傾国の美姫、あるいは――
――これを乗り切ったら早々に領地へ引っ込もう。
そんなことを考えながら始まったダンスの最中。
柔らかな膨らみが己の身体に密着し、コーデリアは思わず身をすくませた。
密着しすぎないダンスの仕方は嫌と言うほど学んだはずだったが、それが生かされなかったのは予想以上に豊満なティリラの胸のせいだと思う。
「うふふ。いけないわ可愛い方。もっと堂々として居なければ」
あからさまにぎこちない態度のコーデリアに、ティリラはくすくすといたずらに微笑んだ。
密着したのは胸のあたりだ。
もしかしたら、初な青年だと誤認してくれたかも知れない。
「すいませんレディ。強くぶつかってしまったのではありませんか?」
「あら、大丈夫ですわ。だって、貴方の胸も柔らかかったもの」
照れたように笑ってみせたコーデリアの淡い期待は、何でもないように笑うティリラの一言にもろくも崩れ去った。
『柔らかい』
それは、どういう意図を持って告げられた言葉だろう。
少なくとも、男性に対する褒め言葉で無いのは確かだ。むしろ侮辱と取られてもおかしくは無い。
そんな言葉を、何故――?
早鐘を打つコーデリアの心臓とは裏腹に、ホール内に響くワルツの曲調が徐々にゆっくりになっていく。
「そうだわハウネル卿。後で迎えを寄越しますわ。――その柔らかいお胸について、詳しくお話したいの」
音の途切れるか否かという絶妙のタイミングで囁かれたそれに、コーデリアは思わず固まることしか出来なかった。
そうして逃げられ無いまま客室に通されて数時間後。
パーティーの余韻もすっかり形をひそめた今、コーデリアはこうしてティリラと対峙している。
「――貴方、女性なのではないかしら」
落とされたのはひどく穏やかな声だった。
まるで世間話でもするような気安さで、彼女はコーデリアに『性別を偽っているのではないか』と告げたのだ。
穏やかな光を湛えた瞳の奥にある確信に満ちた気配に、コーデリアは喉が引きつるのを感じた。
バレている。
けれど、だからといって素直に認めるわけにはいかない。
「……いいえ。それならば私が家を継いでいる訳がありません」
思いの外掠れた声が出た。
自分はこんなにも嘘が下手だっただろうかとコーデリアは思う。
「あら、そうかしら。貴方がもしもコーデリアさんだとしたら、不可能では無いとおもうわ?だって、貴方たちとてもよく似た兄妹だったのでしょう?」
まるで、コーデリアの描いた筋書きを知っているかのように語られるたとえ話に、どくんと心臓が音を立てた。
実際、コーデリア自身も上手くいくと思ったし、今まで騙し通せていたのも事実だ。
けれど、牧歌的な自領の民と疑心渦巻く王城を生きる令嬢では、嘘への耐性からして違うのかも知れない。
「コーデリアは私の死んだ妹です」
そうで無くてはいけない。
だって、そうで無ければ、瞬く間に家督を取り上げられてしまうだろう。
それでは兄をコーデリアとして死なせた意味が無くなってしまう。
「違うでしょう?貴方のお父様と一緒に亡くなったのは、お兄様のはずだわ」
「いいえ。いいえ違います。なぜそのように私の性別をお疑いになるのです」
引きつった表情で頭を振るコーデリアに、ティリラはなおもたおやかに微笑んで見せた。
その余裕が相手の焦りを助長させる事を、彼女はきちんと理解している。
既に青年の仮面が剥がれかけていることにも気付けないコーデリアに、ティリラはだめ押しとばかりに唇を開いた。
「だって、瞳の色が違うもの」
「っ……どうして」
自分でも自覚している決定的な違いを言い当てられ、コーデリアは言葉に詰まる。
嘘を突き通すのならば、動揺を見せてはいけないのは分かっていた。
けれど何故知っているのだろう。違うとはいえ同じ系等の色彩は、親しい人間でさえ同じ色と認識する程度の差違なはずだ。
まして、二人隣り合っている時ならいざ知らず、一人きりの今気付かれるなど。
「そう言って鎌をかけてみると良いと言われたのよ」
とても面白いものを見つけたと言わんばかりに微笑むティリラとは対照的に、コーデリアは力なくソファに身体を沈める。
「確証は、無かったのですね」
「ええ。ごめんなさいね」
けれど、ティリラの疑惑は確証へと変わった。
自身の振る舞いで墓穴を掘ったのだと、コーデリアは悟る。
「私は如何様にも罰を受けます。ですからどうか、家族には寛大なご処置を」
コーデリアは罪人だ。
父と兄の理想とした治世を守るためとはいえ、国を騙し、不当な後継者として地位に付いたのだから。
けれど、何も知らない弟は勿論、母や使用人達は、コーデリアの決定を受け入れ、見て見ぬ振りをしてくれただけだ。
彼らだけは守らなくては。
蒼白な顔で頭を下げるコーデリアに、ティリラは慌てて立ち上がった。
「ああ、いえ……。ごめんなさい。違うのよ。わたしはただ、貴方の性別を確認したかっただけなの」
そして震えるコーデリアの元に膝を折り、俯く彼女の顔を覗き込む。
潤んだ瞳を瞬かせるコーデリアは誰が見てもか弱い少女だった。そんな娘が、たった一人きりで家を守ってきたのかと、ティリラは思わず感嘆の息を吐く。
「ねえあなた、本当は女性なのね?」
零れた声音は、思った以上に柔らかいものだった。
「……はい」
観念して素直に頷いた時、コーデリアは正直ほっとしていた。
兄への期待は、コーデリアの肩には重かった。父の威光も、またしかり。
少なくとも、その重圧から解放されることにほっとしたのだ。
けれど。
「よかった。とても素敵なお嬢さんが見つかったわ。――ねえ、貴方もそう思うでしょう?」
たおやかな貴婦人が振り返った先。
タイミング良く開かれた扉へと弾かれるように視線を向けたコーデリアは再び固まった。
「王太子、殿下……」
ティリラの婚約者であり、この国の第一王子。
エセルバート・ルイン・ディアローザの登場に、もう何もかも終わりかもしれないと、コーデリアは再び泣きたくなった。
言葉巧みな策略家。