第50話- 放火魔。-Blue Alert-
イベント6とイベント7の凶悪なコンボに、成すすべないと思われたあのゲームの攻略法は『核回避を諦めて地下シェルターを探し1人で籠る』だったらしい。
なるほど。攻略できないゲームはゲームとは言わないわけで、解答があることを前提に考えてみれば、時間がないわりには生存者の多かったあの状況で一気に型をつけられる方法はそれぐらいだった。
ロケット弾を跳ね返してみせた校長にしても、一定値以上の攻撃は通るのかあるいは他の理由で耐えられないのかはともかく、ゲームの結果が『全員リタイヤ、よってドロー』である以上そうなのだろう。
・・・・・・そうだとしてもあれがクソゲーだという事実は変わりないが。
難易度が高すぎる。あの差し迫った状況下でそこまで頭を回らせなければならないなど、校長は学生に何を求めているのか。
いや、まぁただ遊びたいだけだったんだろうけどな。
そういう意味ではあの後夜祭は大成功なのだろう。
あれから随分と経つが、あの夢のような実際夢のゲームの攻略談義は絶えず、攻略サイトまで立ち上がっている。
学園としても研究価値が疑問視されている超能力の有用性を示せたのだろうし、園の内外共に満足できる結果だったはずだ。
でなければあんな娯楽を学園理事長が許してくれるはずがない・・・と思いたい。
実際会ったことがないだけに理事長がどんな性格をしているのかは知らないが、校長の進化形態だとすれば学園は根本から腐っていることになる。
「う゛ー」
学園の将来に一抹の不安を抱きつつ声のした方に目を向けると、葉月が自席で頭を抱えていた。
それを見てごく自然にザマァミロと浮かんだ俺を責めないでほしい。
「どうしたんだよ?」
「うーん、それがさぁ・・・沖縄で買ったお酒が結構スペース取っちゃってね」
未成年の悩みじゃねぇ。
「アパートが狭くなっちゃったからどうしようかな・・・と」
「・・・警察いけ」
真剣に悩んでるんだよと唇と尖がらせて非難する葉月。俺も本気で言ってるんだがな。
しっかしそんなことが悩みであるところからして――――法律的にはどうであれ、なんとまぁ世界は平和なんだろうか。
11月。秋という季節らしく、のんびりとした日々が過ぎていく。
「夏休みも10月も何だかんだで忙しかった気がするもんなぁ。まったり過ごすのもいいか」
「まったりねぇ。そういえばマロングラッセって食べたことないなぁ」
・・・『ま』と『っ』以外に同じ文字がない上に、発音すら似てねぇ。
「よし黙れ、もう黙れ」
/
10月が終わり、1年の終わりもあと1か月と迫ったイメージほどゆったりとはしていない秋という季節。
収穫という太古から最も重要な意味を持つはずの時期であり、春と気温などはほぼ同じであるところの秋なのだけど、四季の中で最も存在感の薄くいつの間にか過ぎ去っていく気がするのは僕だけだろうか?
街路樹として植えられたイチョウの木が黄色い葉を纏っているのを確認して、改めて秋だとは認識してもイマイチパッとしない。
今はまだそれほどでもないけれど銀杏が無残にも街路のタイルに落ちて潰れ始めでもすれば、あるいは秋だと実感できるのかもしれない。
「それはそれで嫌なんだけど」
あの匂いは苦手だ。嗅覚が数段に跳ね上がった現状、アレに耐えられる自信がない。
まぁいい。アパートの最寄駅からイチョウ並木の間を通る間、秋の存在感のなさに思い耽るのも終わりにしよう。
イチョウにしろ、秋にしろそんなモノはスイーツを食べる口実程にしか価値がない。
読書の秋だのスポーツの秋だの食欲の秋だの、この季節は何でも最後に『の秋』とつければもっともらしく聞こえるから有り難い。
農を蔑ろにしがちな現代日本人にとっての秋の恩恵はこれが最も大きいんじゃないだろうか。
今、僕の目指しているのはその先にあるデパートである。神戸といっても繁華街と反対のニュータウン側の地域ではある終点駅のくせに、ここの駅前には場違いに洒落たデパートが構えているのだ。
立地条件は一等地なだけに市から借りている土地代は馬鹿にならないだろうに、大して観光客もこない駅では利益が上がってるとは思えない。何時閉店してもおかしくないというのがニュータウンの住民の見立てだ。
入ってすぐ、1階フロアのテーマはお土産――――つまりこの場合は神戸らしく様々な洋菓子を扱った店舗のブースが並んでいる。
無駄に高級感を漂わせるチョコや芯についたままのバームクーヘン・・・。住宅街であるここらの住人にとっては生活の需要とかけ離れすぎるフロアだけれど、この感じならありそうだ。
お目当ては当然のことながらマロングラッセ。
口にしたせいか、食べたくなってしまったのだ。食べたい、すぐ食べたい。そうとなればこの高ぶる欲求を抑えるのは難しく、こうして普段は行かないデパートに足を運んだわけである。
今まであまり見て回ったことのないその階層をしばらく探し歩いて目的のそれを見つけ購入した後、今日の晩御飯の材料も買ってデパートを出た。本当はスーパーの方が安上がりなんだけど、たまには手間をお金で支払うのも悪くはないだろう。
帰り道、そういえば洗剤やら日用雑貨も今度補充しなきゃいけないなぁなどとぼんやり考えながら帰宅、早速晩御飯・・・今日はカツ丼を作り始める。
カツ丼ならきっちり1人分作れるので残りが出ないし栄養価は高い。卵も摂れるし、野菜は青汁で補うつもりでいるのでバランスはそれほど悪くはないはず。
今更別に栄養失調で倒れるような身体ではないけど気を使うに越したことはない。
油を使うのが少し面倒ではあるけれど固める薬剤があるので処理自体は楽だし、カツ自体は冷凍食品の上使うのは卵と汁を火にかける親子丼用鍋だけで後かたずけも最小で済む。
面倒を最小限に留めるというのは一人暮らしには必須のスキルなのだ。
何より、さっさとデザートを味わいたい。
実に分かりやすい本音に突き動かされて、急ぎ気味にパック保存しておいたカット玉ねぎを取り出してすでに火にかけた鍋に入れる。
手間も時間もかからない丼モノは本当に有難い料理だ。
次はカツに取り掛かろうと油を入れたところで、ポケットに入れた携帯が鳴った。
そう言えば制服から着替えてすらいない。マロングラッセに随分気を取られていたらしい。
反省反省。
開いて画面を確認すると、通話で相手は『礎囲智香』と表示されている。仕方ないので、切ボタンを押して携帯をしまい直した。
残念ながら今はカツ丼ひいてはマロングラッセのことで忙しい。
が、再びの着信。
むぅ・・・、今ので拒絶の意思は伝わったはずなのに。
「はぁい、もしもしさようなら」
挨拶を済ませて再度切ろうとしたら、『はぁーづきちゃーん!!』と怒鳴り声の応酬がきた。
ただでさえ優れた聴覚に大音量は痛いぐらいに響く。
『切っちゃ駄目よ!重要事項!ウラカタの召集っ!』
「えぇ〜、今忙しいんだけど。油モノやってるから手が離せないし」
言ってから油の鍋を火にかける。大丈夫、バレやしない。
『火を止めればいいでしょ!こっちは緊急を要するのよ!』
「いや、マロングラッセが」
『はい?マロ・・・ちょっと葉月ちゃん?』
・・・・・・しまった、つい本音が。
『油モノっていったじゃん!嘘吐き娘!』
「心外な!カツ丼の後のデザートとしてまったりとマロングラッセを食べようってだけで油は使ってるよ!」
『まったり!?忙しいって言ったよね!?この大嘘吐き!」
「あーはいはい、それで?要件は?時間がないんじゃなかったの?」
『うわっ、あからさまに話逸らしやがったよこの娘っ子!
・・・はぁ、いい?さっき連絡が入ったんだけど――――』
ボロアパート最上階である7階よりもさらに上、普段は閉鎖されている屋上に無理やり侵入してみると、なるほど確かにそれはあった。
秋になりたちまち早くなった日暮れ時を過ぎ十分に暗くなった夜の街、人工光に星が存在を奪われたとしても、アレまではかき消せなかったらしい。
フェンスから乗り出して眺める先、遠くも視認できる距離に赤い光が浮かび上がっている。
いや、この場合規模がそれだけ大きいと見るべきなのか。
火事、それが今回の事件であり、その対処が仕事なのだと彼女は言った。
事のあらましはこうだ。
最近行方の掴めなくなってた学園都市界隈で噂の放火魔がいつものように放火作業に勤しんでいたところ、何らかの原因で能力制御が狂い暴走、最近行為がエスカレートしていると懸念していた事態が現実となり、さらに彼が火を纏いながら徘徊したため周りの建築物を巻き込み大火災が発生したという。
そういえばクシロがそんな噂話をしていた。
そこまで噂になっている放火魔を行方も掴めていたのに何故放って置いたのかとか、懸念してたのならなおのことさっさと対処しておけばとか、色々と思わないでもないけれど、考えてみれば通り魔の時も同じ様なずさんさだった。
今回の件だって実際不利益を被らなければ学園都市としては放って置いたことだろう。
人為的であれ火事は火事。本来ならば消防署の管轄だ。
問題なのはこれが超能力者の起こした事故であり、対外的によろしくないという点である。
有効利用の可能性を前面に推し出している学園にとって、超能力の直接的な施行が暴力に繋がると世間に認識されることは致命的打撃になる。
これ以上騒ぎを拡大したくはない、だが火事の原因が水や薬品で消火できる類のものではない。
そこで白羽の矢が立ったのが裏方というわけだ。
つまり、今回僕達に課せられた任務は火事の鎮火ではなく、今もなお辺りを燃やし尽くしている発火源を止めること。
それさえ鎮圧してしまえば後はただの火災。消防車で対応できる。
逆接、それができなければ、火は止めようがなく被害は拡大していくことになる。
確かに緊急を要する任務だろう。
火災は時間が経つにつれ状況が悪化していくし、目立つ上に隠しようない性質上呼びたくもない人々を集めるのだから。
騒ぎと被害が拡大する前に大火災の火中にいる犯人を絞めろ・・・か、厄介な命令をされたものだ。
「さぁて・・・」
場所は確認できた。後は移動するだけだ。
「よっと」
乗り出した上半身を屋上内へと引っ込めて、後ろ歩きで10歩ほど下がる。助走距離はこれぐらいで大丈夫だろう。今退いた軌跡をなぞるようにコンクリートを駆け、最後フェンスの細い鉄板を右足で踏み締め、蹴った。
重力が身体を地面に繋ぎ止めようとする以上の力で斜めへのベクトルを持った身体は離れた屋上から別の屋上へと着地、その勢いを殺さないでさらに次の屋上へと飛び移っていく。
これ、一回やってみたかったんだよね。
流石に普段やれないし、今なら大義名分も成り立つし、あとオマケに早く目的地に到着するし一石三鳥だ。
秋になって粘り気のなくなった風が肌に心地よい。次々と視界を過ぎ去っていく景色の様も楽しくて仕方ない。
傍目相当ヤバイ人に見えるのだろうけどまたやりたいな。
さて・・・、火の海が目前に迫ったのを見計らってガンッと自販機をワンクッションに地面に降りる。
その衝撃で壊れたらしい自販機が延々と吐き出し始めた商品の1つを拝借し、近くで改めて火事の様子を観察する。
遠くの俯瞰から見れば海の様だった火の塊はこの距離だと森と呼ぶ方が近い形容をしていた。
窓を突き破り上へと伸びていく火の形や固い建物の表面を覆う有様が雑草やコケを思い出させるからだろうか?
一際炎を纏った1棟のアパート、これがおそらく火事自体の火元だ。ここから燃え広がり始めた火災がこの惨事の原因だろう。
燃え広がるのに暴走能力者が手を貸しているのだとしても、火事は可燃性の物質に燃え移ってこそ起こる。
超能力者単体なら人間大のライターが点火し続けているにすぎない。そうでないからこの話はややこしいのだ。
「おーい!こっちだ織神!」
声をかけられて振り向くと、アホ・・・瑞琉君がいた。手まねきする彼に従いついていく。熱さを直に感じる距離からは離れて全体が見渡せるポジションとなるポイントに他のメンバーも集まっていた。
変身佐々見雪成に触媒岸亮輔。雪女の音羽佐奈、スタンガン礎囲智香の2人がまだきていない。携帯の会話で居住地から遠く遅れると言っていた。
「さてま、今きた織神に説明がてら現状を再確認するぞ?
まず今回の件が俺らに回ってきたのはおよそ11分ほど前、受け取ったのはいつも通り智香だ。
内容は端折って言えば『暴走した保駿啓吾を止めろ』。
すでに周囲のアパート、 住宅の避難は終わっていて、消防隊が後方で待機中。
騒ぎがこれ以上大きくなるのは裏活動する俺らにとっても痛い。時間はあって10分ほど。
避難完了地区と消防隊の待機位置から鑑みて、俺らの防衛ラインは向こうの・・・」
瑞琉君が指したのは、この辺りでもワンランク上の高級アパートだった。
「あのアパート。あそこまで燃え広がった時点で任務失敗だと考えていい」
「それで手段は?」
「暴走を止めるには気絶させればいい。幸い日常的な赤の常時発現は取得してないから殴って意識落とせば火は消えるだろ。
で、問題なのはどうやってその一撃を与えるか・・・・・・。見ろよアレ」
言われて目を向ければ奥の方に暴走君がいるらしき火の塊が見えた。確認するまでもない。赤と紅をした周りの火に比べ、そこだけが青白い炎を上げている。あれが発火源であることは間違いない。
なるほど、そうなると確かに問題だ。
本体が確認できないほどの炎の壁、アレを破って攻撃しようとするのは難しいだろう。
あんな状況で燃え尽きても窒息死してもいない点からみて、暴走してるくせにちゃんと身体の安全と呼吸経路だけは確保してるようだ。
「俺や亮輔には手も足もでないから織神の髪で首を絞めて落としてもらう」
「完全に面倒を投げられた気がするんだけど」
「だって俺何もできねーもん」
そりゃそうだ。意識体になったら炎を抜けられてもモノに触れられないし。
いや、考えてみればここにいるメンバーってほぼ特殊工作系じゃない?
変身にしても媒介にしても攻撃は専門外。形骸変容だって肉弾戦の方が得意で、ああいう飛び道具系のPKとは相性が悪い。そんなことは沖縄で嫌というほど知らされた。
そもそもここにいないPK2人組にしたって雪と電気。発水能力ならまだしも、空気中の水分がほとんどないこの状況では撥水すら役に立たないだろう。
火というのは超能力的にもポピュラーでありながら相手にするのが厄介だ。攻撃になり防御になり、制御下を離れても燃え広がり大抵のものを破壊できて相手の不利な状況を作り出せる。
今のところそんな火の防壁を突破可能と思われる手段は僕の髪ぐらいのものだろう。けど、
「うーんどうかなぁ、それ」
作戦を実行するにあたっての懸念事項を解消すべく、中身を飲み干したアルミ缶を青い炎へと放り込んでみると融点の低いアルミニウムは瞬く間に溶けて消えてしまった。
当然だ。青白いあの炎の温度はおそらく16000K以上、つまりは15700℃以上だ。融点の高い鉄でさえ1500℃ほどで溶けだすのだからその温度の高さは異常すぎる。そんな異常温度の炎が高密度で壁を形成しているとすると、いくら僕の髪に耐熱性が備わっていようと耐えられはしないだろう。防壁の中が本体を守るために適温保たれているのだとしても、そこにたどり着く前に燃え尽きるのオチだ。
「無理だね、この様子じゃ」
それを聞いて、どうも楽観視していたらしい男組はあからさまに『え?』という顔をした。
完全に僕を当てにしていたな、この役立たず野郎共。
「せめて温度を下げないと無理」
・・・ということで、冷ますことにした。
もちろん暴走君の体力切れを待つわけではなく、強行手段――――消火ホースによる放水で、炎の壁に穴を開けようというのである。
ただ流石にそんなにうまくはいかないもので、重力に負けて放物線を描くこともなく力強く直射される水は青き炎に触れた瞬間に大きな音を立てて一気に蒸発した。水蒸気に視界を遮られて防壁の状況は視認できないけれど、この様子では表面温度を冷ませても奥にまで貫通してるとは考えにくい。
ホースを持つ雪成君の方が踏ん張り続けることに限界がきそうだ。
これ以上待っても意味がないと判断して放たれている水に特に強化した髪を1房滑り込ませる。水の管の中を流れに任せて伸ばしていくが、どうも手ごたえがない。おそらく炎塊にまでは届いているはずだ。そこから伸ばしても伸ばしても燃え尽きていっている、そんな感じ。
あの高温にこれ程度の水では文字どおり焼け石に水と言ったところか。
予想はしていたことだが、いよいよ面倒だ。
「やっぱり無理み・・・ッな!」
報告しようとして口を開いた途端、台詞に思考を割く余裕がなくなるほどの障害がいきなり目の前に広がった。
紅の球。それも2球で視界を覆い尽くすほどの大粒が5つ、こっちに向かって飛んできた。
対処を考えている猶予がない。いまだホースを握ったままの彼の首根っこをひっつかみ明後日の方向へ投げ飛ばす。この一動作で距離はほぼ縮まってしまった。速い。逃げれないと直観し防御に切り替えて、背を向け髪束を総動員して広げる。並の炎や打撃ではびくともしないはずの折髪防壁は一撃であっさり爆散した。その一拍の間に脚力限界の跳躍で着弾点から離れることに成功。が、まっすぐと飛んでいたはずの火球は進路を変えて追尾してくる。
「ッ・・・!」
その、予想外の挙動に反応が遅れて、直撃を言わずも3つほど連なって爆散した炎と爆風を浴びた。
身体のいたるところを擦りながら転がり跳ね返り、ようやく止まった時にはボロ雑巾のような有様で損壊した舗装路に抉り込まれれていた。
「っぅううう・・・」
下敷きにされたアスファルトの残骸を蹴り飛ばす。擦過傷はともかくとして火傷、特に溶けたアスファルトの付着したところの火傷が酷い。
しかし、問題はそこじゃない。
明確に攻撃してきた。それにあのホーミング弾。
追跡制御?暴走能力者が?
おかしい。
本人周囲の制御は生存本能の影響を強く受けていると説明できるが、今の攻撃は解せない。
あそこまで細かい制御できて、かつ意思の通り能力を操っている人間を暴走していると言えるのだろうか?
暴走していない?
いや、けれど現にこうして大火事にまで発展している。
又聞きとはいえ、発火能力者のことなら信用度の高い火兎な鮮香さんは彼の能力を『掌を覆う程度にしか火が出せない』と言っていたのだ。
あれからしばらく経っているとはいえ、これだけの惨状を引き起こすだけのレベルアップはまず不可能だろう。
それに彼は燃えるか焦げるかの瀬戸際の緊張感に快感を覚える性質という話だった。無論宗旨替えの可能性もなくもないけれど、この火事は彼の趣味でないはず・・・。
技量以上の火力、というのが引っかかる。
そこだけみればまさしく暴走だ。
暴走、悪いイメージしかない言葉ではあるが、反面潜在能力ギリギリのパフォーマンスを行えるという利点が確かにある、本能にインプットされている生存のためのプログラム。
本来制限されているリミッターを外すことで身体の損壊を無視した力を引き出せる――――。
そこまで考えて、1つ嫌な心当たりが見つかった。
暴走、それを制御できればより強力な能力者が得られる。そんな理念から研究を繰り返す廃人達の収容所。
取り押さえられた彼が逝く場所だとばかり考えていたが、逆だと、したら?
本当に、本当に嫌な考えだけども、筋は通る。
仮称裏方。名前もないその組織の性質を考えれば、むしろその方が納得がいく。
『利己的な暴走』、箍の外れた発条。
自滅を免れた暴走者を造り出すことを目的にするという至極追探組織。
これが実験だというのなら、今この時は成果の回収といったところか。
なるほど、確かにその研究はいい線までいっているようだ。防衛本能を備えた暴走、全くもって厄介な相手である。
/
着火してしまえば自分の制御を離れて燃え広がってしまう火種を人のいる建設物に押しつけて、その限界点を見極ようと手が震え胸が高なり瞳孔が開閉を繰り返すその瞬間が放火魔である彼は好きだったのだろう。
火は着きやすいモノには着きやすいが着きにくいものには着きにくい。素材、湿り気、その要素はともかくとして、そんな燃えにくいモノに炎を当てて楽しんでいたのが、放火の始まり。
コンクリートは燃えにくく、しかし焦げ目はつくのでお気に入りの対象物だったけれどすぐに飽きた。新聞紙を試したがさすがに燃えやす過ぎて、湿らすと今度はうまく燃えてはくれない。その調整が面倒臭くなって回収時間を無視し早めに出されたゴミ袋を燃やしたこともあった。あれこれと試している内に感覚が麻痺してきたのか、もっと刺激的な緊張感を求めて木造家屋に火を近づけて――――。
超能力を持った人間がその特異的な能力にアイデンティティーを求めることはよくある話だ。
他人と違うということに快感を覚えたり、安心したりと"自分"というモノを形成する青少年という時期なら特にそうだろう。
しかしながら、超能力の多くは日常において使う機会が少なく、せっかく得たはずの自己を表現できないという状況はむしろ苛立ちを積もらせることもあり、『力を誇示したい』そんな能力者が犯罪に走るのは珍しくはない。
そういう事情を知っているからこそ犯罪まがいの彼の行為を咎める人物がいなかったのが、あるいは悲劇の始まりだったのか。動向を追えていることに油断していた発火能力者の自治ネットワークから忽然と姿を消し、再び現れた今になっても精神は帰ってきていない。
さて、ところで渦中の保駿啓吾という人物がそこまで『燃やす』というものに執着する理由はなんだったのか?
そのこともこの事件で不明瞭な点である。
それこそ上記したようにありがちな話を重ねてみれば補完できる放火そのものの動機はともかくとして、その動機の動機、彼の原点だけは想像や推論では測り切れない領域になってしまう。
超能力は使う機会がないとはいったが、発火能力はその例外の部類に入る能力だ。生活において火を能力で代用できるシーンはいくらでもあるだろうし、もっと派手なモノを好むというのなら花火のように打ち上げればこれ以上のパフォーマンスはないはずなのだ。
何故『燃や』さなければならないのか、その意図については彼本人の心内に秘められたままだ。
しかし、今回は切り裂き魔小島継が『無抵抗な子を痛めつけるのが好き』『自分よりは体の小さい子を苛めたい』『痛みに耐えられず漏らす嗚咽が好き』『血が滲む傷口を震えて押さえる様子が好き』『自分を傷つける相手に縋るあの表情が好き』と自らその動機を告白してくれたようにはいかないわけで、彼のその執着心が能力を得てから生まれたモノなのかその執着心が彼に発火能力を与えたのか、そんな鶏と卵のような疑問に答えを得ることも望めまい。
・・・・・・もしくはひょっとして、夏の蒸し暑い公園で、手持ち花火の火を草むらの虫に向けた――――そんな幼き・・・古き良き風景、その情景が彼の原初衝動なのかも知れないけれど、結局のところそんな想像でしか彼を語る術はなく、語る心を失った彼に解答を求めること自体が無駄な行為だろう。
無駄とはつまり無価値ということで、個人的な興味に答えも期待できない以上彼にもはや用事はない。
そう判断して織神葉月は言った。
「保駿啓吾を殺そう」
燃やされてセミロングになった髪を気にして毛先をいじりながら、手や足の水脹れを残った手でぐちぐちと潰す彼女に感情の揺らぎはまるで見られない。
それを聞いた朝露瑞流は肺に溜まった空気を吐き出してそのまま組んだ腕へと視線を落とした。
個人感情としてそれをどう受けるかは別として、彼女の判断に異議はない。
ただの暴走能力者ならまだしも、故意に、それも暗部に関わる研究所の手のついた能力者を生かしたまま沈静しようとするのは骨の折れる作業だ。それは先ほど体験したことでもあるし、そもそもが自業自得である彼を危険を冒してまで助ける義理はない。何よりこれが箍の外れた発条の研究対象というのなら助けたところで彼に救いはなく、逃亡まで手助けしようものなら自分たちの立場まで危うくする。
デッドエンド、救いようのない行き詰まりである。
殺す。この場合それが最適な方法で、救いのない廃人収容所に収監さて解剖されるよりはここで打ち止めにしようというのが同じく研究所出身である葉月の情けなのだろうと思われた。
佐々見雪成もそのことは心得ているらしく、目を閉じ黙りこくっている。
今更性善説など持ち出す気になれないほど、理由があれば人は人を殺せるという事実は身に染みて分かっている。言い訳めいた説明を頭で繰り返して自分を言い包めるのに時間がいるだけだ。
個人感情との折り合い、そのための沈黙。
けれどそんな中で、
「ちょ、ちょっと待ってよ」
1人、口にし出して抗う者がいた。
岸亮輔、接触不良の媒介能力者。
いつも会話にほとんど入ってこない、空気と同化して存在を悟られないように縮こまっているいつもの彼からは考えられない行動だが、瑞流や雪成には彼をそうさせるモノを知っている。葉月にしても発言自体は予想外だろうと、その動機は予想できるモノで、大して表情を変えたりはしなかった。
彼の能力は他人の能力に干渉するタイプで、彼は人と触れ合うのを極度に嫌っていて、そして今回の事件の中心人物は"暴走"能力者だ。
実に分かりやすい構図だろう。
しかし、そんな彼の事情など今の状況で考慮すべくもない。
「そんな、簡単に・・・」
その先を言わせずに葉月は台詞を被せる。
「いくら考えたところで最善策なんてないよ」
「だからって・・・」
「ただでさえ時間がないのに無駄なことはできないし」
「無駄じゃな・・・」
「それに彼をそこまでして助ける義理もない」
「・・・義理なんて関係ない!今話してるのは命の話なんだぞ!」
小さな呟くような台詞の数々を遮られ続けて、ついに我慢の臨界を超えたらしい亮輔が声を荒げた。
人より聴覚のいい葉月はそれに耳を塞ぐ仕草をしただけで、やはり動揺した風もなく、だんまりを決め込んでいた瑞琉は短く溜め息を吐く。それから口を開こうとして、葉月に手で制された。
「そう、命の話だよ。だからこそ義理が大切なんだ。
自分の命を危険晒してまであの暴走君を助ける道理があるのかないのか。命を取捨する以上必要な問答だろうに」
「命は、どっちを取るかなんてモノじゃないし、諦めていいものでもない!
まだ・・・まだ手を尽くしたわけじゃないだろう!?・・・君は本気で助ける気があるのか?」
「ないね、全く、これっぽっちも。
君と同じく個人的な話をするとね、亮輔君。むしろ僕には彼を殺してやりたい理由があるぐらいだ」
「な・・・!?」
何で?、その分かりきった問いがくる前に彼女は言う。
「彼のせいでスカートがボロボロになっちゃたんだよ」
そこでやっと少し拗ねた表情でもはや衣服の体をなさない腰についた布切れを両手で摘み上げた。
「クシロが見繕ってくれた、スカートが」
制服のスカートとはいえ、それを用意してくれたのは朽網釧であるということ。
つまるところ、それが彼女の全てである。
泥底を相手にした際は本人が危険に晒されていたために二の次だったが、あの時だって大切な服を破棄しなければならなくなったことが彼女の不機嫌に一役買っていたのだ。
「っ・・・・・・君は、彼の命とスカートへの愛着を比べるのか」
「比べられないとでも?
『命の尊さ』なんて君みたいなのが好む言葉にどんな根拠があるっていうの?
失えば戻ってこない?かけがえがない?
子供の抱いてる縫い包みだってお気に入りの枕だって本人には失えば戻ってこないかけがえのないモノだ。
抱いている感情が同じ以上、その2つの内実もまた同じ――――『命の尊さ』というのはね、生物に対する愛着を言い換えただけの言葉なんだよ」
「違う!どうしてそんな考えができる!?命を想う感情が、根拠がなくても確信を持って重んじれようとする感情が――――」
「あるんだろうねぇ、君らには。まぁ、実際、生物が塩基たった4つの組み合わせを後生大事に遺伝していく様には執念染みたモノがあるし、遺伝子を後世に伝えるプログラムとしてそんな感情がDNAに刻まれていてもおかしくはない・・・。
けど、そんなモノ僕は持っていないし、こういう類の話は同じ価値観を共有できなければ分かり合えやしない。こんな話論じたところで堂々巡りになるだ」
そこで一息、溜息を挟んで葉月はガラッと口調を変えた。
「あーいいやもう、面倒臭い。結局さぁ、僕達には彼を助けるだけの策も余裕もないんだよ」
「・・・・・・・・・・・・髪の質を上げて何とかできないのか?」
「分子構造を弄って新素材開発なんてそんな面倒芸当がすぐさまできると思う?そんな労力をかけると思う?僕に期待しないでよ。
この期に及んでまだそんなこと言うか君は。
そんなこと言うぐらいなら、別にやる気のない僕を頼らなくてももう1つ手段はあるじゃない」
「え・・・?」
「君の媒介だよ。他人の能力に干渉して力を引き出す、制御するそれが触媒能力の専門分野なんだからさ」
「そ、それは・・・・・・」
「それさえできれば話は変わってくるのにねぇ?あの炎を弱めるなり防壁に穴を開けるなりそれさえできれば僕の髪も通用するかもしれないのにねぇ?」
「う・・・ぅ」
彼女は言葉に詰まる彼に嘲笑混じりに畳みかける。
「そうすれば万事解決、君は自分の我を通せるし、僕は僕の我を通せる。それぐらいなら手伝ってあげるよ?」
「でも・・・・・・・だからっ・・・それはっ」
できない。それができれば彼はそもそもここにいない。
握る手を震わせて、意地の悪い彼女の言葉に耐えていた彼だったが、
「あっ、ごめーんできないんだっけ?臆病な亮輔君は暴走君どころか自分の能力も制御できずにトラウマになっちゃって?怖くて怖くて人にも触れられない役立たずだもんねぇ?」
「・・・っんのぉおお!」
トドメの台詞に、ついに亮輔の両腕が葉月の首元に伸びた。
大学男子と中学女子、その身長さにも関わらず彼女の体は持ち上がることはなく、亮輔の行動に眉一つ動かさず正面切って彼の怒気に満ちた顔を見据える。
力ずくで掴まれて焼け崩れた胸元の布がついに耐えきれず千切れた所で、沈黙を破って葉月が口を開く。
「僕だってね、君が勝手にやる分には何も言わないさ。自分じゃ何もしようとはしないくせに文句だけは吐くから言ってるんだ。
自分の我が侭を通すのに他人の力を借りようとするなよ」
人に触れられない。他人の能力に干渉することにトラウマがある。だから無理だなんてそんな甘ったれた理由は許されない。
葉月はそう言い、彼に問う。
――――で、どうするの?
そう訊かれて改めて彼は自分に自問する。
できるのか、できないのか。自分を圧するプレッシャーに打ち勝てるのか。
その答えはなかなか出ない。そう簡単に踏ん切りなどつくはずがない。
それでも、彼の手は今、彼女に触れている。
震えつつも確かに他人に触れている。
「やれば、いいんだろ・・・!」
「最初からそう言えばいいんだ」
「・・・?どうかしたの?」
それからすぐして到着した礎囲智香と音羽佐奈と合流した。