第15話- 凶悪犯。-Hunt-
天空泳法は浮遊系能力の1つだ。
空中に潜るように浮遊する様から名付けられたその能力は、空気より人の比重が軽いかのように人体に浮力を与える。
だから、深柄科は水面に顔を出そうとするように空に向かって足を動かした。
どれほど俊足の猛獣だろうと空を飛ぶ鳥は狩りえない。
そんな思考から一刻も早く安全圏への脱出を試みようというのだ。
使い慣れていない能力のため、思うようにスピードが上がらない。コントロールが難しく、横方向にならいつも制御を失い加速して止まれなくなるのだが、縦方向となると暴走すら起こらない。
バタ足で空気をかく動作がもどかしいし、本当に水中にいるように息苦しい。
それでも何とか屋上ほどの高さにまで昇り、あと一息で安全圏だと安息する。
(皆には悪いけど、これで私は襲われない・・・・・・)
とりあえず、大きく息を吸い、安静を心がけた。
こうやってずっと空中に浮かんでいるのも、他の能力者に見つかればまずいことぐらいはさすがに予想がつくし、その対策についても考える必要がある。
そのためにもまともな思考を取り戻さないといけない。
ゆっくり、閉じていた目を開いて、彼女は少し白けた視界が元の色を取り戻すのを待った。
その視界に、織神葉月の姿が映っている――――
屋上の柵の上に立ち、科の方へと視線を向けている。
高所において、不安定極まりない足場にいながら、その体がぶれることはない。
ぴたりと磁石のように靴が鉄柵にくっついているという錯覚すら起こしそうだ。
咄嗟。科は縦ではなく横に体を移動させる。
昇ろうとした時のものとは似つかない高速。まるで引力か磁力に引き寄せられるかのように、葉月に視線を向けたまま後ろ向きに退避しようとする。
そこはどこの学校にもあるような校舎と校舎の壁で囲われた中庭の空間だ。
ここなら葉月の追撃もかわせる、――――わけもない。
環境に対応するために生物は進化するのであり、彼女の能力は超越進化体、無定向進化態と呼ばれることもあるような進化能力だ。
『無いのなら創ってしまえ』の精神の下、何でもかんでも自分の体内で創り得る能力者なのだ。
しかし、この場合別に空を飛ぶ必要はない。
葉月は微笑んで事前に用意しておいた黒い物体を投げつけた。謎の物体は空中で網目状に広がっていく。
「ちょっ!投網――――!!!」
それは髪で編みこまれた丈夫な網。
空中を泳ぐ魚は漁法で捕らえるべし。
クラッカーが恐怖の時間を伝えた早々、逃避行動一番乗りの罰を受けて深柄科はあっさり捕縛された。
/
僕はとにかく標的になるまいと走った。
目的地などないし、とにかく場所が割れているあの教室から逃げるので必死だ。
織神のことだ、クラッカーの音源と火薬の臭いで位置ぐらい確認できる。
・・・・・・あれ?そもそも1‐Bにいることぐらい織神だって分かっているはずではなかったっけ?
いや、荷物を取られたあの状態でまだ教室にいるとは思わなかった?屋上には来ないと踏んでやる気になったのだろうか?
だとしても彼女なら僕達を追跡する手立ては幾らでもあるはずだ。と、すると、あのクラッカーは・・・・・・
「合図か・・・・・・」
僕達を狙い始めるというスイッチ。
なるほど。今まで襲撃して来なかったのは機会を逸していたかららしい。
向こうも色々とあったか、あるいは本気で屋上に来るのを待っていたために宣言通りに攻撃を仕掛けるには微妙な時間になってしまっていたのだろう。
と、廊下隅の清掃具ロッカーが目に入る。1つでワンフロア分の器具を収納するそれは少し大きめだ。
あまり外に姿を晒しておくのはまずい。
ロッカーの中に体を押し込める。
よし。誰にも気付かれてはいない。
ジャージのポケットを探って、徊視子蜘蛛を取り出した。唯一チームで成功した襲撃の帰りに真幸が取ってきたものだ。
それに視覚を移し、扉を少し開けて隙間からそれを放り投げる。
しばらくこうやって様子を見させてもらおう。
/
自分が走っているという感覚は感じるものの、目くるめく替わる視界に自分が今どこを走っているのか分からない。
若内楚々絽は視界傍受を繰り返し、近くにいる生徒の視界を片っ端から洗っていた。
その結果3階の一教室の教壇の下は安全そうだと考え、潜り込む。
息を整えよう。
胸に手を当て、あまり音のたてないように注意しながら息を吸い、吐く。
(おそらく、最初に、狙われるのは、科だ・・・・・・)
1‐Bの中で最も逃亡に適しているのは彼女であり、クラスメートを完全撃破する気ならまず最初に逃げ足の速い者から狙うだろうという推測だ。
(じゃあ、次は、誰を狙う?)
目をつぶり、周りの人の有無を確かめる。
範囲内に傍受できる視界はない。ということはここ周辺にはまだ誰もいないということになる。
(私や聡一がこうやって身を潜めるというのは、当然予測済みだろう。
実質能力なしの海や誉、美樹か?残留思念読取の亜子も私達と同じように、さっさと隠れているだろう・・・・・・。
そういえば他のメンバーはどうするつもりだ?)
教壇に横を向いて体育座りしているような体勢の彼女は背をもたれさせて体力の回復を待つ。
あやふやになっていた鬼ごっこが遂に始まってしまったとしっかり認識して、楚々絽はポケットのモバイルを取り出した。
姉の出現にテンパってしまい、つい冷静を欠いたことを後悔する。
チームがバラバラになってしまった今となっては打つ手なし。対抗策は思い浮かばない。
彼女の能力は周りの監視に使える程度のものだ。
あえて言えば、応急処置としてここから脱出すれば寿命も延びるのかもしれないが、考えてみると彼女のいるのは3階なのだ。見つかる可能性の方が高い。
大体、延命したところで外にも敵は多い。
楚々絽は溜息を吐いた。
(捨て身覚悟で、もう一度チームを召集してみるか)
死んで当然、生きて奇跡・・・などと呟いて足に力を入れる。
勝機は薄い。
織神葉月は能力を基本的に身体強化に使っている。
不意打ちには強いし、五感は良すぎる。追跡機能付きで彼女自身の嫌な素質も相まってもはや手をつけられない。
さらに、どうもリアルにどこかから電波を受信しているらしい。
携帯電話の着信告知ストラップのように電信の有無を事前に伝える彼女の姿を思い浮かべ、楚々絽はもう一度モバイルを見た。
(持ってるだけで自殺行為か・・・?)
いや、既に体臭でアウトかと思い直し、無理やり肯く。
2度目の溜息を口から出した。
(前途多難すぎるじゃないか、全く)
/
電波を追うことはできない。
支給品の同製品がこれほど溢れた構内で目的の人物を探し出すことなど不可能だ。
臭いによる追跡の方はできなくもないのだけど、今はパス。
僕はお楽しみはできるだけ引き伸ばす主義だ。
それと同時に彼らの恐怖も引き伸ばし。
こういうのは焦らせば焦らすほど楽しめるシステムになっている。
さて、科ちゃんはリタイアしたし、そろそろ本気で狩り始めよう。
屋上から横着をして飛び降りて中庭に無事着地する。
たまたま顔を向けた先に熱を感じた。
どうやら教室に潜んでいるチームがいるらしい。
ちょうどいいから利用させてもらおう。
握り拳を作って、ステップを踏む。
タンタントタンッ。リズムよく3歩目で右腕を後ろに引き、勢いを乗せて突き出した。
教室を形作っていたコンクリートが破砕され、風通しの良い穴ができた。
中なら驚きの声と悲鳴、それから騒音と水弾が飛び出す。
少し構内を騒がしくしたい。
/
どうも様子がおかしい。
そう気付いた西谷絵梨は一旦足を止め、ドアの開いていた教室に滑り込んだ。
薄い壁に耳をつけて外の様子を伺う。
「・・・んだ。・・・・堂がやら・・・・・」
「だか・・・、ん・・よ!・・・でも・・・・・・」
騒がしい。怒声が聞こえてきた。
足音。振動。それに続く悲鳴。
どうしていきなり潜伏していた生徒達が動き出した?
絵梨は自分達がバタバタと走り回ったせいだろうかと思考して、それを否定する。
(それにしても規模が大きい・・・・・・)
脳裏に今日はお団子頭にしていた単独行動中のクラスメートが掠めた。
ありえる。
けれど、その意図は分からない。
(騒がせば自分の行動も制限されるはずだけどな。なーにか、裏がありそーな感じ)
聞き耳によるとどうも騒いでいる彼らは教室にいるところを襲撃されたらしい。
けれど、戦闘を行う前に、攻撃した本人はどこかに消えてしまい、パニックになって廊下に出た。ところが廊下には同じように外に追い出された生徒がいて・・・・・・。
という具合にどうも故意に騒動を勃発させている節がある。
となるとやはり葉月が犯人だろうか。
葉月の能力は複数を相手にするのには向いていない。戦闘は避けていると考えるべきだ。
彼女は壁から体を離し、教室を見回した。
まだ何にも使われていない、ごく普通の教室だ。
(何か使えるものはー・・・・・ないか)
机や椅子を振り回すのは小回りが利かない。他の生徒には有効かもしれないが、今彼女を狙っているのは葉月なのだ。
やっぱり皆とバラバラになったのはまずかったかと悪態を吐く。
(もう一度何とかして集まらないと駄目ね)
そう思い、そこで気付く。
(――――っ!これが狙い!)
廊下には他の生徒がいる。時々、戦闘が起こっていることは壁伝いにも分かる。
こんな状況では廊下に出てクラスメートを探すこのは無理がある。
(やられたぁ・・・・・・てことはそぞろんの姉さんを利用したのもそれを見越して?
私達をとりあえず分断させたかったのか・・・)
どう考えても葉月の思惑通りに踊らされている現状にうんざりする絵梨。
しかし、葉月がわざわざ自分達を散らせた理由を考え、体に力を入れなおす。
――――織神葉月は多数戦を避けたがっている。
「こーなったら、絶っ対皆と合流してやるっ」
/
「離せ――――!」
「馬鹿か!俺らが分かれたら葉月に勝てる確立はゼロだろうが!」
全速力で学校から脱出しようとしていた真幸を玄関口で何とか取り押さえた。
「どの道ないって!逃げよう!とにかく遠くに!」
撥水能力のこいつはチームの要だ。俺らの連携プレイで直接敵を叩くのがこいつなのだ。
後少なくても視界を奪う発光能力の絵梨とも合流したい。
欲を言えば煙火手榴の香魚子がいれば助かるし、ソナー役の楚々絽もいた方がいい。
というか、正直俺らは1人ではどう足掻いても葉月に勝てそうにないのだ。
フェアな勝負事ならともかく、能力的に全く吊り合っていない。
葉月の能力技巧はどんどん進歩していた。
本人は全くご満足していない様子だったが、五感の鋭敏化だけでもなかなか難しい応用ではないのではないか?
俺の方は、いまだ発破系能力の未分化で、威力と方向の調節が最近やっとできたぐらいなのだ。
他の奴らも似たり寄ったり。足りない部分を補強してやっと1人前として戦えそうな感じである。
そもそも葉月の能力は戦闘向きなのだ。
「いいか?外に逃げても最悪他の奴にやられる!」
「葉月にやられるよりマシだ!」
・・・ごもっとも。精神的にも肉体的にもそっちの方が被害が少ないに決まってる。
だが、
「それだったら最初から教室に居座る必要はなかっただろ!元々迎え撃つつもりだったじゃねぇか!」
「もう駄目です許してくださいきついんです精神的にきついんです・・・・・・」
相当きているらしく真幸の目は死んでる。
それでも引っ張り込んで、廊下の壁に座り込む。
そこに亜子がかけてきた。
「よかったっ、1人だと不安で」
だったらバラけなければいいんだ。などと悪態をついても仕方ない。
「真幸が戦意喪失してるんだ。何とか説得してくれ」
俺がやるより効果があるだろうと思い、面倒を押し付けてみる。
すると亜子は肯き、床にへたり込んでいる真幸の腹をいきなり踏みつけた。
そして一言。
「やるよね?」
「全力でやらせていただきます!」
・・・・・・。
亜子がこっちを向いてにっこり笑った。
「さて、どうやって葉月とやり合うか・・・」
新しく生まれた恐怖をかき消すために、俺はとにかく口を動かす。
/
髪をなびかせ、前方に一撃。風の刃を放つ。
朝風椎の能力はまだ斬物風刃の域に達していない。
風は追いかけてくる男子生徒の顔面を直撃した。
軽く吹っ飛ぶ彼には目もくれず、廊下を走る。
その後ろを織神葉月が追跡している。
背中を風で押すことでその速度を底上げしているのだが、追いつかれるのは時間の問題だ。
「はぁっ、あぁっ!もう何で私なのよ!」
と言いながら彼女だって理由は分かっている。
廊下を歩いていたらばったり遭ってしまったから。
それ以外の何にでもない。
理不尽よ!と心の中で叫びながら、後方に風を飛ばす。
それを受けたところで全く葉月の速度は変わらない。
あの細い足によくあれほどの力が出せるものだと感心したくなる。
体を低くした彼女の姿は椎には肉食獣にしか見えなかった。
頻繁に振り向いて距離を確認していた椎だが、その差がもはや1mと縮まったところで振り向いた。
そのまま足を蹴って後ろに倒れながら跳躍する。背を廊下に預けることになるような体勢で彼女は正面から一刃。
1つは廊下天井の蛍光灯を破壊、葉月の頭上にガラスの破片が降りかかった。
それで彼女の動きを封じたところにもう一刃を放つつもりだったのだが、葉月は構わず突っ込んでくる。
「あぁあぁぁ――――っ!」
最後の足掻きは頓挫してしまい、床に激突する前に自分の背中にエアクッションを作るものの、その時には既に葉月に腕を掴まれていた。
すぐさまポケットの中にしまってあったペンダントは潰され、椎はぐったり力を失う。
彼女の体を床に寝かして葉月は息を吐いた。
廊下に出ている生徒が多いと追う方も大変なのだ。
とりあえず出会い際に軽く平手で伸していった葉月だが、数が思ったより多く面倒が増えた気がした。
少し騒がす人数が多すぎたらしい。
とっとと場所を替えるなりして潜りなおせばいいのにとパニックに陥らせた本人には言われたくないだろう言葉を呟く。
髪に降りかかったガラス片を埃を取るように払い、周りを見回した。
どうやら大分沈静化したようだ。
「あんまり静か過ぎても困るんだけどな・・・」
自分勝手すぎる台詞を吐いたその時、細川美樹が手にモップを携えて、廊下の角から現れた。
「まーぁ逃げても仕方ないしねー。ここはいっちょ華麗に負けてやるぜ」
美樹は案外器用にモップを回して見せる。
「そうこなくっちゃ」
/
浅夢予知などと寝なければまず能力の発動しようがない能力を所持する私こと布衣菜誉は今更気づく。
どう考えたって1人じゃ何もできないじゃん!
くそぅ。その場の空気に身を任せた私が馬鹿だった!
美樹ちゃんや海君はどうしてるのだろう?
美樹ちゃんは何だかんだいってそつなく何でもこなす子なので問題ないんだろうな。
海君は・・・まぁ、怪我してなければ大丈夫だろう。いや怪我をしても自分のものだったら治せるのか。
しかしながらその2人と違って個性に欠ける私としては正直今の状況はよろしくない。
美術準備室というこじんまりしていて隠れるにはもってこいな場所で私は頭を抱える。
どうする?いっそのことここにずっと隠れていようか。
でも評価は下がるんだろうな・・・。いや保身が第一だろう。
『ぎょーむれんらーく!1‐B諸君に告ぐ、今すぐ放送室に集まれー!
来なかったヤローは意気地なしと見なーす!分かったかー?』
天井に備え付けられたスピーカーから聞き覚えのある声。
「???」
あの・・・絵梨さん、ですよね?
あれですか?それは私におっしゃってるんですか?
というか、放送室って集まる所もそうだけど彼女自身この放送で葉月ちゃんに現在地ばれちゃってる。
行くべきなのだろうか?
自殺行為・・・だよね?
/
放送を片耳で聞きつつ、その内容を吟味する。
囮か罠か、裏をかいた誘導か、あるいは裏の裏をかいた集合命令か。
どの道まずは目の前の敵を排除することが先決と織神葉月は足に力を込めた。
俊足で一気に距離を縮める葉月へと冷静に狙いを定め、事前行動の少ない突きで迎え撃つ細川美樹。
それは葉月の前頭部目がけて突き出されるが、葉月は僅かに横へずれてそれを難なく回避する。
避けられることなど分かりきっていた美樹はすぐさま突き出したモップを引き、柄のちょうど真ん中を持っている右手を軸にモップを半回転させた。
最初に突き出された柄の先ではなく今度はモップの長方形の黄色い清掃部分が上から振り下ろされる。
攻撃範囲の広いその攻撃を近距離まで近づいた状態では避けることはできず、葉月は右手の一撃でモップを長さ4分の1ほどのところで横から掻き切る。
瞬間、足の止まった葉月へと美樹は足を踏み込んだ。その右足は、葉月の前に出した右足の右横、つまりくるぶし側に置かれている。
ただの棒切れと化したモップを離した右手の掌底で葉月の体を、まだ振り下ろした状態で胸元を遮っている右手ごと突く。
左方向へと傾けられた葉月の体は、引っ掛けるために伸ばされた美樹の足によってバランスを崩され、重力に従い床に倒される。
だが、もちろんただで転ぶ葉月ではない。床に体が触れる前に前髪を伸ばして美樹の右腕を絡め取っていた。
結局2人して廊下に倒れた。
「ひきょーな!」
「能力使ってるから卑怯じゃないよ!」
馬乗りになっていた美樹を力任せに回転させて下にして床に押さえつける。
後はジャージのポケットに入っていると思われるペンダントを潰せばいいだけだが、両手は美樹を拘束するのに使ってしまっている。
この密着状態では片手でも相手の自由を許すのはまずい。
仕方なく美樹の両手を片手で押さえ込むために、右腕を左側に動かそうとする。
しかし、美樹もそれを簡単に許さない。腰をくねらせて葉月の押さえ込む力を分散させ、力の弱まった隙間を突いて逃げようと試みる。
「くっこのっ、鰻みたいに!」
揉み合いはしばらく続いた。
/
息が荒い。
全速力の走りこみで胸が痛い。
放送室のドアを開けるとそこには科の姿があった。
「よっ、しじまん、あこちん、真幸」
「馬鹿か!居場所バレバレじゃねーか!」
しかし科は平然な顔をしていった。
「いやー、はづきんが来ても来なくてもよかったからね。
罠だと思って来なかったら放送室は1つの安全地帯になる。あの騒ぎで今動き出そうっていう生徒もいないだろうしね。
来たとしても囮になるから、他のメンバーが動き易くなる」
「それは俺らが葉月が放送室に行くと考えた場合だろうが。あいつがどう行動するか分からないんだ。結局どっちにも動きが取れねーだろ」
「でもしじまん達は来たでしょ。結果オーライ、思惑通り」
よくそんな穴だらけの作戦を実行する勇気があったなと思う。
さっきのことを考えてみても、女の方が度胸が座っているのかもしれない。
いや、これも男女差別に入るのだろうか?
と、現実逃避をしている場合ではない。
葉月がここに来る可能性はまだあるのだ。
「早くここを出よう。葉月が来たらヤバイ」
真幸が落ち着きなく言う。
「来るならそのまま迎撃といこうじゃない」
「目潰し、耳潰しも揃ってる。このメンバーで相手になんないならあたし達に勝ち目はないわ」
腹を括った1‐B主権者の女性2人は易々と恐ろしいことを言ってくれる。
できれば他のメンバーもいた方がいいに決まっているのだが、そういうわけにもいかない状況だ。
既に葉月の餌食になってしまっている可能性もある。
「しかし、何処から来るか分かんねぇのがな・・・」
周りを見回す。
この閉鎖空間にある出入り口は廊下に繋がる扉だけだ。学校には珍しく開くタイプの普通のドア。
だが、葉月の場合、窓から入ってくるということが十分ありえるのだ。壁をよじ登る姿がありありと浮かぶ。
もう一度何気なく目をやってみる。ドアか・・・窓か。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
窓、窓、窓。窓にナニカイル。
――びたん!
窓の上方に、ひょこりと顔を出すように、逆さま。
団子だった髪はゴムの呪縛から解き放たれて顔より下方に垂れている。
窓ガラスを叩いた平手には先ほど潰したらしいペンダントの紅い溶液が付いていた。
キュキュキュとガラスを擦る音が骨に染みる。ガラスに付着した液体が血にしか見えない。
これこそ織神葉月の登場に相応しい。
その姿は真昼間から活動を開始する悪霊にしか見えなかった。
/
織神葉月が窓ガラス砕いた時点で、四十万隆達は駆け出した。
肝を据えたと自負していた彼女達も実際の葉月の登場ぶりを目にして思わず逃避してしまったのだ。
「だから言ったろ――――!」
飛騨真幸が叫ぶ。
「うるせー!真幸いいからとにかく水!」
深柄科が放送前に用意していた水入りバケツを真幸に渡す。
「重い重い重い!逃げれなくなるから!」
「逃げるな――!」
ガラスが本格的に割れる音がする。葉月が進入口を確保しているらしい。
「しじまん!紙袋膨らませて!」
科に言われてジャージのポケットから紙袋を取り出す。
息を吹き入れるが、走っていながらでは効率が悪すぎる。
少しずつ膨らむもののまだ7割程度だ。
放送室から葉月が出てきた。
「ぎゃぁぁああああああああああああああああ!」
「だからうるせぇ――!真幸いい加減にしろぃ!」
出てきた瞬間、一歩目で加速する葉月。
悪霊の類は足が遅いのが個性なのだと声を大にして言いたい隆。
追いかけっこはすぐに終わりを迎えた。
手を伸ばせば届く距離にまで接近。
紙袋の用意はまだだ。
「真幸――!」
科の喝に真幸は振り向きざまに水を吹っかける。
それを引き裂こうとする葉月の右手。真幸の撥水が発動するのと同時だった。
威力を与えられた水が横から繰り出された葉月の右手を弾く。
「っ!」
そしてギリギリ間に合ったパンパンに膨らんだ口を握りしめて塞いだだけの簡易紙風船が破裂した。
――バァアンッ!
「っっっぅああああぁああああああ!」
葉月の近くに突き出されて行われた発破。
五感を鋭敏化させている葉月にとってそれは通常よりも効果のある攻撃だった。
ふらつく葉月に仕掛けようと隆が踏み込む。
だが、葉月は咄嗟に床を蹴って横に跳んだ。
窓ガラスを突き破り、空中に身を放り出す。
「くそ!」
追撃を許さない葉月の回避に隆は悪態を吐く。
一方無茶な行動にでた葉月は平衡感覚をやられているため、着地体勢を取れない。
髪を伸ばして割れた窓から手すりに巻きつけた。
そのまま振り子の原理でアクロバティックに下階の部屋の窓を割り、構内へと復帰する。
そこは美術準備室の窓だった。
盛大にガラスを割り、室内に転がった葉月は目の前に固まっている布衣菜誉を発見する。
悲鳴が上がり、また1人犠牲者が増えた。
転がった亡骸を横目に伸びの動作。
まだ響いている耳への影響を確かめながら、葉月は体中に付いたガラスの破片を払い落とす。
頭を振り、瞬きし、平衡感覚の回復を待つ。
「よし。今度は負けない」
伸ばしていた髪を元の長さに縮めて、楽しそうに呟いた。
/
「今ので倒しとかなきゃいけなかったのに――!」
私の叫びに真幸は激しく肯いた。
「もう無理だって!こっちの手の内完全にばれたろ!
事前作戦でだって一撃で決めないと勝ち目はゼロってので落ち着いたよな!」
「ここまで来たら後には引けねーんだよ!ああなったら葉月は意地でも俺達を潰しに来る!」
ランナーズハイとかクライマーズハイとかという言葉が似合いそうな調子の声。
しじまんがバケツに水を入れなおしてきた。
この際バケツのストックがある1‐Bの教室に戻った方がいいかもしれない。
「どこか落ち着ける場所にいた方がいいと思う。どうせあたし達の位置なんて簡単に分かるだろうし、こっちも準備をしておかないと」
あこちんが割と冷静に提案する。さすが副委員長。・・・・・・委員長の方は今頃どうしているんだろうか?
「とにかくやれるだけやろうよ。もっと水は欲しいし他のメンバーもできれば集めたいし」
教室を目指すために階段に向かう。
そこで大きな音が聞こえた。構内全体が揺れるような轟音。
近くではなく遠くから。
反射的に窓から外を見てみると、校門の方に数人分の影があった。
あの制服は殊樹高校のものだ。
シット!ここにきてまさかゲテモノ能力者がご参戦あそばせるとは。
状況は最悪に次ぐ最悪。戦闘は混乱を極めることが約束された。