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第30話- 命柄取引。-Bad End & Anecdote-

この話を読む前に、『欠片-1 夢魔。』を読むことをお勧めします。

あと、後書きにてお知らせがありますので、ご覧いただければ幸いです。

 まだ溢れてくる血液に濡れてシューズはびちょびちょと気持ち悪い感触を与えてくる。

 血飛沫を浴び、殺傷片に裂かれ、横っ腹には赤黒い穴が開いた、元は純白のワンピースはもはや使い物にならない。

 最後の反撃はなかなか良かった。

 そんなことを思いながら、ワンピースを脱ぐ。靴も靴下も同じく脱いで、下着姿に。

 最後に殺した死体のジャケットを剥ぎ取り、注意はして殺したのにどうしても付着してしまった血を隠すために裏返して着た。

 一時的に人の目を誤魔化すだけだから、これで十分だろう。あそこには代わりの服が置いてあるし。

 それから財布を探ってお目当てのカードを引き抜く。

 これで彼に用はない。

 一応確認すると腹は傷は塞いだものの、まだ内臓にダメージが残っていて激しい運動はしばらく控えたい感じ。

 左腕の方は既に膜が張って再生芽が伸び始めているから、そのうち治るだろう。

 能力で直してもいいのだけど、この身体の自己再生能力を知るためにももう少し様子を見るつもり。

 記憶を辿って迷路を進み投げたダガーナイフを回収して、それから吹っ飛ばされた左腕も拾う。

 まだ熱が残っていて本体から切り離された今でも生きている。

 それを無理やりポーチに捻じ込んで、最後に倉庫のあちこちに仕掛けた髪の毛を髪で絡めて取っていく。

 と、回収に使っていた髪が切断されてバラバラと中を舞った。

「うわ・・・」

 細くしすぎたらしい。

 滑車として使う鉄ラックに接する部分はそのまま、切断に使う箇所だけとにかく細くしてみたのだけど、自分でも危ないくらいの殺傷力が出てしまってる。

 人体をほぼ摩擦なしで刻める糸・・・試して分かったけど、僕には向いてない。

 あっけなさ過ぎるし、間違えたら自分が細切れだ。

 今度はもっと違う方法を考えよう。

 何とかその凶器を取り除いて、倉庫でやるべき全てを終えた。

 ふと床に視線を落とすと、本物の蜘蛛のように静かに徘徊する監視蜘蛛が血溜まりを歩いていたので踏み潰す。

 ・・・クシロ達はカイナの所にいるだろうし、それを追跡する連中も片付けた。

 ここに残っているのは死体だけ。

 あれだけ響いていた絶叫も途絶え、今や淀んだ空気が沈殿していく。

 休憩を終え求愛を再開した蝉の声が外から聞こえる。

 心臓の刻む鼓動すらが忙しなかったこの場所は、もはや停滞したように時の流れが緩やかだ。

 決着はついた。

 けれど、


 まだやることが残っている。


                     /


 1度整頓された室内は、この夏休みの間に元の散らかった状態に戻りかけていた。

 テーブルに乗っけられた携帯ゲーム機の数々、壁に貼られた超薄層テレビ(ペーパー・ウィンドウ)に無線で繋がっているだろう各社TVゲーム機、そのカセットのパッケージがそこら中。

 駅ビルの一室に造られた小さき城。裏方と呼ばれる、泥底と同じく名称のない組織のグループの根城だ。

 そこに、いきなり織神葉月が現れた。

 今回に関して言えば、ちゃんと意味をもってそこに集っていた裏方のメンバーは、それを狼狽で迎える。

 礎囲智香は持っていたゲーム機をテーブルの上に落とし、朝露瑞流は淹れていたアップルティーがカップから溢れるのにも気づかずに、佐々見雪成は視線が葉月に固定してしまい身動きがとれず、音羽佐奈は持っていたクッキーを思わず凍らして砕き、岸亮輔に関してはパソコンの前でパニックとなってしまいにはデスクの下に縮まりこんだ。

 それでも取り繕って、いつも通りの日常を演出しようと智香が口を開く。

「今日はどうしたの?はづ――――」 

「いいよ、茶番(ソレ)は。そういうのは、今度幾らでもやれるんだし」

 それを両断して葉月はテーブルの上のゲーム機の山から1台を取り出す。

 他の全てを乱雑に薙ぎ払ってテーブルから落とした。

 ガンガララと軽量化しても重さのある金属とプラスチックの塊が床を跳ねる。

「君達が向こう側(・・・・)の人間だなんてことは会ったその日に分かってたんだよ。

 嘘を吐く時は真実を含めるのがコツ・・・だっけ?あるいは木の葉を隠すなら森の中かな?

 非合法の組織という嘘でそれよりさらに暗部であることを隠す。

 でもさぁ、先代変容(メタモルフォーゼ)の資料があるっていうアレはいただけないよ。せっかく隠してるのにバレバレだ。

 確認数自体が少ない、研究資料は門外不出で出回っていない、実際当事者である僕も今まで知らされていないようなモノが君達の近くにある理由なんて考えるまでもない。

 君達が万可統一機構と繋がってるって暴露してるようなものじゃない」

 手に持った携帯ゲーム機を改めてテーブルの中央に立てて、

「裏方・・・そう呼ばれる組織(しくみ)が実際あるとしても、君達は違う。少なくても今は裏方とは違う事情で動いてる」

 コトンと中指弾き倒す。

 それはチェックメイトのジェスチャーだ。

 彼らの正体はとうにバレている。だから、余計な足掻き(はなし)はなしでいこうじゃない。

 そう裏方メンバーを黙らして、彼女は続ける。

「さて、となるとこの部屋には盗聴・盗撮機器が仕掛けてあるだろうとも予測できるわけだ。せっかく研究対象の行動範囲に簡単に仕掛けられるんだから。

 それも部屋の持ち主達の了承があるんだから本来なら難しい私物とかにも仕掛けられるよねぇ・・・。

 機械を隠すなら機械の中・・・・・・例えばそこら中に散らかされたゲーム機の中、とかさ」

 トントンと血のついた指に叩かれるのは()られた1つの携帯ゲーム機。

「あははっ、電源がついていないのに電磁波を出し続けるゲーム機の正体は何でしょう?・・・なぁんてね」

 葉月は自分専用に用意された椅子を引き、背中を預けて足を組んだ。

「さて・・・聞いているんだろう?誰かさん(・・・・)――――取引しよう」

 彼女の視線の先にあるゲーム機は、だらしなく散らかされた玩具ではなく、今や得体も知れない誰かに繋がっている気味の悪いモノに変わっている。

 ブラインドを締め切り、クーラーで冷え切った室内でさらに背筋が凍るような沈黙がしばらく、

 葉月のポーチから『包帯少女の鎮魂歌(レクイエム)』の着信メロディーが鳴った。

 取り出した携帯の通話ボタンを押し、スピーカー設定にしてゲーム機の上に重ねて置く。

『・・・要求を訊こう』

 変声器を使っていない、年齢を感じさせる男の声が発せられた。

「第一に筒蓑美恵(つつみの みえ)から手を引くこと」

『朝代研究所と我々は関わりがない。その要求は呑めんな』

 他の意見を聞き入れないという意思すら感じるはっきりした口調での間髪を容れない返し。

 しかし、その応えに葉月ははぁ、と溜め息を漏らす。

「あの、さぁ・・・じゃあ圧力かけて手を引かせなよ」

 それぐらいのことは察しろといった態度は無能な相手を蔑むものだ。

 引きずり出した相手の大きさを理解していようとまるで容赦がない。

 姿も見えない、感情も酌めない、正体不明の相手。

 自分の身を所有する、抗いようのないほど巨大な力を持つ誰か。

 しかし、彼女は恐怖などという上等な感情は持ち合わせてはいない。

 その話はこれで終わったと言わんばかりに、次の要求を続ける。

「第二にクシロ達・・・僕の周りにいる親しき友の安全確保」

『その必要はあるまい。連中を巻き込む気は更々ない』

 先ほどと同じ、ブレのない答えが返ってくる。

 が、やはりそんなものは織神葉月という少女には関係なく、

「だったら何なんだよ今回のは。随分お瑣末な結果になってるじゃない。

 弛み過ぎだ。気を引き締めろよ。付け入る隙が多すぎる」

 むしろ怒りを買ったらしかった。

「そんなんじゃあお話にならないからわざわざ言ってるの。消極的にではなく積極的に守れってさ。

 僕に関係なく、対象に危険があれば対処すること。それが第二の要求。

 この2つを守ってくれればいいんだ、簡単でしょ?」

 苛立ちを隠しもしない彼女の言動は相手をも怒らすに十分なものだったが、電話の向こうにいるだろう相手はそれを気にした様子はない。

『その要求を呑むと思うかね?

 既にこちらには死傷者が出ているこの状況で、対等な取引が可能とでも?』

 けれど、しっかりと当然の反論は押さえてきた。

 一方に犠牲を出した状態での和平交渉が等価交換の取引で行われるわけがない。

 その正論にしてもっともな言い分に、ふむ・・・と葉月はそこで考える素振りを見せる。

 そして、

「ああ、そうだよね。ごめんごめん忘れてた。もう1つ要求を追加するよ。

 倉庫の死体、ちゃんと片付けといて」

 笑顔で未知の彼の台詞を一蹴した。

「そんな思ってもいないこと言うのはよそうよ。お互い時間の無駄だ。

 使い捨ての駒としか認識してないくせに、こういう時だけ利用しようとされてもね。

 それに対するリアクションは『鼻で哂う』ぐらいしかレパートリーないしさ」

 何処までも笑顔の葉月の言葉に、泥底(ヌタ)と同じく使い捨ての裏方メンバー達がびくびくと震えたが、それに構ってくれる人間はいない。

「大体さぁ、いいデータが取れたんじゃないの?織神葉月の戦闘傾向及び現段階における能力の使用率・・・とか何とか。

 徊視蜘蛛で盗撮なんて趣味悪いよ。

 ・・・でもまぁ、一応お礼は言っとこう。どうせ、蜘蛛の電波傍受のついでに泥底(れんちゅう)の通信も電波妨害(ジャミング)してたんでしょ?」

 使わなかったみたいだけど、と葉月は言って組んでいた足の上下を入れ替えた。

「それに対等なわけがないだろう?僕の方が優位に立ってるに決まってるでしょ?

 2番目の要求はそもそも君達が厳守すべき事項、1番目のにしたって筒蓑美恵(つつみの みえ)がその保護対象のカテゴリに入ったってだけの話だ。

 僕の機嫌を損ねることがどういうことかなんて前回と今回とので身に染みて分かったはずだよね?

 ご機嫌取りとして最低限の条件はこなせよ。

 さっきも言ったけどさ、それができてないからこうして対談してるんだ。言わなくても分かることをわざわざ、わざわざ口に出して言ってる。

 むしろ言われなくてもやらないといけないことで見返りが貰えるこの取引っていう状況を喜ぶべきだね」

 やって当然の家事の手伝いもしない不出来な息子に言い聞かせるうような物言いに、さすがの彼も押し黙る。

『・・・・・・・・・・・・なるほど。確かに、聞いたとおりの"織神"だな』

「岱斉が何か言ってた?」

『怒らせるな』

 あははっと笑う葉月。

「ならそうしてよね」

 けれど目がまるっきり笑っていない。

『それで、織神よ。我々の見返りとは何だ?』

 モニター越しにもその辺りの話をこれ以上続けると余計機嫌を損ねると身に染みて感じたのか、彼は話を進める。

 彼女は相槌を打って、ポーチから半分ほどその身を覗かせていたソレを引き出した。

「これをあげる」

 無理やり握手を交わすように、握り合う右手と左手。

 伸ばされた右腕の先に繋がるその腕には肘から先がない。

 それは銃弾に抉り飛ばされた彼女自身の左腕。

「欲しいんでしょう?喉から()が出るくらいには。

 形骸変容(メタモルフォーゼ)・・・変容能力と言うけれど、その実体は進化能力だ。

 生物の進化という何千何億年もかかるものを一瞬で、しかも一世代で行える生物。

 本来不可能な進化の経過を観察できる唯一の研究対象。

 その腕一本丸々のサンプルが手に入るんだよ。値段にできない価値ってやつだよね。

 まぁ、それでも強いて言えば、この列島ぐらいは買える。

 ・・・叩き売りだよ叩き売り。

 そっちの損失は使い捨ての駒十数人と筒蓑美恵。

 既にその代償として僕に関する貴重な研究資料を手に入れているのに、さらにオマケで腕一本。

 これ一本とたかだか何人かの命との交換だ。

 ね、破格の取引でしょ?」

『・・・・・・』

「お互い腹の内分かってるんだからさ。コソコソするのはやめようよ。

 バレてないならともかく、バレてるのに裏方や何やらで周りを固めても意味ないじゃない。

 逃げる気なんて更々ないんだからさ、そっちも余計な行動は慎んでよね。

 不文律・・・というか暗黙の了解だったはずだ。

 抵抗しない代わりに自由を、ってさ。

 僕の身体をどうしようが君らの自由。解剖するなり何なりすればいい」

 けれど、

 けれど、もしそれが破られたなら、

「もしもクシロ達に何かがあったら、僕の自由(わがまま)が通らなくなったら・・・・・・その時は、


 君達全員纏めて虐め殺す」


 これが、

 これこそが――――織神葉月。

 万可統一機構が誇る、パンドラの箱に入りし(わざわい)

 自分すらを躊躇なく投げ打てる、自身も他人事の傍観者の姿。

 自らを想えないモノに他者を想えるわけもなく、命を知らない彼女の眺める世界は全てが無価値だ。

 世界の全てが純粋に"モノ"としてしか見えない、無知無垢な子供そのもの。

 万の可能性を持つ純粋原石に人間の型を嵌めることを成長と呼ぶのなら、彼女はその型を嵌められることなく育った人間崩れ。

 子供の想像力(かのうせい)底無し(バケモノ)に例えるように、つまり彼女もまたそのようなモノだ。

 蟻を潰す残忍さはその小さな身体に命を視ることができないという無知の証明。

 故に、人を殺す残酷さは自らと変わらない姿に命を識ることができないという無智の証明。

 見咎められると知ってはいても、その咎の本質を理解できない子供はその行為に罪の意識を得ることはない。

 人間らしい感情を喪失した彼女は人の痛みを感じることはできないまま。

 そんな彼女に愛情なんてものがあるわけもなく、

 彼女が朽網釧や他の"大切"なモノに感じているのは親愛なんて綺麗なものではない。

 ・・・ただの過剰な愛着だ。

 縫い包みを友達と幻視する子供のように、ボロボロになった枕カバーの切れ端をひたすら抱きしめる子供のように、

 無様で無様で無様で無様な酷く惨い有様。

 モノに過剰なまでの愛着を抱くその行為は、未熟な感情に他ならならず、

 未熟のまま成熟できずに、そのまま在り続けた不恰好なヒトガタには相応しすぎる。

 幼少に世界の価値を奪われた子供は人間らしさを獲得できずに腐り崩れて死に至る。

 精神死はいずれ肉体の死を招き、生存を不可能にさせる。

 事実、彼女は一度再起不能なまでに廃人と化した。

 なのに、それでも生かされた。

 万可統一機構によってその肉体を延命された。

 人間として致命的な欠陥を抱えながらも、それでもまだ存在できているという異常さは、周りにどう映っただろうか?

 同級生にすら感じ取れる腐臭は彼らに積極的な行動を起こさせた。

 少々強引なまでの彼らの行為は、何より彼らの不安を取り除くためのものだ。

 前から電車が走ってくるのを見ていながら、それに向かって線路を歩き続けるような彼女の未来を見ていられなかったからこその積極性だった。

 それほどに歪な姿。

 終着点はとうに越え、死んだ後も動き続ける。

 『終着越境』、『死後過動』。

 既に死んだつもりでいる彼女は目に見えた惨劇にも平気で突き進んでいく。

 その愚かしさを『馬鹿野郎の愚か者』と呼ばずしてなんと呼ぶ? 

 生きる行為を放棄しながら、生き長らえる彼女には目標というものがない。

 歩く方向を見失ったものは進むことができずに停滞するだけだ。

 噛み合わない歯車が空回りするようにただただ在り続けるだけの彼女は無害に等しい。

 螺子の巻けない絡繰人形が幾ら凶器を握っていても人を殺せはしないのだ。

 しかし、何かのきっかけで歯車が噛み合ってしまったら?方向性を得てしまったら?

 ・・・・・・常に停止している彼女の心臓が鼓動してしまった時は、

 本来元来の織神葉月が降臨する。

 倫理観も道徳心もない彼女は完膚なきまでに容赦がない。

 目的を果たすためにあらゆるモノを犠牲にして、確実に完璧に完全に目標を達成する。

 それを万可統一機構が思い知ったのは、彼女と釧が出会う少し前の話。

 『織神』の称号を与えられ、『折り紙の8月』と呼ばれるキッカケとなった魔の8月。

 まだ能力もないか弱い彼女が言葉だけで6人もの若い研究者を虐め殺した。

 狂気の充満する研究所という結界の中で、若い彼らの心の隙を抉り腐らして、狂い死にさせた。

 当時、身動きすら取ろうとしない廃人に成り下がっていた彼女の世話させられていた若い研究員。

 薄暗く閉鎖的な空間の中、まるで生気の感じられない人形と2人きり。

 いきなりギュルリと自分の方を見る濁った眼球、淡々と息継ぎもせず呪詛を吐き散らす口。

 狂気を感染させる呪い人形。

 悪夢のような異界の空気に毒されて、6人は自殺した。

 あの時の目的はある少女への弔い。

 そのための生贄として6人は捧げられた。

 目的を果たすために周りにいた多くの人間が犠牲になったのだ。

 今回は筒蓑美恵の言葉が彼女のキーポイントに触れてしまった。

 その結果、泥底部隊13人は葉月の八つ当たりに使い潰された。 

 普段は何の支障もきたさないくせに、条件さえ揃えば甚大な被害を及ぼす。

 日常忘れられながらも存在するはずの亡霊が、仄暗い廃墟で人々を冥府に引きずり込むように。

 死んだのに在り続ける、透明無害の彷徨う魂。

 空回る駆動式が条件を満たす狂気の宴、発現するは阿鼻叫喚の地獄絵図。

 過去形で話されるしかない悪霊の所業。

 再臨する悪夢、蘇る逸話。

 折り紙の8月。


 ――――それは夏の夜に語られる怪談に似ている。


 ・・・・・・長い長い沈黙、観客すらの呼吸を禁じる圧迫された静寂の中。

 代償として左腕を差し出す葉月の見開かれた双眼は、光を反射する呪い人形の硝子玉は見えるはずもない対談相手の姿を射抜き殺す。

 姿が見えもしない初老の男の威圧感は、年を経て野望そのものと化した男の執念は携帯電話から漏れて部屋を監獄のように幻覚させる。

「ふっふふ・・・」

『くっくっくっ・・・』

 どちらともなく、笑い声が漏れ始めた。 

「あはっ、ふふ・・・ふふっ、ぅふふふふふふふふふっ、ふふふふふふふふふふふふっ!!」

『くくくくく・・・くはっ、ははははははははっ、かははははっくはっははははははっ!!』

 それは膨れ上がるように大きくなって、沈黙を、静寂を破って爆発。

 うふふ、くははと音質の異なった笑いが狂ったように混ざり合う。

 見えなくても男がモニター越しに大口を開けて笑っている様子が目に浮かぶ。

 左腕を持ったままの右手で口を隠した上品な笑い方をする葉月だが、堪えても喉の奥から笑い声の溢れ出すその唇が歪み吊り上っているだろうことは火を見るより明らかだ。

 命辛々逃げた幼女は安息を得、命を弄ばれた愚か者は死に・・・救いと貶めの狭間にある偽りの地で、命を知らない少女と命を尊ばぬ初老は笑い狂う。


 その哄笑はしばらく収まらないままに響き続けた。


                     /


 陽はとうに沈み、1日の終わりを告げている。

 ヒグラシが凛と響く強く澄んだ声で鳴く夕焼けと夕闇のせめぎ合い、駅前の大通りは賑やかさを増す。

 喧騒から離れた路地裏の一画、建物の壁にくたびれた身体を預けた。

 左腕は目下自己再生中で横っ腹の方は内臓がずれたのかまだ違和感がある状態だ。

 血肉が少々足りない体は体力が明らかに落ちて頼りない。

 お腹の治療に使った分、他のところが不足になったのだろう。

「遊びが多すぎたからなぁ・・・」

 その分隙ができたせいでこの様だ。

 せっかくクラスの皆が選んだワンピースは廃棄処分で、左腕を捻じ込んでいたポーチの中身は血だらけ。

 予備の服に着替えたのだけど、身体についた血でまた汚れる始末・・・。

 で、その原因の左腕はあのまま置いてきた。

 あとは智香さん達が渡してくれるだろう。

 相手が信用できる腕の預け場所だからこそ、あの拠点を取引場所に選んだのだし。

 さて、随分と遅くなってしまったけれど、一段落着いたところでカイナに電話する。

「もしもし・・・」

『お電話ありがとうございます。こちら宮沢託児所です』

 うわ・・・・・・怒ってるっぽい。

「カイナ・・・?」

『中学生から中学生までのお子様の面倒を見させていただいておりまして、料金価格の方は1時間100万円ほどからと非常にお安く・・・』

「カーイーナー!」

『何だよ。冗談ぐらい付き合えっての』

「・・・ものすごく疲れてるんですよ」

『私だって疲れてるよ。あの後未来にベッドやら何やらを買わされに行って大変だったんだからな』

「いいじゃないですか、後輩の世話を焼くのも」

『・・・・・・』

「まさか、たまたま近くにいた大人だから頼った、なんて甘っちょろい認識だったんじゃないでしょうね?朝代研究所出身の宮沢荷稲さん?」

 これ、一応切り札だったのだけど、今回ので使ってしまった・・・というより『全部知ってます』なんて宣言したせいで完全に価値のなくなってしまった。

 せっかくカイナを弄れるカードだったのに・・・・・・少し残念だ。

「"白澤"って呼ばれてるらしいじゃないですか」

『いやいやいや・・・ちょい待ち』

「医療系能力者の完成形なんでしょ?

研究対象としては既に外れてしまったものの能力自体の価値が高いから、連中も研究所もむやみに手を出せない・・・」

『話聞けよ。てか、まるで成り行きを見てきたような言い方だよな・・・』

「現状から判断すればそう考えるのが妥当なだけです」

 研究施設出身でその呪縛から逃れている人物の辿ってきただろう道は、攻略か逃亡かのどちらしかない。

 研究所との関わりは途絶えていないみたいだし、その割には自由を獲得しているように見えるところから考えれば前者だろうと想像はつく。

『そもそも朝代出身ってことすら言ってないだろうがよ』

「今年赴任してきた、医療系能力者、形骸変容(メタモルフォーゼ)について僕も知らないことを知っていた、これだけで十分だと思いますけど?」

『自分が知らないこと知ってたら施設絡みかよ。滅茶苦茶な推理だな、おい』

「万可統一機構は僕を形骸変容(メタモルフォーゼ)にしたかった・・・ということは当事者である僕にその能力の知識は可能な限り詰め込んでおくのが普通。それでも知らないことというのはわざと教えられてないと判断できる。

 だからその隠し事を知ってる人物が何者かなんて分かりきったことなんですよ」

同一同在者(ドッペルゲンガー)か?』

「裏方の方も先代が在籍していたなんて・・・あぁ、裏方のことは知ってるんですっけ?」

『知ってるよ。さっき礎囲から電話があったしな。

 岸が錯乱して呼吸困難だとよ。お前やりすぎだ。せっかく最近あいつの対人恐怖症治ってきてたのにさ』

「患者だったんですか?」

『知り合いで患者な。対人恐怖症からのストレスでパニック障害。結構ヤバイんだぞ』

「あとで詫び入れますよ」

『やめろ、絶対やめろ。・・・・・・もういいから話戻せ』

「えーと、で裏方の方にしても先代が在籍してしかもその資料があるだなんて・・・隠す気があるのかすら疑いました」

『そう言ってやるなよ。あいつらはその資料をお前に見せるのが仕事だったんだから。あー、監視もか』

「それは分かってますよ。

 けど、万可統一機構にしたってあんな回りくどいことを・・・やるんならやるでしっかり騙してほしいんですけどね」

『嫌なダメ出しだな・・・。だいたい、お前が変に鋭すぎる・・・というかやっぱり無茶な推測をしすぎてんだよ。

 私がお前と同じタイミングで学園に赴任になったのは偶然かもしれないし、能力の知識だって単に偶然知ったのかもしれないのにさ。

 裏方のことにしたって、疑いにはなっても確信をもてるほどの(キー)でもないだろ。だからこそ同一同在者(ドッペルゲンガー)のことを漏らしたんだからな。

 お前の推理は都合がよすぎる』

「いいんですよご都合主義で。

 そのあてずっぽうが例外なく当たるぐらいには僕の世界は狂ってますから」

『・・・・・・・・・・・・あっそ』

「そうそう、あの幼女どうしてます?」

『1度寝たきり起きてねぇよ。よっぽど疲れたんだろ』

「そうですか。まぁ、適当に『滞りなく解決した』とでも言っといてください。

 あと、クシロ達にももう帰っていいって」

『何?合流するするんじゃねぇの?』

「僕はこれからとがさ亭で肉を補給しないといけないんで」

 まだ再生していない左腕を見せるわけにもいかないし。

 血だらけの身体も同じく見せられないし。

 それに多分、自分が感じている以上に身体は疲労している。

「・・・とにかく疲れました」

『何やったかは訊かないけどよ。ほどほどにしとけ』

「はぁ。あ、もう1つ忘れてた」

 そうだ。

 クシロとタカへの伝達だけでなく、これも一応言っておかなければならない事柄だった。

「幼女の保身、いくら取引したといっても有効期限は僕が死ぬまでですから、その後はお願いします」

 住処を提供するだけではなく、僕の死後はカイナ自身が幼女を匿わなければならないはずだ。

 十分な猶予を与えたのだから、その間に自分で何とかしてくれればそれはそれでいいのだけど、完膚なきまでに、救いようのないほどに、塵屑すら残さず救ってやると決めたのは僕なのだからアフターケアもしておかないといけまい。

 カイナにしても同郷の子供をほったらかしにできるような性格はしていないだろう・・・。

 だけど、

『・・・・・・お断りだね』

「は?」

『勝手に死ぬとかいってんじゃねーよ、バーカ!』

 ぶつん。

 子供みたいな切り方をされてしまった。

 というか怒られたのかな?

「むぅ・・・」

 まぁ、いいか。

 とりあえずこれでやらなきゃいけないことは全部終わった。

 本当の一段落といった感じ。

 携帯をしまって、もたれていた身体を起こす。

 身体のあちこちがギシギシと鳴っている。

 左腕は、明日中に治らなければ能力で直さないといけないだろうな。

 さて、では一服といきますか。

 暗い路地をぼぉっと照らし出す光源に近づいて、ポーチから血だらけのカードを取り出した。

 自販機というのは人を相手にしなくてもいい、年齢確認をされなくて済むという利点があったというのに、今やカードがなくては買えなくなってしまった。

 名前やら顔写真やらの記載されたチャージ式のカード。それがあの泥底(ヌタ)の誰かであることは間違いないとは言え、一体何時どうやって殺した人物なのかは記憶が曖昧だ。

 ・・・どうでもいいことか。

 点灯したボタンを押して煙草を購入。FOLUTA。

 手にしたことのある唯一の銘柄。もっとも、結局吸うことはなかったけれども。

 カードとビニールは道端に落とす。

 1本取り出して花火大会の時に入れたままになっていたライターで火をつけた。

 何となく――――何となく煙草でも吸いたい気分だったのだ。

 フィルターの向きが合っているか今一度確認して唇に挟む。


「あ―――!はづきちゃん何すってるの!」

「おばちゃんに怒られちゃうよ?」

「それに、そんなものすったら死んじゃうんだー」


 ふと脳裏に浮かぶ言葉の数々。

 健康を害するのは確かだけど。

 そんな受け応えをした蒼と碧と灰色な逸話(むかしのはなし)

「ぅ・・・げほっごほ・・・・・・うげ」

 思い切り吸い込んだら、酷く咽た。

 苦味が口内に拡がって――――なるほど、死なないにしても僕にはまるで合わないものらしい――――咄嗟に箱共々投げ捨てる。

 放物線を描く、箱と一本だけ取り出された煙草。

 あぁ、何てことを。

 そう思った時には既に遅い。

 僕の唾液のついた煙草は嫌に軽い音を鳴らして地面に転がった。

 それは、いつか清掃員のおばさんにでも拾われるはずだ。

 だけど、唾液を調べられるようなことはないだろう。

 なんて、


 そんな想像が可笑しくて、少し笑った。


                     ■


「ねぇ・・・、

 はづきちゃん、わたしたちが生きてることに、わたしたちの人生にいみなんてないのかなぁ?

 何で・・・・・・生まれてきちゃったんだろう?

 できればくるしまないで死にたいなんてかんがえなくちゃならないなんて・・・いや・・・・・・だよぉ」


 全く幼くなかった彼女の問い。

 その問いに何と答えればよかったというのか。

 愚かな僕は回答を知らず、言葉をかけることもなかった。


 その結末は言うまでもなく。



 何故か目の覚めたある夜、廊下を徘徊した果てに見つけた地下への入り口。

 無用心にも施錠されていなかったその扉の奥、設置された棚の上に見つけてしまった。

 その日の日付と時間と、

 そして彼女の名前の入ったラベルが貼られた瓶に浮き沈みする――――脳髄を。

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