婚約者たちの初対面
コーデリアの気持ちとは裏腹に、空は気持ちの良い快晴だった。
濃すぎる会談の翌朝ともなれば、どうしたって気分は沈んでしまう。しかも、件の姫君との顔合わせだと言われれば尚の事。
起き抜けに「天気が良いので中庭で、というお話でした」などと決定事項の体で告げられた時、女であることを隠し通せなかった自分を呪ったが、悔やんだところで後の祭り。
エセルバートがセッティングしたと言われれば、それはもう決定事項なのである。
憂鬱な気分のまま案内役の侍女に付いていくことしばし。
通された中庭に佇んでいたのは、侍女のお仕着せを着込んだ初老の女性一人きり。
彼女はコーデリアの姿を目に留めると、深々と頭を下げた。
「ダリウス・ハウネル卿とお見受けいたします」
「ああ。こちらに足を運ぶようにとエセルバート殿下より言い付かったのだけれど……本日は延期となったのかな?」
それならば好都合だ。
問題の先送りにしかならないが、心の準備は出来る。
ゆったりと微笑むコーデリアに、初老の侍女はさっと顔を青くさせた。
「申し訳ございません。アンネリーゼ様は、その……」
恐らく彼女は、アンネリーゼとコーデリアを対面させる役割を担っていたのだろう。
言葉を詰まらせた侍女からちらりと伺うような視線が向けられる。
「大丈夫。私は気にしていないよ」
できるだけ安心感を与える声色になるよう心がけながら微笑んで続きを促すと、侍女はほっと息を吐いて口を開いた。
「少し目を離した隙にお姿が見えなくなりまして」
叱咤をおそれて縮こまる侍女に、どうやらこの婚約は姫君のお気に召さなかったらしいと、コーデリアは苦笑した。
むしろ、一方的な約束を取り付けられ困惑しているのかも知れない。
昨日一晩の出来事で品行方正なエセルバート像をすっかり崩された今、エセルバートの言う『話は通してある』は当てにならないとコーデリアは思っていた。
印象一つで、爽やかに見えていた貴公子の微笑みが胡散臭いものに変わるとは驚きである。
「それは……困ったね。日を改めようか」
「いいえ!いいえ、私はエセルバート様よりこの場をつつがなく取り仕切るよう任されております。ですから、どうか今しばらくこちらでお待ちくださいませ」
侍女は恭しく頭を下げると、口を挟む間もなく青い顔でアンネリーゼを探しに行ってしまった。
コーデリアとしてはこの場が流れたとて一向に構わないのだが、彼女にとっては大問題なのだろう。
――あまり根を詰めないと良いけれど。
ぼんやりと後ろ姿を見送るコーデリアに、どこからか笑い声が降ってきた。
鈴を鳴らすような音を辿れば、二階の窓から美しい人が顔を覗かせている。
「ご機嫌よう。あなたがわたくしの婚約者?」
柔らかに波打つ藤色の髪に、澄んだ空色の瞳。どことなく異国を思わせる相貌から紡がれる声は甘い。
けれど、少女と言うには落ち着いた中性的なそれは、甘さの中に艶を滲ませながらコーデリアの元へと降ってくる。
「……アンネリーゼ姫でしょうか?」
首をかしげるコーデリアへと返ってきたのは、無言の肯定だった。
楽しげに空色の瞳が細められる。
「ごめんなさいね。貴方と二人っきりでお話がしたくて。少し隠れていたのよ」
何処で誰が聞いているとも知れないし。
独り言のように付け加えられた言葉に、やはりこの婚約が訳ありなのだとコーデリアは悟る。
けれど、悟ったところで踵を返す訳にはいかない。
笑顔のまま固まるコーデリアに、アンネリーゼはゆったりと微笑み返した。
「どうぞ、登っていらして?」
手袋に覆われたアンネリーゼの細い指が、青々と茂る若いブナの木を指し示している。
「木登り、ですか……」
幼少時、庭を走り回っていたコーデリアといえ一応は貴族の令嬢。残念ながら、木登りは未経験である。
それ以前に、木登りなどしたらそれこそ目立つのでは……。
アンネリーゼの矛盾した要望に首をかしげていると、クスクスと再び笑い声が降ってきた。
「ふふ。ごめんなさい、意地悪を言ったわ。待っていらして」
からかわれたらしい。
楽しげに室内へと消えたアンネリーゼは、しばらくして一階の部屋から顔を出した。
中庭から丁度木の陰で隠れる位置にあるその部屋は、どうやら客室の一つらしい。
薄暗い室内の内装は、コーデリアの部屋とそれほど変わらなかった。
「お待たせしてしまった?」
「いいえ。急がせてしまいましたか?」
瞬きをする間にとはいかないが、令嬢として見咎められる早さで移動してきたのだろうという事は、コーデリアとあまり変わらない身長から察せられた。
思わず眉を寄せるコーデリアに、軽く弾んだ息を整えながらアンネリーゼはその上気した頬を緩ませる。
「だって、見つかっては困るんだもの」
悪戯に微笑むアンネリーゼは噂通り幻想的な美貌だった。
艶やかな長い髪やきっちりと肌を隠すドレス、流行を取り入れられた化粧と、何処をとっても女性であるのに、アンネリーゼにはどことなく中性的な雰囲気がある。
けれど、それだけだ。今のところ、どこにも男性の要素が見当たらない。
――本当に男性なのかしら。それとも、私の見当違い?
もしくは、エセルバートにからかわれただけなのかも知れないと、コーデリアは思う。
エセルバートに対する評価が、本人の知らないところでまた一つ下がった。
「ばあやが戻ってくるといけないわ。さ、お入りになって」
訝かしげな観察の視線に気を悪くした風も無く、アンネリーゼが微笑む。
密室は少々気が引けるが、コーデリアが抱える秘密を思えば、誰の目があるともしれない庭園よりよほど安心できるだろう。
「少々お待ちください。今――」
玄関に回ろうとコーデリアが踵を返すより先に、アンネリーゼの指先がその腕に触れた。
「ダメよ。それでは誰かに見られてしまうでしょう?」
先ほどより幾分か低いアンネリーゼの声が耳元で聞こえる。
そう認識したのと、ふわりと身体が宙に浮いたのは同時だった。
足が空を切る。
視界の脇で柔らかな藤色が踊った。
「……っえ?」
想像より固いぬくもりに抱えられているのだと認識したのは、甘い笑い声が耳元で響いてからの事。
「足を上げてくださらないとさすがに引っ張り上げられないわ。わたくし、殿方を抱え上げている所を誰かに見られるのは遠慮したいのだけれど……」
「……っ!!」
言われるままに足を上げ、コーデリアは生まれて初めて窓から部屋の中へと滑り込んだ。
一人で超えられない高さの窓ではないとはいえ、まさか、スカートを履いた姫君に抱き上げられるだなんて。
その際、不用意に動いて強かに打ち付けた膝を押さえながら、コーデリアは信じられない面持ちで目の前の美しい人を見つめる。
気品あふれる佇まいは、どこからどう見ても女性のそれ。
嫋やかなその腕で人一人を抱えられると、一体誰が思うだろう。
妖精のように儚げなその人は、コーデリアの視線を受けてくすぐったげに微笑んだ。