王家の薔薇
ティリラに連れられしばらく進むと、アーチが見えてくる。
絡まる蔦薔薇は淡い青に色づいており、職人風の男が丹念に世話をしている所だった。
「ご機嫌よう。薔薇の様子はいかが?」
ティリラが気さくに話しかけると、男は表情を緩めてすぐさまアーチの薔薇を一輪手折った。
「これはティリラ様。本日もエセルを愛でにいらっしゃったのですか?」
「ふふ。今日はね、新入りさんに薔薇園を見せて差し上げようと思って」
淡い青色の薔薇を受け取りながらティリラが微笑むと、男はちらりとコーデリアを見、納得した様に頷いてみせる。
「これはこれは。どうぞ、アーネストも見頃でございますよ」
にこやかな顔で男が道を空けた。
エセル?
アーネスト?
先ほど中庭に置いてきた二人の名前が出て来た事に首をかしげながら、コーデリアは促されるまま青薔薇のアーチをくぐる。
アーチはどうやら裏庭へと続いているらしかった。
「あの、レディ・グロリエ」
「ティリラよ。……ふふ。あなた、王家の薔薇選定の話はご存じ?」
「ええ、教科書に載っている程度に、ですが」
曖昧に頷いたコーデリアに頷いて見せたティリラは、柔らかに微笑んだ。
「あなたのお家は武芸に富んだ家柄だものねぇ。選定にはあまり関わらないのかしら。でも、王家について知っておくのは大切な事よ。ゆくゆくはあなたにも関わってくる事ですものね」
ディアローザ国の国花は薔薇である。
栽培に適した土壌らしく、ディアローザで作られる薔薇は美しいと国内外に愛好家も多い。
そんなディアローザで年に一度行われる一大行事が薔薇選定だった。
王室お抱えの職人達が吟味し、その年一番の薔薇を決める品評会には、多くの注目が集まる。
皆が一般開放された薔薇を愛で、様々な工夫の凝らされた品物の並ぶ市が立つ様は祭りと言って過言では無い。
特に王家に子供が生まれた際は、優れた薔薇に生まれた子供の名前を付ける仕来りがあるとあって一層の盛り上がりをみせると聞いていた。
国境を預かる辺境伯は国内が浮き足立っている時こそ他国の動きに備えねばならぬと、残念ながら一度も参加した事がなかったが、コーデリアとて使用人たちから伝え聞く華やかな祭りに興味がなかった訳もない。
その選定とこの場所になにか関係があるのだろうかと瞳を煌めかせるコーデリアにティリラは笑みを深め、歌うように口を開いた。
「王家の子供の名前を冠した薔薇たちはね、王家が買い取る決まりなのですって。そして、専用の職人達の手によって守られ、日々王家の方々へと献上されるのよ」
今日も生花を挿していらしたでしょう?
胸の辺りを指し示され、コーデリアは二人の王族を思い浮かべる。
なるほど、確かに二人の胸元を飾るコサージュには生花があしらわれていた。
深く疑問に思わなかったが、色も花弁も異なる薔薇の意味にようやく合点がいく。
「それで、庭師の口からエセルとアーネストというお名前が出て来たのですね」
「そうよ。そしてここが王家の薔薇園。歴代の優れた薔薇たちが咲き乱れる所」
指し示されたそこには、ガラス張りの温室がいくつも並んでいた。
その一つ一つに備え付けの小屋が設置されており、温室一つに一人の職人が付く決まりなのだとティリラは教えてくれる。
「此処には基本、職人達しか入る事が許されないの。だからねぇ、人目を忍ぶ密会にもってこいなのよ。わたし達もよく利用するのだけれど」
そこで一旦言葉を句切り、ティリラは内緒話でもするように声を潜めた。
悪戯を思いついた少女の様な表情で、楽しげに手招きされる。
「あなたとアンネ様も、密会にはこちらを利用したら良いわ。毎日自分を偽っていては、きっと息が詰まってしまうもの」
「……ありがとうございます」
「わたしね、貴女たちは仲良くなれると思うの」
形ばかりの婚約者に果たして密会が必要になるだろうかと、内心首をひねるコーデリアを他所に、楽しげな口調で言葉は続く。
「理由は違えど、性別を偽っている者同士共感出来る事って多いと思うわ。婚約者として振る舞う為にもお互いの事を知る必要があるでしょうし、貴女がアンネ様の話し相手をしてくださると嬉しいのだけれど」
そこで一瞬の逡巡を見せ、ティリラは微かな苦笑を滲ませた。
「わたしは元々アンネ様の話し相手として王城に上がったのだけど、今はほら、エセルの婚約者でしょう?一応は異性なのだからとエセルや周りの方々はあまり良い顔をしないし、わたし自身、花嫁修業で忙しくなってしまうから」
ただの姉妹であったなら、ティリラは今まで通りアーネストの話し相手だったのかも知れない。
けれど、彼の性別を知る人間からすれば、第一王子の婚約者を異性と二人っきりにするのは憚られるのだろう。
「遊び相手をお兄様に盗られて少しむくれているのよ。エセルの前では、ああやって必要以上にくっつきたがるの」
あくまで遊び相手を盗られたからなのだとティリラが強調するのは、アーネストが無害だと周りに知らしめる意味合いもあるのだろう。
ティリラがエセルバートを選んだとはいえ、たとえ一時期でも兄と王位を取り合ったのは事実なのだ。
兄王子の障害になりかねないと命を狙われたアーネストが懸想を勘ぐられれば、今度こそ最悪の事態になってもおかしくは無い。
「貴女を巻き込んで本当に申し訳ないと思っているわ。でも、お願いよ。せめて、わたしとエセルの結婚まではアンネ様の側に居て欲しいの」
エセルバートの王位が確実な物となれば第一王子派も無闇な事はしないだろうと言っているのだ。
アーネストの身を案じるその顔は、なんとなく兄を思い起こさせた。
「ティリラ様は、アーネスト様の事を思っていらっしゃるのですね」
「ええ、勿論。わたしの弟になる子だもの」
微笑むティリラの顔に親愛以外の物は感じられない。
――けれど、アーネストは?
先ほど見た少々行き過ぎなスキンシップに一抹の不安を覚えながらも、コーデリアはそれを打ち消すように頷いた。