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序章-3 暇潰し。-Mischief-

 鉄色(くろがね)の長髪を白く滑る肌に重く落とす少女。

 着衣を脱いだ曲線の肢体をゆるりと伸ばした。

 その身をするりとくぐらせてメジャーが締め付ける。

 静寂の室内に息遣いと物の擦れる音だけが響いていった。

 まだ昇りきらない太陽の陽を受けて、体の形が陰影として浮き上がる。

 ツヤがあるというよりはきめ細かいといった肌に手が触れた。



「うぉっ!すっげぇ触り心地がいいぞ!?」


 途端、快音が静寂に響いた。

「何を考えてるんですか、先生?」

 たまたま触れたという言い訳が効かないほどがっちりと胸にホールドされている。

 というか、両手で堂々とまさぐっている。

 よってメジャーは床に落ちている。測るに測れない。

 なんというか何でこうも馬鹿なことをするのだろうか。

 思いっきり手で頭を叩いたのに、まるで効いた感じがしない。

 肝心な所は絆創膏でガードされているので大丈夫なのだけど、これ以上揉まれると不味い気がする。

「これ以上手を付けるようなら、眼福にも(あずか)れなくなりますよ?」

 そう言われて、カイナはしぶしぶ手を放した。ものすごく不満そうな顔をしている。

 眼福も何も、不純な目で見られる筋合いも、される筋合いもないのだけど。

 というかこの女性、保健医なんてものを任されていいのだろうか?いや、あれか。高等部ではまずいから中等部に送られてきたのか。小等部に流してしまえ。

 まさか堂々と触られるとは思っていなかった。顔には出ていないとは思うけど、結構動揺してしまっている。

「あー、でもいいよなぁ・・・見ただけでプロモーションいいもんなぁ」

 サイズを知っていた方がいいだろうと持ちかけた人間が口にする言葉ではないと思う。

 さっさと測れ。測りやがれ。・・・・・・とはもちろん言わない。

「とっととやってください」

 心でフィルターにかけた幾分まともな言葉を口から出す。

 ただし、もちろんそれは口調だけであって、目はかなり据わっているだろう。

「はいはい、わかりましたよー」

 それが効いたとは思わないけど、カイナは緩慢な動作でメジャーを拾った。トップは触る前に測ったので、というか測るついでに触ってきたので、次はアンダー・・・かな。詳しくはよく知らない。

 今度は手際よく、彼女はとんとんと測っていく。部位が変わる毎に数字をメモに記入し、ついでに顔が引きつっていった。

 こっちとしては他人に体を触られるという居心地の悪い状態から早く開放されたいのだけど、あろうことか彼女は再び暴挙に出た。

 今度は腰を、がっしりと掴む。

「また・・・!?」

「いやいや、細すぎねーか?ん、身長と横幅考えたらこんなもん・・・?でもなぁ・・・・・・」

 何やら真剣にぶつぶつ言っている。

 あちらもあちらで目が据わっている。あるいは隈目でそう見えるだけかもしれない。

 見た目も相まって、相当危ない人に見える。カイナ、こんな行動を街中でも取ってるんじゃないだろうな。

「何ですか?」

 理由がなければ、蹴る。蹴って顎を突き上げてやる。

「大丈夫かってぐらい華奢なんだよ。細すぎだ。体重も量っとくか?後は女の嫉妬と私の下心だな」

 うん、全部本音を吐き出してくれた。最後のは間違いなく余計だろう。

 同年齢の健康体というのがよく分からないけど、細いらしい。幾分マシにはなったんだけど、もう少し肉を付けた方がいいのかもしれない。

「いいですから、サイズだけ測っちゃってください」

 いちいちこの人の行動に反応していたら無駄に疲れるだけだ。もう無視しようと思う。

 それに、健康を案じてくれてる分、叩きにくいし。

「ん?とうに測り終えてるぞ?」

 ・・・・・・はい?

 僕はとっさにメモを見てみる。アルファベットとともに数字が刻まれているそれは、7つほど書かれていた。

 しかし、

「そんなに測るとこねーもん」

 カイナは飄々と白状してくれた。うん、なるほどね。7つもないか。考えてみれば。

 何言ってるの、冗談のつもりでやったんだけど、マジで気が付かなかった?と顔で語っている。

 ・・・・・・前言撤回。無視できそうにない。

 あと、少しでもまともに保健医らしいところもあるのかと思ってしまった自分に腹が立つ。

「・・・つまり、わざと長引かせてたと?」

 一応確認。あくまで、一応。

 ある意味最終通告。発言を撤回するなら今だぞ、と。

「やーい、世間知らずぅ」

 うん、オーケイ。腹が立った。

 そんな使いもしない知識なんて知っているわけがないのだけど、ともかく。


 ――――バチ――ン


 思いっきりビンタを喰らわしてやった。

 大きな音が響く。すごく心地よい響き方だ。

 一方叩かれたカイナの方は呆然としている。まぁ、当然か。

 ああ、手が痛い。まぁ、僕よりカイナの方が痛いだろうけど。

「お、おまっ、本気で・・・!酷くないか!?」

 そんな涙目をされても、庇護欲は掻き立てられませんよ?鬱陶しいだけです。

「いや、売られた喧嘩は全力で買う、借りは2倍の2乗して返す、が家訓なもので」

「嘘付け・・・というかなんで2倍に2乗?」

「1だと2乗しても1でしょ。2倍だけじゃ生ぬるいし」

 とは言いつつも、僕はやられたら、こちらが満足するまで仕返すタイプなんだけど。

 ああ、でも、敵いそうにない相手からはとっとと退散するなぁ。

 退散して、寝首をかく。セオリーだよね。

「どっちにしたって酷いぜ、これは。女の子に暴力するなよなー」

 ついさっき叩かれたばかりだというのに、彼女はもういつもの調子に戻っている。

 ・・・・・・叩き足りなかったか。今度はもう少し強めにしよう。

 顎に下から掌底を叩き込んだら、脳震盪を起こすとか聞いたことがあるけど、今度試してみようかな。

 ともあれ、僕は意地悪く、彼女の体を見回してから、

「女の子?」

 と言ってやった。

 せめてその歳を感じさせる隈を何とかしないと無理があるだろう。あと身長も高い方だし、張るべきところが張っているから"子"は諦めた方がいいね。

 あと、今や僕も性別上女性なんだし、暴力がどうのなんて言われても仕方ない気もする。

「・・・お前、良い性格してるよな・・・・・・」

 ほとほと呆れたように彼女は呟いた。いや、あれは半分ほど突っ込み待ちだったんじゃないですかね。

 ともあれ、

「それはどうも」

 褒め言葉は遠慮なく貰っておきますよ?


                     /


 1次測定は、正直素っ気無いものだ。

 頭に何やら三原色のコードを無茶苦茶に付けたようなヘルメットを被った状態で、椅子に座って右手を台に置いておくだけである。

 手を置く台を背もたれから伸ばしているのだが、それ以外椅子に変わったところがない。

 代わりににヘルメットのコード辿っていくと大きな白い機械に行き着くのだが、鉄を剥き出しにした部位もあり、小型のパネルに数字が、中央の大型パネルに脳波の様子などが映し出されるだろう縦横の緑の線が走っていた。

 これから脳に指令を送り、右手に力を発現されるのである。


 B組の測定はほとんど終わっている。

 僕、矢崎聡一が14番目。その後は1人だ。

 こうやって待つときほど、ドキドキと胸を鳴らすこともないだろと思う。

 自分の能力は何だろう?という期待、発現しないのでは?という不安。そんなベタな心情描写を演じるのは実に楽しかったりする。

 小説や漫画、アニメの物語は、結局その中でのみの出来事だ。いくら現実にそれを望んでも望みは薄いのだろう。

 しかしながら、現実に空想(フェイク)を混ぜ込むぐらいの戯事があっても良いのではないだろうかと僕は考えているし、実際それを実行に移したりもしている。

 ・・・今回の件は実に僕好みの出来事だった。

 織神にはああ言ったものの、あれはあれで面白いリアクションではあった。

 自分が女性化したことよりも、クラスの反応の方に若干おろおろしていたのが可愛らしい。

 自分になんであんな要求がなされるのか、まるで理解できないといった表情が面白かった。

 男の頃からそうだったのだが、あの子・・・いや、あの娘は他人事の方に強く興味を抱いていた感じがする。自分自身に対する反応に理解が乏しい。

 まぁ、女になったからって、そんな性格上の問題が直るわけもないが。

 だけれど、きっかけにはなるだろうか?

 人に褒められれば、照れる。人にけなされれば、怒る。

 そういうきっかけに。

 僕としては、面白い、の一言に尽きる話なのだが、向こうの2人にはそうではあるまい。

 視線を向ける先には朽網に四十万、織神と仲の良い2人がいる。

 小学校時代からの親友だという朽網は、かなり彼女に入れ込んでいる。別に変な意味ではなく、心を折っているというべきなのか。変なことに巻き込まれたりしないように、注意を払っている感じをよく受ける。

 で、四十万の方は服従・・・?だろうか。忠誠心とまではいかないが、何らかの信頼感があるのかもしれない。そのきっかけはもちろんあのありえない例の一件だろう。

 リアルにやったらヤバイに決まっている、それこそ小説の中だけのハプニングをさらりと織神はやってのけてしまった。

 あれには本当に惚れ惚れしたし、同時に心が震え上がった。

 ああ、小説の登場人物みたいな奴がいるぞ、と。

 それに加えての今日の出来事。もう嬉しくてたまらない。元よりこの都市に非現実的な物事を求めてやってきた僕にとっては、本当に神様に感謝したいほどだった。

 あの娘は僕のお気に入りでもある。

 だからリアクションが薄いのはおいおい何とかするつもりだ。あの2人とも利害は一致するはず。

 もう少し、人間味を帯びさせる、という点で僕らは共通の目標を持っているのだから。・・・目指せ赤面困惑顔。

 ・・・・・・とはいえ、いきなり四十万に蹴られた時はどうしようかと思ったが。手加減されているのは分かっていたのだが、あれは本気の目だった。

 まぁ、それはともかく1つ非現実的に馬鹿馬鹿しい計画でも練って、実行してみようかなんて思っている。彼らも賛同してくれるはずだ。


「次、どうぞ」

 先の深柄科(みがら しな)が終わって、次は僕の番らしい。

 椅子に座ると、数学教師の会田和敏(あいだ かずとし)氏がヘルメットを被せてくれた。

「ものを考えずに、ぼうっとしていてくださいね・・・」

 機械の方で操作をやっているのは春日璃衣(かすが りい)、理科教師。

 SPS服用や測定はどの認定学校も同じ時期にやるために、いちいち他から専門家を呼ぶような真似はできない。故に教師が機械使用の免許などを持っているのが普通で、彼らが動かしてデータを取り、特殊機関に問い合わせたりするようになっているらしい。

 と、いきなりピリッという刺激が頭に来た感じがした。

「――――ッ」

 無意識中に右腕が少し跳ねる。脳を通して伝わった命令を実行すべく、腕の筋肉が一瞬引きつった。

「・・・・・・」

 ――――結果、は。


「あっはは!何そんなに落ち込んでるのさ」

 朽網がバチバチと背中を叩いてくる。僕の様子が面白いのか、自分よりも落ち込んでいる人間がいて嬉しいのか。

「1次じゃ分かりませんでしたってだけの話だろ」

 四十万はそう言うが、やはりショックなものはショックだろう。自分の能力がうまく発現しなければ。

 能力波が観測されたから、能力自体はあるとはいってもさ。

「出力系の能力じゃなきゃ測定できないんだしさ、あの方法は。2次の方でハッキリするって」

「俺なんて『発破系だね』で終わりだぜ?」

 確かに能力名がないのはちょっと嫌だけどな。彼の場合、発破系の『火種』の能力なのだ。これからの訓練と能力の方向性で能力種が変わってくる。

「出力系じゃないってことは、念波系とかか?地味だよなぁ・・・」

 念波は便利のようでまるで使えない能力だ。携帯あったら意味ないし。未来視もあんまりほしくない。千里眼辺りなら妥協できるのだが。

 そう口にする。

「それ、葉月も言ってたな」

 朽網は何か妙な顔をしながら言った。

 ああ、織神もか。あの娘は確かに出力系の方が好きそうだ。相手を直接的に攻撃するのが基本スタイルだしな。

 ただ、今朝の様子を見た限り、そういった風に使えそうな能力ではないだろう。

 ・・・・・・本当に良かった。にっこり笑顔で片腕に光弾を溜めている姿が鮮明に思い浮かぶからなぁ・・・織神の場合。

 たぶん朽網も同じことを考えたのだろう。

「使い勝手のいい能力なら良いんだけど」

「そりゃ自分次第だろうが。釧の騒乱念力(ポルターガイスト)なんて無差別にもの動かすだけだぞ?」

 四十万が朽網の方に視線を向けて笑った。嗤うのとは違う、親愛の証たるからかいだ。

 朽網はむぅっと口を尖らして、反論する。

 こういうところを見る限り、こいつも女っぽいなぁと思ったりもするのだが、口には出さないでおこう。

 長髪をちゃんとすいて、眉を切り揃えれば・・・とか考える僕は、たぶん駄目な人間に違いない。

 ああ、それ以前に葉月の蹴りで悦んだ時点でアウトか・・・。

「訓練してちゃんと照準が合うようにさえなれば立派に強影念力(サイコキネンシス)で通るんだからいいじゃないか。念力の力自体は強かったんだから」

 力があって無差別っていうのは余計手に負えない気がする。というか、その能力のせいで測定が一時中断したのだ。機械は固定具から外れるし、コードは取れるしで、まさにその名の通りの有様を再現してくれた。

 だから、朽網はさっきまで暗いオーラを纏っていたのだが、俺の番で復活しやがった。それが思いっきり顔に出てるんだ、こいつは。

 どの道、しばらく封印されるべき能力だろう。他人に迷惑がかかりすぎる。無差別攻撃なんて面倒この上ないし。

 ・・・さて、それはともかく、1つ持ちかけてみようか。

 もちろん織神についてだ。

「ところで、折り言って相談があるんだが――――」


                     /


 必要ない事項を消したプライベートなメモは鞄のポケットにしまった。

 すぐさまシャツとワイシャツは身に着けたものの、上着は面倒くさいのでそのままだ。

 することもないので、簡易ベッドに大の字になって寝転ぶ。

 朝からの疲労感がずっと抜けないままなのだ。

「暇だぁ」

 右頬を赤く晴らしたカイナは、机の引き出しの中を何やら漁っている。

 何を探しているのだろう?小まめに掃除すればいいのに、変な物体を何も考えずに放り込むから分からなくなるんだ。

「仕方ないだろう。急な話なんだから」

「んー、別にわざわざ今日にしなくても良かったんじゃないですか?

 どうせ数日後には皆やるんだし」

 視線を彼女のいる側から反対側にやると、窓を通して緑の木々が映る。

 ざらざらと鳴って耳心地が良い。

 ゆったりしているのは好きなのだけど、1人で自分のアパートにいるような安心感がないので、妙にそわそわしたりする。

 僕って自分をさらけ出すのを苦手にする人間だったっけ。あまり覚えがないんだけど。

「ふつーは、そんな状態じゃ落ち着かないんだよ。

 不安だろう生徒の心境を察してこの処置なの」

「余計なことを・・・」

 そのために遠方の青い科学者(・・・・・・・・)は機材の設置に励んで、僕は暇を持て余しているのかと思うと、頭が痛い。両者のためにも後日でよかったのではないだろうか。少なくとも僕はその方が助かったのに。

「いいじゃん、特権特権。今までにない兆候だから教師もはしゃいでんだから」

「あー、うん。確かに教師の皆々様方、子供っぽいのが多いけどね、この学校」

 生活力のない保険医とか、授業の半分以上を生命の神秘に馳せる理科教師とか、朝礼をすっぽかす校長とか。

「それは褒めてるのか?けなしてるのか?」

「人によって変わる素敵な言葉です。心の純粋な人には褒め言葉になるんじゃないですかね」

 半分投げやりだ。そもそも暇つぶしの会話なのだし。

 カイナは探し物を見つけ終えたのか、引き出しを閉めてこっちに振り返った。

 それを横目でちらっと見つつ、やっぱり僕は窓の方に顔を向けたまま。

「へぇ、ちなみにその中には私が含まれてたり?」

「入ってないと思ってるんですか?」

 これも投げやり。生活力のない・・・はまぁ、大人でも結構いそうな人種ではあるけれど、彼女の場合、保健室がその被害にあっているので結構重症と診断してる。

 絶対必要のないような怪しげな小道具が散らばっていたりするのだ、この部屋は。ペットボトルのおまけフィギュアが机に並んでいるのはどうかと思うし。公私混合だろう。

 校長もひどいけどね。朝礼をすっぽかした理由が、『やー、昨晩は新作ゲームに夢中になってしまって寝るのが遅かったんですよぉ』という始末だ。あれはどうやってあの地位まで上り詰めたのか。たぶんコネがあるんだろうな。

「ふぅん、なるほどねぇ・・・」

 彼女はさっきからふぅんだとかはぁんだとか繰り返している。意味ありげな微笑交じりが、何か怖い。

 あー、こういう時の悪い予感というのはよく当たったりするからなぁ。

 僕は悪寒を感じて体勢を立て直そうと振り向こうとして――――

 

 後ろから抱きつかれた。

 首筋に息を吹きかけられた。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」

 思いっきり、ありえないほどか弱い悲鳴を上げてしまった。

 今まで感じたことのないくすぐったさを感じて、思わず・・・。うわぁ・・・・・・。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 気まずい空気が僕らの間に流れる。

 汗がだらだら垂れている。冷や汗ってこんな感じなんだなとか、現実逃避。

 後ろから抱きしめる、抱きしめられる形で2人とも固まっている。

 僕はらしくもなく声を上げたために。彼女は単なる悪戯に思わぬ反応が返ってきたために。

 ・・・・・・、・・・・・・・、・・・・・・、・・・・・・。

 時が止まった感じがした。

 どうしよう。人生で初めて焦ってるのかもしれない。

 首をぎぎぎぎぃぃという音が鳴りそうな感じで振り向く。

「!」

 目に入ったのは、これでもかというほどにんまりと笑っているカイナの顔だった。

 面白いものを見つけたという典型的な顔をしている。ものすごく機嫌が良さそうだ。

「ふ、ふうん。なるほどねぇー、ここが弱いのか、葉月はぁ」

 意地悪く顔を歪めて、がっちり僕の体をホールドしている。逃げるに逃げれない状態。

「ほれ、もう一息」

「ひゃぁぁあああ!」

 止めて、止めて、止めて。

 絶対悪乗りしている。というか、さっきの仕返しですか。

 体に力が入らない。そうこうしているうちに、体を倒されて、腕が腰から胸に移動していく。

「んんー、いいね、いいねぇー、その声」

 ぺろりと首筋をひと嘗め。

 ひくっ。思わず口をきつく結ぶ。声を出すのはこの痴女を扇情するようなものだ。

 何とかやめさせないと。

「さっさとやーめーろー、この変態っ!」

 この人物に弱みを握られたのはかなりまずい気がする。

 後日談的に言えば、この時悲鳴を上げたことを今後後悔し続けることになる、といった感じだ。

 今もかなり追い詰められた状態だけども。

「んあぁぁっ」

「背中も感度いいんだぁ・・・」

 やばい、この人声に熱気が入ってきてる。隈目の奥がらんらんと輝いているのが本気で怖い。

 何とか逃れようと体をくねらせるのだけど、彼女はするすると腕や足を絡ませてくる。

 太股の内側や二の腕といった皮膚が薄く神経の過敏な部位にわざと自分の肌が擦れるようにしてくる。

 そのせいで力が入らない。

 やりなれてやがるな、チクショウ。

 どうしようか・・・、な・・・・・・。

「・・・・・・」

 現状、仰向けにされて、彼女にのしかかられている体勢の僕は、首を横に向けた先に1つの視線を見つけた。

 保健室の扉を少し開けた隙間から覗く、大きな瞳。顔を赤らめているのが分かるのだが、その目の高さはかなり低い。

 と、こっちの視線に気づいたその人物は数秒僕と目を合わせて、

 逃げた。

 猛ダッシュである。ズダダッというすさまじい足音まで聞こえる。

「待てやぁああああ、助けろぉぉぉぉおお、こうちょぉぉぉおおうぅっ!!!」


                     #


 自分の他人の印象(キャラクター)を崩壊させかねない出来事から、何とか落ち着きを取り戻してベッドに腰をかけた。

 疲労感がさっきの2倍に膨れ上がったに違いない。

 あの後、やっとのことで呼び戻した校長こと、久遠未来(くおん みく)に組み付いてくるカイナを外してもらった。

 これでもかというぐらい割りと本気で頭を上から殴り続けたため、彼女はベッドにダウンしている。そして主人の代わりに空いた丸椅子を校長が占拠している状態だ。

 ちなみに掌底を使わなかったのは、気絶されたら痛みを味あわせられないから。それ以外にあるわけもない。

「だって・・・ああなったカイちゃんは制御不能なんですよぉ」

 逃げたことに対する言及に彼女はこう答えてくれた。

 目尻に大粒の涙を溜めて、頭を押さえている。生徒を見捨てようとした罰だ。

 確かに色々と抵抗できなかったけども。教師としてちゃんとと生徒の貞操は守ってもらいたい。

「・・・あれ?カイナは今年この学校に配属になったんですよね?」

 この危ない保険医は今年になってこの学校に来たと、朝礼で紹介を受けてた記憶があるのだけど。

 まぁ、カイちゃんなんて言ってる時点で予想はできるか。

 ・・・何かどんどん、脳内での彼女の扱いが酷くなりそうな気がするなぁ・・・いや、自業自得か。

「私とカイちゃんは中学校時代からの友人です。・・・・・・あくまでも友人ですからね?」

 2回言った。なるほど、カイナの手馴れた感は彼女が犠牲になっていた時に培われたのか。

 というか。

 僕はそこで、キャスター付きの椅子をまわして遊んでいる彼女を見た。

 身長は僕より小さい、童顔な少女がそこにいる。今やっと中学生活を謳歌しようとしているようにしか見えない風貌だ。それすらちょっと無理があるかもしれないのに。

 ・・・・・・。彼女の中学校時代って想像できないんだけどなぁ。

 この人は時を止める能力でも持ってるに違いない。

 まぁ、いいか。

「そうですか。まぁ、この色狂いの保健医は放っておいて・・・何のようですか?僕に何か連絡があったんでしょ?」

「そうですね。この腐れ変態は放っておきましょう。

 で、ですね。2次測定の準備が出来ましたよー、という伝言にやってきたんです」

 ひっでぇー、という呻き声が聞こえてくるけど気にしない。もう1発追加して黙らす。ついでに息ができないようにシーツに顔を押し付ける。何度かもがいたけど、パタンと力が抜けた。

「?それだけですか?」

 そんなことのために校長自らやってくる必要はないと思って、その答案は除外しておいたのに。

「はぁーい。『人手がたりねぇ』って教頭が・・・」

 なるほど、人望が致命的に欠落してる校長である。人手不足の増員に当てられたらしい。

 僕は呆れを隠さずに、場所を聞いて保健室を後にした。


                     /


 引き戸の扉は静かに閉められ、静寂が再び白の空間に戻ってくる。

 擦りガラスの向こうに見える影はつぅ・・・と消える。

 丸椅子は余力での回転を無理やり止められ、揺れていた髪は一瞬だけ空中で静止した後、落ちた。

 頭を抱えるようにうつ伏せになっていた女性は、その体勢のまま固まって動かない。

 少女は椅子を扉からベッドの方へと回して、その大きな双眸で女性を見つめた。



「いいんですか?・・・ついていかなくって」

 未来がそんなことを言う。分かっているだろうに。

「べっつにぃー、ついてく理由も見当たらないしね」

 だるいというジェスチャーを振りまいてみるが、長い付き合いだバレバレだろう。

「織神なんて久しぶりに聞きましたよ?私」

 そりゃあ、そうそう遇える名前じゃない。どちらかというと"遭える"名前だ。

「人のこと言えるかよぉ?まぁいいじゃん?

 あいつはあいつで面倒くさい奴だけど、自分のことはできる子だってば」

 顔をシーツに埋めたまま、手を振る。

 面倒くさい話は、正直したくない。

 要らないしがらみなんて後回しにしたい。

 それは誰だって同じだろう。

 折り言った話を今する気など、なれなかった。

「そうですか。ならいいんですけど・・・」

 信頼感からの無追求。優しい声と包むような温かさ。

 シーツに顔を埋めている自分には分かるはずもないことだけど、何となく未来が微笑んでいる、そんな気がした。



 少女は椅子から体を上げて、ベッドの方へと歩いていく。

 女性はベッドからゆたり体を起こして、少女の方を見据える。

 正面で視線を交わしながら、2人は無言。

 体を触れさせるわけでもなく、唇を交わすわけでもなく、身を寄せ合うわけでもなく。

 ――――ただそれだけで心地よいから。


                     /


 廊下を歩く音が、異常に大きく聞こえる。

 そんなの、耳を澄ましたからに他ならないのだけど、思考の切り替えには適度な日常からの割断だろう。

 クシロは楽しい。タカは楽しい。カイナも椎さんも楽しい。楽しい楽しい日常。

 さてさて、さて。悪戯な出来事はここまで、これからは単なるお遊びだ。

 策略や願望にまみれた人間ほどからかうのが面白いものだ。

 暇つぶしは暇つぶし。僕にとっては、人生全てが暇つぶし。

 だから、今からの出来事もやっぱりただの遊戯でしかない。



 測定室は普段使われていない空き教室だった。

 白い、脳や内臓の様子を輪切りの映像にして調べるCTのような外見をした機械が中央に設置されている。

 教室のにあるものでは足りない電力源は、特殊電池を利用しているらしい。アタッシュケースほどの黒い箱にコードが幾つも付いている。

 部屋の中には3人の男。白衣を纏った当たり障りのない人達。

「あれ?学校では見かけない顔ですけど・・・」

 なんて少しおどおどとした風に尋ねてみる。

 可笑しな話。僕が学内の教師達全員を覚えているはずもないのにね。

「ああ、人手が足りないのと、急なのとで近くの研究所から助っ人としてきたんだよ」

 四角い眼鏡の人当たりのいい笑顔を見せる青年がそんな受け答えをした。

 ある程度の真実を含めるのが上手に嘘をつくコツ。どこかで聞いた話だけど。

 それに返す僕の反応は冷めたものだ。口を歪めるのも隠すことすらしないで、ただただ意地悪に言う。

「近くねぇ・・・近く。例えば私鉄で9駅ほど、とかぁ?」

 その言及崩れの戯言に、うろたえを見せる若き研究者達。

 ここから私鉄で9駅いくと、クシロの住んでいる、そしてかつて僕が住んでいた施設のある駅に行き着いたりするのだ。

 施設にはこの手の若者も多くいることもよく知っているし、向こうの重役が僕が無駄に反抗しないと知っていることもよく知っている。

 だから、わざわざ自分達が来るまでもないと考えて、下っ端をよこしてきた。

 10年前から分かりきったような推測。

 甘っちょろい。要らない信頼に他ならないではないか。

 可笑しくて、可笑しくて、僕は笑ってしまいそうだ。

 さておき、

 頭がぼさぼさ細眼鏡の老博士や婉曲した卑屈顔の老人科学者、そしてあの無愛想な岩顔男。

 面倒事の糸に絡め取られている大人達に比べて、なんて彼らは純粋なんだろうか!

 こんなことで動揺を隠せないようでは、この先が思いやられる限りだ。

 この僕、『折り紙の8月』にすら、劣る。

 馬鹿らし過ぎて、拍子抜け。虚し過ぎて、楽しめそうにもない。

 だから、こんな堅苦しい作業はさっさと終えてしまおう。

 何よりも僕のために。

「ほら、どうしたんですか?早くやってしまいましょうよ」



 男達が慌てて、機械の操作を始める。タッチパネル式の最新型測定機BWA-q2000はPCの起動音のような快音を響かせた。

 力を抜く前に、入れる理由すらない少女は半目で天井を眺めながら、視界が白色の円洞に覆われるのを見ていた。

 無機質な視界に、無機質な触感。無機質な意思に、無機質な感動。

 心地よい無機で無気な空間に少女は体を委ねた。

 善意も悪意も混ぜこぜの純粋原石。

 無味で無臭で、無為なヒトガタ。

 何もなく、何もなく、何もない、織神葉月。

 彼女は今まであったほとんどと、これから起こるほとんどに興味がなく、わが身のことなど案じはしない。

 ――――自らを粗末に扱うその行為が、どれほど最悪で最低で最厄であるということに彼女は気づいていないから。

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