなっているので、実用化さえできれば完成だ。
髪の方はそれなりに成功した攻守手段だけれど、能力に愚直に頼りっきりでスマートな方法ではないし、極細の髪檻は逆に自分の運動能力を制限する上にレギオン相手には効果が薄かった。
身体能力を生かした白兵戦は近距離かつ少数戦でなければキツイ。複数相手の主要手段がこれだけというのは隙が多すぎる。
まぁ、要するに大火力の攻撃法が欲しいのだ。元々派手な能力が欲しかっただけにその憧れは強い。ドカンバカンと相手を蹴散らす感じの戦闘がしたい。
1つなくもないのだけど隠し玉だから普段は使えないしなぁ。今回のアプローチが結果としてちゃんと実ればいいのだけど。
どうせ頭の中に入れれば忘れないので、使い潰すつもりでピックアップしたページの端を折っていく。特に欲しかった図のページは破って財布の中にしまった。
はい終了。通勤電車内の30分学習も真っ青な帰路3分勉強法である。
これだけのために3000円も取られるのだから専門書は高い買い物だ。
ほぼ用を成してしまった本を鞄にしまって、今度はコンビニで買ったホットレモンを取り出した。
身体強化のお陰で大して意味はないのだけど、今日になっていきなり降りだした雪に感覚的に寒くなった気がするのだろう。
ミニペットボトルを手の平でころころと転がし、まだ落ちてくる雪を仰ぎながら歩けば、数分もしない内にボロアパートに辿り着いた。
階段前のポストから郵便物を回収して7階まで上がる。疲れはしないが面倒くさいのは変わらないものだ。いい加減エレベーターのあるアパートか低い階に引っ越そうか?
手を変容させて開けるという横着な手段で解錠して部屋に入り、身体についた雪を玄関で払ってからあがる。電気ケトルのスイッチを入れてテーブルに腰を下ろした。酷く電圧を食う家電沸騰器がその特有の音を発し始めたのをぼうっと聞いていたけれど、ふと時間の無駄だと気がついた。
沸き上がる間に郵便物を確認しよう。
『今年もやります!超能力徹底議論』、『能力パフォーマンス、就職活動に是非』、『今年の煩悩108、あなたの煩悩を生放送中受け付けます』・・・。
年末年始の学園イベントの勧誘がわんさと入って季節感を感じさせる。あとはピザや寿司の宅配サービスなどのチラシ、それから――――
「・・・・・ふむ」
あまりにもシンプルな茶封筒。
A4用紙三つ折りにして入れるような、いわゆる定形郵便用の封筒でその割には紙が分厚い。無骨ながらも皺や折れがない丁寧な仕上がりになっていてみすぼらしさはなく、封するのにも配達するのにも気を使ったのがよく分かる。そんな極上の一品。
・・・とまぁ無駄に多い表現をしてみたけれど、つまりはシンプルここに極まりといった感じの代物だった。
何せ宛名も宛先も差出人も、当然ながら切手も消印もない。ここまでくるといっそ清々しいぐらいだ。
無論こんな語らずとも自己主張の激しい封筒が誰からのものかなんてことは分かり切っている。
岩男こと内海岱斉。
わざわざここまできてポストに入れていったのだろう。
封を切って中身を取り出すと、入っていたのはたった1枚の紙切れだった。通常の白い用紙にプリントアウトされたパソコンの文字。
2行だけのあまりにもそっけない文章に目を走らせる。
「・・・・・・・・・・・・」
大して感慨も沸かない内容を数分吟味して、今後の自分の趣旨を再確認する。
気づくとケトルのスイッチが跳ね上がっていて湯気を上げていた。
立ちあがる。わざわざ沸かしたお湯をそのままに、今度はクローゼットにしまってあったコートを取って部屋を出た。
/
ピンポーン。
テレビ以外の音源のない広すぎる部屋にそんな軽いインターホンの電子音が響いた。
ドアスコープを覗けば、ちょこんとニット帽を頭に乗せた丸い双眸がこちらを見ている。扉を開けるとダッフルコートを身に纏った葉月がそこに立っていた。
「あぁ、きたんだ」
予告なしの葉月の訪問は別に珍しいことじゃない。
「うん、なんとお土産もあります」
言って右手を持ち上げる彼女の手にはケーキだろうと思われる箱が握られていた。
金色で店の名前を箔押ししてある白い箱に入っていたのは苺のショート―ケーキだった。
ポピュラーで無難なチョイスだが、そもそもクリームが苦手な葉月の好みではないし、特に俺の好みというわけでもない。
どうしてこのチョイスを選んだのだろう?
そんな疑問が顔に出ていたらしい、
「流石に最近栗とか食べすぎたからシンプルなのをね」
そう言って葉月は紅茶にブランデーを垂らして2人分のティーカップを皿に添えた。
ケーキと紅茶、他には高級そうな缶クッキー。ちょっとしたお茶会としては十分だろう。
準備を終えて向かい合って座る。中学に上がってからは他のクラスメートも参加する機会も多くなったが、その前までは大抵こうして2人で駄弁っていたものだった。
「そういえば、タカはうまくやってるのかな・・・?」
言われれば隆は今頃美月さんとデートのはずだ。
あの2人会った当時はそうでもなかったのに、ここ数カ月でいきなり進展したんだよな。
葉月はどうもその辺りの事情を知っているようだけど教えてくれない。
友人のいまいち見えてこない恋愛事情にもやもやとしている俺とは違い葉月は興味がないらしい。
「あぁ・・・、苺があれば案外甘くても・・・」
「・・・・・・」
上に乗っている苺を器用に分割して1口1口に割り当てようとしていた。
その無邪気な様子を見て、それから自分達の状況を鑑みてみる。
クリスマス、ケーキ、2人きり。
デートらしいシチュエーションというならば、こっちも同じなのだが・・・、
「葉月、今日が何の日か知ってるよな?」
「うん?クリスマス・イヴだよね?」
この通りである。
質問の意図が読み取れてない辺り全くの無自覚なのだろう。
この話はここまでにしよう。自分がダメージを受けるだけだ。
紅茶に1口口をつけてからクッキーを摘む。これは確か誰かからのお歳暮だったような気がするが誰からだっただろうか?
「クリスマス・・・クリスマス・・・?」
さっきの解答がどうやら間違いらしいとは感づいた葉月が何やらブツブツ考えていた。
・・・・・・これ以上考えさせたら墓穴を掘りそうだ。
「科が言ってたけど、今年のカウントダウンスカイダイビングは人間花火やるらしいな」
「ライト持って陣形組んで?でも、そもそも真夜中のスカイダイビングなんてそうでもしないと面白くないよね」
「今までは真っ暗闇の中飛んだり落ちたりのスリルを楽しむ趣向だったとか・・・。
流石に危険だとかで去年が最後になって、今年から新しくそういう試みをやるって言うんで、必要以上に人員が割かれてるんだと」
「ああ、それで嘆いてたんだ彼女。『イベント行けない〜』とか何とか」
「他には誉もか?何か色々忙しいことになるとかぼやいてた」
「へぇ・・・?放課後グループで集まってたのは聞いたけど、予知能力者のイベントなんてあるの?」
確かに。言われて気がついた。占いなんて地味な出し物がイベントになるとは思えない。
ならば他にどんな応用が予知能力に可能なのかと言われると、答えに困る。
記憶の中からイベントの一覧を思い出そうとするが当てはまりそうなものは浮かんでこない。
「さぁ・・・なかったと思う」
葉月自身も思いつかないらしく、だよねぇと呟いた。
これまた大して興味もなかったのかすでに意識をクッキーに移していた彼女は横着にもケーキ用のフォークでクッキーを刺そうとして――――固く脆い洋菓子は当然ながら刺した傍から砕けた。
「・・・・・・」
さらにその砕けた欠片に突き刺そうとして砕き、
「・・・・・・っ!」
また砕き、
「〜〜〜〜ッ!」
やはり砕き・・・・・・最終的にクッキーは粉々に。
眉を寄せてしかめっ面をする彼女は笑いを堪えている俺に視線を寄こす。
「・・・・・・笑わないように」
ごめん。それ無理だ。
「笑わない!」
・・・一通り笑った後、目の前にはふくれっ面をした葉月様がご降臨されていた。
彼女の両手が伸びてきて頬を思いっきり抓られる。
「ひはぃひはぃ!」
ただでさえ強い握力で頬肉を捻られて悲鳴を上げる俺に構わず指の力はさらに増していく。
「ほへんなしゃい、おりぇがわりゅかったから!」
謝るも力が弱まる気配はなく、どころか、
「そうそう・・・」
痛いを通り越して感覚がなくなってきたというのに、葉月はこの状況で別の話を振るつもりらしい。
まだ続くお仕置きに戦慄を抱かざるを得ない俺に、けれど葉月は妙に平坦な口調で言った。
「クリオネ、死んじゃったんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「今度、買ってくれる?」
そのお願いに頷くと、頬を抓っていた手は離れていった。
改めてフォークを持ち直した葉月は半分ほど残っていたケーキをさっきより早いペースで食べ始めた。
今度は刺さずにフォークの腹に乗せるようにしてクッキーを運び、紅茶に浸したり、皿に残ったクリームをつけたりと変化を楽しんでいる。
親の相続を期待していない委員長がついに法人関係の法律書を読み始めていたとか、同じ様に保健委員の香魚子も傷害事件に関する資料を集めていたとか。
その後もしばらく他愛のない会話に花が咲いて、用意したお茶とお菓子がなくなったところで葉月は席を立った。
「そろそろ帰るよ」
時間を確認すると午後9時。遅くもないが早くもない時間帯だ。今更泊まることを躊躇するとも思えない。明日から冬休みであることを考えても、帰宅するのは面倒ではないだろうか?
そういえばくるにしても今日は少し遅かった・・・。
本当はくるつもりはなかったんじゃないだろうか?
何かしらあって予定を変えた?そんな疑問が無意識に口を開かせていた。
「葉月、今日は何できたんだ?」
その脈略のない質問に首を傾げつつ、彼女は、
「・・・うーん・・・・・・さぁ?」
答えを自分でも得ていないのか少し困ったような顔をしてそう言い、
「じゃあね」
振り向き際に小さく手を振った。
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――――12/25 13:00 臼田物産第2倉庫
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