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第23話- 徊視蜘蛛。-General Cleaning-

 SPS使用認可された教育施設群――――学園都市は、当然学校校舎の散在する地帯だ。

 超能力訓練用の施設がその間に点在するとしても、夜に人気がなくなるという点で言えば同じようなものだろう。

 学園都市駅近くならともかく、普段生徒や学校関係者ぐらいしか通らない学園都市の奥などは夜になると静まり眠りにつくことになる。

 一転、この学園都市駅から北西方面の各駅はニュータウンとして機能しているため、逆に民家が敷き詰められてある。

 夕暮れ時にはサラリーマン達の帰宅ラッシュがあるわけだが、そのほとんどが学園都市以降の駅で降りることになり、学園都市とは打って変わって人の密度が高くなるのだ。

 一定間隔ごとに整備された電灯の浮かび上がらせるニュータウン独特の路地。

 同じデザインをした一軒家が並び、碁盤状ではなく微妙な曲線を描く道筋は人を迷わせるに余りある。

 元々が山であったせいか、その斜面を残したまま立てられた町の集合体は上から見ると等高線のように曲がっているのだ。

 地元の人間ですら少し見慣れない場所に出ると迷うほどに、土地勘が働きにくい。

 そんな入り組み、尚且つ人が必ず通るという魅惑の狩場に、ソレはいた。

 顔を隠すためのフードもお面もつけず、返り血を防ぐためのレインコートも着ず、ただただ普段着を身に着けているその人物は、誰かが来るのを待っていた。

 ――――労働者を囲うために作られたベッドタウンという性質上、ほぼ100%現れる無防備な獲物。

 それが、ついに来た。

 午前0時近く、残業か寄り道か、とにかく足取りの重いOLが片手のバッグを投げ出すように振り回して歩いてくる。

 シャツの胸元を開けて、スーツのスカートからはしたなく足を肌蹴させる彼女は相当にストレスが溜まっているらしい。

 その彼女が自分を通り過ぎたのを確認して、ソレは道路の中央に歩き出した。

 OLの背中を見送るような立ち位置を得、ゆっくりと右手をかざす。

 照準を合わせるような動作。その後に、


 微かな囁く声を混ぜ込んだ何かが空気を震わせ、


 スーツをズタズタに、皮膚をビチビチに引き裂かれたOLが道路に倒れた。

「あ・・・あっ・・・ああっ・・・・・・あぁああぁあああッ!!」


                     /


 いや、何というかもはや実害のあるレベルまで、裏方根城こと学園都市駅ビルの借り部屋は汚れていた。

 売るつもりもなく・・・というよりその本体自体が行方不明な携帯ゲーム機の外箱などが積み上げられることによって掃除機という文明の利器の手が届かない領域が作られ、ノンタッチだったその箱山に積もりに積もった埃。それがその山の1つが崩れて部屋中に舞い上がったのだ。

 くしゃみが出るとかそんなものではなく、目に見えて部屋を浮遊する細かい埃の粒子は見ているだけで気分が悪くなりそうな量だった。

 応急処置として部屋の窓を全開にして換気扇を回すも、根本的な解決になっていないことは言うまでもない。

 これを機にということで僕の指示で大掃除が始まった。

 とにかく舞い上がる埃は一時保留してその原因になっている空箱を潰して部屋の外に出した。

 これで今まで隠されていた床の汚れ具合が明らかになるわけだけど、それもやっぱり酷い状態。

 積もり絡まり塊となった埃が外からの微風に吹かれて床を移動する様は見ていて身震いしそうなほどだ。

 なんと言うか・・・ハウスダストで肺がやられそうだよね。

 頭を振って、掃除機でこの埃を吸い取ってしまおうと思ったら、

「掃除機?ないなぁ、買ってないから」

 という恐ろしい発言が飛び出す始末。

 大急ぎで瑞流君に買ってきてもらったのはいいのだけど、その掃除機が何気に外国製の高級製品だったり。

 埃を除去したとはいえ本当はもっと本格的に隅々までかけなければいけないだろうし、雑巾で床を拭くべきだとは思うものの、まだ残っているダンボールや使われていない物を先に整理しなければならない。

 おもちゃ箱のように娯楽物を詰め込んだダンボールの中身を取り出してみると、人生ゲームや野球板が本体そのままで入っていたり、テーブルに置いてあった携帯ゲーム機の旧世代が13台突っ込んであったりと物の保存を考えていないとしか思えない有様だった。

 案の定人生ゲームと野球板は隅々に埃が溜まり拭いても取れない状態で、ゲーム機の方も閉められていなかったカセット挿入口に埃が入り込んでしまって使えそうにもない。

 もったいないと思いながらも箱にしまい直し、代わりにダンボールの表面に『不燃ゴミ』の称号を与えることに。

 その後も続々出てくる|不使用又は不良然し保留品いらないけどつかうかもしれないアイテムに死刑宣告する。

 駄目になったゲーム機の充電パック、同じく十数個もいらない充電器、蛸足配線をした結果引き起こされたと思われる小火(ぼや)によって溶解した拡張コンセント。最後のは残っている意味が分からない。というか恐ろしい。

 ほんの少し前まで全盛期だったはずの薄型液晶テレビやDVDレコーダーは埃を拭いてリサイクルショップに引き取ってもらうことした。

 食玩の詰まったダンボールをそのまま捨てようとしたら亮輔君に泣きつかれ、『押収物』と書かれた箱からはハートや星の形をしたタブレットが見つかり・・・と、とにかくどたばたとメンバー全員で動き回る。

 別に義務で集まっているわけではないのだけど、必ず全員いるという不思議さ。まぁ、皆暇なだけだろうけど。

 佐奈さんにゴミを外に出してもらう作業を、瑞流君に拭き掃除を、亮輔君には使えそうなものの埃を落としてもらい、智香さんは掃除用具などの必要物の購入を頼み、僕は散らかっている物の判別を担当している。

 まぁ、僕のは当然の配役だろう。

 今の状況を作り出した張本人らに分別させても結果は目に見えている。

 物を捨てられない人間というのはどんなにがんばっても物を減らせない人間なのだ。

 まだ手をつけていない段ボール箱を手元に引き寄せると、随分と小さい割りに重かった。

 封すら切られていないそれの上部を見てみると電化製品らしい。

 確認のために開けてみると、ビニール袋に何やら機械らしいものが数個詰まっている。

 見ると・・・ビデオカードだった。

 もしやと思い、まだまだあった同じような箱をいくつか開けると、出るわ出るわ・・・。

 CPUに冷却ファン、マザーボード、キーボード、メモリ、スピーカー・・・・・・。

 自作パソコンを作ろうとしていたらしい。らしいのだけど、箱が開けられていないところをみると部品を購入した時点で満足してしまったようだ。

 というか、何で箱買い?パソコンを作るにしても部品は1つないし2つで足りるはずなのだけど。数えると15台以上のパソコンが組み上がる計算だ。

 さらにもう1つ大き目の既に開けられてはいたダンボールを確認すると、超薄層テレビ(ペーパー・ウィンドウ)が6巻入っていた。

 現在部屋で使われているテレビは4枚。1箱10セット、これも箱買いだった。ちなみにこの次世代テレビは1枚70万ほど。値引きされて650万だったとしてもどこから捻出されたのか。

 考えるのも恐ろしいので頭の隅に追いやって、やっと大分片付けられた本棚周辺を改めて見回すと、視界に埃ではない何かが空中に舞い上がっているのが映った。

 しばらくこれ何だろう?と観察していた僕だったけど、思い当たることがあって本棚の裏を壁の隙間から覗く。

「・・・・・・」

 アオカビがコロニーを作ってました。

 それも一面びっしりと。

「瑞流君・・・雑巾まだまだ要りそうだよ」

 というわけで、本棚のゲームソフトや漫画を除けて本棚を動かし、裏面をごしごしと擦り始めた。

 けどさすがは地球最盛の菌類。木製の板に根付いて擦っても擦っても青黒いカビは取れない。雑巾は一拭きで真っ黒になって使用不能だ。

 結局この本棚には破棄という紙を貼ることとなった。

 そんな、既にいっぱいいっぱいな状態な僕達に追い討ちをかけるように、ついに爆弾が投下された。

「うわぁ・・・・・・嘘・・・でしょ」

 見つけた。いや、見つけてしまった。

 本棚と箱買いされた各種ダンボールの奥の奥に埋まっていた1つのダンボール。

 蓋の部分は中に折り込まれ、中に筒のようなものが6つ入っている。

 僕の知る限りそれは菌糸瓶と呼ばれるものだ。

 カブトやクワガタの幼虫を飼育する容器で、定期的に交換しなければならない、割と面倒くさいアレ。

 それが忘れられて時を超え、今ここに存在している・・・。

 瓶の蓋に貼られているラベルの年月日が数年前からノンタッチだということを主張。

 瓶の中のバサバサに干乾びた土を見た時、さすがに僕も顔が引きつった。

 ・・・中がどうなっているかなんて考えたくもない。

 しかしながら、この発掘されたと表現するに相応しい物体をそのままにしておくわけにもいかないわけで。

 所有者たる瑞流君に処理を命ずる。

「このまま捨てよう・・・」

 この惨劇を引き起こした罪をちゃんと償ってもらうためにも中がどうなっているかちゃんと確認しなさい。

 生きてたらどうするつもりだよ。

「いや、無理!見ろよこのカサカサぶりを!絶対死んでるって!」

「そうかもしれないけど、99.999%そうだろうけど、一応見ないと駄目だよ。生き物を飼育するんだったら最後までちゃんと面倒をみる!」

 正論なので瑞流君も何も言えず、渋々新聞紙を持ってくる。それを床に敷いてその上に菌糸瓶の中身を出していくわけだけど、中身の土やら木屑やらは乾燥しきって固まっていた。

 仕方ないのでスコップ代わりに割り箸で中をかき出す瑞流君。

 ・・・・・・・・・・・・。

 すっかり干からびて茶色くなった幼虫のミイラが出てきた。

「・・・もうやめないか?」

 半泣きな感じで彼が懇願してくるけど、こればっかりはそうもいかない。

 だいたい、精神的にダメージを受けているのは僕も同じだ。

次に取り掛かりなさい(ゴー・アヘッド)

 残念ながら、あと5瓶あるのです。


                     ♯


 死亡確認という精神ダメージ大な儀式を終え、体全体にかぶった埃を落とすためにも全員で健康ランドに体を清めにいった。

 服の替えは行く途中で買って身も衣服も綺麗さっぱりした僕達は、再び部屋に戻り一息入れている最中だ。

 言う必要もないのだけど、瑞流君が淹れたお茶がテーブルに配られている。

 お茶請けはベタにクッキーで僕のティーカップに注がれているのはストレートティー。

 チョイスの理由は疲れたので少し苦味があるものがほしかったからだ。

 ちなみにブラック珈琲という選択肢はない。苦いのは苦手なのだ。

 そんなわけで淹れられたばかりの紅茶を冷ましながらゆっくりと時の経過を楽しんでいたら、亮輔君が占領しているパソコンに何とまさか仕事のメールが入った。

 まぁ、当然あるのだろうけど、まさかこのタイミングで来るとは思わなかったというか・・・。いや、正直この自堕落な部屋を見ていたら仕事すらないんじゃないかと半ば本気で思ってみたりはしたけども・・・。

 などと失礼なことを考えている内に、このグループのリーダーである智香さんがそのメールに目を通していく。

 他のメンバーは掃除で体力が奪われたせいか、それともいつもそうなのか、だらけてメールの内容に興味すら示さない。

 そういう自分ももう今日一日のやるべきことを終えた心持ちなので、今さら何かしろと言われても困る。

 仕事の内容すら見る気になれないのだから、このままでは話が進まない。

 よって唯一メールを一読した智香さんによる説明が始まった。

「今回の事件は痴漢、というかわいせつ行為かな?その締め上げよ。

 私たちの間じゃもはや恒例のことになってるんだけどね・・・」

「恒例?痴漢行為が常習的に行われてたらさすがに懲役食らわない?」

「うーん、厳密には未遂だし、首謀者とか構成員が変わったりするから」

「・・・首謀者?組織ぐるみの犯行なの?」

「というかネットワークって感じかな?技術的な問題があるから情報をやり取りし合ってるわけ。その痴漢ってね徊視蜘蛛を使うのよ」

「徊視蜘蛛?・・・まさかスカートを下から覗くってこと?」

「まぁねー」

「痴漢・・・なのかな?」

「視淫よ」

「死因?」

 ついさっき無責任放置で幼虫が死んでたわけだけど。

「ごめん、はづきちゃんには難しかったわね・・・」

 漢字が違うっぽい。

「でもあれって人の下に入らないようになってるはずじゃぁ・・・?」

「うん。そのことも含めて説明するね。

 ・・・そもそも徊視蜘蛛っていうのは学園都市で試験的に使われる移動式監視カメラのことを指すけど、蜘蛛には種類が2つがあるの」

「そうなんだ?」

「親蜘蛛と子蜘蛛があってね、子蜘蛛は皆が知ってる通り映像を集めるんだけど親蜘蛛はそのデータを収集して監視本部に送るわけね。

 蜘蛛型にこだわるあまり、軽量化のために子蜘蛛自体には画像データを保存しきれないらしいわ。だから保存せずに電波を飛ばして本部で収集していくシステムにしたんだって。

 で、親蜘蛛はいわゆるアンテナなの。子蜘蛛の電波は飛ばすのと撮影機能に特化してるから子蜘蛛同士で電波を仲介しあって本部まで繋げるのは無理なんで、携帯のアンテナみたいに電波をやり取りするのを作った・・・。

 ちなみに親蜘蛛と子蜘蛛の違いは腹の大きさね。親蜘蛛の方がもちろん大きい、と」

「電話の親機と子機に比喩させてるのよ」

 これは佐奈さん。

 お茶請けは既に食べ終えて、どこからか持ち出した濡れ煎餅を食んでいる。あれはレンジで温めるとおいしいんだけどなぁ。

 まぁ、それは置いておいて。

「へぇ、そんな違いあったんだ」

 まぁ確かに、子蜘蛛子蜘蛛って言ってたけど、子蜘蛛いれば親蜘蛛もいると考えるべきだった。

 正直全然興味ないしなぁ、アレ。

 基本的にいつも監視されている分、身近すぎて・・・ねぇ?

「うん。それでね?徊視蜘蛛が導入されるに当たって起きた騒動って知ってる?」

「確か、そんなものが町中徘徊してたらスカートの中を見られるとかプライバシーの侵害だとかいう人がいたんだよね」

 いや、まぁ僕には分からない感覚だけど。

「そ。でその対策として蜘蛛の徘徊経路の制限とか、人の半径1m以内に近づかないとかそういうプログラムを書き加えて、本部の監視員は全員女性にしたのよ。

 ところがその徊視蜘蛛を改造して覗き行為を行おうって輩がいるってわけ」

「・・・・・・徊視蜘蛛って確か、地面を移動中に下が無防備な服を着用している者に1m以内にいたら潰されても文句言えないんじゃなかったっけ?」

「そうよ」

「改造してもすぐ潰されるよね?」

「そうね」

「だいたい学園都市製の超小型チップ内臓でしょ?普通のコンピューターで弄れる代物じゃないはずだけど?」

「専用の機械があるのよ。裏ルートでの流通価格140万だって」

「140万かける価値があるようには思えない・・・」

「そうでもないわよ。行動範囲の制限を解けば超高性能の覗きカメラの完成だからね。更衣室とか・・・まぁ使い方は色々あるから」

 例えそうだとしても、正規の子蜘蛛はそんなところ回らないから一発で改造されてると分かるはずだろう。

 結局・・・意味ないよね。

「恒例って、蜘蛛の製作側と痴漢側とのイタチゴッコのことなの?」

「プログラムを書き換えられる度に暗号の仕方を変えたりしてるんだけどね。すぐに解読しちゃうのよ」

「情熱のかけ方を間違ってるよね・・・」

「ある意味羨ましいわ」

 と、雪成君が椅子から立ち上がった。

「まぁ、それの始末をさせられるこっちとしては迷惑極まりないんだけどな・・・。

 ただ、恒例のことなんで対処法も決まっちゃってるんだよ。改造子蜘蛛の電波周波数が分かったら受信機で街中をサーチすればおおよその場所は分かるわけだし――――」

 今回その馬鹿馬鹿しい仕事に初めて関わる僕のために彼は続けて、その方法を教えてくれる。

 改造蜘蛛にも親蜘蛛と子蜘蛛があるため、その改造親蜘蛛が徘徊している位置で向こうがどこで電波を受信してるかを調べるらしい。

 徊視親蜘蛛はお互いに送受信してネットワークを作るから、範囲内なら受信場所は別にどこでもいいのだけど、それは十分に親蜘蛛が存在するという前提だ。

 しかし徊視蜘蛛は近未来を思い描く子供心を持った科学者達の努力の結晶だ。部品はそう手に入る物ではない。

 よってそこら辺を徘徊している蜘蛛を改造して利用するしかないのだけど、乱獲は無理だ。つまり、改造蜘蛛は学園都市中にばら撒けるほど数がない。

 数が限られてるのなら、親蜘蛛同士は特定地域に密集して存在せざるおえないわけで、親蜘蛛の送受信可能範囲を繋げていけば自ずと敵の潜伏先が絞れるということになる――――

 そこまで言って、立ち上がって何やら探そうとしていたらしい雪成君の足が止まった。

 その正面には、つい朝方まで散らかりつくしたような惨状が広がる雑多な資材の墓場だった、今ではかなり整頓されて探し物をするにも心もとない量しか入っていない数個のダンボールが綺麗に並べられている。

 中身も確認して分けた箱の側面には『ゲーム』『ゲーム2』『ボードゲーム』『雑誌』『漫画』『漫画2』と書かれていて、その中に何が入っているのか一目瞭然だ。

「・・・・・・で、受信機はどこ?」

 ピシッという擬音が聞こえそうなほどな感じで、全員が固まった。


                     ♯


 どうなったか先に言ってしまえば、受信機は見つかった。

 整理された箱の中にはもちろんなかったその機械は、破棄予定だったダンボールの中にあったのだけど、それを掘り出す過程に僕達は再び埃まみれになってしまった。

 どうせ捨てるものだと埃もろくに拭かなかった報いだ。いや、まだ使えなくもないのにゴミ扱いを受けた資材の呪いか。

 せっかくお風呂に入ってきたというのに台無しだった。

 さすがにこれは形骸変容(メタモルフォーゼ)でも対処しかねる。

 この向けどころのない苛立ちは痴漢に引き取ってもらうことにして、とにかく探索を始めることになった。

 電波を受信する受信機というのは何の変哲もないトランシーバーのような外形をしていた。

 伸ばすとかなり長いアンテナがついていて、黒いボディーにはパネルといくつかのボタンがついている。

 ラジオなんかであるボタンを捻って周波数を調整するタイプではなく、ボタンで入力するようになっているらしい。

 小型の割りに多機能で、盗聴などの音声データだけではなく動画も受信できる優れもので、電波の発信源を突き止める機能が今回の要だ。

「それで、実際誰が探すかだけど・・・」

「去年は私だったからパスね」

 智香さんが言い終わる前に佐奈さんが候補から外れようと先手を打つ。

「そうよね・・・まぁ、りょーすけは無理として、私かアホかゆきなりの誰かってことになるか」

「アホゆーな。てか、なんではづきは抜き?」

「はづきちゃんは暴力担当よ?」

「・・・あぁ、それもそうか」

 智香さんと瑞流君の間でなされる失礼なやり取り。

 事実なだけに反論の余地なしなわけだけど。

「うーん、じゃあ俺行く」

 ここでなんと雪成君が立候補した。

「おぉ?自分から?どうしたの?」

「いや、ここで待機したって暇になるし、正直早く帰って寝たい」

 まぁ、確かに。

 ただ今午後5時7分前。午前9時ほどからここで掃除に勤しんでいた体は疲労を訴えている。今日はよく寝れそうだ。

 自分から面倒な役に立候補する者もなく、あっさり探索は雪成君に決定した。

 彼が受信機を持って出ていったことで、待機することになった僕達は再び暇を持て余すことになる。

 それでも10分ほどはぼぅっとして過ごしていたのだけど、何もしないのに帰れないという状況は思いのほか堪える。

 お代わりの紅茶を淹れてもらい、残っていたクッキーを口内で溶かしながら味わうものの、

「暇だね・・・」

 やっぱりそう思わずにはいられない。

 なまじ仕事中なのが辛いよね・・・。

 そんなことを思っていると、

「ふふーん、じゃ、これやる?」

 智香さんが整理したてのダンボールから取り出したものを見せて言った。

 携帯ゲーム機、中はおそらくビオサイド。


                     /


 ウラカタの我がメンバーが使用している一室から出て、駅ビルを後にする。

 手には受信機を持っているが、まだ電源は入れていない。

 まず、駅の方から探りを入れるつもりだ。

 体育祭で壊れた訓練所などが修理されたらしく、ここ数日で学園都市にも生徒の姿が戻ってきている。

 このタイミングで改造蜘蛛を放っているのなら、駅近くは絶好のポイントだろう。

 だから、この辺から探索を開始すればすんなり見つかると思うのだけど・・・・・・。

 などと駅を見回してみたら、非常に見慣れた女性を発見してしまった。

 あの人、なんでこんなところにいるんだ。夏休みに大学生が学園都市に何の用なのか。

 正直言って、全くいい予感がしない。

 とはいえ、話しかけないと何も知らないままよろしくないことに巻き込まれかねないのが厄介ごとというものだ。

 事情を知っているか知らないかでは心持ちが違う。どうせ巻き込まれるのなら状況を把握している方が数倍マシだ。

「先輩・・・何してるんですか?」

 見慣れた女性の名前は八雲和(やくも なごみ)

 もっとも、それは偽身の偽名だ。形態変身者(トランスフォーマー)が1人分は持つ別身分に過ぎない。

 本名は来島越嫁(くるしま えつか)。黒縁眼鏡の大学生。形態変身(トランスフォーム)グループの部長であり、そのグループ内で唯一の人格者だ。

「うん?色々と情報を集めてるんだけど?」

 それは分かってる。駅を通る下校途中の生徒に何か聞きまわっている姿を見れば誰だってそう思う。

 だから質問しているのは別の点だ。

「どうせロクでもない情報だってことは分かりますが、何かあったんですか?」

 酷いなぁとぼやきつつ、先輩は一枚の写真をポーチの中から取り出した。

 その内容を確かめて俺は絶句する。

 そこにあるのは路地に血まみれで倒れる女性の姿。

 一般人が手にするには常軌を逸している写真だ。

「し、死体・・・」

「いや、この人は生きてるよ?見た目ほど傷は深くなかったらしいしね。

 で、その犯人を探してる」

 さらりと言ってくれるが、別に俺のようにウラカタといった組織し所属しているわけでもない先輩がそんなことをする必要は全くないはずなのだ。

 いつもよく分からない事件やらに首を突っ込む癖のあることは重々知っていたつもりが、痴漢の類が上限だと思っていた。

 今回の度の過ぎた事件に手を出した理由を訊いたら、

「いやぁ、暇でねぇ。せっかく手に入れた情報だし、暇つぶしにちょうどいいかなって」

 という素敵な答えが返ってきた。

 暇つぶしにそんなヤバ目の流血事件をパズル感覚に解こうとしないでほしい。

 というかホントに暇してるんだなこの人。大学生ってそんなに楽な所なのか?待て待て、この人4年生だった気がする。

「先輩・・・就職決まってましたっけ?」

「ん?決まってないけど?」

 いきなり何を訊くんだろうという本当に不思議そうな顔をしてくれる。

 自分が心配される理由が分からないのかこの人は。

「そんなことしてて大丈夫なんですか?」

「まぁ、懇意にさせてもらってる所にお世話になるつもりだから、その辺は大丈夫」

 なんだかんだ言ってちゃんとやってるようだ。

 ・・・あれ?そういうのを就職っていうんじゃないのだろうか?

「探偵事務所なんだけどね、名前が変わってて果物缶みたいな名称で・・・女の子2人でやってるんだ」

 なるほど。確かに・・・・・・就職・・・じゃないかもしれない。

 探偵事務所?名前が缶詰?経営者が子供?

 うん。まともではない。

「実はこの写真とか情報は彼女達から貰ったんだ。要らないからって」

 どこから突っ込めばいいのか・・・。いや、間違いなく突っ込み待ちではないんだろうな。

「探偵の仕事じゃないでしょう、それ・・・。というか要らないって何ですか」

 そんな傷害事件の調査が探偵事務所に持ち込まれるとは思えないし、それを流すというモラルのなさは情報を扱う職業としてどうかと思うのだが。

「彼女達も他人に貰ったらしいよ。幽霊がどうのって言ってたけど・・・忘れたな」

 探偵に幽霊・・・。この人なんでそんな意味の分からない人間関係を広げてるんだ。

 ・・・ああでも、それの中に俺も入っているんだろうな。

 事実この人は俺を通じて形骸変容(メタモルフォーゼ)とも関係があることになるんだから。

「あー、話が外れたけど・・・と、その犯人を捜してるんだけど、何か知らないかな?」

「知りませんよ。だいたい、今俺は痴漢蜘蛛を探してるんで」

「へぇ、もうそんな季節だっけ?風物詩になりつつあるよね、それ」

 嫌な風物詩もあったものだ。それに時々秋にも出没するから夏限定というわけでもないし。

「そうか・・・。まぁいいや、とにかく何か分かったら始末は君らに任せるから」

 それを言うなら『何か分かったら教えて』、なのだけど。

 ほらみろ、話しかけようと話しかけまいと、この人は後始末だけはこっちに回すつもりだったじゃないか。

 そう思ったんだ。

 先輩は物事を掘り返すだけ掘り返して、出てきたものは他人に処理させるお人なのだ。

 彼が何かやっていると、厄介ごとが自分にも回ってくることは経験からよく分かっていたことだ。

 それでも結局その後処理を受け持たせてしまうのがこの人の人徳なんだろうが・・・。

「それじゃあ、先輩、ほどほどにがんばってください」

 うん、と首肯して先輩は歩いていった。どこか目的地があるのだろう。

 しかしあの人、女性の方が様になってる気がしないでもないよな。

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