アンネリーゼという人
『アンネリーゼと婚約して欲しい』
その言葉は、脳内でいくら反芻しようとコーデリアには理解出来なかった。
アーネスト・アンネリーゼ・ロナ・ディアローザは、エセルバートの異母妹にあたる。
隣国リンデール生まれの側室リリザ=ノヴァ妃を母に持つ姫君は、妖精じみた美貌と品性を兼ね備えており、社交界デビューした今、年頃の貴族達がこぞってダンスを申し込んでいると聞く。
そんなアンネリーゼに対し、わざわざ自分を婚約者に仕立てる必要があるのかとコーデリアは思う。
「あの、殿下」
「エセルバートで構わないよ。貴女は未来の妹なのだから」
「いえ、そんな恐れ多い。……ではなく。私をアンネリーゼ姫の婚約者に、と仰いましたか?」
男女のくくりを抜きにしても、姫君の輿入れ先としてハウネル家の魅力は薄い。
広大な領土を持つ辺境伯という立場に加え、豊富な特産品に恵まれた領地は牧歌的で美しく、飢える事はまず無い、コーデリアの自慢の地だ。
けれど辺境伯とは、国境を守護する役職である。
隣国と領地を隣り合う立地上いざという時は命の保証がない事など、将来王位に立つべく国政を学び、地方に関心を持つエセルバートならば簡単に理解できるだろう。
――なのに何故。何か他に理由が?
疑問符を飛ばすコーデリアに、エセルバートは相貌を崩した。
まるで謎かけを楽しんでいる風な顔だと、コーデリアは身構える。
悪い顔だ。
美しいけれど、コーデリアにとってはとても悪い顔に見えた。
「そんなに警戒しなくとも、答えは単純だよコーデリア。アンネリーゼはね、男性と恋が出来ない身体なんだ」
「それ、は……」
恋とは、通常男女が落ちるものだと、コーデリアは認識している。
けれど広い世界には、異性を愛する事が出来ない人も居るのだという事も、知識としては知っていた。
まさか、そういう事なのだろうか。
同性同士といえど、外見上は男と女。
だからアンネリーゼの婚約者として都合が良いと、エセルバートは言ったのだろうか。
「エセル。意地悪を言っては可哀想だわ。……コーデリアさん。アンネ様はね、女性が好きなのよ」
何でもない事のように言ってのけるティリラだが、それは助け船のようで居てなおさらコーデリアを混乱させた。
エセルバートの発言と何が違うというのだろう。
男性と恋が出来ない……つまり男嫌いというよりも、女性に魅力を感じる性癖だという事なのだろうか。
どちらにしろ、混乱するなと言う方が無理だった。
「……アンネリーゼ姫は、女性でしょう?」
「貴女と同じだよコーデリア」
「あら、上手い言い回しねエセル。そうね、アンネ様は貴女と一緒よ」
楽しげに微笑む恋人達は、肝心な所は何一つ教えてくれない。
その表情を見るに、おそらく言葉遊びを楽しんでいるのだろうとコーデリアはようやく理解した。
それもそのはず。
エセルバートに借りを作った時点で、何を言われようとコーデリアは頷くしかないのだから。
極端な事を言えば、二人はいつ会話を打ち切ったとて構わないのだ。
だからこそ、自分の立ち位置を把握するために考えなければと、コーデリアは息を吐く。
「私と、一緒」
それは、どういう意味なのだろう。
言葉通りに捕らえれば、それは同性という意味に思える。
けれどそれならば、コーデリアの問いにただ頷けば良いだけだ。
ならば、同性では無い、としたら?
「まさか、アンネリーゼ様も……」
女性で無いのなら、男性なのだろう。
そして、外見をみれば彼女……否、彼だろうか。つまりはアンネリーゼも性別を偽っているという事なのかもしれない。
――でもまさか。それこそ、何のために。
信じられない面持ちで見上げられたエセルバートは何も言わず微笑んだ。
視線をずらした先のティリラもまた、クスクスと楽しげにしている。
穏やかなその沈黙が、コーデリアが正解にたどり着いた事を物語っていた。
「そんな、でも、何故?」
「そういうディープな事は、仲良くなったら教えてくれるのではないかしら?」
「そうだね。いいかいコーデリア。君にお願いしたい事は取り敢えず二つ。一つは、先ほども言ったとおり、アンネリーゼの婚約者になる事。そしてもう一つは、貴女がしばらく王城に留まる事だ」
アンネリーゼとの交友を深めると良い、などと微笑む彼は、今気になる事を言わなかっただろうか。
――取り敢えず……?ということは、後々増えていくという事?
言葉の意味をはっきりさせたくもあったが、エセルバートならば、何を今更と一蹴しそうな気がする。
否、何を言われようと、コーデリアに肯定以外の選択肢は無い。
ならば何も気付かなかった事にしようと、コーデリアは諦めた。
とりあえず、今のところ害が無いのならば良いのである。
「わかりました。ですが、曲がりなりにも私は辺境伯。いきなり王都に留まれと言われても、仕事が……」
「あら。でも今は社交シーズンでしょう?貴女のお父様も、シーズン中はこちらにいらっしゃったと記憶しているけれど」
ぐうの音も出なかった。
もちろん父の代から執事を務めていたリチャードなら、急な事態にも見事対応してみせるだろう。
苦し紛れの言い訳も綺麗に返され、コーデリアは息を吐いた。
「この件、アンネリーゼ姫は知っていらっしゃるのでしょうか?」
「もちろん伝えてある。あの子も半信半疑の様子だったけれどね」
一応の了承を得ていると言われてしまえば、コーデリアがだだをこねるわけにも行かなくなる。
「分かりました。家に手紙を書くのを許して頂けるのなら」
こうなる事は最初から決まっていたんじゃないかしら。
そう思いながらも、自分で選んびとった未来だと思い込みたいコーデリアである。