罪と恩情
「コーデリア・ハウネル嬢で間違いは無いかな?」
石像のように固まったコーデリアは、その問いにぎこちなく頷いた。
王太子の質問に返事をしないなど、不敬にも程があるのは分かっている。
けれど残念なことに、貴族として優雅な反応を返せるほど今のコーデリアは冷静でなかった。
エセルバートは、天敵に遭遇した小動物のような姿を哀れみつつも柔らかに微笑んでみせる。
本人としては、落ち着かせるべく鷹揚に微笑んだつもりだったが、穏やかに見えつつそれでいて隙の無いそれに、コーデリアは再び肩をはねさせた。
「あらエセル。コーデリアさんが怯えているわ」
「それは貴女のせいだろう。……任せろと言うから一任したというのに、私は彼女が憐れで仕方が無かったよ」
「あら。そんなこと無いわ。うら若きお嬢さんをエセルに任せる方が心配よ」
自分そっちのけで続けられる何でもない会話に混乱しながら、どっちもどっちだと、コーデリアは心の中で毒づいた。
己の罪を晒されてなお、こうも穏やかに微笑まれては、凄まれるよりも余程恐ろしい。
――これからどうなるのかしら。せめて、家族に危害が行かないようにしなければ。
決意を固めて顔を上げたその時、丁度会話にキリがついたらしい。
ごほんと取りなすような咳払いに、コーデリアはぴんと背筋を伸ばした。
「さて、レディ・コーデリア。貴女は、この国の爵位に女性が就けないのは知っているね?」
「はい」
「ならば貴女は、知っていて故意に世間を欺いたと、認めるのだね?」
どくりと心臓が音を立てる。
このまま素直に頷けばどうなるのだろう。
いくら他に手段が思いつかなかったとはいえ、罪は罪。
罰せられるのは恐ろしいが、これ以上嘘を重ねる事も、コーデリアには出来そうも無い。
「レディ?」
「……ええ。殿下の仰るとおりです。ですが、これは私が一人で行った事。母も弟も知らぬのです。どうぞ、罰するのなら私だけに」
深く下げた頭の上で、小さく息を吐くのが聞こえた。
厚かましいと呆れられたのかと恐ろしくなるが、言わずには居られない。
「そうか。では、君の望みを言ってみなさい」
「え?」
今、なんと言っただろう。
思わず顔を上げたコーデリアの目に飛び込んできたのは、ひどく楽しげなエセルバートとティリラの微笑だった。
「親兄弟を罰するなと貴女は言うのだろう?望みはそれだけかい?他には何か無いだろうか」
「良いのよコーデリアさん。思いつく限り、何でも言ってみると良いわ」
訳が分からなかった。
虚偽の申告で家督を継いだ者の末路は悲惨なものだ。
家督取りつぶしはまだ易しい方で、国外追放や一族郎党の処刑とてあり得ない話ではない。
これ以上の恩情など、与えられるはずが無いのだ。それが何故ーー?
「いいえ。あの……意味が、良く」
「何がだろうか?」
「私は不正に家督を継いだのです。親兄弟の罪を不問にするだけでも、大変な恩情を頂いているのに、それ以外にも望みを、など」
王太子の決定とは言え、それではさすがに他の貴族に示しが付かないだろう。
混乱するコーデリアに、エセルバートは鷹揚に微笑んだ。
「何、気にする事は無い。むしろこの状況は私にとって都合が良いのだ」
その顔に悪意は感じられず、むしろ向けられる視線には親しみさえ滲んでいる。
「レディ・コーデリア、安心すると良い。私がこの罪を不問としよう」
「そ、れは……」
何の関わりも無い娘に差し伸べる慈悲としては、さすがに無理がある。
都合が良いとはどういう事だろう。女であるコーデリアが男と偽っている事だろうか。
それとも罪を握りつぶす事で、コーデリアを従えさせる事が出来るから?
「これで貴女は私に借りができた。そうだね?」
「……はい。殿下」
コーデリアの予想は当たっていた。
ならば、肯定以外の何が出来るというのだろう。
コーデリアに頷き返したエセルバートは、ゆったりと足を組んだ。
「貴女には私の計画を手伝って貰いたい。……貴女の望みを叶えるのは、その為の報酬だと思ってくれて良いよ」
出来うる限り叶えよう。
王太子であるエセルバートがそこまでするならば、彼のいう計画とは余程大切なものなのだろう。
命の危険があるのかもしれない。それが罰の代わりとなるような、恐ろしい事を命ぜられるのかも知れない。
ならば――
「それでは、私の弟――サディアスが家督を継げるよう、取りはからって頂きたく思います。それ以外は、何も」
「良いだろう。成人までは優秀な補佐官も付けよう」
「ありがとうございます」
コーデリアはようやくほっと息を吐いた。
これで何も思い残す事はないと、今度こそ肩の荷が下りた気持ちだった。
「欲が無いわねぇ、コーデリアさん。わたしは家の補修をお願いしたいくらいよ」
「いいえ。本来ならば断罪されてもおかしく無いのです。これ以上無い寛大なご処置に感謝しております」
「ふふ。貴女と違ってレディ・コーデリアは奥ゆかしい女性のようだ。――さて。では次は、私の願いを聞いてくれるかな?」
「はい。何なりと」
従順な姿勢にエセルバートは笑みを深め、隣で微笑むティリラもまた、その瞳に楽しげな色を乗せた。
「ダリウス・ハウネル辺境伯に、我が妹アンネリーゼと婚約して頂きたい」
「……はい?」
降ってきた命令に、コーデリアは耳を疑った。
ぱちくりと思わず凝視するその先で、未来の王太子夫婦は楽しげに微笑みを浮かべていた。