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第22話- 小旅行。-Aquarium-

 夏休みというのは暇な時間の集合体だ。

 規則正しくラジオ体操に参加したり、きっちり休暇日数を数えて割った1日の宿題ノルマを終わらせたり、特定の友人と町内を駆け回ったりとしていなければ、暇を持て余して生活サイクルが乱れまくることになる。

 現代事情最先端の高層マンションにラジオ体操などというご近所付き合いはなく、超能力研究指定の学園都市は勉強の二文字を生徒に丸投げしているため夏の課題など皆無で、友人が時折訪ねてきても部屋でぼぅっと過ごすのが常な俺はつまりそんな状態に置かれている。

 今日、ワタクシこと朽網釧は午前7時に起きました。

 ・・・これだけ聞けば至極規則正しく起床しているように思えるが、寝たのは昨日の午後2時なのだ。

 睡眠時間を計算して見ると17時間寝ていたことになる。

 寝すぎたせいで頭が痛いし、関節がぎぃぎぃと鳴っている。

 さすがにやばいかな。そろそろ外出の1つや2つした方がいいかもしれない。

 ネットを使えば外に出なくても生活できる世の中とはいえ、体の衰退は後々厄介だ。

 そういえばグループの能力訓練再開って何時からだっけ?

 早いところ騒乱念力(ポルターガイスト)から抜け出したいんだけどな。

「あれっ?何でクシロがこの時間に起きてるの?」

 そんなことを考えていたら、聞き慣れた声がドアの辺りから聞こえてきた。

 もちろん葉月だ。

 服装はラフなもので、アパートのクローゼットに詰め込んだものとは違う。どこかで買ったのか、ここにおいてあったものだろう。

 ・・・いや、というかだ。

「何で居るんだ?」

 寝る前に居た覚えはない。というか居たなら寝てない。

「んー、ちょっと近くで調べ物してたら何時の間にか終電行っちゃっててね。こっちに泊まったんだよ」

 終電までの調べ物のどこが"ちょっと"なんだろうか?

 まぁ、それはいいとして、

「終電まで開いてる図書館なんてあるんだ?」

 ネットカフェなら最初からここで事足りるので、おそらく葉月の調べ物とやらは紙媒体の資料なのだろうが、そんなものを扱っている24時間営業の場所を俺は知らない。漫画喫茶・・・はないだろうし。

 ならば図書館ぐらいしかない気がする。

「無人の資料庫なんだよ、そこ。没頭しすぎていつの間にか時間過ぎちゃってね」

「へぇ、そんなところがあったんだ」

「うん。一応隠蔽されてるみたいだけど、中身は単なる超能力の資料庫。非公式の連中が使うから隠してるってことらしいけど、それは見せかけて本当に重要な資料を混ぜて隠してある。というのもやっぱりカモフラージュでただの普通の資料庫かも」

 ・・・・・・。で、結局どっちなんだろうか?

 寝起きの頭で考えるには酷だ。

「どっちにしてもあんま変わらないから考える必要もないよ」

 表情からそれを読み取ったらしく、葉月は付け加える。

「いや、よくはないだろう・・・」

 と、言ったところでどうしようもないか。

 まぁ、コインの表だろうが裏だろうがその資料庫(ソース)はあんまり宜しくないものらしい。

「どうする?朝食作ろうか?」

 ・・・うぅむ。

 せっかくこの時間に目が覚めたのだし、このまま起きてしまおうか。

 でもなぁ、そうするとそのままこの号室でだらだらするパターンになる気がする。

 ・・・・・・どうせなら。

「なぁ、葉月は今日暇?」

「ん?まぁ、資料も主なものは詰め込み終わったし、バイトの非常召集なんて断れるし。暇はあるよ」

 よし、じゃあ決まり。

「外でよう外。朝食もついでに外で食べよう」

「どこ行くの?」

 外・・・夏休みなんだし普段絶対行かないところがいいんだけどな。

 あー、じゃあ、

「水族館。ちょっと遠出」


                     ♯


 大阪府には日本でも有名な水族館がある。

 アクリルガラスを素材にすることよって実現できた巨大水槽にジンベイザメを囲う日本有数にして世界最大級の水族館。

 水族館らしからぬ鮮やかな赤色が映えた外見を持ち、側面をガラス張りされた入り口を通り、水槽ゲートを抜けるとまず最初にエレベーターで上へと昇るという珍しい構造をしている。

 太平洋をリング状に繋げた地帯に生息する生物をコンセプトに水生生物だけでなく、ナマケモノといった陸上生物も扱っているこれまた珍しい所だ。

 他にもカワウソといったオーソドックスな生物もいるのだが、オオサンショウウオもいるというのは珍しい。そして何故かサワガニまでいる。

 外見と同じく、その展示生物も結構変わっているのだ。

 初めに通る水槽のトンネルには珊瑚礁の鮮やかなサクラダイなどの熱帯性の海水魚。そこから一気にエレベーターで最上階まで昇り、降りるように館内の散策が始まる。

 まず日本の生態を扱ったスペースがあって、ここにコツメカワウソやオオサンショウウオにサワガニが水槽ではなく敷地内に再現された滝や水辺に放されている。海の生物ではなく浅い川に棲むような生物ばかりだからだろう。

 次は順にラッコ、アザラシ、ナマケモノと行って、熱帯雨林のコーナーに入る。リスザルやグリーンイグアナといった変わった生き物の中でも際立つピラルクという巨大魚がここの魅力だ。えら呼吸だけでなく肺呼吸もこなせる魚としても珍しいピラルクは淡水魚最大級の巨大魚で全長4mに及ぶものもある。何より生きた化石と呼ばれる古代魚にして観賞魚としても有名なアロアナの仲間だ。

 その後にペンギンにイルカと人気所に続きグレートバリアリーフをモチーフにした水槽を通り、ついに巨大水槽にたどり着くことになる。

 太平洋に生息する生物を集めたその水槽では、マンタやイタチザメにシュモクザメといった大型の魚類が泳ぎ、その象徴としてジンベイザメが2匹回遊しているわけだ。


 と、まぁ、ここまで来て、葉月の足は大分ゆっくりになっていた。

 水族館が初めてなのは当たり前だとして、そもそも神戸から出たことがなかった葉月。

 ・・・かなり満喫しているっぽい。

 今ものんびりと泳ぐジンベイザメに釘付けだ。

 喜んでくれて嬉しい限りなのだが、これってチョイスを誤ったパターンなのかもしれない。

 真夏の炎天下を歩き回る動物園ほか遊園地などは選択に入っていなかったとはいえ、俺も水族館自体が好きな人間だ。

 仄暗い館内で青く光を透く水槽、水の満ちた空箱に浮かぶ命を内包した銀色の鱗、その何と美しいことか・・・というわけで、水槽を観賞ではなく鑑賞するような俺達は2人して場所との相性が良すぎる。

 俺達のようなタイプにとって水族館は1人で来るところだろう。2人で来る場所としては間違いだ。

「なぁ、前にサヴァンの話が出てきたことあったけど、何で万化統一機構はそんなものを造りたがるんだ?」

 会話がないのもどうかと思うので、気になっていたことを聞いてみた。

「ん?」

「次世代教育とサヴァン能力の関係がイマイチ分からない。次世代教育ってつまり超能力教育のことだろ?サヴァン能力とは別じゃないのか?」

 んんー、と葉月は相槌を打つ。視線は相変わらず水槽の中だ。今その目は何を追っているのか。

「サヴァンの中には予知能力に類似する現象を起こす人もいるんだよ。知らないはずのことを当ててみたりね。

 だから、サヴァン的な脳の使用法を会得した人間は超能力発現に有利になるのではないか?超能力の制御能力を底上げできるのではないか?という考えの下で研究が行われてるらしいよ」

「ふーん。その結果が形骸変容(メタモルフォーゼ)か・・・。でも、それなら別にあんな徹底した管理システムいらないだろ。孤児を引き取って一定年齢まで外に出さないなんてさ」

 前に出入りすることになった時、相当のセキュリティをくぐることになったのを覚えているが、それだけの機密防衛のシステムを構築することとサヴァンの研究の希少性が吊り合わない気がするのだ。

 だいたい、あそこは本当にそんなものを研究しているのかすら怪しいのに。

 そういった気持ちからの質問だったが、

「あ゛ー、まぁ理由はあるけどね・・・」

 葉月は言葉を濁した。

 サヴァンの研究なんて建前だ、とでも言うんじゃないかと思っていたのでこれは意外。

「へぇ、何で?」

 その問いにあまり気が進まないという風に顔をしかめる。

「間違いなく不愉快になるからお勧めしないんだけど・・・」

「いや気になるし。というか、そこまで言って中途半端にやめるのはないって」

 しばらく考えるようにして、葉月はポツリと言った。

「脳を直接弄るからだよ」

「え?」

「だからね、頭蓋骨に穴を開けて、直接脳を弄るの」

 ・・・・・・・・・・・・。

「ほら、やっぱりそういう顔する」

 いやいや、そうなるのが普通というか・・・。

 建前・・・じゃなかったのか?

 俺の見立てが間違いで、リスク回避のコストと研究内容はちゃんと吊り合っているらしい。

「まぁ、非人道的なんで全員にやってるってわけじゃないけどね」

 そうは言うが、葉月は間違いなくやられている側に入るのだろう。

 聞いていて、確かに愉快な話ではない。

 愉快なわけがない。

 だから言いたくなかったんだよと葉月は溜め息吐いて、振り向きざまに俺の手を取ってそのまま歩き出した。

「さ、次行こう!」

 せっかくの楽しい時間を大切にしよう。

 力強く引っ張る手から、そんな台詞が聞こえてくるようだった。



 太平洋の水槽から離れると、次は瀬戸内海だ。マタコ他セミエビといった馴染み深いのか馴染みないのか分からない生き物を眺め、次のマンボウでまた停滞。

 一応フグの仲間らしいのだが、その体型からは全く関連が分からない。日本では割と食べられてる魚で泳ぎは下手らしい。水槽の中でもほとんど泳がず、ずっと同じところに留まっている。海では海面にその平たい体を横たえて体表についた寄生虫を陽の光で駆除するとか。

 それが終わると、イワシの大群が見られる水槽を通り、後はウミガメやタカアシガニ。最後にはクラゲとクリオネが待っている。


 ・・・いるのだが。

 ・・・・・・、・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・、・・・・・。

 葉月がチンアナゴの水槽から離れない。

 底砂から体を半分覗かせている(まだら)模様のアナゴをじぃっと見つめている。

 ここにきて、葉月の水生生物への関心が爆発したらしい。

 いや、見ててすごく可愛らしい仕草なのだけども。

 こうして見れば年相応の・・・外見相応の女の子に見える。

 ついさっきの脳弄られ発言が嘘のように、葉月には珍しくはしゃいでいる。

 もちろん、本当に飛び跳ねているわけではないけれど、目を輝かしているのだから間違いないだろう。

 ここに来て良かった。

「このもう少し行けばクリオネがいるぞ」

「えっ、そうなの?」

「クラゲ館の中に展示してるんだ。ほら、パンフ」

「へぇ・・・でもクラゲとクリオネって全然違う生き物なのにね」

 ごもっとも。

 でもまぁ、他に展示するスペースがなかったのだろう。今まで見てきたどの水槽もモチーフとする海域を決めてあるため、棲息しない生き物を混ぜるわけにもいかないはずだ。

「透明でふわふわ浮いてるっていうイメージが一緒だからかもな」

「無茶苦茶な・・・クリオネは貝なのに・・・」

「和名はハダカカメガイだっけ?誰もそんな呼称使わないけど」

「クリオネは学名だよね。マンタもそうだけど学名で呼ぶのと和名で呼ぶのと種類によってマチマチだから面倒くさくない?」

「何も考えてないからバラバラなんだろ?別に面倒くさくはないけど気持ちは悪いよな。一応、世界共通として学名があるわけだし」

「学者ですら自国での名称使うことあるようじゃ学名も意味ないけどね。まぁ、それは超能力も同じようなものだけど」

「発見したもの勝ちで名前付けていくって結構無理を言ってるよな。星や生き物じゃないんだから、能力の様態が分かる名称じゃないと勝手が悪い」

「今使われてるのほとんど俗名だからね。正式名称なんて意味ないよねぇ・・・」

 同じコーナーに置かれている様々な水槽を眺めながら話していたが、ついにそれも最後の水槽が見終わった。

 次はこの水族館のラストを飾るクラゲ館だ。

「さぁて、それじゃあクリオネを見に行きますか」

 当然のように俺の手を握る葉月。

 妙に恥ずかしい。

 それが子供に同伴する親の気持ちなのか、異性を意識する男性の気持ちなのかはともかくとして。


                     ♯


 水族館を出る頃には既に陽はほとんど沈んでいた。

 急な遠出だったので、ここまで来るのにも結構時間を食ったとはいえ、満喫しすぎた気がしないでもない。

 今から帰ればまぁ、今日中には神戸には戻れるのだろうが、せっかくの葉月初めての遠出なのだから、どうせならもう1つ行きたいところがある。

 そこは夜の方が都合がよい場所でもあるのだが・・・。

「ほら、あそこにあるの見えるだろ?」

 そういって指差す先には赤い円形の光が見える。

「観覧車?」

「そう、世界一になったこともある巨大観覧車。あれ、今赤色になってるけど、天候で色が変わるんだ」

「へぇ・・・赤は晴れ?」

「そう、曇りは緑で雨が青。

 今の時間ならちょうど夕焼けが消えるかどうかっていう具合の綺麗な夜景が見えると思う。

 というわけで、今からアレに乗ります」



 一昔前のゴンドラといったものではなく、側面も床もスケルトンのカプセルのようなデザインのキャビンがゆっくりと上昇を始める。

 俺と葉月は対面するように向かい合って座り、昇り始めたキャビンからの景色が俯瞰と言えるようになるまでしばらく待つ。

 葉月はそうでもないようだが、ただでさえ運動していなかった俺は一日中歩き回って疲れが出てきていた。

 もたれかかるように座り込んで、重い体を休める。

「そういえばさ、今朝言ってた資料庫で何探してたんだ?」

形骸変容(メタモルフォーゼ)の資料だよ。前代の形骸変容(メタモルフォーゼ)を手本にしようと思ってね。ほら、ドラゴンになったこと以外知らないし」

 そういえばそんな話もしたな。とがさ亭、ドラゴン、ロマン・・・。

 マジでドラゴンとかやめてほしいんだが。

「収穫あったのか?」

「うーん、なかったわけじゃないけど、さ。感覚的に日記を書く人みたいで具体性に欠ける内容なんで微妙だったよ。まぁ、面白い発想があったから今度試してみたいなーとは思ってる」

「ふーん」

「そういうクシロはどうなの?騒乱念力(ポルターガイスト)は直りそう?」

 うっ。やぶ蛇だったか・・・。

「全然駄目だな。能力が能力だけに自宅で練習できるものじゃないし、まだ訓練所も開放されてないから訓練すらできてない」

「あー、やっぱり?」

「それに比べて葉月は上達早すぎじゃないか?体育祭で成長しすぎだろ」

「そうでもないよ。上達したというよりはバリエーションが増えただけだし、使うとかなり疲れるからあんまり使いたくないんだよね」

「羨ましいけどな」

 そうかなぁ?と首を傾げているが、学園都市のどの学生もが羨ましがるような能力なのだ。

 もっと自覚してほしい。

「そうだ。クシロは超能力波って感知できる?」

「できなくもないけど・・・それって出力系なら大抵できるらしいぞ?」

 超能力波というのは能力使用時に出る不可視の粒子のようなものだ。揺らいで見えるから波ということらしいのだが、実体が分かっていないのだからその名称はかなり適当なものだ。

 ESPでもこれを使ってテレパシーなどを行っていると言われているし、PKでは例えば炎が具現する前に出力場所に能力波が集約するといった現象が見られるらしい。あるいは能力波が集まることで能力が具現すると言った方がいいのかもしれない。

 自分で扱うものなので、慣れれば感じられるようになるのだが、当然慣れから来るものなのだから、自分の扱っている能力と同タイプの能力波しか分からないということがほとんどだ。

 体育祭の弾投げで俺が念力系の弾の位置を把握できたのもこれのお陰と言える。

「それってどんな感じ?」

「うぅーん・・・どんなって言われても・・・・・・そうだなぁ、体育祭の時はルール上全部綺麗な球形になってたけど・・・・・・」

「・・・そうなんだ。僕の場合はもっとぼやけてるなぁ・・・形なんて分からないし」

「今さらっと言ったけど、何でそんなものが形骸変容(メタモルフォーゼ)で見えるんだよ」

 つくづく卑怯な能力だよな、形骸変容(メタモルフォーゼ)。何でもありか。

「六感は一応強化してるからね。まぁ、でも改善の余地あり、と。

 でもそれならさ、能力波を感知する力を底上げしていけばいいんじゃない?能力の制御に繋がる気がするけど・・・。

 それに、これなら能力を実際使うわけじゃないから自宅でもできると思うよ?」

「なるほどね・・・。けどそれって、出力系能力者の協力が要るよな。1人じゃできないぞ」

「タカ辺りに頼めばいい。バイトが忙しい上に、休み明けのテスト勉強をしておかないとまずいはずなのによく部屋に来るタカにさ」

 それもそうか。

 しかし本当に隆は学業成績のことを考えているのだろうか?ただでさえ学園都市は実力重視だ。夏の課題がないということは、他人のを写すなどというその場しのぎさえ使えないということなのだが。

「それで少しでも制御が利くようになればいいんだけどな・・・」

「それはクシロ次第です。・・・と、大分昇ってきたよ」

 外を見れば、明るい地上から随分離れて、西から東への紅から紺のグラデーションが周りを満たしていた。

 身を乗り出せば、都会の人工的な白から紫までの仄かな色が点々が見下ろせる。

 輪郭がぼやけた建物と対照的に輝く有り余る量の光源が落とされた地上と刻々と変化し続ける明暗の両方を持った昼と夜が混在する一瞬の空。

 マンションの一室からの景色とは違う、八方を見渡せる自由な視界は葉月に取って初めての体験だろう。

「わぁあ・・・」

 感嘆の息を吐く葉月。

 普段できない、今までしてこなかったことをするというのは新鮮だ。


 ――――単純に、こんなに楽しんでいる葉月をもっと見ていたい、そう思った。


                     ♯


 観覧車を降りたところで、陽は完全に暮れていた。

 当然といえば当然なのだが、今から電車に乗って帰路に着くのは無理と言わずともキツイ。

 神戸から大阪。そこまで遠くに行っているようには聞こえない距離だが、実際遊びに行って帰ってくるとなると、疲れすぎて1時間の乗車ですら堪える。

 だから、まぁ、こうなるとは思っていたのだが・・・・・・、

「シングルを2部屋よろしくお願いします」

 俺はとあるホテルのロビーでそんなことを言う羽目になっていた。

「えぇー、ダブルでよくない?別々で取ると高くつくよね?」

 値段など気にしてる場合じゃないんですよ、葉月さん。

 2人一緒にどころか、1人ずつでも泊めてくれるかギリギリなんです。

 というか葉月の言っているのはツインルームのことだろう。ダブルルームはベッドがダブルサイズ1つの部屋のことを指すということを葉月は知ってるのだろうか?

 まぁ、とにかく。

 保護者いないのが辛いよなぁ・・・。兄妹の芝居をしたところで俺は見た目も実年齢も未成年そのものだ。兄妹で旅行しているという設定すら無理がある。

 なので、誤解されるようなことは言わないように。

「シングルで」

 葉月の本気で金銭を心配してるだけの台詞を無視してもう一度言う。

 が、フロント係のお姉さんは困ったような顔をして、

「今は季節が季節なので、空いているお部屋はスイートルームだけになっております」

 などと(のたま)った。

 シングルどころかダブルもツインもなしとは。

 いや・・・・・・まぁ、予約していたわけでもないから仕方はないのだろうが。

 スイート・・・高すぎて空いていた、んだろうな。

「そこ子供2人で大丈夫なんですかね・・・」

「いえ、まぁ・・・大丈夫だと思いますけど・・・・・・高いですよ?」

 確かに見た目中学生に見えるか見えないかという2人組に高級リゾートホテルのスイートの宿泊代が出せるかの方が問題か。

「支払いはこれでいけます?」

 そう言ってクレジットカードを財布から出す。

 それを見た瞬間、彼女は固まった。

「?どうしました?」



「あのね、クシロ。あんなものいきなり出したら、そりゃあ彼女も硬直するよ?」

「いや、普通のクレジットだし」

「・・・信用を意味するcredit(クレジット)とは名ばかりの誰でもカードを持っている現代で、本当に信用されている人物にしか送られないブラックカードを普通のクレジットカード扱いですか」

「え?あれってただ黒いだけじゃないのか?」

「少なくても僕が知る限り、高額の支払い実績と資産を持った人間に送られるもののはずなんだけどね。欲しくて貰えるものでもないんだよ?」

「俺、ただのカラーバリエーションだと思ってた・・・」

「小金持ちを敵に回しそうな台詞だよね・・・」

 という会話をしている内に、俺達を乗せたエレベーターは目標階に到達。

 部屋を探す必要もなく、ドアが開いたところに従業員がいた。

 別に案内はいらないって言ったのに。

 葉月の口ぶりからしてVIP扱いになっているっぽいので、ホテルとしてもちゃんと対応したいのかもしれない。

 案内に従い、部屋を紹介された後、カードキーを渡して案内人は出て行った。

 これでやっと落ち着ける。

 スイートというのはsweet(あまい)ではなくsuite(つづきべや)という意味だ。

 なので、俺達のいるこの部屋はマンションの一室に近い。

 ツインやダブルよりは広さもあるし、ベッドも複数あるので健全に思えなくもない。

 ・・・わけもないか。

 そもそもスイートを男女で単なる宿泊に使うことがあるのだろうか?

 まぁ、そんなの俺と葉月であるわけもない。

「はー、でもよかった。さすがにカプセルホテルとかは嫌だったし」

「行ったことないから経験してみたい気もしないでもないけど?」

「やめとけ」

 ビジネスホテルすら狭くて息苦しくなるから。俺は一度体験しただけで2度と泊まりたくないと思わされたぞ。

「よっ、と」

 何もしないのもなんだからテレビを点けてみる。

 リモコンでこういうホテルに入っている有料映画の画面を表示させた。

 レンタルビデオと比べて馬鹿のような値段をとられるのだが、こういうのもホテルの醍醐味だろう。

 自室にあるソファといい勝負の座り心地抜群のソファに体を預けて一息。

 寝るには早い時間なので、休憩しつつ睡眠時間までゆっくりと時間を潰そう。

「葉月どうする?夕飯なにか頼もうか?」

「うーんそうだねぇ。・・・もう少ししたらにしようよ。僕まずお風呂に入りたいし」

「りょーかい」

 そんなやり取りをした後葉月はさっき紹介されたバスルームの方へと消えていった。

「・・・・・・」

 しかし、本当に。

 葉月はもう少し他人を意識してもらいたい。

 年頃の女の子・・・とまでは言わないが、葉月だって一人間なのだから、他人にとって自分がどのように認識され(うつっ)ているのかぐらいは考えてほしい。

 男女がホテルに泊まるという行為に付属する意味ぐらい、葉月だって知っているとは思う。

 知っていながらそれを自分に当てはめないところが葉月なのだが、俺や隆、それにクラスメートとしてはそれこそがどうにかしたい点でもある。

 はぁっと疲労のせいではない溜め息が出る。

 大型の液晶テレビの画面に目をやると、年端もいかない少女が小型の機関銃で銃撃戦の真っ最中。大の大人が無表情の女の子に虐殺されていく。

 その様子はもはやファンタジーだ。プラスチック製の拳銃が出回っていることぐらいは知っているが、だとしても発射の反動を考えると銃は子供の扱える武器ではない。連射が本分の機関銃をぶれることなく(まと)に当てていくなどという芸当は現実味を逸脱している。

 そもそもこの感情に乏しい少女をヒロインにするのもどうかと思う。いや、それは主人公役の男性の方も同じか。ヒーローとヒロインの年齢差が見た目20歳ある気がするのは気のせいであってほしい。というかヒロインは未成年・・・いや15歳でもないんじゃないだろうか?

 ・・・まぁ、今の自分達の状況も似たようなものなのだろうが。

 不釣合いな場所に、無理な配役。

 いくらシチュエーションを固めたところで、今後の展開なんて分かりきっている。

 他愛もない会話をしながら、娯楽に興じて、キリのいい時間で就寝。それだけだ。



「クシロー、こんなのあったー」

 汗を洗い流し終わったらしい葉月が片手に何かを持って俺のいる大部屋に入ってきた。

 ・・・・・・。

 すみません、展開読めるなんて嘘吐きました。

 いや、というか!読める分けない!

 葉月が手に抱えてるのはワインボトルだ。

「いやいやいや、俺達未成年だから!飲酒は無理だって!」

 案内人にミニワインセラーは一応案内されたけど・・・あれ?

「ワインセラーあるのは知ってたろ?」

 『こんなのあった』も何も、ワインがあることぐらい葉月も知っていたはずだ。

「ん?だからその中にこんなのあったって・・・・・・あ〜」

 と納得するように葉月は頷いて、ワインボトルを渡してきた。

「これ何ていうワインか知ってる?」

 そんな風に言われれば、考えつく答えなど1つだ。

 まさかと思ってボトルの銘柄を確認。

 ・・・よかったロマネ・コンティではないようだ。ラベルには『LA TACHE』と書かれていた。

 まぁ、おそらく有名所には違いない。

「ラ・タチェ・・・?」

「ラ・ターシュね。フランス語だから発音が違うんだよ」

「聞いたことないな・・・」

「フランスのAOC格付けで特級に指定されてる畑のピノ・ノワールで作られたワインでね。ドメーヌ・ド・ラ・ロマネコンティが作った――――」

「畜生!結局ロマネ繋がりか!」

「だからこんなのあったって言ったんだよ。

 ・・・年間でロマネ・コンティの4倍ほどのケースが製造されるんだけど、安定した品質が評判で場合によってはロマネ・コンティの味を上回ると――――」

「うわぁ!洒落になってないぞそのワイン!」

 テンパッた俺を無視して葉月はボトルの首の部分を親指と人差し指で弾き切った。

 もはや後戻りはできない。

「さぁ、飲もう」

「・・・それってかなり高いよな?」

「スイートルームに入った時点で贅沢しなきゃ損でしょ?大丈夫、10万から100万ぐらいだから」

「何その幅!10倍違うぞ!」

 何時の間にか取り出していたグラスをテーブルに置き、無造作に赤ワインを注ぐ葉月。

 グラスは当然のように2つ取り出されているが、俺にも飲めと?

「年代によるからねぇ。年月が経っているのが一般的に高いんだけど、凶作とかを考えると一概に言えないんだよ」

「葉月って何でそんな要らない知識ばかりを溜め込んでるんだ?」

「んー、ワインに関しては岱斉が好きなんで覚えてたというか・・・」

 そこで何故か葉月は怪訝な顔をした。が、すぐに元の表情に戻って、

「とにかく飲もうよ。もう開けちゃったんだから」

 などとしれっと言ってくれた。



 軽く、ワイン1本が消えた。

 どころか、テーブルに既に何本ものボトルの残骸がある。

 そのほとんどは葉月の胃の中に収まっているわけだが、葉月に酔いの兆候はあまり見られない。

 美味しそうになみなみとワイングラスに赤や白のワインを注ぎ、食事と共に持って来てもらったおつまみの各種チーズを摘んでいる。

 飲酒がバレるとさすがにまずいので、食べ物が運ばれる間はワインを隠しておいたのだが、その場しのぎにしかなってないよな。

 ただ、今一番気になっているのは・・・。

「なぁ、何でそんなに酒強いんだよ?」

 俺はラ・ターシェが空っぽになった辺りで酔いが回ってきたのに。

「そりゃあ、血中のアセトアルデヒド脱水素酵素(デヒドロゲナーゼ)の量を増やしてるからね。アルコール脱水素酵素(デヒドロゲナーゼ)も増やしているんだけど、こっちは気持ちよく酔うためには必要だし」

 うわぁ・・・。駄目だ、この人裏技使ってますヨ。アセトアルデヒドが酔いとどう関係してるかは知らないけれど、形骸変容(メタモルフォーゼ)は本当に便利だよな。

 遺伝子発現を調節して自分の欲しい酵素を故意に作り出せるなんて。

 残念ながらあまり酒に強くないらしい・・・そもそも未成年の俺は体をソファに深く沈めて一休み。

 辛めのチーズを口に入れて酔いに打ち勝とうとするものの、気休めにしかならない。

「あははっ、クシロ大分酔ってるねぇ」

 そういう葉月もいつもよりテンションが高い。少し酔って陽気になっている。

「辛いならもう寝た方がいいよ?」

「止める人間がいなきゃセラーのワイン全部飲むだろ葉月は・・・」

「・・・・・・飲まないよ?」

 間が空いたよな、今。

 飲む気満々じゃないか。

「とにかくあまり我慢しないでね。無理すると体に悪いから」

「あぁ」

 そう言ってガンガンする頭を左右に振って、立ち上がる。

 シャワーを浴びて酔いを醒まそう。


                     ♯


 パチリ。

 そんな擬音がぴったり似合うような目の覚め方だった。

 体に伝わる感触から自分がベッドに寝転がっているのだと分かる。

 シャワーを浴びた後、急に襲ってきた眠気に勝てず、ベッドにダイブしたのだろう。

 もっとも今でも頭痛がすることを考えると、一夜越しても酔いは醒めきらなかったようだ。

 と、

「・・・・・・」

 そんな冷静な思考を打ち砕く、イレギュラーな存在が目に留まった。

 仰向けで天井を見ていた視界を横へとずらしたところに葉月の寝顔があったのだ。

 咄嗟にバッと身を起こす。

「・・・なんで葉月がここにいるんだ・・・・・・」

 そこでやっと、ベッドの周りに転がっているボトルが目に入った。

 俺が寝ている間にさらに随分の量を飲んだらしい。

「・・・ん、クシロー・・・どーぉ?酔い、醒めたぁ?」

 寝ぼけ眼で葉月がふらふらと上半身を起き上がらせる。

「全然。まだ頭が痛い・・・」

 ふみゅぅ、と相槌なのか寝言なのか判別がしにくい言葉を吐いて、葉月は俺の両肩に手を置いた。

 そして、

「〜〜〜〜〜〜〜ッ!」

 キス。

 いや、キスというか接吻というか・・・・・・舌が、入ってるんですけど?

 舌の裏側を嘗め回すようにたっぷりと数秒舌を絡ませて、ぷはぁっと交わされた唇が離れる。

 離した唇から糸が引いていた。

「〜!〜!〜〜っ!」

 何がなんだか意味が分からず、言葉が出ない俺に葉月が(こうべ)を横に傾けながら言う。

「舌の血管からアセトアルデヒド脱水素酵素(デヒドロゲナーゼ)ちゅーにゅーしたから、酔いはもーすぐ醒めると思うよー」

 キスじゃなくて舌下投与だったらしい。

 少し残ね・・・いや残念じゃないっ!残念じゃないぞ!

 というかいくら葉月でも今の行動は素面(しらふ)じゃない。

「なぁ、このワインのことどう説明するんだよ?未成年で飲酒はさすがにまずいんだぞ?」

 恥ずかしさやら何やらを誤魔化すためにそんな質問をしてみる。

 というか事実、『魔が差して』と言える消費量じゃないだろう。

「えー?大丈夫だよぅ?その時はさー、お酒を飲まなきゃ死んじゃうって設定でいこー?あはははっ!」

 それはマジで洒落にならない。

 葉月のその提案はある小説がネタ元だ。

 身体のスペック的に全く違和感のないし、外見だって白髪と赤眼にすればそんな感じ。

 実際に形骸変容(メタモルフォーゼ)で身体強化する時それを参考にしているんだろうけど、その主人公は目やら手やらが抉れ潰れて、内臓に脳までぶち撒けることになるので、正直あまり真似てほしくない。

 というか何気にライトノベル好きだよな、葉月。

 まぁ、それはいいとして・・・。

「・・・・・・葉月、酔ってるだろ?」

「うぅ――――――――ぅ?」

 うん、と肯定しようとして失敗したらしい間延びしたその声の途中で横に倒れた。

 ベッドで気持ちよさそうに身じろぎして、すぅすぅと寝息を立て始める。

「・・・・・・」

 一方俺は眠気どころか精神力を吹き飛ばされて、すっかり目が覚めてしまっている。

 ベッドから起き上がって部屋のカーテンを開けた。

 燦々と斜めに降り注ぐ太陽の陽。

 いつもの葉月ならこの時間には完全に目を覚ましているだろうから、やっぱり酔ってるのだろう。

 葉月が寝ている間に散歩という手もあるんだが、まだ外出にする気にもなれない。

 朝食でも頼んで、テレビでも見ながらゆっくりするか。

 そう思って主寝室から出て数歩、気になることがあって立ち止まる。

 行き先を変更して、ミニワインセラーへ。

 昨日の晩、案内人が自慢げに紹介していたボトルが綺麗に並んでいたセラー。

「・・・・・・なんてことだ」

 その中には1本のワインすら残っていなかった。

 酒を飲まないと死んじゃうっていう設定・・・・・・本当に使わないといけないかもしれない。

さぁ、葉月達の行った水族館はどこでしょう!?

まぁ、文章のほとんどがヒントなんですが。

ジンベイザメのいる水族館って日本に3つだけですしね。

ちなみに私はその内2ヵ所に行ったことがあります。

大阪と沖縄。

美ら海水族館の巨大水槽の近くにサメの特設があるのですが、ホルマリン漬けのサメの幼生や成体の輪切り標本があったりと結構グロテスク……やっぱり生きてる方が見ていて楽しいですよね。

ここの土産屋で買ったチンアナゴの栞がお気に入りだったりします。

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