婚約者の追求
コーデリアの知るアーネスト・アンネリーゼ・ロナ・ディアローザは、病弱な姫君だった。
それ故に公の場へ姿を現すのは希だが、一度姿を現せば未婚の貴族達から挙ってダンスを申し込まれる美貌と気品を持つ。
けれど決して兄以外にエスコートを許さない身持ちの堅さに加え、乳母以外に特定の侍女を付けないという噂も相まって、人嫌いなのではと噂される深窓の姫君。
様々な噂で彩られたその人と薄暗い室内で対峙しているとなれば、コーデリアの混乱はひとしおである。
「折角の逢瀬だけれど、侍女に見つかってはいけないから、お茶もご用意できないの。ごめんなさい」
「いえ、お気遣い無く」
ゆったりと向かいの席に腰掛けるアンネリーゼは、頭の先からつま先に至るまで洗練された女性そのものだった。
先ほど軽々と抱き上げられていなければ、男性疑惑など瞬く間に霧散していたことだろう。
――本当に男の人なのかしら。
困惑の眼差しに微笑み返しながら机に肘をついたアンネリーゼは、コーデリアから視線を外すこと無く首をかしげた。
「ねえ、貴方どこまで聞いていて?」
「どこまで、とは?」
「わたくしの事よ。お兄様は貴方に何処までお話になったの?」
歌うような問いかけに、コーデリアは首をかしげた。
「エセルバート様の話は抽象的でしたが、姫が男性を愛せない方だと伺いました。私と同じだとも……」
昨日の会話を思い起こしながら答えるも、実のところアンネリーゼについて知る事は少ない。
浮かび上がってきた疑惑でさえコーデリアの推測に過ぎず、それが真実なのかすら曖昧だった。
「そうなの……。お兄様ったら、意地の悪い言い方をなさったのね」
兄の戯れを感じ取ったのだろう。
呆れの混じるアンネリーゼの視線は、何も知らされずに居てなお依頼を引き受けたのか、と雄弁に語っている。
「わたくしは、お兄様から良い婚約者が見つかったと聞いたわ。貴方が男のフリをした女性なのだと、お兄様は言っていらしたけど」
「――はい。その罪を見逃す代わりに、貴方の婚約者になるようにと言われました」
コーデリアが素直に肯定してみせた、刹那。
「そう。事実なのね」
頭からつま先まで無遠慮に滑るアンネリーゼの視線に、コーデリアは思わず視線を彷徨わせた。
張り詰めた重い沈黙に居心地の悪さを感じ始めたとき、ふっとアンネリーゼが失笑を零す。
「――でも、本当に?」
思わず上げた瞳に映ったアンネリーゼは、確かに柔らかな微笑みを浮かべていた。
けれど、その声色は明らかに硬質な響きを纏っている。
細められた瞳は、コーデリアの真意を探っているように鋭い光を湛えている様だった。
「……どういう意味でしょうか」
「ねえ。貴方、本当に女性なの?」
「え?」
先ほどの会話で肯定して見せたはずではなかったか。
コーデリアが記憶を辿るより早く、アンネリーゼの指が一房だけ長いコーデリアの髪へと伸びる。
「本当は、わたくしを女として葬るための駒なのでは無くて?」
言葉がふって来るのと、髪を引かれたのは同時のことだった。
前のめりになった事であらわになった耳に、内緒話でもするように吹き込まれたその言葉が、コーデリアには理解できなかった。
「なに、を……」
何を言っているんだろう。
何度言葉を反芻してみても、それは異国の言葉のように難解で理解できない。
女として葬るとはどういう事なのだろう。
少なくとも、実際に対面したエセルバートが、アンネリーゼに不幸を押しつけようとしているとは思えなかった。
けれどアンネリーゼは、エセルバートの言葉を言葉通りに受け止める気はさらさら無いらしい。
真意を見極めようと顔を上げると、至近距離で目が合った。
にいっと意地の悪い笑みの浮かぶ綺麗な顔から目がそらせない。
「お兄様は何も言っていないようだから教えてあげる。わたくしね、生まれてはいけない子どもだったの」
「――っ!」
まるで世間話の延長のような口調で、アンネリーゼは語る。
それはどう考えても初対面で語られるような話では無かった。
けれどアンネリーゼは、決してコーデリアに口を挟ませる事無く相変わらず歌うような口調で話し続ける。
「エセル兄様が王になるのに、わたくしが男では邪魔だったのよ。既に寵愛のない后と、異国より娶られた新しい側妃。身ごもったのが男だった場合、いったいどちらの子どもが優位になるかと貴族たちはこぞって噂したのですって」
ふわりと、踊るように距離を取られて尚、コーデリアは動けなかった。
まるで他人事のように語られる話は、椅子に縛り付けられたように動けないコーデリアを置きざりにして進み、そして――
「そして、生まれたのがわたくし」
美しく微笑む姫君は、おもむろに自身の胸元へと手を伸ばした。
ぷつりぷつりと、流れるような動作で外されるボタンを、コーデリアはただ見つめるしかできない。
6つほどボタンが外され、はだけられたドレスから覗く胸は平たかった。
そこには女性的な柔らかさなど無く、今まで頭の隅にこびりついていた『女性なのでは』という疑念がたちどころに霧散する。
それどころか、頭が真っ白に塗りつぶされるような感覚さえする。
もう訳が分からなかった。
「わたくしは覚えていないけれど、陛下は大層第三王子を可愛がったと聞かされたわ。それが面白くない方が、第一王子の取り巻きには沢山居たの。――わかるでしょう?」
混乱で情報処理が追いつかない頭などお構いなしに、アンネリーゼの言葉は続く。
コーデリアは上滑りしていく言葉達を逃すまいと、必死に目を瞬かせた。
「最初に死んだのは侍女だった。狩り遊びの弓が運悪く飛んできたの。その次は毒味係。……ああ、不審者に斬られた庭師も居たのだったかしら。わたくしの周りで不審死が増えてきて、さすがに絶えきれなくなったのでしょう。ある日、お母様がわたくしにドレスを着せたの」
己の纏うドレスの端をつまみ、アンネリーゼは微笑んだ。
その目に嘲笑じみた光が宿るのを目の当たりにして、コーデリアは思わず目を瞠る。
「それからわたくしはアンネリーゼを名乗り、女として育てられたの。それを境にわたくしの周りから不審死が無くなったわ。女としてなら生かしてやると、見逃して頂いたのね」
たとえ王家といえど、この国の女児には世襲の権利は無い。
国王がアンネリーゼに王位をと明言すればまた変わっていただろうが、幸か不幸か、その後はすっかり興味を無くした様だと、アンネリーゼは嘲笑ってみせた。
「お兄様は言うのよ。それはあまりにも不憫だって。だから、わたくしを弟として紹介出来るようにするって仰ったの。この婚約は、男に嫁がされない為のカモフラージュなのだって。ゆくゆくは、貴方とわたくしを、正しい性別で社交界に出せるようにしてくださると、そう仰っていたけれど」
すっと流し目に射貫かれ、コーデリアの肩が跳ねた。
「でも、どうして信じられて?」
落ちてくる言葉は、先ほどまでの口調と打って変わって氷のように冷たい。
「わたくしの命を狙ったのは、お兄様の陣営の方なのよ。だめ押しとばかりに、わたくしを女として男に嫁がせたって不思議では無いもの。ねえ、そう思うでしょう?」
何を告げるのが正しいのかコーデリアには分からなかった。
何が真実なのか、コーデリアは知らない。
けれど、これ以上口をつぐんでいる事もはばかられた。
「アンネリーゼ様……」
ようやく唇から紡ぎ出せたのは、目の前の人の名前だった。
二の句が継げないコーデリアに、アンネリーゼは柔らかく微笑んだ。
「だから、ねえ。わたくしにお兄様を信じさせて?少なくともわたくしを男の元に嫁がせるつもりは無いのだと、それだけで良いの」
嫌に優しげな口調が降ってくる。
手袋越しの固い指先が、コーデリアの胸元のボタンをなぞった。
ぞわぞわとわき上がってくる恐怖に、唇が戦慄く。
わからない。目の前の人が何を言わんとしているのか。
そして、その指が求めるモノがなんなのか。
否、分かりたくないのかも知れないと、浮かんでくる思考を押しとどめながら、コーデリアは浅い息を吐いた。
「ねえ、貴方が女性だと、わたくしに証明してみせて?」
感情のうかがえない瞳で微笑んだアンネリーゼが、嫌に愛らしく小首をかしげる。
――ああ。この人は嘘を吐かれるのになれているんだわ。
せり上がる声にならない悲鳴は、ため息となってコーデリアの唇から転がり落ちた。
――追求は、未だやまない。