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第21話- 楽気苑。-Savant-

「隆君!天ぷら蕎麦まだぁ!」

「天ぷらは揚がってますけど、麺がまだなんです!先輩、蕎麦はあとどのくらいですか!?」

「んな早く作れねぇよ!それより親父どこ行った親父!あの野郎この忙しい時に・・・っ!」

蘇那(そな)さん、これ注文の親子丼です。タカ、カツ丼用の豚カツは?」

「そっちに置いたやつだ!そういや醤油が切れかけなんだよ、そっちの棚から出してくれ!」

「お父さーん、早く帰ってきてよぉ〜」

「ながり!いいからとにかくできることやってくれ!」

「ご飯は!?もうそろそろ炊いたのなくなるよ!」

「キャベツとタマネギ切らないと・・・・・・」

「あ、またお客さん来た!いらっしゃいませ――っ!」

「麺切り終わったぞ!次の生地作るから誰か代わりに茹でてくれ!」

「ビールお替りだって!ジョッキ2本!」

「こっちは手が離せないんでそっちでやってください!」

「ねぇ!さっき来たお客さん麺を蕎麦からうどんに替えてくれって・・・」

「うちは蕎麦屋だ!!もういいから追い返せ!」

「それまずいって!」

「でもさすがにうどんは打てねぇよ!」

「最近は麺はどっちか選べるっていうのが普通だからねぇ・・・」

「だからうちは蕎麦屋だろうが!」

「そういえば冷蔵庫に市販のうどん残ってなかったっけ?」

「あ、この間皆で鍋やった時のやつか!」

「いいのそれって?」

「知るか!向こうが無茶言ってんだ、文句言われる筋合いはねぇ!」

「またまたお酒の注文、箔霜泉(はくそうせん)ってどこだっけ!?」

「向こうのお客さんが何かおつまみないのかって!」

「そういうの親父しか作んねぇんだっての!ホントに店ほったらかしてどこ行きやがった!?」

「それも鍋やった時に買ったおつまみが残ってるはずだよ!」

「冷蔵庫に入ってねぇーぞ!」

「それ多分上の冷蔵庫だわ!お父さんがどうせ食べると思って家の方にしまっちゃった!」

「取ってこい!隆、出汁(だし)はどうなってる!?」

「まだありますけど、足りるかは微妙なところです」

「ちょっ!?お客さん!困りますって!!やめっ!・・・いやいやいや良くない良くない!酔ってますよね!!」

「葉月あの酔っ払いに目を覚まさせてやれ!!」

「りょーかい!」

「いやいや、穏便にだよ!葉月ちゃん暴力は駄目だからね!」

「はーい、お客さん。お酒でいい気持ちなるのはいいけど、人様に迷惑はかけないでくださいね!いつの間にか路地のゴミ箱に上半身突っ込んでても知りませんよ?」

「はーづーきーちゃーん!!」

「結局おつまみどうしたんだよ!?ながり!」

「だからお客さんがぁ〜」

「お客さん!酔ってたら何やってもいいと思ってません?本当にゴミ箱に突っ込むよ!?」

「はーづーきー!」

「だって、ながりさんから離れないんですよ!」

「お前の腕力ならいけるだろ!力づくで引き剥がせ!放り込め!」

「みーいーしーくぅーん!!!」

「あーもう!バイト増やせよ!!」


 夏休みに入って3日目。臨時に呼び出されたバイト先で、僕らはそんなやり取りをしていた。

 駅近くの蕎麦屋『楽気苑(らくきえん)』は原因不明の人気店であり、そんな店の従業員である僕らは忙しいバイト生活を送っている。

 特に今日は何故か店主である親父さんこと節明義(ふし あきよし)が行方不明だ。

 昼まではいたらしいのだけど、僕が三石籐矢(みいし とうや)先輩に緊急招集された時には既にいなかった。

 そのまま一番客入りのよくなるサラリーマンの帰宅時間になっても親父は現れず、怒涛の数時間を過ごす羽目になったのだ。

「もうやだ・・・このバイト労働と給与のバランスが吊り合ってない・・・・・・」

 いつもの溌剌とした佐賀蘇那(さが そな)さんすら燃え尽きたように客のひいた椅子に座り込んでいる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい・・・」

 親父さんの娘であるながりさんが謝っているけど、彼女のせいじゃないしね。問題は親父さんだ。

 あの人・・・この切実な従業員不足をちゃんと理解してないよね。

「ったく!やっぱもう1人ぐらいちゃんと蕎麦打てるようにしとかないとな・・・。葉月どうだ?」

「えー、そんなスキルはいらないなぁ」

「隆」

「俺も要いりません」

「蘇那」

「やーよ、別にここでずっと働くわけじゃないし。藤矢君こそちゃんとここに職を定めなさいよ」

「や、やめるんですかぁっ!」

 蘇那さんの言葉に慌てるながりさん。

 そりゃこの店の娘として貴重な労働力を失うのは避けたいだろうし、知り合いが辞めていくのは悲しいものだろう。

「考え直さないといけないのは事実よね・・・」

「時給上げられても考え物だよな」

「タカまで・・・小遣い稼ぎなんだから時給上げられたらがんばりなよ」

「時給じゃなくていいけど、特別手当は貰わないとな」

「あの人の経営意識はどうなってるんだ・・・」

 それぞれに愚痴を吐きながら、閉店後の店内でだらける。

 現在午後10時25分。

 夏休みだからいいけれど、こんな時間まで朝から働きづめになるのはかなりきつい。

 フリーターでできうるかぎりシフトを入れている先輩やここの娘であるながりさんは本当に疲れているようだ。

 といっても、シフト表を見る限りは隔日で来ることになっている僕や隆がこうして毎日顔を出している時点でシフトなんてあってないようなものだけど。

 先輩が奥からビールを1瓶持ってきて飲み始めた。

 店の売り物なのだけど、正直そんなもの咎める気にもなれない。一番咎められるべきは親父さんだからなぁ。

「僕も何かのも・・・」

 というわけでもそもそと立ち上がる。

「葉月いくらなんでもまずくないか?」

「何をおっしゃいますか。当然の権利です」

 ジュースと・・・あと何か食べれるものなかったかな。

 厨房の冷蔵庫を探ろうと暖簾をくぐる。

 と、そこで、

「おおー、お疲れ様――!」

 閉めた引き戸をガラガラと開け、こっちの気持ちを全く知らないで親父さんが帰ってきた。

「ん?どうした?皆揃ってじっと見て・・・」

 そのあんまりのな言葉にアルバイト暦が一番長い苦労人三石先輩がキレた。

「・・・とりあえずそこに正座しろ」

「ははっどうした、三石。そんな怖い――――」

「正座しろ!」



 店主という立場にあり、従業員を束ねる権力を持っているはずの人間が、今店の床に正座している。

 いつもなら優しい中にも厳しさありな彼がどうして素直にアルバイター三石君の言葉通りに座っているかというと、先輩の顔がすごいことになってるから。

 鬼の形相とはこういう時に使うのだろう。

 店の出入り口辺りの床に正座する親父さんに店の奥のテーブルに各自ついている戦場から帰還した面々が対峙する形で、ただ今裁判を開廷中だ。

「で、どうしていきなりいなくなったんだ?」

 仮にも給料を貰っている身にしてどうかという言葉遣い。まぁ、僕がここでバイトする前から結構ストレスが溜まっていそうな感じだったし色々思うことがあるのだろう。

「いやぁ、店の常連に言われたんだ。『おたくの店の従業員はいつも忙しそうにしているけど、店はちゃんと回せてるんですか?』と」

「ほう・・・」

「だからさ、そうなのか?と疑問に思って、俺がいなかったらどうなるのかと試してみたんだ」

「・・・結果は?」

「大丈夫そうだな、と・・・」

「んなわけあるかぁぁあああ!!!」

 ああ、ついに三石君が爆発。

 というか、日頃の店の混乱を目の当たりにして結論はそれですか。

「毎日見てたら分かるだろ!どう考えても人数不足だよ!つーか、言ったよな!俺従業員増やせって言ったよな!?」

「何だかんだ言って、乗り切れたじゃないかよぅ」

「・・・・・・葉月、厨房から油の鍋取ってきてくれ」

「もう処理しちゃった。それにどの道冷めちゃってるよ」

「新しく温めてくれ。こう・・・人にぶっ掛けるにちょうどいいぐらいの量を!」

「待て!早まるな!」

 先輩の話に乗って、僕は座りなおした席から立って厨房の方へ。

 途中で思い出したように立ち止まって、振り返る。ここでこそ笑顔は使うべきだ。

「あ、そういえば知ってます?昔、高熱で溶解させた金属の風呂に吊るした人を下ろしていく処刑方法があったらしいですよ。あまりの熱で浸けた体の部分までの肉が全部溶けて骨だけになるんだとか」

 とまぁ、うん。これで脅しは十分だと思う。

「・・・親父さん、バイト代上げてくれますよね?」

「・・・・・・・・・はい喜んで」


                      ♯


「そんなことがあったわけだ」

 タカがそんなことを言って昨日のことを楽気苑に突撃訪問したクラスメート数人に話している。

 昨日とは打って変わって店内はかなり暇だ。

 客入りは時間帯によってかなり変わるのだけど、今は昼食も終わり夕食にはまだ早いという絶妙なタイミングなため客は1人もいない。

 いや、一応クシロとかが注文はしている。とはいえ、ジュースとかなので手間なんてかからないし、この後訪れるラッシュのために従業員である僕らは体力を温存すべくだらけている。

 つまりこの時間は束の間の休息なのだ。

「その話で問題なのはなんで葉月ちゃんがそんな無駄知識を知っていたかよね」

 椎ちゃんが重大だと言わんばかりの思い溜め息を吐いた。

「きょーいくじょーよくないよねー」

 美樹ちゃんまでそれに同意する。

 教育上って言われても、もう中学生だし物事の分別ぐらいつけられる歳なんだけどもね。

「大体どこでそんな知識手に入れたんだ?」

「いや、普通に本屋で見つけたんだよ。えーと・・・題名は『実際にあった異常拷問法全集』だったかな」

「何でそんな本が出版されてるとか、何でそんな本を仕入れてるとかそういうのは置いといて・・・何でその本を手に取るんだよお前は」

「面白そうだったから」

「・・・だよなー」

 諦観しきった顔のタカ。そう分かってるなら訊かなきゃいいのに。

「それはそうと、夏休みに集まって何かするっていうのはどうなってるの?」

「あー、まだ詳細は決まってないんだけどね。とりあえず夜は花火がしたいっていうのが皆の意見よ。

 あとは昼にはショッピングでもしようかなってぐらい」

 と椎ちゃん。

 まぁ、夏休みはまだ1ヶ月以上もあるわけで、そんなに急ぐ必要もないのだ。

 宿題がない身としては一日一日充実した日々を送ることこそが課題なのだし。

 ただ、僕だってずっと暇というわけでもない。

「僕も一応予定あるからね?バイトもタカが言った感じだし、所属グループから用事が入る可能性のあるし、それに夏の間篭(こも)るつもりだから」

 所属グループ・・・つまり裏方のことだけど、非合法組織なので伏せてある。

「篭る?何かするのか?」

「ちょっとね。形骸変容(メタモルフォーゼ)の資料が手に入るから、とっとと頭に入れちゃおうと思って。それに人体解剖図とかの医学書関連もこの際だから詰め込もうかな、と」

「頭に入れちゃおう・・・って随分簡単に言うよな」

「あれ?言ってなかったっけ?僕、基本的に一度記録したもの忘れないからね」

 その言葉にお店のお冷をセルフで持ってきて飲もうとしていたタカの手が止まった。

 なーんか、ものすごく形容しがたい顔をしている。

 呆然といた顔というか唖然とした顔というか理解不能と書いてあるような顔というか・・・。

 あ、額に手をやって考え込み始めた。

「何だそれ?何でそんな便利スキルを身につけてるんだコラ、羨ましすぎるぞてめぇ・・・」

「あのねぇ。僕は仮にも万可統一機構出身だよ?あそこは次世代教育について研究してるの。その中に賢者の欠片(サヴァンズ・フラグ)も当然あるよ」

「・・・賢者の欠片(サヴァンズ・フラグ)って何?」

 今度は椎ちゃん。

 むぅ。言葉自体を知らないのか。

「サヴァン症候群に現れる特徴のこと。万可統一機構じゃそれを賢者の欠片って言ってたんだよ」

「センセー、サヴァン症候群って何でしょうか?」

 美樹ちゃん。

「・・・・・・」

 そこからですか。

 有名な言葉だと思うんだけど。

「特に自閉症患者に見られる特異的な才能を発揮する人々のことを昔『白痴のサヴァン』と呼びました。蔑称なのでこれは使わないように。サヴァンとは賢者のことですが、それに白痴という真逆の言葉がついていることから分かるように、脳に障害があったりしてIQなどが極めて低いにも関わらず、ある分野に対して常人を遥かに凌ぐ才能を発揮する人のことを指します」

「はい、先生。自閉症って――――」

「話が進まないので端折ります。自分で調べてください。

 それで、その特異的な才能というのは、人によって色んなものがありますが、特に多いのが数学に関する才能がある人有名です。カレンダーの曜日を西暦が使われる前の年代であっても当てられたり、10桁同士の掛け算を暗算でこなしたりする人がいることは知ってますね?彼らには数字が色や形に見えるらしいのですが、これは省きます。

 それから他にも芸術分野で活躍する人も多いです。10年前に一度見ただけの風景を細部まで描く画家、目が見えないのにも関わらず、ピアノを演奏し、一度聞いた曲も再現する演奏家・・・。

 語彙が1000を超えないような彼らが人々を感動させる作品を創る様は奇跡としてメディアで紹介されています」

「あー聞いたことあるわね」

「さて、しかしここで疑問が出てくるわけですね。どうして彼らは天才的才能を発揮するのか?

 多種多様の才能を開花させる彼らですが、共通する特徴もあります。

 まず1つ目が記憶能力――直観像記憶ですね。見た映像をそのまま(・・・・)思い出せるということです。

 これはカメラをイメージしてくれたら分かりやすいのですが、その時その時の記憶を映像として保存しているため、彼らはその細部までを思い出せるというわけです。何せ写真を見てるわけですから。

 絵を描くサヴァンが一度で細部まで描ける理由はこれに起因すると思われます。また、彼らの絵描きの特徴として、端から順番に描いていくというのがありますね。普通絵を描く場合、全体像をラフで描いていくのが私たちの一般的な描き方ですが、彼らは頭の中で鮮明な映像を思い出せるためそんな行為が必要ないわけです。

 また、目で見た映像の全体を一度に把握する能力にも注目したいですね」

「意味が分かりませーん・・・」

「では美樹さん、いいですか?テーブルにある割り箸立てに割り箸は一体幾つ入っているでしょうか?」

「えっと、1、2、3、4――――」

「はい結構です」

「え?」

「今あなたは指を指して、割り箸一本一本を数えましたね?つまりそれは割り箸一本一本に意識を集中していったというわけです。

 人は通常モノを数える時、1つ1つの対象物に意識を集中していく必要があるんです。1つ、2つ、3つ・・・と。

 ところが、サヴァンの有する把握能力はそんなことをしなくても、割り箸立てを見ただけで、全体で何本あるかわかるんですね。数える必要がない(・・・・・・・・)ということです」

「・・・うっそだぁ・・・・・・」

「このテーブルの割り箸は37本あります」

「・・・・・・・・・・・・・・・・、・・・・・・ホントだ」

「それから2つ目、彼らは類まれなる集中力を発揮するのですね。これがまたすごい。本当に昼夜作品作りに没頭するんです。

 脳に障害があり、他にできることがないからだと言う人もいますが、どうであれその集中力の強さは驚嘆に値します。

 彼らの多くは直像視という能力を持っているわけですが、それだけで芸術家として才能を発揮できると言うわけではありません。

 彼らも努力するんです。それが好きだからという理由でずっとそれだけに集中力を注ぐからこそ、上手くなっていくんですね。つまり彼らは努力するという才能を持っているとも言えます」

「でもそれって、完全に生活能力ないってことじゃねぇのか?」

「先生には敬語を使いましょうね」

「・・・ないってことじゃないですか?」

「ええ、それが3つ目の特徴とも関係してくるのですが、彼らの能力は周りに世話をしてくれる人物がいてこそ成り立ちます。

 でなければ生きていけないというのもあるのですが、何より彼らはその才能をその人のために使うことが多いんですね。

 つまり、何かのきっかけで自分のしていることを褒められたことが嬉しくて、それに没頭するというパターンが多いんです。喜んでもらうために何度もそれを繰り返す。

 では椎さん、もしその世話をしてくれていた最愛の人を亡くしてしまった後、彼らがどうなるのか分かりますか?」

「えぇっ!・・・・・・分かりません」

「場合によりますが能力がなくなります。というより使わなくなります。

 当然ですね。自分がその才能を発揮しているのはその人のためであり、その人がいない以上、もう行う必要がないんですから。

 ・・・というのが、サヴァンの概要と触りですね。

 以上で、織神葉月プレゼンツ『サヴァンの才能とその特徴』は終了です。興味のある方は図書館で関連図書を調べてみてくださいね」

「うん、絶対調べない」

「酷いなー、結構面白いよ?」

「今のでもうお腹一杯よ」

「ちなみに、サヴァンは圧倒的に男性に多いんだよ。ソフィ氏みたいな女性のサヴァンは珍しいんだよね。

 まぁ、それで万可統一機構はそのサヴァンの特徴である直像視や計算能力を普通の子供に発現させようとしているわけ。

 僕もそういう教育プログラムを受けてたからね。賢者の欠片(サヴァンズ・フラグ)はいくつか持ってるの」

「直観像記憶と把握能力?」

「うん」

 と、そこでクシロがあれ?という顔をした。

「ちょっと待て。対人記憶弱かったろう、葉月は」

「まぁーね。そもそも賢者の欠片(サヴァンズ・フラグ)の植え付けなんてまだ確立されてないの。僕のは劣化能力なんだよ。

 一度脳に記録したことは忘れないけど、記憶しようと思わない限り直観像記憶はできないんだよ。集中力を使うから普段は使わないしね」

「・・・なぁ、教師の名前とか覚えていないのは何でだよ?」

「・・・・・・えーと、興味がないから?」

「ひでぇな、おい・・・」

「まぁ、そんなどうでもいいことはおいといて」

「ホントにひでぇな・・・」

「本題は僕にも用事があるから早めに予定組んでねということだったはず」

「あー、そうだったっけ?」

「まぁ、了解したわ」

 話が一段落した所で店の時計を見てみる。

 うん、そろそろ時間だ。

 目を元に戻すとタカがいまだ疑っているらしく、割り箸立てをじっと見ている。

 残念ながら普通の人はできないんだけどね。目が痛くなるだけだと思う。

「タカ、もうすぐ時間だよ」

「あぁ、もうか」

「え?何が?」

「戦争の時間だ。さぁ、お前ら帰れ。これから死ぬほど忙しくなるからな」


                      /


 仕事帰りにまだ余裕のある時間を楽しもうと、駅近くの店を訪れる会社員が増えるこの時間帯。

 俺が葉月に紹介してもらったこのバイト先は戦場に変わる。

 どうせなら午後7時ぐらいまできっちり仕事をしてほしいものなのだが、退社時間の早いサラリーマンがまだ陽の当たっている内から店に入ってくるようになる。

 その頃はまだ従業員側にも余裕がある。問題はその後の帰宅ラッシュだ。

 従業員数が店長を入れて5人というこの蕎麦屋は、信じられないことに正式な従業員が1人もいない。2人は店を営業している親子で、残りはアルバイトだ。

 なんでそんなことになっているかというと、あまりに労働状況が過酷なために辞めていったという笑えない理由である。

 俺が来る前は4人でやっていたらしいのだが、まぁ、その時は葉月が男で厨房に回っていたので何とかなっていたらしい。

 葉月は今でも厨房の仕事も掛け持ちでやっているから、そこまで差があるわけではないと思うんだがな。

 で、とにかく忙しいこの時間帯は俺らにとって非常にストレスになる。

 時給が上がったとはいえ、従業員数は前と同じでは結局体力的な改善がなされていないわけで、今日から店の前にバイト募集の広告が出されてあるが、『激務につき根性がある人』の文字が踊るその紙切れに集人能力があるとは思えない。

 結局のところ今の人数で苦しみながら耐えるしかないのだろう。

 バイトを換えるという手もあるが、給与が上がったというのは魅力的な話で、かなり懐は暖かくなるはずである。

 しかしこれは俺の事情(はなし)だ。

 三石先輩にしてみればストレスの原因は他にもあり、そちらの方が重要だろう。

 先輩は親父さんの娘であるながりさんのことが好きらしい。バイト初日の帰り際、蘇那さんが笑いながら教えてくれた。

 しかしながら、見て分かるように二人の仲が恋仲になることは今のところなさそうだ。

 そしてその原因の一端を葉月が担っていたりする。

 小さい子が好きなながりさんの関心は葉月に向けられ続けるため、彼女が周りの男性を意識するなどということはないのだ。

 葉月自身は全くそのことに気づいてなく、三石先輩はいつもイライラしてるなーぐらいにしか思っていないのだろう。

 もっとも、男で1つで育ててきた愛娘にそうそう男を近づけるわけもないので、親父さんが最大の壁になることは目に見えているのだが。

 さらに、そんな情報を与えてくれた蘇那さんなのだが、どうも俺が見るに蘇那さんは三石先輩に好意があるらしい。

 だが既に一杯一杯な先輩に周りを気にする余裕があるわけもなく・・・。

 『蘇那さん→三石先輩→ながりさん』という一方通行な好意の連鎖が続いている。

 ・・・・・・ここは修羅場だ。

 いつバランスを崩して崩壊していくか分からない。

 こんなところで平気で働いているのは葉月ぐらいなのだ。



「むむぅ・・・やっぱり似合ってるなぁ、葉月ちゃん」

「改めて言わなくても、散々見てますよね?あれだけ呼び出されたんだし」

「ごめんなさい・・・」

「おい、無駄話してないでこれ運べ」

「あはは、先輩相変わらずイライラしてますねぇ」

「・・・・・・」

「あ、いらっしゃいませー」

「ざる蕎麦3つ入りまーす」

「・・・まだ作り置きあんな。隆、蕎麦茹でるのは任せる。俺は多めに蕎麦打っとくから」

「了解しました」

「はーい、天ぷら蕎麦ですね。天蕎麦入りまーす!」

「揚げ物は葉月の管轄だ」

「えぇ?いつの間にそんなことに!?」

「人の2倍は走り回れ。給仕と厨房兼任なんだからな」

「三石君、駄目よ葉月ちゃんいじめたら」

「いじめてはねぇーよ。いいから次の注文取ってこい、ながり」

「おわっ、団体さんだ!い、いらっしゃいませ!」

「うげっ、ちょっと待てよ。・・・何で?」

「スーツ姿だし、サラリーマンだよね?もしかして重大プロジェクトでもやり遂げた後の打ち上げ・・・とか?」

「いやいやおかしいだろ!何で蕎麦屋で打ち上げ?居酒屋行けよ!」

「うち・・・あんまり蕎麦屋らしくないからなぁ・・・」

「『蕎麦屋』って暖簾に書いてあるだけだもんな。食品サンプルも置いてないし一目見て気づきにくいのかもしれねぇ」

「とかいいつつこの店、お酒の取り揃えいいんだよな」

「そもそもここら辺って居酒屋あったっけ?」

「あるよ。あー、でも駅からは少し離れてるね」

「だからうちにそういう客も入ってきてたのか・・・」

「でも団体で飲みに来るにはここ小さいでしょ」

「はぁ・・・まぁ、仕方ないか」

「そういえば親父さんは?」

「奥で蕎麦打ってるよ。昨日のことを考慮にするともう少し玉がいりそうだったからな。今のうちに打たせてる」

「あ、タカ海老は?もうこっちにないんだけど、剥いて腸抜きしたやつもうない?」

「いや。もう1ケース分やったはずだぞ?」

「出汁はどうなってる?」

「量は十分ありますよ。少し多めに作ったんで」

「団体さんのちゅうもーん!とりあえず生13本と親子丼3つ、カツ丼2つ、掛け蕎麦が6つにかやくうどんが2つだって」

「・・・なぁ、だからさ、ここは蕎麦屋なんだが?」

「だってお客さんの注文なんだもん・・・」

「ないだろメニューに!断れよ!」

「大丈夫だよ先輩。クラスメートにうどん玉買ってきてもらったから」

「それって大丈夫なのか?」

「いやおい、昨日は仕方なかったがわざわざ用意して市販のうどん使うってどうよ?」

「セーフでしょ。そもそもこの店は蕎麦屋なんだし。それに彼らは別に美味しいうどんを食べに来てるわけじゃないしね」

「身も蓋もねぇこったな。まぁいいとっとと出すか。丼は葉月な」

「ちょっと!?揚げ物も僕じゃなかったっけ?丼もやるの!?」

「接待もな。さー働け」

「相変わらず重労働だ・・・」

「おーうお前らどうだ様子は?」

「いつも通りだな」

「いつも通りですね。居酒屋代わりにしてる客が来るところとか」

「いつも通りです、親父さん。うどんを頼んでくるお客がいるぐらいですね」

「そうかそりゃよかった」

「「「・・・・・・はぁ」」」

「よくねぇ!気づけよ!今のはどう考えても皮肉だろ!」

「先輩そんなこと言っても仕方ないですよ。どうせ分かってません」

「タカも結構酷いことを言うよね。仮にも雇い主なのに」

「そうだな。で、その雇い主が店からいなくならないように足枷をつけたのはどこのどいつだ?」

「しらなーい」

「どうでもいいがもうそろそろ酒のつまみ欲しがる客が来るだろ。あんたしか作れねぇーんだから、早いうちに作っといてくれよ」

「追加注文だよ!チューハイレモン2つに梅酒をソーダ割りで4本」

「分かっちゃいたけど酒ばっかだな・・・」

「ビールのジョッキ片付けないで大丈夫?」

「残ってる人多いし、まだ食べ物は運んでないからね」

「よっと、天ぷらできたよ。豚カツもよし。卵かき混ぜないと・・・」

「注文です。牛乳がほしいんだって」

「牛乳なんてあったか?というか何でまた牛乳なんだよ?」

「お酒呑む前に飲んで酔うのを和らげるんじゃない?」

「じゃあ呑なきゃいいのにな」

「付き合いってものがあるんでしょ。その内味噌汁ないか聞かれたりして」

「味噌汁?」

「血中アルコールの分解を助けるんだったか?」

「聞いた話なんだけどね」

「とと、ネギは?入ってないんだけど・・・」

「冷蔵庫じゃない?あ、ついでに大根取って、おろしにしないといけないから」

「また注文。軟骨から揚げを2皿!」

「うわぁ、接待回る余裕なんて絶対ない・・・・・・・・・ながりさん?何で抱きついてくるんですか・・・」

「忙しくて挫けそうな心を癒してるの」

「ながり、接待に戻れ。葉月はから揚げやれ」

「もう、三石君!私のリフレッシュタイムを取り上げないでよぅ」

「この店は5人でギリギリ回ってんだよ。一時も休む間はない」

「注文よん。フライドポテトだってさ」

「断れよ!あるわけねぇーだろ!蕎麦屋だぞ!?日本食だぞ!?」

「ジャガイモあったっけ?」

「葉月も応えようとするな!その客わざとやってるだろ!?」

「外のチェーン店から買ってきて皿を移せばいいんじゃないですか?」

「隆、それはもはや犯罪だろ」

「いいでしょ。メニューも読めない人ならバレやしないよ」

「はーづーきーちゃーん?」

「まぁ、ジャガイモあったんで作りますか。あ、でもケチャップは?」

「家の方の冷蔵庫にあるから取ってくるわ」

「ポテトって太いやつだよね?」

「もういっそのこと丸ごと上げちまえ」

「そういえばジャガイモの芽って毒素があるんじゃなかったけ?」

「どうでもいい。葉月、丼はどうなった?」

「あっ、持ってかないと!ってから揚げやってるから離れれない!考えたら給仕とか無理でしょ!?」

「ちっ」

「今舌打ちしたよね?」

「さぁーて、今日もがんばらないとなー」

「何その棒読み!?」



 ――――今日も今日とて、楽気苑は戦場だ。

少し趣向を変えてみました。

葉月のバイト先での様子とサヴァン症候群の話です。

サヴァンの話は昔読んだ書籍を参考にしてます。

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